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68.心を取り戻すとき
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本気で叱られた日。最後のあれはいつだったか。
そう思い出せば、出て来るのは十年よりずっと前の記憶。
本気で笑った日。それもやはり十年よりずっと前の記憶だった。
心から泣いた日に至ってはセイディを再び見付けたあのときとなる。
十年の間に両親とどんな会話をしてきただろう。
彼らはどんな顔で、どんな声で、何を語った?
母親はともかく、父親とは仕事の話をしてきたはずだ。
確かに爵位を引き継いで、その後はセイディを探す旅に出てばかりいたが、それでも領地を見てくれている父親とのやり取りはしていたのだ。
だが思い出せない。
いや、覚えている。それがとてもぼんやりとしていて、いつも薄暗い部屋にあるような記憶として残っているのだ。
侍従はどうだ?
あいつはずっと変わらず側にいてくれたはずなのに。
いつもうるさい男で煩わしいとさえ思ってきたはずなのに。
その賑やかな声が十年の間にない。
鮮明に思い出せるときは、やはり十年より前に遡った。
幼い頃に剣の稽古の相手をさせていて手加減するなと言った途端にボロボロになるまでやり返されたときのことやら、共に悪戯をしたのに罪を全部擦り付けられ両親からこってり絞られたときのことやら……この通り古いものばかり。
他の使用人らも同じだ。
幼い頃はよく揶揄われていたのに、十年間は彼らとどう接してきた?
だがそれ以前の。
幼いセイディの姿が次々と溢れ出る。
こんなにも忘れていたのか?
あの幸福な日々を?
昔の話は誰かに指摘されるようなきっかけがあれば思い出せていた。
だからまさかセイディとの幸せな時間を忘れているなんてジェラルドは思いもしなかったのだ。
この幸せ過ぎた思い出が、十年の生きる糧となっていたと信じていたのに。
──私は封印してきたのか?
この気付きはジェラルドに不思議な感覚を与えた。
失ったものが惜しいと感じる前に、視界が開けたのだ。
それは天上から差してきた陽光がこの場だけに注いだように。
突如として周囲のすべてがいつもより明るく感じた。
「るど?まだいたいですか?」
腕の力が緩んだ隙にジェラルドの胸と腕の隙間から顔を出したセイディの瞳は、僅かに陰った。
ジェラルドは慌てて首を振り、自分を見るセイディの頭を撫でる。
「なんでもないよ、セイディ。ルドは大丈夫だ。よしよし、親に任せて私たちは遊ぼうか?」
それは十年忘れてきた、息子としての甘えではなかったか。
ジェラルドだってセイディを失った日はまだ少年と言える年齢だったのである。
心を失っていたのは──。
「おやにまかせてわたしたちあそぼうか?……あそぶはたのしいです!」
ジェラルドの言葉を繰り返し、それを素晴らしい意味として受け取ったセイディが喜べば、ジェラルドもまた愉快気に笑い出した。
あの二人のことだから。
確実に王家を追い詰めるだろう。
アルメスタ公爵家は、かつての王族が臣籍降下して始まった家だ。
王族の末裔であり、王国の筆頭貴族家でもある由緒正しき公爵家がこの国から離反するなどと宣言すれば、国内外に大きな混乱を招くに違いない。
争いの火種となることもあろう。
アルメスタ公爵家とて無用な争いを望んでいるわけではない。
二代に渡って当主が番を知る者だったために番第一主義だけは変えられないが、領民を想う心は持っているし、何もしていない人々が苦しむことなど願うはずもなかった。
そうは言っても番第一主義なのだ。
ひとたび番を脅かす敵として認定した相手には、情けなど掛けない。
だからそう、せめて。
離反の覚悟があることを王家に仄めかすことくらいなら容易に出来てしまうのだ。
それで王家が自滅していくというなら、王国全土の民がなるべく苦しまない選択をするだけ。
番を知る両親だからこそ、彼らは反撃の手を緩めないだろう。
そしてそこに、確かにあると自身が信じているものをジェラルドは悟る。
両親は自分のために動くだろう、と。
番しか見えなくなっていたけれど。
意外と自分は親のことを信じていたのだなぁと思い至り、任せることを思い付くジェラルドであった。
しかしそれもまた、番第一主義だからこそであることには、自身では気付けない。
そう思い出せば、出て来るのは十年よりずっと前の記憶。
本気で笑った日。それもやはり十年よりずっと前の記憶だった。
心から泣いた日に至ってはセイディを再び見付けたあのときとなる。
十年の間に両親とどんな会話をしてきただろう。
彼らはどんな顔で、どんな声で、何を語った?
母親はともかく、父親とは仕事の話をしてきたはずだ。
確かに爵位を引き継いで、その後はセイディを探す旅に出てばかりいたが、それでも領地を見てくれている父親とのやり取りはしていたのだ。
だが思い出せない。
いや、覚えている。それがとてもぼんやりとしていて、いつも薄暗い部屋にあるような記憶として残っているのだ。
侍従はどうだ?
あいつはずっと変わらず側にいてくれたはずなのに。
いつもうるさい男で煩わしいとさえ思ってきたはずなのに。
その賑やかな声が十年の間にない。
鮮明に思い出せるときは、やはり十年より前に遡った。
幼い頃に剣の稽古の相手をさせていて手加減するなと言った途端にボロボロになるまでやり返されたときのことやら、共に悪戯をしたのに罪を全部擦り付けられ両親からこってり絞られたときのことやら……この通り古いものばかり。
他の使用人らも同じだ。
幼い頃はよく揶揄われていたのに、十年間は彼らとどう接してきた?
だがそれ以前の。
幼いセイディの姿が次々と溢れ出る。
こんなにも忘れていたのか?
あの幸福な日々を?
昔の話は誰かに指摘されるようなきっかけがあれば思い出せていた。
だからまさかセイディとの幸せな時間を忘れているなんてジェラルドは思いもしなかったのだ。
この幸せ過ぎた思い出が、十年の生きる糧となっていたと信じていたのに。
──私は封印してきたのか?
この気付きはジェラルドに不思議な感覚を与えた。
失ったものが惜しいと感じる前に、視界が開けたのだ。
それは天上から差してきた陽光がこの場だけに注いだように。
突如として周囲のすべてがいつもより明るく感じた。
「るど?まだいたいですか?」
腕の力が緩んだ隙にジェラルドの胸と腕の隙間から顔を出したセイディの瞳は、僅かに陰った。
ジェラルドは慌てて首を振り、自分を見るセイディの頭を撫でる。
「なんでもないよ、セイディ。ルドは大丈夫だ。よしよし、親に任せて私たちは遊ぼうか?」
それは十年忘れてきた、息子としての甘えではなかったか。
ジェラルドだってセイディを失った日はまだ少年と言える年齢だったのである。
心を失っていたのは──。
「おやにまかせてわたしたちあそぼうか?……あそぶはたのしいです!」
ジェラルドの言葉を繰り返し、それを素晴らしい意味として受け取ったセイディが喜べば、ジェラルドもまた愉快気に笑い出した。
あの二人のことだから。
確実に王家を追い詰めるだろう。
アルメスタ公爵家は、かつての王族が臣籍降下して始まった家だ。
王族の末裔であり、王国の筆頭貴族家でもある由緒正しき公爵家がこの国から離反するなどと宣言すれば、国内外に大きな混乱を招くに違いない。
争いの火種となることもあろう。
アルメスタ公爵家とて無用な争いを望んでいるわけではない。
二代に渡って当主が番を知る者だったために番第一主義だけは変えられないが、領民を想う心は持っているし、何もしていない人々が苦しむことなど願うはずもなかった。
そうは言っても番第一主義なのだ。
ひとたび番を脅かす敵として認定した相手には、情けなど掛けない。
だからそう、せめて。
離反の覚悟があることを王家に仄めかすことくらいなら容易に出来てしまうのだ。
それで王家が自滅していくというなら、王国全土の民がなるべく苦しまない選択をするだけ。
番を知る両親だからこそ、彼らは反撃の手を緩めないだろう。
そしてそこに、確かにあると自身が信じているものをジェラルドは悟る。
両親は自分のために動くだろう、と。
番しか見えなくなっていたけれど。
意外と自分は親のことを信じていたのだなぁと思い至り、任せることを思い付くジェラルドであった。
しかしそれもまた、番第一主義だからこそであることには、自身では気付けない。
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