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沢山の人の想いも抱え込み
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罪を償うための労働を行う場所が、公爵領にはいくつも用意されていた。
近頃は公爵夫妻が揃い、頻繁にこの視察を行っている。
今日もそのひとつに、公爵夫妻が顔を出したところだ。
「お姉さま!」
底抜けに明るい声を上げ、労働を止めて手を振る女は、かつてはオリヴィアの妹だったマリアだ。
今は平民で、ただのマリアとなった。
オリヴィアは躊躇いなく並ぶ鍋と人の間を縫ってマリアの元へと近付いていく。
広い調理場では、特産品の果物をジャムに加工しているところだった。おかげで熱気が凄まじい。
「お姉さま、また来てくださって嬉しいわ。これ、とても美味しいから、あとでお土産に……あら、また御領主様もご一緒でしたか。御領主様にはご挨拶と日々の感謝を申し上げます」
遅れて現れたレオンに冷めた目を向けたあと、マリアは丁寧に頭を下げた。
レオンは面白くなさそうにむすっと口を歪めていたが、「今日は正式な視察ではないから、皆、そのままで」と周りにも聞こえるように声を張り上げる。
マリアと同じく一斉に頭を下げた女性たちは、レオンに遠慮なく、すぐに作業を再開した。
「何も問題は起きていませんか?」
オリヴィアが問い掛ければ、マリアはヘラを使って鍋の中身をかき混ぜながら、はきはきと明瞭に答えていく。
「はい!お姉さまのおかげさまで、この工房でもとても楽しく働かせて貰っています!ねぇ、お姉さま。今日のこれ、本当に美味しいのよ。お味見なさる?」
「ふふ。いつものパンを買って来ましたし、こちらも購入させていただきますよ。マリアが作ったものですもの。あとでマリアが休憩のときに、一緒に食べましょう」
マリアに会いに来るといつも、レオンは空気だ。
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、レオンをちらちらと見てくるマリアがいくら気に食わなくも、いや、気に食わないからこそ、レオンは何も言えなくなった。
口を開けば、言い合いになりそうだから。
「マリアはたまに伯爵領に戻ってくると、必ず私に会いに来てくれたのです」
オリヴィアは懐かしそうに目を細めて、たびたびレオンに語ってきた。
王都の素晴らしさ、買って貰ったものの話、付き合うようになった貴族や商人のこと、等々、レオンが聞けば完全に嫌味にしか捉えられないそれを、当時のオリヴィアは楽しんでいたのだと言う。
それにマリアは、オリヴィアに土産と称し王都で買って貰った菓子や雑貨を分け与えた。
マリアなりに姉の境遇を不憫に思っていたのだろうか。
しかし、両親がそれを当然のことだと言えば、幼いマリアは疑問を持てなかったのだろう。
それは自身の行いについても。
「人目に付かないよう、こそこそと会いに来てくれるのです。父……私たちの父だったあの人に見つかれば、マリアも叱られたでしょうに。そこまでして会おうとしてくれたことが、私は嬉しかったのです。あの子だけが家族だと思ってくれているような気もしましたから」
そしてオリヴィアは毎度この辺りで悲し気に眉を下げるのだ。
「いつも申し訳なく思っていました。あの頃の私には何も返せるものがありませんでしたし、見付かると私がどうなるかと考えては怖ろしくて。それでいつも優しく出来ず、何も要らないから早く部屋から出て行くようにと言うばかりだったのです。それでもあの子は、また私の部屋を訪ねてくださいました」
それが一度ではなく、何度も繰り返し聞かされていたら。
それも嬉しそうな顔をして話すオリヴィアを見ていたら。
どうしてレオンに妻がマリアと会うことを止められるだろう。
押し黙るレオンの前で、マリアは嬉々としてオリヴィアに話し掛けていく。
「お会いしてきてくださったのですね?母は元気でいました?」
「えぇ。新作のパンをあなたに食べて欲しいと言っていましたよ。それも預かってきましたからね」
マリアとその母の働く場所が異なっていたのは、それがマリアの希望だったからだ。
貴族用の更生施設で十日を過ごしたあと、改めて面会したレオンは、その先行きを二人に選ばせた。
労働期間は決まっているが、公爵領では罪人も基本的には非人道的な扱いを受けない。
ダニエルのように死罪に匹敵する罪人を除いて、という話にはなるが。
軽微な罪を犯した者ほど、罪を償う期間も短く、労働を終えた先を見据えた対応を取ることになり、罪を償いながら手に職を付けさせることも多いのである。
しかもマリアの場合、労働が課せられた目的は罰というより矯正であって、比較的自由に先を選ぶことが出来たのだ。
もちろん、罪人である母の方はそうはいかず、決められたいくつかの労働の中から選ぶ権利しか持たない。
そしてマリアには、しばらくは母と共に暮らすかどうか、それを選ぶ権利も与えられていた。
母が刑期を終えるそのときまで一緒に暮らすことは叶わないが、母と同じ労働を希望すれば、もうしばしの間、共に過ごせるということだ。
しかしマリアはこれを拒絶した。
近頃は公爵夫妻が揃い、頻繁にこの視察を行っている。
今日もそのひとつに、公爵夫妻が顔を出したところだ。
「お姉さま!」
底抜けに明るい声を上げ、労働を止めて手を振る女は、かつてはオリヴィアの妹だったマリアだ。
今は平民で、ただのマリアとなった。
オリヴィアは躊躇いなく並ぶ鍋と人の間を縫ってマリアの元へと近付いていく。
広い調理場では、特産品の果物をジャムに加工しているところだった。おかげで熱気が凄まじい。
「お姉さま、また来てくださって嬉しいわ。これ、とても美味しいから、あとでお土産に……あら、また御領主様もご一緒でしたか。御領主様にはご挨拶と日々の感謝を申し上げます」
遅れて現れたレオンに冷めた目を向けたあと、マリアは丁寧に頭を下げた。
レオンは面白くなさそうにむすっと口を歪めていたが、「今日は正式な視察ではないから、皆、そのままで」と周りにも聞こえるように声を張り上げる。
マリアと同じく一斉に頭を下げた女性たちは、レオンに遠慮なく、すぐに作業を再開した。
「何も問題は起きていませんか?」
オリヴィアが問い掛ければ、マリアはヘラを使って鍋の中身をかき混ぜながら、はきはきと明瞭に答えていく。
「はい!お姉さまのおかげさまで、この工房でもとても楽しく働かせて貰っています!ねぇ、お姉さま。今日のこれ、本当に美味しいのよ。お味見なさる?」
「ふふ。いつものパンを買って来ましたし、こちらも購入させていただきますよ。マリアが作ったものですもの。あとでマリアが休憩のときに、一緒に食べましょう」
マリアに会いに来るといつも、レオンは空気だ。
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、レオンをちらちらと見てくるマリアがいくら気に食わなくも、いや、気に食わないからこそ、レオンは何も言えなくなった。
口を開けば、言い合いになりそうだから。
「マリアはたまに伯爵領に戻ってくると、必ず私に会いに来てくれたのです」
オリヴィアは懐かしそうに目を細めて、たびたびレオンに語ってきた。
王都の素晴らしさ、買って貰ったものの話、付き合うようになった貴族や商人のこと、等々、レオンが聞けば完全に嫌味にしか捉えられないそれを、当時のオリヴィアは楽しんでいたのだと言う。
それにマリアは、オリヴィアに土産と称し王都で買って貰った菓子や雑貨を分け与えた。
マリアなりに姉の境遇を不憫に思っていたのだろうか。
しかし、両親がそれを当然のことだと言えば、幼いマリアは疑問を持てなかったのだろう。
それは自身の行いについても。
「人目に付かないよう、こそこそと会いに来てくれるのです。父……私たちの父だったあの人に見つかれば、マリアも叱られたでしょうに。そこまでして会おうとしてくれたことが、私は嬉しかったのです。あの子だけが家族だと思ってくれているような気もしましたから」
そしてオリヴィアは毎度この辺りで悲し気に眉を下げるのだ。
「いつも申し訳なく思っていました。あの頃の私には何も返せるものがありませんでしたし、見付かると私がどうなるかと考えては怖ろしくて。それでいつも優しく出来ず、何も要らないから早く部屋から出て行くようにと言うばかりだったのです。それでもあの子は、また私の部屋を訪ねてくださいました」
それが一度ではなく、何度も繰り返し聞かされていたら。
それも嬉しそうな顔をして話すオリヴィアを見ていたら。
どうしてレオンに妻がマリアと会うことを止められるだろう。
押し黙るレオンの前で、マリアは嬉々としてオリヴィアに話し掛けていく。
「お会いしてきてくださったのですね?母は元気でいました?」
「えぇ。新作のパンをあなたに食べて欲しいと言っていましたよ。それも預かってきましたからね」
マリアとその母の働く場所が異なっていたのは、それがマリアの希望だったからだ。
貴族用の更生施設で十日を過ごしたあと、改めて面会したレオンは、その先行きを二人に選ばせた。
労働期間は決まっているが、公爵領では罪人も基本的には非人道的な扱いを受けない。
ダニエルのように死罪に匹敵する罪人を除いて、という話にはなるが。
軽微な罪を犯した者ほど、罪を償う期間も短く、労働を終えた先を見据えた対応を取ることになり、罪を償いながら手に職を付けさせることも多いのである。
しかもマリアの場合、労働が課せられた目的は罰というより矯正であって、比較的自由に先を選ぶことが出来たのだ。
もちろん、罪人である母の方はそうはいかず、決められたいくつかの労働の中から選ぶ権利しか持たない。
そしてマリアには、しばらくは母と共に暮らすかどうか、それを選ぶ権利も与えられていた。
母が刑期を終えるそのときまで一緒に暮らすことは叶わないが、母と同じ労働を希望すれば、もうしばしの間、共に過ごせるということだ。
しかしマリアはこれを拒絶した。
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