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迫りくる恐怖

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「対応とは何をする気だ?」

 レオンの視線がさらに冷え、連動して声もますます低くなると、男がひゅっと息を呑んでいた。
 ところが男の隣に立つ女の方は、余程度胸があるのか、レオンの冷徹な視線にも怯えの色を示さず、公爵夫人にも負けまいと、微動だにせず、偉そうに顎をつんと突き出して、反り返り立っている。

 だから急ぎ謝罪したのも、呼吸を取り戻した男の方だった。

「も、申し訳ない、公爵様。こら、お前は黙っていなさい」

「まぁ、どうして?この方は我が家のお婿さんなのよ?義父母であるわたくしたちが黙らなければならない理由はないわ」

「いいから、黙りなさい!お前の生まれ育った場所とここは違う!」

 男はまたカッとなり怒鳴った。
 急に輝いた瞳が、男の精神の異常さを示しているようで、また違う意味で傍観者に徹していた周囲の者たちが視線を逸らしていく。

 ところが女は、男の怒声にも臆さなかった。

「まぁ、酷いわ。あなたまでそれを言うの?最低な男ね!」

「お父さまったら、酷いわよ。お母さまに謝って!それにさっきはわたくしにも怒鳴ったでしょう?それも謝ってくださる?ねぇ、お母さま。お父さまったら酷いのよ?今と同じように、わたくしのことも怒鳴っていたの。娘を怒鳴るなんて、最低よね?」

 男の瞳はすぐに輝きを失った。
 途端、この場には頼りない気弱な男が誕生する。

「お前たち、今はそういう場ではなくてだな……とにかく黙ってくれないか。あとでいくらでも謝るから」

「嫌だわ。謝るだけで足りると思って?」

「そうよ、お父さま。わたくしたちをこんなに傷付けて、謝るだけで済むはずがないでしょう!」

「分かった。分かったから。なんでもお願いを聞いてやる。だから黙ってくれ」

「お願いは聞いていただくわ。でも嫌ですわよ。黙る理由が分からないもの」

「だからここは……その……」


 レオンはとことん冷えた視線を注いでいるが、男は恐ろしくてもうレオンを見られないのだろう。
 必死に妻と娘に黙るよう願っているが、この場で黙らなければならないのは男もまた同じだった。
 なんと礼儀知らずの一家だろうか。

 そのレオンの後ろでは、オリヴィアが……ただ微笑して騒がしい一家を静観している。

 やはりその微笑には、怒りや悲しみなどの負の感情は今も見えて来ない。

 それは公爵夫人として称賛に値するが、はたしてオリヴィアはその心の内で彼らに何を想っているのか。

 あとでじっくり聞きたいと、レオンは願ったし、そうすることに決めていた。
 オリヴィアがその場で願い出すであろうことも予測しながら。


「面白いことになっているねぇ、。公的な夜会の場で家族喧嘩とは。いやぁ、本当に面白いな。たまには夜会に出て見るものだね。君もそう思うだろう?なにせ王家の手引きした夜会で、こんなことが起こり得るのだから」


 それはまるで、急に木から落ちて来た小鳥のように。
 突然横に居て、突然声を発したのだ。

 驚いて声の元を追い掛けた者たちは、悲鳴こそ上げなかったものの、一様に元から悪かった顔色を青褪めさせた。
 いよいよ自分たちの置かれた状況が悪い想像だけでは終わらないことを理解したのだ。
 それでも今もなお、ここにある理由の分かっている者と、そうでない者が混在している。

 青褪めた顔を隠すかの如く、それは見事な流れで、前方の者たちから始まった。
 皆が順に腰を折り頭を下げていったのだ。

 なお、周囲とは感情が一致せずとも、レオンとオリヴィアもまた、いち早く頭を下げている。


 この会場で波となった低頭の流れから逸脱し、最も遅れて従ったのは、レオンたちの前で騒がしかったあの一家だった。
 女二人は今もなお、何が起きているのかを理解していないであろう。
 男が慌ててその頭を押さえつけたことで、なんとか礼をしている形を取っただけなのだから。

 男の方もすべてが分かっているわけではなかったが。
 その妻と娘の頭を押さえ、ぶるぶると全身を震わせていた。


 青い三本線入りの白服……何故だ。どうしてこうなった。
 我が幸運はどこに。


 心の中でどれだけ叫ぼうと。どれだけ恐れようと。
 もう男は逃げられない。


 己の死期でも悟ったか、ここ数か月分の記憶が走馬灯のようにして男の脳裏を巡っていた。
 その記憶ではとても足りず、もっと昔から思い出さねばならないことを、このときの男には分かるはずもなく。

 男はまだ、その身に授けられし幸運を信じていたのだ。



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