45 / 84
迫りくる恐怖
しおりを挟む
「対応とは何をする気だ?」
レオンの視線がさらに冷え、連動して声もますます低くなると、男がひゅっと息を呑んでいた。
ところが男の隣に立つ女の方は、余程度胸があるのか、レオンの冷徹な視線にも怯えの色を示さず、公爵夫人にも負けまいと、微動だにせず、偉そうに顎をつんと突き出して、反り返り立っている。
だから急ぎ謝罪したのも、呼吸を取り戻した男の方だった。
「も、申し訳ない、公爵様。こら、お前は黙っていなさい」
「まぁ、どうして?この方は我が家のお婿さんなのよ?義父母であるわたくしたちが黙らなければならない理由はないわ」
「いいから、黙りなさい!お前の生まれ育った場所とここは違う!」
男はまたカッとなり怒鳴った。
急に輝いた瞳が、男の精神の異常さを示しているようで、また違う意味で傍観者に徹していた周囲の者たちが視線を逸らしていく。
ところが女は、男の怒声にも臆さなかった。
「まぁ、酷いわ。あなたまでそれを言うの?最低な男ね!」
「お父さまったら、酷いわよ。お母さまに謝って!それにさっきはわたくしにも怒鳴ったでしょう?それも謝ってくださる?ねぇ、お母さま。お父さまったら酷いのよ?今と同じように、わたくしのことも怒鳴っていたの。娘を怒鳴るなんて、最低よね?」
男の瞳はすぐに輝きを失った。
途端、この場には頼りない気弱な男が誕生する。
「お前たち、今はそういう場ではなくてだな……とにかく黙ってくれないか。あとでいくらでも謝るから」
「嫌だわ。謝るだけで足りると思って?」
「そうよ、お父さま。わたくしたちをこんなに傷付けて、謝るだけで済むはずがないでしょう!」
「分かった。分かったから。なんでもお願いを聞いてやる。だから黙ってくれ」
「お願いは聞いていただくわ。でも嫌ですわよ。黙る理由が分からないもの」
「だからここは……その……」
レオンはとことん冷えた視線を注いでいるが、男は恐ろしくてもうレオンを見られないのだろう。
必死に妻と娘に黙るよう願っているが、この場で黙らなければならないのは男もまた同じだった。
なんと礼儀知らずの一家だろうか。
そのレオンの後ろでは、オリヴィアが……ただ微笑して騒がしい一家を静観している。
やはりその微笑には、怒りや悲しみなどの負の感情は今も見えて来ない。
それは公爵夫人として称賛に値するが、はたしてオリヴィアはその心の内で彼らに何を想っているのか。
あとでじっくり聞きたいと、レオンは願ったし、そうすることに決めていた。
オリヴィアがその場で願い出すであろうことも予測しながら。
「面白いことになっているねぇ、レオン。公的な夜会の場で家族喧嘩とは。いやぁ、本当に面白いな。たまには夜会に出て見るものだね。君もそう思うだろう?なにせ王家の手引きした夜会で、こんなことが起こり得るのだから」
それはまるで、急に木から落ちて来た小鳥のように。
突然横に居て、突然声を発したのだ。
驚いて声の元を追い掛けた者たちは、悲鳴こそ上げなかったものの、一様に元から悪かった顔色を青褪めさせた。
いよいよ自分たちの置かれた状況が悪い想像だけでは終わらないことを理解したのだ。
それでも今もなお、ここにある理由の分かっている者と、そうでない者が混在している。
青褪めた顔を隠すかの如く、それは見事な流れで、前方の者たちから始まった。
皆が順に腰を折り頭を下げていったのだ。
なお、周囲とは感情が一致せずとも、レオンとオリヴィアもまた、いち早く頭を下げている。
この会場で波となった低頭の流れから逸脱し、最も遅れて従ったのは、レオンたちの前で騒がしかったあの一家だった。
女二人は今もなお、何が起きているのかを理解していないであろう。
男が慌ててその頭を押さえつけたことで、なんとか礼をしている形を取っただけなのだから。
男の方もすべてが分かっているわけではなかったが。
その妻と娘の頭を押さえ、ぶるぶると全身を震わせていた。
青い三本線入りの白服……何故だ。どうしてこうなった。
我が幸運はどこに。
心の中でどれだけ叫ぼうと。どれだけ恐れようと。
もう男は逃げられない。
己の死期でも悟ったか、ここ数か月分の記憶が走馬灯のようにして男の脳裏を巡っていた。
その記憶ではとても足りず、もっと昔から思い出さねばならないことを、このときの男には分かるはずもなく。
男はまだ、その身に授けられし幸運を信じていたのだ。
レオンの視線がさらに冷え、連動して声もますます低くなると、男がひゅっと息を呑んでいた。
ところが男の隣に立つ女の方は、余程度胸があるのか、レオンの冷徹な視線にも怯えの色を示さず、公爵夫人にも負けまいと、微動だにせず、偉そうに顎をつんと突き出して、反り返り立っている。
だから急ぎ謝罪したのも、呼吸を取り戻した男の方だった。
「も、申し訳ない、公爵様。こら、お前は黙っていなさい」
「まぁ、どうして?この方は我が家のお婿さんなのよ?義父母であるわたくしたちが黙らなければならない理由はないわ」
「いいから、黙りなさい!お前の生まれ育った場所とここは違う!」
男はまたカッとなり怒鳴った。
急に輝いた瞳が、男の精神の異常さを示しているようで、また違う意味で傍観者に徹していた周囲の者たちが視線を逸らしていく。
ところが女は、男の怒声にも臆さなかった。
「まぁ、酷いわ。あなたまでそれを言うの?最低な男ね!」
「お父さまったら、酷いわよ。お母さまに謝って!それにさっきはわたくしにも怒鳴ったでしょう?それも謝ってくださる?ねぇ、お母さま。お父さまったら酷いのよ?今と同じように、わたくしのことも怒鳴っていたの。娘を怒鳴るなんて、最低よね?」
男の瞳はすぐに輝きを失った。
途端、この場には頼りない気弱な男が誕生する。
「お前たち、今はそういう場ではなくてだな……とにかく黙ってくれないか。あとでいくらでも謝るから」
「嫌だわ。謝るだけで足りると思って?」
「そうよ、お父さま。わたくしたちをこんなに傷付けて、謝るだけで済むはずがないでしょう!」
「分かった。分かったから。なんでもお願いを聞いてやる。だから黙ってくれ」
「お願いは聞いていただくわ。でも嫌ですわよ。黙る理由が分からないもの」
「だからここは……その……」
レオンはとことん冷えた視線を注いでいるが、男は恐ろしくてもうレオンを見られないのだろう。
必死に妻と娘に黙るよう願っているが、この場で黙らなければならないのは男もまた同じだった。
なんと礼儀知らずの一家だろうか。
そのレオンの後ろでは、オリヴィアが……ただ微笑して騒がしい一家を静観している。
やはりその微笑には、怒りや悲しみなどの負の感情は今も見えて来ない。
それは公爵夫人として称賛に値するが、はたしてオリヴィアはその心の内で彼らに何を想っているのか。
あとでじっくり聞きたいと、レオンは願ったし、そうすることに決めていた。
オリヴィアがその場で願い出すであろうことも予測しながら。
「面白いことになっているねぇ、レオン。公的な夜会の場で家族喧嘩とは。いやぁ、本当に面白いな。たまには夜会に出て見るものだね。君もそう思うだろう?なにせ王家の手引きした夜会で、こんなことが起こり得るのだから」
それはまるで、急に木から落ちて来た小鳥のように。
突然横に居て、突然声を発したのだ。
驚いて声の元を追い掛けた者たちは、悲鳴こそ上げなかったものの、一様に元から悪かった顔色を青褪めさせた。
いよいよ自分たちの置かれた状況が悪い想像だけでは終わらないことを理解したのだ。
それでも今もなお、ここにある理由の分かっている者と、そうでない者が混在している。
青褪めた顔を隠すかの如く、それは見事な流れで、前方の者たちから始まった。
皆が順に腰を折り頭を下げていったのだ。
なお、周囲とは感情が一致せずとも、レオンとオリヴィアもまた、いち早く頭を下げている。
この会場で波となった低頭の流れから逸脱し、最も遅れて従ったのは、レオンたちの前で騒がしかったあの一家だった。
女二人は今もなお、何が起きているのかを理解していないであろう。
男が慌ててその頭を押さえつけたことで、なんとか礼をしている形を取っただけなのだから。
男の方もすべてが分かっているわけではなかったが。
その妻と娘の頭を押さえ、ぶるぶると全身を震わせていた。
青い三本線入りの白服……何故だ。どうしてこうなった。
我が幸運はどこに。
心の中でどれだけ叫ぼうと。どれだけ恐れようと。
もう男は逃げられない。
己の死期でも悟ったか、ここ数か月分の記憶が走馬灯のようにして男の脳裏を巡っていた。
その記憶ではとても足りず、もっと昔から思い出さねばならないことを、このときの男には分かるはずもなく。
男はまだ、その身に授けられし幸運を信じていたのだ。
14
お気に入りに追加
807
あなたにおすすめの小説
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。
白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます
時岡継美
ファンタジー
初夜に旦那様から「白い結婚」を言い渡され、お飾り妻としての生活が始まったヴィクトリアのライフワークはなんとダンジョンの攻略だった。
侯爵夫人として最低限の仕事をする傍ら、旦那様にも使用人たちにも内緒でダンジョンのラスボス戦に向けて準備を進めている。
しかし実は旦那様にも何やら秘密があるようで……?
他サイトでは「お飾り妻の趣味はダンジョン攻略です」のタイトルで公開している作品を加筆修正しております。
誤字脱字報告ありがとうございます!
あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します
矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜
言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。
お互いに気持ちは同じだと信じていたから。
それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。
『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』
サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。
愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる