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一通り野菜を切り終えたところで、律は鍋に水と顆粒スープの素を入れて火にかけた。
そこに、ソーセージと先ほどの野菜を投入し、最後にローリエの葉を入れる。
コンロの火を中火にして一息ついたところで、ダイニングテーブルの上に飾られた赤とピンクのガーベラに視線を向けた。
いつもは素通りする、駅中の花屋で購入したものだ。
嫌なことがあると花を買うのは、母と同じだ。
母の行動を真似ているというよりは、一緒に暮らしていた長い時間の間に、その癖が移ってしまったという方が正しい。
もちろん母は、祝い事や喜ばしいことがあった時にも花を買ってきたけれど、それと同じように、悪い事があった後にも花を買ってきた。
律自身は、母の習慣を何となく引き継いでいるだけだ。
花を飾ることで状況が変わると期待してるわけでもないし、運気が上がるなんてスピリチュアルな思想も持ち合わせていない。
けれど、こうやって花を飾ることで、心が落ち着くのは確かだった。
そして今日、花を買ったのは、間違いなく真のことが理由だった。
自分が花を求めた気持ちが悪感情故なのか、それとも単に嵐が去った安堵故からなのかは分からないけれど。
彼に慰謝料を渡した日から一週間が経ち、律の日常は平穏そのものに戻った。
現状は結婚どころか、彼氏もいない状態になってしまったけれど、そこはまた一からゆっくりと進んでいくことにする。
波乱含みだった恋愛がなくなった今、当分は穏やかな暮らしを満喫するつもりだ。
ポトフの味をととのえていると、玄関の鍵を回す音が聞こえた。
その音で律は、反射的にリビングの時計を見上げる。
由紀奈の帰宅にはまだ早い。ということは…
「ただいま」
予想通り、帰ってきたのは詩織だった。
「おかえりなさい。早いですね」
「ああ。打ち合わせが終わったから、そのまま直帰した」
「そうですか。おつかれさまでした」
労いの言葉をかけると、何が面白いのか、彼が笑みを浮かべる。
「?何ですか?」
「いや、こういう生活なら結婚も悪くないな」
…また始まった。最近は、顔を合わせればいつもこうだ。
「結婚のご予定が?それは初耳です。どうぞお幸せに」
留まるところを知らない彼の攻撃を躱す、律の唯一の技が“はぐらかし”だ。
「忘れたのか?俺は結婚前提の付き合いを打診したはずだ。他の誰でもない、君に」
「覚えてます。だけど、あのお話はその場限りのことかと思ってました」
「…君の中で俺は一体どういう人間なんだ?」
詩織は呆れ顔をしてみせると、凝りもせず再びのたまう。
「キッチンに君がいるのを見ると安心するんだ。まぁ、玄関まで走って迎えに来てくれてもいいが」
にやりと含んだ視線を向けられて、頬が一気に熱を持つ。
「そっ…!そのことはもういい加減忘れて下さいっ!」
「残念だが、墓に入らない限り無理そうだ」
そんな記憶を死ぬまで後生大事に覚えてるなんて、記憶容量の無駄遣い以外の何ものでもない。
「由紀奈さんももうすぐ帰ってきますよ。今日は全員そろってごはんですね」
強制終了とばかりに会話を打ち切ると、甘ったるい笑みを向ける詩織を置いて、律はキッチンに戻った。
そこに、ソーセージと先ほどの野菜を投入し、最後にローリエの葉を入れる。
コンロの火を中火にして一息ついたところで、ダイニングテーブルの上に飾られた赤とピンクのガーベラに視線を向けた。
いつもは素通りする、駅中の花屋で購入したものだ。
嫌なことがあると花を買うのは、母と同じだ。
母の行動を真似ているというよりは、一緒に暮らしていた長い時間の間に、その癖が移ってしまったという方が正しい。
もちろん母は、祝い事や喜ばしいことがあった時にも花を買ってきたけれど、それと同じように、悪い事があった後にも花を買ってきた。
律自身は、母の習慣を何となく引き継いでいるだけだ。
花を飾ることで状況が変わると期待してるわけでもないし、運気が上がるなんてスピリチュアルな思想も持ち合わせていない。
けれど、こうやって花を飾ることで、心が落ち着くのは確かだった。
そして今日、花を買ったのは、間違いなく真のことが理由だった。
自分が花を求めた気持ちが悪感情故なのか、それとも単に嵐が去った安堵故からなのかは分からないけれど。
彼に慰謝料を渡した日から一週間が経ち、律の日常は平穏そのものに戻った。
現状は結婚どころか、彼氏もいない状態になってしまったけれど、そこはまた一からゆっくりと進んでいくことにする。
波乱含みだった恋愛がなくなった今、当分は穏やかな暮らしを満喫するつもりだ。
ポトフの味をととのえていると、玄関の鍵を回す音が聞こえた。
その音で律は、反射的にリビングの時計を見上げる。
由紀奈の帰宅にはまだ早い。ということは…
「ただいま」
予想通り、帰ってきたのは詩織だった。
「おかえりなさい。早いですね」
「ああ。打ち合わせが終わったから、そのまま直帰した」
「そうですか。おつかれさまでした」
労いの言葉をかけると、何が面白いのか、彼が笑みを浮かべる。
「?何ですか?」
「いや、こういう生活なら結婚も悪くないな」
…また始まった。最近は、顔を合わせればいつもこうだ。
「結婚のご予定が?それは初耳です。どうぞお幸せに」
留まるところを知らない彼の攻撃を躱す、律の唯一の技が“はぐらかし”だ。
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そんな記憶を死ぬまで後生大事に覚えてるなんて、記憶容量の無駄遣い以外の何ものでもない。
「由紀奈さんももうすぐ帰ってきますよ。今日は全員そろってごはんですね」
強制終了とばかりに会話を打ち切ると、甘ったるい笑みを向ける詩織を置いて、律はキッチンに戻った。
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