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第3章 いざ辺境伯領へ

第16話 羞恥心に苛まれる公爵令嬢

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 しばらくすると、ガタンッと馬車が大きく跳ねた。

「キャ!」

 予想外の出来事に、思わずアリスター様の腕を掴もうとしたら、先に肩を引き寄せられた。

 公爵邸に帰還した日も触れた、アリスター様の胸板。
 あの時はお兄様に引き剥がされたのと、羞恥心も相まって、よく分からなかったが、今は服の上からでもその厚みが感じられる。

 引き離したくても、馬車が度々大きく揺れるため、そうもいかなかった。アリスター様もまた、私の肩をしっかりと掴んでいて、距離を取りたくても無理だった。

「どうやら首都を抜けたようだな」
「え?」
「あぁ、そうか。メイベル嬢は、あまり首都から出たことがないんだったな」
「……どうして、それを?」

 いくらお兄様と親しいといっても、聞き捨てならないセリフだった。

「今更だが、メイベル嬢の寝起きの悪さはエルバートから聞いていたんだ」
「っ!」

 お兄様めぇぇぇぇぇ。
 とはいえ、今回の件はそれを利用されたのだから、アリスター様がご存知なのは分かる。分かるけど!

 そうだわ。エヴァレット辺境伯領に着いたら、即、手紙を出して差し上げなくてはね。聞きたいことが今、山のようにできたから。
 あと、お母様にも……いえ、クリフの方がいいわね。お灸を据えてもらうように、と書かなくては。

 私は心の中で、名案とばかりに何度も頷いた。

「よく、外出をドタキャンされた、ともな。起きるのが辛いからと言って」
「~~~っ! あ、あれはお兄様が相手だからで。他の方にはしませんわ! 勿論、アリスター様にも! ですから、ご心配なく!」
「……俺も大丈夫なんだが」
「え?」

 体が密着しているお陰で、アリスター様の呟く声が聞こえた。

 大丈夫って、ドタキャンが?
 いやいやダメでしょう、そんなの! 辺境伯夫人が起きられなくて、視察にはいけませんでした、とか。会議には出られませんでした、など。あってはならないことなのに。

 思わず私が顔を上げると、何事もなかったかのような口調で話題を変えられた。

「ともあれ、首都を抜けると整備されていない道が多くなる。街に近づくとそうでもないが、やはり森や峠などはどうしてもな」
「大丈夫です。分かっていますから。全ての道を整備することなど、無理ですもの」

 そんなことをしたら、お金がいくらあっても足りないくらいだ。ブレイズ公爵領にも、あまり行ったことはないけれど、恐らく似たようなものなのだろう。
 改めて領地経営の重要性を思い知らされた。

「メイベル嬢にはキツいかもしれないが、我慢してくれ。その代わり、窓の外でも見て楽しむといい。首都では見られない光景が広がっていると思うぞ」
「見られない……?」

 アリスター様の腕が緩むのを感じて、私は上体を起こした。さすがにアリスター様越しに窓の外を見るのはと思い、反対側の窓に近づく。
 すると、揺れを心配したのか、先ほどまで肩を掴んでいた腕が腰に回るのを感じた。

「あ、あの……」

 振り向き、抗議の声を出す。

 先ほどの密着は不可抗力だけど、これはちょっと……困ってしまう。いくら婚約者でも。そう、形ばかりの婚約者なのだから、余計に。

 しかしアリスター様は、シレっとした表情で返して来た。また、その言い分も全う過ぎて困ってしまう。

「到着前に怪我をされたら、ブレイズ公爵夫人に告げ口され兼ねない。結婚式の直前に、花嫁の母親から罵倒された挙句、白紙に戻された間抜けな新郎になりたくはないのでね」
「……それは……何と言いますか、完全に否定できない案件ですね。けれど、そのようなことをサミーは致しません。結果的に、一番迷惑を被るのが私なのですから」
「では、辺境伯領に着いた途端、メイベル嬢への取り次ぎをしてもらえなくなる、としたら?」
「それもあり得ませんわ。アリスター様しか頼れる方がいない場所なんですよ。その方を敵に回してどうするのですか。先ほども言いましたように、サミーは私を第一に考えてくれているんです。アリスター様が想像されているような、愚か者ではありません」

 ああ言えばこう言う。アリスター様はそういう方なのだと分かっていても、腹が立った。

 私は返事を聞く必要がないとばかりに、顔を窓の外に向ける。苛立ちとは裏腹に、外はアリスター様の言っていた光景が広がっていた。

 街並みは消え、家が一つも見当たらない、緑ばかりが永遠と続いていく道。一見、林かと思ったが、その木々の多さから推測すると、馬車は森の中を進んでいるようだった。

 その隙間から射し込む光。木漏れ日の光と緑のコントラストが、何とも言えない美しさを感じる。しかし、それに酔いしれない自分もいた。

 何故なら今が、日中で良かったと思わざるを得なかったからだ。さらに晴れた日だからいいものの、これが曇りや夜だったら、と思うとゾッとした。

 騎士団に交じって訓練をしていたせいだろうか。他の令嬢と違って、まずそこに目がいってしまった。自然と手が、お腹に触れる。そう、アリスター様の腕に。

「どうした?」
「あっ、いえ。……その、賊が出そうだな、と思ったら、つい」

 私の発言が可笑しかったのか、アリスター様はキョトンとした表情をした。けれどすぐに、笑いを堪えるように口元を手で隠す。

「クククッ。外を眺めた途端、何を言い出すのかと思えば、実にブレイズ公爵令嬢らしい感想だな」
「っ!」

 アリスター様の言わんとすることは分かる。同じ騎士団を抱えているのだから、そう考えても可笑しくはない、と。
 だからこそ、ここはメイベルと呼んで欲しかった。褒めているのかいないのかは、別として。しかし、それを口にすることは、さすがにできなかった。この近距離では……!

 私は再び窓に顔を向ける。あまりにも恥ずかし過ぎて。いや、こんな顔を見られたくない、というのが本音だった。だからだろう。感情とは裏腹な言葉しか出てこなかった。

「アリスター様。はっきり仰ってください。可愛げがない、と。自分でも分かっているんです」
「何を言っているんだ。俺はむしろ、それを買っているというのに。わざわざ卑下することはない」
「え?」

 素直じゃない、私を?

「辺境の地というよりも、国境に面していると、な。予期せぬ出来事が多いんだ。そうなると俺は騎士団を率いて、最前線に望むことになる」
「あっ」

 そうだ。主が不在となった屋敷を守るのは、当然、妻の役目。つまり、これもまた辺境伯夫人として、最低限の義務の中に入る。そう、アリスター様は言っているのだ。

 お母様譲りの気の強さと度胸は備わっているから問題はないけれど、一つだけ心配なことがあった。私は振り返り、真剣な顔でアリスター様を見つめる。

「でしたら、お願いがあります。改めて兵法を学ばせてほしいんです。専ら訓練ばかりで、そういう方面は疎いので」
「そうだな。もしもの時のためにはいいだろう。ないのが一番だが」
「はい。しかしそうなると、やはり寝起きが悪いのは直した方がいいですよね。朝寝坊してもいいとおっしゃいましたが……」

 不測の事態に対応できない。

「いや、無理をすることはない。これからの道中も、眠ければ寝て構わないからな」
「えっ! それはさすがに……」
「問題はない」
「大アリです!」

 婚約者といえども、出会って二カ月あまりの男性にそんなこと! できるわけがないでしょう!

 そう思っていたのに……。
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