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想い

涙と微笑み

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「どうしたの…、エルゲン」

帰って来るなり、エルゲンはセレーネの肩を抱き、しばらく何も言葉にしなかった。彼はどんな時でもその口元に笑みを浮かべているのに、今日はどうしても出来ないようだった。セレーネは一体どうしたのかと問うが、これ以上は何も言わずに彼が話したいと思うまで待っていた方がいいだろうと思い、口を閉じた。

エルゲンの広い背を撫でながら、セレーネはただその時を待つ。

「レーヌに想いを告げられました」
「……そう」

セレーネはあまり驚かなかった。レーヌがエルゲンに恋情を向けていることは分かっていたから。けれどエルゲンはレーヌのことを妹、あるいは同じ教会で育った家族だという認識でしか見ていなかった。彼はとても優しいから、きっと恋情を向けていないにしても大切に思っていたレーヌの気持ちに答えられないことに、心の底から申し訳ないと思っているのだろう。

「驚きはしませんでしたが……動揺しました」

それは、気持ちが揺れた。ということだろうか。

(それも仕方のないことだわ……)

どんな形であれ、レーヌはエルゲンにとってとても大切な人なのだ。幼少期の温かい記憶というものは、遠い夢のように霞んでいるけれど、どこか懐かしく、それでいて輝かしい。そんな記憶の中ではきっと、レーヌとの大切な思い出も彼の中で燦然と輝いていることだろう。

セレーネは優しくエルゲンの髪を撫でた。

「仕方ないわ。あなたにとって……レーヌ様は大切な方なのだもの。そんな人が泣いていたら動揺してしまうに決まってる」
「……違うのです、セレーネ」
「え?」

声をあげると、エルゲンはようやくセレーネの肩に埋めていた顔をあげて「違うのです」ともう一度強く否定した。何が違うのか分からずセレーネが首を傾げると、エルゲンは眉を顰め、瞼を静かにおろし口を開いた。

「……私は彼女の告白をもちろん断りました。私にはすでに愛する人がいるから、と。レーヌは『それは、分かっている。けれど言葉を伝えずにはいられなかった』と涙を……流していたのですが、ふいに顔をあげて『どうしてこんな時でも、そんな風に……困った風に微笑んでいられるの?もっと、感情的な顔をして欲しかった』と……言われて、動揺したのです」

ああ、そういうことか。

とセレーネは納得した。セレーネが最初エルゲンに抱いた印象は「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だった。彼は基本的に感情を剥き出しにしたりしないし、常に微笑みを滲ませ、温かな雰囲気を纏っている。彼の表情のパターンはそんな風にほとんど決まっていて、僅かに微笑んでいるか、困った風に微笑むか、悲しそうに微笑むか、なのだ。

なぜ、そうなのか。セレーネは、一度聞いたことがある。彼はその時にこう答えた。

『もう、癖のようになってしまっているのです。教会で引き取られた際、私は感情が表情に出ない子供でした。そういう……体質だったのかもしれません。そんな私を見て、一代前の聖女様は仰いました。お前もいずれは誰かの相談を聞くこともあるだろう……人の心を癒し、解くためにも微笑むくらいのことは覚えておきなさい。人の表情で最も覚えておく必要のあるものだから、と』
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