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旦那様の想い人

心の風穴

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「エルゲン……今日も、帰りは遅い?」

聖女選定式が終わったら、エルゲンの忙しさも少しは緩和される。そう思っていたのに。エルゲンの帰りはいつも遅く、朝は早かった。朝食を共に食べる時間はあるし、今までと同じように膝で食べさせてもくれる。それでも、エルゲンはまるで聖女のいる神殿に早く行きたがっているかのように忙しない。

「ええ、申し訳ありません」

困ったようにほほ笑むエルゲンに、セレーネはそれ以上何も言うことが出来なかった。本来ならここで我儘の1つでも言うのだけれど、我儘なんて言ったら、エルゲンに嫌われてしまうかもしれない。それが怖かった。

「セレーネ?」
「ううん、なんでもないわ……。気をつけて行ってきてね」

エルゲンの頬に口づけを送ると、彼はいつものように柔く笑って「ええ、行ってきます」とセレーネの額に口づけを返した。

そうしてまたエルゲンは忙しなく大神殿へと行ってしまう。

聖女選定式からすでに半月は過ぎてるが、毎日こんな調子だ。どうしてまだこんなにも忙しいのか。そう問いかけるとエルゲンは「レーヌに聖女の礼儀作法や、儀式の詳細、神殿の案内など教えなければならないことがたくさんあるのですよ」と何てことないように答えた。「レーヌ」というのは、新しく聖女として選ばれた巫女の名前だ。あの儀式が終わってから、エルゲンの妻として紹介されたが、彼女は特にセレーネを気にした様子もなく、穏やかに挨拶した。

『エルゲンの奥方でいらっしゃるのですか?お初にお目にかかります。レーヌ・ルシエンテと申します……。エルゲンとは幼い頃からこちらの教会で育てられた幼馴染でもありますわ。ね、エルゲン?』
『ええ、そうですね』

ほんの少し砕けた口調で相槌を打つエルゲンに、セレーネの心は軋んだ。

『それから、王都に一番近い神殿の巫女として、国に奉仕していたのですけれど。まさか、聖女に選ばれるなんて夢にも思いませんでした』

屈託なく笑うレーヌに、セレーネは何も言葉を返すことが出来ない。

『私も驚きましたよ。まさかあなたが選ばれるなんて』
『あら、自分で言うのはいいけれど、他の人に言われると少し嫌だわ』

怒った風にして見せるレーヌは誰が見ても愛らしい。エルゲンも例外なくそう思っているのだろう。慈しみ溢れるような瞳で彼女を見つめている。その表情を見た瞬間、セレーネの心にはぽっかりと何か大きな風穴が開いた。

(なによ、なによ。エルゲンの馬鹿)

心の中でエルゲンを責める。けれどエルゲンはそんなセレーネには目を向けないで、レーヌのことばかりを見つめていた。

その時のことが脳裏に浮かんでは、大きな錘のように重くなって頭の中にドンと落ちる。そして消えない。セレーネは、先ほどエルゲンが出て行ったばかりのドアを見つめて、ぎゅっとドレスの裾を握った。

(このまま……エルゲンが帰って来なかったどうしよう)

ふいに、そんな不安が頭を過る。我儘でいたらないセレーネに愛想が尽きて、この屋敷には戻ってこずに、大神殿でレーヌと2人暮したいと言い始めたら?

(そんなの、嫌!)

セレーネは心の中で叫んで、どうしたらエルゲンの気を引くことが出来るのかを部屋に籠り考え始めた。

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