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第1部
第7話 ジェラシーキス
しおりを挟む春から始まった某ヴィジュアル系バンドのツアー。最終日も間近になってきた。彼らはメジャーデビューしたてだが、集客力もついてきた。近いうちにもっと大きな箱でできそうだ。
「佐山さんのマネージャーさんですよね?」
ライブ中のある日、そのバンドのマネージャーと思しき人物に声を掛けられた。何回か顔を合わせたが、マネさんなのか関係者なのかイマイチわからなかった。
「はい。そうです」
「ご挨拶が遅れまして。私、〇〇プロダクションの林田と申します」
ああ、芸能プロダクションの人だったか。てことは、普通にマネージャーかな。白いニットにグレーの短めのスカートで脚線美を披露する綺麗なお姉さんだ。少し話があるというので、楽屋で聞くことにした。本音では佐山のギターを聞いていたかったんだけどね。
話は所謂『ハンティング』だった。僕らは大手の芸能プロに属していない。正真正銘のフリーランス。個人事業主と言ってもいいかな。だから、この手の勧誘はよく受ける。彼女も佐山の腕とルックスならもっと売れると言ってきた。このままでは勿体ないと。
話はわかる。でも、僕らの目指しているところはそこじゃないんだ。それに勿体ないってのはわからない。僕らの生活を守るより大切なことは何もない。
僕はいつも通りの答えをして、やんわりと断った。
「そうですか。残念です……。ところで、市原さん……」
彼女は僕がさっき渡した名刺を眺めながら、こう続けた。
「何回かお見掛けしていたんですが、佐山さんだけでなく、マネージャーさんまでイケメンなんですね。二人でデュオでデビューしてもめちゃくちゃ人気出そうです」
そんなお世辞まで飛び出してきた。これは今までにない変化球だな。上目遣いをして僕を見ている。確かに黒目勝ちな瞳がきらきらと輝いた綺麗な人だ。一年前の僕なら、心臓バクバクだったかもしれない。
「あの、林田さん……」
僕が少し鼻で笑うように口を開いた時、ライブが終わったのか楽屋にメンバーが入って来た。佐山を出迎えれなかったことに心の中で舌打ちする。
「倫」
背後で佐山の声がする。怒ってるのかな。こんなことで怒るような奴じゃないけど。
「佐山、お疲れ……え!?」
汗を額から滴らせた佐山が僕の顎を乱暴に持ち上げる。首を無理に捩じるから、バキッて音までした。
――――佐山、ど、どした?
あいつの汗混じりの唇が僕のそれ目掛けて襲ってきた。僕の驚きで見開いた目の前には、あいつの男らしい眉と長い睫毛に閉じられた瞼があった。
バンドメンバーが佐山の後ろで騒いでいるのが聞こえるし、何より僕の背後では、恐らく林田さんが呆気に取られていることだろう。
――――人前だぞ? なにが起こったんだ?
軽いキスかと思いきや、佐山は僕の顎を離さない。首が攣りそうになるので、体を佐山の方に向けつつ、強引な腕に自分の手を添えた。ヤツの舌が絡め取りに来た時には、もうどうでもいいかと思えてきた。
――――まあ、いいか。こんなキスも嫌いじゃない。
心も体もとろんとしたところで、佐山が唇を離した。え? もうちょっと……。
「もう少し……」
「続きは家だ。行くぞ」
僕は佐山に促されるまま席を立つ、あいつが林田さんを一瞥してぷいと踵を返すのが見えた。僕は、彼女に一礼して、佐山の後に続く。当然彼女は放心状態だ。
佐山は僕の腕をぐいっと掴むと引きずるように進む。痛いな、そんなにしなくても歩けるよ。
バンドのメンバーに何やら声を掛けられたが、佐山はろくに返事もせず、どんどん歩いてホールの裏口に出た。
「どうしたんだ、佐山。おまえらしくないな……汗かいてるじゃないか。風邪ひくといけないから」
ようやく手を解放された僕は、佐山にジャケットを羽織らせた。いつもなら、楽屋のシャワーを浴びてから帰るのにどうしたと言うんだろう。
「どうしたもこうしたも、あんたはどうしてそうも無防備なんだ」
「え? なんのこと?」
ジャケットに腕を通しながら、佐山は僕に文句を言う。ホール裏に止めてあるタクシーに乗り込み、今夜はこのままホテル直行のようだ。
「あの女、あんたのこと狙ってたんだぞ? 気が付かないのか」
「え? 林田さんのこと? 彼女は連中のマネージャーで……」
「そんなことは知っている。何度もライブに来てたじゃないか。その都度あんたのこと見てたよ」
「そうなの? それは……気が付かなかったな」
僕はおまえに纏わりつく連中を排除するので精一杯だったよ。
「だから、キスしたのか?」
「そうだ。手っ取り早いからな。マーキングしといた。あ、手首大丈夫だったか?」
ここがタクシーなのが残念で仕方ない。運転手さんに僕らがいちゃつくとこ見てもらうには申し訳ないから、佐山の手をぎゅっと握ることで僕は耐えた。
「うん、大丈夫。ありがと。気をつけるよ」
「ま、彼女にはもう十分だろう。これからも少しは気を付けてくれ。倫は男だけでなく女にもモテるからな」
それは、おまえの方だろう。喉まで出かかったけどやめた。
「それでも、僕はおまえしか見えないから……」
そう言って、佐山の肩に首を乗せた。ごめん、運転手さん。少しだけだから、前見て運転しててください。
「俺もだよ」
僕の髪に佐山のキスが降りてきた。早く、ホテルに着かないかな。
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