居候同心

紫紺

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終章 三

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「そんなの聞いてないよ。伝説とか……形見とか……」

 頭の上から不貞腐れた小さな声が聞こえてきた。翔一郎は不満げだ。壮真は聞こえぬふりして尋ねてみる。

「翔一郎は……これで良かったのか? 俺とこのままここで暮らしていくことに、迷いはないのか?」

 今更何を言い出したのか。ふっと翔一郎は鼻で笑う。

「馬鹿だな。僕は自分で選んだんだ。迷うわけないよ」
「だが……俺といると危険もあるんだぞ」

 市邨屋の一件は須らく穏便に済んだかに見えたが、実はそうではない。善太郎は大橋本家に弟子入りする直前、何者かに襲われた。これは将棋御三家の一つ、伊藤家の仕業だった。

『伊藤家に不穏な動きがあるね。善太郎を襲うつもりだ』
『仕方ない。では善太郎を見張るか』

 その企みを嗅ぎつけたのは誰あろう翔一郎だった。

 伊藤家は大橋本家に取って変わり名人位に就くことが悲願だ。そのなかの急進派が、宗亰の跡を継ぐ善太郎を今のうちに葬っておこうと短慮の仕掛けを企てていた。彼らは宗亰が衰えれば次は自分たちの番と目論んでいたのだが、天才少年に継がれては当分回ってこないと焦りが生じたわけだ。

 二人は善太郎が大橋家に入るまでの間護衛に着き、予想通り襲撃してきた浪人共を蹴散らした。善太郎を守るため、荒くれ浪人共相手に大立ち回りを演じていたのだ。
 荒くれ云々と言っても、剣士としても奉行所一の腕を持つ壮真に敵うわけがない。加えて翔一郎の舞うような剣技は華奢な風体には似合わずこちらも強い。彼らはあっという間に地面にねじ伏せられた。
 こんな愚策を弄した伊藤家の輩は、既にお縄についている。
 
 
 
 翔一郎は切れ長の双眸を見開く。それから手酌で酒を注ぎ、またくいっと一口で飲み干した。

「何を今更。それはお互い望むところでしょ」

 今までも危険な橋を二人で渡ってきた。裏稼業の捕り物だからこそ、剛腕な剣士や食えない策士にも対峙した。かなり歯ごたえのある大立ち回りも経験している。だが翔一郎の言う通り、二人とも確かにそれをどこかで楽しんでいた。

「壮真が出てけって言うまで、僕はここにいるから」

 翔一郎の膝の上で、壮真は頬を緩める。空いた盃を受け取り、自ら注いでまた口にした。

「そうか、それなら良かった。俺が追い出すことはない。けど、俺が追い出されるときは、付き合ってくれよな」
「え? はは……了解だよ……」

 頭の下で、翔一郎の膝がふるふると揺れた。このまま眠ってしまおうか。こんな平和な時間、そう長くは続かない。翔一郎の細くて長い指が壮真の太くて大きな手に絡む。そっとそれを握り、壮真は目を閉じた。瞼の裏に、紅く燃える椛の葉が浮かんで消えた。




 了



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