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壱の二
しおりを挟む今から三年前。風見壮真が二十五歳を迎えた年だ。いくら話を振っても、傍が良縁を持ってきても、壮真は全く取り合わない。二十歳過ぎれば当然嫁を貰い跡継ぎを設ける。それが嫡男としての最も大切な義務だ。十五歳の頃にはそう説いていたというのに。何が気に入らないのか。
「いったい誰だとおまえは嫁にもらうのだ。もう待てない。この中から選べ」
既に同心としての職務に励んでいた壮真。充実していたのが逆によくなかったのか。まあそのうちと放っておいた時期もあったがさすがに我慢も限界。自分も年齢を重ね、孫の顔を見たいと人並みに思いもする。
頼政はこれが最後と嫁候補の釣書を三つ、長男の前に揃えた。どれもみな、二十歳前の若く美しい、そして身分も申し分ない娘たちだ。
「もし、会ってからが良いというのなら、席も設ける」
父親の並々ならぬ決意を理解したのか、壮真も引き延ばすのはこれまでかと観念した。だがそれは、嫁を貰う決意ではなかった。
「父上。大変申し訳ないのですが。私は嫁をもらうことは出来ません」
「はあ? 何を言ってるのだ、おまえは」
この期に及んで何を言い出すのか。頼政は怒りを通り越して声は裏返り、顔面の神経がおかしくなったかのように表情筋を歪めた。
「私は……女子を抱くことが出来ません。子を設けることなど無理なんです」
「ど、どういうことだ……」
なにか深刻な病か? 妻の八重からそんなこと聞いてない。
「私は男色道の人間なんです。一緒に暮らしたい相手もおります」
深々と壮真は頭を下げる。体を二つ折りにしたまま畳に伏す壮真に、最初はぽかんとしていた頼政も、ようやく事態の深刻さに気付いた。
「き……貴様、何を血迷うたことをっ」
我に返った頼政は、伏したまま微動だにしない息子を大声で罵倒する。妻や娘が聞けば、聞き捨てならないような文言も口から飛び出た。
「そう言われましても……どんな美人の前でも、全く自分のは役立ちませんので。あはは」
などとカラカラ笑い出すので、頼政は怒り心頭。これ以上ないくらい頭に血が上った。
「この不届きもの! そこに直れ!」
茹でたタコのように真っ赤になり、刀掛けに収まっていた自身の長刀を持ち出した。不甲斐ない息子を斬り捨てようとしたところで、騒ぎを聞きつけた妻の八重と下働きの者たちが駆け込んだ。
「あなた、落ち着いてください!」
「ええい、離さんか!」
すったもんだした挙句、壮真は何とか一命を取り留めることができた。
その後、今のような平穏を迎えるには一年以上の月日を費やすことになる。末娘、鈴の縁談が滞りなく結ばれてようやく、頼政の怒りは収まった。
それまでの間、同心でありながら翔一郎の長屋に転がり込んでいた壮真は、母と妹、それに義弟の取り計らいで、翔一郎とともに離れに居候することが許された。同時に臨時同心の役を賜る。奉行所に出向く日数は激変したが、重い任務も多くそれなりの報酬があった。翔一郎と暮らすには十分だった。
「なんの話だった?」
離れに戻ると、翔一郎が待っていた。先ほど一人酒と洒落こんでいた縁側は綺麗に片づけられている。
「ああ、任務の話だ。おまえ、耳にしてるか。市邨屋のこと」
「ふうん……そうかなとは、思ってたよ」
「お、さすがだな。じゃあ、話は早いや。どっから手を付ける?」
翔一郎は壮真が同心になった頃から使っていた情報屋だ。壮真より二つ歳は下。陰間(かげま・男娼)上がりと言われても頷けるほどの美青年だが、実際はどこぞのお殿様のご落胤。新橋の芸者との間にできた子供だ。
母親はそのお殿様から家を用意してもらい、三味線と踊りの師匠として暮らしを立てている。翔一郎も芸事一通りできるようだが、お座敷に立つようなことはなかった。ふらふらしていたところを壮真に拾われ、情報屋に収まる。
使ってみれば見てくれだけでなく、実に頭が切れ、話術も長けていた。しかも誰が指南したのか剣の腕も大したものだった。定町廻り時代、いくつも手柄を立てたのは、翔一郎のおかげと言っても過言ではなかった。
男色と自認していた壮真が、美しく聡い翔一郎に惹かれないわけがない。翔一郎の方も男ぶりの良い壮真を受け入れ、二人は恋仲になった。公私ともに相性よく、唯一無二の相棒となってから、既に五年が経っている。
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