偽夫婦お家騒動始末記

紫紺

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第4章

その4

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「隼殿。優れた剣士である貴殿には、こんな政争の生臭い話は不要と思い話さなかったが……私は今、それを悔いておる。守親殿の旗振り役を任せておいてこの言い草。娘を失って貴殿を責めたが、私の責任でもあったのかもしれん」

 義父の橘藤十郎は、妻(つまり義母)が病に伏したため、家老職を辞し隠居していた。お見舞いをと橘家を訪ねると、藤十郎は悲痛な表情で話し始めた。窓の外には橘家の趣味の良い中庭が見える。詫びた苔の庭に一本、紅葉を迎えた椛の木が植えられていた。

「守親殿は本来学のある方なのだ。愚鈍に見えるのは周りの無責任な噂のせい。尚次殿もよくご存じのはずなのに。どうして今泉なんぞにそそのかされてしまったのか……」

 深いため息が吐かれる。一回りも小さくなったか、無念さに包まれた義父の姿が痛々しかった。

「今泉が尚次殿を担ぎあげた時、恐れていたことが起こったと思った。奴にはどうしても勝たねばならなかった」

 藤十郎が言うには、今泉の財力には不審な点があると。代々役職を任じられていたとしても、近頃、つまり在良が当主になってからの贅沢ぶりには首を傾げる。同じ家老職にいながら、橘家とは桁が違う。しかも、その財力を使って勢力を瞬く間に広げていった。

「どうも、真っ当なことではないと思うのだ。私の家臣にも調べさせたのだが、尻尾を掴ませない」

 今泉は前藩主、直親殿の奥方と内密な関係でもあったと言う。直親殿の死にはこの二人が絡んでいると藤十郎は睨んでいたのだが、それも証拠を掴めずに終わっていた。

「私は隠居するつもりなどなかったのだがな、あの男にしてやられた。綾が病なのは残念ながら本当のことだけれど……」

 義母はこの十日で一挙に痩せてしまった。もとより丈夫な方ではなかったのが、突然の愛娘の死、しかも自ら命を絶った。病に伏しても仕方ないことだろう。

「隼殿、私から頼みがある。どうするかは貴殿に任すが……」

 隼は改めて向かい合う義父に居住まいを正した。どのような願いでも聞き入れようと心に決めていた。

「今泉を支えている財の源を探って欲しい。それが我が前田藩を食い尽くそうとしている。藩主、直親殿の命もおそらく……」

 直親殿の死は、今泉が演出したということか。つまり暗殺。あの賢明な尚次殿はどうお考えなのだろうか。周りには既に今泉派しかいない。殿の声は遠くなるばかりだ。

 ――――義父殿、佳乃の自死も、今泉の……このお家騒動の渦に巻き込まれたと考えているのだろうか……。私と同じように。

 そうだと思いながら、口にすることができない。自分の責任を転嫁するようで、実は巻き込んだのは自分たちなのだ。結局、佳乃を自死に向かわせたのは己たちの責任。藤十郎を苦しめ後悔させているものだ。

 ――――しかし、これが企みであったとして、どうして佳乃が死ななければならなかったか。それがわからない。
そのわけは、今泉を調べれば明らかになるのだろうか。

 隼はかしこまりながら、義父の言葉を待った。短い沈黙の後、藤十郎は意を決して口を開く。

「江戸へ行ってくれ、隼殿。江戸には今泉の別邸がある。そこで何かが行われているはずだ」

 それが何を意味するか、隼にはわかっていた。隼のような剣術指南には、江戸詰めのお役はない。

「承知しました。必ず、突き止めてまいります」
「頼んだぞ」

 義父は両目をかっと開き、隼を凝視する。久しぶりに感じる義父の迫力。隼はその視線から逃げることなく、深く頷いた。中庭では椛の色づいた葉が一枚、ひらりと地面に落ちていった。

 佳乃の遺骨は、義母のたっての願いもあって橘家に預けた。篠宮家の屋敷は分家である叔父に委ね、隼は江戸に向かった。真っ赤に燃えるような常陸の山々を背にして。

 最強剣士と謳われた篠宮隼の脱藩を、引き留める者はいなかった。要ですら、出発の日まで隼に会うことはなかった。彼は彼で、新政権の元、大きな役に付くのは明白。敗者に付き合ってる場合ではないのだと隼は理解していた。
 それに隼も要に会いたくなかった。会えば、胸ぐらを掴んで迫りそうだからだ。何故、貴様は今泉の配下でいるのだ。あいつの本性を知っているのか。その影響力を排除して、尚次殿の治世におまえは尽力できるのか。そして……本当に佳乃の死に関わっていないのか、と。



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