25 / 64
第4章
その4
しおりを挟む「隼殿。優れた剣士である貴殿には、こんな政争の生臭い話は不要と思い話さなかったが……私は今、それを悔いておる。守親殿の旗振り役を任せておいてこの言い草。娘を失って貴殿を責めたが、私の責任でもあったのかもしれん」
義父の橘藤十郎は、妻(つまり義母)が病に伏したため、家老職を辞し隠居していた。お見舞いをと橘家を訪ねると、藤十郎は悲痛な表情で話し始めた。窓の外には橘家の趣味の良い中庭が見える。詫びた苔の庭に一本、紅葉を迎えた椛の木が植えられていた。
「守親殿は本来学のある方なのだ。愚鈍に見えるのは周りの無責任な噂のせい。尚次殿もよくご存じのはずなのに。どうして今泉なんぞにそそのかされてしまったのか……」
深いため息が吐かれる。一回りも小さくなったか、無念さに包まれた義父の姿が痛々しかった。
「今泉が尚次殿を担ぎあげた時、恐れていたことが起こったと思った。奴にはどうしても勝たねばならなかった」
藤十郎が言うには、今泉の財力には不審な点があると。代々役職を任じられていたとしても、近頃、つまり在良が当主になってからの贅沢ぶりには首を傾げる。同じ家老職にいながら、橘家とは桁が違う。しかも、その財力を使って勢力を瞬く間に広げていった。
「どうも、真っ当なことではないと思うのだ。私の家臣にも調べさせたのだが、尻尾を掴ませない」
今泉は前藩主、直親殿の奥方と内密な関係でもあったと言う。直親殿の死にはこの二人が絡んでいると藤十郎は睨んでいたのだが、それも証拠を掴めずに終わっていた。
「私は隠居するつもりなどなかったのだがな、あの男にしてやられた。綾が病なのは残念ながら本当のことだけれど……」
義母はこの十日で一挙に痩せてしまった。もとより丈夫な方ではなかったのが、突然の愛娘の死、しかも自ら命を絶った。病に伏しても仕方ないことだろう。
「隼殿、私から頼みがある。どうするかは貴殿に任すが……」
隼は改めて向かい合う義父に居住まいを正した。どのような願いでも聞き入れようと心に決めていた。
「今泉を支えている財の源を探って欲しい。それが我が前田藩を食い尽くそうとしている。藩主、直親殿の命もおそらく……」
直親殿の死は、今泉が演出したということか。つまり暗殺。あの賢明な尚次殿はどうお考えなのだろうか。周りには既に今泉派しかいない。殿の声は遠くなるばかりだ。
――――義父殿、佳乃の自死も、今泉の……このお家騒動の渦に巻き込まれたと考えているのだろうか……。私と同じように。
そうだと思いながら、口にすることができない。自分の責任を転嫁するようで、実は巻き込んだのは自分たちなのだ。結局、佳乃を自死に向かわせたのは己たちの責任。藤十郎を苦しめ後悔させているものだ。
――――しかし、これが企みであったとして、どうして佳乃が死ななければならなかったか。それがわからない。
そのわけは、今泉を調べれば明らかになるのだろうか。
隼はかしこまりながら、義父の言葉を待った。短い沈黙の後、藤十郎は意を決して口を開く。
「江戸へ行ってくれ、隼殿。江戸には今泉の別邸がある。そこで何かが行われているはずだ」
それが何を意味するか、隼にはわかっていた。隼のような剣術指南には、江戸詰めのお役はない。
「承知しました。必ず、突き止めてまいります」
「頼んだぞ」
義父は両目をかっと開き、隼を凝視する。久しぶりに感じる義父の迫力。隼はその視線から逃げることなく、深く頷いた。中庭では椛の色づいた葉が一枚、ひらりと地面に落ちていった。
佳乃の遺骨は、義母のたっての願いもあって橘家に預けた。篠宮家の屋敷は分家である叔父に委ね、隼は江戸に向かった。真っ赤に燃えるような常陸の山々を背にして。
最強剣士と謳われた篠宮隼の脱藩を、引き留める者はいなかった。要ですら、出発の日まで隼に会うことはなかった。彼は彼で、新政権の元、大きな役に付くのは明白。敗者に付き合ってる場合ではないのだと隼は理解していた。
それに隼も要に会いたくなかった。会えば、胸ぐらを掴んで迫りそうだからだ。何故、貴様は今泉の配下でいるのだ。あいつの本性を知っているのか。その影響力を排除して、尚次殿の治世におまえは尽力できるのか。そして……本当に佳乃の死に関わっていないのか、と。
1
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
居候同心
紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。
本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。
実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。
この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。
※完結しました。
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
新撰組のものがたり
琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。
ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。
近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。
町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。
近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。
最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。
主人公は土方歳三。
彼の恋と戦いの日々がメインとなります。
【淀屋橋心中】公儀御用瓦師・おとき事件帖 豪商 VS おとき VS 幕府隠密!三つ巴の闘いを制するのは誰?
海善紙葉
歴史・時代
●青春真っ盛り・話題てんこ盛り時代小説
現在、アルファポリスのみで公開中。
*️⃣表紙イラスト︰武藤 径 さん。ありがとうございます、感謝です🤗
武藤径さん https://estar.jp/users/157026694
タイトル等は紙葉が挿入しました😊
●おとき。17歳。「世直しおとき」の異名を持つ。
●おときの幼馴染のお民が殺された。役人は、心中事件として処理しようとするが、おときはどうしても納得できない。
お民は、大坂の豪商・淀屋辰五郎の妾になっていたという。おときは、この淀辰が怪しいとにらんで、捜査を開始。
●一方、幕閣の柳沢吉保も、淀屋失脚を画策。実在(史実)の淀屋辰五郎没落の謎をも巻き込みながら、おときは、モン様こと「近松門左衛門」と二人で、事の真相に迫っていく。
✳おおさか
江戸時代は「大坂」の表記。明治以降「大阪」表記に。物語では、「大坂」で統一しています。
□主な登場人物□
おとき︰主人公
お民︰おときの幼馴染
伊左次(いさじ)︰寺島家の職人頭。おときの用心棒、元武士
寺島惣右衛門︰公儀御用瓦師・寺島家の当主。おときの父。
モン様︰近松門左衛門。おときは「モン様」と呼んでいる。
久富大志郎︰23歳。大坂西町奉行所同心
分部宗一郎︰大坂城代土岐家の家臣。城代直属の市中探索目附
淀屋辰五郎︰なにわ長者と呼ばれた淀屋の五代目。淀辰と呼ばれる。
大曽根兵庫︰分部とは因縁のある武士。
福島源蔵︰江戸からやってきた侍。伊左次を仇と付け狙う。
西海屋徳右衛門︰
清兵衛︰墨屋の職人
ゴロさん︰近松門左衛門がよく口にする謎の人物
お駒︰淀辰の妾
【完結】船宿さくらの来客簿
ヲダツバサ
歴史・時代
「百万人都市江戸の中から、たった一人を探し続けてる」
深川の河岸の端にある小さな船宿、さくら。
そこで料理をふるうのは、自由に生きる事を望む少女・おタキ。
はまぐり飯に、菜の花の味噌汁。
葱タレ丼に、味噌田楽。
タケノコご飯や焼き豆腐など、彼女の作る美味しい食事が今日も客達を賑わせている。
しかし、おタキはただの料理好きではない。
彼女は店の知名度を上げ、注目される事で、探し続けている。
明暦の大火で自分を救ってくれた、命の恩人を……。
●江戸時代が舞台です。
●冒頭に火事の描写があります。グロ表現はありません。
時代小説の愉しみ
相良武有
歴史・時代
女渡世人、やさぐれ同心、錺簪師、お庭番に酌女・・・
武士も町人も、不器用にしか生きられない男と女。男が呻吟し女が慟哭する・・・
剣が舞い落花が散り・・・時代小説の愉しみ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる