上 下
5 / 44

5 焼きそば弁当ってうまいな

しおりを挟む
 服を着てダイニングキッチンに戻ると、男はテーブルに寄りかかってスマホをいじっていた。
「あの……ありがとうございます」
 声をかけると、男は「ん」とだけ答えてしばらくスマホを見続けている。
 時宗は椅子に座り、しばらく待った。暇つぶしといった雰囲気ではなかったからだ。仕事か、家族か、いずれにせよ返信しなければならない文面を考えているといった顔つきだった。
 カーテンの隙間はすっかり暗くなっていた。灯りの下、男が自分の要件に集中しているのをいいことに、時宗はしげしげと顔を眺めた。
 黙っていると、男はなかなか知的に見えた。鼻筋も通っていて、どちらかというと女にモテそうな顔だ。唇を引き結んだまま、男は素早く文章を打っている。家族はいるんだろうか。親しくやり取りする友人は? 何もかもピンと来ない。
「で、晩飯なんだけども」
 メッセージを送信し終わりディスプレイを消した男は、不意に声を出した。
「晩飯……」
「カップラーメンとカップ焼きそばと冷凍スパゲティ、どれ食う?」
「……インスタントの麺類」
「共通点は聞いてね。どれ食うかって聞いてんだ」
 それは、つまりとりあえず晩飯を食わせてくれるっていうことか。
「あ~、焼きそばお願いします」
「ん」
 いや俺はこいつの食生活が心配なんだが、インスタント以外はないのか?
 まぁそうは言っても、時宗も料理ができるわけじゃない。弥二郎は事務所の上のマンションを借りていて、3LDKには弥二郎と時宗、それに敬樹が住んでいた。まだ17歳のくせして敬樹はしっかり者で、料理に関しては頼りっぱなしだ。
 男は再びやかんに水をくみ、ガスコンロにかけた。
「そういやお前、名前は?」
「あ、そういえば。南 時雄です」
 リュックから名刺を出し、男に渡す。
「調査員……南 時雄?」
 もちろん通り名だ。一発で覚えられるヤバい本名なんか名乗れない。この稼業は目立たないことが肝心だ。
「よろしくお願いします」
「ふ~ん」
 名刺をしげしげ見ると、男はそれをテーブルに置き、ビニール袋からカップ焼きそばを2つ出した。自分から聞いておいて、やっぱり薄い反応しかしない。
 突き出されたカップ焼きそばのフィルムを取り、お湯を入れる準備をしながら、時宗は男を見た。こっちに名前を聞いておいて自分は名乗らないのか?
「あの~、名前聞いてもいいですか?」
 仕方なく聞いてみると、男は「あぁ」とぞんざいに答えた。
「田中」
 ……嘘くせぇ。とは思ったが、泊めてもらう恩人の機嫌を損ねるわけにはいかない。しゃあない、その名前でとりあえずよしとしよう。自分も本名じゃないわけだしな。
「あの、ありがとうございます」
「ん」
 無口な奴。何歳ぐらいなんだろう。時宗より年上? 年下?
 お湯が沸くと、男はそれぞれのパッケージにお湯を入れ、マグカップを出した。
「お前、その焼きそばに入ってたスープ入れてくれ」
「あ、はい?」
 2人分の小袋をあれこれ見たら、確かにスープの素が混ざっている。そういや聞いたことがある。北海道のカップ焼きそばって、捨てるはずのお湯でスープができるって。
 粉末をマグカップに入れながら、時宗は今野のことを聞いてみることにした。
「あの~、隣の今野さん、仕事って何をしてるんですかね」
「知らね。時々帰ってくるだけ」
「はぁ」
 取りつくシマもない。男はぼんやりとテーブルの横に立っていたが、時間が来るとお湯をマグカップに入れ、ソースやらなにやら食べる準備をしている。時宗も同じ作業をすると、2人は向かい合って焼きそばを食べ始めた。
 すこし甘めの味付けは、寒さでエネルギーを消耗した胃袋に沁みた。中華風でぴりっとしたスープもうまい。時宗は夢中で食べた。男も黙々と食べている。相変わらず、親切なのかそうでないのか、さっぱりわからない。
 食べ終わると、時宗は弥二郎に電話をかけた。
『お~、まだ凍死してないか?』
 第一声がこれだ。
「まだ生きてる。なんか隣の人に救ってもらった」
 お礼の意味を込めて言うと、キッチンにいた男は無表情でこっちを見た。聞こえるように電話を続ける。
「謝礼出すからな。今野海斗は部屋にいないから、一晩待ってみる。明日も玄関で待とうと思うんだけど、他の案件って入りそうなのか?」
『いや? 別に今のところない。そいつを見つけるまで帰ってこなくていいぞ~』
「そうもいかないだろが」
『いや~、じいさんから追加で振り込みがあったから、明日お前の口座に20万振り込んどくわ。ホテルでもなんでも取って、じっくり待ってくれ』
「ホテル?」
 昼間も思ったけど、玄関前で見張らないでそんなことしていいのか?
『足りなかったらまた振り込むから言え』
「今回はずいぶん太っ腹だな」
『そうか? じいさん金持ちだからな。ま、頑張れ~』
 素っ気ないことで。他の仕事がないんなら、しょうがない会えるまで粘るか。明日は今日より暖かいといいんだが。
「ホテル行くんか?」
 電話を聞いていたらしく、時宗が通話を切ると、男はぼそっと言った。
「いや、今夜はここで待たせてもらえたらありがたいんですけど。明日、田中さん仕事でしょ? 俺ここの廊下で明日は待つつもりです」
「ふ~ん」
 この返事、慣れてきた。無関心というより、それがこいつの通常モードなんだ。
 時宗は冷蔵庫の横の壁に触れてみた。この向こうはたぶん、こっちと同じダイニングキッチンだ。この壁にくっついて寝たらいいんじゃないか? そうすれば住人が帰ってきた時に音で気づける。
 リュックとダウンジャケットを引き寄せ、その小さなスペースによっこいしょと座りこむと、男が見下ろした。
「……そこで今夜寝るんか?」
「そうですね。ここなら帰ってきたのが壁越しにわかるし。田中さんに迷惑かからないかなと思って」
 返事はなかった。無言のまま、男は奥の部屋に入っていく。引っ込むのかと思いきや、敷布団とシーツ、それに掛け布団を持ってきた。
「そのまま寝たら風邪ひくべや」
「ありがとう……ございます」
 いや、親切すぎないか? 最初にドアでブン殴ったのは何だったんだ?
「あの、もしかして今日って夜勤明けかなんかでした?」
「? なんでだ」
「ピンポン連打したの悪かったな~って」
「あぁ……いや、夜勤とかじゃない」
 で?
 待ってみたが、それ以上の答えはなかった。時宗はおとなしく布団を受け取り、スペースに収まるように適当に折りたたんで敷布団を置き、その上にシーツを敷いて座りこんだ。男は灯油ストーブの火力を調節してくれている。
「暇つぶしとか、いるか?」
「あ、大丈夫ですスマホで漫画でも読んでるから」
「あっそ」
 また奥の部屋にさっさと行くのかと思いきや、男は椅子に座った。スマホをいじり、テーブルに置くと、時宗を眺めて黙って座っている。何か言いたそうな雰囲気を感じて、時宗は話を振ってみた。
「明日って仕事ですか?」
「明日は……わかんね」
 わからないってなんだ。シフトとかなんとか出てるんじゃないのか?
「在宅、とか?」
「さぁ……」
 要領を得ない。
「パソコンで仕事する、とか?」
「あ~、いやゲームしかしねぇ。多分明日は仕事入らないと思うんだけど、オレが決めるわけじゃねぇし」
 どこか投げやりな感じの答えは気になった。忙しいという雰囲気ではないのに、仕事は別に好きではないらしい。本人にも明日が仕事かどうかわからないというのは一体なんだ? 依頼が来てから動く仕事? たとえば……探偵事務所、とか。
 自分の仕事だそれは。
 これ以上聞いても、男の素性は明らかにならないんじゃないかという気がした。
 時宗は仕方なく掛け布団を引っ張り、くるまって壁に寄りかかった。部屋は灯油ストーブのおかげで暖かい。男は最初に見た時と同じく、タートルネックだけでセーターは脱いでいた。
「……あのさ」
 唐突に、男が口を開いた。
「はい?」
「明日、隣の奴が帰ってこなかったらどうすんだ?」
「え~、ホテルに夜は泊まって、数日通おうかなと」
 男はなぜか顔をしかめた。
「帰らないんか」
「いや、だって……経費もらったし」
「東京帰って、何日か経ってから『いませんでした』ってじいさんに言えば終わりじゃねぇか?」
 ハタと男の顔を見る。何言ってんだ?
「え? だって調査費出してもらってそんな不誠実な仕事できないですよ。お金もらって嘘つくなんて、俺は嫌だ」
「バレなきゃ……」
「バレなくたって俺が知ってる。人を騙すのは、癖になるんです。最初はそれでうまくいくかもしれないけど、だんだんそれで仕事ちゃんとしなくなって、信用もなくして、人間がダメになる。おじいさんは、死ぬ前に孫と和解して遺産を残したいっていう目的で俺の仕事に金を出した。なら、実際に孫を連れて行くか、せめて孫に直接会って、おじいさんに会いたくない理由を聞いて、会えない理由だけでもきっちり持って帰らないと」
 時宗にとって、それは当たり前のことだった。寒いとかなんとか文句は言っているが、仕事は仕事。最初からこうなる可能性があったからこそ、弥二郎と押し付け合っていたわけで、やると覚悟を決めたのなら、この案件は最後まで時宗の責任でやり遂げる必要がある。
 虚を突かれたような顔で、男は時宗を見ていた。その表情に、時宗は自分がムキになっていたことに気付いた。あ~、こういうの、言わない方がよかったか……。
 苦虫を噛み潰したような父親の顔を思い出す。ズルいことばっかやってんなよ。時宗のその言葉に、父親が返してきたのは平手打ちだった。
 目の前の男も、時宗の言ったことを嘲笑うんだろうか。生きていくなら知恵が必要だって言うんだろうか。
 でも、男は別に笑わなかった。ほんの少し穏やかな目で「なるほど」と呟いただけだ。しばらくの沈黙の後、男は椅子から唐突に立ち上がった。
「オレ風呂入るけど、暇なら奥から好きな漫画持ってっていい。あと」
 時宗が顔を上げると、男は照れたように口の端を上げた。
「ストーブ、好きなように調節すれ」
 それだけで、男は風呂に消えた。
 どうやら、時宗の存在はあまり男のストレスにはならないらしい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

君がいないと

夏目流羽
BL
【BL】年下イケメン×年上美人 大学生『三上蓮』は同棲中の恋人『瀬野晶』がいても女の子との浮気を繰り返していた。 浮気を黙認する晶にいつしか隠す気もなくなり、その日も晶の目の前でセフレとホテルへ…… それでも笑顔でおかえりと迎える晶に謝ることもなく眠った蓮 翌朝彼のもとに残っていたのは、一通の手紙とーーー * * * * * こちらは【恋をしたから終わりにしよう】の姉妹作です。 似通ったキャラ設定で2つの話を思い付いたので……笑 なんとなく(?)似てるけど別のお話として読んで頂ければと思います^ ^ 2020.05.29 完結しました! 読んでくださった皆さま、反応くださった皆さま 本当にありがとうございます^ ^ 2020.06.27 『SS・ふたりの世界』追加 Twitter↓ @rurunovel

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

悪役令息、主人公に媚びを売る

枝豆
BL
前世の記憶からこの世界が小説の中だと知るウィリアム しかも自分はこの世界の主人公をいじめて最終的に殺される悪役令息だった。前世の記憶が戻った時には既に手遅れ このままでは殺されてしまう!こうしてウィリアムが閃いた策は主人公にひたすら媚びを売ることだった n番煎じです。小説を書くのは初めてな故暖かな目で読んで貰えると嬉しいです 主人公がゲスい 最初の方は攻めはわんころ 主人公最近あんま媚び売ってません。 主人公のゲスさは健在です。 不定期更新 感想があると喜びます 誤字脱字とはおともだち

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

風紀“副”委員長はギリギリモブです

柚実
BL
名家の子息ばかりが集まる全寮制の男子校、鳳凰学園。 俺、佐倉伊織はその学園で風紀“副”委員長をしている。 そう、“副”だ。あくまでも“副”。 だから、ここが王道学園だろうがなんだろうが俺はモブでしかない────はずなのに! BL王道学園に入ってしまった男子高校生がモブであろうとしているのに、主要キャラ達から逃げられない話。

処理中です...