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5 焼きそば弁当ってうまいな
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服を着てダイニングキッチンに戻ると、男はテーブルに寄りかかってスマホをいじっていた。
「あの……ありがとうございます」
声をかけると、男は「ん」とだけ答えてしばらくスマホを見続けている。
時宗は椅子に座り、しばらく待った。暇つぶしといった雰囲気ではなかったからだ。仕事か、家族か、いずれにせよ返信しなければならない文面を考えているといった顔つきだった。
カーテンの隙間はすっかり暗くなっていた。灯りの下、男が自分の要件に集中しているのをいいことに、時宗はしげしげと顔を眺めた。
黙っていると、男はなかなか知的に見えた。鼻筋も通っていて、どちらかというと女にモテそうな顔だ。唇を引き結んだまま、男は素早く文章を打っている。家族はいるんだろうか。親しくやり取りする友人は? 何もかもピンと来ない。
「で、晩飯なんだけども」
メッセージを送信し終わりディスプレイを消した男は、不意に声を出した。
「晩飯……」
「カップラーメンとカップ焼きそばと冷凍スパゲティ、どれ食う?」
「……インスタントの麺類」
「共通点は聞いてね。どれ食うかって聞いてんだ」
それは、つまりとりあえず晩飯を食わせてくれるっていうことか。
「あ~、焼きそばお願いします」
「ん」
いや俺はこいつの食生活が心配なんだが、インスタント以外はないのか?
まぁそうは言っても、時宗も料理ができるわけじゃない。弥二郎は事務所の上のマンションを借りていて、3LDKには弥二郎と時宗、それに敬樹が住んでいた。まだ17歳のくせして敬樹はしっかり者で、料理に関しては頼りっぱなしだ。
男は再びやかんに水をくみ、ガスコンロにかけた。
「そういやお前、名前は?」
「あ、そういえば。南 時雄です」
リュックから名刺を出し、男に渡す。
「調査員……南 時雄?」
もちろん通り名だ。一発で覚えられるヤバい本名なんか名乗れない。この稼業は目立たないことが肝心だ。
「よろしくお願いします」
「ふ~ん」
名刺をしげしげ見ると、男はそれをテーブルに置き、ビニール袋からカップ焼きそばを2つ出した。自分から聞いておいて、やっぱり薄い反応しかしない。
突き出されたカップ焼きそばのフィルムを取り、お湯を入れる準備をしながら、時宗は男を見た。こっちに名前を聞いておいて自分は名乗らないのか?
「あの~、名前聞いてもいいですか?」
仕方なく聞いてみると、男は「あぁ」とぞんざいに答えた。
「田中」
……嘘くせぇ。とは思ったが、泊めてもらう恩人の機嫌を損ねるわけにはいかない。しゃあない、その名前でとりあえずよしとしよう。自分も本名じゃないわけだしな。
「あの、ありがとうございます」
「ん」
無口な奴。何歳ぐらいなんだろう。時宗より年上? 年下?
お湯が沸くと、男はそれぞれのパッケージにお湯を入れ、マグカップを出した。
「お前、その焼きそばに入ってたスープ入れてくれ」
「あ、はい?」
2人分の小袋をあれこれ見たら、確かにスープの素が混ざっている。そういや聞いたことがある。北海道のカップ焼きそばって、捨てるはずのお湯でスープができるって。
粉末をマグカップに入れながら、時宗は今野のことを聞いてみることにした。
「あの~、隣の今野さん、仕事って何をしてるんですかね」
「知らね。時々帰ってくるだけ」
「はぁ」
取りつくシマもない。男はぼんやりとテーブルの横に立っていたが、時間が来るとお湯をマグカップに入れ、ソースやらなにやら食べる準備をしている。時宗も同じ作業をすると、2人は向かい合って焼きそばを食べ始めた。
すこし甘めの味付けは、寒さでエネルギーを消耗した胃袋に沁みた。中華風でぴりっとしたスープもうまい。時宗は夢中で食べた。男も黙々と食べている。相変わらず、親切なのかそうでないのか、さっぱりわからない。
食べ終わると、時宗は弥二郎に電話をかけた。
『お~、まだ凍死してないか?』
第一声がこれだ。
「まだ生きてる。なんか隣の人に救ってもらった」
お礼の意味を込めて言うと、キッチンにいた男は無表情でこっちを見た。聞こえるように電話を続ける。
「謝礼出すからな。今野海斗は部屋にいないから、一晩待ってみる。明日も玄関で待とうと思うんだけど、他の案件って入りそうなのか?」
『いや? 別に今のところない。そいつを見つけるまで帰ってこなくていいぞ~』
「そうもいかないだろが」
『いや~、じいさんから追加で振り込みがあったから、明日お前の口座に20万振り込んどくわ。ホテルでもなんでも取って、じっくり待ってくれ』
「ホテル?」
昼間も思ったけど、玄関前で見張らないでそんなことしていいのか?
『足りなかったらまた振り込むから言え』
「今回はずいぶん太っ腹だな」
『そうか? じいさん金持ちだからな。ま、頑張れ~』
素っ気ないことで。他の仕事がないんなら、しょうがない会えるまで粘るか。明日は今日より暖かいといいんだが。
「ホテル行くんか?」
電話を聞いていたらしく、時宗が通話を切ると、男はぼそっと言った。
「いや、今夜はここで待たせてもらえたらありがたいんですけど。明日、田中さん仕事でしょ? 俺ここの廊下で明日は待つつもりです」
「ふ~ん」
この返事、慣れてきた。無関心というより、それがこいつの通常モードなんだ。
時宗は冷蔵庫の横の壁に触れてみた。この向こうはたぶん、こっちと同じダイニングキッチンだ。この壁にくっついて寝たらいいんじゃないか? そうすれば住人が帰ってきた時に音で気づける。
リュックとダウンジャケットを引き寄せ、その小さなスペースによっこいしょと座りこむと、男が見下ろした。
「……そこで今夜寝るんか?」
「そうですね。ここなら帰ってきたのが壁越しにわかるし。田中さんに迷惑かからないかなと思って」
返事はなかった。無言のまま、男は奥の部屋に入っていく。引っ込むのかと思いきや、敷布団とシーツ、それに掛け布団を持ってきた。
「そのまま寝たら風邪ひくべや」
「ありがとう……ございます」
いや、親切すぎないか? 最初にドアでブン殴ったのは何だったんだ?
「あの、もしかして今日って夜勤明けかなんかでした?」
「? なんでだ」
「ピンポン連打したの悪かったな~って」
「あぁ……いや、夜勤とかじゃない」
で?
待ってみたが、それ以上の答えはなかった。時宗はおとなしく布団を受け取り、スペースに収まるように適当に折りたたんで敷布団を置き、その上にシーツを敷いて座りこんだ。男は灯油ストーブの火力を調節してくれている。
「暇つぶしとか、いるか?」
「あ、大丈夫ですスマホで漫画でも読んでるから」
「あっそ」
また奥の部屋にさっさと行くのかと思いきや、男は椅子に座った。スマホをいじり、テーブルに置くと、時宗を眺めて黙って座っている。何か言いたそうな雰囲気を感じて、時宗は話を振ってみた。
「明日って仕事ですか?」
「明日は……わかんね」
わからないってなんだ。シフトとかなんとか出てるんじゃないのか?
「在宅、とか?」
「さぁ……」
要領を得ない。
「パソコンで仕事する、とか?」
「あ~、いやゲームしかしねぇ。多分明日は仕事入らないと思うんだけど、オレが決めるわけじゃねぇし」
どこか投げやりな感じの答えは気になった。忙しいという雰囲気ではないのに、仕事は別に好きではないらしい。本人にも明日が仕事かどうかわからないというのは一体なんだ? 依頼が来てから動く仕事? たとえば……探偵事務所、とか。
自分の仕事だそれは。
これ以上聞いても、男の素性は明らかにならないんじゃないかという気がした。
時宗は仕方なく掛け布団を引っ張り、くるまって壁に寄りかかった。部屋は灯油ストーブのおかげで暖かい。男は最初に見た時と同じく、タートルネックだけでセーターは脱いでいた。
「……あのさ」
唐突に、男が口を開いた。
「はい?」
「明日、隣の奴が帰ってこなかったらどうすんだ?」
「え~、ホテルに夜は泊まって、数日通おうかなと」
男はなぜか顔をしかめた。
「帰らないんか」
「いや、だって……経費もらったし」
「東京帰って、何日か経ってから『いませんでした』ってじいさんに言えば終わりじゃねぇか?」
ハタと男の顔を見る。何言ってんだ?
「え? だって調査費出してもらってそんな不誠実な仕事できないですよ。お金もらって嘘つくなんて、俺は嫌だ」
「バレなきゃ……」
「バレなくたって俺が知ってる。人を騙すのは、癖になるんです。最初はそれでうまくいくかもしれないけど、だんだんそれで仕事ちゃんとしなくなって、信用もなくして、人間がダメになる。おじいさんは、死ぬ前に孫と和解して遺産を残したいっていう目的で俺の仕事に金を出した。なら、実際に孫を連れて行くか、せめて孫に直接会って、おじいさんに会いたくない理由を聞いて、会えない理由だけでもきっちり持って帰らないと」
時宗にとって、それは当たり前のことだった。寒いとかなんとか文句は言っているが、仕事は仕事。最初からこうなる可能性があったからこそ、弥二郎と押し付け合っていたわけで、やると覚悟を決めたのなら、この案件は最後まで時宗の責任でやり遂げる必要がある。
虚を突かれたような顔で、男は時宗を見ていた。その表情に、時宗は自分がムキになっていたことに気付いた。あ~、こういうの、言わない方がよかったか……。
苦虫を噛み潰したような父親の顔を思い出す。ズルいことばっかやってんなよ。時宗のその言葉に、父親が返してきたのは平手打ちだった。
目の前の男も、時宗の言ったことを嘲笑うんだろうか。生きていくなら知恵が必要だって言うんだろうか。
でも、男は別に笑わなかった。ほんの少し穏やかな目で「なるほど」と呟いただけだ。しばらくの沈黙の後、男は椅子から唐突に立ち上がった。
「オレ風呂入るけど、暇なら奥から好きな漫画持ってっていい。あと」
時宗が顔を上げると、男は照れたように口の端を上げた。
「ストーブ、好きなように調節すれ」
それだけで、男は風呂に消えた。
どうやら、時宗の存在はあまり男のストレスにはならないらしい。
「あの……ありがとうございます」
声をかけると、男は「ん」とだけ答えてしばらくスマホを見続けている。
時宗は椅子に座り、しばらく待った。暇つぶしといった雰囲気ではなかったからだ。仕事か、家族か、いずれにせよ返信しなければならない文面を考えているといった顔つきだった。
カーテンの隙間はすっかり暗くなっていた。灯りの下、男が自分の要件に集中しているのをいいことに、時宗はしげしげと顔を眺めた。
黙っていると、男はなかなか知的に見えた。鼻筋も通っていて、どちらかというと女にモテそうな顔だ。唇を引き結んだまま、男は素早く文章を打っている。家族はいるんだろうか。親しくやり取りする友人は? 何もかもピンと来ない。
「で、晩飯なんだけども」
メッセージを送信し終わりディスプレイを消した男は、不意に声を出した。
「晩飯……」
「カップラーメンとカップ焼きそばと冷凍スパゲティ、どれ食う?」
「……インスタントの麺類」
「共通点は聞いてね。どれ食うかって聞いてんだ」
それは、つまりとりあえず晩飯を食わせてくれるっていうことか。
「あ~、焼きそばお願いします」
「ん」
いや俺はこいつの食生活が心配なんだが、インスタント以外はないのか?
まぁそうは言っても、時宗も料理ができるわけじゃない。弥二郎は事務所の上のマンションを借りていて、3LDKには弥二郎と時宗、それに敬樹が住んでいた。まだ17歳のくせして敬樹はしっかり者で、料理に関しては頼りっぱなしだ。
男は再びやかんに水をくみ、ガスコンロにかけた。
「そういやお前、名前は?」
「あ、そういえば。南 時雄です」
リュックから名刺を出し、男に渡す。
「調査員……南 時雄?」
もちろん通り名だ。一発で覚えられるヤバい本名なんか名乗れない。この稼業は目立たないことが肝心だ。
「よろしくお願いします」
「ふ~ん」
名刺をしげしげ見ると、男はそれをテーブルに置き、ビニール袋からカップ焼きそばを2つ出した。自分から聞いておいて、やっぱり薄い反応しかしない。
突き出されたカップ焼きそばのフィルムを取り、お湯を入れる準備をしながら、時宗は男を見た。こっちに名前を聞いておいて自分は名乗らないのか?
「あの~、名前聞いてもいいですか?」
仕方なく聞いてみると、男は「あぁ」とぞんざいに答えた。
「田中」
……嘘くせぇ。とは思ったが、泊めてもらう恩人の機嫌を損ねるわけにはいかない。しゃあない、その名前でとりあえずよしとしよう。自分も本名じゃないわけだしな。
「あの、ありがとうございます」
「ん」
無口な奴。何歳ぐらいなんだろう。時宗より年上? 年下?
お湯が沸くと、男はそれぞれのパッケージにお湯を入れ、マグカップを出した。
「お前、その焼きそばに入ってたスープ入れてくれ」
「あ、はい?」
2人分の小袋をあれこれ見たら、確かにスープの素が混ざっている。そういや聞いたことがある。北海道のカップ焼きそばって、捨てるはずのお湯でスープができるって。
粉末をマグカップに入れながら、時宗は今野のことを聞いてみることにした。
「あの~、隣の今野さん、仕事って何をしてるんですかね」
「知らね。時々帰ってくるだけ」
「はぁ」
取りつくシマもない。男はぼんやりとテーブルの横に立っていたが、時間が来るとお湯をマグカップに入れ、ソースやらなにやら食べる準備をしている。時宗も同じ作業をすると、2人は向かい合って焼きそばを食べ始めた。
すこし甘めの味付けは、寒さでエネルギーを消耗した胃袋に沁みた。中華風でぴりっとしたスープもうまい。時宗は夢中で食べた。男も黙々と食べている。相変わらず、親切なのかそうでないのか、さっぱりわからない。
食べ終わると、時宗は弥二郎に電話をかけた。
『お~、まだ凍死してないか?』
第一声がこれだ。
「まだ生きてる。なんか隣の人に救ってもらった」
お礼の意味を込めて言うと、キッチンにいた男は無表情でこっちを見た。聞こえるように電話を続ける。
「謝礼出すからな。今野海斗は部屋にいないから、一晩待ってみる。明日も玄関で待とうと思うんだけど、他の案件って入りそうなのか?」
『いや? 別に今のところない。そいつを見つけるまで帰ってこなくていいぞ~』
「そうもいかないだろが」
『いや~、じいさんから追加で振り込みがあったから、明日お前の口座に20万振り込んどくわ。ホテルでもなんでも取って、じっくり待ってくれ』
「ホテル?」
昼間も思ったけど、玄関前で見張らないでそんなことしていいのか?
『足りなかったらまた振り込むから言え』
「今回はずいぶん太っ腹だな」
『そうか? じいさん金持ちだからな。ま、頑張れ~』
素っ気ないことで。他の仕事がないんなら、しょうがない会えるまで粘るか。明日は今日より暖かいといいんだが。
「ホテル行くんか?」
電話を聞いていたらしく、時宗が通話を切ると、男はぼそっと言った。
「いや、今夜はここで待たせてもらえたらありがたいんですけど。明日、田中さん仕事でしょ? 俺ここの廊下で明日は待つつもりです」
「ふ~ん」
この返事、慣れてきた。無関心というより、それがこいつの通常モードなんだ。
時宗は冷蔵庫の横の壁に触れてみた。この向こうはたぶん、こっちと同じダイニングキッチンだ。この壁にくっついて寝たらいいんじゃないか? そうすれば住人が帰ってきた時に音で気づける。
リュックとダウンジャケットを引き寄せ、その小さなスペースによっこいしょと座りこむと、男が見下ろした。
「……そこで今夜寝るんか?」
「そうですね。ここなら帰ってきたのが壁越しにわかるし。田中さんに迷惑かからないかなと思って」
返事はなかった。無言のまま、男は奥の部屋に入っていく。引っ込むのかと思いきや、敷布団とシーツ、それに掛け布団を持ってきた。
「そのまま寝たら風邪ひくべや」
「ありがとう……ございます」
いや、親切すぎないか? 最初にドアでブン殴ったのは何だったんだ?
「あの、もしかして今日って夜勤明けかなんかでした?」
「? なんでだ」
「ピンポン連打したの悪かったな~って」
「あぁ……いや、夜勤とかじゃない」
で?
待ってみたが、それ以上の答えはなかった。時宗はおとなしく布団を受け取り、スペースに収まるように適当に折りたたんで敷布団を置き、その上にシーツを敷いて座りこんだ。男は灯油ストーブの火力を調節してくれている。
「暇つぶしとか、いるか?」
「あ、大丈夫ですスマホで漫画でも読んでるから」
「あっそ」
また奥の部屋にさっさと行くのかと思いきや、男は椅子に座った。スマホをいじり、テーブルに置くと、時宗を眺めて黙って座っている。何か言いたそうな雰囲気を感じて、時宗は話を振ってみた。
「明日って仕事ですか?」
「明日は……わかんね」
わからないってなんだ。シフトとかなんとか出てるんじゃないのか?
「在宅、とか?」
「さぁ……」
要領を得ない。
「パソコンで仕事する、とか?」
「あ~、いやゲームしかしねぇ。多分明日は仕事入らないと思うんだけど、オレが決めるわけじゃねぇし」
どこか投げやりな感じの答えは気になった。忙しいという雰囲気ではないのに、仕事は別に好きではないらしい。本人にも明日が仕事かどうかわからないというのは一体なんだ? 依頼が来てから動く仕事? たとえば……探偵事務所、とか。
自分の仕事だそれは。
これ以上聞いても、男の素性は明らかにならないんじゃないかという気がした。
時宗は仕方なく掛け布団を引っ張り、くるまって壁に寄りかかった。部屋は灯油ストーブのおかげで暖かい。男は最初に見た時と同じく、タートルネックだけでセーターは脱いでいた。
「……あのさ」
唐突に、男が口を開いた。
「はい?」
「明日、隣の奴が帰ってこなかったらどうすんだ?」
「え~、ホテルに夜は泊まって、数日通おうかなと」
男はなぜか顔をしかめた。
「帰らないんか」
「いや、だって……経費もらったし」
「東京帰って、何日か経ってから『いませんでした』ってじいさんに言えば終わりじゃねぇか?」
ハタと男の顔を見る。何言ってんだ?
「え? だって調査費出してもらってそんな不誠実な仕事できないですよ。お金もらって嘘つくなんて、俺は嫌だ」
「バレなきゃ……」
「バレなくたって俺が知ってる。人を騙すのは、癖になるんです。最初はそれでうまくいくかもしれないけど、だんだんそれで仕事ちゃんとしなくなって、信用もなくして、人間がダメになる。おじいさんは、死ぬ前に孫と和解して遺産を残したいっていう目的で俺の仕事に金を出した。なら、実際に孫を連れて行くか、せめて孫に直接会って、おじいさんに会いたくない理由を聞いて、会えない理由だけでもきっちり持って帰らないと」
時宗にとって、それは当たり前のことだった。寒いとかなんとか文句は言っているが、仕事は仕事。最初からこうなる可能性があったからこそ、弥二郎と押し付け合っていたわけで、やると覚悟を決めたのなら、この案件は最後まで時宗の責任でやり遂げる必要がある。
虚を突かれたような顔で、男は時宗を見ていた。その表情に、時宗は自分がムキになっていたことに気付いた。あ~、こういうの、言わない方がよかったか……。
苦虫を噛み潰したような父親の顔を思い出す。ズルいことばっかやってんなよ。時宗のその言葉に、父親が返してきたのは平手打ちだった。
目の前の男も、時宗の言ったことを嘲笑うんだろうか。生きていくなら知恵が必要だって言うんだろうか。
でも、男は別に笑わなかった。ほんの少し穏やかな目で「なるほど」と呟いただけだ。しばらくの沈黙の後、男は椅子から唐突に立ち上がった。
「オレ風呂入るけど、暇なら奥から好きな漫画持ってっていい。あと」
時宗が顔を上げると、男は照れたように口の端を上げた。
「ストーブ、好きなように調節すれ」
それだけで、男は風呂に消えた。
どうやら、時宗の存在はあまり男のストレスにはならないらしい。
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