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118 蒲田にて(37)
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今日の夕方に来ていいというのが江藤の返答だった。薫は蒲田に入れる警察の編成を組む作業をしているはずだ。
あとは奥村……高遠の部下として中央線南を管理している男をどうするか。高遠は、怜を奥村の預かりとすることに一応承諾した。あくまでも、怜を大した影響力のない者として扱うことで、怜を押さえるつもりらしい。
奥村が何者なのかは、薫からも食堂の皆からも情報を色々聞いていた。野心はあるが、別に能力的に優れているわけではなく、権力のある者の傘下でうまくやってきた男だ。奥村からは、連絡係として2人寄越すという連絡が来ていた。体のいい目付け役だということはわかっているが、仕方ない。
須川って人じゃないといいんだけど。
ひとりは昨日と同じく、竹田にしてくれと言ってある。2年前のいきさつも改めて聞きたいし、気心が知れている分、仕事はやりやすい。昨日江藤の所に行く時は考え事をしていて竹田とはあまり話せなかったし、帰りは薫が生きているというショックで頭が真っ白だった。今日はなんとか話したい。
一方、須川は得体が知れない人間だった。向こうは怜に興味があるらしいのだが、露骨に性的な目でじろじろ見られるのは不快だ。何より、誰もその正体を知らないというのが不安要素だった。遠ざけたいが、情報通で有力者となれば邪険にするわけにもいかない。うまく気をもたせながら操作する必要があり、怜は内心面倒に思っていた。体格や顔の輪郭が微かに薫に似ているのも嫌だ。
だが昼下がりにやってきたのは、やはり竹田と須川だった。
2人が食堂に入ってくると、従業員たちは警戒心を露わにした。まぁそうだ。予想はしていたことだった。2階の事務室に通そうとしたのだが、須川は昼飯が食べたいと言って食堂の隅に陣取った。
「なぁ、今日の日替わり定食ってなんだ?」
馴れ馴れしい態度で怜の手に触りながら、須川は聞いてきた。
「えぇと、今日は生姜焼きですね」
「じゃあそれにする。タケ、お前は?」
「……その呼び方、いつかやめてもらえる日は来るのか? おれはアジフライ定食で頼む」
「日替わりとアジフライですね。少々お待ちください」
厨房に注文を通すと、怜は2人のテーブルに戻った。他の者がトラブルを吹っ掛ける前に対処する必要がある。従業員の視線の集中砲火を受けているのに、須川はまったく気にしていない。
「あなたも江藤さんの所についてくる気ですか?」
「当然だろ、そのために来たんだ。なぁこの建物、上は空き部屋あるのか?」
「……ここに滞在するつもりですか? 上は従業員の寮になってます。4階以上なら空いてますよ。電気も水もありませんけど。エレベーターも動きませんから、階段で上ってください」
怜は穏やかな中に嫌味が含まれた口調で言った。須川には交渉に同席してほしくないし、あまり滞在してほしくもない。なのに須川は怜に貼り付くつもりだ。
このビルは6階建てで、全体を再整備してあるし、実は3階から下にもちらほら空き部屋はある。しかし、怜はそうしたことは言わなかった。従業員の中にこの2人を混ぜるわけにはいかない。
「塩対応だな~。なぁお前はどこに住んでるんだ?」
「オレ?」
怜は微かに顔をしかめた。
「オレがどこに住んでるかなんて、どうでもいいでしょう?」
須川がニヤニヤ笑う。
「そんなことない。俺には大いに興味があることだ」
怜は溜息をつく。薫に行って早目に警察を入れてもらわないと、不穏なことになりそうな気がする。
竹田はむっつりと黙り込んだまま、横目でうんざりと須川を見ながら座っていた。怜としても竹田と話したいのだが、ばあちゃんのことを含めて話すとなると須川は邪魔だ。
ばあちゃんは、ほぼ隠遁生活を送っている。親しい友人がひとりいて、その男性が代理人として、仕事を取りまとめてばあちゃんに持ち込んでいた。本人がむやみに外出することはない。
こちらから会いに行くときも用心が必要だった。強盗や誘拐が日常茶飯事の場所だ。尾行されないように細心の注意を払わなければならず、そうしょっちゅう会いに行くわけにはいかない。
そういう事情で、ばあちゃんの話題は迂闊に出せないのだ。
2人がここに泊まる気なら、なんとか夜に話せるだろうか。須川に知られないように、今夜事務室辺りで竹田と話すには、どうやって伝えればいいのか。
この男、何を言っても動じないし、周囲の敵意を楽しんでいるふうでもある。だが単に無神経なのとは違うと怜は踏んでいた。須川の目は油断ならない。常に相手の神経を逆なでし、その反応を見ることで相手の本性を見ている。そういう目だ。人は須川をトラブルメーカー、つまり無風の場所に波風を立てる者だと思うかもしれないが、実のところは、隠れたトラブルを先に暴き出して叩き潰すという、先制攻撃的な思想の持主だ。怜はそう考えていた。挑発に乗ったら終わりだ。
変なのに気に入られちゃったな。
怜は心の中で溜息をついた。
絶対に敵に回すべきではない。なのにとにかく得体が知れない。奥村は高遠の配下の中でも上の方だというが、下手すると須川の傀儡である可能性さえある。こんなに不穏な雰囲気の男を奥村がこの局面で怜のところに寄越したこと自体、胡散臭いのだ。怜を思い通りにしたいなら、もっと堅実な奴を寄越すはず。須川が来たということは、こいつが自分で決定し、奥村が従ったというのが本当のところなのではないか。
須川がいるなら、江藤さんとの交渉は気を引き締めてやらなきゃ。
江藤もそうしたパフォーマンスには乗ってくれるとは思うが、面倒なことに変わりはない。
やれやれ。薫さんに後で電話して、須川の正体を探ってもらおう。
厨房から声がかかり、怜は考えながら仕事に戻った。
あとは奥村……高遠の部下として中央線南を管理している男をどうするか。高遠は、怜を奥村の預かりとすることに一応承諾した。あくまでも、怜を大した影響力のない者として扱うことで、怜を押さえるつもりらしい。
奥村が何者なのかは、薫からも食堂の皆からも情報を色々聞いていた。野心はあるが、別に能力的に優れているわけではなく、権力のある者の傘下でうまくやってきた男だ。奥村からは、連絡係として2人寄越すという連絡が来ていた。体のいい目付け役だということはわかっているが、仕方ない。
須川って人じゃないといいんだけど。
ひとりは昨日と同じく、竹田にしてくれと言ってある。2年前のいきさつも改めて聞きたいし、気心が知れている分、仕事はやりやすい。昨日江藤の所に行く時は考え事をしていて竹田とはあまり話せなかったし、帰りは薫が生きているというショックで頭が真っ白だった。今日はなんとか話したい。
一方、須川は得体が知れない人間だった。向こうは怜に興味があるらしいのだが、露骨に性的な目でじろじろ見られるのは不快だ。何より、誰もその正体を知らないというのが不安要素だった。遠ざけたいが、情報通で有力者となれば邪険にするわけにもいかない。うまく気をもたせながら操作する必要があり、怜は内心面倒に思っていた。体格や顔の輪郭が微かに薫に似ているのも嫌だ。
だが昼下がりにやってきたのは、やはり竹田と須川だった。
2人が食堂に入ってくると、従業員たちは警戒心を露わにした。まぁそうだ。予想はしていたことだった。2階の事務室に通そうとしたのだが、須川は昼飯が食べたいと言って食堂の隅に陣取った。
「なぁ、今日の日替わり定食ってなんだ?」
馴れ馴れしい態度で怜の手に触りながら、須川は聞いてきた。
「えぇと、今日は生姜焼きですね」
「じゃあそれにする。タケ、お前は?」
「……その呼び方、いつかやめてもらえる日は来るのか? おれはアジフライ定食で頼む」
「日替わりとアジフライですね。少々お待ちください」
厨房に注文を通すと、怜は2人のテーブルに戻った。他の者がトラブルを吹っ掛ける前に対処する必要がある。従業員の視線の集中砲火を受けているのに、須川はまったく気にしていない。
「あなたも江藤さんの所についてくる気ですか?」
「当然だろ、そのために来たんだ。なぁこの建物、上は空き部屋あるのか?」
「……ここに滞在するつもりですか? 上は従業員の寮になってます。4階以上なら空いてますよ。電気も水もありませんけど。エレベーターも動きませんから、階段で上ってください」
怜は穏やかな中に嫌味が含まれた口調で言った。須川には交渉に同席してほしくないし、あまり滞在してほしくもない。なのに須川は怜に貼り付くつもりだ。
このビルは6階建てで、全体を再整備してあるし、実は3階から下にもちらほら空き部屋はある。しかし、怜はそうしたことは言わなかった。従業員の中にこの2人を混ぜるわけにはいかない。
「塩対応だな~。なぁお前はどこに住んでるんだ?」
「オレ?」
怜は微かに顔をしかめた。
「オレがどこに住んでるかなんて、どうでもいいでしょう?」
須川がニヤニヤ笑う。
「そんなことない。俺には大いに興味があることだ」
怜は溜息をつく。薫に行って早目に警察を入れてもらわないと、不穏なことになりそうな気がする。
竹田はむっつりと黙り込んだまま、横目でうんざりと須川を見ながら座っていた。怜としても竹田と話したいのだが、ばあちゃんのことを含めて話すとなると須川は邪魔だ。
ばあちゃんは、ほぼ隠遁生活を送っている。親しい友人がひとりいて、その男性が代理人として、仕事を取りまとめてばあちゃんに持ち込んでいた。本人がむやみに外出することはない。
こちらから会いに行くときも用心が必要だった。強盗や誘拐が日常茶飯事の場所だ。尾行されないように細心の注意を払わなければならず、そうしょっちゅう会いに行くわけにはいかない。
そういう事情で、ばあちゃんの話題は迂闊に出せないのだ。
2人がここに泊まる気なら、なんとか夜に話せるだろうか。須川に知られないように、今夜事務室辺りで竹田と話すには、どうやって伝えればいいのか。
この男、何を言っても動じないし、周囲の敵意を楽しんでいるふうでもある。だが単に無神経なのとは違うと怜は踏んでいた。須川の目は油断ならない。常に相手の神経を逆なでし、その反応を見ることで相手の本性を見ている。そういう目だ。人は須川をトラブルメーカー、つまり無風の場所に波風を立てる者だと思うかもしれないが、実のところは、隠れたトラブルを先に暴き出して叩き潰すという、先制攻撃的な思想の持主だ。怜はそう考えていた。挑発に乗ったら終わりだ。
変なのに気に入られちゃったな。
怜は心の中で溜息をついた。
絶対に敵に回すべきではない。なのにとにかく得体が知れない。奥村は高遠の配下の中でも上の方だというが、下手すると須川の傀儡である可能性さえある。こんなに不穏な雰囲気の男を奥村がこの局面で怜のところに寄越したこと自体、胡散臭いのだ。怜を思い通りにしたいなら、もっと堅実な奴を寄越すはず。須川が来たということは、こいつが自分で決定し、奥村が従ったというのが本当のところなのではないか。
須川がいるなら、江藤さんとの交渉は気を引き締めてやらなきゃ。
江藤もそうしたパフォーマンスには乗ってくれるとは思うが、面倒なことに変わりはない。
やれやれ。薫さんに後で電話して、須川の正体を探ってもらおう。
厨房から声がかかり、怜は考えながら仕事に戻った。
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