そして悲しみは夜を穿つ

夜野綾

文字の大きさ
上 下
104 / 181

104 横浜にて(1)

しおりを挟む
 その日の夜、江藤は横浜にいた。県庁近くの自分の部屋で『政府』の仕事を終え、適当に買ってきた弁当を開いているところに、電話がきた。
「おう」
 相手は佐木だった。この間、怜を襲撃した後に話したきりだ。
「どうなった?」
『首尾は上々だ。明日の午後、怜がそっちに行く。横浜にいるか?』
「いるけど、唐突だな」
『怜が高遠の根城に乗り込んで啖呵を切った。まずはお前をダシに、中央線南の指揮権を高遠から奪うつもりだ。すまん、バタバタ決まった。怜が思っていたより早く結論を出したものだから、全員が慌ただしい』
 江藤は苦笑いをした。ついに始めたか。
「『奪うつもりだ』って言ったって、お前が焚き付けたんだろうが」
『そうなんだが、ここまで怜の頭の回転が速いとは思っていなかった。トップスピードに乗るまで、もうちょっとかかると思ったんだが……あいつ、一瞬で高遠の配下全員を掌握した』
「それはそれは……」
 佐木の予想を超えてくるとは、ずいぶんとおっかない。
『わかるか? あいつ、捨て身の攻撃で高遠の権力の基盤をひっくり返した。会合がお開きになった後、高遠の根城の外で全員がこそこそ動き出した。高遠を追い出して怜をトップに据えようと考える奴は、できるだけ味方の人数を増やそうと既に根回しを始めてる』
「嬉しそうだな」
『あぁ。楽しくてたまらん。もう少し誘導が必要かと思っていたが、怜は勝手にどんどん進めてる』
「ふ~ん。今、何してるんだ?」
『会合から出てきて、新参の派閥トップ、奥村との食事に出かけて行った。東京と神奈川との境界線の防衛について、話し合うんだとさ』
 くっそ早いな。江藤は奥村に関する情報を頭の中で検索した。あいつは確か40代後半、高遠が中央線北を掌握する前に、北の東半分を仕切っていた奴だ。そこそこ有能だったが野心家で、高遠が東京に侵入した時には真っ先に手を組んで自分のエリアを明け渡し、以来高遠の配下として勢力を伸ばしている。2年前はまだ古参に押されていたが、今は中央線南の全体を任されているはず。
 有力者たちが一瞬でトップをすげ替えて怜にしようと考えるなんて、どんな啖呵を切ったんだ?
「なるほどね。奥村も、怜を取り込んで中央線南の実効支配を高遠から取りたいわけだ」
『そういうことだな。怜の奴、さっさとひとりで行っちまった』
「寝るつもりで行ったのか?」
 その質問を佐木にするのも変な気がしたが、野次馬根性には勝てなかった。
『どうだろうな。必要とあれば平気で寝るとは思うが、木島相手のやり方を見てると、思わせぶりに焦らして帰ってくるだろ』
 佐木は自分が使っている人格を別な人間のように話す。多重人格だったんじゃねぇのと思うほど、その演技は堂に入っている。
「ずいぶん信頼してるな」
『怜はすべてを吸収して生きてきた。お前も明日会えばわかる。俺の話し方、高遠の嫌味くさい話し方だけじゃなく、お前の話し方も、あいつは覚えてる。あいつは……本当に優秀なんだ。2年前にあいつを潰したのは高遠と……俺だ』
 苦しそうな声だった。2年前に、病院でじっと天井を見つめて動かなかった佐木を思い出す。
『俺はあいつの周囲にある裏切りの気配を全部コントロールしてやっているつもりで、怜を縛っていた。守ってやると思った時点で、俺はあいつに蓋をした。今、あいつに蓋ができる奴は誰もいない。あいつは自分が思った通りに行動し始めてる。俺ができるのは、あいつが再び自分を否定しないようにお膳立てをするところまでだ。そのフィールドをあいつは自由に歩いていく』
 佐木はずっと話している。こんなふうにベラベラしゃべるのは、佐木には珍しい。
 苦しいんだろうなと江藤は思った。怜がひとりで動くことへの心配や不安と、絶対に束縛しないという決意との間で、佐木はバランスを取ろうと葛藤している。
「なぁ薫」
『なんだ』
「お前、自分が生きているって、あいつに言ってやったらどうだ?」
 一気に加速した怜も、ひたすら自分を押さえつけている薫も、このままだと、すれ違ったまま折れてしまう気がした。お前たちは、はたで見ているとお似合いなんだよ。こんなに近くにいるのに間に嘘を挟むなんて、いずれ限界がくる。
『だめだ』
 佐木は即答した。
『怜を潰したのは俺だ。あいつが自分自身を手に入れるのを見届ける。俺があいつに赦しを乞うのは……最後だ』
 お前も真面目だな。江藤は弁当に手をつけていなかったことを思い出し、蓋をしなおして電子レンジに放り込んだ。
「もうあいつは走り出したんだろう? 高遠の、あのグロテスクな王国の中を泳ぎ切るには、支えがあった方がいいんじゃないか?」
『まだだ』
 佐木は頑固に言った。
「……しょうのない奴だなお前は」
『すまん』
 やれやれ、相も変わらず世話が焼ける。これ以上言っても、佐木は聞かないだろう。
「で? お前は今何をしてる?」
『……奥村と怜が話してる店の外にいる』
「寒くないのか?」
『………………まぁ』
 江藤は笑った。結局、過保護なんじゃねぇか。
「いいからお前、帰って仕事しろよ。田嶋が怒ってたぞ、成田に顔出せって」
『明日か明後日には顔を出す』
 ぶすっとした声に、江藤は今度こそ声を出して笑った。
「風邪引くなよ。明日の午後はずっとこっちにいるって怜に言っておけ。」
『わかった……いつも世話になる』
 電話を切ってから、江藤はそういえば箸を用意していなかったのを思い出した。放り出したビニール袋から割り箸を取り出し、それをぷらぷら振る。
 俺は怜だけじゃなく、お前が心配だよ、薫。もう2年、お前はまともに休んでない。怜の前でも休めないような生活じゃ、お前自身が思っているより早く精神が折れる。
 さぁてどうするか。
 江藤は電子レンジの前で考えていた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

下剋上を始めます。これは私の復讐のお話

ハルイロ
恋愛
「ごめんね。きみとこのままではいられない。」そう言われて私は大好きな婚約者に捨てられた。  アルト子爵家の一人娘のリルメリアはその天才的な魔法の才能で幼少期から魔道具の開発に携わってきた。 彼女は優しい両親の下、様々な出会いを経て幸せな学生時代を過ごす。 しかし、行方不明だった元王女の子が見つかり、今までの生活は一変。 愛する婚約者は彼女から離れ、お姫様を選んだ。 「それなら私も貴方はいらない。」 リルメリアは圧倒的な才能と財力を駆使してこの世界の頂点「聖女」になることを決意する。 「待っていなさい。私が復讐を完遂するその日まで。」 頑張り屋の天才少女が濃いキャラ達に囲まれながら、ただひたすら上を目指すお話。   *他視点あり 二部構成です。 一部は幼少期編でほのぼのと進みます 二部は復讐編、本編です。

魔法のトランクと異世界暮らし

猫野美羽
ファンタジー
 曾祖母の遺産を相続した海堂凛々(かいどうりり)は原因不明の虚弱体質に苦しめられていることもあり、しばらくは遺産として譲り受けた別荘で療養することに。  おとぎ話に出てくる魔女の家のような可愛らしい洋館で、凛々は曾祖母からの秘密の遺産を受け取った。  それは異世界への扉の鍵と魔法のトランク。  異世界の住人だった曾祖母の血を濃く引いた彼女だけが、魔法の道具の相続人だった。  異世界、たまに日本暮らしの楽しい二拠点生活が始まる── ◆◆◆  ほのぼのスローライフなお話です。  のんびりと生活拠点を整えたり、美味しいご飯を食べたり、お金を稼いでみたり、異世界旅を楽しむ物語。 ※カクヨムでも掲載予定です。

『性』を取り戻せ!

あかのゆりこ
BL
前作「虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する」をお読み頂いた方が楽しめると思います。 前作知ってる前提で話を進める予定です。 ***あらすじ*** インキュバスである悪魔のドーヴィ、その二つ名は『愛と性の悪魔』……だった(過去形) ある日、いけ好かない天使のマルコから「おめでとうございます、二つ名が『愛と子守の悪魔』になりましたよ」ととても良い笑顔とともに告げられる。 マジかよふざけんなクソが!とキレたドーヴィは、現契約主のグレン(16歳)に手を出すことを決意。 ドーヴィは果たしてコンプライアンスに違反しない程度にグレンとエッチな事ができるのか!? ***概要*** 悪魔のドーヴィが無垢なグレン少年の体にエッチな事を教え込んでR15の範囲内で開発しちゃう感じのお話になりますたぶん。目指せ開発済み処女。 ・基本、二人のイチャラブ日常をだらだら書く感じです (スケベ度が低くてもここはR15だから泣かない) ・全編コメディですエロコメです (たまに筆が滑ったらなんか大変なことになるかもしれない) ・挿入、下半身露出等一切無し、あくまでもR15止まり (R18指摘くらったら大人しくR18いきます) ・道中何があろうと絶対にハピエンになります ・リバ、相手違い、三角関係などなしCP完全左右固定(ドーヴィ×グレン固定) (モブセクハラ風味はあるかも) 2023.12.18 すみませんんん!!R-15って言っておきながら作品自体のレーティングが全年齢向けになってました。R15に修正しました。まあまだちゅっちゅしてるだけだからセーフだよね……!

間違い転生!!〜神様の加護をたくさん貰っても それでものんびり自由に生きたい〜

舞桜
ファンタジー
 初めまして!私の名前は 沙樹崎 咲子 35歳 自営業 独身です‼︎よろしくお願いします‼︎  って、何故こんなにハイテンションかと言うとただ今絶賛大パニック中だからです!  何故こうなった…  突然 神様の手違いにより死亡扱いになってしまったオタクアラサー女子、 手違いのお詫びにと色々な加護とチートスキルを貰って異世界に転生することに、 だが転生した先でまたもや神様の手違いが‼︎  転生したオタクアラサー女子は意外と物知りで有能?  そして死亡する原因には不可解な点が…  様々な思惑と神様達のやらかしで異世界ライフを楽しく過ごす主人公、 目指すは“のんびり自由な冒険者ライフ‼︎“  そんな主人公は無自覚に色々やらかすお茶目さん♪ *神様達は間違いをちょいちょいやらかします。これから咲子はどうなるのかのんびりできるといいね!(希望的観測っw) *投稿周期は基本的には不定期です、3日に1度を目安にやりたいと思いますので生暖かく見守って下さい *この作品は“小説家になろう“にも掲載しています

愛人の子を寵愛する旦那様へ、多分その子貴方の子どもじゃありません。

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵家の令嬢だったシアには結婚して七年目になる夫がいる。 夫との間には娘が一人おり、傍から見れば幸せな家庭のように思えた。 が、しかし。 実際には彼女の夫である公爵は元メイドである愛人宅から帰らずシアを蔑ろにしていた。 彼女が頼れるのは実家と公爵邸にいる優しい使用人たちだけ。 ずっと耐えてきたシアだったが、ある日夫に娘の悪口を言われたことでとうとう堪忍袋の緒が切れて……! ついに虐げられたお飾りの妻による復讐が始まる―― 夫に報復をするために動く最中、愛人のまさかの事実が次々と判明して…!?

公爵家御令嬢に転生?転生先の努力が報われる世界で可愛いもののために本気出します「えっ?私悪役令嬢なんですか?」

へたまろ
ファンタジー
ここは、とある恋愛ゲームの舞台……かもしれない場所。 主人公は、まったく情報を持たない前世の知識を持っただけの女性。 王子様との婚約、学園での青春、多くの苦難の末に……婚約破棄されて修道院に送られる女の子に転生したただの女性。 修道院に送られる途中で闇に屠られる、可哀そうな……やってたことを考えればさほど可哀そうでも……いや、罰が重すぎる程度の悪役令嬢に転生。 しかし、この女性はそういった予備知識を全く持ってなかった。 だから、そんな筋書きは全く関係なし。 レベルもスキルも魔法もある世界に転生したからにはやることは、一つ! やれば結果が数字や能力で確実に出せる世界。 そんな世界に生まれ変わったら? レベル上げ、やらいでか! 持って生まれたスキル? 全言語理解と、鑑定のみですが? 三種の神器? 初心者パック? 肝心の、空間収納が無いなんて……無いなら、努力でどうにかしてやろうじゃないか! そう、その女性は恋愛ゲームより、王道派ファンタジー。 転生恋愛小説よりも、やりこみチートラノベの愛読者だった! 子供達大好き、みんな友達精神で周りを巻き込むお転婆お嬢様がここに爆誕。 この国の王子の婚約者で、悪役令嬢……らしい? かもしれない? 周囲の反応をよそに、今日もお嬢様は好き勝手やらかす。 周囲を混乱を巻き起こすお嬢様は、平穏無事に王妃になれるのか! 死亡フラグを回避できるのか! そんなの関係ない! 私は、私の道を行く! 王子に恋しない悪役令嬢は、可愛いものを愛でつつやりたいことをする。 コメディエンヌな彼女の、生涯を綴った物語です。

【R18】不貞腐れていたら筋肉質の歳下男子を捕まえました

山田 ぽち太郎
恋愛
何もかもが上手くいかず、不貞腐れて飲めないお酒を大量に飲んで帰った翌日。 待って…隣に知らない子が居るんですけど!? え?貴方いくつ?は?22歳?? 3●歳の私には荷が重いです!!?? けどね、だけどさ、久々の体温、体臭に抗えない… 私の大好きな筋肉男子だし、何より顔が良い。 王子様みたいにリードしてくれるし、でろでろに甘やかしてくれるし まぁ、時々なんか魔王が降臨するけれど…。 それになかなか執着(?)されてるみたいだけど…。 もう恋愛はこりごりだから、暫くこの関係に甘えていよう。 向こうも私のことセフレ程度にしか思ってないだろうし。 ……から始まるお付き合い。 最初はなにも考えずエッチな話書こうと始めた話ですが、ダラダラ書き続けるうちに色々長くなりました。 初めの頃と文体とか色々違っていると思います。 それも含めて楽しめる方向け。 分かりにくい表現あると思いますが、素人なりに書きたいことを込めました。 ※ちょいちょい濡れ場あります。 濡れ場のある時はタイトルに★をつけます。 ライトな濡れ場のタイトルには☆をつけます。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...