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97 蒲田にて(23)
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木島のホテルは、いつもと変わらなかった。暗闇の中に心細い灯りを投げかけながら、汚れた建物は静かにたたずんでいる。木島はエレベーターに自分で鍵を差して動かし、2人は黙ったまま8階へ上がった。
廊下を進み805号室へ来ると、木島が鍵を差し込む。ドアノブには防犯性の高い鍵が2つついていた。木島は手慣れた仕草でそれらを開錠すると、ドアの上に手を伸ばして紙片を取った。
「……オレに見せていいの?」
「お前は忍び込んだりする動機がないんじゃないか?」
「まぁ……そうか」
力なく笑う。
部屋に入ると、木島はエアコンの温度を上げた。
「どうする? 風呂に入った方がいいと思うが」
「……入ります」
まただ。最初に来た時と同じように、木島はバスルームへ入っていき、怜のために準備をしてくれる。
細やかな人だ。考えてみれば、この人は暇さえあれば仕事をしている。海に行く前も、意識のない怜を傍らに眠らせその頬を撫でながら、この人はベッドの上で書類を読んでいた。
『政府』の人間は利害関係だけで動き、物資を独占して贅沢な生活をしているだけで、東京の復興になんか興味ない。
それが怜たち、東京の人間のイメージだった。でも実際に木島の様子を見ていると、とても真面目だ。バスルームから出てくると、木島はクローゼットから怜のためにスエットの上下と下着を出し、畳んだバスタオルとフェイスタオルを出し、ベッドの縁にきっちり並べている。それが終わると執務デスクへ行き、ノートパソコンをチェックしている。
「あの」
「どうした?」
低く穏やかな声。
「あなたは、お風呂に入らないんですか?」
木島が顔を上げた。
「君の後で、気が向いたら使う。まず君の冷え切った体を温めた方がいい」
「でも、あなたはずっとオレの話を聞いてた。あなたの方が冷えてるんじゃ」
柔らかい微笑み。
「気遣いは嬉しいが、私は少し仕事のメールをチェックしたい。のんびり入ってくるといい」
そう言われてしまうと、何も言えない。お湯が入るまでの間どうすればいいのかもわからず、怜は途方に暮れて突っ立っていた。木島はすばやくノートパソコンを操作するとパタンと閉じ、怜の方へ戻ってきた。
「すまない。色々とやることが多くて」
「いえ……あの……」
ダイニングテーブルの椅子を引かれ、怜はおずおずと座る。木島はバスルームの様子を見てから、怜の隣に座った。
「仕事、たくさんあるんですか?」
「そうだな。君が考えているよりは多いかもしれない。ほったらかしで申し訳ない。……恋人のように振る舞ってほしいか?」
「いえ!」
思ったより強い口調になってしまい、怜は焦って木島の目を伺った。想像していたのとは違う視線とぶつかる。からかうような目だった。
「こ、恋人とかじゃない」
「そうだな。だが君が部屋にいるのに仕事をするのは礼儀に反する。悪かった」
そうじゃない。オレが言いたいのは、この人が本当は自分にかまっている時間なんかないほど仕事に追われているのに、自分のために無理に時間を作っているような感じがする、ということだ。
でもそれを口に出すと、それこそ変な感じがする。まるで、なんていうか、その……。
「オレが言いたいのは、仕事が忙しいなら、別にオレのことは放っておいていいんじゃないかって」
頬に血が上る。この言い方も変だ。自分が拗ねているみたいだ。
木島が苦笑しながら手を伸ばし、気遣うように怜の唇に触れた。
「すまなかった。君を放っておきたくはないんだ。気をつけるよ」
そうじゃない。そうじゃなくて。
「だってオレと会うのも、その、仕事のためだって……言いましたよね?」
「そういえばそうだな。あのチンケな独裁者気取りの男を排除しないと、私の仕事が滞る。君は手伝ってくれることにしたのか?」
「……なんか話が変わってませんか?」
「そうか?」
会話を楽しむように、木島は笑った。指先はずっと怜の唇にとどまっている。柔らかい膨らみをなぞり、軽く押す。
こ、これ……どうするべきなんだ?
木島が不意に身を起こした。顔が近づく。キス、される。
肩透かしだった。木島は立ち上がり、バスルームへ行ってしまった。
「風呂の準備ができた。ゆっくり温まっておいで」
今の、何だったんだろう?
腑に落ちない感覚のまま、押し込まれるようにして怜はバスルームに向かった。
廊下を進み805号室へ来ると、木島が鍵を差し込む。ドアノブには防犯性の高い鍵が2つついていた。木島は手慣れた仕草でそれらを開錠すると、ドアの上に手を伸ばして紙片を取った。
「……オレに見せていいの?」
「お前は忍び込んだりする動機がないんじゃないか?」
「まぁ……そうか」
力なく笑う。
部屋に入ると、木島はエアコンの温度を上げた。
「どうする? 風呂に入った方がいいと思うが」
「……入ります」
まただ。最初に来た時と同じように、木島はバスルームへ入っていき、怜のために準備をしてくれる。
細やかな人だ。考えてみれば、この人は暇さえあれば仕事をしている。海に行く前も、意識のない怜を傍らに眠らせその頬を撫でながら、この人はベッドの上で書類を読んでいた。
『政府』の人間は利害関係だけで動き、物資を独占して贅沢な生活をしているだけで、東京の復興になんか興味ない。
それが怜たち、東京の人間のイメージだった。でも実際に木島の様子を見ていると、とても真面目だ。バスルームから出てくると、木島はクローゼットから怜のためにスエットの上下と下着を出し、畳んだバスタオルとフェイスタオルを出し、ベッドの縁にきっちり並べている。それが終わると執務デスクへ行き、ノートパソコンをチェックしている。
「あの」
「どうした?」
低く穏やかな声。
「あなたは、お風呂に入らないんですか?」
木島が顔を上げた。
「君の後で、気が向いたら使う。まず君の冷え切った体を温めた方がいい」
「でも、あなたはずっとオレの話を聞いてた。あなたの方が冷えてるんじゃ」
柔らかい微笑み。
「気遣いは嬉しいが、私は少し仕事のメールをチェックしたい。のんびり入ってくるといい」
そう言われてしまうと、何も言えない。お湯が入るまでの間どうすればいいのかもわからず、怜は途方に暮れて突っ立っていた。木島はすばやくノートパソコンを操作するとパタンと閉じ、怜の方へ戻ってきた。
「すまない。色々とやることが多くて」
「いえ……あの……」
ダイニングテーブルの椅子を引かれ、怜はおずおずと座る。木島はバスルームの様子を見てから、怜の隣に座った。
「仕事、たくさんあるんですか?」
「そうだな。君が考えているよりは多いかもしれない。ほったらかしで申し訳ない。……恋人のように振る舞ってほしいか?」
「いえ!」
思ったより強い口調になってしまい、怜は焦って木島の目を伺った。想像していたのとは違う視線とぶつかる。からかうような目だった。
「こ、恋人とかじゃない」
「そうだな。だが君が部屋にいるのに仕事をするのは礼儀に反する。悪かった」
そうじゃない。オレが言いたいのは、この人が本当は自分にかまっている時間なんかないほど仕事に追われているのに、自分のために無理に時間を作っているような感じがする、ということだ。
でもそれを口に出すと、それこそ変な感じがする。まるで、なんていうか、その……。
「オレが言いたいのは、仕事が忙しいなら、別にオレのことは放っておいていいんじゃないかって」
頬に血が上る。この言い方も変だ。自分が拗ねているみたいだ。
木島が苦笑しながら手を伸ばし、気遣うように怜の唇に触れた。
「すまなかった。君を放っておきたくはないんだ。気をつけるよ」
そうじゃない。そうじゃなくて。
「だってオレと会うのも、その、仕事のためだって……言いましたよね?」
「そういえばそうだな。あのチンケな独裁者気取りの男を排除しないと、私の仕事が滞る。君は手伝ってくれることにしたのか?」
「……なんか話が変わってませんか?」
「そうか?」
会話を楽しむように、木島は笑った。指先はずっと怜の唇にとどまっている。柔らかい膨らみをなぞり、軽く押す。
こ、これ……どうするべきなんだ?
木島が不意に身を起こした。顔が近づく。キス、される。
肩透かしだった。木島は立ち上がり、バスルームへ行ってしまった。
「風呂の準備ができた。ゆっくり温まっておいで」
今の、何だったんだろう?
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