94 / 181
94 【2年前】(71)
しおりを挟む
広いロビーを抜けようとして、レンはぎくりとした。
空間の暗い隅で人の気配がする。
そいつは闇から足を踏み出し、ゆっくりと正面ガラス扉の前へ移動した。浮かび上がるシルエットに、レンは立ちすくんだ。
父親が、立ちふさがるようにレンを見つめていた。
「どう……して」
タカトオは肩をすくめた。
「本丸に大将と宝が揃っているのに、なぜ敢えて別な方へ行く? 最初から、私はまっすぐにここへ来た。それだけだ」
涼しい顔で肩をすくめると、タカトオは手を出した。
「お前がその手に持っているのは統括ペンダントだろう? ……お前は本当にちっぽけだ。サキの思惑を読み切れないとは」
ペンダントを握りしめ、レンはタカトオを睨んだ。唇が勝手に震える。奴の言葉を聞くな。サキに言われたのを思い出したのに、レンはタカトオに聞かずにいられなかった。自分が何をしくじったのか、確認せずにいられなかった。
「思惑……って」
「薫は江藤と組み、自分の人望だけで南を統制していた。統括ペンダントなど、ただの象徴だ。ペンダントは所詮マスクを売るための許可証。もし他の者が持てば、そいつには勝手にマスクを売らせておく。実質的な支配を争った時に自分は勝てるという自信こそが、あの男の王としての権威を支えているのだ。しかも、もしペンダントが焼けても奴は『政府』にコネがある。再発行するよう働きかければいい。だから奴にペンダントは必要ない。ただひとり、私にそのペンダントが渡らなければ、奴はそれで『勝ち』なのだ。そんなことにも考えが至らないとは、本当に無能だな」
レンはペンダントを持った拳を自分の心臓に押しあてた。自分は……宿命的な裏切り者だ。必死で考えた結果がこれか? 手が震えていた。目の前にいる男がねっとりと笑いながら一歩踏み出す。思わず下がる。炎が建物を喰らう音が聞こえている。空気が熱い。吹き抜けの高い天井を炎が走り、剥がれたものが赤くパラパラと落ちてきている。
「『ボヘミアの醜聞』だよ。わざと火をつければ、お前は焦る。薫の役に立っていないという惨めな気分に駆られたお前は、私にペンダントの在り処を教えてくれるだろう。そう踏んだのは正解だった。見事に踊ったな。怜」
美しい顔がレンを見つめていた。偽りの愛情で微笑む男。猫撫で声で怜を蔑み、裏切りへの道を用意していた男。
呆然と立ち尽くすレンに、タカトオは近づいた。
「渡せ。それは私が持ってこそ意味がある」
レンは無言のままペンダントを握りしめ、身を翻した。これをタカトオに渡すわけにはいかない。失敗したなら、せめて火に投げ込め!
無情な腕が伸び、一瞬でレンは拘束された。片手で容赦なく首が絞められる。もう片方の手がレンの拳に爪を立てた。
「ペンダントを寄こせ」
殺される。ここで、こいつに。レンはめちゃくちゃに暴れた。殺されるのは別にいい。ペンダントだけは火に投げ込んでやる。
突然、ガラス扉の向こうに気配が現れた。はっとそちらを見る。憤怒の形相でサキがグロックを構えていた。
「どけ!」
サキは真っすぐにレンを見ている。ガラス越しに口の動きを読み、咄嗟に倒れこんだ瞬間、サキはタカトオに向かってグロックを撃った。
強化ガラスのドアが微塵に砕けた。ガラスと銃弾がタカトオに降りかかる。転がって逃れるタカトオに、サキが飛びかかる。タカトオが蹴りを出した。グロックが吹っ飛ぶと同時にサキがタカトオの腹に飛び込む。
2人はもつれあったまま、ガツガツと殴り合った。
よろめきながら、レンはグロックを拾いに走った。これを薫さんに返さなきゃ。返さなきゃ!
振り向くと、タカトオはサキの顔面に拳を叩きこむところだった。サキは腕でそれをかわし、タカトオの腹を思い切り蹴った。タカトオの体が飛ぶ。入口そばの壁に激突し、タカトオはずるりと床に倒れ込んだ。
「薫さん!」
「怜、すぐ逃げろ。火が回る」
「オレ、ごめ……なさい」
「いいから逃げろ。俺にかまうな」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。逃げろ」
サキはじっとタカトオを睨んでいる。全身に緊張がみなぎり、タカトオの次の動きを伺っている。
タカトオの口がにぃぃと動いた。
「怜。わかっただろう?」
囁くような声。
「黙れ!」
サキの怒鳴り声が響く。公立マーケットに面した一階の壁から白い煙がもうもうと出ていた。もう広い正面玄関ロビーだけが残っている状態だ。タカトオが視線を上げ、サキとレンを見る。
「お前たち2人に真実を教えてやろうか」
「もう知ってる。お前は俺と怜とを引き合わせることで、この状況を作り出そうと罠を張った」
サキの言葉を、タカトオはせせら笑った。
「知っていて乗ったのか。それほどお前も怜に惹かれたか。……最初に怜を『政府』に売りつけた時、私は気付いた。怜は、ある種の男たちを強烈に惹きつける性質を持っている。『政府』の男はいとも簡単にペンダントを寄こし、怜の機嫌を取り始めた。その理由を私はしばらく考えた。そして思い至った。
この東京で、お前はどういうわけか、反吐が出るほど能天気で純粋なままだったのだ。私はその性質を潰すのではなく、それを利用して薫……お前を潰す計画を立てた。実験のために、ごほっ、さいたまに怜を送りこむと、その成果は見事なものだった。誰もが怜に触れたがる。惹きつけられ、守ろうと動く。素直で無垢な魂に、男どもはいとも簡単にひれ伏した。
そして薫。お前には弟がいた。無垢で守るべき存在。それを失ったお前は、弟のような存在に強烈な庇護欲を抱く」
「陽哉と怜は違う!」
「はっ、たとえ自分で否定しても無駄だ。お前は怜を翼の中に包み、私から守ろうと考えた。それを期待して、私はお前の元に、何も指示しないまま怜を放り込んだ。案の定、お前たちは情を交わした。最初から、お前たちは私の手の平の上で踊っていた。……若いお前たちは、私が敷いたシーツの上でセックスをしていたんだ」
もう息をするのが難しい。サキが「ゲス野郎……」と呟いた。
タカトオは壁に背中をつけたまま、ずるずると立ち上がった。
「怜。こいつはお前を愛してるわけじゃない。弟のように守ろうとしているだけだ。この一件が終われば、こいつは東京の王として君臨する。薫の宿敵の息子であるお前は、役立たずのちっぽけな……こいつの死んだ弟以下の存在として、放り出されるだろう」
サキの目が動いた。
「怜、こいつの言葉を聞くな!」
恐ろしい目だった。その目に、レンは怯えた。無意識にペンダントを握りしめ、心臓に当てる。
「ごめ……なさい」
「謝らなくていい。怜、終わったらきちんと話し合おう」
タカトオがせせら笑う。
「怜。薫を見ろ。こいつは東京を手に入れれば『政府』をも支配下に入れる。話しただろう? こいつがいかに優秀か。お前もこいつの手腕を見たはずだ。お前とはケタ違いの能力を。この国の未来さえ左右するほどの男が、お前のために話し合う? 冗談にしか聞こえないな」
「黙れ!」
サキがタカトオの方へ振り向き、詰め寄った。タカトオの首に手をかけ、その目を睨む。
「黙れ。お前ごときが、俺と怜の間に入ることは許さない」
「ごほっ、キューピッドに向かって、……何て口をきく。怜の『味』はどうだった? とろけるようなセックスだったか? 何発出した?」
獣のような唸り声を上げて、サキはタカトオを再び床に叩きつけた。タカトオが待ちかまえていたように腰からナイフを抜き、サキの肩に突き立てる。それを一切払いもせず、サキはタカトオの顔をぶん殴った。
ゴツ、という、頬骨の折れる嫌な音。
タカトオは不気味な笑みを浮かべたまま、床に転がって動かなくなった。気絶したらしい。
「怜。とりあえず逃げよう。歩けるか」
返事ができなかった。レンはガタガタ震えながら、サキを見つめる。
「……け、決着がついたら、薫さんは」
「今は決着なんて考えずに外に出るんだ。な? ここは危険だ」
タカトオの囁き声がする。
(ほぅら……お前が言うことを聞かなければ……そいつは説得にかかるぞ)
「怜。俺の目を見ろ。奴の言葉に惑わされるな」
至るところで轟轟と炎が渦を巻く音がする。熱くて、息ができなくて、すべてを圧倒する恐怖が喉を締め上げている。
「か、かおるさ……」
(お前の無能さときたらどうだ? 何も知らないまま、お前は自分が惚れた相手を危険にさらす間抜けだ)
「な? 怜。ほら銃を寄こせ」
(撃ってみろ。銃を構えれば、そいつの目に真実が見える)
グラグラする頭で、レンはグロックを構えた。サキの目が見開かれる。
(さぁ、そいつはどんな目をしている? 次にはきっと言うぞ。お前を愛していると。その場限りの演技と嘘は天才的に上手い男だ。お前を言いくるめるぐらい簡単なんだよ)
「怜。怜。お前のその、天性の素直さは誰も持っていないものだ。お前じゃなきゃだめなんだ。怜。お前自身の価値を信じろ。俺もお前も、人はみんな同じ価値を持ってる。奴の言葉を聞くな。愛してる。だから奴の言葉に耳を傾けるな!」
必死の訴えに、レンは目をぎゅっとつぶった。タカトオの囁きが甘く耳元に響く。
(ほら言っただろう? 次は言うぞ。利用した私が悪いんだと)
「怜。お前がこの東京で善良なままいることこそ、俺には一番大事なことだ。悪いのは利用した高遠、お前の父親なんだ。だから」
グロックを構えたまま、レンはついに耐えられなくなった。悲鳴のような声が口からほとばしる。
「うるさい。うるさいうるさいうるさい! 違う。オレは、オレは!」
誰の声が何を言っている? 誰の声を聞けばいい。何を考えて、誰に何をすればいい?!
「怜。俺を見ろ、怜!」
(撃ってみろ。真実は命を賭けることでしか手に入らない)
ドォン!という爆発音と共に、マーケットの壁が崩れ落ちた。猛烈な炎が一気に襲い掛かってくる。
炎の真ん中で、レンは凍ったように動けなかった。爆発音と同時に、レン自身が暴発したのだ。グロックの先から細い煙が上がっていた。
「怜……」
痛みと、絶望と、どこまでも深くレンをえぐる哀しみの色を湛えて、サキはレンを見ていた。その胸に赤い色が広がっていく。がくりと膝をついたサキが、ゆっくりと手を伸ばす。最後までレンを求めた手は、やがてぱたりと落ち、そして──サキの体は床に沈んだ。
紅蓮の炎の中で、レンは銃を構えたまま、ただ、立っていた。
タカトオが近づいてくる。レンの手の下で揺れているペンダントを引きちぎり、歪んだ顔で嘲ると、タカトオはレンの肩をぽんと叩いた。
「お前は本当に、私の息子にふさわしい……愚かな子供だ」
ぼんやりと入口を見る。タカトオの気の抜けたような背中が、ガラスのなくなったドアを踏み越え黒い夜に消えた。
それを追うように、レンはふらふらと彷徨い出た。何ひとつ聞こえなかった。何も見えなかった。優しい囁きも、愛おしげに自分を見つめる瞳も。
知恵の城はレンを締め出し、闇の底にレンを放り出したまま焼け落ちた。
空間の暗い隅で人の気配がする。
そいつは闇から足を踏み出し、ゆっくりと正面ガラス扉の前へ移動した。浮かび上がるシルエットに、レンは立ちすくんだ。
父親が、立ちふさがるようにレンを見つめていた。
「どう……して」
タカトオは肩をすくめた。
「本丸に大将と宝が揃っているのに、なぜ敢えて別な方へ行く? 最初から、私はまっすぐにここへ来た。それだけだ」
涼しい顔で肩をすくめると、タカトオは手を出した。
「お前がその手に持っているのは統括ペンダントだろう? ……お前は本当にちっぽけだ。サキの思惑を読み切れないとは」
ペンダントを握りしめ、レンはタカトオを睨んだ。唇が勝手に震える。奴の言葉を聞くな。サキに言われたのを思い出したのに、レンはタカトオに聞かずにいられなかった。自分が何をしくじったのか、確認せずにいられなかった。
「思惑……って」
「薫は江藤と組み、自分の人望だけで南を統制していた。統括ペンダントなど、ただの象徴だ。ペンダントは所詮マスクを売るための許可証。もし他の者が持てば、そいつには勝手にマスクを売らせておく。実質的な支配を争った時に自分は勝てるという自信こそが、あの男の王としての権威を支えているのだ。しかも、もしペンダントが焼けても奴は『政府』にコネがある。再発行するよう働きかければいい。だから奴にペンダントは必要ない。ただひとり、私にそのペンダントが渡らなければ、奴はそれで『勝ち』なのだ。そんなことにも考えが至らないとは、本当に無能だな」
レンはペンダントを持った拳を自分の心臓に押しあてた。自分は……宿命的な裏切り者だ。必死で考えた結果がこれか? 手が震えていた。目の前にいる男がねっとりと笑いながら一歩踏み出す。思わず下がる。炎が建物を喰らう音が聞こえている。空気が熱い。吹き抜けの高い天井を炎が走り、剥がれたものが赤くパラパラと落ちてきている。
「『ボヘミアの醜聞』だよ。わざと火をつければ、お前は焦る。薫の役に立っていないという惨めな気分に駆られたお前は、私にペンダントの在り処を教えてくれるだろう。そう踏んだのは正解だった。見事に踊ったな。怜」
美しい顔がレンを見つめていた。偽りの愛情で微笑む男。猫撫で声で怜を蔑み、裏切りへの道を用意していた男。
呆然と立ち尽くすレンに、タカトオは近づいた。
「渡せ。それは私が持ってこそ意味がある」
レンは無言のままペンダントを握りしめ、身を翻した。これをタカトオに渡すわけにはいかない。失敗したなら、せめて火に投げ込め!
無情な腕が伸び、一瞬でレンは拘束された。片手で容赦なく首が絞められる。もう片方の手がレンの拳に爪を立てた。
「ペンダントを寄こせ」
殺される。ここで、こいつに。レンはめちゃくちゃに暴れた。殺されるのは別にいい。ペンダントだけは火に投げ込んでやる。
突然、ガラス扉の向こうに気配が現れた。はっとそちらを見る。憤怒の形相でサキがグロックを構えていた。
「どけ!」
サキは真っすぐにレンを見ている。ガラス越しに口の動きを読み、咄嗟に倒れこんだ瞬間、サキはタカトオに向かってグロックを撃った。
強化ガラスのドアが微塵に砕けた。ガラスと銃弾がタカトオに降りかかる。転がって逃れるタカトオに、サキが飛びかかる。タカトオが蹴りを出した。グロックが吹っ飛ぶと同時にサキがタカトオの腹に飛び込む。
2人はもつれあったまま、ガツガツと殴り合った。
よろめきながら、レンはグロックを拾いに走った。これを薫さんに返さなきゃ。返さなきゃ!
振り向くと、タカトオはサキの顔面に拳を叩きこむところだった。サキは腕でそれをかわし、タカトオの腹を思い切り蹴った。タカトオの体が飛ぶ。入口そばの壁に激突し、タカトオはずるりと床に倒れ込んだ。
「薫さん!」
「怜、すぐ逃げろ。火が回る」
「オレ、ごめ……なさい」
「いいから逃げろ。俺にかまうな」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。逃げろ」
サキはじっとタカトオを睨んでいる。全身に緊張がみなぎり、タカトオの次の動きを伺っている。
タカトオの口がにぃぃと動いた。
「怜。わかっただろう?」
囁くような声。
「黙れ!」
サキの怒鳴り声が響く。公立マーケットに面した一階の壁から白い煙がもうもうと出ていた。もう広い正面玄関ロビーだけが残っている状態だ。タカトオが視線を上げ、サキとレンを見る。
「お前たち2人に真実を教えてやろうか」
「もう知ってる。お前は俺と怜とを引き合わせることで、この状況を作り出そうと罠を張った」
サキの言葉を、タカトオはせせら笑った。
「知っていて乗ったのか。それほどお前も怜に惹かれたか。……最初に怜を『政府』に売りつけた時、私は気付いた。怜は、ある種の男たちを強烈に惹きつける性質を持っている。『政府』の男はいとも簡単にペンダントを寄こし、怜の機嫌を取り始めた。その理由を私はしばらく考えた。そして思い至った。
この東京で、お前はどういうわけか、反吐が出るほど能天気で純粋なままだったのだ。私はその性質を潰すのではなく、それを利用して薫……お前を潰す計画を立てた。実験のために、ごほっ、さいたまに怜を送りこむと、その成果は見事なものだった。誰もが怜に触れたがる。惹きつけられ、守ろうと動く。素直で無垢な魂に、男どもはいとも簡単にひれ伏した。
そして薫。お前には弟がいた。無垢で守るべき存在。それを失ったお前は、弟のような存在に強烈な庇護欲を抱く」
「陽哉と怜は違う!」
「はっ、たとえ自分で否定しても無駄だ。お前は怜を翼の中に包み、私から守ろうと考えた。それを期待して、私はお前の元に、何も指示しないまま怜を放り込んだ。案の定、お前たちは情を交わした。最初から、お前たちは私の手の平の上で踊っていた。……若いお前たちは、私が敷いたシーツの上でセックスをしていたんだ」
もう息をするのが難しい。サキが「ゲス野郎……」と呟いた。
タカトオは壁に背中をつけたまま、ずるずると立ち上がった。
「怜。こいつはお前を愛してるわけじゃない。弟のように守ろうとしているだけだ。この一件が終われば、こいつは東京の王として君臨する。薫の宿敵の息子であるお前は、役立たずのちっぽけな……こいつの死んだ弟以下の存在として、放り出されるだろう」
サキの目が動いた。
「怜、こいつの言葉を聞くな!」
恐ろしい目だった。その目に、レンは怯えた。無意識にペンダントを握りしめ、心臓に当てる。
「ごめ……なさい」
「謝らなくていい。怜、終わったらきちんと話し合おう」
タカトオがせせら笑う。
「怜。薫を見ろ。こいつは東京を手に入れれば『政府』をも支配下に入れる。話しただろう? こいつがいかに優秀か。お前もこいつの手腕を見たはずだ。お前とはケタ違いの能力を。この国の未来さえ左右するほどの男が、お前のために話し合う? 冗談にしか聞こえないな」
「黙れ!」
サキがタカトオの方へ振り向き、詰め寄った。タカトオの首に手をかけ、その目を睨む。
「黙れ。お前ごときが、俺と怜の間に入ることは許さない」
「ごほっ、キューピッドに向かって、……何て口をきく。怜の『味』はどうだった? とろけるようなセックスだったか? 何発出した?」
獣のような唸り声を上げて、サキはタカトオを再び床に叩きつけた。タカトオが待ちかまえていたように腰からナイフを抜き、サキの肩に突き立てる。それを一切払いもせず、サキはタカトオの顔をぶん殴った。
ゴツ、という、頬骨の折れる嫌な音。
タカトオは不気味な笑みを浮かべたまま、床に転がって動かなくなった。気絶したらしい。
「怜。とりあえず逃げよう。歩けるか」
返事ができなかった。レンはガタガタ震えながら、サキを見つめる。
「……け、決着がついたら、薫さんは」
「今は決着なんて考えずに外に出るんだ。な? ここは危険だ」
タカトオの囁き声がする。
(ほぅら……お前が言うことを聞かなければ……そいつは説得にかかるぞ)
「怜。俺の目を見ろ。奴の言葉に惑わされるな」
至るところで轟轟と炎が渦を巻く音がする。熱くて、息ができなくて、すべてを圧倒する恐怖が喉を締め上げている。
「か、かおるさ……」
(お前の無能さときたらどうだ? 何も知らないまま、お前は自分が惚れた相手を危険にさらす間抜けだ)
「な? 怜。ほら銃を寄こせ」
(撃ってみろ。銃を構えれば、そいつの目に真実が見える)
グラグラする頭で、レンはグロックを構えた。サキの目が見開かれる。
(さぁ、そいつはどんな目をしている? 次にはきっと言うぞ。お前を愛していると。その場限りの演技と嘘は天才的に上手い男だ。お前を言いくるめるぐらい簡単なんだよ)
「怜。怜。お前のその、天性の素直さは誰も持っていないものだ。お前じゃなきゃだめなんだ。怜。お前自身の価値を信じろ。俺もお前も、人はみんな同じ価値を持ってる。奴の言葉を聞くな。愛してる。だから奴の言葉に耳を傾けるな!」
必死の訴えに、レンは目をぎゅっとつぶった。タカトオの囁きが甘く耳元に響く。
(ほら言っただろう? 次は言うぞ。利用した私が悪いんだと)
「怜。お前がこの東京で善良なままいることこそ、俺には一番大事なことだ。悪いのは利用した高遠、お前の父親なんだ。だから」
グロックを構えたまま、レンはついに耐えられなくなった。悲鳴のような声が口からほとばしる。
「うるさい。うるさいうるさいうるさい! 違う。オレは、オレは!」
誰の声が何を言っている? 誰の声を聞けばいい。何を考えて、誰に何をすればいい?!
「怜。俺を見ろ、怜!」
(撃ってみろ。真実は命を賭けることでしか手に入らない)
ドォン!という爆発音と共に、マーケットの壁が崩れ落ちた。猛烈な炎が一気に襲い掛かってくる。
炎の真ん中で、レンは凍ったように動けなかった。爆発音と同時に、レン自身が暴発したのだ。グロックの先から細い煙が上がっていた。
「怜……」
痛みと、絶望と、どこまでも深くレンをえぐる哀しみの色を湛えて、サキはレンを見ていた。その胸に赤い色が広がっていく。がくりと膝をついたサキが、ゆっくりと手を伸ばす。最後までレンを求めた手は、やがてぱたりと落ち、そして──サキの体は床に沈んだ。
紅蓮の炎の中で、レンは銃を構えたまま、ただ、立っていた。
タカトオが近づいてくる。レンの手の下で揺れているペンダントを引きちぎり、歪んだ顔で嘲ると、タカトオはレンの肩をぽんと叩いた。
「お前は本当に、私の息子にふさわしい……愚かな子供だ」
ぼんやりと入口を見る。タカトオの気の抜けたような背中が、ガラスのなくなったドアを踏み越え黒い夜に消えた。
それを追うように、レンはふらふらと彷徨い出た。何ひとつ聞こえなかった。何も見えなかった。優しい囁きも、愛おしげに自分を見つめる瞳も。
知恵の城はレンを締め出し、闇の底にレンを放り出したまま焼け落ちた。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
首輪 〜性奴隷 律の調教〜
M
BL
※エロ、グロ、スカトロ、ショタ、モロ語、暴力的なセックス、たまに嘔吐など、かなりフェティッシュな内容です。
R18です。
ほとんどの話に男性同士の過激な性表現・暴力表現が含まれますのでご注意下さい。
孤児だった律は飯塚という資産家に拾われた。
幼い子供にしか興味を示さない飯塚は、律が美しい青年に成長するにつれて愛情を失い、性奴隷として調教し客に奉仕させて金儲けの道具として使い続ける。
それでも飯塚への一途な想いを捨てられずにいた律だったが、とうとう新しい飼い主に売り渡す日を告げられてしまう。
新しい飼い主として律の前に現れたのは、桐山という男だった。
三限目の国語
理科準備室
BL
昭和の4年生の男の子の「ぼく」は学校で授業中にうんこしたくなります。学校の授業中にこれまで入学以来これまで無事に家までガマンできたのですが、今回ばかりはまだ4限目の国語の授業で、給食もあるのでもう家までガマンできそうもなく、「ぼく」は授業をこっそり抜け出して初めての学校のトイレでうんこすることを決意します。でも初めての学校でのうんこは不安がいっぱい・・・それを一つ一つ乗り越えていてうんこするまでの姿を描いていきます。「けしごむ」さんからいただいたイラスト入り。
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
くまさんのマッサージ♡
はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。
2024.03.06
閲覧、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。
2024.03.10
完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m
今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。
2024.03.19
https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy
イベントページになります。
25日0時より開始です!
※補足
サークルスペースが確定いたしました。
一次創作2: え5
にて出展させていただいてます!
2024.10.28
11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。
2024.11.01
https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2
本日22時より、イベントが開催されます。
よろしければ遊びに来てください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる