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『状況は?』
「怪我人が2人出た。輸送チーム回せ、今座標を送る!」
ネットの通話回線に、エトウは怒鳴った。大声を出さないと、銃撃の音で自分の声がかき消される。フィルターマスク越しでも硝煙の臭いは鼻に入りこんできている。さっきのロケットランチャーのおかげで視界は最悪で、さらに言えば、もうちょっと性能のいいハンズフリーデバイスを調達しておくべきだった。難聴にはなっていないが、連絡してくる声が聞きにくい。
耳元を銃弾が掠めると同時にエトウは突っ走り、がれきに手をついて飛び越えた。一階の壁が壊れているビルに走り込む。そこでは自分の部下たちが壁や柱の後ろに身をひそめ、外の弾幕が途切れるのを待っている。
「タブレット寄越せ」
部下が突き出すタブレットには、もうマップが表示されている。手袋を外して現在位置にマーカーを付けると、エトウは素早く輸送チームに送信した。
「何分で来る?」
タケの声が応じた。
『あと5分。持ちこたえられそうですか?』
「わからん。図書館西の防衛線も抜かれそうなんだ。早めに移動したい。東から入れるか?」
『やってみます』
輸送チーム専用の通信回線では、他のやり取りも慌ただしく入っている。北の緑地帯のひとつを包囲していた班からは、ほぼ制圧が終わったという連絡が入っていた。点在している公園の方の作戦は6割ほどが完了し、一方でエトウが担当している防衛ライン北側の攻防は激しくなっていた。
タカトオはしばらく緑地で足止めを食った後、作戦を変えたらしい。信用できる手勢をひとつにまとめて立て直すと、一点突破作戦で強引に公園を抜けてきた。挙句、北の留守を預かっていた古参を呼び出し、後から人員を補充したのだ。
中央線高架下はすべて封鎖していたはずだが、連中は一か所を派手に爆破して侵入に成功し、サキの手勢を避けて回り込むように図書館の西へ迫っていた。北と西、2か所の防衛ラインに圧力がかかりすぎている。
5分か……。エトウは自分の横にいる部下を見た。足を撃たれた者と肩を撃たれた者。運び出して医者に見せればなんとかなりそうではある。問題は、北の攻防にエトウが手を取られ過ぎていることだった。サキの方からは、他にも数か所、防衛ライン近辺の廃墟で不穏な動きがあるという連絡が入っていた。タカトオがどこから突破を試みるのか、こちらから潜入している者からも報告はまだ上がってきていない。
「おい誰か! 弾よこせ」
箱がひとつ飛んでくる。エトウはそれを開き、ありったけのマガジンをポケットに押し込んだ。
「アルファは移動の準備しろ! 西の増援に向かう」
指示をしながら、エトウは腰のスマホに手を伸ばした。ディスプレイを操作し、サキを呼び出す。
「おい薫! 状況どうなってる?!」
『おそらく北は陽動だ。公園の方の3チームが引き上げてそっちに合流する』
「政府派は?」
『半分以上拘束した。お前の防衛エリアに重点を移す』
「よぉし。タカトオは?」
『南西でさっき見つけたという報告があったが、また見失った。くっそ、こっちからも視界が悪い。もう少し建物を間引きしておけばよかった』
「そっちからロケットランチャー撃ち込めるか?」
『今お前がいる地点の100メートル北に、2分後に着弾させる。それと』
通信が唐突に切れた。他の回線が開いてしまったらしい。エトウは別回線で、着弾地点辺りにいるチームに退避命令を出した。
南西。タカトオを防ぐには図書館の反対側へ移動する必要がある。
「輸送チームまだか?」
聞くと同時に、白いバンが1台、ビルの陰から姿を現した。まっすぐにこちらへ向かって来たバンは、ビルの中へ躊躇なく走り込むと、つんのめるように止まった。レンとタケ、それに看護師がひとり降りてくる。
「怪我人は?」
レンの質問に、チームがみんな協力して怪我人を運び始めた。座席を外して広くしてある後部に入れると、看護師が手早く怪我を確認する。
エトウはふとレンに目を留めた。レンはエトウから少しだけ外に近いところで腰をかがめ、ビルの外を警戒している。真剣で、強い眼差しだった。なめらかで触り心地の良さそうな頬は埃にまみれていて、汗が一筋、こめかみを伝って跡を残している。
ふ~ん。なるほどね。
ノンケのエトウから見ても、意識して観察すると確かに「美人」だ。日雇い労働者のように首に巻いている薄汚れたタオルが不自然で、エトウはひょいと指を伸ばしてタオルを引っ張った。
「うわっ、な、何するんですか?!」
焦ったようにレンがタオルを引っ張り、首を押さえる。
……。
ほんの一瞬でエトウは察した。薫の奴、こっちの心配をよそに、夕べは相当お楽しみだったってわけだ。どうりで、今まで見たことがないぐらい溌剌としてんなと思ったんだよ。
目を細めてレンを見る。真っ赤な顔でタオルを巻き直すレンを見下ろし、エトウは奥へ顎をしゃくった。
「ちょっと来てくれ」
「はい?」
怪我人の状態を横目で見ながら歩く間、エトウは考えていた。
サキがこの6年、ずっと気を張っていたことをエトウは知っている。自分より真面目なサキは、何より公平を重んじ、特定の相手を持たなかった。しかも大学3年のあの時からずっと、サキは感情を押し殺して生きてきている。
誰か、サキの精神を解き放つ者がいればいいんだが。
エトウはそんなことを折に触れて思っていた。それはサキとある意味同質なエトウではできない。サキが本当に安らげる相手はまさしく、そう、レンのような澄んだ目の人間であるべきだ。
ただ、引っかかるのはレンがタカトオの隠し子であるという秘密だった。サキなりの精神的なバランスの取り方というのは、おそらくエトウ以外には理解しがたいものだろう。宿敵の首を狩る前にその息子を抱くという行為には、本人たちが意識していない倒錯したバランス感覚が潜んでいる。
エトウはそのことに口を挟む気はなかった。今やるべきことは、サキの友人としての自分にしかできないことだ。
タブレットを持つと、エトウはチームから離れ奥の階段を上り始めた。6階建てのビルの3階まで行き、ガラスのはまっていない窓の横に立つ。レンが後ろから階段を上ってくるのを待って、エトウは地図を出した。
「これがわかるか?」
レンはディスプレイを覗き込んだ。
「地図……」
色分けされたマーカーが、あちこちにつけられている。
「作業終わりました。移動しないと」
誰かが階段の下から声をかけてきたのを無視し、エトウは小声で話した。
「現在地はここ。北が突破される寸前で、西のここも攻防が続いている。図書館がここで……南西のここでタカトオの目撃情報があった。さて。薫から全部聞いてる。タカトオの侵入経路はどこだ」
レンの目が見開かれた。
「ぜん、全部って……」
「全部だ。お前は『どっち側』だ? 時間がないんだ。薫を裏切る気なら、今、お前をこの窓から吊るす」
蒼白な顔で、レンはエトウを見上げていた。
「いいか。お前を抱いて頭が花畑になってる薫とはわけが違う。俺はノンケで、お前は薫の宿敵の息子だ。薫に恨まれようと、お前を潰すことになろうと、お前がこの戦場で『どっち側』なのかを確認するのが俺の仕事だ。薫はお前が裏切る可能性を含めて戦線から外した。違うか?」
じっとレンを睨み下ろす。レンは口を引き結び、地図を見つめた。北にロケット砲が着弾し、地響きとともにビルの壁がパラパラと崩れ落ちる。
「時間がないと言っただろう。俺はもう西か南西へ移動しなきゃならない。タカトオはどこだ? 奴の居場所を知っているなら今ここで吐け。知らなければ奴の正確な位置を分析して割り出せ」
レンが父親と通じているなら、それを認めろ。通じていないのなら、その証拠を見せろ。
正直言って、エトウはレンの能力も疑っていた。サキはレンを育てるといったが、育てて芽が出るようには思えない。タカトオの言いなりに利用されてきた気弱な少年でしかないんじゃないか。それがエトウの感想だった。
東京南を仕切る度量は、こいつにはない。薫がこいつに気を許したのは、タカトオの息子という正体がバレている分、信用できるのかどうか悩む必要がなく『安全』だからに過ぎない。
エトウは腕を組み、レンの返答を待った。
この東京で、タカトオを父に持つ男。その身分が意味するものを、エトウは知っている。善良であるなら愚鈍な無能でしかない。狡猾であるなら有能な裏切者でしかない。
お前は、どっちだ。
レンはひとつ深呼吸をすると、驚いたことに、まっすぐエトウを見返した。
「動かしてもいいですか?」
「……好きなように動かしていい」
「ありがとうございます」
そう言うと、レンは図書館を中心として全体を見渡す地図に切り替えた。裏切り者として暴かれ殺されるかどうかというこの状況で、レンは冷静だ。
──へぇ。腹はすわってるのか──
エトウは腕組みのまま、レンを観察した。静かな指先が、地図の上をすいと動く。
「北のチームは陽動ですね。西も……陽動だと思います。あいつの目撃ポイントは紫のマーカー?」
「そうだ」
レンは顔を上げ、窓の外をふと見た。図書館は反対方向で見えない。煙が薄くなり、朽ちかけた街並みが視界に戻り始めている。
不思議な目だった。茫漠とした哀しみを湛えた目。だが……エトウの前で、その目は突然、鮮やかに変貌した。
くっと目尻に力が入る。レンはまともにエトウを見返し、ぞっとするような甘い眼差しで笑った。
「なるほど。これは罠だ。オレは薫さんを裏切るズルい人間か、あるいはタカトオに利用されて反抗もできないバカか。いずれにしても薫さんに害をなす敵として、あなたはオレを暴こうとしている」
エトウは目を見張った。今、この瞬間、こいつは本性を見せやがった。
「オレは確かに、薫さんにふさわしくない。それはオレ自身がずっと悩んできたことだ。あの人のチームの一員として、オレには価値がない。それだけじゃなく、いること自体が薫さんの害になる。無能で有害。あなたに判断されるまでもなく、薫さんがなぜオレに甘いのかを一番疑問に思っているのはオレだ」
黙ったまま、エトウはレンと見合った。こいつの本性を、薫は知っていて取り込もうとしているのか?
レンは無言でベレッタを抜き、ごとりと床に置いて身を起こした。右手に白い傷パッドが貼られていて、レンはそれを左手で包み込むような仕草をした。
「……あなたは薫さんを一番理解している人だ。そして薫さんとあなたは信頼し合っている。互いに忠実で、世界で最も裏切りから遠い関係。オレは……あなたに嫉妬すべきなのかもしれない」
「今は俺の話じゃない」
「えぇ。そうですね。でも言わせてください。オレはあなたに嫉妬していない。なぜなら、あのタカトオ……宿敵であるオレの父親を前にして、薫さんは復讐より友情を優先したからだ。薫さんの強さはあなたに由来している。その偉大な関係は、嫉妬なんていうちっぽけな感情で汚していいものじゃない。
だから、エトウさん。あなたならオレの言うことを理解してくれると思う。
オレにとって、タカトオは他人より遠い。なのに奴はオレの精神状態を操ることで、この抗争に決着をつけようとしていた。薫さんはそれを知っていてオレを戦線から外した。オレは自分の意志と関係のないところで、裏切り者なんです。どんなにあがいても。
タカトオが防衛線を突破するとしたら……防衛線の内側にオレがいるなら、オレを囮に使う。だからオレはできるだけ早くここを出ます。
防衛線の内側にオレがいなければ、奴は多分北から入る。北と西を陽動と見せかけ南西に姿を現したということは、エトウさんが南西に向かったら侵入されます。北の攻防の中で、こちらの人間に何かの形で紛れ込んで入り込むはず。北じゃなくて西かもしれない。単なる陽動だとしか思えない所が一番危険です」
こいつ。エトウが見ている前で、レンは微笑んだ。壮絶な色気だとエトウは思った。抜け出せない泥沼の中へと人間を誘い込む、悪魔のように真っ白で、美しい華。
「善良であることが、裏切り者でないことの証明にはならないことを、オレが一番知っている。あなたのおかげで覚悟は決まった。オレは……父親に自分の行き先を操られている。無価値で有害。それでも……あなたにさえ信用されないゴミのような人生の中で、オレは薫さんを愛している」
レンの目は、さっきまでのものとは違っていた。ヘリコプターでサキの後ろから降りてきた時の、おどおどした目とも違う。それは自分自身を見据えた目だった。たとえ薫を殺すことになっても、レンはきっと甘んじて罰を受ける。這いつくばり、歯を食いしばり、レンは罪と悲しみの黒い沼を自らの心の中にえぐりながら生きていくだろう。
許可を取るようにエトウを見ると、レンは屈んでベレッタを持ち上げ、ホルスターに戻した。そのまま振り向き、階段を下りていく。
車の音が階下に響き、銃声をかいくぐって白いバンが走り去っても、エトウはしばらく窓の外を見続けた。
薫。お前が愛したものは、きっと……お前が心の底から願ったものであるに違いない。
裏切りよりも濃いものを、したたる血よりも強く夜を穿つものを。
──少なくとも、お前の見る目は確かだったわけだ──
ひらりと何かが土埃の中を舞った。白く儚い花びらのように、それはエトウの視界をよぎった。レンが首に巻いていたタオルだ。エトウはわずかに微笑むと、ビルの階段を下りていった。
「怪我人が2人出た。輸送チーム回せ、今座標を送る!」
ネットの通話回線に、エトウは怒鳴った。大声を出さないと、銃撃の音で自分の声がかき消される。フィルターマスク越しでも硝煙の臭いは鼻に入りこんできている。さっきのロケットランチャーのおかげで視界は最悪で、さらに言えば、もうちょっと性能のいいハンズフリーデバイスを調達しておくべきだった。難聴にはなっていないが、連絡してくる声が聞きにくい。
耳元を銃弾が掠めると同時にエトウは突っ走り、がれきに手をついて飛び越えた。一階の壁が壊れているビルに走り込む。そこでは自分の部下たちが壁や柱の後ろに身をひそめ、外の弾幕が途切れるのを待っている。
「タブレット寄越せ」
部下が突き出すタブレットには、もうマップが表示されている。手袋を外して現在位置にマーカーを付けると、エトウは素早く輸送チームに送信した。
「何分で来る?」
タケの声が応じた。
『あと5分。持ちこたえられそうですか?』
「わからん。図書館西の防衛線も抜かれそうなんだ。早めに移動したい。東から入れるか?」
『やってみます』
輸送チーム専用の通信回線では、他のやり取りも慌ただしく入っている。北の緑地帯のひとつを包囲していた班からは、ほぼ制圧が終わったという連絡が入っていた。点在している公園の方の作戦は6割ほどが完了し、一方でエトウが担当している防衛ライン北側の攻防は激しくなっていた。
タカトオはしばらく緑地で足止めを食った後、作戦を変えたらしい。信用できる手勢をひとつにまとめて立て直すと、一点突破作戦で強引に公園を抜けてきた。挙句、北の留守を預かっていた古参を呼び出し、後から人員を補充したのだ。
中央線高架下はすべて封鎖していたはずだが、連中は一か所を派手に爆破して侵入に成功し、サキの手勢を避けて回り込むように図書館の西へ迫っていた。北と西、2か所の防衛ラインに圧力がかかりすぎている。
5分か……。エトウは自分の横にいる部下を見た。足を撃たれた者と肩を撃たれた者。運び出して医者に見せればなんとかなりそうではある。問題は、北の攻防にエトウが手を取られ過ぎていることだった。サキの方からは、他にも数か所、防衛ライン近辺の廃墟で不穏な動きがあるという連絡が入っていた。タカトオがどこから突破を試みるのか、こちらから潜入している者からも報告はまだ上がってきていない。
「おい誰か! 弾よこせ」
箱がひとつ飛んでくる。エトウはそれを開き、ありったけのマガジンをポケットに押し込んだ。
「アルファは移動の準備しろ! 西の増援に向かう」
指示をしながら、エトウは腰のスマホに手を伸ばした。ディスプレイを操作し、サキを呼び出す。
「おい薫! 状況どうなってる?!」
『おそらく北は陽動だ。公園の方の3チームが引き上げてそっちに合流する』
「政府派は?」
『半分以上拘束した。お前の防衛エリアに重点を移す』
「よぉし。タカトオは?」
『南西でさっき見つけたという報告があったが、また見失った。くっそ、こっちからも視界が悪い。もう少し建物を間引きしておけばよかった』
「そっちからロケットランチャー撃ち込めるか?」
『今お前がいる地点の100メートル北に、2分後に着弾させる。それと』
通信が唐突に切れた。他の回線が開いてしまったらしい。エトウは別回線で、着弾地点辺りにいるチームに退避命令を出した。
南西。タカトオを防ぐには図書館の反対側へ移動する必要がある。
「輸送チームまだか?」
聞くと同時に、白いバンが1台、ビルの陰から姿を現した。まっすぐにこちらへ向かって来たバンは、ビルの中へ躊躇なく走り込むと、つんのめるように止まった。レンとタケ、それに看護師がひとり降りてくる。
「怪我人は?」
レンの質問に、チームがみんな協力して怪我人を運び始めた。座席を外して広くしてある後部に入れると、看護師が手早く怪我を確認する。
エトウはふとレンに目を留めた。レンはエトウから少しだけ外に近いところで腰をかがめ、ビルの外を警戒している。真剣で、強い眼差しだった。なめらかで触り心地の良さそうな頬は埃にまみれていて、汗が一筋、こめかみを伝って跡を残している。
ふ~ん。なるほどね。
ノンケのエトウから見ても、意識して観察すると確かに「美人」だ。日雇い労働者のように首に巻いている薄汚れたタオルが不自然で、エトウはひょいと指を伸ばしてタオルを引っ張った。
「うわっ、な、何するんですか?!」
焦ったようにレンがタオルを引っ張り、首を押さえる。
……。
ほんの一瞬でエトウは察した。薫の奴、こっちの心配をよそに、夕べは相当お楽しみだったってわけだ。どうりで、今まで見たことがないぐらい溌剌としてんなと思ったんだよ。
目を細めてレンを見る。真っ赤な顔でタオルを巻き直すレンを見下ろし、エトウは奥へ顎をしゃくった。
「ちょっと来てくれ」
「はい?」
怪我人の状態を横目で見ながら歩く間、エトウは考えていた。
サキがこの6年、ずっと気を張っていたことをエトウは知っている。自分より真面目なサキは、何より公平を重んじ、特定の相手を持たなかった。しかも大学3年のあの時からずっと、サキは感情を押し殺して生きてきている。
誰か、サキの精神を解き放つ者がいればいいんだが。
エトウはそんなことを折に触れて思っていた。それはサキとある意味同質なエトウではできない。サキが本当に安らげる相手はまさしく、そう、レンのような澄んだ目の人間であるべきだ。
ただ、引っかかるのはレンがタカトオの隠し子であるという秘密だった。サキなりの精神的なバランスの取り方というのは、おそらくエトウ以外には理解しがたいものだろう。宿敵の首を狩る前にその息子を抱くという行為には、本人たちが意識していない倒錯したバランス感覚が潜んでいる。
エトウはそのことに口を挟む気はなかった。今やるべきことは、サキの友人としての自分にしかできないことだ。
タブレットを持つと、エトウはチームから離れ奥の階段を上り始めた。6階建てのビルの3階まで行き、ガラスのはまっていない窓の横に立つ。レンが後ろから階段を上ってくるのを待って、エトウは地図を出した。
「これがわかるか?」
レンはディスプレイを覗き込んだ。
「地図……」
色分けされたマーカーが、あちこちにつけられている。
「作業終わりました。移動しないと」
誰かが階段の下から声をかけてきたのを無視し、エトウは小声で話した。
「現在地はここ。北が突破される寸前で、西のここも攻防が続いている。図書館がここで……南西のここでタカトオの目撃情報があった。さて。薫から全部聞いてる。タカトオの侵入経路はどこだ」
レンの目が見開かれた。
「ぜん、全部って……」
「全部だ。お前は『どっち側』だ? 時間がないんだ。薫を裏切る気なら、今、お前をこの窓から吊るす」
蒼白な顔で、レンはエトウを見上げていた。
「いいか。お前を抱いて頭が花畑になってる薫とはわけが違う。俺はノンケで、お前は薫の宿敵の息子だ。薫に恨まれようと、お前を潰すことになろうと、お前がこの戦場で『どっち側』なのかを確認するのが俺の仕事だ。薫はお前が裏切る可能性を含めて戦線から外した。違うか?」
じっとレンを睨み下ろす。レンは口を引き結び、地図を見つめた。北にロケット砲が着弾し、地響きとともにビルの壁がパラパラと崩れ落ちる。
「時間がないと言っただろう。俺はもう西か南西へ移動しなきゃならない。タカトオはどこだ? 奴の居場所を知っているなら今ここで吐け。知らなければ奴の正確な位置を分析して割り出せ」
レンが父親と通じているなら、それを認めろ。通じていないのなら、その証拠を見せろ。
正直言って、エトウはレンの能力も疑っていた。サキはレンを育てるといったが、育てて芽が出るようには思えない。タカトオの言いなりに利用されてきた気弱な少年でしかないんじゃないか。それがエトウの感想だった。
東京南を仕切る度量は、こいつにはない。薫がこいつに気を許したのは、タカトオの息子という正体がバレている分、信用できるのかどうか悩む必要がなく『安全』だからに過ぎない。
エトウは腕を組み、レンの返答を待った。
この東京で、タカトオを父に持つ男。その身分が意味するものを、エトウは知っている。善良であるなら愚鈍な無能でしかない。狡猾であるなら有能な裏切者でしかない。
お前は、どっちだ。
レンはひとつ深呼吸をすると、驚いたことに、まっすぐエトウを見返した。
「動かしてもいいですか?」
「……好きなように動かしていい」
「ありがとうございます」
そう言うと、レンは図書館を中心として全体を見渡す地図に切り替えた。裏切り者として暴かれ殺されるかどうかというこの状況で、レンは冷静だ。
──へぇ。腹はすわってるのか──
エトウは腕組みのまま、レンを観察した。静かな指先が、地図の上をすいと動く。
「北のチームは陽動ですね。西も……陽動だと思います。あいつの目撃ポイントは紫のマーカー?」
「そうだ」
レンは顔を上げ、窓の外をふと見た。図書館は反対方向で見えない。煙が薄くなり、朽ちかけた街並みが視界に戻り始めている。
不思議な目だった。茫漠とした哀しみを湛えた目。だが……エトウの前で、その目は突然、鮮やかに変貌した。
くっと目尻に力が入る。レンはまともにエトウを見返し、ぞっとするような甘い眼差しで笑った。
「なるほど。これは罠だ。オレは薫さんを裏切るズルい人間か、あるいはタカトオに利用されて反抗もできないバカか。いずれにしても薫さんに害をなす敵として、あなたはオレを暴こうとしている」
エトウは目を見張った。今、この瞬間、こいつは本性を見せやがった。
「オレは確かに、薫さんにふさわしくない。それはオレ自身がずっと悩んできたことだ。あの人のチームの一員として、オレには価値がない。それだけじゃなく、いること自体が薫さんの害になる。無能で有害。あなたに判断されるまでもなく、薫さんがなぜオレに甘いのかを一番疑問に思っているのはオレだ」
黙ったまま、エトウはレンと見合った。こいつの本性を、薫は知っていて取り込もうとしているのか?
レンは無言でベレッタを抜き、ごとりと床に置いて身を起こした。右手に白い傷パッドが貼られていて、レンはそれを左手で包み込むような仕草をした。
「……あなたは薫さんを一番理解している人だ。そして薫さんとあなたは信頼し合っている。互いに忠実で、世界で最も裏切りから遠い関係。オレは……あなたに嫉妬すべきなのかもしれない」
「今は俺の話じゃない」
「えぇ。そうですね。でも言わせてください。オレはあなたに嫉妬していない。なぜなら、あのタカトオ……宿敵であるオレの父親を前にして、薫さんは復讐より友情を優先したからだ。薫さんの強さはあなたに由来している。その偉大な関係は、嫉妬なんていうちっぽけな感情で汚していいものじゃない。
だから、エトウさん。あなたならオレの言うことを理解してくれると思う。
オレにとって、タカトオは他人より遠い。なのに奴はオレの精神状態を操ることで、この抗争に決着をつけようとしていた。薫さんはそれを知っていてオレを戦線から外した。オレは自分の意志と関係のないところで、裏切り者なんです。どんなにあがいても。
タカトオが防衛線を突破するとしたら……防衛線の内側にオレがいるなら、オレを囮に使う。だからオレはできるだけ早くここを出ます。
防衛線の内側にオレがいなければ、奴は多分北から入る。北と西を陽動と見せかけ南西に姿を現したということは、エトウさんが南西に向かったら侵入されます。北の攻防の中で、こちらの人間に何かの形で紛れ込んで入り込むはず。北じゃなくて西かもしれない。単なる陽動だとしか思えない所が一番危険です」
こいつ。エトウが見ている前で、レンは微笑んだ。壮絶な色気だとエトウは思った。抜け出せない泥沼の中へと人間を誘い込む、悪魔のように真っ白で、美しい華。
「善良であることが、裏切り者でないことの証明にはならないことを、オレが一番知っている。あなたのおかげで覚悟は決まった。オレは……父親に自分の行き先を操られている。無価値で有害。それでも……あなたにさえ信用されないゴミのような人生の中で、オレは薫さんを愛している」
レンの目は、さっきまでのものとは違っていた。ヘリコプターでサキの後ろから降りてきた時の、おどおどした目とも違う。それは自分自身を見据えた目だった。たとえ薫を殺すことになっても、レンはきっと甘んじて罰を受ける。這いつくばり、歯を食いしばり、レンは罪と悲しみの黒い沼を自らの心の中にえぐりながら生きていくだろう。
許可を取るようにエトウを見ると、レンは屈んでベレッタを持ち上げ、ホルスターに戻した。そのまま振り向き、階段を下りていく。
車の音が階下に響き、銃声をかいくぐって白いバンが走り去っても、エトウはしばらく窓の外を見続けた。
薫。お前が愛したものは、きっと……お前が心の底から願ったものであるに違いない。
裏切りよりも濃いものを、したたる血よりも強く夜を穿つものを。
──少なくとも、お前の見る目は確かだったわけだ──
ひらりと何かが土埃の中を舞った。白く儚い花びらのように、それはエトウの視界をよぎった。レンが首に巻いていたタオルだ。エトウはわずかに微笑むと、ビルの階段を下りていった。
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「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
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