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62 【2年前】(39)
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日が傾くころ、レンはふらつきながらサキの所へ戻って来た。虚ろな目で部屋に現れたレンを見るなり、サキは起き上がった。じゃらりと鎖が鳴る。
「どうした。何があった」
触れようとした途端、乱暴に手が払われる。
「触るな!」
全身で威嚇しながら立つレンの姿を、サキは静かに見た。右手の白いパッドが痛々しい。夕暮れの赤い光が横切る部屋の中、レンはサキのこともわからない状態で、頼りなく立っている。膜がかかったような、どんよりした目のまま、レンは手探りをしながら部屋の隅へ行き、小さくうずくまった。
サキはレンの前に座り込んだ。まず、この状態をなんとかしないと。
「怜。こっちを見てごらん」
視線が、何かを探すように彷徨いサキの方を向く。にっこり笑って、サキはそっと手を差し伸べた。
「俺が誰かわかるか?」
「……」
ぼけっとサキの顔を見て、数分レンは動かなかった。そのうちに、ふっと何かを思い出した顔をして呟く。
「かおるさん」
「そうだな。指の先に触ってみてもいいか? 嫌だったら、すぐ引っ込められる」
おずおずと左手が差し出された。サキは人差し指の先をそっと包み、親指で撫でた。
「嫌か?」
「いやじゃ……ない」
「そうか。よかった。お前の手はどうだろう? 綺麗な手だ。触ってもいいか?」
「……きれいじゃない、きず、あるし」
「そうか? 一生懸命何かをしようとする手は、綺麗な動きをするんだ。見た目じゃない。お前の手はとても綺麗だ」
ゆっくりと手を握り、甲をそっと撫でる。レンの手は、実際綺麗だった。青年の瑞々しい色気がある。よく動く若竹のような節を見るたび、サキは口づけたくなる。
サキはそのままレンの腕をさすり、肩を撫でた。驚かせないよう、慎重にレンの体を抱き寄せ、胸に包みこむ。
レンは動かなかった。サキは、だらりと下がった右手をそろそろと持ち上げ、横目で状態を確認した。切り傷用のパッドであるところを見ると、骨に何かあったわけではないらしい。
意識して呼吸を穏やかなものにしながら、サキはレンを抱き、じっとしていた。そのうちに寝息が聞こえ始める。座ったまま、ずりずりマットレスまで移動すると、サキはレンを横たえた。
体が離れると、レンの眉間に皺が寄る。手を握ってやると、サキは耳元に唇を寄せ、囁いた。
「大丈夫。俺はいなくならない。ちょっとだけ……水を取ってくるだけだ」
レンの唇が動き、体から力が抜けた。肩を撫でてやってから、サキは立ち上がった。
大股で玄関へ行き、コンコンコンコン、とノックする。覗き窓から見張りが目をのぞかせた。
「何があった」
「あんたには何も言うなって言われてる」
「教えてくれれば恩に着る」
「見返りは何だよ」
「殺さずにいてやる」
「それ、見返りって言わないんじゃないのか? まぁ……おれもよく知らん。タカトオさんが部屋にそいつを呼び出して何か話してたらしいんだけど、手を血だらけにして飛び出てきたって」
「そうか。すまん」
見張りはすぐに顔を離した。他の者が来たらしい。
タカトオの奴。
部屋に戻り、レンを見つめる。しばらく頬を手の平で包みこんでやってから、初日に受けた頭部の傷を確認する。包帯が外されて戻ってきたので心配したが、傷はひどくなさそうだった。
事情を聞くには、レンが話す気になるまで──なるかどうかもわからないが──待つしかない。
サキは、レンに触れて一緒に眠ることはしなかった。できなかったのだ。煮えたぎるような怒りが、胃の中に溜まっていくのを感じる。Tシャツの腹の辺りを押さえて、サキはなんとかそれを表に出すまいとした。
冷静さを失くしたら終わりだ。タカトオはわかっていてレンの体と心を痛めつけている。サキが我を忘れてタカトオに挑みかかるのを、蛇のような目で待ち受けている。今ここで事態を蹴散らそうとすれば、自分もレンも叩き潰される。
息を詰め、サキはじっとしていた。この状態でレンに必要以上に触れれば、怒りが伝わってしまう。胃から溢れて喉にせり上がってきた塊を強引に飲み下し、震える手を床についたまま、サキは待つ。感情を押さえつけろ。全ての力を、爆発させるべき時まで蓄えるんだ。
目をつぶり、箱をイメージする。使う時まで、必要な感情はここへ入れておく。なくなるわけじゃない。ただ、制御するんだ。暴走させないように。お前ならできる。口の内側を噛みすぎて、血の味がする。
横たわるレンの横で、サキはうずくまり、歯を食いしばって耐え続ける。すべての感情を封じ込める作業を終えると、サキはゆらりと立ち上がった。
これ以上、奴の好きにさせるものか。サキは計画を実行に移すために、部屋の中で蠢き始めた。
「どうした。何があった」
触れようとした途端、乱暴に手が払われる。
「触るな!」
全身で威嚇しながら立つレンの姿を、サキは静かに見た。右手の白いパッドが痛々しい。夕暮れの赤い光が横切る部屋の中、レンはサキのこともわからない状態で、頼りなく立っている。膜がかかったような、どんよりした目のまま、レンは手探りをしながら部屋の隅へ行き、小さくうずくまった。
サキはレンの前に座り込んだ。まず、この状態をなんとかしないと。
「怜。こっちを見てごらん」
視線が、何かを探すように彷徨いサキの方を向く。にっこり笑って、サキはそっと手を差し伸べた。
「俺が誰かわかるか?」
「……」
ぼけっとサキの顔を見て、数分レンは動かなかった。そのうちに、ふっと何かを思い出した顔をして呟く。
「かおるさん」
「そうだな。指の先に触ってみてもいいか? 嫌だったら、すぐ引っ込められる」
おずおずと左手が差し出された。サキは人差し指の先をそっと包み、親指で撫でた。
「嫌か?」
「いやじゃ……ない」
「そうか。よかった。お前の手はどうだろう? 綺麗な手だ。触ってもいいか?」
「……きれいじゃない、きず、あるし」
「そうか? 一生懸命何かをしようとする手は、綺麗な動きをするんだ。見た目じゃない。お前の手はとても綺麗だ」
ゆっくりと手を握り、甲をそっと撫でる。レンの手は、実際綺麗だった。青年の瑞々しい色気がある。よく動く若竹のような節を見るたび、サキは口づけたくなる。
サキはそのままレンの腕をさすり、肩を撫でた。驚かせないよう、慎重にレンの体を抱き寄せ、胸に包みこむ。
レンは動かなかった。サキは、だらりと下がった右手をそろそろと持ち上げ、横目で状態を確認した。切り傷用のパッドであるところを見ると、骨に何かあったわけではないらしい。
意識して呼吸を穏やかなものにしながら、サキはレンを抱き、じっとしていた。そのうちに寝息が聞こえ始める。座ったまま、ずりずりマットレスまで移動すると、サキはレンを横たえた。
体が離れると、レンの眉間に皺が寄る。手を握ってやると、サキは耳元に唇を寄せ、囁いた。
「大丈夫。俺はいなくならない。ちょっとだけ……水を取ってくるだけだ」
レンの唇が動き、体から力が抜けた。肩を撫でてやってから、サキは立ち上がった。
大股で玄関へ行き、コンコンコンコン、とノックする。覗き窓から見張りが目をのぞかせた。
「何があった」
「あんたには何も言うなって言われてる」
「教えてくれれば恩に着る」
「見返りは何だよ」
「殺さずにいてやる」
「それ、見返りって言わないんじゃないのか? まぁ……おれもよく知らん。タカトオさんが部屋にそいつを呼び出して何か話してたらしいんだけど、手を血だらけにして飛び出てきたって」
「そうか。すまん」
見張りはすぐに顔を離した。他の者が来たらしい。
タカトオの奴。
部屋に戻り、レンを見つめる。しばらく頬を手の平で包みこんでやってから、初日に受けた頭部の傷を確認する。包帯が外されて戻ってきたので心配したが、傷はひどくなさそうだった。
事情を聞くには、レンが話す気になるまで──なるかどうかもわからないが──待つしかない。
サキは、レンに触れて一緒に眠ることはしなかった。できなかったのだ。煮えたぎるような怒りが、胃の中に溜まっていくのを感じる。Tシャツの腹の辺りを押さえて、サキはなんとかそれを表に出すまいとした。
冷静さを失くしたら終わりだ。タカトオはわかっていてレンの体と心を痛めつけている。サキが我を忘れてタカトオに挑みかかるのを、蛇のような目で待ち受けている。今ここで事態を蹴散らそうとすれば、自分もレンも叩き潰される。
息を詰め、サキはじっとしていた。この状態でレンに必要以上に触れれば、怒りが伝わってしまう。胃から溢れて喉にせり上がってきた塊を強引に飲み下し、震える手を床についたまま、サキは待つ。感情を押さえつけろ。全ての力を、爆発させるべき時まで蓄えるんだ。
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横たわるレンの横で、サキはうずくまり、歯を食いしばって耐え続ける。すべての感情を封じ込める作業を終えると、サキはゆらりと立ち上がった。
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