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夜になり、鎮痛剤が少し効いたらしい。サキはなんとか起き上がってスープを飲み、もう一度薬を飲んだ。壁に背中を預け、マットレスに座ったサキは、レンがカップを洗っている間、保冷剤を頬に当ててぼんやりと天井を眺めていた。時折、玄関でカタンと音がする。見張りが中を覗く音だ。
レンが戻ると、サキはほんのり微笑んだ。
「悪いな……世話してもらうなんて」
「いえ。そのぐらいしかできないし」
マットレスから離れた床に座ると、レンは溜息をついた。何からどう話せばいいんだろう。ここに一緒にいること自体が仕組まれていたと話すのは、複雑で勇気のいることだ。
「そこ、硬くないか? お前も怪我してるんだし」
顔を上げると、サキが横をぽんぽんと叩く。
「ここでいいです。サキさんは寝てください」
苦笑したサキは、よっこいしょ、と掛け声をかけ、壁に手をついて立ち上がった。身をすくませてそれを見ていると、サキはそのままレンの前を通り過ぎ、トイレへ消えた。正直、ほっとする。
がらんとした部屋は蒸し暑かった。板で覆われたガラス戸や窓は開けられない。古くさいエアコンがあったが、リモコンは見つからず、そもそも動くのかどうかわからなかった。
サキはトイレを出ると浴室へ向かった。体を洗うつもりらしい。
手伝った方がいいだろうか。迷ったが、サキが呼ばないところを見ると大丈夫な気がした。
ひとりになったレンは、膝を抱えて座りこんだまま、考え事を続けた。
自分の正体を話せないなら、せめてサキを脱出させなければ。
レンは確かに拘束されていない。でもタカトオは別にレンを信用したからそうしたわけではない。サキがここにいる限り自分が逃げることはないと踏んでいるのだ。実際のところ、レンがさっき建物内を回って調べた限りでは、外に出ることのできる場所はすべて見張りがいた。下の階に行くほど警戒は厳重だ。このマンションは6階建て、今いる部屋は5階だ。
サキを連れて逃げる方法は……。まず武器が必要になる。それからサキの体力。自分が背負って逃げるのは無理だし……。
もそもそと考えていると、サキがTシャツを着ながら浴室から出てきた。壁を手で伝いながらキッチンに行くと、置いてあったミネラルウォーターを一気飲みする。
けっこう頑丈なんだな、とレンはぼんやり思った。あちこち内出血で腫れあがり、擦り傷や痣だらけなのだが、サキはそうした体の状態に構わず、ミネラルウォーターを置いて食べ物を漁っている。
「大丈夫なんですか?」
「ん~? まぁ、痛いことは痛いし、硬い物は無理だが……お、ツナ缶がある。お前は? 腹が減ってないか?」
言われて、レンは不意に空腹を感じた。今は何時だろう? 食事をすっかり忘れていた。
「……空いてます」
「何か食べよう。こういう監禁生活で一番大事なのは、人生からの問いかけに答えることだとフランクルが『夜と霧』で……」
言いかけて、サキは途中で言葉を止めた。
「まぁ、難しい話は別にいいんだ。食料を持ってきてくれたのはお前か?」
「えぇ」
「そうか。ありがとう」
サキは鬱陶しそうに鎖を避けながら上の棚をバタバタ開けて中を探し、レンが気づかなかったフライパンを見つけて嬉しそうな声を上げた。
「来いよ。何でもいいから作ろう」
レンはのろのろ立ち上がり、キッチンへ行った。サキはフライパンを適当に洗うと、レトルトのご飯を入れ、ツナを放り込んでいる。
「……」
無言で見ているレンの前で、サキはさらにコンソメスープの粉末を入れ、水を注ぐとIHコンロにかけた。
「料理できるなんて、最高だな。食器ってないのか?」
「さっきカップとお皿なら持ってきましたけど」
「スプーンは?」
荷物の中からプラスチックのスプーンをレンが出すと、何を思ったか、サキは楽しそうな笑い声をあげた。
「ショーシャンクみたいにはいかないな」
「?」
「あれはスプーンじゃなかったけど……あ~、何でもない」
首を繋がれ、意識が飛ぶほど殴られた後なのに、サキは機嫌がいい。それがレンにはよくわからなかった。キッチンの入口で、レンは黙ってサキを見守った。
フライパンの中身が料理らしきものになると、サキはそれをカップに入れ、片方をレンに渡す。
「テーブルないから、向こうで座って食べよう」
カップは温かかった。プラスチックのスプーンを雑に突っ込んだその料理は、湯気を立てている。
自分のカップを持ってリビングに戻るサキに、レンはついて行った。鎖をチャリチャリ言わせながらマットレスに座ると、サキは再び自分の横をぽんぽんと叩いた。
「一緒に食べよう」
食事だけなら……断る理由はないか。レンはおずおずと隣に座り、カップを見つめた。コンソメスープの飴色が、米に浸み込み蛍光灯に柔らかく光っている。サキはレンに構わず、息を吹きかけながらそれを食べだした。
レンも、スプーンでおずおずとそれを口に運んだ。
甘い玉ねぎの香りが広がる。ご飯とツナが口の中でほろほろ混ざり合う。レンは我知らず、ほっと溜息をついた。ゆっくりと味わって食べる。
がらんとした空間に、しばらくスプーンの軽い音だけが響く。
残りが少なくなる頃、レンはふと、隣のサキが自分を見ているのに気づいた。空になったカップを持ったまま、体育座りに頬杖をついて、サキは穏やかにレンを見ている。
「うまいか?」
「……うん」
素直にそう言うと、サキは微笑んだ。
その瞳を見た時、レンは泣きそうになった。言わなければならない。自分がこの人の宿敵の息子であり、存在そのものが、いずれこの人を傷つけるために使われる道具なのだと。
「よかった」
そう言うと、サキはマットレスの横にカップをことりと置いた。レンも食べ終わると、同じようにカップを置く。
「で、さっきの続きだが……奴に何か言われたか?」
「……指輪を、見せられました」
他の話題が見つからなくて、レンは結局そのことを持ち出した。
「あぁ……なるほど」
「サキさんが簡単に捕まったのは、その指輪のためだって」
「ん~、まぁチャンスがあれば、とは思っていたからな。今回のはまぁ、俺の我儘っていうか……だからお前が負い目を感じる必要はない」
「それでも、ヘマをやったのはオレです」
「そうか? 境界線近くを警備してれば、誰でも人質に引っ張られる可能性はある」
そうじゃない。タカトオはレンがトンネルに入るタイミングを正確に狙ってきた。誰かが南の情報を流している。一番疑われるのは……自分かもしれない。
サキは考え事をしているレンを気にせず、天井を見た。
「指輪か……そうか、見つからないと思ったのは、奴が持っていたからか。あいつホント、ストーカーだな」
「あいつは、昔何があったかサキさんに聞いてみろって。オレは……サキさんにとって弟代わりだとも言われました。バカで頼りない役立たずほど、サキさんは守りたいと思うだろうって」
ふんと鼻を鳴らし、サキは寝転がった。体を動かすと痛いらしい。呻き声をあげ、痛くない寝方を見つけようともぞもぞ動くと、静かになる。眠ったのかと思った頃、サキは口を開いた。
「……お前が役立たずなら、チームリーダーのミヤギが入れるはずがない。実際、あの襲撃の時の動きを見たら、誰もお前を無能だなんて思わないだろ。それに弟はお前とはあまり似てないし、死んだのはまだ中学3年生の時だった。ていうか、自分の悪事を被害者に語らせるって、考えたらあいつ、すごいな。ドSなのか、ドМなのか……」
そう呟くと、サキはしばらく黙り込み、ひとりごとのように話し始めた。
レンが戻ると、サキはほんのり微笑んだ。
「悪いな……世話してもらうなんて」
「いえ。そのぐらいしかできないし」
マットレスから離れた床に座ると、レンは溜息をついた。何からどう話せばいいんだろう。ここに一緒にいること自体が仕組まれていたと話すのは、複雑で勇気のいることだ。
「そこ、硬くないか? お前も怪我してるんだし」
顔を上げると、サキが横をぽんぽんと叩く。
「ここでいいです。サキさんは寝てください」
苦笑したサキは、よっこいしょ、と掛け声をかけ、壁に手をついて立ち上がった。身をすくませてそれを見ていると、サキはそのままレンの前を通り過ぎ、トイレへ消えた。正直、ほっとする。
がらんとした部屋は蒸し暑かった。板で覆われたガラス戸や窓は開けられない。古くさいエアコンがあったが、リモコンは見つからず、そもそも動くのかどうかわからなかった。
サキはトイレを出ると浴室へ向かった。体を洗うつもりらしい。
手伝った方がいいだろうか。迷ったが、サキが呼ばないところを見ると大丈夫な気がした。
ひとりになったレンは、膝を抱えて座りこんだまま、考え事を続けた。
自分の正体を話せないなら、せめてサキを脱出させなければ。
レンは確かに拘束されていない。でもタカトオは別にレンを信用したからそうしたわけではない。サキがここにいる限り自分が逃げることはないと踏んでいるのだ。実際のところ、レンがさっき建物内を回って調べた限りでは、外に出ることのできる場所はすべて見張りがいた。下の階に行くほど警戒は厳重だ。このマンションは6階建て、今いる部屋は5階だ。
サキを連れて逃げる方法は……。まず武器が必要になる。それからサキの体力。自分が背負って逃げるのは無理だし……。
もそもそと考えていると、サキがTシャツを着ながら浴室から出てきた。壁を手で伝いながらキッチンに行くと、置いてあったミネラルウォーターを一気飲みする。
けっこう頑丈なんだな、とレンはぼんやり思った。あちこち内出血で腫れあがり、擦り傷や痣だらけなのだが、サキはそうした体の状態に構わず、ミネラルウォーターを置いて食べ物を漁っている。
「大丈夫なんですか?」
「ん~? まぁ、痛いことは痛いし、硬い物は無理だが……お、ツナ缶がある。お前は? 腹が減ってないか?」
言われて、レンは不意に空腹を感じた。今は何時だろう? 食事をすっかり忘れていた。
「……空いてます」
「何か食べよう。こういう監禁生活で一番大事なのは、人生からの問いかけに答えることだとフランクルが『夜と霧』で……」
言いかけて、サキは途中で言葉を止めた。
「まぁ、難しい話は別にいいんだ。食料を持ってきてくれたのはお前か?」
「えぇ」
「そうか。ありがとう」
サキは鬱陶しそうに鎖を避けながら上の棚をバタバタ開けて中を探し、レンが気づかなかったフライパンを見つけて嬉しそうな声を上げた。
「来いよ。何でもいいから作ろう」
レンはのろのろ立ち上がり、キッチンへ行った。サキはフライパンを適当に洗うと、レトルトのご飯を入れ、ツナを放り込んでいる。
「……」
無言で見ているレンの前で、サキはさらにコンソメスープの粉末を入れ、水を注ぐとIHコンロにかけた。
「料理できるなんて、最高だな。食器ってないのか?」
「さっきカップとお皿なら持ってきましたけど」
「スプーンは?」
荷物の中からプラスチックのスプーンをレンが出すと、何を思ったか、サキは楽しそうな笑い声をあげた。
「ショーシャンクみたいにはいかないな」
「?」
「あれはスプーンじゃなかったけど……あ~、何でもない」
首を繋がれ、意識が飛ぶほど殴られた後なのに、サキは機嫌がいい。それがレンにはよくわからなかった。キッチンの入口で、レンは黙ってサキを見守った。
フライパンの中身が料理らしきものになると、サキはそれをカップに入れ、片方をレンに渡す。
「テーブルないから、向こうで座って食べよう」
カップは温かかった。プラスチックのスプーンを雑に突っ込んだその料理は、湯気を立てている。
自分のカップを持ってリビングに戻るサキに、レンはついて行った。鎖をチャリチャリ言わせながらマットレスに座ると、サキは再び自分の横をぽんぽんと叩いた。
「一緒に食べよう」
食事だけなら……断る理由はないか。レンはおずおずと隣に座り、カップを見つめた。コンソメスープの飴色が、米に浸み込み蛍光灯に柔らかく光っている。サキはレンに構わず、息を吹きかけながらそれを食べだした。
レンも、スプーンでおずおずとそれを口に運んだ。
甘い玉ねぎの香りが広がる。ご飯とツナが口の中でほろほろ混ざり合う。レンは我知らず、ほっと溜息をついた。ゆっくりと味わって食べる。
がらんとした空間に、しばらくスプーンの軽い音だけが響く。
残りが少なくなる頃、レンはふと、隣のサキが自分を見ているのに気づいた。空になったカップを持ったまま、体育座りに頬杖をついて、サキは穏やかにレンを見ている。
「うまいか?」
「……うん」
素直にそう言うと、サキは微笑んだ。
その瞳を見た時、レンは泣きそうになった。言わなければならない。自分がこの人の宿敵の息子であり、存在そのものが、いずれこの人を傷つけるために使われる道具なのだと。
「よかった」
そう言うと、サキはマットレスの横にカップをことりと置いた。レンも食べ終わると、同じようにカップを置く。
「で、さっきの続きだが……奴に何か言われたか?」
「……指輪を、見せられました」
他の話題が見つからなくて、レンは結局そのことを持ち出した。
「あぁ……なるほど」
「サキさんが簡単に捕まったのは、その指輪のためだって」
「ん~、まぁチャンスがあれば、とは思っていたからな。今回のはまぁ、俺の我儘っていうか……だからお前が負い目を感じる必要はない」
「それでも、ヘマをやったのはオレです」
「そうか? 境界線近くを警備してれば、誰でも人質に引っ張られる可能性はある」
そうじゃない。タカトオはレンがトンネルに入るタイミングを正確に狙ってきた。誰かが南の情報を流している。一番疑われるのは……自分かもしれない。
サキは考え事をしているレンを気にせず、天井を見た。
「指輪か……そうか、見つからないと思ったのは、奴が持っていたからか。あいつホント、ストーカーだな」
「あいつは、昔何があったかサキさんに聞いてみろって。オレは……サキさんにとって弟代わりだとも言われました。バカで頼りない役立たずほど、サキさんは守りたいと思うだろうって」
ふんと鼻を鳴らし、サキは寝転がった。体を動かすと痛いらしい。呻き声をあげ、痛くない寝方を見つけようともぞもぞ動くと、静かになる。眠ったのかと思った頃、サキは口を開いた。
「……お前が役立たずなら、チームリーダーのミヤギが入れるはずがない。実際、あの襲撃の時の動きを見たら、誰もお前を無能だなんて思わないだろ。それに弟はお前とはあまり似てないし、死んだのはまだ中学3年生の時だった。ていうか、自分の悪事を被害者に語らせるって、考えたらあいつ、すごいな。ドSなのか、ドМなのか……」
そう呟くと、サキはしばらく黙り込み、ひとりごとのように話し始めた。
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