そして悲しみは夜を穿つ

夜野綾

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30 【2年前】(15)

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 次の日、自分のスマホでエトウからのメールを見ながら、サキは椅子の背にもたれかかった。いつものメールだ。ライセンスペンダントの中のデータを新しいものにしなければならない。帳簿の内容を書き込み、エトウのペンダントと同期する必要がある。それと『政府』の人間に、ペンダントの中にあるライセンスを確認してもらう時期でもあった。
 最低でも半年に一度、その作業は必要だ。『政府』に状況を報告しなければならない。ただ、それは2つ以上のライセンスペンダントが一か所に集まることを意味する。販売権のライセンスが入っているペンダントは、すべての襲撃者の最終ターゲットだった。
 マスクなんてしょっちゅう来る。彼らが狙っているのは、サキの首にかかっている青い小さなペンダント1個だ。ペンダントさえあれば、闇マーケットの連中だって正式にマスクを売れる。さらに、タカトオのように自分の勢力を拡大したがっている奴にとっても、ペンダントは必須だった。
 サキ、あるいはエトウのようなリーダー達を殺してペンダントを手に入れれば、そのエリアは自分のものだ。
 ペンダントには数種類ある。個人取引のためのもの、小さいエリアのためのもの、そして小さいエリアを統括する上位のもの。サキのエリアはエトウの統括下にあるので、サキは彼とデータ同期の作業をしなければならない。
 タカトオはどこまでこっちの情報を掴んでいるのか。
 気がかりなのはそこだった。夕べ、レンが身を翻した瞬間に、サキの頭にはスパイの存在が浮かんだのだ。
 さいたま市での一件、あの様子から見るに、レンが積極的に仕掛けたことではないだろうとサキは思った。サキが観察している限り、レンは素直な性格で、第3チームの中でも可愛がられていた。リーダーのミヤギからも問題は報告されていない。出しゃばらず、仕事は真面目、それに他人を陥れたり誰かを引っ張り込んで派閥を作ったり、あるいは人を誘惑してトラブルを引き起こしたりといったことも一切ない。
 だが、レンがこちらへ来た直後に、さいたま市のトップ2人が「殺し合い」をし、埼玉県の他のエリアすべての統括をしていたタカトオが、リーダー不在となったさいたま市も手に入れた。これは偶然か?
 考えていることが全部顔に出るレンは、スパイには不向きだ。ただ、何者かがレンの周囲で何らかの物語を作っているとしたら。そしてレン自身が最近それに気づいたのだとしたら。
 レンは「迷惑がかかる」という言い方をした。自分がここでも駒として使われる可能性を、レンは知っているのだ。
 震える手で押しのけようとしながら、レンは「これ以上好きになっちゃダメだ」と言った。サキはスマホの画面を見ながら、頬が緩むのを感じた。
 こんなに可愛い告白があるだろうか。スパイだとしたら、あまりにも間抜けすぎる。
 さて、自分とレンを監視して次の絵を描こうとしているのは、どいつだろうな。
 意味なくメール画面を上下にスクロールしながら、サキは考え事を続けた。
 タカトオが南へ進出するためには、統括ペンダントを手に入れなければならない。奴は確実にサキとエトウを追い詰めてくるだろう。なぜなら、販売権などタカトオにとっては道具でしかないからだ。サキは知っていた。東京に戻り北の全域を手に入れたのは、サキを潰すという明確な目的があるからだ。奴は昔断念したことに再び手をつけ始めた。かつての宿敵と再び対峙し、君臨するという目的がある以上、タカトオはペンダントの奪取をためらったりはしない。
 考えたくはないが。
 レンは、おそらく既に巻き込まれているのだろうとサキは思った。下手をすると、さいたまでの一件が、すでに布石であった可能性もある。レンが誰とでも寝る、男たちを手玉に取る人間だというイメージを作り上げ、こちらのグループの内部分裂を企んでいるのだろうか。
 あるいは……。本当にレンがスパイなのか。間抜けを演じ、サキを手の平で転がしているとしたら、レンはかなりの演技力を持っている。
 いずれにしても、レンとタカトオとの間に何かの関係がある可能性は高い。レンが積極的にスパイを演じなくても、弱みを握ったり脅迫したりして駒に使うのは、あり得る話だ。
 今まで、サキに言い寄ってきた奴は多い。用心して、サキは誰にも手を出さなかった。この期に及んで迂闊なことをやらかしたのは、レンだけじゃない。
 案外、レン自身が爆弾だったりしてな。
 サキはスマホの画面を消し、デスクに伏せた。
 何も考えずにレンを抱いて眠りたい。それはかなり難しそうだった。
 まずはライセンスペンダントの同期と認証の作業だ。サキとエトウが会うというのは、かなりの危険を伴う。さいたま市のように2人同時に殺されれば、グループは崩壊するのだ。まぁ過去の因縁のおかげで、タカトオはサキをすぐには殺さないだろう。それだけがこの状況の救いではある。
 サキは再びスマホを手に取り、メールに返事をした。今から1週間後、場所はこの図書館。ここなら防御はしやすい。今回は政府の人間を連れてくるという話なので、認証もすべて一気にできる。
 第5チームの連中が話しながら事務室に入ってくる。警備の引継ぎが終わったらしい。今まで数年にわたって、境界線の周辺で小競り合いはなかった。だが前回の襲撃以来、向こうは大っぴらに中央線の高架上を巡回している。線路に立ち入らないという暗黙の了解は消え失せていた。互いの警戒班がニアミスを起こし、あわや銃撃戦という事態になったのは、つい先週。
 一触即発。誰かが一歩でも相手側に踏み込んだら。あるいは何かを投げ込んできたら。
 サキは送信ボタンをタップしながら、眉をひそめた。
 嫌な予感が、喉にからみついていた。

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