夢屋奇譚見聞録

十ノ葉

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3.赤い手紙②

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 ―――――死ぬ。死ぬって何だ?嫌がらせじゃなく、脅しじゃなく、好意を示したい訳でもなく、犯人は殺害が目的って事か?だったらやっぱり警察に。いや駄目だ、作草部さんが既に相談してる。
 まだどこかで楽観視していたのであろう俺は、どっと冷や汗をかいた。背筋が薄ら寒い。意識の外にあった胃の不快感がより強力に主張を始めた。眩暈まで起こし始めている。
 腹を押さえて蒼褪める俺に、時嗣がゆっくり近づいて来た。握り締めた拳を俺の方へ向けて突き出す。

 「どうぞ。これでも食べて落ち着いて下さい」
 「え?」

 反射的に彼の拳の下へ自分の掌を差し出すと、開かれた指の間から飴玉が幾つか降ってきた。何コレ、糖分補給しろって事?

 「いいから食べて下さい。ほら早く」

 困惑する俺を余所に時嗣は手紙に視線を移してしまった。柴犬が低く唸りながら彼の周りをうろつく。もしかして少し前のギャン吠えは手紙に向かって威嚇してたのかも知れない。安心したわ、もうこの家の敷居跨げないかと思った。
 一息ついて手の中の飴玉を眺めると至って普通の飴だった。深く考えもせずに一粒口に放り込む。どこか懐かしい甘みが広がって、でも俺は和むどころか大いに驚かされた。

 「効きました?」

 したり顔で時嗣が振り向く。
 あんなに身体が訴えていた不調が見る間に霧散していったのだから、そりゃ誰だって驚くだろう。一体全体どういう仕掛けだ。

 「食べる護符、食べるお守りって言った方がいいかな。ちょっと市販品に細工してまして」

 あー・・・頼れるメガネ男子だとは思ってたよ。でもさ、何?家は霊道で柴犬の神様がいて市販の飴玉に不思議な細工が出来ちゃうスーパーのアシスタントマネージャーって!情報過多だよコノヤロウありがとね!
 口の中で飴を転がしながら、まだ掌に残っている他のものを検分してみる。パッケージを破った形跡もないし、具体的にどんな細工をしたんだろうか。まさかプラシーボ効果じゃないだろうな。酔い止めって偽って、ラムネや飴で車酔いを予防した成功例は有名な話だ。

 「どうやって作るか見ます?」

 俺の疑念を感じ取ったか、時嗣が一旦室内に引っ込んで小さな籠を持って来た。籠の中にはやっぱり見慣れた飴玉がこんもりと山を作っている。

 「柚。食べていいよ」

 ゆず、と声を掛けた相手は柴犬だった。へぇ、柚って名前なんだ。可愛い~・・・じゃねぇわ!

 「仮にも神様なんだろ?タメ口利いて怒られないのか。名前も神様っぽくないし」

 籠の中に短い鼻を突っ込んで、尻尾を振りながら嬉しそうに匂いを嗅ぎまくっている柴犬を横目に問い質す。当の後輩は顔色も変えずにケロリとしていた。

 「本当は駄目かも知れませんね。でも柚は怒りませんし。名前も勝手に付けましたけど返事してくれるんで不満はないみたいですよ」
 「神様ってそんな緩い存在だっけ!?」

 俺の中の神様像に亀裂が入る音がする。もっと厳かで尊い存在じゃないんかい。そんなんでいいのか。

 「憑神は読んで字の如く、個人に『憑く』神です。分かりやすく言えば凄まじく強い守護霊ってところですかね。俺は運よくご縁を戴いた、って事です」
 「もしかしてお前、霊能者だったりするの」

 少し前まで普通の後輩だと思ってたけど、ここまでくると霊能者でしたって言われた方が納得出来る。そろそろ頭から煙が出そうだ。なのに時嗣は半笑いでゆっくりと首を横に振った。

 「まさか。俺には世間一般で言う『霊感』は殆どありません」

 ちょっとはあるって事だ。マジか。俺が幽霊見たいって騒いでた時に、心配してくれていた理由が今更分かった気がする。
 時嗣がおもむろに「さて」と言ったので反射的に彼の方を向いた。まだ柚が鼻を埋めている籠を「そろそろいいかな」と言いながら取り上げている。飴玉を奪われた柚は・・・耳と尻尾を垂らしてしょぼくれていた。んぐ、可愛い・・・!

 「おい時嗣、さっき食べていいって柚に言ってたよな?まだ全然食べてないのに取り上げたら可哀想じゃないか。パッケージが邪魔で食べれなかったんだろ」

 飴に手を伸ばす俺を制して、時嗣は笑った。

 「食べましたよ。柚は御覧の通りこの世のものではないので、仏教で言う『香食』を行います」

 コウジキ。また知らない単語が飛び出して、頭が完全にキャパオーバーである。子供じゃないけど知恵熱出そうよ、俺。目が点になった俺に時嗣が解説してくれた。
 神仏に供物を捧げると、あちらの方々はその香りを食すのだそうだ。故に『香食』。残された供物自体は神仏の『下がりもの』として、人間が頂戴出来る。この時点で神仏と縁の繋がった供物は言わば『魔除け』になるらしい。食べる護符と時嗣が例えていた理由と細工のカラクリはこれだ。
 透けてる以外はどう見ても柴犬な柚も、立派な神様なんだな。ほっこりしつつ柚を見たら、まだしょんぼりしている。まるでご飯のお代わりを貰えなかったワンコそのものだ。

 「俺、クリームパン持ってるけど、食べる・・・かな」

 昼にコンビニで買ったまま食べなかったパンを、バッグから探しておずおずと柚に近づけてみる。あからさまに目を輝かせた柚は俺の傍を跳ね回り、最終的には勢い余って頭突きしてきた。顎を犬のデコで強打した俺は痛みに呻いたが可愛いから不問である。








 「先輩。作草部さん達はストーカーのイタズラだと思ってるようですけど、この手紙は呪いです」

 数枚の紙切れを調べ終えた時嗣がおもむろに視線を上げて俺を見た。

 「呪い?それって夜中に五寸釘打つアレだろ。ポストに手紙が届く呪いなんて聞かないぞ」

 大変失礼な話だが、現代においてオカルトやスピリチュアルは一部の人間を除き、少しばかり不思議な娯楽といったイメージがあるのではないだろうか。科学が発達したからこそ廃れ行く文化というものもある。

 「最も有名なのはまさに丑の刻参りですね。でも呪いと言うのは多岐にわたるんですよ」

 時嗣は眉根を寄せて手紙を指差した。

 「三日に一通でしたっけ。そのうち二日に一通、恐らく最後は毎日届くようになります」
 「何で分かるんだ?」
 「・・・・・・以前、これと似たパターンの手紙を見た事がありますので」

 俺は思わずゴクリと唾を飲み込む。呪いなんて見る機会そうそうある?と尋ねたかったけど、重い空気が発言を許さない。唯一ハッキリしたのは警察に頼んでもどうにもならないって事。もっと言えばお祓いを受けるような案件だったという事だ。結果は想像の斜め上だったものの、これで正しい対処が可能になった。頼れる後輩に深く感謝する。

 「そっか、分かった。明日作草部さんには俺から事情を説明するよ。んで、お祓いしてくれる寺か神社を探さなきゃな。協力してくれて助かった」

 ありがとな!と続けて帰るために立ち上がりかけた俺を時嗣が見上げる。「都賀先輩」と小さい声に呼ばれた。

 「お祓いをすれば小倉さんは助かります。でも、犯人が命を落とすでしょう」
 「え・・・どういう・・・」
 「祓われ、返された呪いは送り主に戻りますから」

 人を呪うような奴が死んでも特に問題は感じませんけど、先輩はどうします?と時嗣は言う。俺だって時嗣に同感だ。同感だけど、果たして心晴れやかに小倉さんの無事だけを喜べるだろうか。薄っすらと影を差す誰かの死の匂いを無視出来るかと問われれば自信がなかった。押し黙る俺に時嗣の言葉が続く。

 「前に似たタイプの呪いを見た時も、既に呪いが開始されていた状態でした。相談者の女性は慌ててお祓いを受けて事なきを得ましたが、間もなく、相談者の妹が亡くなりました。喉に大量の手紙を詰め込まれての窒息死です。彼女の部屋には赤い手紙が散乱し、亡骸には強く掴んだ掌の跡が夥しい量で残っていたそうですよ」
 「―――――!!」

 凄惨な現場を想像して血の気が引く。妹が姉を呪ったという事実も俺を震撼させた。もうどちらに転んでも平和的な解決なんて望めないじゃないか。呪いってそんなヤバイの?確かにホラー映画とかだとよく登場人物達がほぼ全滅の憂き目に遭っていたりするが。現実で人死にが出る後味の悪さなんて御免被りたい。

 「・・・ひ、人が死なない方法、あったりする?」

 若干引っ繰り返った声で時嗣に問えば、彼は僅かに考える素振りを見せる。頼む頼む!俺が巻き込んだ件だし、当然全力でサポートするから何か妙案出て来てお願い!
 冷や汗を垂らしながら祈るように数秒を待つ。やがて時嗣が再び俺に視線を寄越した。

 「作草部さんに何か尋ねられても事実は巧くはぐらかして下さい。それと、届いた手紙は定期的に小倉さんから引き取って俺に渡してほしいです。お願い出来ますか」
 「分かった!任せてくれ!」

 力一杯頷いて、俺は胸に緊張を抱えつつ時嗣の家を後にした。








 翌日。スーパーの更衣室で顔を合わせた時嗣は何故だかすこぶる眠そうだった。

 「大丈夫か、お前。もしかして手紙の件で寝不足?」

 うぅ・・・俺のせいじゃん、ごめんな・・・!罪悪感に苛まれていると時嗣が欠伸混じりに苦笑いする。

 「寝るには寝たんですが。寝るとかえって疲れると言うか」

 俗に言う質の悪い睡眠というヤツだろうか。悪夢でも見るのかと尋ねてみたら、曖昧な首肯が返って来た。

 「恐らく呪いの送り主は小倉さんの同級生です。殺すつもりはなくて、少し嫌がらせしてやろう、程度の気持ちだったようですが。今回は頼んだ相手が危険過ぎました」
 「一晩でそこまで分かったわけ!?本気で何者だよ!」
 「ちょっと、うるさいです先輩」

 あ。俺は焦って周囲を見渡す。更衣室の中には俺達二人しかいないが、ドアの外に人がいた場合、話が漏れ聞こえてしまうだろう。如何せん会社のドアは薄いのだ。意識して声を潜めねばならない。

 「悪い。で、昨夜言われた内容の他に、俺がやれる事あるか」
 「しっかりマネージャー業に勤しんで下さい」
 「おぅ!腕が鳴るぜ・・・え?」
 「俺は明日のオフを使って、色々調べものと準備をします」

 淡々と答える時嗣と俺の間に、木枯らしが吹いた気がした。いや、今は初夏だけども。

 「明日なら俺もオフだから!何でも言ってくれ!車だって出すぞ!?」

 必死に取り縋ると、やや引いた表情で「そうですか。・・・では明日車をお願いします」なんて言いながら微妙に距離を取られる。後輩からのこの仕打ち。泣いていい?

 「それじゃあ、俺はこれで。ちゃんと始業時間守って下さいね」

 ノロノロと制服へ袖を通す俺に時嗣が釘を刺す。ドアノブに手を掛け、一度振り向いた。

 「昨日言い忘れましたけど、作草部さんに俺が関わってるって言わないでおいて頂けます?」
 「いいけど何で?」

 時嗣が開けたドアの外へ半身を滑らせ、揶揄うように笑う。

 「重要な相談をすぐ他人にリークする口の軽い男だと思われたいんですか?」

 う゛。言われてみれば、確かに。
 俺の表情から同意を得たと受け取ったらしい時嗣はあっさりと更衣室を後にする。彼の後姿を見送り、時計を確認したら役員朝礼まで五分しかなかった。大慌てで着替えを終わらせ部屋を出るとパートの葭川さんとぶつかりそうになる。

 「ッ!ごっ、ごめん!」

 葭川さんも驚いていたがすぐに平常心を取り戻すと咳払いを一つ落とした。

 「お早うございます、マネージャー。今日は随分落ち着きがないですね。ついさっきも更衣室で一人騒いでたでしょう?」

 ヤッベ聞かれてた、と思ったけど、どうやら内容までは耳に届かなかったらしい。時間に余裕を持って行動しないから騒ぐ羽目になるんですよ、なんて苦言を呈されて終了した事に安堵する。仰る内容はごもっともなので教訓として今後に活かしたい。とりあえず目前に迫った朝礼に間に合わせるべく、葭川さんに別れを告げて俺は従業員用通路を駆け出した。
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