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十三不塔

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第三章 虹と失認

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 ゲームよ、と銅音は潜めた声で繰り返した。
 西洋人はくすりと頬を弛ませ、ベースボールシャツの男はビリヤード台を照らすシャンデリラへ視線を漂わせた。ゾウをかたどった照明器具もまた砂糖細工のようにキッチュでツルツルしたデザインだ。
「ゲーム。ご存知ですか、ここでのゲームはただのゲームじゃ――」
「どいつが漆間嶺?」ぶしつけに少女は言葉を挟む。この場にいる男たちは、初対面の少女がひとりではないことに気付いていない。鹿野銅音の中にいるもうひとりについては――漆間にとって見知らぬ間柄ではなかったが――まだ隠されている。
「漆間? はて人違いじゃないかな」先程とは別の男――ベースボールシャツの方が肩を揺すった。
「とぼけたって無駄」
「――君は?」
「鹿野銅音。臥織星南のクラスメートって言えばわかるっしょ」
 愚直に名乗った銅音。何のことやら知らぬ様子の西洋人は首を傾げて連れの表情を透かし見る。こいつは何のことかわかっていないが、漆間という名に反応した。つまり漆間はベースボールシャツの方だということか。
「てっとり早く言うわね。わたしたちはあなたが臥織星南にしたことの証拠を握っている。これは漆間の政治生命を終わらせるだけでなく、善良な市民としての仮面さえ脅かす」
 一気にそうまくし立てると、漆間と見なされた男の眼が据わった。
「ミスター・ガードナー。お招きにしたにも関わらず、無礼な幕引きをご勘弁くださいますよう。この部屋には相応の者でないと立ち入れないはずなのですが、今夜はどうも手違いが生じたようです。どうか後日埋め合わせをさせて頂きたい」
「というと?」ガードナーは察しが悪い。
「本日のところはお引き取りを。どうやら急用が舞い込んでいたようです。沓名、ガードナー氏をお送りして差し上げろ。そっちの卓球選手も叩き出せ」
 ――手はどうしますか?
 犬面は鼻をくんくんさせた。
「興味が失せた。さっさと追い払え」
 吉沢の顔が喜色に染まった。風向きが変わり、負けの払いを免れると理解したのだろう。まるで救世の女神のように銅音を見つめるが、ろくに礼を言う暇もなく、沓名という男に引っ張られて部屋を出ていく。
「さて邪魔者は消えた。詳しい話を聞こうか」
「死んだカメラマンの安心院剰一があなたの御乱行の記録を残してた。そしてわたしの手にそれはある。これで十分?」
 ゆっくりと三度だけ首を振った漆間は、偽の窓まで歩いて、その向こうの壁に描かれたアメリカ先住民の絵を眺めた。大きな背中越しに銅音は歯噛みする漆間の横顔を想像した。それはもうとても醜い面付きに違いない。悪党の苦悶は、そうでなくてはならない。
「そんなものがあるとして」振り向きながら漆間は平静を装った口ぶりで言う。「それをどうしたいんだ? たかが金が欲しくて女子高生がこんな危険を犯すとは思えないが」
「星南の首輪を外して。それが最低条件」
「首輪か。彼女を自由にする。それで気が済むんだな」
「いいえ」と銅音は首を振った。「あなたの全部を取り上げたいの。金も地位も何もかもを。わたしはね。あなたを素寒貧にして路上に転がしたいんだ!」
 銅音の啖呵にも魂のない石像のように直立した佐倉結丹は身じろぎひとつしない。その代わりにわなわなとこめかみをひくつかせていた漆間が爆発した。
 ――ふ、ふざけるなよ。わたしを一体誰だと?!
 権力者の残忍さと幼児性の取り合わせはいつも笑えない滑稽さで意識を騙し討ちにしてくる。
「だ、誰に口を効いていると思ってるんだ?! 小娘が。わたしがその気になればお前のお袋も父親もみーんな魚の餌にしてやれるんだ。いいか。これは冗談でも脅しでもない。素っ気ない事実に過ぎん」
 掴みかかってくる漆間の腕をかいくぐって、
「わたしたちに指一本でも触れたら、あんたのポルノをネットにばら撒いてやるから、ボタンのプッシュひとつでそうなるように仕掛けておいた。信じるか信じないかはあなた次第だけど」と銅音はスマートフォンを掲げてみせる。
「小賢しい脅しは通用しない。そこに映っているのは、果たしてわたしかな。ただ淫らな女が自分で自分を慰めているのではないかな」
 もちろん〈オムニバス〉している間、漆間はどこか別室で横たわっており、その身体が映像に登場することはなかった。つまりこれが漆間の乱行だと証明する術がないことになる。
「ジミー・ペイジの直筆サイン入りギター」銅音は言った。
「それがどうした?」訝る口ぶりで漆間が問う。
「――が星南の瞳の奥に映っている。あなたの部屋にあったものよ。安心院の高精細カメラの映像は相当の拡大に耐えられる。チャリティでオークションに出したものをあなたが競り落とした。現在の持ち主が誰であれ、ばっちり落札履歴も残っているから、これが広まればあなたの名前は浮上せざるを得ないよ」少女はまくし立てた。
 面白いほどに漆間はたじろいだ。銅音は趨勢が傾くのを感じ取る。
(もちろんハッタリよね)
『どんどん嘘が上手になってく。嫌気が差すわ。マジ嘔吐』
 生者に群がるゾンビのように漆間の手が伸びてくる。 
「触れないで。下手すると手元が狂っちゃうかも」
「やめろ! 頼むから!」
「こっちだって風紀を乱すグロアートなんて散布したくないし」
「だったら」と今度は懇願する漆間。他人の身体を借りていれば、羞恥心も軽減されるだろうか。「どうしたらいい?」
「非はそちらにあるとはいえ、一方的に脅迫しようとは思わない。星南の自由とあなたの全部を賭けてここで勝負しよう」
「ぜ、全部だと! どういうことだ?」
 銅音は身体の運転席を星南と変わった。彼女は、安心院の股関節から回収した小さなアンプル・メモリを――おぞましい悪行の記録を取り出した。
「〈パラドクサ〉があなたの口座から資産を一旦引き取る。それが済みしだいゲームを始めましょう。あなたの口約束は信用できない。手数料を払えば〈パラドクサ〉は中立の立場でゲームを取り仕切ってくれる。あなたが勝てばこれまで通り有能な政治家であり素朴な家庭人を演じていればいい。ここにあるオリジナルデータは引き渡す。知ってるでしょ。液状記憶媒体は、生体の体液中でしか保存ができない。輸血でもしなければコピーもできない不自由な代物」
「しかし、排出から数時間以内であれば、汗や涙や出血からデータを閲覧できるのを知らぬわけではないだろう。危険だ! 極めて危険だ!」
「ええ」と銅音は髪をかき上げて言った。「わたしは極めて危険なの」
「負ければパラドクサが預かった資産は二度と戻ってこない。そういうわけか?」
 銅音と星南が共に誤差なく頷いた。破滅。そういうことだ。
「おまえたちこそ約束を守るという保証はどこにある?」
「ここであなたに挑むこと自体が最大級の譲歩なのよ。理解している?」
 本来であれば、この映像データを問答無用で世間に晒すこともできる。しかし、それは漆間のみならず星南も望まぬことだ。権力者の玩具にされていたと言いふらしたい少女などいない。だからこそ星南の存在がここにあることを隠し通したまま事を進めなければいけない。漆間に少しでも付け入る隙を与えてはならない。
(賭け金(stake)を吊り上げて)
『火炙り(stake)にするの』
 少女たちの双眸が燃え上がるのに漆間は気付かなかった。漆間に出来ることと言えば彼女らの温情を素直に受け入れることだけだ。政治生命を脅かす深刻な恥部を、繕い切れぬ裂孔を二回りも年下の少女たちに握られている。そう考えただけで腸が煮えくり返る気分だったはずだが「わかった」と渋々と漆間は要求を飲んだ。
「決まりね」星南は言いながら、銅音の内部からの忠告に耳を傾ける。
『漆間はあの沓名ってのが戻ってくるのを待ってる』
(そうね。あいつは厄介かも)
 ひとりの少女の頭の中で二人が囁き合う。
「すべての資産を動かすことはできない。すぐにできるのはせいぜい数十パーセントだ」
「だったら物別れね」容赦なく星南は切り捨てる。時間を稼がせてはならない。あの猟犬のような男が戻ってくる前にゲームの段取りを終えるべきだった。少女たちは背徳の間を出ていこうと踵を帰した。
「待て、わかった。少し待ってくれ。こ、これならどうだ?」
 ベースボールシャツの男が舌打ちをする。遠くから相乗りしている漆間が自宅より手続きを行なったのだろうか、数分後、背徳の間にあるモニターに巨額の数字が目まぐるしく明滅する。
「これで移行が完了しました」
 それまで指一つ動かそうとしなかった佐倉結丹が、退屈に耐えかねたように小さく欠伸をした。
「さあ君たちもそのデータを彼女に渡しなさい」
「ええ」と星南が筒状の記録媒体をディーラー然とした佐倉に渡そうとした時、銅音がそれを押しとどめた。
『待って、この子が店の人間とは限らない。奥村は背徳の間には客しかいないと言ってた』
(そう。じゃあ?)
『おそらく彼女も漆間の手下』
「どうした」と漆間が催促する。
「やめたわ」星南がきっぱりと言い切った。これはこうする、と今度は主導権を握った銅音がプランジャーのキャップをもぎ取って、その先端の自分の腕に当てる。ついでフィンガーグリップを引き寄せてロッドを押し込むと中の液体が銅音の体内に注入される。液状記憶媒体は分子メモリに書き込んだ情報を体内に散在させることができる。超磁性限界を超えた情報を書き込んだ微細な分子は無害であり、受容者の体内で適時にコピーされ続ける。銅音の体液そのものが情報であり、漆間にとっては生きる脅威となったのだ。
「わたしの出血や排泄といっしょにあなたの秘密が漏れていく。わたしが生きている限り。もし秘密を守りたいなら、わたしを抹消するしかない」
「君はイカれてるのか?」
「興奮するでしょ。あんたはド変態だから」
 切りつけるように言えば、ブルブルと膝を震わせながら、ああ、と漆間は恍惚として頷いた。眼球が濡れて輝くのと同じくして股間のものが盛り上がる。おぞましい変態野郎め。
「いいよ。いいだろう。血の一滴も漏らさぬように密殺してやる。どうする? どのゲームで遊ぶ?」
「奈落の六穴」星南は、はっきりと告げた。

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