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カエルの丸焼き
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2010年、私はなんとか大学を現役で卒業することができた。
とはいえ当時は就職氷河期と呼ばれるほど企業が採用数をかなり絞っていて、50~60社に応募するなんて事はザラにあった。それでも採用されないで年があけてしまった、なんて人も何人もいたのだった。
私はというと、実のところ全く就職活動に力を入れていなかった。
皆が前年の時点で行なっているはずの自己分析も業界研究もやってなかったし、インターンシップなども行なっていなかった。
さあそろそろ就活やるか、と思った頃には志望する業界のエントリーは締め切っていたり、などとにかく行動が遅かった。
地元の同級生からは、
「お前就活なめとんのか。」
と呆れられる始末。
そうして、なんとか採用にこぎつけたのが全国的に展開している某飲食業の会社だった。
もうとっとと就活を終わらせたかった私はそれで就活を切り上げることにした。
だからといってその会社に魅力が無かったわけではない。企業理念も立派だったし、その理念を叶えるために実際に行動しているところは本当に素晴らしいと思った。何よりも、自社の商品をお客様のためにブラッシュアップし続ける姿勢は今でもなお尊敬できる点だ。とはいえ私は就活も終わらせたということで、あとは卒業論文と残りの単位の履修に全力をあげた。
4月になって入社式と研修があり、パリッパリのスーツに身を包んだ私は、いよいよこの会社の一員となるんだ、という実感が湧いてきた。
「よし、やるぞ。俺はこの会社で頑張るんだ。俺がこの会社を変えるんだ。俺ならできる。やってやるぞ。」
などと、なんの根拠もない自信を抱きながらとうとう働く事になった私。
結果、どうなったか。
勿論、悲惨である。
飲食業の経験自体無かった私は、本当に何もできなかった。
美味しい料理を作るどころか、まともに料理を運ぶこともできず、毎日のように皿を割っていた。皿を割らなかったら、
「お、今日は珍しいね。」
などと言われるほどだ。
フロアでの接客作業が身につくまでは調理場に立たせてすらくれなかった。毎日ひたすら料理を運び、注文を聞いて、また料理を運び……の繰り返しだった。
フロア作業も身に付いたらいよいよ調理作業……だったのだが、調理場はまさに戦場で、少しでももたついたら上司に蹴り飛ばされたり怒鳴られたり、挙句の果てには追い出され、「家に帰れ」「給料泥棒」と言われた。(当時はパワハラがあまり問題視されていないい時期で、殴る蹴るや罵倒は日常茶飯事だった。)
やってる作業だってアルバイトと変わらないのに、給料はアルバイトの倍。でも作業はアルバイトの方ができるのだ。この事実が私をなおも苦しめた。
そんな毎日だというのに、家の方はというと3人目の母親と上手くいっておらず、無視され責め立てられる一方。心の休まる場所など無かった。
「消えてしまいたい。」
「死んでしまいたい。」
そんな事を毎日のように思っていた。
だが、口には出さずに黙々と日々鍛錬を積んだ。
ひたすらに、愚直に、まっすぐに。
「辞める」、という選択肢は無かった。
環境に負けて辞めるなんてのはまっぴらだった。
「石の上にも三年」という。どんな状況だろうと、三年も経たぬうちに辞めてしまっては、自分の強みも弱みも見えないまま。その会社で働いて良いところ、悪いところも見えないまま。
そう、それこそどんな料理だって良く噛んで吟味しなければ、本当の味が分からないじゃないか。
そう考えて、まずは仕事を身につけようととにかく頑張った。
アルバイトの人にも仕事のコツを聞いたり、自前で色々勉強したりと考えられるだけの努力をした。
その結果、一流の仕事……とまではいかないまでもそれなりに動けるようにはなったのだった。
働き始めて一年が経つころ、とうとう上から人事異動が伝えられた。
場所は、当時出店したばかりの激戦区であった福岡だった。
私は初の人事異動、そして初の県外での一人暮らしという事で、楽しみだというのが半分、自分の実力が通用するのか不安というのが半分入り混じった複雑な気分だった。
何はともあれ、今現在の職場からは卒業、というところで意外なお誘いがやってきた。
なんとアルバイトの皆が私のお別れ会を開いてくれたのだ。(しかもいつも嫌味ばかり言ってくる上司は抜きで、だ。)
正直、足を引っ張ってばかり、迷惑をかけてばかりの私だったのだが、そんな私にもそんな催しを開いてくれるとは思ってもみなかった。
お別れ会の会場はゲテモノを取り扱う店らしく、なんとも怪しげな雰囲気を醸し出していた。店に来たアルバイトの子は、注文に慣れているらしく、あれとこれとそれと、と手際よく注文していく。
私は自分が主役の飲み会などなかなかないのでソワソワするばかりだった。
普段は喋らないアルバイトと言葉を交わしたり(いっぱいいっぱいだったので会話の内容は覚えていない。)、寄せ書きやプレゼントを受け取ったりと、もう嬉しい限りだった。
そうして会も進んでいくうち、料理もメインディッシュの出番となった。
そう。「カエルの丸焼き」である。
食用に育てられた大型のカエルを豪快に丸焼きにした一品で、この店の名物らしい。
普通は「カエル」と聞いただけで食欲を失う者もいるのだろうが、私はこの手のゲテモノには興味津々だった。大阪ではワニやカンガルーの串カツも食べたことがある。
どんな味がするのか予想がつかない、というのがワクワクするのだ。第一、食べたこともないのに、グロテスクだからマズイなどと決めつけてはあまりにもったいないではないか。
そんなわけで食卓に並んだカエルにも、私は躊躇しなかった。皿に取り分けられた脚の部分を口へと運ぶ。
ふむ。うまい。
味としてはあっさりとしていて臭みもない。
鶏肉のササミに似たような味だった。
まあカエルは古くはカレーの具材としても用いられていたぐらいだ。マズイわけがないのだ。
そうしてカエルの丸焼きも平らげて、会はお開きとなったのだった。
そうして福岡に働くことになった私だが、行った先でも苦労する羽目になった。
どうやら私の上司が教えていた内容に、我流による部分が多かったらしく、一緒に働くことになった同僚に笑われた者だった。さらには商品の出数や、売上、人事生産性の話など、当然知っておくべき、とされた話も私にはちんぷんかんぷんだった。
まあそれはそれ。
いつもと変わらない。知らないのならまた一から学べば良いのだ。
知らないことは素直に知らないと言って教えを乞い、作業でまた追いつかなくなっても少しでも上達するよう、また努力をやっていった。
それはそれから先も変わらなかった。
上達したかと思えばまた壁にぶつかる。その度に思い悩み、努力をしてまた乗り越える。
愚直で不器用なやり方だが、私にはそれしかできなかったし、それが強みでもあったのだ。
どんな逆境でも、コツコツとできることを見つけ、努力を重ねる。
一見すれば何も変わっていないかもしれない。しかし確実に前には進んでいる。
その自分の姿は、自分が思っているよりも色んな人が見ている。良くも悪くも、だ。
私は器用な人間ではない。
見てくれは悪くても、泥まみれになっても、ただ愚直に前に進むしかできない。
それでいいのだ。
そう、ちょうどあの日に食べたカエルのように。
誰もが受け入れるものではないかもしれない。でも食べてくれた人は皆美味いと言ってくれる。
私はそんな人間でいいのだ。
とはいえ当時は就職氷河期と呼ばれるほど企業が採用数をかなり絞っていて、50~60社に応募するなんて事はザラにあった。それでも採用されないで年があけてしまった、なんて人も何人もいたのだった。
私はというと、実のところ全く就職活動に力を入れていなかった。
皆が前年の時点で行なっているはずの自己分析も業界研究もやってなかったし、インターンシップなども行なっていなかった。
さあそろそろ就活やるか、と思った頃には志望する業界のエントリーは締め切っていたり、などとにかく行動が遅かった。
地元の同級生からは、
「お前就活なめとんのか。」
と呆れられる始末。
そうして、なんとか採用にこぎつけたのが全国的に展開している某飲食業の会社だった。
もうとっとと就活を終わらせたかった私はそれで就活を切り上げることにした。
だからといってその会社に魅力が無かったわけではない。企業理念も立派だったし、その理念を叶えるために実際に行動しているところは本当に素晴らしいと思った。何よりも、自社の商品をお客様のためにブラッシュアップし続ける姿勢は今でもなお尊敬できる点だ。とはいえ私は就活も終わらせたということで、あとは卒業論文と残りの単位の履修に全力をあげた。
4月になって入社式と研修があり、パリッパリのスーツに身を包んだ私は、いよいよこの会社の一員となるんだ、という実感が湧いてきた。
「よし、やるぞ。俺はこの会社で頑張るんだ。俺がこの会社を変えるんだ。俺ならできる。やってやるぞ。」
などと、なんの根拠もない自信を抱きながらとうとう働く事になった私。
結果、どうなったか。
勿論、悲惨である。
飲食業の経験自体無かった私は、本当に何もできなかった。
美味しい料理を作るどころか、まともに料理を運ぶこともできず、毎日のように皿を割っていた。皿を割らなかったら、
「お、今日は珍しいね。」
などと言われるほどだ。
フロアでの接客作業が身につくまでは調理場に立たせてすらくれなかった。毎日ひたすら料理を運び、注文を聞いて、また料理を運び……の繰り返しだった。
フロア作業も身に付いたらいよいよ調理作業……だったのだが、調理場はまさに戦場で、少しでももたついたら上司に蹴り飛ばされたり怒鳴られたり、挙句の果てには追い出され、「家に帰れ」「給料泥棒」と言われた。(当時はパワハラがあまり問題視されていないい時期で、殴る蹴るや罵倒は日常茶飯事だった。)
やってる作業だってアルバイトと変わらないのに、給料はアルバイトの倍。でも作業はアルバイトの方ができるのだ。この事実が私をなおも苦しめた。
そんな毎日だというのに、家の方はというと3人目の母親と上手くいっておらず、無視され責め立てられる一方。心の休まる場所など無かった。
「消えてしまいたい。」
「死んでしまいたい。」
そんな事を毎日のように思っていた。
だが、口には出さずに黙々と日々鍛錬を積んだ。
ひたすらに、愚直に、まっすぐに。
「辞める」、という選択肢は無かった。
環境に負けて辞めるなんてのはまっぴらだった。
「石の上にも三年」という。どんな状況だろうと、三年も経たぬうちに辞めてしまっては、自分の強みも弱みも見えないまま。その会社で働いて良いところ、悪いところも見えないまま。
そう、それこそどんな料理だって良く噛んで吟味しなければ、本当の味が分からないじゃないか。
そう考えて、まずは仕事を身につけようととにかく頑張った。
アルバイトの人にも仕事のコツを聞いたり、自前で色々勉強したりと考えられるだけの努力をした。
その結果、一流の仕事……とまではいかないまでもそれなりに動けるようにはなったのだった。
働き始めて一年が経つころ、とうとう上から人事異動が伝えられた。
場所は、当時出店したばかりの激戦区であった福岡だった。
私は初の人事異動、そして初の県外での一人暮らしという事で、楽しみだというのが半分、自分の実力が通用するのか不安というのが半分入り混じった複雑な気分だった。
何はともあれ、今現在の職場からは卒業、というところで意外なお誘いがやってきた。
なんとアルバイトの皆が私のお別れ会を開いてくれたのだ。(しかもいつも嫌味ばかり言ってくる上司は抜きで、だ。)
正直、足を引っ張ってばかり、迷惑をかけてばかりの私だったのだが、そんな私にもそんな催しを開いてくれるとは思ってもみなかった。
お別れ会の会場はゲテモノを取り扱う店らしく、なんとも怪しげな雰囲気を醸し出していた。店に来たアルバイトの子は、注文に慣れているらしく、あれとこれとそれと、と手際よく注文していく。
私は自分が主役の飲み会などなかなかないのでソワソワするばかりだった。
普段は喋らないアルバイトと言葉を交わしたり(いっぱいいっぱいだったので会話の内容は覚えていない。)、寄せ書きやプレゼントを受け取ったりと、もう嬉しい限りだった。
そうして会も進んでいくうち、料理もメインディッシュの出番となった。
そう。「カエルの丸焼き」である。
食用に育てられた大型のカエルを豪快に丸焼きにした一品で、この店の名物らしい。
普通は「カエル」と聞いただけで食欲を失う者もいるのだろうが、私はこの手のゲテモノには興味津々だった。大阪ではワニやカンガルーの串カツも食べたことがある。
どんな味がするのか予想がつかない、というのがワクワクするのだ。第一、食べたこともないのに、グロテスクだからマズイなどと決めつけてはあまりにもったいないではないか。
そんなわけで食卓に並んだカエルにも、私は躊躇しなかった。皿に取り分けられた脚の部分を口へと運ぶ。
ふむ。うまい。
味としてはあっさりとしていて臭みもない。
鶏肉のササミに似たような味だった。
まあカエルは古くはカレーの具材としても用いられていたぐらいだ。マズイわけがないのだ。
そうしてカエルの丸焼きも平らげて、会はお開きとなったのだった。
そうして福岡に働くことになった私だが、行った先でも苦労する羽目になった。
どうやら私の上司が教えていた内容に、我流による部分が多かったらしく、一緒に働くことになった同僚に笑われた者だった。さらには商品の出数や、売上、人事生産性の話など、当然知っておくべき、とされた話も私にはちんぷんかんぷんだった。
まあそれはそれ。
いつもと変わらない。知らないのならまた一から学べば良いのだ。
知らないことは素直に知らないと言って教えを乞い、作業でまた追いつかなくなっても少しでも上達するよう、また努力をやっていった。
それはそれから先も変わらなかった。
上達したかと思えばまた壁にぶつかる。その度に思い悩み、努力をしてまた乗り越える。
愚直で不器用なやり方だが、私にはそれしかできなかったし、それが強みでもあったのだ。
どんな逆境でも、コツコツとできることを見つけ、努力を重ねる。
一見すれば何も変わっていないかもしれない。しかし確実に前には進んでいる。
その自分の姿は、自分が思っているよりも色んな人が見ている。良くも悪くも、だ。
私は器用な人間ではない。
見てくれは悪くても、泥まみれになっても、ただ愚直に前に進むしかできない。
それでいいのだ。
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誰もが受け入れるものではないかもしれない。でも食べてくれた人は皆美味いと言ってくれる。
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