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5『冥々たる紅の運命』

5 第五章第七十九話「VSオルシェ④ 《救命ヴァイア》」

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 トーデルとザドが激戦をレゾンと繰り広げていた頃。

 同様に飛び散る火花。だが、その熱もすぐに衝撃で掻き消されていく。最早物体はその空間で一か所に留まることはできなかった。

「《月光剣・真月!》」

 轟轟と震える大気、大地を駆け抜ける青い軌跡。銀の大剣を纏った魔力はその形を更に巨大なものに変えていた。

 振り下ろされる青い満月に相対する緋色の長剣。十字架のような形をしたそれは、まるで断頭台で首を断つかのような軽やかさで銀大剣をいとも容易く断った。

 月が紅く侵されていく。

 目を見開く彼女の元へ、まさしく首を切ろうと死が手を伸ばしていく。

「《盾》」

 言葉と共に、彼女が咄嗟に放出していた魔力が全方位を包む青色の盾へと変わる。

 その《言霊》によって意味を与えられたものは、解かれるまでその意味であり続ける。如何に力があろうと、出現した《言霊》を断つことはできない。

 それでも、《盾》ごと小さな身体は遥か彼方へと吹き飛ばされた。

「《木》」

 変わるように白と黒の混じった長髪が躍動する。振るわれた緋色の長剣に放たれた《言霊》で、死神の長剣は紅い木の枝へと変化した。

 すぐさまもう一方の長剣へ《言霊》を放とうとするも、その前に緋色の長髪が楽しそうに揺れる。

 直後、紅い木の枝が振るわれた。まるで剣だと言いたげに一閃されたと同時に、弾ける世界。一瞬にして冥力が目の前で爆発して魔王は爆風に飲み込まれた。

 木の枝はまるで魔法の杖のように扱われていた。意味を与えられるということは、本来の意味を薄くなるということでもある。剣という武器だったものが、木としての価値を与えられたということは、それだけ攻撃力も下がるはずだった。

 だが、通用しない。

 目の前にいる存在は、世界そのもの。価値は与えるものであり、与えられるものではなかった。

 爆風に映る人の影。

 爆風から飛び出してきたのは魔王ではなく、人界の英雄二人だった。

 広がる冷笑。手に持っていた木の枝を放り投げ、再び緋色の長剣を生成する。

「《ストリーム・親子・スラッシュ!》」

 青白い斬撃と紅い斬撃が十字に交わる。瞬きも許さない電光石火の一撃はあっという間に目標へ到達した。

 そして、緋色の長剣二刀で掻き消そうとした彼女に、

「《斬撃》」

 先程と変わらぬ声音が爆風の奥から聞こえてくる。放たれていた十字の斬撃は最早何者にも打ち消せぬ概念となって、次の瞬間、死神を飲み込み吹き飛んでいった。

 穿たれ、抉られる大地。斬撃は止まらずに孤島を飛び出し、溶岩へと入っていった。

 少しの静寂と、その後に訪れる当然のように噴き出す溶岩。漆黒に包まれた世界を、まるで花火のように彩り、儚く落ちていく。

 溶岩に照らされながら、オルシェは怪しく笑っていた。



 カイ達は未だ劣勢に立たされていた。



 カイが、肩を上下させながら叫ぶ。

「くそっ! 後どれくらいで力が拮抗するんだ!」

「《シャーロットさんの送ってくれている冥力はだんだん増えているけど……》」

「《生憎まだ凌ぐだけで精いっぱいね》」

 イデアとシロの言う通りだった。確かにシャーロットから送られてくる冥力の上限は増えている。きっとケレア達が魂達をうまく協力まで結び付けてくれているんだと思う。自覚として、だんだんと自分達を包む冥力が増えているのが分かる。

 カイ達がオルシェから力を削り、一方でカイ達の力が増していく。だから、本来的には徐々にカイ達は最初よりも優勢に立つはずだった。

 だが、如何せんパワーバランスは変わらない。

 こちらが強くなった分、向こうも出力を増やしているようで。

 それはつまり、まだ本気ではないことの証明でもあった。

 ゼノもカイ以上に疲労をにじませていた。

「カイ」

「どうした、親父」

「さっきの技名、どうにかならんもんか。普通にダサ過ぎだろ」

「失礼な!」

「《私は好きよ》」

「そりゃシロは俺達の技に《ゼノ・フィールド》って俺の名前入れたがるぐらいだからなぁ」

「《何よ、ダサいって言うの!?》」

「……ここは正常な判断をイデアちゃん、頼む」

「《…………でも、不思議だよね。もしまだ全力じゃないのなら、どうして本気で攻撃して来ないんだろう》」

 イデアの正常な判断によって話が打ち切られる。

「俺達を試したい、ってか? でも一撃一撃、本当に抵抗しなかったら死ぬぞ。なぁ、レイニー」

「私は簡単に死ぬほど柔じゃない!」

 既に転移で戻り済みのレイニーがカイの発言に憤りを見せる。その横でべグリフはオルシェから目を逸らさずにいた。

「べグリフに守ってもらってたくせに」

「愛を感じて幸せだった……」

「お前、何か歪んできてないか……」

 恍惚とした表情を見せるレイニーにカイは若干引いていた。確かに散々会いたいと願っていたべグリフに会えるのだから、多少は仕方ないとも思うが。にしたってその顔、俺初めて見たぞ。

 ただ実際、べグリフが防がなければレイニーは死んでいただろうし、その前の攻防だってカイが転移させていなければゼノが死んでいただろう。

 常に死と隣り合わせだ。これで試しているなんて、綱渡り以外の何物でもない。綱を無事に渡れるかどうか実験しているとでも言うのか。

 そもそも何で試す必要がある。

「ええいっ、こういうのは考えても無駄だ! ――オルシェ!」

 ゆっくりと歩を進め、着実に死を突き付けてくるオルシェに、まるで友達でも呼ぶかのようにカイは話しかけた。ゼノは正気かと言いたげにカイへ視線を向け、べグリフも一度だけカイを一瞥した。

 そこに会話の余地があると本当に思っているのかと、臨戦態勢を崩さずに二人は思っていた。

 オルシェは足を止め、浮かべていた微笑を消してカイを睨んだ。

「その名で此方を呼ぶな」

 かえって苛立たせたようで、一層気を引き締めるゼノの横でカイの態度は変わらない。

「何でだよ、そう呼んでほしがってたってトーデルから聞いたぞ」

 結局誰一人オルシェと呼んでくれるものはいなかったらしいが。

 表情を変えずに、まるで仇の名前を呼ぶようにオルシェは吐き捨てた。

「ソレは間違った此方であり、存在してはならないものだ」

 今となっては呼ばれなくて良かったと、《女王》は本気で思っている。むしろ、あってはならない存在だからこそ、《冥界の審判員》達は呼ばなかったのだと結論付けている。

「そんなものを求めたからこそ、此方はお前達と同じ土俵に落ち、そして失敗したのだ」

「……」

 カイもまた、オルシェを睨むように見つめた。別に怒っているわけではない。ただ、彼女の言葉に悲しみに似た、苛立ちにも似た何かを感じてしまう。

「名など要らん。此方は《冥界の女王》。絶対的な存在であり、生と死の概念そのものだ」

「じゃあ、その絶対的なアンタの目的は何なんだ。何がしたくて、アンタは今そこにいる」

 命に価値づけし、生命の死を何とも思っていない《女王》。

 その先に一体どんな世界を描いているというんだ。

「此方の大願はただ一つだ」

 消したはずの笑みがオルシェの元へ戻ってくる。

「命は巡る。生きては死に、死しては生まれる。これが摂理であり、魂が絶えることはない。だが、無限に続いていくだけの価値が魂達に存在しているか? 価値のないものを繰り返したところで価値はなく、それは何も成していないことと何が違う? ――だから、此方がこの輪廻を終わらせるのだ」

「なに……?」

 思わずカイは聞き返してしまった。もしオルシェの言っている言葉がまさしく言葉通りで、その論理展開で未来を描いているのだとしたら。

 その未来にはきっと。





「この世界から魂を全て消し去る」





 きっと、魂はどこにも存在していないだろう。

「――」

 カイは驚いたようにオルシェを見た。この世界というのは、きっと《冥界》だけでなく人界、天界、魔界などの生界も含まれている。

 つまり、この次元から魂を消そうとしている。

 魂が消失してしまえば、存在していたという記憶も残らないという。

 この世界からは魂が消失するということは。何者も存在して「いなかった」世界が生み出されることと同義であり。



 「無の世界」が誕生してしまう。



「これは最後の審判だ。お前達が此方に勝てば防げるだろう。だが、此方が勝てばすぐにでも実行する。――最早魂、生物など要らん。心など、どこにも誰にも必要ない」

 オルシェは再び歩みだす。両手に一つずつ持った緋色の長剣は先程よりも紅く輝きを放っていた。カイに覚えた苛立ちを具現化するように、死の気配を一層濃く匂わせていた。

「来るぞ!」

「問答に意味はあったか、カイ・レイデンフォート」

 ゼノ達が迎撃態勢に入る中、イデアだけはセインのまま微笑んでいた。

 オルシェの言葉を聞いて、カイの中に灯る心。その篝火は変わらず周りを暖めてくれる。

 カイの心にはいつも、希望が宿っている。

 べグリフの言葉にもし返答するのであれば。

 間違いなく意味はあったよ。

 カイは、驚いた顔そのままに言った。





「そっか、要は俺達に期待しているんだな……」





 進めていた足が再び止まった。

「止めてほしいんだろ、俺達に」

 最早確信のようにカイは言葉にしていた。

「俺達と戦わなくたって、やろうと思えばできるんだろ? 魂を簡単に操れるアンタならさ」

 カイの真っすぐな瞳を、オルシェはゆっくりと視界に入れた。

 これまでの何よりも鋭い瞳で、カイを映していた。

「それでもやらない。それに、本気を出せば俺達だってパパっと片づけられるのに、そうすることもない。……本当は俺達に勝ってほしいんじゃないか?」

 そう考えれば、どうしてカイとシャーロットが生界へ帰るのを止めなかったのかも説明がつく。どうしてケレア達の活動を邪魔しなかったかも。

 トーデルから聞いたオルシェという人物は間違っても魂の消失を願うような者ではなかった。魂に寄り添い、魂の為に生きていたと思う。

 その心が、もしかしたらまだ目の前の彼女に残っているのかもしれない。

「さっきのは本心だと思う。魂に絶望してるんだ。でも同じぐらい魂のことを信じてるんだ。この世界はどうしようもないと判断した自分のことを、誰かが止めてくれるんじゃないかって。自分が下した決断が、間違っていると証明してくれるんじゃないかって」

「……」

 《女王》ではない、オルシェがそこにまだいるのかもしれない。

「だから、俺達と戦うことにした。アンタの言葉を借りるなら、俺達は最も魂の中で価値がある方なんだろ。もし、そんな俺達でも勝てなかったら魂に価値はないという判断は正しかったとも言えるし、俺達が勝てば間違っていたって言える。――確かに最後の審判だな、こりゃ」

 白と黒の大剣を構え、カイが不敵に笑う。



「オルシェ、ありがとう。まだ俺達のことを信じていてくれて」



「――屈辱だ」

 世界の色が変わる。世界の形が変わる。漆黒に染まっていた背景が一面真っ赤に変わっていく。孤島を覆う溶岩は爆ぜて周囲に飛び散り、大地は悉く亀裂を入れていった。そうして割れた大地を掃除するように紅い竜巻があちこちで発生する。

 《冥界》が鳴動している。オルシェの感情に呼応して。

 間違いない、怒りだ。

 煮えたぎったような怒りが、《冥界》全体を揺らしている。

「此方がお前のような魂に、まるで真実のように語られ、そのような低俗な価値観にあてはめられるだと」

「オルシェ!」

 脈打つ大地に必死に立ってカイがその名を呼ぶ。そこにいることを願って必死に呼びかける。

 だが、決して現れることはない。

 天変地異が留まることはない。

 強風に乱れた髪を直そうとする素振りも見せず、緋色の髪の間から真っ赤に燃えた瞳がカイを突き刺す。

「呼ぶな! 何も分かるはずがない。次元の違う存在を、容易く語ろうとするな……――此方の価値を、お前が決めるな!」

「《――盾!》」

 オルシェが視界から急に消える。

 べグリフが即座に全員を包む《盾》を生み出すのと。


 オルシェの双剣がべグリフの腕を飛ばすのはほぼ同時だった。


「――っ!?」

 べグリフが目を見開く。

 あり得ない。《言霊》は物質にその役割を課す。《盾》は盾のままあり続けるはずだった。

 《盾》の上から、べグリフの腕は断ち切られていた。

 切断された腕が宙を舞う。魂だけの存在だからこそ鮮血は飛び散らない。

 天辺から割れていく橙色のシールドの中、既に侵入している緋色の死神。

 振るわれる緋色の舞。

 瞬時に全員が理解した。

 オルシェが力を解き放っている。ゼノによって半減され、カイ達が削ってきた残りの全てを発揮している。その全力は、べグリフの《言霊》をも壊せてみせた。

 爆ぜる紅い光。まるで星同士が衝突したような衝撃は、カイ達を散り散りに吹き飛ばした。

「ぐっ、――くっ」

 何度も地面を転がるカイ。回る視界が赤く濡れる。さっきの一瞬で体中切り裂かれていた。

 血で濁った世界に映る、死の概念。

「期待か、その通りだ! 魂に価値はないとお前達が証明してくれることを期待している!」

 突き刺すように交差する緋色の双剣が急降下し、カイへ襲い掛かる。吹き飛んでいた勢いを殺され、大地が容易く割れ、沈んでいく。

「ぐっ……!」

「《今まで、より、全然重い……!》」

 セインが皮膚を裂くギリギリで防ぐ。鍔迫り合い、甲高くなる金属音は、イデアの悲鳴のようだ。

 その悲鳴の先、オルシェは眼を見開いてカイを睨んでいた。

「絶望、それもその通りだ! 此方は魂に絶望している!」

 背にしていた大地が砕け、カイとオルシェは奈落へ堕ちていく。既に孤島は崩壊を始めており、割れた先で溶岩が待っていた。

 その中をオルシェが縦横無尽に駆け回る。

「魂を魂たらしめるものは何か分かるか!」

 素早く振るわれる死の剣舞がカイの身体をどんどん刻んでいた。

「心だ! 肉体とは違う、目に見えぬ知覚できない存在が、魂を存在させている! 《冥界》とは魂の世界であり、心の世界だ!」

 斬り上げられた一撃はカイごと大地を切り裂き、カイと共に緋色の斬撃が地上へ飛び出していく。

 血にまみれたカイの頭上にオルシェは出現した。

「だが、心があるからこそ絶望する! 心があるからこそ価値を感じない! 心があるから、命は死ぬのだ!」

 その手に握られた双剣が紅く明滅する。

「心が、心なんてものがなければ――!」

 叫ぶオルシェ。脳裏にノイズのように走る過去の記憶が、彼女にこれを叫ばせる。

 消し去った四つの魂が、彼女の心を叫ばせる。

 心があるから、彼女は叫んでいた。

「――」

 カイは目を瞠った。

 ぼやけるカイの視界に映る彼女の表情は。



 泣き叫んでいる子供のようだった。



 心に押しつぶされそうな、泣きじゃくる幼子のようだった。

「――心があるから、生きるんだろっ!」

 酷く痛む身体。傷跡を焼かれ続けている感覚を無視して、それでもカイは叫んだ。

 その上から襲い掛かる十字の斬撃。世界にバツをつける緋色の斬撃はカイごと大地へ落ちていき、大地を穿ち、そして爆発する。

 弾ける緋の光が柱のように高々と昇っていく。その光景を、冷たい視線でオルシェは見ていた。

「だから此方は魂を消すのだ。この世から――全ての心を消すのだ」

 モクモクと立ち上る赤黒い煙の中から、それでも青白い光はここにいるのだと主張し続けていた。

「ふざけ、るな……!」

 滴る血。それでもその瞳から光は消えない。

 心は消えない。

 真っすぐに、オルシェを見据えて。

 その心を見据えて。



「お前のその絶望を救えるのも、心だろうが……!」



「――っ」

 カイの言葉で想起される、掲げていた理想にオルシェが顔を歪める。

 どうして《冥界》へ訪れる魂達に幸福を与えようと思ったのか。

 せめて、死という絶望から救えるように心から願ったのは、誰だったか。

 捨てたはずの何かが、心の奥底で淡く光った気がした。

 ギリッとオルシェが歯を鳴らす。

「……そしてお前を殺すのも、心だ」

 瞬間、オルシェが姿を消す。カイの周囲から一気に気配が消えた。

 オルシェは今、カイから標的を変えた。

「どこに――」

 目を閉じ、気配を探る。そして、気付いたカイはすぐさま転移した。



 オルシェの狙いはべグリフだった。



 べグリフの目の前に突然出現するオルシェ。

 先に反応したのは近くに居たレイニーだった。愛する人に向かってくる死を見て黙っていられるわけがない。振るわれる銀大剣。だがソレごと、オルシェは一閃してまるで塵芥のようにレイニーを切り裂いて吹き飛ばす。

 オルシェの鋭い視線に、べグリフは一歩後ずさっていた。

 既にべグリフの《言霊》はどんな理屈かオルシェには通用しない。加えて、左腕一本吹き飛ばされている。

 絶体絶命だった。

 だが、死ぬわけには行かない。べグリフの死は、この魂に宿る彼女の死でもあるから。

 死なせるわけにはいかない。

「――《剣》」

 溢れさせた魔力を全て一本の剣に凝縮させ、べグリフは死を誘う死神を迎え撃とうとする。

 オルシェもまた双剣を一振りに凝縮させ、その一撃の威力を高めていた。

 黒剣と緋剣が交わろうとする。

 その直前に、べグリフは横に吹き飛ばされた。

「お前――」

 べグリフが目を見開く。

 吹き飛ばしたのはカイだった。

 カイが、べグリフに向かっていた凶刃を代わりに受け止める。だが、容易く弾かれ、その身体ががら空きになった。

 そして、オルシェが細く白い指をカイへと向ける。その先で凝縮する紅い光。





 カイの身体に大穴が開いた。





 両胸をくりぬくような巨大な大穴は、カイの背後の景色を映し出していた。

 カイを貫いて駆け抜ける冥力。その速度に気づかず、身体はまだ血を流さない。

「《――え》」

 イデアの視界がぐにゃっと歪む。見たくないものを見てしまったかのようだ。急に赤く幕が下りて余計に視界に彼の姿が映らなくなる。

 絶命の一撃に気づいたカイの身体が血を噴き出す。目は見開かれたまま、傾げていく。

 コマ送りのように、時が止まったかのようにゆっくりと命が終わりを理解していく。

 その景色をオルシェは冷徹な瞳で見つめていた。

 オルシェはこうなることを知っていた。

 べグリフは既に《言霊》という切り札を失い、四肢の一つも欠損している。

 このまま戦えばほぼ間違いなく。

 べグリフはその魂を消失させる。

 それはつまりべグリフの存在が、世界からも記憶からも、何もかもから消えることを意味していた。

 そして、カイ・レイデンフォ―トは身体を張ってでもべグリフのことを助けるだろう。

 消失の未来を迎えさせないために。死に抗う為に。

 だからこそ、自分が死ぬというのに。

 カイの送ってきた人生を理解していたからこそ。

 カイの心を理解していたからこそ、オルシェはその心を掻き消した。

 カイの命を奪った。

 心があるからこそ、カイは死ぬのだ。

「――がっ、あ」

 急激に抜けていく身体の力、閉じていく意識。口から溢れる血に呼吸も出来ないが最早痛みなどの感覚もなく、目の前が真っ暗になるのだけが分かる。

 それでもカイは必死にセインを血の海に突き立てて抗おうとする。

 俺が死んだら皆負ける。俺が死んだら《冥具》の力を抑えられない。俺が死んだら――。

 だが、抜けていく力がセインを掴むことも許さない。遠ざかるセインに手を伸ばすも、その手は虚空を掴む。

 俺が死んだら、イデアが悲しむ。

「――」

 セインから戻ったイデアが何かを叫んでいるように見えた。でも、もう何も聞こえない。

 何も――。

 ――――。

 イデ、ア――……。

 ――――――――――――――。



 そうして、カイの命は終わりを迎えた。



 力なく投げ出される身体。仰向けに血の海に沈み、その範囲を更に広げていく。

 開いている瞳が映すものは何もなく。どれだけイデアが治癒魔法をかけようとも。身体を揺さぶろうとも。

 その身体に魂は宿っていない。



 その一部始終を、駆け付けていたゼノは見ていた。



「――カイ」

 息子の死を突き付けられるのは二度目。一度目だって耐えられたわけじゃない。でも、そこには確かな希望があって、希望がカイの命を返してくれた。

 でも、今回のソレは目の前で起きていて。

「あ、あ、ああっ――ああああっ」

 ゼノがカイの元へと駆け出す。



 よりも早く、べグリフがカイの元へ駆け寄っていく。



 ふざけるな。ふざけるな。

 勝手に庇って、勝手に死ぬな。

 こんなに後味の悪い庇われ方があってたまるか。

 べグリフの脳裏によぎる愛しい夢の姿。

 彼女も命を託してべグリフを救った。自分の命を犠牲に命を繋いだ。

 また、まただ。また俺は……!

 べグリフがカイへと手を伸ばす。

 もう、懲り懲りだ。こんな目に遭うのは!

 そして生まれる決意の先で、彼女が頷いた。



 うん、彼は私達の恩人でしょ。彼を救うのは十分これまでの償いになると思うよ。



 本当はもっと一緒に彼女といたい。ようやくその存在を知覚したばかりなのに。

 それでも、この結末だけは。

 命に代えてでも。

 《言霊》の力を使ってでも――。

 《言霊の代行者》は、本来命あるものに力を行使できない。命に《言霊》を授けることはできない。

 だが唯一、《言霊の代行者》が命に行使する方法がある。

 夢が想一郎に行使したように。

 自分の命を代償にさえすれば。



 きっと命だって与えられる。



 息を吸い、命を《言霊》に変えようとするべグリフ。

 繋がなければならない。こいつの命だけは、終わらせてはならない。

「――」

 そうして、言葉にしようとする――。




 べグリフよりも早く、トーデルがカイの身体に触れた。





 周囲が目を見開く。オルシェもつまらなさそうにトーデルを見た。

 トーデルはたった一言だけ。イデアの横に跪き、カイから視線を逸らさずに。



「任せろ」



 淡々と、それでいて力強く言った。

「「――っ」」

 直後、ゼノとべグリフはオルシェへと駆け出した。

 トーデルが何をしようとしているか分からない。だが、賭ける価値は確かにあった。

 彼女が手に持つものを見て、一縷の希望を見出していた。

 繋がなくては。

 命を繋がなくては。

 カイの命を。

 何をする気だと、オルシェが飛び出そうとしていたところに、二人が間に合う。

「邪魔を!」

「するな!」

 全力の一振りが交わってオルシェへ殺到していく。

 弾ける衝撃音を背後に、トーデルはカイの開いた大穴にソレを向けた。

 カイが死ぬ。

 そう理解した途端、トーデルはすぐに動き出していた。

 そして、それはシャーロットも同じだった。

 同じことを、二人は考えている。

 カイを生かすために、今ある最適解に手を伸ばしていた。

 トーデルとシャーロットの推測が、その解が正しかったことを示すように。





 《吸命ヴァイア》がカイの身体を包み込んでいく。





 シャーロットは即座に自身の身体から《吸命ヴァイア》を取り出し、トーデルへ渡した。既にシャーロットの――エルの魂は返っているからこそ、彼女の命に影響はない。

 渡されたトーデルは《吸命ヴァイア》を通してヴァリウスと繋がり、転移の力でカイの元へとすぐさま転移した。一度転移をカイの身体で経験していたからこそ、そこにタイムラグは存在しない。

 そして、《吸命ヴァイア》の力を行使する。

 まだ間に合うはずだ。まだ、カイの肉体は機能を停止したが、死後間もないからこそ、この近くにカイの魂は残っているはずだ。



 それを、トーデルが繋ぐ。


 カイの身体を借りたことのあるトーデルが、親和性のあるトーデルが、その魂で《吸命ヴァイア》とカイの魂を身体に結びつける。

「お前は私の希望なんだ。勝手に死ぬな」

 穏やかに、微笑んでトーデルが言う。

 《吸命ヴァイア》は一度死んだシャーロットをどんな形にせよ復活させた。

 つまりそれは、《吸命ヴァイア》は命の代わりに成り得ることを意味している。





 《救命》する力があることを意味している。





「託したぞ、カイ――」

 カイの身体が紅い光を放つ。光は傍に居るイデアとトーデルを包み込み、眩く《冥界》を照らしていく。

「――あり得ん」

 オルシェがその光を眩しそうに睨む。ゼノとべグリフも、傷だらけで大地に倒れ伏しながら、その光を見た。

 その場にいる全員が、その光を見た。

 温かい。

 魂を包み込む、優しい光。





 まるで希望の光だった。





「ありがとう――トーデル」

 光の中から声が聞こえる。

 希望の声が聞こえる。

「ううううう……!」

 泣きじゃくるイデアの声。

 そんな彼女を優しく抱きしめる彼。

「ありがとう――皆」

 ドクンと、鼓動が鳴る。

 イデアに、彼の鼓動が聞こえる。

 生きている証が鳴り響く。

「ああ、確かに託された」

 その胸にあった大穴は迸る冥力で埋められていた。その中心で、ドクンと《吸命ヴァイア》が光り輝く。

 瞳は紅く、だが変わらず希望を宿して。

「オルシェのことは、俺に任せろ」

「っ、お前はどうして――」

 オルシェが苛立たし気に睨む視線の先で。



 生き返ったカイが、オルシェへと歩み出した。


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