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5『冥々たる紅の運命』

5 第四章第六十二話「イデア・トーデルVSジョー そして…」

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 何度も大地が揺れ、大気が震える。爆発音にも、大々的なノックにも似た轟音が響いたかと思うと、次の瞬間王城の正門が吹き飛んだ。

 大きな扉が吹き飛び、エントランスに破片が散らばっていく。破片の次に吹き飛ぶは異形の怪獣。複数の魔獣が融合したかのようなキメラが二体、四肢を投げ出してエントランスをゴロゴロと転がっていった。その脳天には銃痕。前部の顔二つに刻まれており、尻尾の蛇は根元から切断されている。既にその魂は生から解き放たれていた。

「チッ……!」

 砂埃の中を、ジョーが遅れて吹き飛んできた。なんとか大理石でできた床に足をつけ、《真鎖タフムーラス》を床に突き立てることで、勢いを殺している。

 ジョーの身体にはまだ外傷がないものの、苛立つように彼は目の前を睨みつけていた。

 砂埃に隠されていた彼女達の姿が現れる。

 イデアは既に《リベリオン》状態であり、純白だった髪は漆黒に、その背からは同色の翼を広げ、瞳は赤く輝いていた。

 そして、カイの身体を借りているトーデルは、その手に真紅のオーラを放つ大鎌を構えていた。彼女の持っている大鎌は《死神サリエル》に似ているが、《冥力》で生み出したものであり、特殊な能力を持っているわけではない。

 ジョーは無意識の内に舌打ちをした。以前、既にイデアの《リベリオン》状態を経験しているわけで、ある程度は想定内だった。

 だが、彼女の隣に立つトーデルが明らかに想定の外に存在していた。

「随分、厄介な力を持っているじゃないか。お前もアイツと同じ類か……?」

「アイツとは、誰のことだろうな!」

 トーデルの言葉と共に、イデアが前へと飛び出していく。両足には薄水色の紋様。既に活性の力が彼女の膂力を底上げしており、一気に距離を詰めようとする。

 長銃を持ちながらも距離を詰めてくるイデアへと、ジョーは《真鎖タフムーラス》を複数本向かわせる。《真鎖タフムーラス》は繋いだ存在の動きを完全に止めることができる。もちろん、先の戦いでイデアに《冥具》の力が通じないことは分かっているが、鎖としての役割は十分に発揮できるわけで、四肢へと真紅の鎖が巻き付こうとしていた。



「《真鎖》」



 だが、トーデルがそうさせない。

 彼女の一言で、絡みつこうとしていた《真鎖タフムーラス》がジョーの意志と反する方向へと動き出すのである。あろうことか、ジョー自身をその場に縛り付けようと、身体から溢れている鎖が足に巻き付いてくる始末だった。

「くそっ」

「《黒霊・コンティニュティーショット!》」

 絡みついた鎖に移動速度が低下しているジョーへと、イデアが飛び出して長銃を二丁構える。銃口に集まっていく漆黒の魔力。

 それが放たれる直前、《真鎖タフムーラス》がジョーの管理下に戻る。

「……!」

 咄嗟に鎖を何重にも重ねて防御態勢を取った。そこへ、連続で放たれる漆黒の衝撃波。絶え間なく襲い掛かる魔力の波は、徐々に鎖ごとジョーを背後へと押しやり、やがて勢いよくジョーを吹き飛ばした。横たわる二体のキメラの間を縫うように吹き飛んだジョーは、エントランスを突き抜けて廊下の端まで飛んでいった。

 先程と同じようにどうにか勢いを殺すジョー。変わらずその視線はトーデルへと向けられていた。

 トーデルの一言で、《冥具》が一時的に使えなくなる。それどころか、一瞬だけトーデルの支配下に置かれるようなのだった。

 《冥具》の力を操れるなど、レゾンと同類としか思えない。だからジョーは問うたのである。

 アイツと同類かと。

 《冥具》の権限を一時的に奪えるのは、トーデルが元《冥界の審判員》だからである。魂を管理する側にあったこと、そして何より《冥具》が他の《冥界の審判員》の魂を基に作られていること。この二点が、《冥具》の一時的強奪を可能にしていた。

 《冥具》に使われている魂が、トーデルの言葉に呼応しているのだ。

 だが、あくまで一時的なものである。トーデル自身、力をほぼ失っている状態であり、今もカイの身体が《冥界》との繋がりを得ていること、そして王都リバディに溢れる冥力が一時的にそれを可能にしているに過ぎない。

 ゆえに、すぐに権限はジョーへと戻ってしまうのだった。

 ジョーもそのタイムリミットをよく理解している。先程イデアへと《真鎖タフムーラス》を向かわせたのは、その干渉がどれだけの時間行われるのかを計測するためだった。

「およそ、2秒か……」

 2秒と聞けば大したことないように思うかもしれないが、イデアの長物相手に距離はさほど関係なく、2秒という時間は生死を分けるだろう。

 トーデルという存在が、《冥具》を封殺しているのであった。

 乗っ取られることを考えれば、以前のように身体へ巻き付け防御としても、拳へ巻き付けて攻撃に転じることも難しい。かえって隙を晒すことになりかねない。



 だが、インターバルとは常に両者において存在するものである。



 廊下の端まで吹き飛んだジョーを追いかけて、イデアとトーデルが廊下へと入る。廊下は片側が窓となっており、もう片側には部屋へと通じる扉が幾つも存在していた。

 すると、廊下全てを埋め尽くすように《真鎖タフムーラス》が勢いよく二人へと襲い掛かった。

「っ、トーデルさん!」

「分かっている、《真鎖!》」

 二人へ向かう途中で《真鎖タフムーラス》の権限がトーデルへと移行する。視界を覆いつくしていた鎖達の動きを止め、逆にジョーのいる側へと勢いよく向かわせた。じゃらじゃらと激しい音を立てながら、廊下の端まで到達する紅の鎖。

 だが、そこに手ごたえはなく。

「《レイジ・ノック》」

 直後、轟音と共に壁が揺れたかと思うと、イデア達の横の扉からジョーが飛び出してきた。《真鎖タフムーラス》で視界を塞いだ後、部屋の一つへと侵入したジョーは、イデア達の横に到達するまで部屋をぶち抜いてきたのである。

 ジョーがイデアとトーデルの元へ到達するのと、《真鎖タフムーラス》の権限がジョーへと戻るのは同時だった。

 すぐさまジョーの身体に紅い鎖が巻き付いていき、手首から先のない右腕に魔力が込められていく。

「今度はこちらの番だ……《レイジ・ショック!》」

「っ、《白霊・白巫女の祈り!》」

 イデアが長銃を盾のように構えると、イデア達を純白の光が包んだ。触ることのできない光であるというのに、対象者を攻撃から防ぐ防御魔法。

 そこへジョーは下から拳を叩きつけ。

 廊下を全壊させた。

 ジョーから放たれた衝撃は一瞬にして廊下を破裂させ、イデア達を上階まで吹き飛ばした。

 二階、三階と突き抜けていくイデアとトーデル。防御魔法を唱えていたにも関わらず、全身を襲う衝撃波に口元から血が流れていく。

 やがて、イデア達は天井を突き抜けて外へと出た。そこは城内にある中庭であり、水路を水が流れ、草木が風に揺れ、蝶が何も知らない様子で花に集まっていた。

 何とか着地するものの、衝撃で揺れた脳のせいでイデアはふらついてしまった。

「イデア、無事か……!」

「なん、とか……それにしても――」

「ああ、まさかここまでとはな……」

 視線の先、イデア達が開けた穴からジョーが姿を見せる。

 トーデルの存在があるのだ、《冥具》は使わせないようにできると思っていたのだが、そんな簡単な話ではなかったようだ。

 トーデルによる権限移行が一時的だということは、逆を言うと、2秒後その瞬間は「必ず《冥具》を使える」という証明でもあった。そうでなければ、トーデルの権限によって移った権限は、2秒どころか更に先まで変わることはないだろう。
 
 つまり、トーデルの権限移行は間髪入れずに行えるものではないということだった。

 上がってきたジョーは既に鎖を消失させており、トーデルに操られないようにもしていた。

「……人族がまだ奴隷だった頃、生きるには手段を選べなかった。誰かを騙すことだって、誰かを殺すことだって、日常茶飯事だったわけだ。その日常を生き抜くためには、頭を使えなくちゃならなかった。賢くないと、生きていけなかったんだよ」

 そう言って、ジョーが周囲に《真鎖タフムーラス》を複数本出現させる。

「……」

 だが、トーデルはその権限を奪いには行かなかった。あの動きは、どう見ても誘いであるからだ。

 乗ってこなかったかと、ジョーはため息をついた後、葉巻を取り出して先端に火をつけた。

「そんな風に生きてきた人間が、いきなり解放されましたと言われて、真っ当な生き方ができると思うか? 人間、性根は変わんねえ。天使族から解放されようが、悪魔族から解放されようが、生きていくためにするべきことは変わらなかった」

「……それで傭兵、ですか」

「傭兵というのは結果論だがな。昔奴隷の時に必要だったのは知恵と力だった。だが、今の世は知恵と金だ。そして、この時代にも力を求める奴がいた。誰かを殺してくれだの、これが欲しいから取ってきてくれだの。俺はそういう奴に力を売りさばいて、代わりに金を頂いていたわけさ」

 吸った煙をふーっと吐き出しながら、ジョーは空を見上げた。曇り模様だった空から、まだ雨は降ってこないらしい。いつ降ってきてもおかしくない天気だが、まだ何かに縋るように、天は涙を流さない。

「そうやって働いている内に、クランツやら他の仲間と知り合ったわけだ。……分かるか、イデア・フィールス。お前達がどれだけ世界を変えようと、人間は変わらない。俺のように、俺達のように、真っ当な社会じゃ生きていけない糞野郎ってのは必ずいる」

「……」

「なぁ、聞かせてくれ。世界を変えても人は変わらない。なら、こんな世界を変える意味なんて、本当にあるのか?」

 見上げていた視線をイデアへと移し、ジョーは真っすぐに見つめる。心を乱して突っ込んできてくれれば楽だと思っての言葉。

 イデアは、その瞳にまっすぐ視線を返していた。

「あります」

 そして、はっきりと断言する。

「世界を変えても人は変わらない。尤もなように聞こえますが、世界が変わることと、人が変わらないこと、この二つは矛盾していますから」

「ほう、矛盾というのは?」

「簡単なことです。世界を変えるのは人ですから」

 迷いなどない。意味がなかったなんて、思えない。

「人が変わるから、世界は変われるんです。変わることのできた人が、世界を変えられるんです。……あなたが言うように世界が変わったのならば、同時に誰かが変わったということ」

 ジョーは理解した。なるほど、世界を変えようとする奴ってのは、総じて。

「世界が変われること、それが、人が変われることの証明です」

 意志の固い、ぶっ飛んだ奴なのだろう。

「じゃあ、なんだ? 変わっていない俺達は世界のはみ出し者って言うのか」



「……十分、変わってるんじゃないですか」



「なに?」

 何気なく交わしていたにすぎない言葉の往復は、いつの間にかジョーに疑問を生み出していた。

「その形が許されるものとは思いません。いえ、決して許されるべきものではありません。ですが……奴隷の頃とは違う、今の世に適応した形で、あなたは生きようとしているのではないでしょうか」

「何を、言って――」

「では何故あなたはお金を求めるのです。奴隷時代には必要なかったものじゃないんですか」

「……」

「私は、その時に生きていたわけではありませんから、詳しいことは分かりませんし、偉そうなことは言えません。でも、その苦しい日々を生き抜いた人達の言葉を確かに聞き、その想いを感じました。そのうえで、言わせてもらいます。世界は間違いなく変化し、奴隷時代だった頃に比べ、間違いなく裕福な暮らしができるようになりました。そして、あなたは生きる上で、誰かが世界を変えたことで生まれた豊かな生活を享受している。あなたが吸っている葉巻が良い例です」

 そう言われ、ジョーは咥えていた葉巻を手に取り、ジッと見つめた。赤く燃えた先端から狼煙のように煙が立ち昇っているそれは、だんだんと長さを短くしていた。

「本当にあなた自身、変わっていないと言うのですか。世界が変わっても、自分は変わっていないと? 私はそう思いません。私はむしろ、変わった自分を認めたくないだけのように思えてなりません」

「……」

「変化を、恐れているのだと思います。奴隷時代に当たり前だったものが、当たり前では無くなってしまう。生きるために必要だったはずの殺害が、騙し討ちが、必要じゃなくなってしまう」

 イデアの言葉に、ジョーは言葉を返さない。だが、一音も逃すまいと、その意識は完全に彼女へと向いていた。

「それって何だか、これまでの当たり前を否定されている気になりませんか。当然だったのに、必要だったのに、その前提が変わることで、あの殺害が、騙し討ちが本当に必要だったのか分からなくなる不安。正当化されていたはずの出来事に、一石を投じられたような感覚」

 イデアはあくまで自分の意見を述べているに過ぎない。彼女の主観で、ジョー周りの出来事を語っているに過ぎない。だが、トーデルにはイデアの言葉がしっくり来て仕方がなかった。

「だから、あなたは世界が変わった今も、同じことを続けようとするのだと思います。あの日々は間違っていなかったんだと叫ぶように、あなたは変わらないんだと主張するんです」

「……ふー――」

「変わることは確かに怖いことなのかもしれません。ですが、変わるからこそ、この世界は、私達は、命は先へと進み続けていくのです。無意識でも、意識的にでも、前に歩み続けていくのです。……だから私はカイと、この世界を変えていきたいと思うのです」

 淀みなく、恐れなく、想いの内をジョーへとぶつけたイデア。彼女の自信に満ちた様子に、トーデルはこれまでの出来事を回顧してしまう。

 イデアが最初からそういう思想の持ち主だったわけではない。フィグルの魂を内包し、カイと出会い、過去の聖戦を知った上でここまで駆け抜けてきた彼女だからこそ、言葉に意味が生まれる。彼女の言葉だからこそ、決して綺麗事で終わらず、言葉は形を成して世界を変えていくのである。

 そして、否応なしにジョーを変えてしまうのである。

「……まさか、心を乱すつもりが乱されるとはな」



 次の瞬間、ジョーの体中から大量に《真鎖タフムーラス》が溢れ出した。その量はこれまで見てきた中でも一番多く、どんどんジョーの身体へと巻き付いていく。


 ジョーの身体が真紅の力に満ち溢れていく。

「っ、《真鎖!》」

 トーデルがすぐさま権限を手に入れるが、大量の鎖がジョーの身体を覆っており、2秒でもどうすることもできない。縛るにしても、結局鎖がジョーの身体を防御してしまうし、解くにしても質量が邪魔をする。

 ならば《真鎖タフムーラス》自体を消失させようとするも、質量のせいなのか、或いはそもそも出し入れという点においては権限がないのか、鎖達が消えることはなく。

 いつから考えていたのか知らないが、物量がトーデルの権限の阻害していた。

「お前の言う通り、仮に俺が変化を恐れているとしよう。ならば、だからこそ……今ここでお前は消さなければならない、イデア・フィールス」

 球形に周囲を取り巻き続ける《真鎖タフムーラス》の中から、ジョーの声が漏れていく。その声にはどこか怒りが乗せられていた。

「お前の望む変化は、生き方を多く知らない俺にとって毒でしかないからな」

 やがて球形は縮小していき、ジョーの姿を露わにする。

 圧倒的な物量と化していた《真鎖タフムーラス》は全てジョーの右腕に巻き付いており、これまで以上に彼の右腕は禍々しい紅に染まっていた。あの量が嘘みたいに右腕に収まっている。それほどまでに凝縮された一撃が、今から放たれるのである。

「……2秒だ」

 既に《真鎖タフムーラス》はトーデルの手から離れていた。

「――《灰霊!》」

 ジョーが飛び出すタイミングで、トーデルよりも先にイデアが前へ出て唱えた。

 両手に持つ白と黒の二丁長銃を重ねるようにして前へと突き出す。銃口をジョーへと向け、白黒の魔力を一気に凝縮させる。ジョーが到達する限界まで、活性の力を用いながら、一気に最大出力まで持っていく。

「《レイジ・キャノン!》」

「《――白夜のノクターンストリーム!》」

 中庭を強く蹴って、ジョーが真紅に光る右腕を勢いよく突き出す。同時にイデアは白と黒が混ざることなく合わさった巨大な魔弾をジョーへと撃ち出した。

 《灰霊・白夜のノクターンストリーム》。活性の力を持つ白の魔力と攻撃重視の黒の魔力を掛け合わせた一撃であり、その魔弾は触れた対象から攻撃力・防御力という名の活性の力を吸収し、同時に自身の魔弾の強化へと転じることが可能であった。

 いわば、防御不能。まともに衝突しあっても必ず負けることのない、最強の一撃である。

 衝突する真紅の一撃と白黒の魔弾。



 力は拮抗しているように見えたが、それは一瞬の出来事に過ぎなかった。



 次の瞬間、魔弾は弾けて霧散し、爆風の中からジョーが真っすぐにイデアへと飛び出した。

「そんな――」

 イデアが目を見開く。

 前回の戦闘でイデアはジョーないし《真鎖タフムーラス》の活性の力を抑制しようと試みていたが、できなかった。《冥力》は活性の力で抑制できないことを、イデアは事前に理解こそしていた。それでも、《灰霊》による活性の力は絶大で、攻撃力の上昇に上限は存在しない。

 だからこそ、ここでイデアは《灰霊》を放った。

 だが、上限の存在しないはずの力の先に、ジョーの一撃は君臨していた。

 驚きと共に動きが鈍るイデアへと迫る、死を纏った拳。人類にとって不変の事実が、変わろうとする彼女へと突き付けられようとする。

「――《煉獄!》」

 その間に割って入るように、イデアを後ろへと押しのけてトーデルが大鎌を構えた。真紅に光る大鎌は《冥力》を大量に纏い、より巨大で鋭利な鎌へと姿を変えていた。イデアが稼いでくれたほんの僅かな時間を無駄にすることなく、力を溜めていたのである。

 全てを吐き出すつもりで……!

 相当イデアの言葉に揺さぶられたのか、ジョーの一撃は渾身のものであった。こちらも出し惜しみをしている暇はない。

 もしかすると、この一撃に《冥力》を振り過ぎて、カイの身体を行使できなくなってしまうかもしれない。だが、ここで躓き、イデアを危険に晒してしまえば、それこそカイへ顔を合わせることができない。

 カイの代わりに、私がイデアを……!

「トーデルさんっ」

「はあああああああああああ!」

 トーデルが大鎌を真紅の拳へと振るう。イデアは手を伸ばすが、後ろへ引っ張られた反動で届かず、そのまま尻餅をついてしまった。

 瞬間、衝突して弾ける力の波動。

「――っ」

 あまりの衝撃波に目を開けることも、顔を向けることもできない。全身が今にでも吹き飛びそうになるが、必死に身体を縮こまらせて、その場にしがみつく。

「トー、デルさんっ……!」

 必死に呼びかける声も、迸っていく力の波動と突風にかき消されてしまう。

 力が拮抗しているのか、目で見えなくても、まだジョーの一撃を受け止めてくれているのを感じた。

 今のうちに、自分ができることをしなければ……!

「私も……――」

 襲い掛かってくる衝撃波に抗うように、イデアは足に力を籠め、立ち上がろうとして。








「最高のタイミングだ、トーデル!」








 声がした。

「え」

 イデアの動きが止まる。どうしても身体が動かなくなってしまう。
 
 嘘……。

 イデアの魂が本能的に気づいたのだ。

 そして、瞳から無条件に零れていく大粒の涙。視界は一瞬にして歪んでしまい、身体が震えて仕方がなかった。

 これまでもその声は聞いていた。トーデルの言葉は全て、彼の声で言語化されていたのだから。

 だが、この言葉は、この声音には。

 

 彼の魂が確かに乗っている気がした。



「《……お前こそ……本当に、――よく、よく戻ってきたっ……!》」

 彼女自身の声で、トーデルは声をかける。歓喜に、希望に、言葉を震わせながら。

 目の前の事実を、これ以上ないほど噛みしめながら。

 代わりに私が、なんて。

 彼には必要なかった。

「イデアを傷つけるなんて、覚悟はできてんだろうなぁ……!」

 言葉の先を探すように、イデアは必死に顔を上げた。涙を拭う余裕もなく、ただ一点、これが幻でも夢でもなく、単なる妄想でも空想でもなく。

 歴とした現実であると確認するために、濡れた瞳でまっすぐ前を見つめる。

 ジョーの一撃を受け止めていたのは、真紅の大鎌ではなかった。

 大鎌は、いつの間にか青白く光る片刃の大剣へと変わり、大鎌を纏っていた《冥力》がそのまま大剣に移っていた。軽装だった衣服はいつの間にか白のコートを着用しており手には水色の篭手を身に着けている。

「ぁあ――……っ」

 イデアは嗚咽を抑えるように、両手で口元を覆った。

 あの時と、目の前で失ってしまった時と同じで、真逆だ。

 信じられない。一度絶望を、地獄を味わったからこそ、頭が簡単に信じようとはしない。

 けれど、心がそこにある。

 魂が、想いがそこにある。

 トーデルの《冥力》を纏い、真紅に光りこそすれど、見間違うわけがない。



 彼の手に、セインがあった。



 二人の想いの結晶が、確かに握られていた。

 それが、全てだった。

 どうして、とか。どうやって、とか。

 かけたい言葉はいくらでもあるけれど。

 涙で震える喉を必死に振り絞って、彼の名を呼ぶ。ずっと呼びたかった名前を、必死に伝える。

 現実なんだと、自分自身へ教えてあげるために。



「カイっ――……!」
 カイ・レイデンフォートが、ジョーの前に立ちはだかっていた。


 《冥界》から、カイは帰還したのである。

「ただいま、イデア!」

 明朗な言葉が返ってくる。何も変わらない、愛した彼の言葉。

 カイが返す言葉に、イデアは嗚咽を抑えきれなくなる。

「う、ううぅっ……!」

 口元を抑えても溢れていく涙と嗚咽。その傍にトーデルは寄り添った。カイに身体を返した今、決して触れられないけれど、それでも傍で一緒に涙を流していた。

 カイの生死について、これまでの全てがあくまで推論でしかなかった。根拠こそあれど、確実ではなく、カイが既に死亡してどうしようもない可能性だってあった。

 その最悪の結末を誰もが思い描き、不安に駆られていたのだ。

 だが、この結末は誰がどう見たって。

 ジョーの一撃を受け止めながら、カイが不敵に笑う。

「さぁ、こっからは俺達の反撃と行こうじゃないか!」

 セインを勢いよく振り切り、カイは渾身の一撃だったジョーを背後へと吹き飛ばした。

「思うように行くと思うなよ、《冥界》!」

 これまでの全てが後手後手で、出し抜かれてばかりだった。

 だが今、この瞬間から。

 カイの生還をもってして。

 結末は、確かに希望へと進みだしていた。
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