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5『冥々たる紅の運命』
5 第四章第六十話「レイニーVSクランツ」
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駆ける大蛇。巨躯は一瞬で木々を吹き飛ばしていく。まるで最初からそこには何もなかったかのように、大蛇の腹が地面を削り取りながら白銀の竜へと飛び掛かっていた。
「《凄まじい速度だ。それに……》」
《冥竜ドラゴノート》が大地を蹴り、素早く上空へと羽ばたく。その真下から追いかけるように一匹の大蛇が噛みつきに行ったが、次の瞬間、その鋭利な爪に容易く首を引き裂かれていた。
「――っ!」
「《その魔力! 一個体が持つにはあまりに膨大過ぎる! 一体その小柄な身体にどう収まっているのか、疑問がつきないな》」
白銀の鋭爪は怪しく真紅に光っていた。
今、クランツと《冥竜ドラゴノート》は一つになっている。ゆえに、以前戦った時にはなかった知性が、理性が《冥竜ドラゴノート》に宿っていた。本能で扱われていた膂力や冥力がクランツの手によって管理され、その出力上限も桁違いになっているのである。
「《さぁ、これは躱せるか!?》」
言下、巨体の持つ大きな白銀の翼が真紅に光る。直後に放たれる、雨のような真紅の弾幕。
「躱すまでもないっ」
八岐大蛇の前に展開される青い防御壁が、真紅の光弾を受け止めていく。着弾と共に弾けて広がる煙幕。
すると、煙ごと防御壁を切り裂いて、《冥竜ドラゴノート》が飛び出してきていた。
「《冥轟!》」
既にその口には大量に真紅の光が集まっており、今すぐにレイニーへ向かって放たれるところだった。
だが、レイニー自身、煙幕で視界が遮られた時に何も動いていなかったわけではない。超至近距離に近づこうとしていた《冥竜ドラゴノート》の四肢に、いつの間にか大地から大蛇が四匹飛び出して絡まった。
ガクンと、《冥竜ドラゴノート》の勢いが弱まる。
「《それで止まるとでも!》」
近づけまいと関係ない。巨躯から放たれる真紅のレーザー。以前同じような攻撃をレイニーは受け止めたことがあったが、やはりその出力はクランツが融合している今、遥かに強まっていた。最早この距離で受け止められるものではない。
八岐大蛇の身体が一瞬でレーザーに飲み込まれる。瞬間、その魔力でできた身体は掻き消え、地平線の先まで紅い光線が駆けていった。大地に紅く軌跡を残していき、直後に高々とエネルギーが紅く弾け飛ぶ。
消え去った八岐大蛇。跡も残らない様子に、失望したかのようにクランツが呟く。
「《……終わり、とは言うまいな》」
「当然でしょ!」
巨大な竜の頭上に彼女はいた。八岐大蛇を解き、生身の状態で両手に巨大な銀大剣を二本手にしている。
大地から飛び出して《冥竜ドラゴノート》の四肢に絡みついた大蛇の一つに、レイニー本体が身を潜めていたのである。そして、レーザーが放たれると同時に大蛇から飛び出し、頭上まで上り詰めたのだった。
「《月光剣・欠月!》」
彼女の身長を超えるほどの銀大剣に、青い魔力が付与される。
最初の初撃で大蛇が鋭爪に引き裂かれた時点で、レイニーは八岐大蛇の状態を解くことを決めていた。八岐大蛇と言ってもレイニーの魔力で生み出されており、魔力が八頭分に分配されてしまっている。あの状態でも十分に強固な防御力ではあるが、目の前の竜にはそれですら耐えられない。
ゆえに、八岐大蛇を解き、分散されていた魔力をかき集めて攻撃へと転化するのだ。
「《それでこそだ!》」
レイニーの存在に気づいた白銀の竜は、まず巨大な尻尾を勢いよく彼女へ向けて突き出した。その巨大さを前にすれば、レイニーなど豆粒以下でしかない。
だが、次の瞬間、尻尾がざく切りに切断されていた。轟く竜の悲鳴に大気が震える。
切断面から零れる大量の赤い血、そこから覗くように彼女の青い魔力が光を放つ。
「《っ》」
すぐさまその場から離れるために、巨大な翼をはためかせながら回避する巨竜。その巨躯が放つ羽ばたきに少し停止した後レイニーも急いで追いかけるが、次の瞬間、巨大だった白銀の竜は真紅の光と共に姿を消した。
《冥竜ドラゴノート》を身に纏ったクランツが、その右腕を巨大且つ不気味な大槍に形を変えていた。
まるで大きな爪が何重にも重なったかのようなその腕は、先端以外も鋭く突き出ており、掠るだけで一気に削られてしまいそうだった。そして、爪の中を脈動する真紅の光に合わせて、その腕も心臓のようにドクンと動いていた。
「防御力の低下、か。巨大だと手っ取り早さはあるが、巨大ゆえの欠点か。勉強になるよ、君との戦いは!」
「教えてあげる! その存在自体が欠点なんだって!」
青く光る銀大剣と、鋭爪でできた大槍が激突する。どちらも力は拮抗していた。クランツも巨大化を解くことで、力を右腕に凝縮しているのである。
何度も大気を震わせながら、両者が凶刃を相手へと向ける。弾ける鮮血。皮膚を斬り裂いていく感触。クランツは楽しそうに笑みを浮かべていた。
「いいぞ、いいぞ君はっ! やはり他の生物とは違う! 圧倒的な力であり、暴力的な力だ! 野性的と言ってもいい! 人でありながらさながら君は化け物だな!」
「鏡を、見てから、言えっ!」
何度も刃を交えるが、互いの均衡が崩れることはなかった。
実力は同じ。たかが傭兵ごときがレイニーと同格になれる時点で、《冥竜ドラゴノート》の恐ろしさは明らかだろう。
このままでは勝敗が付くことはない。実力では決まらない戦いが、果たして何で決着をつけるのか。
その答えは、一つだった。
「その力があれば、弱肉強食、食物連鎖の頂点になることもできるだろう! 人という種を凌駕し、魔獣という枠組みも超えて、新たな種へと辿り着けるはずだ! そんな君がなぜそんなところで燻っている! なぜ人と共にある! 今のこの世界は、君にとって窮屈で仕方ないはずだ!」
鍔迫り合いをしながら、クランツは心から愛でるようにレイニーを見る。
「俺と共に来い! 力の使い方を教えてやろう! 生物としてのあるべき姿を! 君の魂は、まだ先へと進化できる!」
「――……」
クランツの言葉が、レイニーの心を激しく揺さぶる。
それは、決してクランツの言葉に惹かれているからではなく。
クランツの言葉で思い出される記憶があるからである。
「俺と来い、娘」
「お前のそれは、力が何たるかを理解していないだけだ。ついてこい。教えてやろう、力の使い方を」
大好きなあの人の言葉。今は会うことのできない、大切な人の言葉。
レイニーの人生は全てべグリフと出会ってから変わったのだ。べグリフが、レイニーの力を見初めてから変わったのだ。
けれど、クランツは今同じような言葉を向けてきているのに、どうして心が惹かれないのだろうか。あの時のべグリフも、今この瞬間のクランツも、私という存在が持つ力に惹かれ、その力を導こうとしているのに、どうしてこんなにも惹かれるどころか。
腸が煮えくり返るくらい、腹立たしいのだろう。
「レイニー、お前は良くやった。何を嘆くことがある」
べグリフが、力及ばずとも認めてくれたからだろうか。
それとも。
「どうだ、レイニー。生きるって凄いことだと思わないか」
カイと周った世界が、想像を遥かに超えて広く、美しかったからだろうか。
「私にとっての世界はべグリフ様だった。べグリフ様がいなくなってしまった今、文字通り世界は変わってしまった。それでも生き抜けとベグリフ様が言うのなら、私は変わってしまった世界を知らなければならない……カイ・レイデンフォート、私にこの世界に息づく全てを教えなさい」
べグリフが冥界へと連れ去られた日から、レイニーの身柄はレイデンフォート王国預かりとなった。レイニーは自分から牢に入り、大人しく過ごしていたわけだが、半年ほど経ったある日、牢をぶち破って外へ出ようとした。
そして、先程の言葉をカイへと告げたのである。
唐突な物言いに、勿論カイは目を丸くしていたが、まるで最初からそうなることを分かっていたかのようにニヤリと笑った。
それからだ、レイニーがカイと一緒に世界を旅したのは。
期間は何と半年ほど。その間、カイとレイニーは人界から天界、魔界まで二人で様々な土地を訪れた。
訪れる先で様々な人に出会い、言葉を交わす。
その全てが、毎回レイニーにとっては新鮮なものだった。
当たり前の暮らしというものも、目に映る命の営みも、既にレイニーにとっては遠い過去の産物でしかなかったから。まだ幼き頃、家族がいた頃の傷でしかなかったから。
何より、カイという存在が。
レイニーにとっては新鮮どころか初体験で。
何度も何度も心を揺さぶってくる。
行く先々で、カイと色々な話をした。
「どうだ、それ。旨いか」
「……まぁまぁね」
「折角買ってやったのに……てか、前も思ったけど案外食事に厳しいな。これまでそんな旨いもん食べさせてもらってたのか」
「別に。そもそも食事にあまり興味がないだけ。食事なんて、生きるために必要な行為であって、そこにそれ以上も以下もないでしょ」
「レイニー、お前……」
「……」
「はい、ブッブー!」
「……急に何よ」
「おいおい、べグリフの「生き抜け」の意味を何にも分かってないようだな!」
「そ、そんなこと……」
「お前にとって、これまではべグリフが生きる意味だっただろ。でも、そのべグリフがいなくなる直前に生き抜けと言ったんだ。つまり、新たに生きる意味を探せってことだ」
「……そんな簡単に見つけられた苦労なんてしない」
「その通り。生きる意味なんて簡単に見つかるわけがないさ。……でもさ、今まで通りじゃ駄目なんじゃないか? お前もそう思ったから、俺と一緒にこうして世界を知ろうとしているんだろ?」
「……」
「食事一つ、捉え方で変わるんだ。明日を生きる元気を身体だけじゃなく心にもくれる、作った食事で誰かが喜んでくれる、自分の為に誰かが作ってくれる、とかさ。決して、生命維持の為だけじゃないんだよ。何も、お前に生きてほしいから、俺はソイツを買ってやったんじゃない」
「……じゃあ、何で私にくれたの」
「単純明快、お前に喜んでほしかったんだよ。お前が喜んでくれたら、俺だって嬉しいからな」
「変なことを言うのね。どうして私が喜んだらお前が喜ぶの」
「お前こそ変なことを言うなぁ。べグリフが喜んだら、お前は嬉しくないのか?」
「それは……」
「だろ? そういうもんなんだよ、世の中って。生きるためって言うけど、この世界にいるどれだけの命が、生きるために生きているんだって話さ。生きるって、そんな難しいもんじゃないよ」
「生きるために、生きるわけじゃない……」
「生きるって、きっともっと身近にあるんじゃないかな。気づかないくらい、隣にあるような、さ」
「……お前、馬鹿じゃなかったの」
「どこ情報で俺を馬鹿だと思ってるのか知らんが、箱入り娘よりはマシってだけだ。俺だって知らないことはたくさんあるし。だから、こうしてお前と旅している中で、俺自身も良い経験させてもらってるよ」
「……そう」
「さぁ、次はどこ行こうか! 世界はまだまだ広いからな! きっと怖いくらいに生きる意味が溢れているぞ! しっかり考えて噛み砕いて、そんでもって生き抜いてみせろよ、レイニー!」
カイと、色々な話をした。
「……ねぇ、起きてる?」
「んー? ふぁああ……何だ、眠れないのか」
「……一つ聞かせて」
「いいぞぉ。俺の脳が眠りにつくまでだったらな」
「私にとってべグリフ様が全てだった。でも、お前にとってべグリフ様は倒さなければならない敵でしかなかったはずだ。私とお前の価値観は決して相容れるものではない。お前と見てきたこの世界には、きっとそんな価値観の相違が五万とある。そして、それがある限り、世界はまた争い、傷つく。今日の昼間見た事件だってそうだ。価値観の違いから生まれた諍いだった。……お前は、そんなぶつかり合うような世界を守りたいのか」
「……」
「べグリフ様がいなくなっても、世界の在り方が変わったわけじゃない。命は衝突しあうもので、強い方が進み、弱い方がそこで消えるだけ。……世界の仕組みが変わらないのであれば、私は、そんな有象無象達が消えて、べグリフ様が生きていてくれたら良かった。ただべグリフ様の傍に居られたらそれで良かった」
「……」
「そんな他を排する世界に、どれだけの生きる意味があると言うの」
「……」
「……」
「……」
「……はぁ、寝るの早すぎよ」
「……」
「おやすみなさ――」
「俺にとって、べグリフは確かに敵だったさ」
「……起きてるなら言いなさいよ」
「考えてたんだよ、寝る前に随分と難しい話をしてくるからさ」
「ふん、悪かったわね」
「気にすんな。むしろ嬉しいくらいだ、お前からの問いかけはさ」
「……」
「確かに敵だったけど、最初の印象と最後の印象は全然違う。最初は命を命と思わない最悪最低の魔王様だったが」
「殺すぞ」
「いや、落ち着け。最初はって言ってるだろ。アイツの気持ちやこれまでを知って、ただの敵じゃなくなった。何というか、救いたいと思ったんだ」
「……敵なのに?」
「そう、敵なのに。変な話だと思うだろ?」
「意味が分からない」
「ははっ、そうだな。これぞ価値観の相違って奴だ。そして、俺とべグリフにも確かに価値観の違いがあった。だから、全力でぶつかった。命を削り合った。……でもさ、価値観が違うって、そんなに悪いことなのかな」
「……現に、今日はその相違から諍いに発展していたわ。もう少しで魔法が飛び交いそうなくらいの剣幕だったでしょ」
「あれはなぁ。俺は不倫していたあの人の方が悪いとは思うが、まぁ背景をよく知らないから一概には言えないか」
「……」
「でも、だ。この世界、一体どれだけの命が生きていると思ってるんだ。違って当然だと思わないか? むしろ、その全員が全員同じ価値観だったら、きっとそんな世界つまんないよ」
「つまんない……? 違いがないと面白くないと言うの?」
「……自分と違うから、知ろうとするんだ。自分と違うから、歩み寄ろうとするんだ。最初から知ってたらさ、同じだったらさ、分かってるんだもん、行動なんて起こす必要はないんだよ。でも、俺達は何も知らないからさ、だから話して、ぶつかり合って、お互いを知ろうとするんだ。レイニー、お前がこうして世界を知ろうとしているように、な」
「……」
「レイニー、お前はこの世界の人々を有象無象と表現したが、相手を知れば決して有象無象なんかにはならないはずだよ」
「……いや、私にとって――」
「お前にとって、俺は有象無象か?」
「っ……」
「おっ、嬉しい反応。もしそうだと言われたら、軽く泣いていたかもな」
「……お前は、他の奴とは少し違う」
「違わないさ。一緒に旅している内に俺を知ってくれたから、そう言ってくれるだけだ。他の人達のことも知ったら、きっと有象無象にはならないよ」
「……私は、私が知りたいのは生き抜く方法だから、他の奴に目を向けている暇なんて、ない」
「そうだな、生き抜く方法を、生きる意味をお前は探している。その為に世界を知ろうとしている。じゃあレイニー、世界って何なんだろうな」
「世界……?」
「ああ」
「……」
「俺は、世界とはこの地で生きる人のことを指していると思ってる。世界とはきっと、人そのものなんだ。人が、世界を作り上げるんだよ。お前にとってべグリフが世界そのものだったように、親父がその手で世界を変えようとしたようにな」
「確かに、私にとってべグリフ様は世界だった……」
「って考えたらさ、世界を知ろうとしているお前は、つまり人を、命を知ろうとしていることになるんじゃないか?」
「命を、知る……」
「レイニーの探している生き抜く方法、生きる意味は命が持っているんだ」
「……」
「最初にレイニーが言っていたように、べグリフがいないからって何かがすぐに変わるわけじゃない。世界を構成しているのはそこで生きる命だから、簡単に世界の在り方が変わることはないだろう。だからこそ、俺は知りたいと思っているよ。この世界に息づく命の想いを。きっと価値観なんて想像以上に違うだろうけど、違うことを知らなきゃ、その違いを認め合えなきゃ、世界はきっと変わらないから」
「違いを、知る、認める……」
「そうそう」
「……なら、昼間の話で言うと、不倫された女は相手の男の気持ちを知って、認める必要があるということ?」
「……」
「ねえ」
「そこがまた難しいところだと思うわけだが。俺的には、まず許す必要はないと思う。普通に男の方が悪くないか? イデア一筋の俺としては微塵も気持ちが分からんまである」
「分からないなら、どうしようもないじゃない」
「そうっちゃそうだが、別に自分の考えを変える必要があるわけじゃないと俺は思うよ。無理やりにでも意見を合わせろとか、絶対に認めなきゃならないとかじゃなくて、俺は俺のまま、分からない部分を少しでも理解できるように少しずつ進んでいく。それでもいいと思うんだ。世界にはそういう風に考える人がいる、それを知るだけでも間違いなく俺を変える材料に成り得るよ」
「少しずつ、か」
「何度も言うけど世界なんて劇的に変化しないよ。それでも俺は、違うことを認め合って、人族だろうが、天使族だろうが、悪魔族だろうが、全ての命が共に過ごせる世界を目指したい。その光景をいつか見てみたいんだ。だから、少しずつでも、知っていこうと思っているよ。世界の想いを、さ」
「……」
「レイニーもさ、すぐに変わる必要はないし、そもそも変わる必要があるわけでもない。お前がべグリフを大事にしているのは分かるから、べグリフを大事にしながら、少しずついろいろな想いに触れてみろよ。そしたら、べグリフの言う『生き抜け』って言葉の意味が分かるかもな」
「……」
「……」
「……」
「……そろそろ、寝るか。明日も早いしさ」
「……私も、少しは見てみたい、かもしれない」
「え?」
「なんでもないっ、私は寝る! おやすみ!」
「レイニー」
「……」
「……俺はさ、そういう意味で、レイニーのことを知れて良かったなと思っているよ」
「……」
「おやすみ、レイニー」
たくさんのことを話してきて、カイの価値観を知ることで、少しずつレイニーは世界のことを知ってきた。
生きるために生きているわけではなく、もっと生きるとは身近にあるとカイは言っていた。それはきっと、世界を構成している命のことを指しているから。有象無象だと思っていた命のことを指しているから。
生きるとは、世界に息づく命と共に進むこと、生きていくことを指しているのだと、少なくともカイはそう思っているのだと思う。
ならば、べグリフの言う『生き抜け』という言葉は、そんな命達と前へ進めということなのかもしれない。有象無象ではなく、共に生きていく存在として、前へ。
「何よりも、よく生きて帰ってきた」
べグリフは、そう言ってレイニーの頭を撫でてくれた。
生きていることの価値は、レイニーが想像するよりも遥かに大切で、かけがえのないものなのだと、カイとの旅を経て少しずつ理解することができた。
自分だけではない、他者の命も、全てひっくるめて大切なのだと思えてきた。
それが、自分が生きるということに繋がっているのだと知ったから。
だからこそ、クランツの物言いが許せない。
「その力があれば、弱肉強食、食物連鎖の頂点になることもできるだろう! 人という種を凌駕し、魔獣という枠組みも超えて、新たな種へと辿り着けるはずだ! そんな君がなぜそんなところで燻っている! なぜ人と共にある! 今のこの世界は、君にとって窮屈で仕方ないはずだ!」
人を凌駕だの、なぜ人と共にあるだの。必死に生き抜こうとしているレイニーを、ただの生物としか見ていないクランツの、命を命と思っていないようなその言葉達は。
理解も及ばないものだった。
「世界が、窮屈……? 冗談、言うなっ!」
「っ!?」
急激にレイニーの力が増していく。次の瞬間、弾き飛ばされるようにクランツは後方へ退いていた。
世界と共に生きている。
命と共に生きている。
それを窮屈と言われ、何故だか馬鹿にされている気がするくらいには。
世界と生き、命と生き。
カイと生きてきた。
確かに生き抜いてきた。
それを、何も知らない奴に好き勝手言われる謂れはない。
「《月光剣・真月!》」
巨大な銀大剣が一本となり、更に巨大化していた。加えて、その刃を縁どるように青い魔力が流れ込んでいく。銀大剣だけでも十分巨大だと言うのに、魔力が更に巨大な刃を形成していた。
「来るかっ!」
クランツが右腕の大槍を構えて、そこへ大量の冥力を集めていく。怪し気に光る真紅の力が、右腕の脈動を加速させていた。
レイニーが一気にクランツへと突っ込む。小細工抜きの真っ向勝負。クランツもまた、勢いよく前へと飛び出し、その右腕を突き出した。
交わる青と紅。
実力では決まらない戦いが、果たして何で決着をつけるのか。
その答えは、一つだった。
魂の、想いの力である。
「お前みたいなゴミがいたこと、覚えておくわ」
背後で、白銀の鎧をまき散らしながらクランツが宙から落ちていく。その身体には深々と袈裟斬りによる傷が刻まれており、とめどなく血が溢れていく。
白目を剥きながら、クランツは意識を完全に消失させていた。
魂をただの研究対象としか見ていなかったクランツには相応しい末路だった。
「知りたくもなかったけれど、ね」
でも、知るとはそういうことでしょ、カイ。
眼を閉じ、彼に思いを馳せる。
カイが確かに頷いた気がしていた。
「《凄まじい速度だ。それに……》」
《冥竜ドラゴノート》が大地を蹴り、素早く上空へと羽ばたく。その真下から追いかけるように一匹の大蛇が噛みつきに行ったが、次の瞬間、その鋭利な爪に容易く首を引き裂かれていた。
「――っ!」
「《その魔力! 一個体が持つにはあまりに膨大過ぎる! 一体その小柄な身体にどう収まっているのか、疑問がつきないな》」
白銀の鋭爪は怪しく真紅に光っていた。
今、クランツと《冥竜ドラゴノート》は一つになっている。ゆえに、以前戦った時にはなかった知性が、理性が《冥竜ドラゴノート》に宿っていた。本能で扱われていた膂力や冥力がクランツの手によって管理され、その出力上限も桁違いになっているのである。
「《さぁ、これは躱せるか!?》」
言下、巨体の持つ大きな白銀の翼が真紅に光る。直後に放たれる、雨のような真紅の弾幕。
「躱すまでもないっ」
八岐大蛇の前に展開される青い防御壁が、真紅の光弾を受け止めていく。着弾と共に弾けて広がる煙幕。
すると、煙ごと防御壁を切り裂いて、《冥竜ドラゴノート》が飛び出してきていた。
「《冥轟!》」
既にその口には大量に真紅の光が集まっており、今すぐにレイニーへ向かって放たれるところだった。
だが、レイニー自身、煙幕で視界が遮られた時に何も動いていなかったわけではない。超至近距離に近づこうとしていた《冥竜ドラゴノート》の四肢に、いつの間にか大地から大蛇が四匹飛び出して絡まった。
ガクンと、《冥竜ドラゴノート》の勢いが弱まる。
「《それで止まるとでも!》」
近づけまいと関係ない。巨躯から放たれる真紅のレーザー。以前同じような攻撃をレイニーは受け止めたことがあったが、やはりその出力はクランツが融合している今、遥かに強まっていた。最早この距離で受け止められるものではない。
八岐大蛇の身体が一瞬でレーザーに飲み込まれる。瞬間、その魔力でできた身体は掻き消え、地平線の先まで紅い光線が駆けていった。大地に紅く軌跡を残していき、直後に高々とエネルギーが紅く弾け飛ぶ。
消え去った八岐大蛇。跡も残らない様子に、失望したかのようにクランツが呟く。
「《……終わり、とは言うまいな》」
「当然でしょ!」
巨大な竜の頭上に彼女はいた。八岐大蛇を解き、生身の状態で両手に巨大な銀大剣を二本手にしている。
大地から飛び出して《冥竜ドラゴノート》の四肢に絡みついた大蛇の一つに、レイニー本体が身を潜めていたのである。そして、レーザーが放たれると同時に大蛇から飛び出し、頭上まで上り詰めたのだった。
「《月光剣・欠月!》」
彼女の身長を超えるほどの銀大剣に、青い魔力が付与される。
最初の初撃で大蛇が鋭爪に引き裂かれた時点で、レイニーは八岐大蛇の状態を解くことを決めていた。八岐大蛇と言ってもレイニーの魔力で生み出されており、魔力が八頭分に分配されてしまっている。あの状態でも十分に強固な防御力ではあるが、目の前の竜にはそれですら耐えられない。
ゆえに、八岐大蛇を解き、分散されていた魔力をかき集めて攻撃へと転化するのだ。
「《それでこそだ!》」
レイニーの存在に気づいた白銀の竜は、まず巨大な尻尾を勢いよく彼女へ向けて突き出した。その巨大さを前にすれば、レイニーなど豆粒以下でしかない。
だが、次の瞬間、尻尾がざく切りに切断されていた。轟く竜の悲鳴に大気が震える。
切断面から零れる大量の赤い血、そこから覗くように彼女の青い魔力が光を放つ。
「《っ》」
すぐさまその場から離れるために、巨大な翼をはためかせながら回避する巨竜。その巨躯が放つ羽ばたきに少し停止した後レイニーも急いで追いかけるが、次の瞬間、巨大だった白銀の竜は真紅の光と共に姿を消した。
《冥竜ドラゴノート》を身に纏ったクランツが、その右腕を巨大且つ不気味な大槍に形を変えていた。
まるで大きな爪が何重にも重なったかのようなその腕は、先端以外も鋭く突き出ており、掠るだけで一気に削られてしまいそうだった。そして、爪の中を脈動する真紅の光に合わせて、その腕も心臓のようにドクンと動いていた。
「防御力の低下、か。巨大だと手っ取り早さはあるが、巨大ゆえの欠点か。勉強になるよ、君との戦いは!」
「教えてあげる! その存在自体が欠点なんだって!」
青く光る銀大剣と、鋭爪でできた大槍が激突する。どちらも力は拮抗していた。クランツも巨大化を解くことで、力を右腕に凝縮しているのである。
何度も大気を震わせながら、両者が凶刃を相手へと向ける。弾ける鮮血。皮膚を斬り裂いていく感触。クランツは楽しそうに笑みを浮かべていた。
「いいぞ、いいぞ君はっ! やはり他の生物とは違う! 圧倒的な力であり、暴力的な力だ! 野性的と言ってもいい! 人でありながらさながら君は化け物だな!」
「鏡を、見てから、言えっ!」
何度も刃を交えるが、互いの均衡が崩れることはなかった。
実力は同じ。たかが傭兵ごときがレイニーと同格になれる時点で、《冥竜ドラゴノート》の恐ろしさは明らかだろう。
このままでは勝敗が付くことはない。実力では決まらない戦いが、果たして何で決着をつけるのか。
その答えは、一つだった。
「その力があれば、弱肉強食、食物連鎖の頂点になることもできるだろう! 人という種を凌駕し、魔獣という枠組みも超えて、新たな種へと辿り着けるはずだ! そんな君がなぜそんなところで燻っている! なぜ人と共にある! 今のこの世界は、君にとって窮屈で仕方ないはずだ!」
鍔迫り合いをしながら、クランツは心から愛でるようにレイニーを見る。
「俺と共に来い! 力の使い方を教えてやろう! 生物としてのあるべき姿を! 君の魂は、まだ先へと進化できる!」
「――……」
クランツの言葉が、レイニーの心を激しく揺さぶる。
それは、決してクランツの言葉に惹かれているからではなく。
クランツの言葉で思い出される記憶があるからである。
「俺と来い、娘」
「お前のそれは、力が何たるかを理解していないだけだ。ついてこい。教えてやろう、力の使い方を」
大好きなあの人の言葉。今は会うことのできない、大切な人の言葉。
レイニーの人生は全てべグリフと出会ってから変わったのだ。べグリフが、レイニーの力を見初めてから変わったのだ。
けれど、クランツは今同じような言葉を向けてきているのに、どうして心が惹かれないのだろうか。あの時のべグリフも、今この瞬間のクランツも、私という存在が持つ力に惹かれ、その力を導こうとしているのに、どうしてこんなにも惹かれるどころか。
腸が煮えくり返るくらい、腹立たしいのだろう。
「レイニー、お前は良くやった。何を嘆くことがある」
べグリフが、力及ばずとも認めてくれたからだろうか。
それとも。
「どうだ、レイニー。生きるって凄いことだと思わないか」
カイと周った世界が、想像を遥かに超えて広く、美しかったからだろうか。
「私にとっての世界はべグリフ様だった。べグリフ様がいなくなってしまった今、文字通り世界は変わってしまった。それでも生き抜けとベグリフ様が言うのなら、私は変わってしまった世界を知らなければならない……カイ・レイデンフォート、私にこの世界に息づく全てを教えなさい」
べグリフが冥界へと連れ去られた日から、レイニーの身柄はレイデンフォート王国預かりとなった。レイニーは自分から牢に入り、大人しく過ごしていたわけだが、半年ほど経ったある日、牢をぶち破って外へ出ようとした。
そして、先程の言葉をカイへと告げたのである。
唐突な物言いに、勿論カイは目を丸くしていたが、まるで最初からそうなることを分かっていたかのようにニヤリと笑った。
それからだ、レイニーがカイと一緒に世界を旅したのは。
期間は何と半年ほど。その間、カイとレイニーは人界から天界、魔界まで二人で様々な土地を訪れた。
訪れる先で様々な人に出会い、言葉を交わす。
その全てが、毎回レイニーにとっては新鮮なものだった。
当たり前の暮らしというものも、目に映る命の営みも、既にレイニーにとっては遠い過去の産物でしかなかったから。まだ幼き頃、家族がいた頃の傷でしかなかったから。
何より、カイという存在が。
レイニーにとっては新鮮どころか初体験で。
何度も何度も心を揺さぶってくる。
行く先々で、カイと色々な話をした。
「どうだ、それ。旨いか」
「……まぁまぁね」
「折角買ってやったのに……てか、前も思ったけど案外食事に厳しいな。これまでそんな旨いもん食べさせてもらってたのか」
「別に。そもそも食事にあまり興味がないだけ。食事なんて、生きるために必要な行為であって、そこにそれ以上も以下もないでしょ」
「レイニー、お前……」
「……」
「はい、ブッブー!」
「……急に何よ」
「おいおい、べグリフの「生き抜け」の意味を何にも分かってないようだな!」
「そ、そんなこと……」
「お前にとって、これまではべグリフが生きる意味だっただろ。でも、そのべグリフがいなくなる直前に生き抜けと言ったんだ。つまり、新たに生きる意味を探せってことだ」
「……そんな簡単に見つけられた苦労なんてしない」
「その通り。生きる意味なんて簡単に見つかるわけがないさ。……でもさ、今まで通りじゃ駄目なんじゃないか? お前もそう思ったから、俺と一緒にこうして世界を知ろうとしているんだろ?」
「……」
「食事一つ、捉え方で変わるんだ。明日を生きる元気を身体だけじゃなく心にもくれる、作った食事で誰かが喜んでくれる、自分の為に誰かが作ってくれる、とかさ。決して、生命維持の為だけじゃないんだよ。何も、お前に生きてほしいから、俺はソイツを買ってやったんじゃない」
「……じゃあ、何で私にくれたの」
「単純明快、お前に喜んでほしかったんだよ。お前が喜んでくれたら、俺だって嬉しいからな」
「変なことを言うのね。どうして私が喜んだらお前が喜ぶの」
「お前こそ変なことを言うなぁ。べグリフが喜んだら、お前は嬉しくないのか?」
「それは……」
「だろ? そういうもんなんだよ、世の中って。生きるためって言うけど、この世界にいるどれだけの命が、生きるために生きているんだって話さ。生きるって、そんな難しいもんじゃないよ」
「生きるために、生きるわけじゃない……」
「生きるって、きっともっと身近にあるんじゃないかな。気づかないくらい、隣にあるような、さ」
「……お前、馬鹿じゃなかったの」
「どこ情報で俺を馬鹿だと思ってるのか知らんが、箱入り娘よりはマシってだけだ。俺だって知らないことはたくさんあるし。だから、こうしてお前と旅している中で、俺自身も良い経験させてもらってるよ」
「……そう」
「さぁ、次はどこ行こうか! 世界はまだまだ広いからな! きっと怖いくらいに生きる意味が溢れているぞ! しっかり考えて噛み砕いて、そんでもって生き抜いてみせろよ、レイニー!」
カイと、色々な話をした。
「……ねぇ、起きてる?」
「んー? ふぁああ……何だ、眠れないのか」
「……一つ聞かせて」
「いいぞぉ。俺の脳が眠りにつくまでだったらな」
「私にとってべグリフ様が全てだった。でも、お前にとってべグリフ様は倒さなければならない敵でしかなかったはずだ。私とお前の価値観は決して相容れるものではない。お前と見てきたこの世界には、きっとそんな価値観の相違が五万とある。そして、それがある限り、世界はまた争い、傷つく。今日の昼間見た事件だってそうだ。価値観の違いから生まれた諍いだった。……お前は、そんなぶつかり合うような世界を守りたいのか」
「……」
「べグリフ様がいなくなっても、世界の在り方が変わったわけじゃない。命は衝突しあうもので、強い方が進み、弱い方がそこで消えるだけ。……世界の仕組みが変わらないのであれば、私は、そんな有象無象達が消えて、べグリフ様が生きていてくれたら良かった。ただべグリフ様の傍に居られたらそれで良かった」
「……」
「そんな他を排する世界に、どれだけの生きる意味があると言うの」
「……」
「……」
「……」
「……はぁ、寝るの早すぎよ」
「……」
「おやすみなさ――」
「俺にとって、べグリフは確かに敵だったさ」
「……起きてるなら言いなさいよ」
「考えてたんだよ、寝る前に随分と難しい話をしてくるからさ」
「ふん、悪かったわね」
「気にすんな。むしろ嬉しいくらいだ、お前からの問いかけはさ」
「……」
「確かに敵だったけど、最初の印象と最後の印象は全然違う。最初は命を命と思わない最悪最低の魔王様だったが」
「殺すぞ」
「いや、落ち着け。最初はって言ってるだろ。アイツの気持ちやこれまでを知って、ただの敵じゃなくなった。何というか、救いたいと思ったんだ」
「……敵なのに?」
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「意味が分からない」
「ははっ、そうだな。これぞ価値観の相違って奴だ。そして、俺とべグリフにも確かに価値観の違いがあった。だから、全力でぶつかった。命を削り合った。……でもさ、価値観が違うって、そんなに悪いことなのかな」
「……現に、今日はその相違から諍いに発展していたわ。もう少しで魔法が飛び交いそうなくらいの剣幕だったでしょ」
「あれはなぁ。俺は不倫していたあの人の方が悪いとは思うが、まぁ背景をよく知らないから一概には言えないか」
「……」
「でも、だ。この世界、一体どれだけの命が生きていると思ってるんだ。違って当然だと思わないか? むしろ、その全員が全員同じ価値観だったら、きっとそんな世界つまんないよ」
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「……自分と違うから、知ろうとするんだ。自分と違うから、歩み寄ろうとするんだ。最初から知ってたらさ、同じだったらさ、分かってるんだもん、行動なんて起こす必要はないんだよ。でも、俺達は何も知らないからさ、だから話して、ぶつかり合って、お互いを知ろうとするんだ。レイニー、お前がこうして世界を知ろうとしているように、な」
「……」
「レイニー、お前はこの世界の人々を有象無象と表現したが、相手を知れば決して有象無象なんかにはならないはずだよ」
「……いや、私にとって――」
「お前にとって、俺は有象無象か?」
「っ……」
「おっ、嬉しい反応。もしそうだと言われたら、軽く泣いていたかもな」
「……お前は、他の奴とは少し違う」
「違わないさ。一緒に旅している内に俺を知ってくれたから、そう言ってくれるだけだ。他の人達のことも知ったら、きっと有象無象にはならないよ」
「……私は、私が知りたいのは生き抜く方法だから、他の奴に目を向けている暇なんて、ない」
「そうだな、生き抜く方法を、生きる意味をお前は探している。その為に世界を知ろうとしている。じゃあレイニー、世界って何なんだろうな」
「世界……?」
「ああ」
「……」
「俺は、世界とはこの地で生きる人のことを指していると思ってる。世界とはきっと、人そのものなんだ。人が、世界を作り上げるんだよ。お前にとってべグリフが世界そのものだったように、親父がその手で世界を変えようとしたようにな」
「確かに、私にとってべグリフ様は世界だった……」
「って考えたらさ、世界を知ろうとしているお前は、つまり人を、命を知ろうとしていることになるんじゃないか?」
「命を、知る……」
「レイニーの探している生き抜く方法、生きる意味は命が持っているんだ」
「……」
「最初にレイニーが言っていたように、べグリフがいないからって何かがすぐに変わるわけじゃない。世界を構成しているのはそこで生きる命だから、簡単に世界の在り方が変わることはないだろう。だからこそ、俺は知りたいと思っているよ。この世界に息づく命の想いを。きっと価値観なんて想像以上に違うだろうけど、違うことを知らなきゃ、その違いを認め合えなきゃ、世界はきっと変わらないから」
「違いを、知る、認める……」
「そうそう」
「……なら、昼間の話で言うと、不倫された女は相手の男の気持ちを知って、認める必要があるということ?」
「……」
「ねえ」
「そこがまた難しいところだと思うわけだが。俺的には、まず許す必要はないと思う。普通に男の方が悪くないか? イデア一筋の俺としては微塵も気持ちが分からんまである」
「分からないなら、どうしようもないじゃない」
「そうっちゃそうだが、別に自分の考えを変える必要があるわけじゃないと俺は思うよ。無理やりにでも意見を合わせろとか、絶対に認めなきゃならないとかじゃなくて、俺は俺のまま、分からない部分を少しでも理解できるように少しずつ進んでいく。それでもいいと思うんだ。世界にはそういう風に考える人がいる、それを知るだけでも間違いなく俺を変える材料に成り得るよ」
「少しずつ、か」
「何度も言うけど世界なんて劇的に変化しないよ。それでも俺は、違うことを認め合って、人族だろうが、天使族だろうが、悪魔族だろうが、全ての命が共に過ごせる世界を目指したい。その光景をいつか見てみたいんだ。だから、少しずつでも、知っていこうと思っているよ。世界の想いを、さ」
「……」
「レイニーもさ、すぐに変わる必要はないし、そもそも変わる必要があるわけでもない。お前がべグリフを大事にしているのは分かるから、べグリフを大事にしながら、少しずついろいろな想いに触れてみろよ。そしたら、べグリフの言う『生き抜け』って言葉の意味が分かるかもな」
「……」
「……」
「……」
「……そろそろ、寝るか。明日も早いしさ」
「……私も、少しは見てみたい、かもしれない」
「え?」
「なんでもないっ、私は寝る! おやすみ!」
「レイニー」
「……」
「……俺はさ、そういう意味で、レイニーのことを知れて良かったなと思っているよ」
「……」
「おやすみ、レイニー」
たくさんのことを話してきて、カイの価値観を知ることで、少しずつレイニーは世界のことを知ってきた。
生きるために生きているわけではなく、もっと生きるとは身近にあるとカイは言っていた。それはきっと、世界を構成している命のことを指しているから。有象無象だと思っていた命のことを指しているから。
生きるとは、世界に息づく命と共に進むこと、生きていくことを指しているのだと、少なくともカイはそう思っているのだと思う。
ならば、べグリフの言う『生き抜け』という言葉は、そんな命達と前へ進めということなのかもしれない。有象無象ではなく、共に生きていく存在として、前へ。
「何よりも、よく生きて帰ってきた」
べグリフは、そう言ってレイニーの頭を撫でてくれた。
生きていることの価値は、レイニーが想像するよりも遥かに大切で、かけがえのないものなのだと、カイとの旅を経て少しずつ理解することができた。
自分だけではない、他者の命も、全てひっくるめて大切なのだと思えてきた。
それが、自分が生きるということに繋がっているのだと知ったから。
だからこそ、クランツの物言いが許せない。
「その力があれば、弱肉強食、食物連鎖の頂点になることもできるだろう! 人という種を凌駕し、魔獣という枠組みも超えて、新たな種へと辿り着けるはずだ! そんな君がなぜそんなところで燻っている! なぜ人と共にある! 今のこの世界は、君にとって窮屈で仕方ないはずだ!」
人を凌駕だの、なぜ人と共にあるだの。必死に生き抜こうとしているレイニーを、ただの生物としか見ていないクランツの、命を命と思っていないようなその言葉達は。
理解も及ばないものだった。
「世界が、窮屈……? 冗談、言うなっ!」
「っ!?」
急激にレイニーの力が増していく。次の瞬間、弾き飛ばされるようにクランツは後方へ退いていた。
世界と共に生きている。
命と共に生きている。
それを窮屈と言われ、何故だか馬鹿にされている気がするくらいには。
世界と生き、命と生き。
カイと生きてきた。
確かに生き抜いてきた。
それを、何も知らない奴に好き勝手言われる謂れはない。
「《月光剣・真月!》」
巨大な銀大剣が一本となり、更に巨大化していた。加えて、その刃を縁どるように青い魔力が流れ込んでいく。銀大剣だけでも十分巨大だと言うのに、魔力が更に巨大な刃を形成していた。
「来るかっ!」
クランツが右腕の大槍を構えて、そこへ大量の冥力を集めていく。怪し気に光る真紅の力が、右腕の脈動を加速させていた。
レイニーが一気にクランツへと突っ込む。小細工抜きの真っ向勝負。クランツもまた、勢いよく前へと飛び出し、その右腕を突き出した。
交わる青と紅。
実力では決まらない戦いが、果たして何で決着をつけるのか。
その答えは、一つだった。
魂の、想いの力である。
「お前みたいなゴミがいたこと、覚えておくわ」
背後で、白銀の鎧をまき散らしながらクランツが宙から落ちていく。その身体には深々と袈裟斬りによる傷が刻まれており、とめどなく血が溢れていく。
白目を剥きながら、クランツは意識を完全に消失させていた。
魂をただの研究対象としか見ていなかったクランツには相応しい末路だった。
「知りたくもなかったけれど、ね」
でも、知るとはそういうことでしょ、カイ。
眼を閉じ、彼に思いを馳せる。
カイが確かに頷いた気がしていた。
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