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5『冥々たる紅の運命』

5 第四章第四十話「消えてしまった道標」

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「『……は?』」

 言葉の意味を理解できなかったのだろう。目の前に映るその人物は呆然と語り手であるルーファへと視線を向けていた。

「『冗談にしちゃ、随分質の悪いもんだと思わないか。そんな冗談を伝えるために連絡してきたんだったら、悪いが切らせてもらうぞ』」

 段々と声音は低く、怒りにも似た態度に変わっていく。その様子に流石のルーファも委縮しかける。

 目の前の画面に映る相手は一国の王様なのだ。それを怒らせたとあっては、こちらの命も危ないかもしれない。

 けれど、伝えなくてはならない。今、彼らと繋がりを持っていて事情を知っているのは私しかいないのだから。

 私以外、彼らは誰一人として動けないのだから。

 拳を握り、目の前で苛立つように眉間にしわを寄せる相手に、ルーファはそれでも告げた。

「冗談ではありません。いいえ、冗談だったらどんなに良かったか……。でも今、私がこうして連絡を取っていることが証拠です。ダリル先生達は意識不明の重体です。現状何とか命を繋いではいますが、予断を許さない状態が続いています」

 全てが最悪の形で終わり、セインツ魔法学園の教師陣が連携しながら事態の収束を図るべく動いてくれた。ただ収束を図ると言っても、目の前で起きた出来事の事情を知る教師は誰一人いない。誰もが困惑しながら、それでも何か動きを起こそうとしたのだ。

 そこに全てが終わってから登場するディスペラード魔防隊。魔防隊は元々ディスペラード王家直轄の組織であったが、現在王家の消失と共に王都守護の任に就いている。しかし、実情は然程優秀ではなく、国民側としても「いないよりマシ」くらいの認識でしかない。

 何故かというと、主力の大半が二年前の第二次聖戦で殉職してしまっているからである。

 教師側と魔防隊が連携して動いていく中、ダリルとメリルが血まみれの状態で見つかった。メリルはまるで身体に罅でも入ったのかと疑うような傷が多いが、問題はダリルの方だ。ダリルの右腕は欠損しており、鋭利な得物で斬られたような切断面だった。また、その右脇腹もまるで食い千切られたかのように抉られていた。後一歩見つかるのが遅ければ、失血死は避けられなかったという。

「そして、イデアもずっと彼の傍から離れようとしません」

 イデア、と呼ぶ声に目の前の相手がピクッと反応する。ルーファが偽名を使っていた彼女の正体を知っている。その事実がルーファの言葉の真実味を増していく。

 ルーファがいるのは王都ディスペラードに高々とそびえたつ王城セレスタの客室だった。主亡き今、王城セレスタには最低限の侍女や魔防隊の兵士しか住んでいない。新たな王家のために放置はできず、管理されていたお陰で埃っぽさなど一つもない。

 その客室一つを借り、《ヴィジョン》を通してレイデンフォート王国へと連絡を取っているのである。

 イデアのことを想った途端、ルーファの瞳にも涙が溜まり始まる。

 知っているから。

 ルーファも、その喪失感を知っているから。

 声を震わせてでも、ルーファは懇願するように伝えた。

「……あんなイデア、見ていられません。どうか、どうかこちらへ来ては下さいませんか。ゼノ様」

 四角形の連絡魔法の先で、連絡相手のゼノ・レイデンフォートは目を見開いていた。その視線はルーファを捉えているようだが、焦点が合っているようには見えなかった。ルーファの言葉を受け止めて、思考が、感情がまとまりきらない。そんな様子であった。

 長い沈黙。黒髪に多く混じった白髪が、彼の人生の壮絶さを物語っている。けれど、その人生の中で、ここまで言葉が出て来ないことがあっただろうか。ゼノはゆっくりと口を開くが、パクパクと動かすだけで言葉が出て来ない。
言葉にしてしまうと、現実になってしまうような気がして。

 それでも問わずにはやはりいられなくて。否定してほしいと願いながら、ゼノの口から洩れる問い。





「『カイは……本当に死んだのか?』」





 その問いは、絶望の表情は一国の王としてではなく、一人の父親としてのものに思えた。

「――っ」

 ルーファは込み上げてきた感情にぎゅっと喉を絞られ、言葉なく頷くしかできなかったのだった。

 そこからの会話はあまり覚えていない。覚えているのは、頷いた時にゼノが見せた悲壮だけ。最終的にはこちらへ来てくれることになった気がするが、果たしてどうだっただろうか。

 それくらい、ゼノの様子が見ていられなかった。

「……はぁ」

 ゼノとの通信を切り、ふぅとため息をつきながら、客室にあるふかふかのソファに身体を埋める。心身共に疲弊していて、立ち上がる気になれない。

 とても、心苦しい役回りだった。でも、私にしかできないことだったから。
セインツ魔法学園への襲撃からおよそ半日が経った。時刻はちょうど明日になるような頃。ゼノがよく通話に出てくれたなと思う。

 ルーファが自分で買って出たのだ。生徒達がメンタルケアの過程で事情聴取されていく中、ルーファも傷を癒してもらいながら事情聴取を受けたわけだが、その時にカイとイデアの件は当然出てくる。イデアは自分で正体をばらしたし、カイのことをずっとカイと呼び続けていた。イデア・フィールスに呼ばれるカイなんてカイ・レイデンフォートしかいないだろう。

 どう説明していいか分からなかったルーファだったが、彼らの正体がバレたということは、レイデンフォート王国の王都ディスペラードへの介入も表沙汰になるわけで。

 どちらにせよ、ゼノ・レイデンフォートには説明責任が生まれる。だから、ゼノに登場してもらえばいいと思ったのだ。たかが四代名家の娘があれこれ話すより、一国の王が話した方がいい。

 それに、伝えなくてはいけないこともあったから。

 幸い、四代名家ということもあるのか、或いはカイとイデアの事情をある程度知っていることを理解したのか、協議の結果、ルーファは連絡係になることができたのだった。

 もしかすると大人達は危惧しているのかもしれない。

 自国で他国の王子が死亡したという事実を。場合によっては、国家間の戦いに発展しかねない。だからこそ、少しでも繋がりのある、事情を知っているだろうルーファに託したのではないだろうか。

「……イデア」

 彼女のことが頭をよぎり、重たい腰をどうにか上げて客室を出る。

 彼女達も王城セレスタにいる。相手が王子と王女だからというより、ある意味隔離したかったのだと思う。二人の存在は今爆弾と同義なのだろう。

 これから、この国がどのような未来を辿るかは二人次第。だからこそ、要人用の部屋を用意し、そこで慎重かつ丁寧に扱いながら、周囲との関わりを絶っているのだ。

 そんなことをしなくたって、今の彼女に周囲がどうとか関係ない。

 長い廊下を歩いて、目的の扉の前に辿り着く。

「う、うぅ……ィ、カィ……!」

 そして聞こえてくる泣き声。最後に部屋を出た時から変わらない。

 絶望に打ちひしがれた彼女の声に、またもやルーファの目尻に涙が溜まりそうになるが、何とか拭ってからノックもせずに扉を開ける。

 要人用というだけあって、先程の客室よりも大きく豪勢な部屋。そこにある大きなベッドに眠るように彼がいて、その彼に覆いかぶさるように彼女は泣いていた。

「どうしてなの、ねぇ、ねえ……!」

 純白でさらさらの綺麗な髪も乱れ、その身体は泥まみれのまま。顔にはまだ血痕があり、半日前から何も変わっていない、いや、まだあれから半日しか経っていないことを思い知らされる。傷こそ勝手に治療したけれど、彼女は彼の傍を片時も離れようとはしない。

「イデア……」

 彼女の傍で静かに眠るようにカイは横たわっていた。血まみれだった身体はイデアが何度も治療したから回復しており、付着した血のせいを疑ってイデアが血を拭き取ったため綺麗になっている。

 それでもカイは目を覚まさない。

 この銃に撃たれたものは身体から魂が抜けだして死ぬ、とシリウスは言っていた。そもそも行方不明だったシリウスがどうしてここにとも思ったが、それにその銃は何なのかと分からないことだらけだが。

 分かることは、カイがイデアを庇ってその銃に撃たれたということである。



 横たわるカイの身体には魂が宿っていない。



 今はまだ身体の活動は続いている。彼の胸に耳を当てれば心臓の鼓動が聞こえてくる。それでも、その身体は果たして生きていると言えるのだろうか。

 ルーファは視線をずらし、ソファに座っていたカルラへ視線を向けた。

「……」

 カルラは無言で両手を上げて、まさしくお手上げだと言いたげに顔を歪ませていた。

 ルーファが連絡を取りに行く間、できるだけイデアを一人にしたくなくてカルラに残ってもらったのである。「……分かったよ」とカルラにしては素直に聞いてくれた。カルラも思っているのだと思う。

 今のイデアは一人にしてしまうと何をするか分からない。心が壊れてしまって、自死する可能性だってあった。

 とりあえずはゼノ・レイデンフォートの到着を待つしかないのかもしれないが……。このままだとイデアは来るまでの間、ずっとこうして泣き叫んでいそうだ。

 ただでさえジョーとの戦いもあった。心身ともに疲れているだろうから、魔法で無理やりでも寝させた方がいいかもしれない。

 そう思ってイデアの方へと足を向けたルーファへ。

「……る、ルーファさ、ん」

 カイから視線は外さずに、涙をこぼしながらイデアは言った。

「あ、あの時、私はルーファさんに分かったような口を聞いていました」

 あの時というのがいつを指しているのか分からなかったけれど、続くイデアの言葉で思い出す。

「『どれだけ辛くて苦しくても、共に進むしかない』なんて、偉そうに言って」

 それは先日、イデアと戦う直前に言われた言葉。エグウィスを失い、彼の想いも果たせなくなって自暴自棄になったルーファに、イデアが言ってくれた言葉。いないからこそ、辛く苦しくても、その想いを受け継いで進むしかないのだと、伝えてくれた言葉。

 違う、違うわイデア。

 その言葉にも救われているのだから。ようやく今ならエグウィスの想いに真っすぐ向き合って、受け継いで進もうと思えているのだから。

 だから、お願い。

「進め、ないです……。こんな、こんな気持ちじゃ、進めない……あなたがいなきゃ、私は……!」

 そんな悲しいこと、言わないでよ。

「カイ……!」

 再びどんどん溢れていく嗚咽。零れていく雫がカイの顔を濡らしていくのに、彼がその瞳を開けることはない。
絶望に打ち負けて、涙と共に打ち震える小さなその身体を前に、ルーファもまた涙を流すだけで。
立ち尽くすことしかできなかった。





※※※※※

 



 まるで数時間前の出来事が嘘のように、静寂に包まれた深夜。夜空には星々が満ちている。ただ、今日はその光がどこかこちらを監視しているように見えて、見上げていた視線を横へと送る。

「んぅ……」

 聞こえてくる可愛らしい寝息に、微笑みながら手を伸ばす。薄桃色の髪はさらさらしていて、こちらとしても撫で心地が良い。彼女も撫でられ心地がいいのか、これまた数時間前とは別人のように、いやこれが本当の彼女なのだが、柔らかい笑みを浮かべてぐっすりと眠っていた。ルーファのかけてくれた魔法の効果がまだ切れないのだろう。あれからずっと眠ってしまっているが、こちらとしては好都合。

 周囲への警戒を解かないまま、ふぅとザドは息を吐いた。ザドとシャーロットがいるのは王都ディスペラード近郊にある森の中。

 カイ・レイデンフォートの死という幕切れで、辺りが騒然としている時。ザドは視線がカイとイデアへ集中している間に、シャーロットを抱えてその場を離れた。



 シャーロットの正体がバレてしまったからだ。



 そうなると、セインツ魔法学園には居られない。第一、生徒も教師も総じてシャーロットの《あの姿》を見てしまった。あのままあの場所に居ても、化け物を見るような目がシャーロットを襲うだけだ。

 だが、これからどうする。

 レゾンは言っていた。

 魂が足りなくなったのだと。そして、一か月はまた持つだろうが、猶予はないということも。

 後一か月……。その間にあのバトルロイヤルを終わらせられればいいが。

 しかし、シャーロットを狙う謎のグループも存在している。ジョーやクランツ、シリウスもその一派なのか分からないが、そのグループには間違いなくレゾンも関わっているようだ。

 要するにレゾンは、シャーロットの猶予がないことを分かっていながら、彼女のことを狙っているということだ。

 外道が……!

 怒りでどうにかなってしまいそうだが、レゾンが言っていたことも間違いではない。

「むしろ感謝してほしいくらいだ。俺がいなかったら、その子はとっくに死んでるよ?」

 それが悪魔の契約であったことは分かっている。その場に居たザド達も理解した上で、アイツの血にまみれた手を取ってしまったのだ。

 どうする、どちらにせよシャーロットはいずれ目を覚ます。その時に何と説明する。



 シャーロットにとって、最善の形はなんだ。



 もう、シャーロットは何も知らないままで居られない。そして、シャーロットを狙うレゾン達のこともある。あの一瞬で、選択肢は非常に限られてしまった。

 それでも、だとしてもザドにとって変わらないこともある。





 俺が願うのはただ一つ。シャーロット……いやエルの幸せだけだ。





 その為に必要なのは……。

 顔を上げ、視線をある方向へと向ける。視界を木々が妨げるが構わない。そちらは元々来た方向だ。見なくたって分かる。

 俺だけで全てを成し遂げることは終ぞ叶わなかった。間に合わなかった。

 エルの幸せの為には、俺一人では駄目だった。

 だから。

「……そろそろ潮時なのかもな、エル」

「むにゅぅ……」

 その名で呼ばれたことなど覚えていないくせに、シャーロットが反応する。勿論偶然なのだろうが、それが嬉しくて。

 彼女の頭を撫でながら、ザドは決意を固めていく。

 プライドも世間体も、何もかもいらない。

 エルが幸せになれるのなら。



 喜んでこの命を差し出そうじゃないか。



 これまでの罪全てに、向き合う時が来たのだ。



 

※※※※※





 幼い頃のカイは、他の兄弟に比べると両親にべったり甘える方だった。まぁライナスとデイナの性格的に、甘えるということを知らないだけのようにも感じるけれども。

 兎にも角にも、ミーアが生まれるまでの三年間、カイは甘えん坊で、泣き虫で、打たれ弱くて、兄弟の中で一番大変な存在だったことをゼノは覚えている。というのも、カイには魔力が無かった(ヴァリウスに奪われた)こと、そしてそれを兄弟達や他の者から白い目で見られてしまうことが多かったからである。

 それをゼノもセラも分かっていたからこそ、甘えてくるカイを最大限甘やかしてきた。魔力があろうとなかろうと、やはり自分の子供は愛しくてたまらないし、先に生まれた兄弟達は理性的すぎたのに対してカイは全身で甘えたいというのを表現してくる。セラにはすぐに抱きつきに行くし、ゼノの後ろをとてとてと追いかけて動きを真似しようとするのだ。

 そして、顔を見合わせれば必ずくしゃっと笑う。その笑顔に救われた日々がどれだけあったことか。甘えん坊で、泣き虫で、打たれ弱いけれど、喜怒哀楽を最大限伝えてくれる。カイの喜怒哀楽は、こちらの心を温かい気持ちにさせてくれる。

 昔、カイとこんな問答をしたことがある。

「ねぇねぇ、お父さん」

「ん、何だ?」

「王様って、大変?」

「……んー、そうだなぁ。そりゃたくさんの人の人生を変えられるお仕事だからな。すっごい大変だけど、でもみんなが幸せそうな顔してくれると、俺も嬉しいから」

 そう言って、息子を持ち上げて膝の上に乗せる。

 間違いなく本心。ここまで来るために、たくさんの人の想いと命があった。それらの上に続くこの人生を、悲しみの上に成り立つこの世界を愛して仕方がない。大変なのは当然だけれど、その想いと命のお陰でまだ道は続いているのだから。

 その道で幸せそうに笑ってくれるのなら、俺も彼らも本望だと思うから。

 カイは嬉しそうに笑いながら言った。

「俺ね、お父さんみたいにカッコいい王様になりたい!」

「カイ……」

「あと、お母さんみたいに優しい王様にもなりたい!」

 無邪気に笑って見せるこの子もまた本心からそう思っているのだろう。口に出来たことが嬉しいのか、カイが満面の笑みを浮かべる。

「だから、これからの俺をちゃんと見ててね! 俺、頑張るから!!」

「……ああ、見てるよ。絶対にな」

 カイの決意を聞いて、ゼノはその頭をわしゃわしゃと撫でまわしながら思うのだ。不思議とカイなら最高の王になれるだろうと。魔力も無くて、まだまだ泣き虫だけど、カイならできる。……そう思ってしまうのは親心のせいなのだろうか。でも確かに思えてしまうのだ。他の兄弟の誰よりも容姿が似ているからか。誰よりも昔の自分に似ていると思うからか。

 カイなら、きっと……。



 そして、カイは三つの世界を繋ぐ架け橋となった。



 昔はあんなに幼くて甘えん坊だったのに、終ぞゼノ達が果たせなかった魔王べグリフの撃破を成し遂げたのだ。

 ゼノ達が願い続けた三種族共生への道を、息子が切り開いてくれたのだ。

 あの時の思いは間違ってはいなかった。

 たくさんの人を惹きつける魅力がある。たくさんの命を救える力がある。

 たくさんの想いに寄り添える優しさがある。

 カイなら、絶対最高の王になれる。カッコいくて、優しい王様に。





 そう思っていたのに。





「……」

 私室の椅子にもたれかかったまま、ゼノは動かない。どれだけこうしていたか分からない。カーテンの隙間から光が漏れ出しているから、およそ五時間か。日付が変わる頃にルーファから連絡を受けてから、、ゼノは寝ることもなく、ただただそこに座り続けていたのだった。

 体は動かない。動かないというより、動けない。まるで全身に血が通っていないかのように、身体の先が痺れたように動こうとしない。
けれど、思考は目まぐるしく働く。働いてしまう。

 まず最初に浮かぶのは、やはりあり得ないという希望。だって、あのべグリフを倒した男だぞ? 実力で言っても最早俺を凌駕しているはず。そんな彼が……簡単に信じられるわけがない。

 けれど、次に浮かぶ「もし本当だったら」という絶望。ゼノが認めたくなくても、事実としてそうなのだとしたら。連絡してきたルーファという少女は本当に辛そうな表情をしていた。嘘をついているようには見えず、つくような人にも見えなかった。

 だからだろう。あり得ないと分かっていても、最悪の未来が思い浮かんでしまって。

 だからこそ、身体が動かない。ルーファには王都ディスペラードへ向かうと告げたのに、この足が進もうとしない。進みたくないと駄々をこねる。

 もし進んで、現実が地獄だとしたら、そんな景色、見たくなかった。

 だって、そんなの。こんなのってないだろ。親より先に逝く子供がいてたまるか。第一、あのカイが。カイがだぞ? 

 そうして、再び思考が巡る。あり得ないと思っては、もし本当だったらと。そしてまた、やっぱりあり得ないと思考を否定して、でも暗闇から抜け出せずに同じ道を歩き続けている。

 確かにこの道はたくさんの想いと命の上に成り立っている。

 けれど、隣どころか前を歩いてくれていたその姿が、急に見えなくなってしまったら。

 いつの間にか道しるべのような息子の姿が見えなくなってしまったら。

 俺は変わらずこの道を歩き続けられるのだろうか。

 これまで犠牲になってきた命に顔向けできないくらい、思考は、足は、想いはその場でただただその場で留まり続けていた。

「……ゼノ!」

 バンッと勢いよく扉が開け放たれる。まるで魂が抜けたように呆然とゼノが視線を向けると、そこにはセラとエイラがいた。

「はぁ…はぁ……!」

 二人とも息を切らし肩で呼吸しながら、まっすぐにこちらへ視線を向けている。急いできたのだろう。早朝のレイデンフォート城内を駆けてきたようだが、放心状態のゼノにはその足音も聞こえていなかった。

 その瞳に宿る想いは、ゼノと同じで。

 セラとエイラの二人がここに来たのは、ゼノから連絡があったからだ。珍しい時間に来た彼からの着信に、二人とも首を傾げながら応答して。

 そして、告げられたのだ。

 まるで理解できなくて、理解できるような内容ではなくて。でもゼノの放心した様子に尋常ではない状況なのだと、セラとエイラはそれぞれ天界と魔界から急いで駆け付けたのである。

 ゼノもまた、一人ではおかしくなりそうで、足踏みしてしまいそうで彼女達に連絡を取っていた。一人で確かめに行ってもいい。けれど、その勇気が出なかったのだ。

 エイラはその瞳に涙をためて揺らしながら、セラは既にその瞳から涙を流しながら。

 二人は遮光カーテンに遮られて暗い部屋の中で、ゼノを捉え。

 そして、同時に言うのだ。



「カイが死んだなんて、嘘ですよね……?」
「カイ様が死ぬわけ、ないじゃないですか……!」



 その言葉に遅れる形で、セラとエイラの背後にメアとシェーン、そしてドライルが姿を見せる。両者とも、ゼノからの連絡の際に近くに居たため、話を聞いていたのである。内容が内容で、そしてセラとエイラの様子からも状況は最悪だと理解して凄い速度で飛び出した二人をそれぞれ追ってきたのだった。

「……っ」

 三人とも訴えかけるものはセラやエイラと同じで。

 だが、ゼノはその発言に対して言葉を持ち合わせていない。

「……」

 気持ちは同じだから。でも、答えられない。

 分からない。分かってはいけない。その分からないと言う事実が、余計に不鮮明な部分を鮮やかに彩ってしまう。
ただ分からないと言葉にしては、希望が途絶えてしまう。そんな気がして、答えられずにいるゼノ。





「《そうだ、カイは死んだのだ。ゼノ・レイデンフォート》」





 その希望を打ち砕くように、部屋に響く声。

「――っ!?」

 その声は聞き覚えもなく、まるで人体から発せられたとは思えないように部屋の中を反響して回る。これまで動かなかったゼノの身体が、突然の事態に驚いて椅子から飛び上がった。

「っ、ゼノ!?」

 セラとエイラはゼノの動きに動揺を隠せなかった。

 それは当然と言えよう。



 何故なら彼女達に、その声は聞こえていないのだから。



 けれどゼノ、そしてメアとドライルには確かに聞こえていた声。

「今のって……!?」

「ああ……!」

 驚くゼノとは別に、臨戦態勢を取るメアとドライル。二年前とはいえ、その血からの波動を身体が覚えていた。実際はあの力と比べるとか細いものであるが、それでもべグリフの手によって身体に刻み込まれた《冥力》が、無意識にその姿勢を取らせるのだ。

 薄暗闇の中に、突如として現れる宵闇。部屋の暗さに溶け込んでしまいそうだが、かろうじて輪郭が生じ、その銀髪が姿を露わにする。

 ゼノの私室ど真ん中に、彼を見据えてトーデルが姿を現したのだった。
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