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4『理想のその先へ』
4 第一章第十二話「心の声」
しおりを挟むダリルの黒炎に兵士達が朽ちていく。先程の裏切り発言から察するに、やはり私の事を最初から信用していたわけではないのだろう。そりゃ突然現れてこの島を牛耳り始めたのだから、反感もかなり抱いていたはずだ。
だが、悪いな。私だって好きでそうしていたわけではない!
カイを傷付け、メリルを悲しませた怒りを黒炎に変えて、次々と現れる兵士達を燃やし尽くす。
そうして、悪魔兵士達の数も少なくなってきたところで。
「その力、返してもらうぞ」
唐突にベグリフが現れた。
まるで最初からそこにいたかのように、ベグリフはカイとダリルの眼の前に佇んでいた。
全て終わったと安堵していた心が、一気に事態の急変に気付いて震えあがる。
「っ、イデア!」
咄嗟にイデアを背後へ庇い、カイは軋む体を叱咤してセインを持ちあげる。
だが、ベグリフはカイへと背中を向け、強く大地を蹴ってダリルの方へと飛び出した。
「ダリルぅ!」
メリルの悲痛な声が聞こえてくる。
誰もがこの状況に死を感じている。
目の前にいるのは、悪魔族最強の魔王だ。
「カイ! 避けろ!」
言下、ダリルの掌に黒炎が集中しているのが見えた。
「くそっ!」
痛みを堪え、カイはイデアを抱え、メリルの方へと飛び出した。そして、メリルも抱えて真横へ全力で飛んだ直後に。
轟音と共に黒炎の大波が背後を流れて行く。タイミングとしてはギリギリで、危うく全身を焼かれる所だった。もう焼かれるのは勘弁だ。
倒れ込むような荒い形で着地しながら、ダリルの方を見る。
黒炎の中、ダリルはベグリフと対峙していた。先程の一撃がベグリフには効いていなかった。漆黒の衣服に黒炎が移っていたが、飲み込まれるように消えて無くなる。
「流石、俺の魔力と言ったところか」
「今になって返せとは、虫が良すぎると思わないか……!」
何度もダリルが黒炎による攻撃を行うが、ベグリフはそれを気にすることなくゆっくりとダリルとの距離を詰めていく。まるで黒炎がベグリフを避けているかのように、ベグリフのいる場所にだけ炎が届かない。
「元々俺の魔力だ。返してもらって何が悪い」
「全部だよ!」
いつの間にか飛び出していたカイが、ベグリフの背へとセインを振り下ろす。
察するに、ダリルを悪魔化したのはベグリフのようだ。だからこそ、ダリルはあれ程までの力を手にしている。
逆を言えば、今ベグリフは全力を出せない。
今ここで、倒し切る!
だが、ベグリフは意に介さない。セインの一撃を防ぐこともせずその身で受けた。
流石におかしいと、カイは距離を取る。それでも、今のベグリフにとってカイは眼中になく。
深く刻まれた斬撃を容易く回復させ、ダリルへと向かっていった。
「何なんだよ、あれは……!」
「ダリル! 受け取って!」
メリルから何かが投げられる。ベグリフの頭上を越え、それがダリルの手元へ。
それはセインだった。
「ありがとう!」
一気に自身の黒炎をセインへと吸わせていく。やがて黒炎は純粋な豪炎へと色を変えた。
「これならどうだ!」
セインが振るわれ、豪炎がベグリフを飲み込む。
今度は確かにベグリフを燃やしていた。
なのに、それでも気にすることなくベグリフはダリルの元へ。燃やされた傍から再生させ、その身体が朽ちることはない。
「無駄なことだ。確かに今のお前は俺の魔力を半分持っている。だが、所詮それだけだ。勝てると思ったか? 思い上がるな。魔力など無くても、実力差は決して埋まらない。……ゼノだけは例外だがな」
「くっ、ベルセイン!」
ダリルのセインが形を変え、全身に赤い鎧を着こみ、左手に大盾、右手には長剣を手にしている。その長剣から豪炎がとめどなく溢れていた。
一気に距離を詰めて、ダリルがセインを振り下ろす。
その瞬間を待っていたかのように、ベグリフは呟いた。
「《デス・イレイス》」
直後、ダリルの身体に変化が生じる。漆黒の大翼が少しずつ塵と化し、その瞳も人のそれへと戻っていく。
ダリルの身体を流れていたベグリフの魔力が、蒸気のようにダリルの身体から噴き出していく。
そして、その全てがベグリフの元へ。
「《魔魂の儀式》と言えど、魔法であることに変わりはない。魔法は等しく俺の前において無力だ」
やがて大翼も、魔力も、そして《魔魂の儀式》そのものがダリルから消失し。
全ての力をベグリフは取り戻していた。
直後にベグリフの身体から溢れ出る力。
それは恐怖とか、怒りとか、苦しみとか。負の感情を全て詰め込んだかのように暗く重たい。対峙しているだけで意識を持って行かれそうだった。
振り下ろしていたダリルのセインを容易く剣で弾き、彼へ向けて魔力の塊を放つ。
「もうお前は用済みだ」
「ぐぅっ!」
大盾でそれを受け止めるが、勢いを殺せない。やがてそれはダリルを連れ立って空へと飛んでいき、やがて大爆発を起こした。
「ダリルっっ!!」
「行っちゃ駄目です!」
駆け出そうとするメリルをイデアが必死に止めた。
爆発の中からダリルが落ちてくる。赤い鎧があちこち砕け、全身から血を流して。
「間に合えっ!」
その身体をカイが宙を蹴ってどうにか受け止めた。鎧やら剣やら盾やらが重くて、既に身体が限界ですぐに地面へと降りる。
息こそあれど、ダリルは今の一撃で気絶していた。ダリル程の強靭な肉体を持つ者が、ベルセインで守っていたはずなのに容易く倒されていた。
これが、魔王の真の力……!
カイはそれを始めて目の当たりにしたのだった。
視線の先で、ベグリフは見下すようにカイを見つめていた。
「既に満身創痍。お前に価値などない。死ね」
ベグリフが掌に魔力を溜める。
カイは瞬時に避けられないと理解した。背後にはダリルが倒れていて、担いで避けられるほど優しい攻撃が来るわけがない。なら、もう受け止めるしかない。ダリルを置いていく選択肢など皆無だった。
「ここが、正念場だ……!」
これから殺到するであろう死を振り払うべくセインを構える。
勝てる未来は見えない。それでも、絶望するにはまだ早い。
未来は、まだ広がっているはずだ。
その未来を黒く染めようと、ベグリフが魔力の奔流を放とうとする。
その光景を、イデアは絶望と共に見ていた。
このままではカイが死んでしまう。
不思議とその確信があった。決してカイの事を信じていないわけではない。けれど、どうしてもその未来しか見えない。無数にあるはずの未来は、今まさにたった一つへと集束しようとしていた。
どうしたらいいの。私に出来ることはないの!?
ここから飛び出しても間に合わない。間に合ったところで出来ることもない。
そう、私には何も出来ない。
だから、イデアは初めて意識的に彼女へ心を放った。
「お願い、カイを助けて……!」
祈るように、言葉を心へ送る。
ずっと怖かった。自分の中に知らない人がいて。
私が私じゃなくなるような気がして。
だから、ずっと聞こえないふりをしていた。気付いているのに、気付かないふり。応えられるのに、応えないふり。
応えてしまったら、認めてしまうと思ったから。
彼女の存在を。
そして、否定してしまうと思ったから。
私の存在を。
だから、雑音混じりにしか聞こえなかった。
そうなるように、私がしていたのだ。
でも、もう雑音は必要ない。
自分の意志で、私は彼女と代わろうとしていた。
「良いのですか」
心から声がした。聞いたことのある声。
何も混じることなく、私へ向けられた綺麗な声。とても温かくて、心地よくて。
「貴方は、私の存在を快く思っていなかったでしょう」
そして、いつも私の事を案じてくれる。
私が独りぼっちだった頃と変わらない、本当に優しい人。
イデアは心へ思った。
「今は、もう大丈夫です。私という存在はカイが証明してくれるから」
ダリルの意識を取り戻した、この事実がカイから私への言葉だった。それを贈る為に、カイは今回私を連れてきたのだと思う。
カイは、私が何で悩んでいるか分かっていたのだ。
ありがとう、カイ。あなたを好きでよかった。
エイラは言っていた。想いは受け継がれると。
だったら、きっと私の想いはカイへ受け継がれている。だから、大丈夫。
カイが、私の存在証明だ。
その想いがある限り、本当に大丈夫だと思える。代わることへの恐怖など微塵もない。
それに、
「私はあなたの事が大好きです。いつも誰よりも傍に寄り添ってくれてありがとう」
今なら分かる。ずっと雑音を入れて聞こうとしていなかった彼女の言葉が。
「ずっと、私は私だって言ってくれていたんですよね」
私が勝手に耳を塞いでいただけで、彼女はずっと私に優しい言葉をかけてくれていたのだ。
「……私という存在は、貴方の身体にお邪魔しているだけ。やがて、私という意識はあなたへと溶けて無くなるでしょう。そう伝えたかったのです」
ちゃんと彼女の言葉を聞いていれば、あんなに悩む必要はなかったのだと思うと、自分自身に呆れてしまう。
でも、悩んだからこそ見えたものもある。
それが、今の私を支えてくれている。
「小さい頃、私へ話しかけてこなくなったのは何故ですか?」
「いずれ私は消える存在。過度な干渉は貴方へ影響を残してしまう。本当は最初から貴方へ話しかけるつもりはなかったのです。出来るだけ不干渉のまま、消える瞬間を待つつもりでした。でも、我慢できなくなってしまいました」
苦笑したような声音が聞こえてくる。独りぼっちで寂しがっていた私の事を無視できなくなってしまったのだろう。そして、頃合いを見て姿を消したのだと思う。
今思えば、最初から彼女という存在を疑う余地などなかった。話してみれば、こんなにも容易く受け入れられる。
どんな時でも彼女は私を助けてくれた。
独りぼっちだった私を、彼女は救ってくれた。
魔界で一度死にかけたカイの事も、彼女は救ってくれた。
いつも、彼女は私の想いに応えてくれる。
だから、どうか今回も。
「私の身体を好きに使って構いません。だからどうか……!」
カイを助けて。
私の想いに、彼女は。
フィグルは。
「必ず」
優しく言った。
そして、イデアとフィグルの意識が入れ替わる。と、同時に彼女の身体に込み上げるものは。
ソウルス族には本来流れることのない魔力だった。
イデアの身体のまま、その両手に白く輝く長銃が二丁出現する。
隣にいたメリルが驚く間もなく、一瞬の早業で銃口から魔弾が飛び出した。
二つの魔弾が、魔力を放とうとしていたベグリフの頭を撃ち抜く。
当然のようにすぐ再生するが、今の一撃でベグリフはカイへの攻撃を止めていた。
信じられないという表情で、ベグリフが振り返る。
あり得ないはずだった。自分の手で殺したはずだった。
なのに。
「何故だ、この魔力は……」
その視線の先で、二丁の長銃を構えたイデアが。
「久しぶりですね、ベグリフ」
フィグルが笑った。
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