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4『理想のその先へ』
4 第一章第七話「囮」
しおりを挟む一直線にストリーム・スラッシュがダリルへと襲い掛かる。だがダリルは微動だにしない。
そして直撃する寸前に黒炎が床から噴き出し、容易く青白い奔流を受け止め、燃やし尽くしてしまった。
そりゃ一筋縄で行くわけないよな……!
「二人共、柱の陰に隠れてろ!」
「いいえ、私も――」
「っ、駄目です!」
メリルが前に出ようとするが、咄嗟にイデアが腕を掴んで柱の方へ飛び込んだ。
その判断は正しかったと言えよう。
彼女達が柱に隠れると同時に、黒炎の波が一瞬で押し寄せた。途轍もない広範囲でダリルの前方全てが黒炎に包まれる。
「きゃあっ」
熱気だけで溶けてしまいそうだが、柱がどうにか黒炎を遮ってくれる。柱にも黒炎が昇り背を付けることは出来ない。柱が無ければ今頃消し炭になっていただろう。メリルもイデアを庇うように抱きしめてくれていた。
「っ、カイ!」
顔を出さずに、黒炎の波へ叫ぶ。イデアはカイが黒炎に飲み込まれていたのを見ていたのだ。
すると、黒炎の中からカイが上へ飛び出した。上衣は今にも燃え尽きそうで、既にあちこちの皮膚が焼けて爛れてしまいそうだ。
それでも、カイはまだ不敵に笑っていた。
「こんなもんかっ!」
空を蹴って飛び出そうとするカイ。
しかし、下から黒炎で出来た五つの柱がカイを囲むように飛び出し、周囲を回転しながら行く手を阻む。そして、一気に凝縮し一つの巨大な炎柱となってカイを飲み込んでしまった。
「カイぃ!」
圧倒的な魔力量。ダリルは変わらず棒立ちしており、何かをしているような素振りもない。それなのに、カイは圧倒されていた。
「っ、らあああ!」
だが、カイもまだ全力ではない。
突如黒炎を払うように青白い軌跡が周囲に飛び散る。その中から白いコートを着たカイがダリルへと飛び出した。青白い籠手で強くセインを握りしめる。セインは以前よりも細く長い形に変わっていた。
ベルセイン状態のまま、カイは悪魔化している右足で一気に空を蹴ってダリルへ詰めた。
「これならどうだ!」
カイがダリルへセインを突き出す。青白い軌跡を残してセインが到達する寸前で、やはりダリルの眼の前に黒炎で出来た防壁が生まれる。防壁はやはり容易くセインを受け止めてしまった。
ベルセイン状態でも、ダリルを守る黒炎は超えられない。
「まだまだぁ!」
だが、まだ悪魔化した左腕の力がある。悪魔族の魔力が包み込み、セインは黒紫に光り出した。一気に力が増幅していく。
そして、黒を黒が貫いた。
黒炎の防壁はセインに貫かれて掻き消え、これでダリルを守るものは何もない。
勢いのまま、カイはセインを突き出す。
だが、ダリルは慌てる素振りを見せず。遂に腰に差してあった長剣を抜いた。剣先へ滑るように黒炎が生まれていく。
「その程度か」
次の瞬間、轟音と共にディゴス島の夜空を黒炎の大波が一瞬で飲み込んだ。黒炎はディゴス島を飛び出し、海面に映っていた夜空の光を遮っていく。
その全てが一瞬の出来事で、やがて黒炎が消えて無くなった時。
王宮殿は半壊していた。
※※※※※
空を真っ黒い炎が一瞬覆った。王宮殿辺りから飛び出していたことを考えると、間違いなくあれはカイ達だろう。
悪魔族の兵隊を魔法で蹴散らしながらヴァリウスが言った。
「やっぱり即回収とはいかないみたいだね!」
「私としては今すぐにでもあっちに混ざりたいところだけどな!」
ちぎっては投げ、ちぎっては投げをシーナは繰り返している。その戦い方を見て、アグレシアは苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。
「本当に野蛮だよ、エレガントさに欠けるね!」
純白の翼を広げ、周囲を明るく照らしながら戦場をアグレシアが縦横無尽に駆け回る。だが、目立つように動きながらもそれは《聖反光》による屈折で作られた偽物であり、本体は光に隠れながら悪魔族を倒していた。
陽動組がディゴス島の都市に入った時、既に悪魔族の大群が押し寄せてきていた。やはり侵入はバレていたらしい。とはいえ、陽動組なのだから願ったり叶ったりで現在グイ城を目指して暴れまくっているわけである。
しかし正直、カイ達があれ程派手に戦っている時点で陽動も何もない。なら、一気にグイ城を制圧した方がカイ達の援護になるだろう。
「よし、あの城を僕達の手で制圧しよう」
「っしゃあ、あたしが一番乗りだ!」
「ぬっ、悪魔如きに私が負けるかぁ!」
悪魔達を吹き飛ばしながら、競うように二人が進んでいく。本当に仲が良いんだか悪いんだか。
転移があるからどう考えても僕が一位なんだけどね。
やれやれとため息をついて、ヴァリウスが二人の速度に合わせて転移する。
目指すはグイ城。幸い、ディゴス島にいる悪魔族の中で強敵はダリル以外いないようだ。この三人であれば無理することなく制圧することが出来るだろう。
さっさと制圧してカイを助けに行かないとね。
そう思っていたのに。
カイを助けに行くことは終ぞ叶わない。
「さて、読みは当たったかな」
夜空から声が聞こえてくる。同時に降り注ぐあり得ない程の重圧。冷や汗が一気に全身から噴き出していく。
シーナとアグレシアすらも動きを止めていた。夜空を見上げ、眼を見開いている。
「つまらなそうな顔してるね」
「お前の下らん余興が終わるまで、待たねばならんからな」
「まぁまぁそう言わずに。どうせ暇なんでしょ? ゼノも相手にならなくてさ、がっかりしてるじゃん」
ヴァリウスも夜空を見上げた。紺色に広がる空に黒い影が二つ浮かんでいる。
そうか、ダリルを囮にした理由。狙いはこっちだったんだ……!
あまりに最悪な状況。
「どうやら、君のお嫁さんもいるらしいよ」
「……どうでもいいことだ」
夜空に、ベグリフとグリゼンドが浮かんでいた。
二人の登場に、悪魔族の兵士すらもどよめく。
何故魔王がここに来る。動揺のせいか、身体が震えてしまいそうになる。
駄目だ、これは駄目な奴だ。
ダリル奪還は今すぐにでも諦めなくちゃ……! ゼノに任されただろ!
「二人と――」
「ベグリフぅううううう!」
だが、ヴァリウスの思考とは裏腹にシーナが一瞬でベグリフの横に移動していた。
シーナは震えていた。恐怖でではない。
武者震いでだ。
ご主人、あんたについてきて良かった。戦いたがってた私に、ご主人は強い相手と戦う機会を与えてくれている。
今だって、こうやって魔王と戦える!
全力でシーナがベグリフを蹴り飛ばす。ベグリフは腕でガードしていたが、そのまま勢いよく海上まで吹き飛んでいった。
「あらー、よく飛んだねー」
特に気にする様子もなく、グリゼンドが覗き込むようにベグリフの方を見つめていた。
「シーナ、駄目だ!」
ヴァリウスが声をかけるが、シーナはベグリフの方へと翼をはためかせて飛んでいく。
「私がベグリフをやる! 誰かがやらなきゃいけないことだし、戦いたいし一石二鳥だ!」
シーナの言う通り、ベグリフやグリゼンドが簡単に逃がしてくれるとは思えない。ダリルを囮にして、わざわざここに来たのだ。ヴァリウス達の中に目的があるはずだ。
だからと言って、魔王と一対一で戦おうとするなんて。無謀にも程がある。
去っていくシーナを見送りながら、グリゼンドが呟く。
「今ベグリフには半分しか魔力ないし。意外とシーナといい勝負するかな? 退屈しのぎになればいいけど」
ベグリフに、半分の魔力しかない?
グリゼンドの一言が、更に最悪の状況を加速させる。
疑問には思っていた。あの強靭な精神を持つダリルが、そう簡単に洗脳されるだろうかと。それに、放たれている威圧感があまりに段違い過ぎていた。
一体ダリルに《魔魂の儀式》をしたのは誰なのかと。
もし、ダリルがベグリフの魔力を半分手にしているとしたら……!
「カイっ……!」
半壊している王宮殿から立ち昇る黒炎が、絶望を表しているようだった。
「さて、じゃ俺は目的を果たそうかな!」
突然、グリゼンドが目の前から居なくなったかと思うと、ヴァリウスの肩に何かが触れていた。
振り向くヴァリウスへ、グリゼンドが告げる。
「これが、君にとって人界最後の光景さ」
「っ、アグレシ――」
そして、アグレシアの眼の前からヴァリウスとグリゼンドが忽然と姿を消した。
突然の事態に、アグレシアは動けずにいた。ベグリフとシーナはディゴス島を飛び出していき、ヴァリウスとグリゼンドは目の前から消失。
魔王達の登場で状況は圧倒的なまでに不利になっていた。
「何が、どうなっている!」
冷静に対処しようにも、心が動転してしまっている。
だが、相手は待ってくれない。
一人になったアグレシアへ、無数の悪魔族が押し寄せていた。
※※※※※
一瞬で視界に映る景色が変わる。先程まで見えていた紺色の夜空は、赤黒い雲に覆われた空に変わっていた。
「っ……!」
ヴァリウスは咄嗟に大地を蹴ってグリゼンドから離れた。そしてすぐに羽織っていたマントを捨て去る。グリゼンドに触れられた時点で、魔力が付与されたと考えていいだろう。
グリゼンドは相も変わらず下卑た笑みを浮かべていて、すぐにヴァリウスへと襲い掛かろうともしない。それでも、嬉しそうに笑っていた。
「ここがどこか分かるだろう?」
グリゼンドの問いと共に、ヴァリウスは彼の目的を理解した。
ダリルを囮にしたのは、僕を殺すためか。
「そう、魔界だよ」
人界にいたはずのヴァリウスはいつの間にか魔界へと飛ばされていた。周囲の大地は荒れ果て、木々も枯れてしまっている。赤黒い空が、不気味な雰囲気を醸し出していた。
「君の転移は厄介だ。君の力さえあれば、どれ程遠い距離でも少しの時間で辿り着けてしまう。それも人を連れて! 実に厄介だろう! ……でも逆に君さえいなくなれば、機動力はかなり削られる。君は最優先で殺さなければならないのさ」
グリゼンドが両手を広げ、喜びを露わにする。
「君の転移は、視界に映る場所に限定される! つまり、次元を超えて人界に戻ることは出来ない! ……俺とは違ってね」
瞬間、ヴァリウスの眼前にグリゼンドが移動してきた。
わざわざグリゼンドが連れてきた土地ゆえに、彼の魔力はそこら中に付着していた。
グリゼンドが、告げる。
「さぁ、ここが君の墓場だ。劣等種」
そして、大地に雷が迸った。
※※※※※
「っ!」
ガタンといきなりゼノが立ち上がる。あまりの勢いに椅子はひっくり返っていた。
傍にいたシロが驚いていた。
「ちょ、急にどうしたのよ」
「まさか……!」
シロは気付いていないようだが、ゼノは感じていた。
ずっと違和感は感じていた。何か似たような気配がこの世界に存在するとは思っていた。
けれど今、確信に変わる。何かが揃ったように全身に感じられる気配。
ベグリフが、この世界にいる……!
「シロ、すぐ発つ用意をしろ! ベグリフが来てる!」
「え、ちょ、本当!?」
「嘘でもアイツの名前は極力出したくないぞ!」
部屋を飛び出し、エイラの元へと向かう。セラは今天界の方にいる。ベグリフやグリゼンドがいつ天界を襲うかも分からないからだ。
だが、どうやら目的はこっちらしい。ダリルを囮にして、奴らは何かを達成しようとしている。
カイ……!
廊下の途中でエイラを見つけた。急いで駆け寄る。
「エイラ!」
「え、はい、何でしょう」
ゼノの様子にエイラが首を傾げる。しかし、一刻の猶予もなくゼノは焦っていたせいかエイラの両肩を力強く掴んだ。ビクッとエイラが反応する。
「いや、ちょ、ど、どうされたんですか!?」
普段よりも強引なゼノの様子にエイラが頬を少し赤らめるが、ゼノは行った。
「よく聞いてくれ、ベグリフが現れた。恐らくカイ達の所だ」
「――っ!」
眼を見開き、すぐにエイラが状況を理解する。
「俺とシロは急行する。ここの事は任せた」
一瞬、エイラが私もと言おうとするが、どうにか言葉を飲み込む。そうやってここを手薄にするわけにはいかない。グリゼンドが襲ってくるかもしれないのだから。
ゼノの絶対的な信頼に、エイラは頷いた。
「分かりました、急いで行ってあげてください!」
「ありがとう、頼んだ!」
ゼノが踵を返す。その背中へエイラが叫んだ。
「絶対、無事に帰ってきてくださいね!」
ベグリフとの戦闘が、どれだけ厳しいものかエイラも知っている。聖戦の時ですら五人がかりで互角に届かない程だった。今はフィグルの指輪が力を封印してくれているけれど、天界での戦いでは封印されているにも関わらず圧倒的な力を有していたという。
私は帰ってくる場所を守りますから。
絶対無事でいて。
どうか、カイ様達を助けて。
「当然だ!」
そう願う彼女に、腕を上げてゼノは応えた。
そのまま部屋に戻ってシロと合流する。出発する準備とは言ったが、全く様子は変わっていない。
シロが尋ねる。
「今回は前回と違って、本気で倒すんでしょ」
前回天界でベグリフと戦闘した際は、攻撃こそ本気で行った。全く通じなかったけれど、こちらもまだ余力を残している。
誰にも見せたことのない、セインの力。セインに宿る想いが紡ぐ、特殊な能力。
ゼノは頷いた。
「ああ、俺達の能力全開だ」
「ふん、この時を待っていたわ」
「ギャフンと言わせてやろうぜ」
そして、二人が同時に告げる。
「ベルセイン・リング」
シロが紅い光に包まれ、次の瞬間セインへと変貌していた。赤い防具を装備した右腕でゼノがセインを掴む。全身に溢れんばかりに力が漲った。
「全速力で行くぞ!」
「《ええ!》」
窓からゼノが飛び出し空を翔ける。その速さはセインのお陰もあってか、音速にも到達しようとしていた。
間に合えよ……!
紅いマントが風に揺れ、夜空を赤い閃光が流れて行った。
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