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恋をしてみようか
2-8 これは本当に恋人のふりですか?
しおりを挟む「ひさしぶりだな」
「ええ」
「ぎこちないわね。二人とも」
ここはエッセ家の屋敷の客間だった。
円卓に並ぶのは、私が命がけで集めたお茶菓子だ。
ファリエス様によって、アン対策会議が開かれることになった。
参加者は私、ファリエス様、そしてテランス殿だ。
正直言って、テランス殿とは顔を合わせたくなかった。しかし、アンと会う時に、テランス殿も同行させたほうがいいとファリエス様に強く言われ、作戦を練ることになったのだ。
人に聞かせるような話でもなく、ファリエス様がお屋敷の客間を提供してくださることになった。美味しいクッキーを焼いておくわと言われ、私は即答で彼女の大好物を買っていくと答えた。
作戦会議の当日、夜明けから店に並び、ありったけの彼女の好きなケーキやクッキーを買いあさった。これで、ファリエス様の手作りのお菓子を食べなくてもすむ、そう思えば早起きも苦にはならなかった。
結局、テランス殿に会うことでよく眠れず、早起きというか、ずっと起きていた感覚だが……。
それはともあれ、無事に作戦会議の日を迎えることができた。
「どうしかしたの?二人とも」
挨拶をしたきり黙りこくった私たちを交互に見ながら、ファリエス様が首を捻る。
「そんなんじゃ、アンを騙せないわよ!恋人らしくもっと仲良くしなきゃ」
「いや」
「ファリエス様!」
彼女は強引に私たちの肩を押して、ソファの真ん中に私たちを寄せる。
私の顔が彼の胸元に押し付けられ、彼の顎の感触を頭に感じる。
「何するんですか!」
慌てて離れて抗議すると、ファリエス様は少し怒っているようだった。
なぜ?
「これくらいの触れ合いは恋人なら当たり前なのよ。ジュネ。あなた、城を離れてアンと一緒に王城で暮らしたいの?」
「そんなことありませんよ!」
「それならね」
「ジュネ」
ファリエス様の言葉にかぶさって、テランス殿が私を呼んだ。瞳は赤色が強い。
「始めたからにはきちんとやり通すぞ。こっちに座って」
「いや、あの」
彼の隣に座るように手で招かれる。
「ジュネ」
戸惑っている私を押したのはファリエス様だ。
「わかってますよ」
演技だ。演技。
そう自分に何度も言い聞かせて、私は彼の隣に座った。
肩に手を回されて、反射的にその手をきつく握り、投げ飛ばしそうになった。
「ジュネ!」
「す、すみません!」
その寸前で思いとどまり、彼はおかしな格好で固まっていた。
「あーあ。これ先が思いやられるわ。本当。私はアン押しなんだけど、ナイゼルのためにも、トマスのためにも、ここは私の考えを曲げるしかないわね」
ファリエス様はそうまくし立てると、私たちの前に仁王立ちになった。
「今日からアンが来るまで、二人は時間があればこの屋敷に来ること。ジュネ、送迎は馬車を手配するわ。黒豹もついでに警備団か自宅まで送ってあげるわ。来るのは自力でね。応援してあげてるんだから、それくらいはできるでしょ?」
「ああ、助かる」
応援?っていうか、どうしてエッセ様のお屋敷に通わないといけないんだ?
意味わからないけど。
「ジュネ。これはいわば「恋人」になるための特訓よ。できるだけ二人で過ごして、恋人の雰囲気を掴んでね」
「はあ?」
二人で過ごす?
テランス殿と?
「ジュネ。断るって事は諦めるってことよね?城を捨てて王都に行く気なの?」
「そんなことはありません!」
「じゃ、頑張ってね。黒豹も、まあ精々頑張って。でも変なことしたら、ただではすまさないわよ」」
「わかってる。自重する」
自重?何がだ?
「じゃ、今日は城の門限ぎりぎりまで、客間で二人で過ごしてね。当日は私が同席できないだろうから、細かい打ち合わせは二人でしてよね」
「ああ、わかった」
疑問だらけの私に対して、テランス殿はすべてを理解しているように返事をする。
「じゃあ。私は失礼するわ」
「ファ、ファリエス様!」
「ジュネ。情けない声ねぇ。それでもカサンドラ騎士団の団長?」
扉の手前で振り向かれ、ファリエス様は呆れたように私を見つめる。
弱音は吐けない。
私はカサンドラ騎士団、第四代団長なんだ。
「失礼しました。全力を尽くします」
「……頑張ってね」
そう答えたファリエス様の口元が笑っていたのはどうしてだろう。
弱気になっているところをテランス殿には見せたくなくて、私は彼女を見送り、気合を入れて振り向いた。
「この間はすまなかった……」
二人きりになり、特訓だと息巻いていたのだが、艶のある声で謝罪され、一気に気力がなくなった。
触れてほしくなかった。
もうなかったことにしていたつもりなんだが。
昨晩、どうやって顔を合わせていいか、悩んだ。
結局答えが出ないまま、夜明けを向かえ、ぎこちないが普通通りの彼の様子に安心していたのに。
「別に気にしていません」
まったくの嘘だが、そういえばこれ以上何も言われないと思って口にした。
「……気にしてほしかったな。やはり俺はだめか?」
ソファに腰掛け、立ちすくんでいる私を見上げる彼。瞳が赤色を帯びているが、濡れている気もする。
何を言っていいかわからなかった。
口付けの前に確かに、「好き」と言われた。
アン、彼も異性に簡単に「好き」という。そういうものなのか?
「ジュネ」
彼が立ち上がり、私は思わず逃げ場を探すように退いた。
「何もしない。あれは本当に悪かったと思っているから」
その言葉に安堵するが、妙な恐怖心が煽られるのはなぜだろう。負けたくないと私は唇を噛む。
「テランス殿にはもうしばらく、「ふり」を続けてほしい。協力してもらえますか」
「ああ。勿論だ。ファリエス様にも言われているから、これからは自重する。嫌われたくもないからな」
剣呑な瞳が落ち着きを取り戻し、テランス殿は子どもみたいに笑う。
笑顔は無邪気で私は心の底から安心した。
それからが私の苦行だった。
ファリエス様のいう「特訓」という意味が身にしみた。
彼の隣に座り、餌付けされる鳥のように彼が取ってくれたクッキーを口に入れる。
恋人というのは、そうやってクッキーを食べるらしい。
触れ合う部分が熱くて、離れようとするとすぐに隣に座らされた。恋人というのはかなり近い距離で一緒の席に座るらしい。
「ジュネ。また、テランス殿と呼んでいる」
「すまない。ユ、ユアン殿」
「殿がついている」
「ユアン」
特に呼び方の指導がかなりきつかった。
彼は今まで私のことをネスマン様と呼んでいたはずだ。そう簡単に呼び方を変えれるのかと、疑問に思いコツを聞いたら、微笑むだけで教えてくれなかった。
そういえば、ユアンは、おっつ。もう完全に彼の名前を敬称なしで呼べるようになっている。
指導の賜物だな。
彼はいい指導者になりそうだ。
「さあ、ジュネ。今日は、このへんで……」
厳しい指導に耐えた私を迎えにきたファリエス様は、ユアンがフォークで掬ったケーキを食べる私を見て、動きを止めた。
なぜだ?
これが恋人の行動だろう?
「ファリエス様?」
「黒豹!あなたはちょっとこの屋敷に残ってね。言いたいことがあるから。ジュネは、もう帰って。きっと団員が待ち焦がれているはずよ」
「え、はい」
口元をハンカチで拭おうとすると、ユアンがすかさず彼のハンカチを取り出し拭ってくれた。
恋人というのは、親子みたいなもんなんだな。
「黒豹!」
納得している私に対して、ファリエス様はなぜかお怒りだ。
えっと、何ゆえに?
「ジュネ。私が怒っているのはあなたに対してではないから。安心して。とりあえず明日からはまともにするように黒豹を躾けるから」
「え?どういう意味なんですか?」
「ジュネは気にしないでいいからね。さあ。馬車が待ってるわ。行きましょう。黒豹。そこから動いたらだめよ。ザラス。黒豹を見張っていて頂戴」
なぜか執事のザラス殿が呼びつけられ、ユアンに睨みを利かせていた。
訳がわからないが、ユアンは間違ったことを教えたのか?
明日からやり直しなのか。
ああ、気が重い。
そう思いながら、ちらりとユアンを見ると彼は嬉しそうに微笑んでいた。
意味がわからない。
「ジュネ。じゃあ、また明日夕方迎えを寄越すからね。それじゃあ」
首を傾げる私をファリエス様は押し込めるように馬車に乗せる。
何だかよくわからないが、初日の「恋人」としての特訓はこうして終わった。
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