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 蔦の間は二階にあり、ハリーは迷うことなくたどり着く。
 扉を叩くと、中から声がした。

(オリバー様の声だ)

 すこしくぐもっていたが、それは紛れもないオリバーの声で、ゼフィアは一気に緊張してしまった。

「大丈夫か?」

 取手に手をかけた状態で、ハリーはゼフィアに問いかける。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 彼女がしっかり答えると、ハリーは扉を開けた。

「ゼフィア!」

 部屋にはオリバーと、もう一人女性がいた。
 年頃は恐らくゼフィアと同じ。
 銀髪の髪を結い上げ、派手ではないが細かな刺繍がされている赤色のドレスを身につけていた。
 女性は美しかったが、それよりも何よりも、ゼフィアはその胸元に輝く青色の石を凝視してしまった。

(なぜ、私のお守りを持っているの?私は、オリバー様にあげたはずなのに)

「オリバー!気が付かないか?」

 ゼフィアはお守りのことしか頭になく、女性が緊迫した声を出し、急に部屋の雰囲気が変わったことに気が付かなかった。

「魔物か?!」
「そうだ。どうやら、お前の村の娘は魔物に魅入られたようだ」
「ま、もの?」

 二人の会話の意味にゼフィアはやっと気がついた。

「ゼフィア。君は、どうして」
「オリバー様。どういう意味で?私はただお守りを返して欲しくて、ハリー様に王宮に連れてきてもらっただけです。魔物とは?」
「お守り?そうか。借りたまま……」

 そう言いかけてオリバーは言葉を止めた。
 視線はその女性の胸元に向けられたまま。

「どういうことだ?まさか、これは彼女のものなのか?」
「……はい」
「なんてことだ。オリバー。見損なったぞ。女性から貰ったものを、私に贈るなど、なんたること!」
「姫!今はそう言うことを言っている場合では」
「ああ、そうだ。だが、私は許せぬぞ」

(姫?というと王女様?この女性は王女様なの?)

「ゼフィア、で合っているか?すまなかったな。これはあなたのものらしいな。返す」

 女性ーー王女サマンダは首飾りを外すとゼフィアに渡す。

「えっと、あの。ありがとうございます?」

 お守りを返してほしかったのは事実で、戸惑いながらも彼女はお礼を言う。

「さあ、オリバー。後でしっかり説明してもらうぞ。今は魔物を倒すことだ」

 王女サマンダはゼフィアを守るようにその背後に隠し、魔法の杖を取り出す。

「お前は魔物だな?卑怯者め!ハリーに成りすますなど!」
「ははは!」

 王女に啖呵を切られ、魔法の杖を向けらているにも関わらず、ハリーは高笑いをした。

「王女様。俺は、正真正銘ハリーだ。ただちょっと魔王の残留思念が融合しちまっただけだ」
「魔王?残留思念?」
「魔性の森で魔物に襲われた俺に、魔王の残留思念が俺に問いかけてきたんだ。ゼフィアを守りたいかってな。俺は即答したさ。そうして融合したわけだ。だから、俺はハリー。英雄様に王女様。それでも俺を殺したいか?ゼフィア。お前は俺が怖いか?」
「そんなことありません!ハリー様は私をたくさん助けてくれました。元はといえば、私のせいで魔王の残留思念と融合することになったのに。怖いなんて」
「ゼフィア!」

 サマンダの後ろからゼフィアは飛び出し、ハリーの元へ走った。
 魔王の残留思念と融合しようとも、彼は変わらず彼女に優しかった。そんな彼を怖いなんて思うわけがなかった。

「オリバー様、王女様。お願いです。ハリー様を殺さないでください。お願いします!」

 ゼフィアは無我夢中で、ハリーの前に立ち二人に懇願する。

「ゼフィア。頼むんじゃねー。英雄様と王女様が殺そうとしても、俺は死なない。奴らは今は守りがないからな」
「え?」
「お前のそのお守りは魔王がお前に贈ったものだ。お前は魔王の番(つがい)だった。成人したら迎えにいくつもりだったのに、使いにやった白蛇が行方不明になるわ、お前のお守りを持った英雄と王女が殺しにくるわ、散々だったらしい」
「え、そうなんですか?」

 初めてもたらされる事実に、ゼフィアは唖然とするしかなかった。
 それはオリバーや王女サマンダも同じで、二人は武器を下ろしてハリーを見ていた。

「俺は魔王の力を使える。そして魔王の力を無効にする守りは、こちらにある。わかるよな?」

 ハリーが楽しそうに微笑むと、二人の顔色が変わった。

「駄目です。ハリー様。そんなこと。別にお二人は危害を加えるつもりはないですよね?」
「あ、ああ」
「う、ん」

 二人は青い顔をして頷く。

「そういうことです。ハリー様」
「そうか。それならいいが」
「えっと、魔王。違うな。ハリー。君は再び世界を支配する気か?」
「おいおい。勘違いするなよ。魔王は世界支配なんて考えた事ねーよ。大体、呪いにかかったのは、お前が白蛇を殺したからだ。そして王女。お前だって、魔王の部下の大狼を殺しただろう?」

 ハリーの言葉に、二人は顔を見合わせる。

(そう、そういうことなのね。あの白蛇は魔王の使いだったのね。だって近づいてきて、口を大きく開いていたからてっきり。オリバー様が殺してしまうのも仕方ないと思うの)

 ゼフィアはそう思ったが、黙って見守る。

「ということは、我々が何もしなければ、魔王は静かに暮らすのか?」
「そうだ。ちなみに俺はハリーな。このまま騎士としてやっていきたいんだが、どうだ?」
「え?」
「それはいいな」

 驚いたのはオリバーで、王女サマンダは良い思いつきだとばかり喜んでいた。

(魔王と癒合したハリー様を騎士として、王宮で働かせるつもりなの?王女様は?首飾りを素直に返してくれたところや、ちょっと変わっていると思ったけど)

「それでは決まりだな。オリバーもいいだろう?お前の負担も減るし」
「そうだけど」

 村では完全無欠だったオリバーが、王女の前では凡庸な青年のように見えて、ゼフィアは少しおかしくなった。

「ゼフィア。俺はあんたに王都に残って欲しいと思っている。村に戻らず俺の側にいてくれないか?」
「えっと、あの」

 ハリーは熱のこもった視線をゼフィアに向けており、彼女はその熱さに耐えきれず、顔を逸らしてしまった。頬は火照っていて耳まで真っ赤だった。

「それはいい考えだ。魔王の番(つがい)でもあったんだろう?いいではないか」
「王女。ゼフィアにもゼフィアの想いがあって強制するのは……」
「いいです」

 オリバーの言葉でゼフィアの心は決まってしまった。
 
(私は、オリバー様をお慕いしていた。好きだった。でも今は違うもの。ハリー様の側にいると楽しいし、一緒にいたらきっとお礼もできる)

「そうか。嬉しい!」

 ハリーはぎゅっとゼフィアを抱きしめた。

「ハリー様……」

 異性に抱き締められるなんて、父親以外で初めで、ゼフィアは心臓が早鐘を打ち過ぎて死んでしまうのではないかと心配してしまった。

「熱いなあ」
「王女様」

 羨ましそうな王女の隣で、オリバーはその手を握る。

「私はまだ許していないからな。そうだ。オリバー。お前、まずはゼフィアに謝れ。女性から贈られた物を別の女性に贈るなんてとんでもないことなんだぞ」
「あ、」

 オリバーは王女に振り払われた手を摩りながら、ゼフィアに向き合った。
 ハリーはゼフィアを解放したが、そのすぐ後ろに立っている。
 圧力を覚えつつ、オリバーはゼフィアの前に立つ。

「ゼフィア。すまなかった。君の大切なお守りを預かっておきながら、勝手に姫へあげてしまった。私には他に捧げるものがなくて、本当にすまない」
「……ゆるせません」
「え?」
「嘘です。オリバー様、幸せになってください」
「ありがとう」

 英雄と王女の魔王打倒の旅は劇になるほど有名で、その背後にある物語は誰にも知られていない。
 壮大な物語の中に消えていった、ある娘の恋。
 けれどもそれは別の物語によって書き換えられ、今や立派な騎士の妻として幸せな生活を送っている。

「ハリー様、あの。魔王は私のせいで倒されてしまったのですよね?」
「まあ、そうだな。だがそれでよかったらしいぞ。今度は一緒に生を終えることができると、喜んでいた」
「今度?」
「魔王の寿命は長い。人間とは比べ物にならないから。融合する前、魔王はとても幸せそうだった」
「そうなんですね」
「そうだ。俺も幸せだ」

 ハリーは隣に座る妻の頬に、そっとキスをする。
 ゼフィアは何度もされているのに慣れないようで、今日も頬を紅潮させていた。

(おしまい)
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