永遠の伴侶(改定前)

白藤桜空

文字の大きさ
上 下
37 / 91
二羽は木陰で羽を休める

37

しおりを挟む
 満月が中天に昇る。
 闇夜は朧に照らされて、都城とじょうは眠りに落ちていく。喧騒は夢へと溶けていき、後に残るは静寂ばかりである。
 けれど王宮だけは、まだ爛々と目を輝かせていた。



 後宮への輿入れを終えた美琳メイリンは、寝間着を身に着け、松明の灯された寝室でとこに座っていた。
 丁寧に仕立てられた紅い絹の寝間着は柔らかく肌に吸い付くようである。
 同じ絹織物でも、輿入れで何重にも重ね着させられたものは重さしか感じなかった。反してそれは、優しく美琳の体を包んでくれた。
 一方木製のとこは、美琳の体をしっかりと受け止めていた。麻の敷き布と違って肌の温もりを逃さず、底冷えする床から体温を奪われるのを妨げてくれた。
 美琳は部屋の中をきょろきょろと見回し、そわそわと落ち着きがない。
 村では勿論、兵舎でも見たことのないものが部屋に溢れている。
 きっと今のこの贅沢な状況は誰もが羨むだろう。だのに、美琳はどことなく居心地の悪さが感ぜられた。

「美琳様。失礼致します」
「あッ、はい!」
 部屋の間仕切り布の向こうから声を掛けられる。
 布が捲られると、小綺麗な身なりの三十中頃の女性が現れた。
「お初にお目にかかります。静端ジングウェンと申します。これから美琳様の部屋付きとなりますので、以後お見知りおきくださいませ」
 静端は胸の前で拱手きょうしゅをすると、軽く膝を曲げて俯く。
 それに対して美琳はどう返せば正解なのか分からなかった。
「えっと、分かりました……?」
 と、尋ねるように返すことしか出来なかった。
 静端は、にこ、と微笑んで美琳の言葉を受け流し、そのまま彼女の傍に寄って囁く。
「美琳様、本日はこちらに御渡りになるとのことでございます」
……?」
 つと、美琳の目が上を向く。そしてそのまま黒目が泳ぎ出す。
「王が美琳様の部屋へいらっしゃる、という意味でございますよ」
 静端は丁寧に言葉の意味を教える。そのげんにはかすかに嘲りの響きが含まれている気がした。
「それって……!」
 だが美琳はそんなことを気に留めない。
 ぱぁッと顔を明るくして期待に胸を膨らませる。と、部屋の外から“御渡りでございます”と聞こえてきた。
「それでは美琳様。王がいらしたのち、私はに控えさせていただきます。何かございましたらお呼びください」
 静端が部屋の隅をちらりと振り返る。
「え……?」
「私含め、侍女たちは記録しております。くれぐれも、言動にはお気を付けくださいませ」
 そう言った静端は、物音一つ立てずに美琳の後ろに移動する。そして戸口に向かってこうべを垂れ、拱手の姿勢で訪問者を待つのであった。



 部屋に繋がる間仕切り布が、丁寧に、丁寧に、捲り上げられる。
 これから通る人物に布が触れてしまわぬよう、限界まで持ち上げるために。
 来訪を告げるその物音に美琳メイリンは顔を向ける。
 視線の先には数人の侍女と、黄色の寝間着を着た文生ウェンシェンがいた。
 輪の中心にいる彼は緊張した面持ちだ。それでいて、喜びを隠そうと口を噛み締めているのが窺えた。
「ウェンッ……!」
 美琳は満面の笑顔で声を零した。が、すぐに噤んで立ち上がり、床に膝を突ける。
 そして顔の前でぎこちない拱手をしつつ、腰を折ってこうべを垂れる。じっと床を見つめて、侍女たちがその場を離れていく音に耳をそばだてた。
 付き従っていた侍女たちは静端ジングウェンと同じように、するすると流れるような衣擦れの音だけを残して去っていった。

 やっと二人だけの空間となった。
 美琳はそれを感じたが、辞儀を崩すことをしない。
 “――――王からの御許しをいただくまで顔を上げてはいけません”
 そう浩源ハオヤンから厳しく躾けられた。
 “王とは軽々しく話しかけてはいけない御方なのです。私たちが話すに値する存在である、と様々な形式を経て証明しないといけないんですよ”
 浩源は優しい声色で続けた。
 “でも貴女ならきっとすぐに…………”

おもてを上げよ」
 文生の声に美琳は勢いよく顔を上げる。
 刹那、二人の目線が絡まり交錯する。

 報告会から一か月。離別してから二年と数か月。
 やっと……二人は本当の再会を果たせた。

 美琳は喜びのあまり文生に飛びつこうと両腕を広げた。
 少女の無邪気な笑顔は、王の仮面を被った文生を解きほぐす。
 文生も彼女の抱擁に応えようと両腕を広げた。が、不意に動きが止まり、美琳の両手はやり場を失う。
「……文生?」
 美琳は怪訝そうに文生を見上げる。
「えっと、その……」
 口籠りながら文生は美琳から目を逸らす。正確に言えば、美琳の体から。
 美琳は小首を傾げて文生の言葉を待つ。その姿は小鳥の姿を想起させ、彼女の瞳は愛らしくまたたいていた。
 ごくり、と文生は生唾を飲むと、美琳にバレないように横目で盗み見た。



 美琳メイリンの黒く艶やかな髪は左肩で緩く結ばれていて、首の細さを際立たせている。
 紅色で薄地の寝間着は、美琳の白く滑らかな肌をなぞって彼女の体を如実に描く。
 未成熟な骨格はその時期特有の危うさがあり、けれどわずかに膨らんでいる女らしい肉付きは蠱惑的に文生の目を刺激した。

 村での美琳、兵としての美琳。
 そのどちらとも違っていて、それでいて初めて会った頃と変わらない見目。
 その瑞々しい一輪の華に、文生ウェンシェンは見惚れ、頬を赤く染めた。同時に美琳の中に遠い過去を見つけた。
「全部、君が頑張ってくれたおかげだよ。これからもよろしくね?」
 文生が美琳の両手を握る。
「急にどうしたの?……でもそう言ってもらえて嬉しいわ!」
 今度こそ美琳は文生の体に抱きつく。
 すると寝間着に焚き染められたこうの匂いが鼻を掠めた。

 瞬間、文生の体温が一気に上がる。
 以前よりも華奢になったように思える体。首筋をくすぐるように触れる髪の毛。背中に回る両腕の温かさ。
 彼女のすべてが愛おしさに包まれていた。
 文生は力強く抱き締め返すと、そのままゆっくりととこへ押し倒すのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

烏孫の王妃

東郷しのぶ
歴史・時代
 紀元前2世紀の中国。漢帝国の若き公主(皇女)は皇帝から、はるか西方――烏孫(うそん)の王のもとへ嫁ぐように命じられる。烏孫は騎馬を巧みに操る、草原の民。言葉も通じない異境の地で生きることとなった、公主の運命は――? ※「小説家になろう」様など、他サイトにも投稿しています。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

イエス伝・底辺からの救世主! -底辺で童貞の俺に神様が奇跡の力をくれたんだが-

中七七三
歴史・時代
極貧の限界集落。ナザレ村。 そこの底辺労働者が神に選ばれた。 ナザレのイエスと呼ばれる男。大工(テクトーン)だ。 それはローマでは最底辺の労働者を意味している言葉。 しかも、30歳。童貞だった。 彼は、神に奇蹟の力をもらい、人類を救済せよと命令された。 仕方ないので、彼は動き出す。 人類救済に向けて。 それは、神の計画「人類救済計画」の始まりだったのか? 紀元30年のパレスチナより物語は始まるのであった。 信仰の対象のイエスではなく歴史的な側面からのイエス伝。 ムアコックの「この人を見よ」よりは罰当たりでないようにします。 表紙画像は再利用可能なフリーの物を使用しています。 ■参考文献(2016/10/27) イエス・キリストは実在したのか?/レザー アスラン (著), 白須 英子 (翻訳) はじめて読む聖書/田川建三ほか (著) ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) /橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著) 「宗教」で読み解く世界史の謎/武光 誠 (著) カトリック入門: 日本文化からのアプローチ/稲垣 良典 (著) イエス コミック/安彦 良和 (著) 新約聖書 1/佐藤優・解説 (著), 共同訳聖書実行委員会 (翻訳), 日本聖書協会 (翻訳) 「バカダークファンタジー」としての聖書入門/架神恭介 (著) この人を見よ/マイクル・ムアコック (著), 峯岸 久 (翻訳) 聖書考古学/長谷川 修一 (著) 口語訳旧約聖書(1955年版)ネット版 http://bible.salterrae.net/kougo/html/ (2016/11/2追加) キリスト教と戦争 (中公新書) /石川 明人(著) (2016/11/6追加) ユダとは誰か 荒井 献(著) マグダラのマリア 岡田温司(著) (2016/11/9追加) トマスによる福音書 荒井 献(著) (2016/11/12追加) ツァラトゥストラかく語りき フリードリヒ・W. ニーチェ (著),佐々木 中 (翻訳) キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 フリードリッヒ・ニーチェ (著), 適菜 収 (翻訳)

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

大江戸シンデレラ

佐倉 蘭
歴史・時代
★第8回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 時は、大江戸が一番(いっち)活気に沸いた頃。 吉原の廓で生まれ育った舞ひつるは、久喜萬字屋の振袖新造。 いつか、母親のような呼出(花魁)になるため、歌舞音曲はもちろん、和漢書に狂歌に川柳と厳しいお師匠の下、精進する毎日。 そんな折に出逢った相手は…… ※「大江戸ロミオ&ジュリエット」および「今宵は遣らずの雨」のネタバレを含みます。

仇討浪人と座頭梅一

克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。 旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

処理中です...