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生化粧
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この数時間で一番目を見開き、信じられないものを見たというような顔になった母は、震える声で私の提案を拒絶する。
「無理よ。だって、見たでしょう? 私の下手なメイクを」
「大丈夫です。お客様のスキルに合わせた方法をご提案させていただきますから」
「それでもちょっと……」
なおも拒否反応を示す母。それを押し通すか退くか。逡巡していると、またもや陽子さんが助け舟を出してくれた。
「これならいかがですか? やり方をお教えしながら顔の半分だけメイクしますが、ご自身でメイクするかどうかはそのやり方がやれそうかどうかで判断するというのは。これなら一旦メイクしたときの顔の変化も分かりますよ」
「それなら……」
悪くない提案だと思ったのだろう。完全に抵抗感が消えた訳じゃなさそうだったが、さきほどよりは乗り気になったようだ。
さすがの対応に尊敬の念を強めながら、私は陽子さんにメイクのやり方を指示し始めた。
アイシャドウは二色だけでやることにした。おそらく三色以上使うとうまく扱いきれないだろう。だが一色だけで絶妙な塗り加減をやるのも難しいだろう。なので比較的手軽に見栄えのするメイクをできる二色使いにした。
目の形に合う塗り方を説明しながら陽子さんに塗っていってもらう。今は母が中身であるとはいえ、体は私自身。だからどうすれば一番魅力的に見えるかは知りつくしている。
順を追って説明しながらメイクを施していってもらうと、どんどん華やかな顔になっていく。やがてシンプルだけどパキッと見栄えのする顔になった。
私としては完璧な出来栄え。だが母はどこか不満げだった。なぜなのかと聞こうとしたら、陽子さんが小声でささやいてきた。
「だから言ったでしょ。あんたに足りないのは共感力だって」
そう言うやいなや、陽子さんは母に聞く。
「お客様。こちらでは満足いただけなかったですか?」
「そう、ね、ちょっと違うと言うか……」
「でしたら別のメイクをご提案させていただきますね。ちょうど左側はメイクしていませんし、左側に別のメイクをご提案させていただきます」
すると陽子さんは初心者でも分かりやすい丁寧な説明と共に、私が提案したものよりもっとシンプルなメイクをあっという間に仕上げた。その出来栄えは、母の個性を活かしつつも、ごく自然に、けれどスッピン感のないものだった。そして私がしたものよりも明らかに母は満足げだった。
「これが、メイクの力……」
母は手鏡で陽子さんのした方のメイクをまじまじと見つめ、感嘆のため息を漏らした。
それは私のメイクでしてもらいたかった反応。一体私と陽子さんのメイクは何が違ったのだろうか?
ぐるぐると暗い気持ちに陥り始めたのを見抜かれたのだろうか。陽子さんが、母を含め周囲の人にはほとんど聞こえない声でささやいてきた。
「美容部員はね――接客業全般に言えることかもしれないけど――お客様が何を求めてお店にやってきたのか考えるのが大事なの。あんたのお母様の場合は、『目立ちたくない』けど『きれいになりたい』というのが前提にあった。で、あんたのメイクは確かに『きれいになりたい』を叶えられた。でもそれはメイクをする人間には共通の願い。やろうと思えば誰でも叶えられる。まあやろうとする人がどれだけいるかは別だけど。つまりね、『きれいになる』以外の本当の願いを私たちは汲み取ってあげないといけないのよ」
「本当の願い……」
確かに、私は母のいつものメイクではなく、『普通のメイク』を願ってさきほどのメイクを提案した。だがそれは、『私の願い』であって『母の願い』ではない。例え親子でもそこは履き違えてはならない。冷静に考えれば分かること。だが子供の頃の無念を晴らせるという気持ちが先走ってしまったようだ。自分の稚拙な振る舞いに落ち込んでいると、陽子さんが慈愛に満ちた顔で私を励ましてくれた。
「大丈夫。あんたはまだまだ経験が足りないだけ。伸び代しかないんだから、こうやって一個一個の経験を大事にして成長していけばいいのよ」
「陽子さん……」
陽子さんは名前の通り太陽みたいな人だ。落ち込んでいる人を照らして温かくしてくれる。そういう人になりたくて私も美容部員になったんだ。この入れ替わりが解消したら、きっと――。
「お客様。二番目にご提案させていただいたメイクは真似できそうですか?」
決意を新たにしていると、陽子さんが母に話しかけていた。母はあんなに鏡を見るのを嫌がっていたのに、陽子さんがメイクした方はうっとりした様子で見ていた。そして、少しだけ自信を得たような顔で私と陽子さんを見てきた。
「これならできるかもしれないわ」
「良かったです。では一度メイクを……両側共落としますね」
陽子さんは手早くメイクを落とすと、母に道具を渡す。母はぎこちない手つきで陽子さんから提案されたメイクを真似ていく。すると私が今までで見た中で――葬式で見た母なんかとは比べものにならないくらい――一番美しい母になった。
「ママきれい……」
「本当?」
鏡に映った自分をマジマジと見つめる母。その表情は自信に満ちている。
――ああ、これが見たかったのだ。せっかく美しい顔に生まれたのに、いじめが原因で自信をなくしてしまって……。いや、元々美しいかどうかは関係ない。ただ、自分のコンプレックスに負けずに、メイクの力で自信を取り戻す人を見たかったのだ。
「真粧美、泣いてるの?」
「え? あ……本当だ……」
魂だけとなっても涙は出るのか。頬に触れてみると、濡れている感触がした。
「真粧美ちゃん、大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくる母。その顔はどこまでも輝いて見えた。
「大丈夫。それよりママが喜んでくれて良かった」
すると母ははにかむようでいて満ち足りた顔で笑った。
――本当に良かった。これで思い残すことはない。
止まらない涙を拭うことなく、私は母に抱きつく。今度は触れている感触がする。いや、どちらかというと混ざり溶けあっていく感覚だろうか。母の魂に触れられたような感覚と共に、目の前が真っ白に染まっていった。
「無理よ。だって、見たでしょう? 私の下手なメイクを」
「大丈夫です。お客様のスキルに合わせた方法をご提案させていただきますから」
「それでもちょっと……」
なおも拒否反応を示す母。それを押し通すか退くか。逡巡していると、またもや陽子さんが助け舟を出してくれた。
「これならいかがですか? やり方をお教えしながら顔の半分だけメイクしますが、ご自身でメイクするかどうかはそのやり方がやれそうかどうかで判断するというのは。これなら一旦メイクしたときの顔の変化も分かりますよ」
「それなら……」
悪くない提案だと思ったのだろう。完全に抵抗感が消えた訳じゃなさそうだったが、さきほどよりは乗り気になったようだ。
さすがの対応に尊敬の念を強めながら、私は陽子さんにメイクのやり方を指示し始めた。
アイシャドウは二色だけでやることにした。おそらく三色以上使うとうまく扱いきれないだろう。だが一色だけで絶妙な塗り加減をやるのも難しいだろう。なので比較的手軽に見栄えのするメイクをできる二色使いにした。
目の形に合う塗り方を説明しながら陽子さんに塗っていってもらう。今は母が中身であるとはいえ、体は私自身。だからどうすれば一番魅力的に見えるかは知りつくしている。
順を追って説明しながらメイクを施していってもらうと、どんどん華やかな顔になっていく。やがてシンプルだけどパキッと見栄えのする顔になった。
私としては完璧な出来栄え。だが母はどこか不満げだった。なぜなのかと聞こうとしたら、陽子さんが小声でささやいてきた。
「だから言ったでしょ。あんたに足りないのは共感力だって」
そう言うやいなや、陽子さんは母に聞く。
「お客様。こちらでは満足いただけなかったですか?」
「そう、ね、ちょっと違うと言うか……」
「でしたら別のメイクをご提案させていただきますね。ちょうど左側はメイクしていませんし、左側に別のメイクをご提案させていただきます」
すると陽子さんは初心者でも分かりやすい丁寧な説明と共に、私が提案したものよりもっとシンプルなメイクをあっという間に仕上げた。その出来栄えは、母の個性を活かしつつも、ごく自然に、けれどスッピン感のないものだった。そして私がしたものよりも明らかに母は満足げだった。
「これが、メイクの力……」
母は手鏡で陽子さんのした方のメイクをまじまじと見つめ、感嘆のため息を漏らした。
それは私のメイクでしてもらいたかった反応。一体私と陽子さんのメイクは何が違ったのだろうか?
ぐるぐると暗い気持ちに陥り始めたのを見抜かれたのだろうか。陽子さんが、母を含め周囲の人にはほとんど聞こえない声でささやいてきた。
「美容部員はね――接客業全般に言えることかもしれないけど――お客様が何を求めてお店にやってきたのか考えるのが大事なの。あんたのお母様の場合は、『目立ちたくない』けど『きれいになりたい』というのが前提にあった。で、あんたのメイクは確かに『きれいになりたい』を叶えられた。でもそれはメイクをする人間には共通の願い。やろうと思えば誰でも叶えられる。まあやろうとする人がどれだけいるかは別だけど。つまりね、『きれいになる』以外の本当の願いを私たちは汲み取ってあげないといけないのよ」
「本当の願い……」
確かに、私は母のいつものメイクではなく、『普通のメイク』を願ってさきほどのメイクを提案した。だがそれは、『私の願い』であって『母の願い』ではない。例え親子でもそこは履き違えてはならない。冷静に考えれば分かること。だが子供の頃の無念を晴らせるという気持ちが先走ってしまったようだ。自分の稚拙な振る舞いに落ち込んでいると、陽子さんが慈愛に満ちた顔で私を励ましてくれた。
「大丈夫。あんたはまだまだ経験が足りないだけ。伸び代しかないんだから、こうやって一個一個の経験を大事にして成長していけばいいのよ」
「陽子さん……」
陽子さんは名前の通り太陽みたいな人だ。落ち込んでいる人を照らして温かくしてくれる。そういう人になりたくて私も美容部員になったんだ。この入れ替わりが解消したら、きっと――。
「お客様。二番目にご提案させていただいたメイクは真似できそうですか?」
決意を新たにしていると、陽子さんが母に話しかけていた。母はあんなに鏡を見るのを嫌がっていたのに、陽子さんがメイクした方はうっとりした様子で見ていた。そして、少しだけ自信を得たような顔で私と陽子さんを見てきた。
「これならできるかもしれないわ」
「良かったです。では一度メイクを……両側共落としますね」
陽子さんは手早くメイクを落とすと、母に道具を渡す。母はぎこちない手つきで陽子さんから提案されたメイクを真似ていく。すると私が今までで見た中で――葬式で見た母なんかとは比べものにならないくらい――一番美しい母になった。
「ママきれい……」
「本当?」
鏡に映った自分をマジマジと見つめる母。その表情は自信に満ちている。
――ああ、これが見たかったのだ。せっかく美しい顔に生まれたのに、いじめが原因で自信をなくしてしまって……。いや、元々美しいかどうかは関係ない。ただ、自分のコンプレックスに負けずに、メイクの力で自信を取り戻す人を見たかったのだ。
「真粧美、泣いてるの?」
「え? あ……本当だ……」
魂だけとなっても涙は出るのか。頬に触れてみると、濡れている感触がした。
「真粧美ちゃん、大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくる母。その顔はどこまでも輝いて見えた。
「大丈夫。それよりママが喜んでくれて良かった」
すると母ははにかむようでいて満ち足りた顔で笑った。
――本当に良かった。これで思い残すことはない。
止まらない涙を拭うことなく、私は母に抱きつく。今度は触れている感触がする。いや、どちらかというと混ざり溶けあっていく感覚だろうか。母の魂に触れられたような感覚と共に、目の前が真っ白に染まっていった。
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