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無理心中した女の霊
しおりを挟む「……ああ」
俺は、辛うじて返事をした。
「この先の、山に行く旧県道の第三トンネルです。幽霊が出るのは……」
「………」
「女の幽霊だって聞いたんでしょ?」
「ああ、そうだが」
「実は……その女の幽霊って、あの親爺の奥さんなんです」
「ええ?」
「店長の……無理心中で殺された奥さんなんですよ」
「………」
「嘘みたいな話なんですけど、本当なんです。つい二年ぐらい前のことなんですけど、事件があったときは、ワイドショウのレポーターなんか沢山来ちまってすごい騒ぎだったんですよ。……不倫相手に首を絞められて殺されて、相手も自殺しちゃったんですよ」
「……そのトンネルで?」
「そう、そうなんです……あの親爺の奥さんにしてはちょっと美人だったな」
「……ホントかよ」
「ええ。俺、その前からずっとあそこでバイトやっていたもんで。親爺も事件があってから暫くは、なんか情緒不安定みたいになっちゃたりして。俺も何度もこのバイト辞めようとしましたよ。その度に、親爺からバイト料アップするからって言われて……それでまあ、何だかんだで今も続いているんすけどね。こんな寂れた所じゃろくな仕事もないし」
俺は、車のキーを握りしめていたことに気がついて手を離すと、取り敢えずポケットから煙草の箱を取り出した。若者に一本差し出すと、義理のつもりなのか、どうも、と言って受け取った。手で覆いをし二つの煙草に火を付ける。深く煙を吸い込むとやっと落ち着いてきた。
「……それで、どうしてその幽霊が奥さんだって分かるんだい?」
「だって、その場所で殺されたんですよ。それに俺も見たんですから」
「本当に?」
「ええ。もう一年くらい前になるかなあ。まだ、幽霊が出るなんて噂は無かった頃なんですけどね」
「………」
「俺、友達に急用が出来ちゃって、急いで反対側の町に出なくちゃならなかったんです。丁度、あの旧県道を抜けると近道になるんです。新しく出来た県道の方が道が広いんで、普通みんなそっちの方を利用するんですけどね。それで、もちろん事件のことは覚えていましたから、何となく嫌だったんだけれど……でも、幽霊が出るなんて噂もまだ無かったし、気にしないようにして行ったんです。……そしたら、出たんですよ」
「………マジか」
自分でも声が上ずっているのが分かった。
「トンネルの中を車で走っていると、急に白い影が立ちふさがって。急ブレーキを掛けたら、あの奥さんがフロントガラスに張り付いているんですよ。何度か店にも来たことがあるから、絶対見間違えることなんか無いですよ。もう、ゾーッとしてしまって。暫くすると、消えてしまったんだけど、真っ青な顔して、怨めしそうに俺を見ていたなあ。……それで俺、迷ったんですけど、その事次の日に親爺に言ったんですよ。絶対間違いなかったし……。そしたら親爺、話を聞いた途端、急に目つきが変わって。俺に向かって、ぶっ殺す、とか何とか叫び始めたんですよ。すぐに近くにいた常連さんが仲裁に入ってくれて、何とか収まったんですが。まあ、俺もちょっと無神経だったかなって反省したんですけど。……でも、お客さん。あれは、絶対あの奥さんの幽霊で……」
突然、灯りが消えて真っ暗になった。
すぐ側にいる若者の顔も見えない。
辺りは漆黒の闇だ。俺はラーメン屋の方に目を向けた。
ラーメン屋の提灯も、おまけに建物自体が真っ暗である。
全く光がない。
「やべえ。嫌な予感がしたんだ」
若者は、囁くように言った。
「さっきの親爺のあの目つき見たでしょう。お客さんが幽霊の話した時の。やばいっすよ。すぐに逃げて下さい」
暗闇で何も見えないが、若者が煙草をぺっと吐き捨てる気配がした。
俺も何かただごとならぬ雰囲気を感じる。
ラーメン屋の建物をもう一度振り返って見た。
「俺一人だったらどうにもなりますから。早く! 逃げて下さい!」
若者のせっぱ詰まった様子に気圧されて、思わずキーを捻るとエンジンをかけた。
そう言われてみればさっきの親爺の豹変は尋常ではない。
ライトを点けると、若者の青ざめた顔が浮かび上がった。とても冗談を言っているようには見えない。
せかされるままに俺はギアをバックに入れるとクラッチを離した。
しかし急激にクラッチを離したせいか、車はガクンガクンとノッキングを起こして止まってしまった。
「お客さん。出るのは、第三トンネルですよ」
暗闇から囁くような若者の声が聞こえた。
エンジンをもう一度かけると、バックして車のフロントを道路に向け、そのまま周りも確認せず発進した。
ラーメン屋の建物から何か黒い影が躍り出たような気がしたが、俺はアクセルを踏ん張ったまま前だけを見て走った。
傾いたミラーには何も映らなかった。
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