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配達員カンナ
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配達の車を、国道沿いの無料駐車場に駐めた。
少し潮の香りを含んだ風が時折わたしの前髪を揺らす。
狭い路地の両脇には、古びた家々が軒をくっ付けるようにして立ち並んでいる。
いつものように、社名が入った作業服にキャップ。この格好では、どこを歩いていても違和感は無い。
キャップの後ろから出ている束ねた髪が、歩く度に揺れた。
迷路のような路地を何回も曲がり、やっと目的の家を見つけた。
少し開けた場所に、道を挟んで何軒か同じような作りの古ぼけた平屋が並んでいる。
一番手前の家の前に、車高を低くしたいかにもヤンキーが乗るような派手なセダンが無造作に駐めてあった。
わたしは玄関に近づくと、表札を確認する。
安っぽい台紙にマジックで書かれた名は、ここが目的の家だと示している。
と、乱暴にドアノブが廻され勢いよくドアが開く。
すぐに玄関横の植え込みの影に身を隠した。
中から出てきたのは、金色に染めた髪を後ろに撫で付けた、派手なジャージ姿の若者。
機嫌が悪そうに眉間に皺を寄せ、咥えタバコをそのままペッと吐き捨てる。火の付いたタバコはわたしの靴先に落ちる。
頭の中で文句を言うと、それを靴で踏んで火を消した。
「待って! こうちゃん!」
若い女の子が裸足で玄関から飛び出てくると、若者の後を追う。
若者は追ってきた女の子など見向きもせず、車に乗り込むと改造マフラーの爆音を響かせながら、急発進して去って行った。
若い女の子は、走り去った車を呆然と見送りながら立ち尽くしていたが、そのまま蹲ると顔を両手で覆った。
男と違って黒髪にショートカットの、割と地味な雰囲気の子だ。
地面に涙がポトリポトリと落ちた。
「あら、まあ! どうしたの、ユキちゃん」
いかにも人の良さそうなおばさんが駆け寄ってきた。
「また、コウキだね。泣かしたの」
おばさんはユキの背を優しくさすっている。
「こうちゃんがウチの貯金持って行っちゃった」
「……あんの穀潰しが。またギャンブルか」
おばさんが顔を顰めながら憎々しげに言う。
「子どもが生まれた時のために貯めておいたのに……」
ユキは鼻をすすりながら呟く。
おばさんは憤然とした表情で車が去った方を睨み付ける。
嗚咽を漏らすユキに感情移入してしまって、思わず視界がぼやける。
わたしまで声を上げて泣きそうになる。
ユキの悲しそうな横顔が、心に突き刺さる。
植え込みの影からそっと立ち上がり、ユキたちがいるのと反対方向にゆっくりと歩いて行く。
土の地面はわたしの足音を消してくれた。
路地を抜けると、堤防が立ち塞がっている。
堤防の階段を上った。
目の前に海が広がる。
背負っていたリュックを下ろし、その場に座る。
リュックから何個かのクリアファイルを取り出した。
書類に目を走らせる。
あの夫婦に子どもができる。
このまま届けて良いものか。
あまり時間的余裕は無い。
わたしは書類を見比べながら、途方に暮れたように溜め息をついた。
父親になるべき若い男は、未だヤンキー気分が抜けなくて女の金を奪って遊び歩いている。
母親になる若い女は、男に強く言えず、男のなすがまま。
この二人が小さな命を迎えて、親としてちゃんとやっていけるのだろうか。
凄く不安だ。
わたしは数枚のID番号が書かれたチョイス候補のファイルを、堤防に並べて見比べる。
昔と違って、こんな仕事でもIT化が進んでいる。
仕事改革のおかげか、私たちにもある程度の裁量が認められていた。
でも、若い女は、子どもが生まれる時のことを思ってお金を貯めていたと言っていた。
その言葉を信じたい。きっと良い親になると信じたい。
わざわざ子どもを迎える若い夫婦の様子など見に来ても、本当は何も意味は無い。
こんなことをしているのは、同僚の中でもわたしだけだろう。
ここに来る前には、二件のかつてチョイスした家庭を回ってきた。
一件目は、東京の高級住宅街に邸宅を構えた両親ともに高学歴の家庭。
17歳になった男の子は、都内でも有数の進学校に通っている。
端から見たら順調すぎるくらいの成長だ。
だが、子どもは最近成績が下降気味で、それに悩んでいる。
二件目がちょっと心配な子だ。
都内の私鉄沿線の町に住んでいる6歳の女の子。
血の繋がらない父親は無職で、母親がパートをして生活をなんとか維持している。
何度か継父による虐待の疑いで児童相談所の職員が家を訪問している。
子どもや親に問題があっても、わたしは何にも彼らの生活に介入する権限を持たないので、親と子どもの打開力に期待するしか無い。
今が苦しくてもその経験を糧にして、前に進むのを見守るしか無い。
まだ他にもたくさん早急にチョイスしなくちゃならない案件が控えている。
でも焦る気持ちとは裏腹に、まだ迷いに迷っていて作業は滞っていた。
少し潮の香りを含んだ風が時折わたしの前髪を揺らす。
狭い路地の両脇には、古びた家々が軒をくっ付けるようにして立ち並んでいる。
いつものように、社名が入った作業服にキャップ。この格好では、どこを歩いていても違和感は無い。
キャップの後ろから出ている束ねた髪が、歩く度に揺れた。
迷路のような路地を何回も曲がり、やっと目的の家を見つけた。
少し開けた場所に、道を挟んで何軒か同じような作りの古ぼけた平屋が並んでいる。
一番手前の家の前に、車高を低くしたいかにもヤンキーが乗るような派手なセダンが無造作に駐めてあった。
わたしは玄関に近づくと、表札を確認する。
安っぽい台紙にマジックで書かれた名は、ここが目的の家だと示している。
と、乱暴にドアノブが廻され勢いよくドアが開く。
すぐに玄関横の植え込みの影に身を隠した。
中から出てきたのは、金色に染めた髪を後ろに撫で付けた、派手なジャージ姿の若者。
機嫌が悪そうに眉間に皺を寄せ、咥えタバコをそのままペッと吐き捨てる。火の付いたタバコはわたしの靴先に落ちる。
頭の中で文句を言うと、それを靴で踏んで火を消した。
「待って! こうちゃん!」
若い女の子が裸足で玄関から飛び出てくると、若者の後を追う。
若者は追ってきた女の子など見向きもせず、車に乗り込むと改造マフラーの爆音を響かせながら、急発進して去って行った。
若い女の子は、走り去った車を呆然と見送りながら立ち尽くしていたが、そのまま蹲ると顔を両手で覆った。
男と違って黒髪にショートカットの、割と地味な雰囲気の子だ。
地面に涙がポトリポトリと落ちた。
「あら、まあ! どうしたの、ユキちゃん」
いかにも人の良さそうなおばさんが駆け寄ってきた。
「また、コウキだね。泣かしたの」
おばさんはユキの背を優しくさすっている。
「こうちゃんがウチの貯金持って行っちゃった」
「……あんの穀潰しが。またギャンブルか」
おばさんが顔を顰めながら憎々しげに言う。
「子どもが生まれた時のために貯めておいたのに……」
ユキは鼻をすすりながら呟く。
おばさんは憤然とした表情で車が去った方を睨み付ける。
嗚咽を漏らすユキに感情移入してしまって、思わず視界がぼやける。
わたしまで声を上げて泣きそうになる。
ユキの悲しそうな横顔が、心に突き刺さる。
植え込みの影からそっと立ち上がり、ユキたちがいるのと反対方向にゆっくりと歩いて行く。
土の地面はわたしの足音を消してくれた。
路地を抜けると、堤防が立ち塞がっている。
堤防の階段を上った。
目の前に海が広がる。
背負っていたリュックを下ろし、その場に座る。
リュックから何個かのクリアファイルを取り出した。
書類に目を走らせる。
あの夫婦に子どもができる。
このまま届けて良いものか。
あまり時間的余裕は無い。
わたしは書類を見比べながら、途方に暮れたように溜め息をついた。
父親になるべき若い男は、未だヤンキー気分が抜けなくて女の金を奪って遊び歩いている。
母親になる若い女は、男に強く言えず、男のなすがまま。
この二人が小さな命を迎えて、親としてちゃんとやっていけるのだろうか。
凄く不安だ。
わたしは数枚のID番号が書かれたチョイス候補のファイルを、堤防に並べて見比べる。
昔と違って、こんな仕事でもIT化が進んでいる。
仕事改革のおかげか、私たちにもある程度の裁量が認められていた。
でも、若い女は、子どもが生まれる時のことを思ってお金を貯めていたと言っていた。
その言葉を信じたい。きっと良い親になると信じたい。
わざわざ子どもを迎える若い夫婦の様子など見に来ても、本当は何も意味は無い。
こんなことをしているのは、同僚の中でもわたしだけだろう。
ここに来る前には、二件のかつてチョイスした家庭を回ってきた。
一件目は、東京の高級住宅街に邸宅を構えた両親ともに高学歴の家庭。
17歳になった男の子は、都内でも有数の進学校に通っている。
端から見たら順調すぎるくらいの成長だ。
だが、子どもは最近成績が下降気味で、それに悩んでいる。
二件目がちょっと心配な子だ。
都内の私鉄沿線の町に住んでいる6歳の女の子。
血の繋がらない父親は無職で、母親がパートをして生活をなんとか維持している。
何度か継父による虐待の疑いで児童相談所の職員が家を訪問している。
子どもや親に問題があっても、わたしは何にも彼らの生活に介入する権限を持たないので、親と子どもの打開力に期待するしか無い。
今が苦しくてもその経験を糧にして、前に進むのを見守るしか無い。
まだ他にもたくさん早急にチョイスしなくちゃならない案件が控えている。
でも焦る気持ちとは裏腹に、まだ迷いに迷っていて作業は滞っていた。
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