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本編
本編ー6
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ナギト達がネグロ・トルエノ・ティグレを連れてベル・オブ・ウォッキング魔法学園に戻ると、すぐにその話は学園中に広がっていた。
理由は様々で、第一は、ネグロ・トルエノ・ティグレが現れたと言う話。学内認定ランクでSランク評価を得たものの、ナギト達が倒した話。そして何よりも一番の驚きと衝撃をもって受け止められたのは、ネグロ・トルエノ・ティグレを二頭同時に一人で相手にした見守り役の教師の話だった。
「一応子どもの命預かってるからなぁ、実力のないヤツ教師とか見守り役で雇用しねぇよ」
そうナギトは語っていたが、それでもライオットガンタイプの魔法銃でネグロ・トルエノ・ティグレ二頭と戦い討伐出来るのは、簡単な事ではない。
魔法銃の中でも比較的珍しいライオットガン使いで、性格的に暑苦しいおじさんだった為、魔法銃士学科の生徒達からは色物扱いされていた教師は、その一件を機に生徒達から向けられる目がガラリと変わったらしい。
最初こそ本当に討伐したのかと疑う声もあったが、ネグロ・トルエノ・ティグレの死体に残る痕跡から、間違いなくあの教師が倒したものだと証明された。
結果、危険度Eランクのクエルノ・ラビット十五体撃破クエストをナギト達が失敗した話は、あまり広まらず、クエストは失敗したものの、ネグロ・トルエノ・ティグレの死体を持ち帰った事で、その討伐報酬は学園側から出してもらえて一安心。
討伐だけでなく、爪や牙も素材として売れたのも大きかった。毛皮も高く売れるそうだが、オスクロ・ランサで体中穴だらけにした為、あまり高値では買い取ってもらえず終了。
しかしそれでも、ナギト、ユヅキ、ミナギの三人で報酬を分けても多過ぎるくらいの報酬が手に入った。最初に受けた薬草採取の報酬なんて、比べ物にならないくらいの報酬で、ミナギが思わずたじろいでしまうくらいに。
だがそんな報酬の多さも、翌日にはミナギの頭の中から抜け落ちていた。
それ以上の驚きが、ミナギを待っていたから。
「ああああああああもうっ!!いい加減にしろって!しつこいよ朝からっ!!」
「そんな叫ぶほどか?ゆづ、マジでそんな多くおる?精霊達」
「うん。アタシからは、ミナギくんの周りに風の精霊がいーっぱい居て、埋もれて見えない」
学園の敷地内にいくつかある、東屋。
へぇー、と。感心したように呟きながらミナギに目を戻すナギトだが、彼の目からはミナギが険しい顔をして、何かを振り払うように両腕を振り回しているようにしか見えない。が、ユヅキからしてみれば、大小様々な未契約の風の精霊達がこれでもかと集まり、ミナギの姿が全く見えない状態に。
普通の人には見えない、未契約の精霊達を見る力があるユヅキと、力を持たないナギトの視界は、雲泥の差。
両腕を組んで首を傾げるナギトの姿は見えないが、風の精霊達を振り払いながらミナギは叫ぶ。
「ナギトさんホントにコレ見えないの?!ウソついてない!?ユヅキさんの幼馴染なんだしさぁ!!」
「精霊術師と一緒に居る時間が長いと、その影響で精霊を見る力とか手に入るんなら、俺は今頃お前以上に精霊見えて、わかって、話も出来てなきゃおかしいだろ。アホか」
腹が立つ。セイロン過ぎて余計に腹が立つ。思わず頬を引き攣らせるミナギに対して、だがしかしナギトはいつも通り。両腕を組んで、心底呆れたと言わんばかりの表情に、思わずミナギが握る拳。
否、ナギトを殴るなんて事はしないけれど。そもそも痛いし、何よりナギトが大人しく殴られてくれる気もしないから。
良くて受け止められ、悪ければ反撃される可能性が高い、かなり。
と、言う訳で大人しく我慢するものの、鬱陶しいものは鬱陶しいから仕方ない。
「ホント早く離れて!!なんなんだよホントに!!」
「ミナギくん、人間の言葉で言っても、みんなには伝わらないよ?」
「自業自得だろ。お前があんな事言うからだ」
「水筒の水をわざわざ精霊に入れてもらったり、モンスターの死体の場所を精霊に探してもらって、更に学園まで運んでもらうように頼んでる人達が傍に居たら、そう言う発想になってもおかしくないと思うんだけど?!ってか、そもそもナギトさん達が悪いんじゃん!!」
確かに、今考えればミナギも自分がかなり変な事を言った自覚はある。自覚はあるけれど、元を辿れば普段のナギトやユヅキを見てるからこその発言だ、昨日の、あの発言は。
もし仮に時間を巻き戻して過去に戻る方法があるなら、教師が倒したネグロ・トルエノ・ティグレの死体を探し、学園にまで運ぶと言う話をしたあの時まで戻りたい。ミナギはそう願う。心の底から。
そう想いながらミナギが見るのは、ナギト。
長く伸びた後ろの髪をばっさりと切り落とし、ロングウルフから、一気にショートヘアになった、ナギトを。
何故ミナギが、沢山の風の精霊達に群がられているのか、事の起こりは昨日のネグロ・トルエノ・ティグレを撃破して、見守り役だった教師と共にベル・オブ・ウォッキング魔法学園に帰ろうとしていた時まで話は戻る。
◇ ◆ ◇
地精霊に、教師が倒したネグロ・トルエノ・ティグレの死体を探してもらっている間の、休憩時間。
もう少し周囲を確認して来ると言って森の中に入って行った教師を見送り、ナギト達は泉の傍に腰を下ろす。
破れ、穴が開き、血まみれになった制服は、無料で新しいものをしきゅうしてもらえると聞いて安堵しつつも、ミナギが気になったのは――ナギトの髪だった。正確には髪型が、だけど。
クエルノ・ラビットを解体する時に、邪魔だからと結い上げた髪。普段は下ろしたままのせいか、ちょっと新鮮な姿にも見える。後ろの髪を纏め上げると、短い部分が強調されて、正面から見ると、全体的に髪が短く見えるからこそ、そう思えるのかもしれない。
「ナギト、髪そうしてるとナギトパパみたいだね」
「それは俺も思った。まー、別に似てるくらいはイイんだけどなー。流石に後ろの髪鬱陶しい……」
「え、何ナギトさん、好きで髪伸ばしてるわけじゃないの?」
違う違う、と。ナギトとユヅキが異口同音。しかも同時に首を横に振りながら言うのだから、相変わらずこの二人は面白い。
話をよくよく聞けば、好きで髪を伸ばしている訳ではなく、髪が短いと父親に似るから嫌な訳でもなく。むしろ、出来れば髪を短くしたいと言うのがナギトの本音。その方が動きやすく、モンスターの解体もしやすい上に、本を読んだりノートに文字を書いたりする時も楽で、何より髪をいちいち結ばなくて済むから、と。
今の髪型にしている理由はもっと別のところにあって、これが単純明快。
眉を寄せて怪訝な顔をするミナギの前で、ナギトがすっとユヅキの前で屈む。一つに纏めている髪を避けて、丁度うなじの辺りがユヅキに見える形で。
「ナギトが髪伸ばしてる理由はね、これっ」
「うへええええ……」
「えっ?!何どうしたの?!」
楽しそうな声をユヅキが出したかと思えば、見えていたナギトの首筋に触れる。最初は指先で、その後は撫でるように。
すると、その瞬間。妙な声を出しながらナギトがその場にへたり込んでしまった。
これにミナギが驚かない訳がなく。何が起きているのかと目を丸くするミナギに対して、ユヅキはにこにこ笑顔、ナギトはまだうなじを触られてへたり込んだままと、何とも妙な構図が出来上がっている。なんだこれ。
アルバは相変わらずねぇなんて笑っているし、セラータも楽しそうに尻尾を揺らしている。
どうやら、ナギトは首筋を他人に障られるのが苦手らしい。触られると全身がゾワゾワとして、立っていられなくなるとか。だからこそ、人に髪を切ってもらうのも大の苦手らしい。
髪を切ってもらう際、どうしても人の手が触れる、はさみの刃が触れる。それがどうしても苦手で、極力うなじに触られないようにする事を考えた結果、今のロングウルフの髪型に落ち着いたらしい。
説明を聞けば、成る程納得。そう言う体質の人はいると聞いているし、実際に目の前でナギトがうなじを触られてへたり込んでいるのを見れば、ミナギだって疑いようがない。
流石に、こんな話で演技なんてしないだろうし、仮に演技だとしたらしょうもない話だ。そんな事が身体的な弱点なんて。
「じゃあ、それさえなければ、ナギトさんは髪短くしたいの?」
「したい。凄くしたい。楽なのがイイ」
ミナギの言葉に、バッと顔を上げて真顔でそう語る。左手でうなじを撫でるユヅキの手を掴み、これ以上撫でられないようにと防御しながら。本気で言っているのは、その表情からわかる。
気のせいだろうか。ナギトに手を掴まれているユヅキが、むっと不満顔を見せているのは。
もっと触って悪戯したかった。恐らくユヅキの思考はそんなところか。
あのナギト相手に悪戯しようだなんて考えるのは、ユヅキくらいだろう。
実はミナギの傍に居る五人の小さな精霊達もナギトに悪戯をしようと考えていた事があるのだが、ミナギは知らない。
知っていたらきっと、絶対に止めてと必死になっている筈だ。
髪短くしたい。ため息交じりにそう言って立ち上がるナギトを見上げ、少し考えるのはミナギ。
自分でも突拍子もない事を考えている自覚はある。あるけれど、普段のナギトやユヅキの言動を考えれば、特に問題ない気もして。後から思えば、ここでもう少し慎重に考えるべきだったと、心底ミナギは思う。
「触られるのが苦手なら、風の精霊に頼んでみたら?風を使って髪切ってくれるんじゃない?」
そう言った直後の、ナギトの顔と言ったら。本気で何を言ってんだコイツ、と表情で訴えられ、思わずミナギは片眉を跳ね上げた。ユヅキはどんな顔をしているのかと思えば、こちらも似たり寄ったりな表情。
アルバとセラータはと思って見れば、アルバはともかく、セラータもわかりやすく目を見開いて驚いていて。
どうやら自分が相当変な事を言ったらしいと察するには、十分過ぎた、ミナギには。
気のせいだろうか。
誰かの笑い声が、どこからか響いて来るのは。
「なんて?」
「え、だから……風の精霊に、髪を切ってもらう、て……」
「……そっか、それは考えた事なかったなぁ」
「その発想はぁ、今までナギトもユヅキもした事なかったわねぇ」
「なぁん」
思わず、ウソでしょと呟いたミナギの気持ちは、推して知るべし。
ナギト達にパーティに勧誘された時から今日まで、大体一か月と半月。たったそれだけと言えばそれだけだが、精霊に関する色々な常識や知識が根底から覆されるには十分過ぎる時間。五人の小さな精霊達のお陰で、精霊との関り方もかなり変わって来た。だからこそミナギにとっては、これもまたその関わり方の変化による一言だった。
あえて言うなら、それはナギト達にとっても想定外の一言だったくらいか。
「ハハハハハハハ!!アー……アハハハハハッ!マジで!マジでぇ?ヒャハハハハハハハ!!」
気のせいじゃない。確実に気のせいじゃない。笑い声が、降って来る。ミナギ達の頭上から、降って来る。声からして、恐らく男性――否、青年辺りだろうか。
反射的に顔を上げれば、ミナギ達の頭上に、誰かが居る。
間違いなく、頭上に。空中に誰かが居て、そこで両手で腹を抱えて笑っているのが見えた。
「何……ってか誰?!」
ぎょっと目を見開くミナギに対して、やれやれと言った表情で顔を上げるのはナギトで、またも楽しそうな顔をして顔を上げるのはユヅキ。アルバも楽しそうに羽ばたいて居るし、セラータも目を細めて空中に浮かぶ誰かを見上げている。
その間もずっと恐らく笑い声の主だろう誰かは空中に浮いていて、笑い続けている。どうやら笑いのツボに入ったらしい。
「シーエーロー!降りてきてー!」
「ハハッ!へ?あ、アー……アハハッ!ちょ、ちょっと待ってぇ!」
「……知りたい?アレの事」
「人の事アレ言うの止めたげて?や、なんか人ってか精霊な気がするけど……なんとなく」
「お前と一緒のチビ達の中に、風の精霊居ただろ。ソイツ等なら知ってるぞ」
両手を口元に当て、上空に向かって声を張り上げるユヅキに、空中に浮かんでいる誰かが返事。どうやら、シエロと言うのは彼の名前らしい。彼なのか、彼女のなのかわからないが、恐らく声からして彼の可能性が高い。
何が起こっているのか戸惑いは消えないが、今日も今日とてミナギのツッコミは健在。
しかしナギトは意に介さず、ミナギの傍に居る五人の小さな精霊達の中の、風の精霊の話をする。思わず話を聞け、とミナギが叫びそうになったのは、ある意味当然。
けれど、ここで叫んだところで、暖簾に腕押し。馬耳東風。ナギトには全く響かない事はミナギがよく知っている訳で。色々言いたい事はあるけれど、言っても時間と体力のムダなのは、やっぱりよくわかっているので。ぐっと拳を握って我慢我慢。
言われた通り、自分の傍に居てくれる小さな精霊達の中で、風の精霊である二人を見る。が、居ない。いつもなら見える範囲に居るのに、とミナギが周りをきょろきょろ。
やっと見付けた時には、なぜかミナギの背後に回って、隠れている状態だった。
何から、誰から隠れようとしているのか――答えは簡単、上空で笑っている彼だ。
気になってすぐ傍の泉に住む水の精霊達はどうしているのかと見れば、泉の中にでも戻ったのか、姿を消していた。ついさっきまで、そこに居た筈なのに。
どうして姿を消したのかと理由を考えて、一番可能性があるのは、やはりあの上空で笑っている精霊らしき誰かだろうか。
あれ、ちょっと待て。
「ナギトさんもあの笑い声聞こえてんの!?え、でも精霊でしょ!?」
「そーそー、精霊。でも、『精霊術師と契約してる精霊なら』見えるし、声も聞こえるだろ。まあ、アイツの場合は、普段は滅多に人前に姿見せねぇけど。風の精霊だから、コッチの話は聞いてんだよな。ゆづの周りでの話は、常に聞き耳立ててるしな」
どうやらあの上空で笑っている誰かは、風の精霊で間違いないらしい。しかも、このナギトの口ぶりから言って、知り合いであり、ユヅキと契約を交わした精霊である可能性が高い、かなり。
シエルと呼ばれた誰かが、風の精霊が、ユヅキの前に降りて来る。
肩の辺りまで伸びたアクアグリーンの髪をふわふわと揺らし、翡翠色の瞳が楽しそうに輝いているように見える。見た目から言えば、身長は大体ユヅキやミナギよりも少し高く、人間年齢的に言えば、一六歳か一七歳くらいか。
地面に足を付けず、ユヅキの前でふわふわと浮かんでいる。
「ヤッホー!やー、おっもしろい発想する子いんじゃん!ひっさびさに笑ったわー」
「かっる!」
「あははっ、シエロ、いっぱい笑ってたね」
「相変わらず、ツボると凄いな」
「でもわかるわぁ。私もぉ、楽しかったものぉ」
浮かびながらケラケラと楽しそうに笑うシエロの態度の軽さに、ミナギは声を上げ、ユヅキは笑う。ナギトはいつも通りだし、アルバは楽しそうな声を出して、セラータはまた尻尾を揺らすばかり。
動物の姿を取っている精霊二人の反応はわかりにくいが、とりあえずミナギの周りの五人の小さな精霊達の反応が大きい。特に、二人の風の精霊が。
ミナギの背中に隠れたまま、どうしようどうしようと慌てているのが見える。
「おーい、ちびすけどもー。ぼくへの挨拶はぁ?」
そう言ってシエロがミナギの背中に隠れている小さな風の精霊二人を覗き込めば、キャーッと悲鳴を上げるようにして大慌て。
未契約の精霊と話す力のないミナギでもわかった。今のは確実に悲鳴を上げている。
慌てて、バタバタと空中をあっちにこっちに走り、もとい飛び回り、数秒。やっと落ち着いたかと思えば、ミナギの肩にしがみつきながら、恐る恐るぺこりと頭を下げる。
「なーにそれぇ、まるでぼくがこわーい精霊みたいじゃーん!怒っちゃうよ?」
「まぁねぇ?シエロはぁ、昔っから気分屋さんだからぁ?」
「覚えとけミナギ。コイツ、さっきまで笑ってたかと思えば、急にキレたりするちょー気分屋」
「色んな風の性質が、そのまんまシエルの性格に反映されてるから、そよ風が突風になるみたいな感じ?」
ムゥッと不満を顔に出すシエロを見て、またあわあわと慌てる小さな風の精霊コンビ。
これに補足を入れるのはアルバやナギト、ユヅキで、成る程と頷きつつも、まだ足りない説明がある。足りないけど、とても重要な説明だ。
「……あの、このシエロ?て精霊も……ユヅキさんと契約してる……って事で、いいの……?」
おずおずと手を挙げ、問い掛けるミナギ。
その言葉に、ぱちくりと瞬くのはナギト、ユヅキ、アルバ、セラータ、シエロの人間二人と精霊三人。それぞれ顔を見合わせ、あ、と揃って声を上げる。かと思えば、全員が揃って同時にそうそうと頷くのだから、ちょっと見ていて面白い。
質問したミナギへと体ごと向き直り、片手を胸に当てながらシエルが軽く頭を下げる。
「そういや、きみはぼくと逢うの初めてだっけ。マジゴメン、すっかり忘れてた!ぼくはシエロ。この空を統べる風の統括大精霊ね」
「…………はい?」
「あ、『シエロ』は精霊の言葉で『空』って意味ね。人間の言葉の音で、近いのを探すとシエロってなったんだよねー。名前短くてよくない?だってさー、きみでもわかりやすい奴で言ったら、ベル・オブ・ウォッキングとか居るし、アレ名前が超長くない?そりゃー名前って大切だけど、呼びやすさも大事だと思うんだよ、ぼくは」
よく喋る。本当によく喋る、この精霊、シエロは。
風の統括大精霊と自称していたが、泉の水の精霊達が姿を消した事や、二人の小さな風の精霊達の慌てっぷりを考えると、どうやら本当に風の統括大精霊らしい。しかし、そんな大精霊が人と契約をするのだろうか。
否まあ、何かと感覚がズレまくっているユヅキの事を思えば、大精霊と契約していてもおかしくはないのかもしれない。と、思っておこう。
しかしそんなミナギの思考を読んでいるのか、はたまた偶然か。口を開いたユヅキ。
「あ、ついでに言うとね、アルバとセラータも統括大精霊だよ」
「はっ?!」
「一般的には、アルバは光だけじゃなく、昼と太陽を司ってるって言われてて、セラータは夜と月を司ってるとも言われてんな」
「待って!!初耳なんだけど?!なんでそんな大事な話先に教えてくれないの!!」
もし仮に、本当にアルバやセラータがナギトやユヅキの言う通りの精霊だとしたら、とんでもない話ではないか。
ただの普通の光と闇の精霊だと思っていたら、実はまさかの統括大精霊だなんて。しかも昼と夜、太陽と月をそれぞれ司っているなんて、ちょっとスケールが大き過ぎて流石のミナギも理解が追い付かない。最近は慣れたと思ったのに、慣れたと思った途端にこれだ。なんだろう、この敗北感。
叫ぶミナギの狼狽え方が相当面白かったのか、またもやケラケラお腹を抱えて笑うシエロが居る。
当のナギトやユヅキと言えば、むしろ今更過ぎる話題のせいで、教える教えない以前の問題で、ついうっかり話忘れてしまった訳で。二人してゴメンと謝られれば、もうミナギは何も言い返せない。
「まあほら、んな細かい話はいいから」
「気にして?ちょっと精霊達とナギトさん達の感覚おかしくない?オレがヘンみたいな空気出てるけど、ヘンなのソッチだからね!?オレは一般的!!」
「「えぇー?」」
「えぇーじゃないっ!!もうちょい自分達の感覚がズレまくってるって自覚持って!!ホントに!!」
「アッヒャヒャヒャヒャヒャ!!あー……もーダメッ!ホンットミナギ大変そーでかわいそカワイー。苦労してるの大変そー!」
「アンタは笑い過ぎだーーーー!!」
全力で張り上げる大音声も、やっぱりシエロにとっては笑いの種にしかならない。特に今のシエロはそう言う気分のようで、どんな小さな事にでも笑ってしまうレベル。
楽しそうだな、なんて思う余裕は、当然ミナギにはない。
どうしてこうなったと考えて、元を辿れば自分の発言が悪い気がして、思わずミナギは頭を抱えた。こんな筈じゃなかったのに。
笑っているシエロを中心に、少し強い風が吹いているのは絶対きっと、シエロが風の統括大精霊だから。精霊自身の力が強いと、笑うだけでも風は吹く。
「やー、笑った笑った!楽しいなぁ、ホンット!今さいっこーにぼく機嫌いいから、ナギト、髪切ったげよっか!どのくらい?ぼくたちが初めて逢った頃とおんなじくらいにしとく?」
「初めて逢った頃?……あー、八歳くらいか?あー……そうかも、それくらいがイイ」
沢山笑って満足したのか、シエロを中心にして小さなつむじ風が吹く。その風に髪を巻き上げられ、顔に強くべちべちと当たる髪を鬱陶しげに掻き上げつつ、ナギトは頷く。
一つに纏めた長く伸びたナギトの髪は、風にあおられて踊っている。それはもしかしたら、シエルがわざと躍らせているのかもしれないけれど。
随分と話が脱線した気がするが、とりあえず、シエロがナギトの髪を切ると言う事で、話はまとまったらしい。
あえて気になる点を挙げるなら――髪を切ってもらう決断をしたナギトが、ばちくそたいぎい事になった、みたいな顔をしている事くらいか。
他にも、セラータが目を半眼にして、呆れを見せている事も、気にかかる。
怪訝な表情で自分を見るミナギの視線を、軽く肩を竦める事で流して。ナギトはぽつりと呟く。
「お前、明日大変だぞ」
「は?それってどう言う」
更に眉間にしわを寄せて怪訝な表情になるミナギの前で、シエロの操る風によって、ナギトの髪が切り落とされた。髪に隠れていた目や耳が見える、ミディアムヘアに。
単純に切るだけではなく、ナギトの要望を聞きつつ、長さを調整したり、髪のボリュームを調整したりするのだから、至れり尽くせり。まるでヘアスタイリストのようだ。シエロの機嫌が良いからこそ出来た事で、機嫌が悪かったら酷い髪型にされていた可能性がある、と言うのは後から聞いた話。
泉の水面に自分の顔を映し、上手く整えられて短くなった髪を確認して、感動しているナギト。それを見て拍手しているユヅキや、上手ねぇなんてのほほんと言っているアルバや、楽しそうにナギトの肩の上に移動して尻尾を揺らすセラータが居る。
完全に流れに置いて行かれる形になったミナギの傍らでは、腕と足を組んでふわふわと飛んでいるシエロが、満足そうに笑っていた。
◇ ◆ ◇
それからベル・オブ・ウォッキング魔法学園に帰って、翌日。
五人の小さな精霊達に強引に起こされる形で目覚めたミナギが見たのは、寮の自室の窓に、外が見えなくなるくらいにびっしりと貼り付いた風の精霊達で。
何が起こっているのかと戸惑い、どこに行っても入れ代わり立ち代わり自分に纏わりつく風の精霊達を振り払いながら、なんとかパルス・ウォークスを使って、朝食を食べようと食堂に向かっていたナギトとユヅキを捕まえて、今に至る。
「諦めろミナギ、今日一日で終わればイイ方だと思っとけ」
「はあ!?ってかなんでコイツ等群がってくんの!?」
「そりゃぁ、風の精霊に……それも、風の精霊のトップに人の髪を切らせたんだから。んな突拍子もない事考えるヤツを見たいって集まって来たんだろ。タブン、知らんけど」
「ユヅキさぁん!!」
「ナギトの読み当たってるみたーい!」
ウッソだろ、と。ミナギが叫んだのは言わずもがな。通訳してくれてありがとう、なんてお礼を言う余裕はない。
まあミナギだって、もし仮に精霊の側に立っていたら、誰だそんな提案したの、と興味を持つだろう。持つだろうが、だからと言って数がおかしい。入れ代わり立ち代わり沢山の、大小様々な風の精霊が顔を覗き込んで、そしてお互いに顔を見合わせ何かを話して、また別の精霊の下に行って何かを話す。
未契約の精霊が見えるだけでも視覚的な騒がしさは、筆舌に尽くし難い状態なのだ。もし話す力も持っていたら、もっと騒がしくなっている筈だ。
単なる予想だが、精霊術師としてその力を持っているユヅキの表情を見れば、大体は想像出来る。
沢山の風の精霊達の隙間から見たユヅキは、何やら四方八方から話し掛けられているようで、困り顔できょろきょろしていた。誰から、どこから返事をするべきか迷っているらしい。
アルバも、東屋から少し離れた木の枝に止まっていて、巻き込まれないようにとしていて。
セラータはと言えば、唯一この状況が見えず、聞こえず、わからないナギトの肩の上。長い尾を揺らし、大欠伸。ミナギと目が合っても、一度ゆっくり瞬きするだけ。そんなセラータを肩の上に乗せたナギトも、東屋の柱の一本に背を預け、両腕を組んでミナギを見ているだけ。
「俺は見えないから知らないけど、俺やゆづも昔は沢山の精霊達が見に来たらしいぞ」
「そうねぇ、精霊への接し方がぁ、ゆづ達は今までの精霊術師達とぉ、全然違ってたものぉ。たぁーっくさん集まってたわよぉ」
「じゃあオレだってソレと似たようなもんじゃん!!何が違うの!?水筒の水入れてもらうのと大差ないじゃんか!!」
「諦めろ。諦めた方が早い」
「そりゃアンタは見えてないからイイよ!?でもオレの身にもなってよ少しはぁ!!」
「朝っぱらから元気だなぁ、ミナギは。飯も食ってないのに」
呆れの混じったナギトの声は、ミナギの耳にしっかりと届いて。文句の一つや二つでは足りない、十や二十は言わねば落ち着かないと、風の精霊達を振り払いながら、思い切りナギトを睨むミナギだった。
とは言え、またすぐに別の風の精霊達が顔を覗き込んで来て、ナギトを睨む事が出来たのは、時間にして二秒程度だったけれど。
◇ ◆ ◇
「……才能あるヤツはイイよなぁ、ホンット」
≪珍しいな、お前がそんな事を言うなんて≫
東屋での風の精霊達の一件があった日の、夜。寮の自室で過ごしていたナギトは、ぽつり、そう零していた。
一人で使うには十分過ぎる広さがある部屋の床には、様々な本が散らばり、時には山を作っていて。それ以上に何かのメモ書きや図形が描かれた紙が所狭しと散らばっている。お世辞にも綺麗とは言い難いし、人を招くには向かない部屋だ。
そんな部屋のベッドの上。一目見てかなり年季の入っているとわかる本を見ているナギトの表情は、あまり良いとは言えない。
自然と零れる吐息は重く、吐息と言うよりもむしろため息。
ナギト以外誰も居ない筈の部屋で返される声は、ヴェルメリオのもの。
≪今朝のミナギの事か?≫
「それだけじゃねぇけどな。俺の周りは才能持ってるヤツとか、天才が多過ぎんだよ」
立てた片膝に頬杖を突き、細く長く息を吐くナギト。
左手でヴェルメリオのイヤーカフスを外し、ベッドの脇に置かれた再度チェストの上に置かれた、小物入れ用にしている小皿の中に転がす。パーティ専用の通信アイテム、パルス・ウォークスも一緒に。
耳に着けていない為、ナギトの声がユヅキやミナギに届く事はないが、少しだけ、肌から話しておきたかった。
脳裏に浮かぶ、自分の身近な才能持ちや、天才達の顔は、多い。周りの人間はナギトも天才だと、才能があると言うが、ナギト本人はそうは思っていない。個人的には凡人だとすら思っているくらいだ。
剣が使えるのは、二歳の頃におもちゃとして木剣を渡され、六歳の頃にはクエストに同行して実戦を経験していたから。
魔法が使えるのは、素質があると診断され、保有する魔法属性が闇属性だと知って、扱い方に慣れるようにと六歳の頃には本格的な魔法の練習を始めたから。
他の子供達よりもスタートを切るのが早かった、ただそれだけ。本当に才能があるなら、そこに経験を上乗せすれば、もっと強くなっている筈だ。それこそ、今も現役で冒険者として色々なところからクエストを受けている両親に、負けないくらいに。
まあ、それを言い始めれば基準が高過ぎると言われるのだが、仕方ない。ナギトにとっては、一番身近な存在だから。
魔法剣士の父親と、魔法銃士の母親。そして話を聞く限り胎児の頃から精霊に愛されている、精霊術師のユヅキ。それから、あの人、この人と浮かぶ顔はアッと言う間に十人を越えてしまう。
そして、最後に浮かぶのは――。
「………精霊術師が傍に居る事で、精霊が見えたり話が聞こえたりするようにならないのか、か……。そしたらマジでこの研究も楽になるんだけどなー。て、そもそも俺研究者になりたかった訳じゃねぇわ」
思考の方向性を強制的に修正。
不満を零しながら左手でペシペシ叩くのは、百数十枚を積み上げた紙の束。それは紛れもなくナギトの字で書かれていて、ところどころに修正が入ったり、黒く塗りつぶしていたりと、かなり手が入っている事は見て取れる。
最初は、単純にユヅキの言動をメモしているだけだった。
自分には見えない、聞こえない、わからない、そんな世界を見て、話して、感じ取るユヅキの言動を。幸運にも、幼い頃の自分達の周りには、精霊の事がわからない人達の目から見れば、奇怪ともとれるユヅキの言動を、気味が悪いと言う大人は居なかった。
だからこそユヅキはユヅキらしく育ったが、一歩間違えればミナギのようになる事は、ある程度年齢を重ねてから気付いた。あれは確か、十二歳くらいだったか。気付くには少し遅いくらい。
単なるユヅキの言動メモが、精霊や精霊術師に関わる研究書になるなんて、誰が想像出来るだろう。とりあえず、あの頃の自分は想像出来なかったと、幼い頃の自分を思い出しながらナギトは思う。
まあ誰だって、何がどう転んで人生が変わるかはわからない。想定通り、予定通りの人生なんてありえないのだから。
ナギトの場合、その想定外、予定外がかなり大きく重要なものだっただけ。
≪やりたくないなら止めても良いと言われてるんじゃないか?≫
「ここで終わらせたらそれはそれで落ち着かん。あーーーーーーっ!自分がたいぎい!!」
両手で頭をガシガシと掻き毟り、ついにはベッドの上に体を投げ出す。
ヴェルメリオの言葉も尤もなのだが、悲しいかな、こればっかりはナギトの性分。中途半端なところで投げ出すのは、それはそれで落ち着かない。研究者になりたいと思って、なった訳では無いのに。
もう今日は良いやと見ていた本を手探りて閉じて、ベッドの傍に作ってある本の山の頂上に置く。
紙の束がバサバサと床の上に落ちる音がしたが、もう拾い集めるだけの余力はない。眠い訳では無いし、体力がない訳でもない。単純に言えば、気力がない。
「お休み、ヴェルメリオ」
≪ああ、お休み、ナギト。明日は実戦授業があるんだろう?その時にでも暴れたらいい≫
「あー……八つ当たり付き合え」
≪任せておけ≫
力強いヴェルメリオの言葉に薄く笑いつつ、ナギトはそっと目を閉じた。
床の上に散らばった紙の束の一番上に置かれてた紙には――『精霊や精霊術、および精霊術師における研究報告書』と言う文言と、ナギト・アクオーツの名前が記されていた。
理由は様々で、第一は、ネグロ・トルエノ・ティグレが現れたと言う話。学内認定ランクでSランク評価を得たものの、ナギト達が倒した話。そして何よりも一番の驚きと衝撃をもって受け止められたのは、ネグロ・トルエノ・ティグレを二頭同時に一人で相手にした見守り役の教師の話だった。
「一応子どもの命預かってるからなぁ、実力のないヤツ教師とか見守り役で雇用しねぇよ」
そうナギトは語っていたが、それでもライオットガンタイプの魔法銃でネグロ・トルエノ・ティグレ二頭と戦い討伐出来るのは、簡単な事ではない。
魔法銃の中でも比較的珍しいライオットガン使いで、性格的に暑苦しいおじさんだった為、魔法銃士学科の生徒達からは色物扱いされていた教師は、その一件を機に生徒達から向けられる目がガラリと変わったらしい。
最初こそ本当に討伐したのかと疑う声もあったが、ネグロ・トルエノ・ティグレの死体に残る痕跡から、間違いなくあの教師が倒したものだと証明された。
結果、危険度Eランクのクエルノ・ラビット十五体撃破クエストをナギト達が失敗した話は、あまり広まらず、クエストは失敗したものの、ネグロ・トルエノ・ティグレの死体を持ち帰った事で、その討伐報酬は学園側から出してもらえて一安心。
討伐だけでなく、爪や牙も素材として売れたのも大きかった。毛皮も高く売れるそうだが、オスクロ・ランサで体中穴だらけにした為、あまり高値では買い取ってもらえず終了。
しかしそれでも、ナギト、ユヅキ、ミナギの三人で報酬を分けても多過ぎるくらいの報酬が手に入った。最初に受けた薬草採取の報酬なんて、比べ物にならないくらいの報酬で、ミナギが思わずたじろいでしまうくらいに。
だがそんな報酬の多さも、翌日にはミナギの頭の中から抜け落ちていた。
それ以上の驚きが、ミナギを待っていたから。
「ああああああああもうっ!!いい加減にしろって!しつこいよ朝からっ!!」
「そんな叫ぶほどか?ゆづ、マジでそんな多くおる?精霊達」
「うん。アタシからは、ミナギくんの周りに風の精霊がいーっぱい居て、埋もれて見えない」
学園の敷地内にいくつかある、東屋。
へぇー、と。感心したように呟きながらミナギに目を戻すナギトだが、彼の目からはミナギが険しい顔をして、何かを振り払うように両腕を振り回しているようにしか見えない。が、ユヅキからしてみれば、大小様々な未契約の風の精霊達がこれでもかと集まり、ミナギの姿が全く見えない状態に。
普通の人には見えない、未契約の精霊達を見る力があるユヅキと、力を持たないナギトの視界は、雲泥の差。
両腕を組んで首を傾げるナギトの姿は見えないが、風の精霊達を振り払いながらミナギは叫ぶ。
「ナギトさんホントにコレ見えないの?!ウソついてない!?ユヅキさんの幼馴染なんだしさぁ!!」
「精霊術師と一緒に居る時間が長いと、その影響で精霊を見る力とか手に入るんなら、俺は今頃お前以上に精霊見えて、わかって、話も出来てなきゃおかしいだろ。アホか」
腹が立つ。セイロン過ぎて余計に腹が立つ。思わず頬を引き攣らせるミナギに対して、だがしかしナギトはいつも通り。両腕を組んで、心底呆れたと言わんばかりの表情に、思わずミナギが握る拳。
否、ナギトを殴るなんて事はしないけれど。そもそも痛いし、何よりナギトが大人しく殴られてくれる気もしないから。
良くて受け止められ、悪ければ反撃される可能性が高い、かなり。
と、言う訳で大人しく我慢するものの、鬱陶しいものは鬱陶しいから仕方ない。
「ホント早く離れて!!なんなんだよホントに!!」
「ミナギくん、人間の言葉で言っても、みんなには伝わらないよ?」
「自業自得だろ。お前があんな事言うからだ」
「水筒の水をわざわざ精霊に入れてもらったり、モンスターの死体の場所を精霊に探してもらって、更に学園まで運んでもらうように頼んでる人達が傍に居たら、そう言う発想になってもおかしくないと思うんだけど?!ってか、そもそもナギトさん達が悪いんじゃん!!」
確かに、今考えればミナギも自分がかなり変な事を言った自覚はある。自覚はあるけれど、元を辿れば普段のナギトやユヅキを見てるからこその発言だ、昨日の、あの発言は。
もし仮に時間を巻き戻して過去に戻る方法があるなら、教師が倒したネグロ・トルエノ・ティグレの死体を探し、学園にまで運ぶと言う話をしたあの時まで戻りたい。ミナギはそう願う。心の底から。
そう想いながらミナギが見るのは、ナギト。
長く伸びた後ろの髪をばっさりと切り落とし、ロングウルフから、一気にショートヘアになった、ナギトを。
何故ミナギが、沢山の風の精霊達に群がられているのか、事の起こりは昨日のネグロ・トルエノ・ティグレを撃破して、見守り役だった教師と共にベル・オブ・ウォッキング魔法学園に帰ろうとしていた時まで話は戻る。
◇ ◆ ◇
地精霊に、教師が倒したネグロ・トルエノ・ティグレの死体を探してもらっている間の、休憩時間。
もう少し周囲を確認して来ると言って森の中に入って行った教師を見送り、ナギト達は泉の傍に腰を下ろす。
破れ、穴が開き、血まみれになった制服は、無料で新しいものをしきゅうしてもらえると聞いて安堵しつつも、ミナギが気になったのは――ナギトの髪だった。正確には髪型が、だけど。
クエルノ・ラビットを解体する時に、邪魔だからと結い上げた髪。普段は下ろしたままのせいか、ちょっと新鮮な姿にも見える。後ろの髪を纏め上げると、短い部分が強調されて、正面から見ると、全体的に髪が短く見えるからこそ、そう思えるのかもしれない。
「ナギト、髪そうしてるとナギトパパみたいだね」
「それは俺も思った。まー、別に似てるくらいはイイんだけどなー。流石に後ろの髪鬱陶しい……」
「え、何ナギトさん、好きで髪伸ばしてるわけじゃないの?」
違う違う、と。ナギトとユヅキが異口同音。しかも同時に首を横に振りながら言うのだから、相変わらずこの二人は面白い。
話をよくよく聞けば、好きで髪を伸ばしている訳ではなく、髪が短いと父親に似るから嫌な訳でもなく。むしろ、出来れば髪を短くしたいと言うのがナギトの本音。その方が動きやすく、モンスターの解体もしやすい上に、本を読んだりノートに文字を書いたりする時も楽で、何より髪をいちいち結ばなくて済むから、と。
今の髪型にしている理由はもっと別のところにあって、これが単純明快。
眉を寄せて怪訝な顔をするミナギの前で、ナギトがすっとユヅキの前で屈む。一つに纏めている髪を避けて、丁度うなじの辺りがユヅキに見える形で。
「ナギトが髪伸ばしてる理由はね、これっ」
「うへええええ……」
「えっ?!何どうしたの?!」
楽しそうな声をユヅキが出したかと思えば、見えていたナギトの首筋に触れる。最初は指先で、その後は撫でるように。
すると、その瞬間。妙な声を出しながらナギトがその場にへたり込んでしまった。
これにミナギが驚かない訳がなく。何が起きているのかと目を丸くするミナギに対して、ユヅキはにこにこ笑顔、ナギトはまだうなじを触られてへたり込んだままと、何とも妙な構図が出来上がっている。なんだこれ。
アルバは相変わらずねぇなんて笑っているし、セラータも楽しそうに尻尾を揺らしている。
どうやら、ナギトは首筋を他人に障られるのが苦手らしい。触られると全身がゾワゾワとして、立っていられなくなるとか。だからこそ、人に髪を切ってもらうのも大の苦手らしい。
髪を切ってもらう際、どうしても人の手が触れる、はさみの刃が触れる。それがどうしても苦手で、極力うなじに触られないようにする事を考えた結果、今のロングウルフの髪型に落ち着いたらしい。
説明を聞けば、成る程納得。そう言う体質の人はいると聞いているし、実際に目の前でナギトがうなじを触られてへたり込んでいるのを見れば、ミナギだって疑いようがない。
流石に、こんな話で演技なんてしないだろうし、仮に演技だとしたらしょうもない話だ。そんな事が身体的な弱点なんて。
「じゃあ、それさえなければ、ナギトさんは髪短くしたいの?」
「したい。凄くしたい。楽なのがイイ」
ミナギの言葉に、バッと顔を上げて真顔でそう語る。左手でうなじを撫でるユヅキの手を掴み、これ以上撫でられないようにと防御しながら。本気で言っているのは、その表情からわかる。
気のせいだろうか。ナギトに手を掴まれているユヅキが、むっと不満顔を見せているのは。
もっと触って悪戯したかった。恐らくユヅキの思考はそんなところか。
あのナギト相手に悪戯しようだなんて考えるのは、ユヅキくらいだろう。
実はミナギの傍に居る五人の小さな精霊達もナギトに悪戯をしようと考えていた事があるのだが、ミナギは知らない。
知っていたらきっと、絶対に止めてと必死になっている筈だ。
髪短くしたい。ため息交じりにそう言って立ち上がるナギトを見上げ、少し考えるのはミナギ。
自分でも突拍子もない事を考えている自覚はある。あるけれど、普段のナギトやユヅキの言動を考えれば、特に問題ない気もして。後から思えば、ここでもう少し慎重に考えるべきだったと、心底ミナギは思う。
「触られるのが苦手なら、風の精霊に頼んでみたら?風を使って髪切ってくれるんじゃない?」
そう言った直後の、ナギトの顔と言ったら。本気で何を言ってんだコイツ、と表情で訴えられ、思わずミナギは片眉を跳ね上げた。ユヅキはどんな顔をしているのかと思えば、こちらも似たり寄ったりな表情。
アルバとセラータはと思って見れば、アルバはともかく、セラータもわかりやすく目を見開いて驚いていて。
どうやら自分が相当変な事を言ったらしいと察するには、十分過ぎた、ミナギには。
気のせいだろうか。
誰かの笑い声が、どこからか響いて来るのは。
「なんて?」
「え、だから……風の精霊に、髪を切ってもらう、て……」
「……そっか、それは考えた事なかったなぁ」
「その発想はぁ、今までナギトもユヅキもした事なかったわねぇ」
「なぁん」
思わず、ウソでしょと呟いたミナギの気持ちは、推して知るべし。
ナギト達にパーティに勧誘された時から今日まで、大体一か月と半月。たったそれだけと言えばそれだけだが、精霊に関する色々な常識や知識が根底から覆されるには十分過ぎる時間。五人の小さな精霊達のお陰で、精霊との関り方もかなり変わって来た。だからこそミナギにとっては、これもまたその関わり方の変化による一言だった。
あえて言うなら、それはナギト達にとっても想定外の一言だったくらいか。
「ハハハハハハハ!!アー……アハハハハハッ!マジで!マジでぇ?ヒャハハハハハハハ!!」
気のせいじゃない。確実に気のせいじゃない。笑い声が、降って来る。ミナギ達の頭上から、降って来る。声からして、恐らく男性――否、青年辺りだろうか。
反射的に顔を上げれば、ミナギ達の頭上に、誰かが居る。
間違いなく、頭上に。空中に誰かが居て、そこで両手で腹を抱えて笑っているのが見えた。
「何……ってか誰?!」
ぎょっと目を見開くミナギに対して、やれやれと言った表情で顔を上げるのはナギトで、またも楽しそうな顔をして顔を上げるのはユヅキ。アルバも楽しそうに羽ばたいて居るし、セラータも目を細めて空中に浮かぶ誰かを見上げている。
その間もずっと恐らく笑い声の主だろう誰かは空中に浮いていて、笑い続けている。どうやら笑いのツボに入ったらしい。
「シーエーロー!降りてきてー!」
「ハハッ!へ?あ、アー……アハハッ!ちょ、ちょっと待ってぇ!」
「……知りたい?アレの事」
「人の事アレ言うの止めたげて?や、なんか人ってか精霊な気がするけど……なんとなく」
「お前と一緒のチビ達の中に、風の精霊居ただろ。ソイツ等なら知ってるぞ」
両手を口元に当て、上空に向かって声を張り上げるユヅキに、空中に浮かんでいる誰かが返事。どうやら、シエロと言うのは彼の名前らしい。彼なのか、彼女のなのかわからないが、恐らく声からして彼の可能性が高い。
何が起こっているのか戸惑いは消えないが、今日も今日とてミナギのツッコミは健在。
しかしナギトは意に介さず、ミナギの傍に居る五人の小さな精霊達の中の、風の精霊の話をする。思わず話を聞け、とミナギが叫びそうになったのは、ある意味当然。
けれど、ここで叫んだところで、暖簾に腕押し。馬耳東風。ナギトには全く響かない事はミナギがよく知っている訳で。色々言いたい事はあるけれど、言っても時間と体力のムダなのは、やっぱりよくわかっているので。ぐっと拳を握って我慢我慢。
言われた通り、自分の傍に居てくれる小さな精霊達の中で、風の精霊である二人を見る。が、居ない。いつもなら見える範囲に居るのに、とミナギが周りをきょろきょろ。
やっと見付けた時には、なぜかミナギの背後に回って、隠れている状態だった。
何から、誰から隠れようとしているのか――答えは簡単、上空で笑っている彼だ。
気になってすぐ傍の泉に住む水の精霊達はどうしているのかと見れば、泉の中にでも戻ったのか、姿を消していた。ついさっきまで、そこに居た筈なのに。
どうして姿を消したのかと理由を考えて、一番可能性があるのは、やはりあの上空で笑っている精霊らしき誰かだろうか。
あれ、ちょっと待て。
「ナギトさんもあの笑い声聞こえてんの!?え、でも精霊でしょ!?」
「そーそー、精霊。でも、『精霊術師と契約してる精霊なら』見えるし、声も聞こえるだろ。まあ、アイツの場合は、普段は滅多に人前に姿見せねぇけど。風の精霊だから、コッチの話は聞いてんだよな。ゆづの周りでの話は、常に聞き耳立ててるしな」
どうやらあの上空で笑っている誰かは、風の精霊で間違いないらしい。しかも、このナギトの口ぶりから言って、知り合いであり、ユヅキと契約を交わした精霊である可能性が高い、かなり。
シエルと呼ばれた誰かが、風の精霊が、ユヅキの前に降りて来る。
肩の辺りまで伸びたアクアグリーンの髪をふわふわと揺らし、翡翠色の瞳が楽しそうに輝いているように見える。見た目から言えば、身長は大体ユヅキやミナギよりも少し高く、人間年齢的に言えば、一六歳か一七歳くらいか。
地面に足を付けず、ユヅキの前でふわふわと浮かんでいる。
「ヤッホー!やー、おっもしろい発想する子いんじゃん!ひっさびさに笑ったわー」
「かっる!」
「あははっ、シエロ、いっぱい笑ってたね」
「相変わらず、ツボると凄いな」
「でもわかるわぁ。私もぉ、楽しかったものぉ」
浮かびながらケラケラと楽しそうに笑うシエロの態度の軽さに、ミナギは声を上げ、ユヅキは笑う。ナギトはいつも通りだし、アルバは楽しそうな声を出して、セラータはまた尻尾を揺らすばかり。
動物の姿を取っている精霊二人の反応はわかりにくいが、とりあえずミナギの周りの五人の小さな精霊達の反応が大きい。特に、二人の風の精霊が。
ミナギの背中に隠れたまま、どうしようどうしようと慌てているのが見える。
「おーい、ちびすけどもー。ぼくへの挨拶はぁ?」
そう言ってシエロがミナギの背中に隠れている小さな風の精霊二人を覗き込めば、キャーッと悲鳴を上げるようにして大慌て。
未契約の精霊と話す力のないミナギでもわかった。今のは確実に悲鳴を上げている。
慌てて、バタバタと空中をあっちにこっちに走り、もとい飛び回り、数秒。やっと落ち着いたかと思えば、ミナギの肩にしがみつきながら、恐る恐るぺこりと頭を下げる。
「なーにそれぇ、まるでぼくがこわーい精霊みたいじゃーん!怒っちゃうよ?」
「まぁねぇ?シエロはぁ、昔っから気分屋さんだからぁ?」
「覚えとけミナギ。コイツ、さっきまで笑ってたかと思えば、急にキレたりするちょー気分屋」
「色んな風の性質が、そのまんまシエルの性格に反映されてるから、そよ風が突風になるみたいな感じ?」
ムゥッと不満を顔に出すシエロを見て、またあわあわと慌てる小さな風の精霊コンビ。
これに補足を入れるのはアルバやナギト、ユヅキで、成る程と頷きつつも、まだ足りない説明がある。足りないけど、とても重要な説明だ。
「……あの、このシエロ?て精霊も……ユヅキさんと契約してる……って事で、いいの……?」
おずおずと手を挙げ、問い掛けるミナギ。
その言葉に、ぱちくりと瞬くのはナギト、ユヅキ、アルバ、セラータ、シエロの人間二人と精霊三人。それぞれ顔を見合わせ、あ、と揃って声を上げる。かと思えば、全員が揃って同時にそうそうと頷くのだから、ちょっと見ていて面白い。
質問したミナギへと体ごと向き直り、片手を胸に当てながらシエルが軽く頭を下げる。
「そういや、きみはぼくと逢うの初めてだっけ。マジゴメン、すっかり忘れてた!ぼくはシエロ。この空を統べる風の統括大精霊ね」
「…………はい?」
「あ、『シエロ』は精霊の言葉で『空』って意味ね。人間の言葉の音で、近いのを探すとシエロってなったんだよねー。名前短くてよくない?だってさー、きみでもわかりやすい奴で言ったら、ベル・オブ・ウォッキングとか居るし、アレ名前が超長くない?そりゃー名前って大切だけど、呼びやすさも大事だと思うんだよ、ぼくは」
よく喋る。本当によく喋る、この精霊、シエロは。
風の統括大精霊と自称していたが、泉の水の精霊達が姿を消した事や、二人の小さな風の精霊達の慌てっぷりを考えると、どうやら本当に風の統括大精霊らしい。しかし、そんな大精霊が人と契約をするのだろうか。
否まあ、何かと感覚がズレまくっているユヅキの事を思えば、大精霊と契約していてもおかしくはないのかもしれない。と、思っておこう。
しかしそんなミナギの思考を読んでいるのか、はたまた偶然か。口を開いたユヅキ。
「あ、ついでに言うとね、アルバとセラータも統括大精霊だよ」
「はっ?!」
「一般的には、アルバは光だけじゃなく、昼と太陽を司ってるって言われてて、セラータは夜と月を司ってるとも言われてんな」
「待って!!初耳なんだけど?!なんでそんな大事な話先に教えてくれないの!!」
もし仮に、本当にアルバやセラータがナギトやユヅキの言う通りの精霊だとしたら、とんでもない話ではないか。
ただの普通の光と闇の精霊だと思っていたら、実はまさかの統括大精霊だなんて。しかも昼と夜、太陽と月をそれぞれ司っているなんて、ちょっとスケールが大き過ぎて流石のミナギも理解が追い付かない。最近は慣れたと思ったのに、慣れたと思った途端にこれだ。なんだろう、この敗北感。
叫ぶミナギの狼狽え方が相当面白かったのか、またもやケラケラお腹を抱えて笑うシエロが居る。
当のナギトやユヅキと言えば、むしろ今更過ぎる話題のせいで、教える教えない以前の問題で、ついうっかり話忘れてしまった訳で。二人してゴメンと謝られれば、もうミナギは何も言い返せない。
「まあほら、んな細かい話はいいから」
「気にして?ちょっと精霊達とナギトさん達の感覚おかしくない?オレがヘンみたいな空気出てるけど、ヘンなのソッチだからね!?オレは一般的!!」
「「えぇー?」」
「えぇーじゃないっ!!もうちょい自分達の感覚がズレまくってるって自覚持って!!ホントに!!」
「アッヒャヒャヒャヒャヒャ!!あー……もーダメッ!ホンットミナギ大変そーでかわいそカワイー。苦労してるの大変そー!」
「アンタは笑い過ぎだーーーー!!」
全力で張り上げる大音声も、やっぱりシエロにとっては笑いの種にしかならない。特に今のシエロはそう言う気分のようで、どんな小さな事にでも笑ってしまうレベル。
楽しそうだな、なんて思う余裕は、当然ミナギにはない。
どうしてこうなったと考えて、元を辿れば自分の発言が悪い気がして、思わずミナギは頭を抱えた。こんな筈じゃなかったのに。
笑っているシエロを中心に、少し強い風が吹いているのは絶対きっと、シエロが風の統括大精霊だから。精霊自身の力が強いと、笑うだけでも風は吹く。
「やー、笑った笑った!楽しいなぁ、ホンット!今さいっこーにぼく機嫌いいから、ナギト、髪切ったげよっか!どのくらい?ぼくたちが初めて逢った頃とおんなじくらいにしとく?」
「初めて逢った頃?……あー、八歳くらいか?あー……そうかも、それくらいがイイ」
沢山笑って満足したのか、シエロを中心にして小さなつむじ風が吹く。その風に髪を巻き上げられ、顔に強くべちべちと当たる髪を鬱陶しげに掻き上げつつ、ナギトは頷く。
一つに纏めた長く伸びたナギトの髪は、風にあおられて踊っている。それはもしかしたら、シエルがわざと躍らせているのかもしれないけれど。
随分と話が脱線した気がするが、とりあえず、シエロがナギトの髪を切ると言う事で、話はまとまったらしい。
あえて気になる点を挙げるなら――髪を切ってもらう決断をしたナギトが、ばちくそたいぎい事になった、みたいな顔をしている事くらいか。
他にも、セラータが目を半眼にして、呆れを見せている事も、気にかかる。
怪訝な表情で自分を見るミナギの視線を、軽く肩を竦める事で流して。ナギトはぽつりと呟く。
「お前、明日大変だぞ」
「は?それってどう言う」
更に眉間にしわを寄せて怪訝な表情になるミナギの前で、シエロの操る風によって、ナギトの髪が切り落とされた。髪に隠れていた目や耳が見える、ミディアムヘアに。
単純に切るだけではなく、ナギトの要望を聞きつつ、長さを調整したり、髪のボリュームを調整したりするのだから、至れり尽くせり。まるでヘアスタイリストのようだ。シエロの機嫌が良いからこそ出来た事で、機嫌が悪かったら酷い髪型にされていた可能性がある、と言うのは後から聞いた話。
泉の水面に自分の顔を映し、上手く整えられて短くなった髪を確認して、感動しているナギト。それを見て拍手しているユヅキや、上手ねぇなんてのほほんと言っているアルバや、楽しそうにナギトの肩の上に移動して尻尾を揺らすセラータが居る。
完全に流れに置いて行かれる形になったミナギの傍らでは、腕と足を組んでふわふわと飛んでいるシエロが、満足そうに笑っていた。
◇ ◆ ◇
それからベル・オブ・ウォッキング魔法学園に帰って、翌日。
五人の小さな精霊達に強引に起こされる形で目覚めたミナギが見たのは、寮の自室の窓に、外が見えなくなるくらいにびっしりと貼り付いた風の精霊達で。
何が起こっているのかと戸惑い、どこに行っても入れ代わり立ち代わり自分に纏わりつく風の精霊達を振り払いながら、なんとかパルス・ウォークスを使って、朝食を食べようと食堂に向かっていたナギトとユヅキを捕まえて、今に至る。
「諦めろミナギ、今日一日で終わればイイ方だと思っとけ」
「はあ!?ってかなんでコイツ等群がってくんの!?」
「そりゃぁ、風の精霊に……それも、風の精霊のトップに人の髪を切らせたんだから。んな突拍子もない事考えるヤツを見たいって集まって来たんだろ。タブン、知らんけど」
「ユヅキさぁん!!」
「ナギトの読み当たってるみたーい!」
ウッソだろ、と。ミナギが叫んだのは言わずもがな。通訳してくれてありがとう、なんてお礼を言う余裕はない。
まあミナギだって、もし仮に精霊の側に立っていたら、誰だそんな提案したの、と興味を持つだろう。持つだろうが、だからと言って数がおかしい。入れ代わり立ち代わり沢山の、大小様々な風の精霊が顔を覗き込んで、そしてお互いに顔を見合わせ何かを話して、また別の精霊の下に行って何かを話す。
未契約の精霊が見えるだけでも視覚的な騒がしさは、筆舌に尽くし難い状態なのだ。もし話す力も持っていたら、もっと騒がしくなっている筈だ。
単なる予想だが、精霊術師としてその力を持っているユヅキの表情を見れば、大体は想像出来る。
沢山の風の精霊達の隙間から見たユヅキは、何やら四方八方から話し掛けられているようで、困り顔できょろきょろしていた。誰から、どこから返事をするべきか迷っているらしい。
アルバも、東屋から少し離れた木の枝に止まっていて、巻き込まれないようにとしていて。
セラータはと言えば、唯一この状況が見えず、聞こえず、わからないナギトの肩の上。長い尾を揺らし、大欠伸。ミナギと目が合っても、一度ゆっくり瞬きするだけ。そんなセラータを肩の上に乗せたナギトも、東屋の柱の一本に背を預け、両腕を組んでミナギを見ているだけ。
「俺は見えないから知らないけど、俺やゆづも昔は沢山の精霊達が見に来たらしいぞ」
「そうねぇ、精霊への接し方がぁ、ゆづ達は今までの精霊術師達とぉ、全然違ってたものぉ。たぁーっくさん集まってたわよぉ」
「じゃあオレだってソレと似たようなもんじゃん!!何が違うの!?水筒の水入れてもらうのと大差ないじゃんか!!」
「諦めろ。諦めた方が早い」
「そりゃアンタは見えてないからイイよ!?でもオレの身にもなってよ少しはぁ!!」
「朝っぱらから元気だなぁ、ミナギは。飯も食ってないのに」
呆れの混じったナギトの声は、ミナギの耳にしっかりと届いて。文句の一つや二つでは足りない、十や二十は言わねば落ち着かないと、風の精霊達を振り払いながら、思い切りナギトを睨むミナギだった。
とは言え、またすぐに別の風の精霊達が顔を覗き込んで来て、ナギトを睨む事が出来たのは、時間にして二秒程度だったけれど。
◇ ◆ ◇
「……才能あるヤツはイイよなぁ、ホンット」
≪珍しいな、お前がそんな事を言うなんて≫
東屋での風の精霊達の一件があった日の、夜。寮の自室で過ごしていたナギトは、ぽつり、そう零していた。
一人で使うには十分過ぎる広さがある部屋の床には、様々な本が散らばり、時には山を作っていて。それ以上に何かのメモ書きや図形が描かれた紙が所狭しと散らばっている。お世辞にも綺麗とは言い難いし、人を招くには向かない部屋だ。
そんな部屋のベッドの上。一目見てかなり年季の入っているとわかる本を見ているナギトの表情は、あまり良いとは言えない。
自然と零れる吐息は重く、吐息と言うよりもむしろため息。
ナギト以外誰も居ない筈の部屋で返される声は、ヴェルメリオのもの。
≪今朝のミナギの事か?≫
「それだけじゃねぇけどな。俺の周りは才能持ってるヤツとか、天才が多過ぎんだよ」
立てた片膝に頬杖を突き、細く長く息を吐くナギト。
左手でヴェルメリオのイヤーカフスを外し、ベッドの脇に置かれた再度チェストの上に置かれた、小物入れ用にしている小皿の中に転がす。パーティ専用の通信アイテム、パルス・ウォークスも一緒に。
耳に着けていない為、ナギトの声がユヅキやミナギに届く事はないが、少しだけ、肌から話しておきたかった。
脳裏に浮かぶ、自分の身近な才能持ちや、天才達の顔は、多い。周りの人間はナギトも天才だと、才能があると言うが、ナギト本人はそうは思っていない。個人的には凡人だとすら思っているくらいだ。
剣が使えるのは、二歳の頃におもちゃとして木剣を渡され、六歳の頃にはクエストに同行して実戦を経験していたから。
魔法が使えるのは、素質があると診断され、保有する魔法属性が闇属性だと知って、扱い方に慣れるようにと六歳の頃には本格的な魔法の練習を始めたから。
他の子供達よりもスタートを切るのが早かった、ただそれだけ。本当に才能があるなら、そこに経験を上乗せすれば、もっと強くなっている筈だ。それこそ、今も現役で冒険者として色々なところからクエストを受けている両親に、負けないくらいに。
まあ、それを言い始めれば基準が高過ぎると言われるのだが、仕方ない。ナギトにとっては、一番身近な存在だから。
魔法剣士の父親と、魔法銃士の母親。そして話を聞く限り胎児の頃から精霊に愛されている、精霊術師のユヅキ。それから、あの人、この人と浮かぶ顔はアッと言う間に十人を越えてしまう。
そして、最後に浮かぶのは――。
「………精霊術師が傍に居る事で、精霊が見えたり話が聞こえたりするようにならないのか、か……。そしたらマジでこの研究も楽になるんだけどなー。て、そもそも俺研究者になりたかった訳じゃねぇわ」
思考の方向性を強制的に修正。
不満を零しながら左手でペシペシ叩くのは、百数十枚を積み上げた紙の束。それは紛れもなくナギトの字で書かれていて、ところどころに修正が入ったり、黒く塗りつぶしていたりと、かなり手が入っている事は見て取れる。
最初は、単純にユヅキの言動をメモしているだけだった。
自分には見えない、聞こえない、わからない、そんな世界を見て、話して、感じ取るユヅキの言動を。幸運にも、幼い頃の自分達の周りには、精霊の事がわからない人達の目から見れば、奇怪ともとれるユヅキの言動を、気味が悪いと言う大人は居なかった。
だからこそユヅキはユヅキらしく育ったが、一歩間違えればミナギのようになる事は、ある程度年齢を重ねてから気付いた。あれは確か、十二歳くらいだったか。気付くには少し遅いくらい。
単なるユヅキの言動メモが、精霊や精霊術師に関わる研究書になるなんて、誰が想像出来るだろう。とりあえず、あの頃の自分は想像出来なかったと、幼い頃の自分を思い出しながらナギトは思う。
まあ誰だって、何がどう転んで人生が変わるかはわからない。想定通り、予定通りの人生なんてありえないのだから。
ナギトの場合、その想定外、予定外がかなり大きく重要なものだっただけ。
≪やりたくないなら止めても良いと言われてるんじゃないか?≫
「ここで終わらせたらそれはそれで落ち着かん。あーーーーーーっ!自分がたいぎい!!」
両手で頭をガシガシと掻き毟り、ついにはベッドの上に体を投げ出す。
ヴェルメリオの言葉も尤もなのだが、悲しいかな、こればっかりはナギトの性分。中途半端なところで投げ出すのは、それはそれで落ち着かない。研究者になりたいと思って、なった訳では無いのに。
もう今日は良いやと見ていた本を手探りて閉じて、ベッドの傍に作ってある本の山の頂上に置く。
紙の束がバサバサと床の上に落ちる音がしたが、もう拾い集めるだけの余力はない。眠い訳では無いし、体力がない訳でもない。単純に言えば、気力がない。
「お休み、ヴェルメリオ」
≪ああ、お休み、ナギト。明日は実戦授業があるんだろう?その時にでも暴れたらいい≫
「あー……八つ当たり付き合え」
≪任せておけ≫
力強いヴェルメリオの言葉に薄く笑いつつ、ナギトはそっと目を閉じた。
床の上に散らばった紙の束の一番上に置かれてた紙には――『精霊や精霊術、および精霊術師における研究報告書』と言う文言と、ナギト・アクオーツの名前が記されていた。
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