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酷熱の時は過ぎゆきて
しおりを挟む私の遺伝子には生まれながらに彼と出会う日が刻印され、そして別離のときも刻印されていた。
が、やがて彼と再会する日も刻印されていた。
当然それは、彼の遺伝子にも刻印されている。
異なる二つの遺伝子は、予告通り定められたときに向かって吸い寄せられ、絡み合う……。
けれど、それを予見する能力は私たちには備わっていない。
【憂愁の地】
仙台駅を出ると、懐かしい風景が一気になだれこんできた。綺麗に整備されたペデストリアンデッキが四方に伸び、その向こう側には、ファッションビルやホテル、オフィスビル等が整然と立ち並んでいる。
この街には悲喜入り乱れた思い出が詰めこまれている。束の間、過去の何もかもが胸中に溢れ出す。ここは、私のもう一つの故郷だと美希は思った。途端に、郷愁がギュッと美希の心をわしづかみにする。
そのとき、美希の視線はある一点に集中する。
ビルとビルの狭間にあるすっかり落葉したけやき並木が、今一斉にオレンジ色の発行体と化したのだ。
この街の象徴であるけやきは年に一度、ちょうど十二月のこの時期に数多のイルミネーションを纏い、最も人々の目を引く存在となる。
点灯の瞬間は、さながら魔法のようだ。
凍てつく外気のせいか、オレンジ色の光は小刻みに震えているように美希の目に映る。灰色にかすむ冬空を背景に、けやきは暮色蒼然とした街を彩るオブジェのようだ。
(きれいだわ……)
十年ぶりに見る光景に、美希は心を奪われた。
突如出現した光の洪水に魅せられ、その場に立ち竦む。まさか、再びこの光景を目にするなんて。
もう一生見ることはないと思ってたのに。
十年前、あのイルミネーションの下で美希は
幸福に身を委ね、その幸福の先にあるものを渇望していた。そのとき、美希の隣で手と手を絡ませていたのは……。
眠りの底に閉ざされていた記憶がゆるゆると覚醒し、悲劇的な過去が美希の胸を鋭くえぐった。
と同時に心の奥底にあるざっくりと切り刻まれたままの傷跡がじくじくと疼きだす。
そして気づく。その傷跡は十年もの間、絶えず血を流し続けていたのだと。今やその痛みは美希の胸を真っ二つに切りさく。やがて痛みはある真実へと導く。
(私は今でも、彼を愛している)
次の瞬間、美希は目を閉じ昔の恋人の名を呟いていた。
「尚人……」
昔の恋人の名を声に出した途端、吹き寄せる木枯らしが口元から掬いとり、いずこともなく奪い去っていった。
ただ切なさだけが残り、美希は今にも泣き出しそうになる。
だから、仙台なんて来たくなかった。仙台という地名を聞くだけで穏やかではいられなくなるのに。彼が住む思い出の詰まった土地なんて、二度と立ち入りたくなかった。他人に触れられたくもなく、ましてや自分でも決して触れたくはない彼との過去を思い出すのは予測できたはずなのに。
そのとき、一陣の風が横切り、美希の髪をさっと
かき乱した。その冷たさに首を竦め、マフラーに顔をうずめる。そして、長いこと立ち止まっていたことに気づくと、駅に向かう人々の流れに逆らうように、足早にその場を離れた。
辺りはいつの間にか夜のとばりが支配し始め、そのせいかイルミネーションはより一層際立ち、
燦然ときらめいて見えるのだった。
予約していたホテルに到着し客室に入ると、
美希は重いバックを床に置き溜め息をもらす。
簡素な、実用性だけを重視して造られたかのような狭いシングルルームだ。ビジネスホテルはたいがいこのような造りなのだろう。
美希はベッドに腰を下ろし、バックの中から必要な物を取りだす。それから、明日の直美の披露宴に出席するために用意したシルクのワンピースを取りだし、皺が寄らないようハンガーに掛ける。
そこで美希はふと考える。直美は明日の結婚を控え、今何を思っているのだろう。
直美は美希が仙台で働いていた頃の同僚で親友でもあった。美希が秋田の実家に戻ってからは会うことはなかったが、お互いに電話や年賀状のやり取りだけは続いていた。
美希と直美はともに三十五歳という同年齢であり、結婚は美希の方が早かった。その時美希は
三十歳を目前に控えた微妙な年齢であり、いわゆる結婚適齢期というものは過ぎていたのかもしれない。当時、直美は結婚に対し、実に冷めた見解を示していた。特別な男性が現われなければ、一生独身を貫いても構わない、結婚が幸せの対象とは思えないのだと。
人それぞれ何を幸福と思うのか、千差万別なのだろう。だから、直美の意見に異を唱えるつもりはなかった。
ところが、直美は女の幸せは結婚にのみ見いだされるという普遍的な考えに落ち着いたのだろう。
直美から電話で結婚の報告を受けたのは、今から数ヶ月前のことだ。
直美の夫となる人は離婚歴のある四十七歳、
しかも子連れだという事実に、美希は少なからず驚いた。きっと、三十五歳という年齢に焦りを感じ、どこかで妥協したのではないかと勝手に推測した。
けれど、直美はこう言ったのだ。彼とは運命的な出会いだと。それはまるで、恋に恋する少女のような口ぶりだった。
運命、美希はその言葉に嫌悪すら感じた。
なぜなら、自分の結婚を運命的だと思ったことなど一度たりとてなかったからだ。
五年前、夫である真一と見合いをし、短期間で結婚に至ったのだが、自分がなぜ真一を伴侶に選んだのか、このごろ疑問を抱くようになった。
現在自分の置かれている境遇に釈然としないのだ。到底自分の居場所だとは思えない。
いや、ここにいるべきではないと。
当時、女が幸福を得るためには結婚しかない、
それ以外にないのだと信じて疑わなかった。
だから穏やかで実直そうに見えた真一に結婚を申し込まれたとき、多少の迷いはあったが承諾した。そのとき美希の決心を後押ししたのは友人たちの言葉だ。
「そもそも、一番好きな人とは結婚できないのよ……」
その言葉を美希は天啓のように受け止めた。
恋は燃え上がるほど、色褪せるのが早いだろう。
劇的な恋愛の末に辿り着いた結婚は、倦怠が訪れるのも早いはず。夢見心地の日々はただの日常と成り果てる。やがて恋愛感情は時の流れにさらわれ、かつて恋人だった男性は、単なる同居人と化すのだろう。だから最愛の男性より、むしろ真一の方が伴侶としてはふさわしいのではないか。
夫となる人に期待や幻想を抱かなければ、例え幻滅させられることがあったとしても、さほど気にならないだろう。当時はそう思った。
でも、果たしてそうだろうか。
一生一人の男性としか添い遂げられないのなら、
全身全霊で愛した人を伴侶とするべきだ。今は
そう思えてならない。
結婚してみると、真一はこれといった趣味もなく、実につまらない男であることに気づいた。
新婚当初、家事の役割分担を提案するとあっさり否定され、そのくせ家事全般に対しいちいち口出しする。結婚前は何事にも大らかに見えたのだが、まるっきりの思い違いであることが分かった。
もはや、真一との生活には何もない。夫であるという認識すら薄らいでいる。結局、結婚は幸福の形とはいえなかった。それは美希にとって大きな誤算であった。
そして、自らの胸に問いただす。私にはもう、
真一に対してひとかけらの愛情も残っていないのではないかと。いや、そもそも愛や好きという感情など、初めからなかったのかもしれない。
私は取り返しのつかないことをしてしまった?
五年前、独身でいることに焦りを感じ、安易に結婚に踏み切った自分が愚かに思えてならない。
直美の言う運命的な出会い、そう思えるのは過去にただ一人存在した。
その人の名は尚人……。
美希は一つ深い溜め息をつくと、窓辺に近寄り
ホテルの前の通りをぼんやりと見下ろす。
そこも、燦然と輝くけやきで埋めつくされていた。繁華街とあって大勢の人々が行き交い、
中には立ち止まってイルミネーションを見上げているカップルもいる。その表情はここからでは判然としないが、きっと恋人とともに幸せそうな笑みを交わしているはず。
すると、美希はこの狭い客室に一人でいる自分が酷く孤独に感じられ、寂寥感が足元からじわじわと這い上がり、やがて全身に広がってゆくのだった。
人々も道路を行き交う車も、途切れることなく
眼下を通り過ぎてゆく。
それらを眺めているうちに、美希はあることに気づき、瞬間息を呑む。
この師走の光景の中に、ある可能性が秘められているのだと。つまり、人々や幾多の車の中に尚人がいるかもしれないという可能性だ。彼がまだ
この街に住み続けているのなら、当然ありうることだ。そして、彼の隣に見知らぬ女がいるという可能性も……。
妄想が胸をきりきりと締めつける。美希は居たたまれず、ベッドに俯せる。
この街のあらゆる物が美希の目に残酷に映り、
そして苦しめる。
もし仮に、今回のように仙台に来る機会がなかったとしても、日常の中でふと、尚人を思い出す瞬間が今までにも幾度かあった。結局、何年経とうが、どこにいようが、過去はなくならない。
過去を消してしまいたくても、過去は歴然として
あり続けるのだ。
不意にベッドサイドにある電話のベルが、静寂を切りさく。深く物思いに沈みこんでいた美希は
我に返る。
さして急ぐ風でもなく、気怠げに受話器に手を伸ばす。
「もしもし……」
「いるなら早く出ろよ」
不機嫌な声が耳元を突き抜ける。真一だ。
彼の刺々しい口調が神経を逆撫でする。途端に美希は憂うつになる。なぜ彼はこんな嫌な口調でものを言うのだろう。
「いきなりどうしたの?」
さり気なく声に嫌悪感を匂わせる。
「あれ、クリーニングにだしてないじゃないか」
「あれって、何よ」
「礼服だよ」
真一は相当頭に血が上っているようだ。
彼の乱暴な口ぶりから、そう察する。
美希はベッドから身を起こすと、
「ごめん、忘れてたわ」
と、この場をとりなすように、表面上素直に謝ってみせる。
「前から頼んでたじゃないか。前回夏に着て、汗かいたからって」
そういえばそのうちクリーニングに出そうと思いつつ、すっかり忘れていた。
「でも、そんなことでわざわざ電話してきたの?」
美希は眉をひそめる。何やら厄介な事態に進展しそうだ。
「明日、急に必要になった。取引先の通夜に呼ばれてるんだ」
「そうだったの……」
「全く、明日どうすればいいんだよ」
「そのまま我慢して着るしかないでしょう」
「嫌だね、だいいち気持ち悪いよ」
「だって、仕方ないでしょう」
もう、うんざりだった。強引に電話を切ってしまいたいという衝動に駆られた。
「仕方ないって、開き直るのか?」
電話の向こうで毒づく真一は、ただうっとうしいだけだった。次第に頭が痛くなり、美希はこめかみに手を当てる。鈍痛に耐えながら、今自分がいる場所を確かめるかのように、室内を眺め回す。
非日常の中で湧き上がる感傷は甘美で切なく、
それに浸る自分に陶酔していたのに、突如その心の領域にずかずかと割りこんできた真一に憎しみすら感じる。
「そっちは旅行気分で楽しいだろうな。でもこっちは仕事の後もその付き合いで大変なんだよ」
怒りのせいか真一の声が一段と高くなる。
鼓膜が痺れる。その痛みに美希は眉を寄せ、
受話器を耳から離す。
今、二人は何百キロという距離で隔てられているのにもかかわらず、実際に目の前で口論しているかのような錯覚に捕らわれる。
もうどうでもよかった。くだらない言い争いに神経を磨り減らしたくなかった。
「結局、どうするのよ」
投げやりな口調で美希は言う。
「どうするだって? 礼服はあれしかないんだから、それを着るしかないだろう。全く、もういいよ。まあ、君は思う存分遊んでくればいいだろう」
次の瞬間、鋭い衝撃が耳をつんざき、びくっとする。受話器を落としそうになり、そして唐突に電話が切られたことに気づく。いったい、真一はどれだけ力を込めて受話器を叩きつけたのだろう。
気分は最悪だった。自分に非があることは認めるが、もう少し穏やかな物言いができないものだろうか。少しでも気に入らないことがあると、真一はいつもこうだ。人を嫌な気分にさせることに、たけているとしか思えない。
そんな中、唯一美希を救ったのは、今日と明日は真一と顔を合わせなくてもいいということだ。
でも、明後日には二人が暮らすあの家に帰らなければいけない。いや、そもそも帰る必要などあるのだろうか。
このまま、日常から逸脱してしまえたらいいのに。そう、何かきっかけさえあれば。
女としての魅力が私に残されているうちに。
でも、それはあとどれくらい残されているのだろうと思うと、焦りさえ感じる。
それでも全くの未知である未来に、美希は幾ばくかの希望を見いだそうとした。
けれど、未来はあまりにも漠然として、実体の伴わない幻想にしか思えないのだった。
【再会】
結婚式場のあるフロアは、振り袖や色とりどりのフォーマルウェアーで着飾った人々で溢れていた。そのほとんどが、晴れの日にふさわしい笑顔を振りまいている。
美希はそれらの光景を目にしながら、受付のあるカウンターへと向かい、順番待ちの列に加わる。
隣の宴会場では、よその披露宴が行われているらしく、人々の楽しげなさざめきがドアの外まで
漏れている。
あの中で祝福されているのは、いったいどんな
カップルなのだろうと美希は考える。
少なくとも私と真一より幸せに違いない。
そう考えると羨ましさでいっぱいになり、見知らぬ男女にわけもなく嫉妬した。
美希はやり場のない虚しさを感じながら受付を
済ませると、直美の控室へと向かった。
ドアを開けた途端、美希は思わず息を呑んだ。
純白の打ち掛けを纏った直美は楚々たる風情に包まれ、その凜とした表情は何とも言えぬ奥ゆかしさを醸しだしている。
「直美、綺麗……」
「ありがとう」
美しく化粧を施された直美は、幸福と緊張の入り混じった笑みを湛え、普段の彼女とは違った内面からの輝きに溢れている。まさに花嫁そのもの、
だった。
(直美、すごく幸せそう……)
すると、だしぬけに先刻と同じ嫉妬の感傷が頭をもたげ、直美の笑顔から目を逸らす。結局、自分と真一以外の夫婦は、皆幸福に見えて仕方ないのだ。
「美希、あまり変わってないね。真一さんとは仲良くやってる?」
美希の心のうちなど気づくはずもなく、直美は屈託のない笑顔で尋ねる。
「ええ、まあ何とかね……」
美希は適当に相づちを打つ。
久しぶりの再会でひとしきりお喋りを交わしている間に、披露宴の時間が迫ってきた。
美希は控室を後にすると、化粧を直すためにパウダールームへと向かった。スツールに座ると、 薄幸な面差しの女が鏡の中から虚ろな眼差しを向けてくる。これが今の私……。
そういえば最近、笑うことも泣くことも忘れてしまったようだ。いったい、いつから?
(私はただ人並みの幸せが欲しいのに、なぜそれが手に入らないのだろう? そんなに難しいことなのだろうか)
そのとき、高らかな話し声とともにパウダールームのドアが開いた。振り袖姿の女性が二人、
頬を紅潮させながら洗面台の前に立った。
会話の内容から、二人は同じフロアで行われている披露宴の招待客であることが分かる。
興奮気味に話す二人の会話に、美希は眉をひそめる。聞くつもりはないが、自然と話の内容が耳に入る。女性達は新婦のドレスについて、盛んに批評していた。
「マユミもやっと長い春が終わったのね」
「そうね、ナオトさんと十年も付き合ってたのよね」
女性が口にした名前に美希はハッとする。
(ナオト、今確かに女性はナオトと言った。はずだ。まさか、私が過去に愛した、あの尚人?
今、別の会場で行われている披露宴の新郎が
あの尚人だとしたら、今日彼は私の見知らぬ女と永遠の誓いを交わした、ということ?)
嫌だ、許せない。そんなことはあってはならない。過去に私を捨てた恋人から、なぜ今になって再び理不尽な仕打ちを受けなければならないのか。
でも、と、そこで一旦冷静さを取り戻す。
こんな偶然がありうるのだろうか。まるで仕組まれたかのように直美と尚人の挙式が同じ日に重なるとは、あまりにもできすぎている。
ナオトという名前だけで、あの尚人と決めつけるのは早い。
気がつくと、辺りはしんとしている。いつの間に出ていったのか、女性達の姿が消えている。
そうだ、と美希は声に出して立ち上がる。
この目で確かめるのだ。ナオトがあの尚人かどうか。
美希は全身でドアを押し開け、パウダールームを飛び出した。
まず、隣の会場の前に掲げられている両家の姓を確かめるのだ。でも、それはとてつもなく恐ろしいことでもあった。事実を知りたい、でも知りたくないという二つの感情がぶつかり合う。
美希は目を伏せたまましばし立ち竦んでいたが、
やがて覚悟を決めると正面に目を向けた。途端に視線が釘付けとなる。
「三島」そこには三島という文字が巧みな筆遣いで認められている。紛れもなく尚人の姓と同じだ。そしてその隣には三浦というごくありふれた姓が、行儀良く並んでいる。
美希は訝しげに会場のドアを見つめる。
(この中に、あの尚人がいるのだろうか?
でも、やはりこんなこと、ドラマや映画じゃあるまいし、きっと別人に決まっている)
そう思ってはみたものの、この中で皆に祝福されているのが尚人かどうか確かめないことには、とてもじゃないが落ち着いて直美の披露宴に出席する気分になどなれない。
不意に、美希の周辺で歓声が上がった。振り向くと、幾人かの人々が溜息をもらし、皆一様にある方向を注視している。それにつられるように、
美希も同じ方向に目を向けた。と同時に、心臓がどくんと跳ね上がった。
白のタキシードと淡いカクテルドレスに身を包んだ新郎新婦が、今まさにこちらに向かってくるところだった。
(まさか、あのタキシード姿の男性が、尚人?)
素敵ね、と周囲の人々が囁く中、美希は予期せぬ光景に目を奪われ、一人呆然としていた。
そして、次第に近づいてくる二人を瞬きもせず見つめる。
さあ、落ち着いて。そう自分に言い聞かせ、
深々と息を吸うと、ゆっくりと吐きだす。
(あの男性は尚人ではない。きっと別人だ)
新郎新婦は人々に注目され、はにかみながらも
幸せそうな笑みを交わし、静々とこちらに近づいてくる。オーガンジーにビーズ刺繍をちりばめたドレスの衣擦れが、一段高く大きくなる。
やがて、顔を判別できるほどの距離になった、
そのとき、心の奥底にある傷跡が、ずきんと疼いた。
新郎の顔を目の当たりにし、美希は危うく声を上げるところだった。
忘れもしない。いや、忘れるわけがない。
新郎は、かつて私が愛した男、尚人に酷似している。いや、尚人本人と断定してほぼ間違いない。
昔より多少頬がふっくらとしているが、見間違えるはずがない。
(いったい、これは、現実の出来事……?)
人は突拍子もない光景を目にした時、それをすぐさま容認し、解釈できるものなのだろうか。
美希はこの光景を即座に許容できるほどの余裕などなかった。実際、こんなことが目の前で繰り広げられていいはずがない。要するに、美希はこの現実を認めたくなかった。
(なんて残酷な巡り合わせ。なぜ、今ここで再会しなければいけないの?)
尚人と女はお互いの瞳を覗きこむように、秘密めいた微笑みを交わし、特に女の方は今が幸福の絶頂とでもいうように、その眼差しは完全に陶酔して見えた。
得も言われぬ嫉妬がムラムラと湧き起こり、美希を激しく揺さぶる。
(そんな目で、慈しむような目で隣の女を見ないで、私はここにいるのよ)
そう叫んで彼の元に駆け寄り、あの女から強引に引き離し奪い返したい。
如何ともしがたい怒りが、体の奥から溢れ出す。
美希の瞳は燃え上がるような嫉妬を孕んだ。
やがて、尚人と女は会場のドアの前で一旦立ち止まり、彼らを誘導する係の者がドアを開けようとした。その刹那、不意に、本当に不意に、尚人は美希のいる方角に顔を向けたのだ。と同時に二人の視線が絡み合う。
たちまち、むせかえるほどの切なさが美希の胸を痛いほど締めつける。
最初、彼には表情というものがなかった。自分を見つめる女が誰であるのか、記憶を手繰り寄せているかのように。でもそれもほんの束の間で、
直ちに驚きの様相を帯びてくる。
彼の目は大きく見開かれ、美希に語りかける。
なぜ、ここにいるのかと。
これは偶然、いえ、必然的に私は今日、この場所に来たの、と目で訴える。
えっ、何? 彼は問いかける。
だから……と、美希は次の言葉を探す。
そう、今日尚人と再会するために、私はここにいる……
すると、彼の眼差しに凛然とした力が込められ、
美希は束の間、射竦められる。
もっと、私を見て、もっと、そのまま目を逸らさないで……
瞳で交わす秘密の交信に、美希はほとんど陶酔していた。
だが、そこで二人の視線の探り合いは、非情にも断ち切られる。係員に声をかけられた尚人はそちらに向き直ると、誘導されながら会場の中へと移動し始めた。
(だめ、行かないで、行ってはいけない。尚人の未来にあの女が入り込む余地などない)
やがてドアが閉まり、視界からふっつりと彼の姿が消えると、にわかに現実味が薄れてゆく。
それでも今しがたの残像が、美希の目蓋にしばらく揺曳し続けるのだった。
人々の哄笑や、グラスや食器の触れ合う音が騒然と響き渡る中、美希は俯き先刻までの光景を何度も思い返す。会場全体が和やかな空気に包まれ
披露宴特有の幸福感に満ち、皆それぞれに食事や会話を楽しんでいるのに、美希はそれに馴染むことができず疎外感がつきまとう。
今、切実に思う。
(尚人に会いたい。会って話がしたい。それができるのは今日しかないのだ。こんなチャンスは
もう二度と巡ってこないだろう。だから、今日中に彼に会わなければいけない。私の存在を彼に知らしめなければならない。どれほど歳月が過ぎたとしても、どれだけ離れていたとしても、確かに私はこの世界で生きているのだと)
もう、限界だった。このままじりじりと時間だけが過ぎてゆくのは耐えられないことであった。
ついに、美希は決断を下す。
静かに席を立つと、目立たぬようゆっくりとした
足取りで会場の外へと抜け出した。
直美の披露宴を途中で抜け出すのは気が引ける。
でもそうしなければ、必ず後悔する。直美には後で丁重に謝るしかないだろう。
美希はすぐさま隣の会場へと向かった。
嫌な予感がした。会場のドアが開いている。
宴会が催されている気配など感じられない。
中を覗いてみると、従業員たちが後片付けに追われている。
いったい、披露宴が終わってからどれくらい経ったのだろう。尚人はまだこのホテルのどこかにいるのだろうか。いるとしたら、控室か、それとも
ロビー?
いや、考えている時間などない。早く、彼を探さないと……。
エレベーターに駆け込み、美希は束の間の思案の後、一階のボタンを押した。
一階に到着し、扉が開くと同時にエレベーターを
降りると、ロビー全体を見回した。辺りは披露宴の招待客らしき人々で溢れかえっている。
これではすぐに尚人を見つけ出すのは困難かもしれない。いや、その前に彼がロビーにいるのかさえも分からないのだ。
それでも美希は心を奮い立たせる。そして、期待をこめて擦れ違う人々の顔を慎重に見て回った。
だが、そのなかに尚人の姿はなかった。
見当違いだったかしら? 別のフロアを探すべきなのか。
いずれにしても彼に会うまでは、このホテルから動くつもりなど美希にはなかった。
でも、と一旦冷静さを取り戻す。彼に会えたとしても、それで何かが変わるのだろうか?
私も彼も、結婚という檻の中に閉じ込められている。それから開放される余地などあるのかさえも分からないのに。
ひとまず、美希はロビーに設置されているソファーに腰を下ろす。行き交う人々に注意を払いつつ、意識は自然と十年前へと遡る。
日ごろ、あの当時の記憶をなぞることだけは極力避けてきた。過去を振り返ることは何の意味も持たず、ただ傷心を持て余すだけだった。だが、
尚人を目撃したことが契機となって、嫌でも思い出してしまう。
尚人は美希にとって、初めて心から愛した人だった。それまで宿命と言える出会いというものは、一生の中で果たして起こりうるものなのだろうかとどこかで疑っていたのたが、尚人と巡り逢えたことで、それはすっかり払拭されることとなった。そして瞬く間に彼は美希の心を占領し、他の男性が入り込む隙など微塵もなかった。
時間は常に彼を中心に回っていた。
また、それまで勝手に思いこんでいた愛というものに対する概念は、ことごとく覆されることとなった。愛は人間の感情の中で最も奥深く清廉であり、無償であって決して利益を求めることではないということに気づいた。
そして、全てを忍んで耐えるという苦しさも。
この恋を最後の恋にしたいと思った。また、そうなるはずだった。
だが、幻想に終わることとなった。尚人に別れを告げられたのだ。原因は、美希の過ちがその後の悲劇を引き起こしたのだ。
当時、彼は社会人となったばかりで、本社のある大坂で研修のために二ヶ月ほど合宿生活を送ることとなった。それまで毎日のように彼と会っていた美希にとって、二ヶ月という期間は酷く長く感じられた。彼の不在は寂しさを通り越して絶望的なことであった。
だから同僚である一人の男性に思いがけず好きだと告白され、孤独を紛らわすことができるならと、美希はその男性に誘われるまま一夜を共にするという過ちを犯してしまったのだ。
この一件はなぜか尚人の知るところとなった。
美希がしまい忘れていた日記を彼が読んでしまったのだ。美希は日記に同僚の男性からの告白や、
その後の一部始終を書き綴っていたのだ。
迂闊だった。たまたま日記をしまい忘れたことを、美希は大いに悔やんだが後の祭りだった。
その後、尚人の信用を取り戻すことは容易ではなかった。美希は深く反省し、二度と同じ過ちを犯さないことを誓った。彼は一旦は了承したものの、結局は最後まで不信感を捨てきれずにいた。
ただ一度の過ちが、ぐずぐずと尾を引いたのだ。
二人の信頼関係は徐々に失われつつあった。
やがて彼は別れ話を仄めかすようになった。
彼を失うことは生きる意義を奪われることでもあった。美希は何度も許しを乞い、彼を説得することに腐心した。自業自得と簡単に引き下がることなどできるわけがなかった。
だが彼の決心は固く、揺らぐことはなかった。
そうして二人が築き上げてきたものが、音もなく崩れ去っていくのを黙認せざるをえなかった。
やがて彼は少しの未練も見せず、颯爽と美希の前から去って行った。憎らしいほど、実に鮮やかな去り際だった。その潔さの裏には、彼の前に忽然と現れたある女の存在があった。
そこでふと、パウダールームで耳にした会話が蘇る。「長い春……」もしかしたら女性達が口にしていたマユミという名の女は、十年前尚人の前に現れた女? そうだ、きっとそうに違いない。
(十年前、もしその女が現れなければ、私達は別れなくてすんだのだろうか?
今思えば、彼の愛情は本物だったからこそ私の
裏切りが許せなかったのかもしれない)
ほどなく意識が過去から戻ると、あれほど混み合っていたロビーはいつの間にか空いている。
すると、ちょうど一台のエレベーターの扉が開き、幾人かが降り立つのが視界に入った。
その中の一人の男性に、美希の目は吸い寄せられた。
尚……人?
ツイードのような生地で仕立てられた、ダークブラウンのスーツを着込んだ男性は、辺りに視線を配りながらこちらに近づいてくる。その仕草は誰かを探し求めているようにも見える。また、心なしか焦りの色がその表情に垣間見える。
美希は男性の視界に触れさせようと、ソファーから立ち上がろうとした。だが意志に反して、体がいうことをきかない。身動きすらできずに、次第に迫り来るその人物をただ見据えていた。
尚人であってほしい……。
そのとき、男性の視線がひたと、美希の顔に当てられた。
やはり……。もはや、疑う余地などない。
男性の、尚人の顔にたちまち安堵の色が広がり、
次第に穏やかな笑みへと変化する。
それはごく自然と湧きでたような笑みだった。
過去のわだかまりは、彼の中で全て消化されたのだろうか。十年の歳月が私の罪を全て洗い流したと考えていいのだろうか。だから、私が彼を探し求めていたように、彼もまた、私を……?
それよりまず、最初に何て言えばいいの?
適当な言葉が見つからない。
そうしている間に、尚人は美希の前で立ち止まる。
息を潜め、彼を見つめる。
「美希、だよね?」
彼が問いかける。美希は彼を見つめたまま、無言で頷く。すぐには言葉がでてこない。
今、自分の身に起きていることが、到底現実のこととは思えない。でも、確かに彼は目の前にいる。ほんの少しはにかみ、控えめで親しみの込もった眼差しを向けてくる。
それは、十年前初めて彼と出会った場面を彷彿とさせた。その瞬間が、さっと蘇る。お互いを唯一無二の存在だと確信したことを。そして気づく。
十年経った今も、彼を愛しているということに。
「すごい久しぶりだね。何年ぶりかな?」
真っ直ぐに注がれる彼の眼差しに、美希の胸が高鳴る。頬が熱くなり、くらくらとした目眩にも似た感覚を覚える。
「もう、十年経ったわ」
美希は喉の奥から、ようやく声を発する。
「十年か、でも驚いたよ。美希がこのホテルにいるとは。誰かの披露宴に呼ばれてたの?」
「ええ、昔の同僚が結婚したの」
「そう、でも懐かしいね。さっき美希を見かけてから、ずっと探してたんだ。話しがしたくて」
尚人の熱を帯びた視線に晒され、息詰まるほどの胸苦しさにまともに目を合わせることができず、
美希は一時目を伏せる。
「私も探してた。会いたかった。でも、できれば尚人が結婚する前に再会したかった」
瞬間、彼の目の奥に暗い影がよぎるのを、美希は見逃さなかった。
「美希だって、もう結婚してるんだろう?」
束の間、美希はためらう。真実を告げるべきか否か。だが既に、彼の目が自分の左手に注がれていることに気づく。何げなく結婚指輪をはめていたことを、少しだけ後悔する。
「ええ、もう五年になるわ。でも本当は」
そこで一旦、口を噤む。
何? と彼の眼差しが続きを促す。
「本当は、私、尚人と結婚したかった」
彼の両の瞳が揺れ動く。その意味は咄嗟には読みとれない。
「美希、過ぎてしまったことは仕方ないよ」
彼は目を落とし、美希の隣に腰を下ろす。
そのとき、彼の匂いが、した。
昔、彼が愛用していたシトラス系のトワレと
衣服から発せられる煙草の匂い。それらが一体となり、美希を狂おしくさせる。
懐かしかった。尚人の匂いに包まれただけで安堵し、快い眠りに導かれた日々が思いだされ、
もう一度彼に抱き締められたいと強く思った。
「僕は妻を愛しているし、美希だって旦那さんが好きだから結婚したんだろう?」
美希は、そっと彼の横顔を盗み見る。彼の台詞に反感を覚えた。聞きたくなかった。今ここで言うべき言葉ではないと思った。
「世の中には、相手がそんなに好きじゃなくても
結婚する人だっていると思う」
「まさか、美希がそうだっていうんじゃないよね? そういうの、僕には理解できないな」
彼は、やや軽蔑の込もった目を美希に向ける。
二人は少しの間、黙り込む。やがて、沈黙を破るように彼が口を開く。
「ところで、美希、今どこに住んでるの?」
「秋田に戻ったの。尚人と別れてすぐに」
「そうか、だから電話しても通じなかったんだ」
意外だった。尚人の去り際からは、私への未練のかけらさえ窺えなかったのに。
「電話、したの? どうして?」
彼は、ふっと表情を和ませると、言葉を継いだ。
「僕が美希を一方的に振ったから、しばらくしてから気になって電話したんだ。どこに引っ越したんだろうって思ったら、何だか寂しかった」
だったら、私の罪を許してくれたら良かったのに。そして私とやり直してほしかった。そう言って彼をなじりたかった。
でも、私はあっけなく忘れ去られたわけではなかった。私の存在が彼の中に居座り続け、彼を切なくさせていたと考えていいのだろうか。
「私も、尚人と別れてしばらくしてから電話したの。もう通じなかったけど」
彼はどこか遠くを眺めるような眼差しで、じっと耳を傾けている。
「でも、そんなことはもうどうでもいいの。
こうしてまた会えたんだから」
尚人がそっと手を差し出し、美希の両手をしっかりと包み込む。彼の手の温かさ、その温もりに胸の奥がじんと疼いた。
「ねえ、美希」
彼はちらっと腕時計を覗き、言いかける。
「もう、そろそろ行かなければいけない」
彼の一言が、再会の喜びの一時から現実に引き戻す。
「誰かに見られると、まずいしね」
尚人は警戒するように周囲を窺う。
彼の言葉は、少なからず美希を不快にさせた。
そう、結局はこういうことなのだ。
彼にとって他の女と会っている場面を目撃されることは、絶対にあってはならない。つまり、こうしていること自体タブーなのだ。
すると、彼を困らせてやりたいという抑えがたい衝動が湧き起こった。
今すぐ彼に抱きついて、行かないでと周囲を憚ることなく叫べたらいいのに、と。
だが、そんな勇気は持ち合わせてはいなかった。
「ねぇ、私達、もう会えないの?」
尚人の手を強く握りかえすと、縋るような視線を
彼の横顔に当てる。
「電話するよ」
電話? 彼の一言が、美希を絶望の一歩手前から救い上げる。
「番号、教えてほしい。平日の日中なら大丈夫だよね?」
美希は頷くと手帳を取り出す。
電話番号を書き留め、そのページを破り取ると彼に手渡す。
「いつ、電話してくれるの? どれくらい待てばいいの? それを教えてくれないと不安だわ」
「落ち着いたら、必ず……」
でも、いったいなぜ? 電話をするという尚人の意図は……。
その答えを美希は彼の目の奥から探ろうとする。
ただ、名残惜しいだけなのか。
再会を今日一日限りの再会で終わらせたくないのか。それとも十年もの間、私への愛情が消えずに残っていたのか。
「じゃあ、もう行くね」
時間がなかった。尚人の真意を見極めるには時間が足りない。
「電話、待ってるから」
美希は、これで見納めとばかりに早くも潤み始めたひたむきな眼差しを、真っ直ぐ彼に向ける。
尚人は身じろぎもせずそれを受け止め、誠意を感じさせる眼差しを長いこと美希の顔に当てた。
束の間、切なさに胸が押し潰される。
「じゃあ、また……」
尚人の声のニュアンスに、単なる別れ際の常套句ではなく、二人の間に何かが芽生え始めた気配を言外に感じとる。
それはこの再会には続きがあり、今日の出来事はその予告であって、未来に繋がる可能性を秘めているということ?
彼は最後に名残惜しい一瞥を美希に与えると、
背を向け足早に歩み去って行った。
去り行く彼の背に、美希は視線をひたと貼りつける。
また、恋が始まるのだろうか?
いや、もう尚人に再び恋をしている。
昨日までは残りの人生にもう何の可能性も見いだせず、生きる意味さえ失いかけていたのに、今日突然恋という予期せぬ可能性が私の身に舞い降りた。
でも、その恋の行方は?
それはあまりにも漠然としていた。
お互いに伴侶を持つという事実が、苦難に満ちているであろうことを想像させる。
やがて、尚人がエレベーターに乗りこみ美希の視界から消え去ってしまうと、一瞬にして堰を切るように寂しさが押し寄せてくる。
明日には尚人のいる仙台を離れ、あの無味乾燥な日常の中へと帰らなければいけない。
それは、幸福な長い夢から覚めた後の、あの空虚な心地に似ているのだった。
【密通】
仙台から戻ると、美希は尚人からの電話をひたすら待ち続けた。気づくと、頭の中がいつも彼のことで埋めつくされている。
最初は気乗りしなかった仙台行きだった。
直前まで心の葛藤が絶えることなく、キャンセルしようかとまで考えた。でも、今は行って良かったとつくづく思う。
結婚してからというもの、ドラマや映画のような突拍子もない事態が自分の身に起こることなどありえないと思っていた。というより想像することすらできなかった。
あの尚人との邂逅の一部始終は無意識のうちに、
日に何度も目蓋に蘇る。そのたびに、ぞくぞくするような陶酔感に美希は身を委ねた。
彼の声、表情、仕草、それらを思い浮かべると喜びで胸が高鳴るのだが、その後決まって胸が潰れるほどの切なさに苦しめられる。すると、もう何も手につかなくなり身動きすらできず、しばらく彼の面影を抱き締めるしかなかった。
やがて目の奥が熱くなり、ギュッと目を閉じる。
彼の幻影に翻弄され、溜息がもれ、涙が視界を塞ぐ。それは日を追うごとに増してゆくのだった。
真一が傍にいるときでさえ溜息がもれ、そのたびに彼を窺うのだが、気づいているのかいないのか美希にちらと目を向けることもなく、声をかけてくることもなかった。それだけ妻という存在は興味の対象からはずれているのだろう。
何しろ夫婦でありながら、お互いに用があるときだけしか相手に目を向けないのだから。
それは必要最低限に止められた。
けれど、むしろその方が美希にとっては好都合であった。胸が掻き毟られるほどの切なさに悶えながらも、恋をしているという状況に酔いしれ、
とっぷりと身を潜めていられるからだ。
やがて日が経つにつれ、美希は次第に不安になった。
(なぜ、尚人は電話をかけてこないのだろう。
あのとき彼もまた再会に酔いしれ、お互い別々の場所に帰らなければいけないことをわけもなく
理不尽に思い、それで思わず電話するなどと口走ったのだろうか)
それでも、尚人の約束に縋り付くよりなかった。
常に携帯電話が鳴る瞬間を待ち構えていた。
今にでも鳴りだすのではないかと、その瞬間を想像する。でも、その瞬間は一向に訪れない。常に期待と落胆が混在していた。
すると、尚人の姿が目に浮かぶ。今、彼はどこで何をしているのかと。会いたくて、声が聞きたくて、それが叶わず身悶えしている間に、彼は妻に優しい言葉を囁きかけているのだろうか。
日ごとに美希の希望は失われていった。
携帯電話は本来の役目を忘れてしまったかのように、幾日も沈黙を保っていた。
なぜ尚人は電話をかけてこないのかとしきりに考え続け、次第に彼に何かを望んだ自分が愚かに思えてくるのだった。そう思い始めた矢先のことだった。ほとんど諦めかけていた尚人からの電話が、美希を絶望の淵から救ったのだ。
「会いたい」
彼のその一言が美希を狂おしくさせた。一旦消えかけた情熱を再び掻き立てたのだ。
今、私達は思い出の場所で、向き合っている。
ここは、尚人と初めて一夜を明かしたホテルの一室であり、そのときも今と同様に極度の緊張のせいか二人とも無口であったことを思い出す。
室内の様子も昔と何ら変わりはない。
こういったホテルにありがちな淫靡な雰囲気は微塵も感じさせず、余計な装飾もなくごくシンプルにまとめられている。
先日、尚人は電話で秋田まで会いに行くと言ったのだが、美希は仙台で会うことを提案した。
彼との思い出の場所を辿ってみたいという思いがあったからだ。
それより、このむせ返るほどの胸苦しさは何なのだろう。室内に足を踏み入れた瞬間からそれは続いている。恐らく、私達のいる場所が外から完璧に遮断された一分の隙もない密室であるということと、その密室に自分が閉じ込められている、
彼に捕えられているという感覚のせいなのかもしれない。
物音一つしない静寂の中、お互いの息遣いが手に取るように感じられる。
美希は言うべき言葉を探し始める。
すると、ソファーに座る二人の間のわずかな隙間が気になりだす。すぐにでも尚人に寄り添いその
隙間を埋めてしまいたいのだが、部屋中の張り詰めた雰囲気のせいか、体全体が強張り体勢を崩せない。
言いたいことは無限にある。美希の中で十年分の夥しい言葉の数々がひしめきあっている。
でも、どれ一つ声に出せない。
「美希、時間は限られてるんだ」
優しく掬い上げるような尚人の眼差しと出合い、
緊張が一気に高まる。
尚人は美希の肩をそっと抱き寄せ、それにつられるように彼の胸に顔を埋める。彼の温もりと鼓動をじかに感じる。すると、ますます美希の全身が
妙な具合に凝り固まる。まるで、かつてまだ美希にとって男性が未知の存在であった少女の頃のように。
そして、ふと思う。今、自分を抱き寄せている男性は、本来にあの尚人なのだろうかと。
彼とは数えきれないほどの夜を過ごした。
お互い体の隅々まで知りつくしている仲であった。それなのに、彼のことをまだ何事も知りえていない未知の男性であるかのように感じる。
それは、彼との間にあった十年という計り知れない空白期間のせいなのだろうか。
そう、あれから、彼に別れを告げられてから十年にもなるのだ。その間、彼は先日妻となった女と愛を育んでいたとでもいうのだろうか。そう思うと、どうにもやるせなかった。
「ねえ、私達、もしあのとき別れなかったとしたら、きっと今ごろ……」
「何? そしたら、僕が美希と結婚したとでも?」
尚人は美希の体から一旦離れると、
真剣な面持ちで語りだす。
「一度別れたからって、それは今の僕たちにとって問題じゃない。また、これから始めればいい」
美希はハッとして、彼の顔を凝視する。
「本当にそう思ってるの? 私が過去にしたこと、許してくれるの?」
「うん、昔のことはもういいんだ」
彼の表情のどこを探しても、屈託など感じられない。
「じゃあ、これからも会えるの?」
「当然だよ」
だが、そこで二人の間に立ちはだかる問題に突き当たる。
「でも私達、既に結婚してるし。私は夫に何の気兼ねもないけど、尚人はどうなの?」
たちまち、彼の顔が曇る。どこかが痛むのを耐えているかのように見えた。
「今はそれは、言わないで。この時間を、僕達に与えられたこの時間のことだけ考えよう。次はいつ会えるか、まだ分からないし……」
尚人の返答は、答えになっていないように思った。適当にはぐらかされたようで、わだかまりが残る。でも、今ここでお互いの不義についての是非を議論したとしても、無意味なことなのかもしれない。なぜなら、不義であろうとなかろうと、
お互いに関係を持続させることを既に心に決めているからだ。
「余計なことは考えなくていいから」
尚人はそう囁きかけると、美希の顔を覗き込む。
すると、彼の瞳が色めき立つ。それは欲望以外の何物でもなかった。
迫り来る性愛のときを前に、美希の頭から何もかもが締めだされる。二人が伴侶を持つ身であること、世間の道理から外れているということが。
今、目の前にいる彼を欲し、また、彼に情欲の赴くまま奪われたかった。
二人は少しの間、お互いの目の奥を探り合う。
そして、同じ思惑があることを認め合うと、さらに彼は執拗に視線を絡ませる。すると既に彼の目に裸体を晒し、彼の手によって愛撫されているかのような感覚に美希は陥る。
途端にこれから繰り広げられるであろう光景が目に浮かび、じっとしていられなくなる。
二人はどちらからともなく手を取り合い、ベッドへと移動する。
尚人の手が触れるごとに、ぎこちなく凝り固まっていた美希の全身は少しずつ解きほぐされ、真一との結婚生活ですっかり埋もれていた情欲が、体の奥底からふつふつと湧き起こる。
(今、私はかつて宿命の人だと信じていた男に再び抱かれている)
それぞれの人生を経て尚人と再会したことに、美希はやはり宿命的なものを感じずにはいられなかった。
二人はお互いの体を飽くことなく求め、貪欲に貪り合う。まるで十年分の空白を埋め合わせるかのように。事実、埋没した十年という膨大な時間を取り戻すことができたとでもいうように感じた。
そして、濃密なとろけそうな意識の中で思った。
日常から隔絶され、ただ情事のみのために
しつらえられたこの密室で時間など気にせず、
ずっと尚人に抱かれていたいと。
また、二人の間に揺るぎない事実として立ちはだかる障害も、霧散してしまえばいいのにと。
けれど、そんな淫楽の時も、いずれ終息を迎える。それはすぐそこまで迫っていた。
二人は同時に絶頂の高みへと昇りつめる。
愛欲の固まりか一気に弾ける。快楽の波が全身に波紋を広げ、隅々まで浸透する。固く目蓋を閉じ、苦悶に耐えるかのように美希は眉を寄せる。
尚人の背に添えた指先が深く食い込む。爪痕を残すほどに。
やがて脱力し、弛緩した彼の全身が美希の上に重くのし掛かる。
快楽の余波によって長いこと震え続けていた美希の四肢は、次第に本来の感覚を取り戻し始める。
脱力感は心地良い怠さとなる。
尚人は未だ、息を乱し激しく肩を上下させている。情熱の全てを使い果たしたとでもいうように。わずかに汗ばむ彼の肌の感触に、美希は狂おしくなる。彼が愛しい。堪らなく愛しいと。
そしてたった今、一つの願望が芽生えた。
尚人を独り占めにしたいと。けれど、それはほとんど実現しないのだということに改めて気づく。
そう、それは最初から分かっていたこと。
でも、彼に抱かれた今なお一層切実に感じる。
美希は閉じていた目蓋を、そっと開ける。
驚くほど間近にある尚人の眼差しと出合う。
先刻まで宿っていた欲望が、美希を見下ろす彼の目から既に掻き消えている。代わりに性愛の名残りがうっすらと漂っていた。
彼はゆっくりと半身を起こすと、美希の傍らに身を横たえ吐息を漏らす。粘りつくような肌の密着感がふっと消え失せると、美希はどこか置き去りにされたような心地になる。
官能の時を経て満ち足りたはずなのに、なぜか空虚な感じが否めない。
「ねえ、美希」
尚人の声は欲望が満たされた後の疲労感を匂わせる。
「僕と美希のこと、旦那さんに気づかれてないよね?」
美希はそっと彼の横顔を窺う。若干影を帯びたその表情に憂いを滲ませている。
それは美希の身を案じているからなのか。
それとも自身の新婚生活が脅かされるかもしれないことを懸念しているせいなのか。
「大丈夫よ、きっと。夫の出張に合わせて来たから心配しなくても」
「そう、でももし予定が変わって、早く帰って来たとしたら、どうするの?」
「そんなことは、今まで一度もなかったから大丈夫よ」
尚人は一時黙り込むと、どこか思案するような顔つきになる。
「まあ、十分に用心しないとね。僕達のことは
ばれないように気をつけないと。もちろん、僕も妻にばれないように気をつけるけどね」
美希は彼の顔を、まじまじと見つめる。
「ねえ、私のこと奥さんにばれるのが怖いの?
私は夫にばれても平気だわ」
尚人は不思議なものでも目にしたかのように、
目をしばたたかせている。
「僕は妻を悲しませたくないんだ。結婚する前に妻の両親に誓ったんだ。彼女を幸せにしますって……」
彼の妻に関する話しなど聞きたくもなかったが、
美希は辛抱強く耳を傾ける。
「その理由は、まだ付き合って間もない頃、彼女を妊娠させてしまったからなんだ。でもその後、
彼女は流産して……。それで、彼女の両親に付き合うことを反対されたけど、諦めずに説得し続けて、やっと認めてもらった。だから、彼女を、
妻を大事にしないといけない。僕と美希の関係がばれることは、あってはならないんだ」
美希は、ほとんど憮然としていた。これ以上、尚人の告白を聞かされるのは耐えがたいことであった。
(つい今しがたまで彼の興味は私にのみ向けられ、私を求め、淫猥の限りをつくしていたというのに……)
けれど、今はその余韻は鳴りを潜め、一転して妻との来歴を語っている。妻との思い出を大事に温めているとでもいうのか。
尚人への妻への多大なる愛情を知り、美希は次第に白けた心地になっていく。
「そんなに奥さんを悲しませたくないのなら、なぜこうして私と会っているの?」
尚人は一旦、深く慮る表情を覗かせたかと思うと、次に彼の瞳に性愛を施す直前のあの慈しみを湛えた光が宿った。
「ねえ、なぜ僕達は再会したと思う?」
そう言うと、彼は美希の顔を覗きこみ、
「きっと、何か重要な意味があるような気がする。だから、美希との縁を切りたくない。これからもずっと付き合っていきたい」
そう、決然と言い放つ。彼は偽りなど一切感じさせない、一見無垢な眼差しを美希の顔に当てた。
彼の言う、重要な意味、それは美希も感じていたことだった。だが、次に彼が口にした言葉は、
彼の一人よがりにしか聞こえず、どこか釈然としなかった。
「僕と美希の関係は秘密裏に持続できればいいんだ。それが妻に知られなければ、妻が悲しむことはない。知らないということは、僕と美希が付き合っているという事実はないに等しいことなんだ」
「それって、ばれなければいいってこと? でも、仮にばれてしまったらどうなるの?」
美希は非難めいた目つきで彼を見る。
「そのときは……美希との関係を考え直さなければいけないかもしれない」
尚人は、ふっと寂しげな表情を見せる。
(その寂しさの原因は私への愛情?)
要するに、と自分なりに考える。彼の妻と彼を共有すること、すなわち、三人のバランスがうまくとれてこそ彼との関係が成り立つ。
でも、それは美希の望む愛の形ではなかった。
すると、胸の奥につかえていた不満や憂慮が
渾然一体となって、どっと溢れだす。
同時に涙までもが込み上げてくる。
「嫌、私だけを見てほしいのに、私も奥さんも同じくらい愛せるとでもいうの?」
美希は涙ながらに訴える。尚人の目に困惑の色が見え隠れする。きっと、どう対処するべきか思案しているのだろう。
「そんな風に言わないで。辛くなるから」
彼はなだめるように美希の肩に手を添える。
美希は彼の手を振り払い、さらに言い募る。
「じゃあ、奥さんより優先して、私を愛してくれる?」
尚人の口から溜息が漏れる。困惑と呆れたニュアンスを漂わせて。
彼は押し黙っている。それは拒絶であって、到底約束などできるわけがないということを物語っているのか。
美希は不安になる。今ここで確かなものが欲しかった。また、彼が寛容であることを望んだ。
そうすれば、二人の関係を続けていく上で、将来に明るい兆しがあることを期待できたはず。
沈黙が二人の上に重くのし掛かる。しばらく二人はじっとしたまま身を横たえていた。
やがて、尚人はおもむろに口を開く。
「美希、悪いけど、今日中に帰らなければいけない」
口を噤んだままの彼の心中を推し量ることに集中していた美希は我に返る。
「どういうこと? 電話では一緒に泊まれるって言ってたのに」
ベッドから半身を起こすと、美希は彼を見据える。
「ごめん、すまないと思ってる。どうしても妻に嘘をつけなくて。僕も出張で留守にするからと、そう言うつもりでいたけど……」
尚人もまた身を起こすと、ばつの悪さを紛らわすかのように、作為を感じさせる笑みをほんの少し滲ませる。
尚人に会うために仙台までやってきたというのに、なぜこんな酷い仕打ちを受けなければいけないのか、と彼をなじりたくなる。けれど、彼に嫌われることを恐れた美希は、しつこく引き止めることなどできなかった。喉元まで出かかっている、帰らないでという一言をぐっと堪える。
やがて彼は浴室へと向かい、帰り支度を始める。
美希の存在など忘れてしまったかのように思える彼を、無言のままぼんやりと見ていた。
既に置き去りにされたかのようだった。
帰りしな、尚人は自分の行動を詫びるように、
一見神妙で寂しげな面持ちを美希に見せる。
既に彼の心は妻に向かっているくせに、と美希は一人ごちる。
「一緒にいれなくてごめん……」
彼は薄い笑みの中に、美希との別れを名残り惜しんでいるかのような雰囲気を、言外に匂わせる。
そうすることで美希の理解を得ようとでもしているかのように。その実、先刻までの情交は、彼の意識から既に抜け落ちているのに違いない。
「本当に帰るの? 私といてくれないの?」
言いながら、美希はほとんど絶望していた。
「うん……精算は済ませておくから、美希は泊まっていけばいいよ。じゃあ、また電話するから」
尚人はドアを開けると、瞬きする間にドアの外へと滑り出る。
美希は閉じられたドアに視線を注いだまま立ちつくしていた。
(泊まっていけばいいなんて、よくもそんな台詞が言えたものだわ。彼は私一人をここに残して平気なのだろうか)
明日、最終の新幹線に乗る間際まで彼を独り占めにできるのだと、美希は信じて疑わなかった。
一人取り残された自分が、酷く惨めに思える。
今後、彼との関係を続けていく上で、今日のように理不尽ともいえる仕打ちを受けることが絶対にないとはいえないだろう。ということは、たびたびその仕打ちに耐えていかなければならないことを覚悟した方がいいのだろうか。
果たして、耐えられるかどうか美希には自信がなかった。でも、彼を失いたくないのであれば、彼に屈従するしかない。悲嘆にくれながらも、そう思った。
「美希さん、一度産婦人科に行って調べてもらったら?」
義母は表情に、露骨に不信感を表わしている。
結婚して五年にもなるというのに、なぜ子供ができないのか不思議で堪らないという思いが、義母
の目つきからありありと窺える。そんな義母を
美希は疎ましく感じる。不愉快極まりない。
が、おくびにもださず、ええ……と、美希は言葉を濁す。
今日、真一の祖父の法事を終えた後、美希と真一は一旦、真一の実家に立ち寄り夕食をともにした。その後、何の前置きもなしに義母はいきなり切り出してきたのだ。
子供の件については、結婚してから一年が過ぎた頃から度々話題に上がっていた。
美希はその都度、今はまだ欲しくないなどと適当に理由を作っては言い逃れてきた。が、五年も経つと義母にはどんな言いわけも通用しないだろうし、説得力に欠けるのだろう。
義母は、知人の誰それが妊娠したとか、孫が生まれたなどという話を会うたびに口にする。
美希は、毎回不快な気分を持て余しながら聞くはめになる。できれば子供の話題など避けたいと思っている。だから、義母と会う機会を極力持ちたくないというのが本心だ。
「あなた、何歳だったかしら?」
義母が気怠げな声音で問う。
「三十六です……」
「あら、もうそんなになるの? だったらなおさら早く子供を作らないと、年をとればとるほど大変よ。真一は長男なんだから跡取りがいないと困るのよ」
(でも、私はちっとも困らないわ)
そう、声に出したい衝動に駆られる。だが、その一歩手前で何とか抑えこむ。
「真一はどう思ってるの? 子供、欲しくないの?」
義母は、今度は真一に向き直る。
「いずれ、欲しいとは思ってるけどね」
真一は、さらりと言う。
「いずれって、いつよ」
義母は業を煮やしたのか、真一に詰め寄る。
「子供なんて、できるときはできるんだから、自然にまかせてればいいんだよ」
真一は大儀そうな態度を示す。
「でも、いつまで経ってもできないのも不思議じゃない。だから美希さんに病院に行けばって言ってるのよ」
義母はそう言うと、嫌味っぽくちらりと美希に視線を移す。
「別に、わざわざ病院にまで行かなくてもいいと思うけどね」
真一は、取るに足りない問題だとでもいうような顔つきだ。
「まあ、真一まで随分と暢気ねえ」
義母は半ば呆れ顔で、美希と真一を交互に見やる。
美希は腹立たしさでいっぱいになる。
(義母は子供ができない原因が、なぜ私だけにあると決めつけるのだろう。真一にも原因があるかもしれないとは考えないのだろうか。まるで、私だけが悪者みたいではないか)
そう思うと、酷い屈辱を与えられた気分になる。義母に、なぜ子供ができないのかその理由を暴露できたら、どんなにせいせいするだろう。
(私はいつのころからか、真一の性の対象から除外された。だから私を見ても、性欲が生じることは皆無なのだ。それでどうして妊娠できるのか。
いや、それより真一の子供など産みたくもないのだ)
元々、夫は性愛に関しては実に淡白であった。
それでも、結婚当初はごくたまに求めてくることもあった。現在は男女の営みは完璧に欠如しているが、それを不満だと感じることは全くと言っていいほどないといった状況だ。
なぜなら、夫への欲望は結婚当初からあまり感じることもなく、今や夫は性の対象ではなくなってしまったからだ。
もし、義母に胸の内を洗いざらいぶちまけたとしたら、いったいどう反応するのだろう。
恐らく言葉を失い、軽蔑の視線を投げてくるに違いない。そんな義母の顔を想像してみる。
すると、その有り様を傍観したいという、ある種嗜虐的な感情が生まれる。が、もちろん言っていいことと悪いことの分別は、今のところ持ち合わせている。
「とにかく、私は孫の顔が見たいだけなのよ。
だから美希さん、早いうちに病院に行って調べてもらいなさいよ」
義母はそう言って嘆息をもらし、この場を締めくくろうとする。
美希は病院に行くつもりなど、はなからない。
今まで妊娠しなかったのは常に避妊を怠らなかったからであり、妊娠しにくい体質だと疑ったことなど一度もなかったからだ。今後、子供の件については、できれば放っておいてほしかった。
それでも義母の言葉は、美希に深いダメージを与えた。子供が産めないのなら嫁として、女として、あなたは失格だと烙印を押されたようなものだ。美希にとって失言ともいえる言葉を浴びせた義母に、憎しみにも似た感情を抱く結果となった。それは長いこと美希の胸に居座り続けた。
この一件に触発されたのか、ある日真一はいつになく真剣な面持ちになると、美希に尋ねてきたのだった。
「いずれ子供は欲しいと思ってたけど、母もああ言ってたことだし、そろそろ子供のこと真面目に考えてもいいころだと思わないか?」
美希は即座に答える。
「別に、欲しいとは思わないわ」
途端に真一の顔が曇る。
「それは、今はまだ欲しくないってことなのか?」
「そうじゃなくて、昔から子供が嫌いなのよ。
第一、誰の子供を見ても可愛いとは思えないもの」
美希はことさら素っ気ない態度をとる。
「でも、俺達の子供だったら絶対に可愛いはずだよ」
夫の言う、『俺達の子供』に薄ら寒さを覚える。
「とにかく、子供は嫌いなのよ。もし子供がいたら、きっと産後うつになったり、虐待したりするかもしれないわ」
美希は眉をひそめ、声に不快感を滲ませる。
すると、夫は色をなし、
「じゃあ、一生子供はいらないってことなのか?」
美希は、まじまじと夫の顔を見つめる。
この人はそんなに子供好きだったかしら、と意外に思う。
「あなた、そんなに子供が欲しいの?」
「ああ、欲しいよ。一生自分の子供に会えないなんて、悲しくないか? 全く、理解できないよ。
これだといったい何のために美希と結婚したのか分からないよ」
夫は、あからさまに深く溜息をつく。
(そう、いったい何のために、私と真一は結婚したのだろう)
美希は自らに問う。この結婚には何の可能性も残されていない。あるのは倦怠と忍耐だけであり、
限りある命がただ削られていくだけなのだ。
それにしても、子供が欲しいと言い張る夫が美希には理解できない。性愛に関しては実に淡白であるのに。
(果たして、今さら私に欲情する余地など、真一は残されているのだろうか)
「あなたが何と言おうと、私の気は変わらないから」
断固たる態度て傲然と言い放つ。
すると見る見るうちに、真一の目が怒りの様相を呈してくる。
「お前さ、おかしいよ。結婚すると大概女は子供を欲しがるのに。そんなに子供が嫌いなのか?」
そのとき、心に秘めていたものが突如うごめきだした。
「私、好きな人がいるの……」
眉一つ動かさず、美希はそう口走っていた。
不意に漏れた言葉に、美希自身驚く。
「今、何て言った?」
夫の鋭い視線を浴び、美希はたじろぐ。
けれど、もはや取り返しがつかない。
「好きな人がいるから、だからあなたの子供なんて欲しくないのよ」
夫は青ざめ、唇を震わせている。思わず口をついて出た言葉の重大さを美希は実感する。
「好きな人って……どういうことなんだ、いったい誰なんだ?」
夫は目を見開き、声を張り上げる。辺り一帯の空気がピンと張り詰め、次第に耐え難いほどの重圧となり息苦しさを覚え始める。
怒りで顔を歪ませている夫が、美希には不思議に思えてならない。
(怒りの根底にあるものは、もしかしたら私への愛情? まさか……)
もしそうだとしたら、甚だもって迷惑だし、敬遠したいとさえ思った。
と、その時、携帯電話の着信音が束の間の沈黙を引き裂く。傍らに置いてあるバックの中から鳴り響いている。それは、予期せぬ闖入者のごとく美希を驚かせる。美希は身構え、そして瞬時に予測する。
尚人かもしれない。でも、夕刻であるこの時間帯は、もしかすると夫が帰宅しているかもしれないと考えるはず。
美希はバックに目を向ける。一抹の不安がよぎる。電話は尚人ではないとは言いきれない。
視線を戻すと、目の前に睨みつける夫の顔があった。すぐさま目を逸らし、バックに手を伸ばした。
「出なくていい。ほっとけよ」
夫が背後で怒鳴る。が、美希は構わず携帯電話を取り出す。
「美希?」
予感は的中した。
「今、大丈夫?」
気遣うような尚人の声。
「あの、今忙しいから、後でかけ直すわ」
夫を意識し、早口で語りかける。尚人と話したい欲求を何とか抑えこもうとする。
いつもより早く帰宅した夫を美希は憎々しく思った。
「もしかして、旦那さんそこにいるの?」
ええ、と美希は手短かに答える。背中に夫の視線が張りついているのを存分に感じる。
「そうか、ごめん。急に美希の声が聞きたくなって、我慢できなくて」
彼の台詞が一時、美希の自尊心をくすぐる。
「おい、誰なんだ?」
突如、真一が声を上げたかと思うと、いつの間にか美希の傍らに立っていた。両の眼に猜疑心をちらつかせながら。そして、強引に美希の手から携帯電話を奪い取ると、挑むような一瞥を美希に与える。
「ちょっと、何するのよ」
美希はありったけの非難を込めて、夫を睨みつける。
夫は不敵な面持ちで、
「もしもし、誰なんだ? 美希の男か?」
と、ぞんざいな言葉を吐き、しばし聞き耳を立てる。が、苛立たしげに舌打ちをする。
美希は、さっと手を伸ばし、夫の手から携帯電話を取り返す。
「切られてしまったよ。無言だったけど、あれは絶対に男だな。そいつが息を呑むのが伝わってきたよ」
夫は得心めいた顔つきで頷く。
「勝手なこと、しないでよ。酷いわ」
「酷い? 酷いのはどっちだよ。陰で男を作って
こそこそしてるくせに」
二人はお互いに敵意を剥きだし、激しく睨み合う。
「今の男がお前の言う、好きな人なんだな?」
少しの沈黙の後、
「ええ、そうよ。私達、愛し合ってるの」
自分の不義を悪びれもせず、夫の顔を真正面に捉え、美希は堂々と言い放つ。
夫は目を剥くと、烈火のごとくいきり立つ。
「別れろ! 男とすぐ別れるんだ!」
「嫌よ、別れないわ。彼を失いたくないの」
次の瞬間、頬に焼けつくような衝撃を感じた。
体が平衡感覚を失い、ふわりと宙に浮いたかのように思うと、辺りが一転した。いったい何が起きたのか把握できず、気づくと美希は仰向けに倒れていた。背中から腰にかけて鈍い痛みが走り抜け、眉を寄せる。静かに頭をもたげ上半身を起こすと、夫が棒立ちのまま、どこか呆然とした気配を漂わせている。
美希は少しずつ状況を認識し始める。
(私はたった今、真一に殴られたのだ)
初めてだった。夫に暴力を振るわれたのは。
今まで夫が暴力を振るう人間だと疑ったことなど一度もなかった。
思わぬ一面を見せられ、美希は狼狽する。
やがて、じわりと頬が痛みだす。頬を手でさすりながら、夫の非を咎めるように睨み据える。
「殴るなんて、酷いじゃない」
夫は我に返ったかのような面持ちになる。
「悪かった。でも、俺を裏切ったことは許せない」
二人はお互いにあらぬ方に顔をそむけ、それっきり口を噤む。
つい口から零れ出た一言で、状況は一変した。
未だ動揺は消えない。けれど、後悔はしていない。胸中を暴露して、むしろ良かったと思っている。それが発端となって、この結婚が破綻をきたしたとしても、美希はそれをすがすがしいとさえ感じ始めている。いつごろからか生じてきた倦怠という忌々しい現象が、精神を蝕み続けてきたのだから。
不意に玄関のドアが閉まる音が響く。
俯いていた美希は顔を上げる。室内に真一の姿はなかった。けれど、行き先を告げずに外出した夫のことなど、もはや気にするに値しない。
それより尚人のことが気がかりだった。
彼に電話しよう。美希は思い立つ。
したたかに打ちつけた腰の辺りをかばうようにしながら、ゆっくりと立ち上がった。
プラットフォームは喧噪に満ちていた。
まもなく電車が到着するせいか、人々が美希の周囲を足早に行き交う。
さっきから、美希はしつこいくらい何度も腕時計を覗きこみ、時刻を確かめている。尚人の乗った電車が到着するまで、あと三分。
彼を待つ間、美希は何のしがらみもない、ただ恋に身を焦がす一人の女となる。
こうして彼を待ち望む時間は、彼との逢瀬の序章であり、至福の一時ともいえた。
先の見えない恋であっても待つという行為が
美希を酔わせ、ただ幸福であった。
尚人と会うのは三か月ぶりだった。二人の都合が思うように一致せず、なかなかめどがつかなかったからだ。
今回、彼は秋田で会うことを提案した。彼が美希のために自ら行動に移す。それは愛されているという何よりの証拠に感じるのだった。美希の顔は自然と綻ぶ。
彼とはあれから二度の密会を重ねた。
当時、彼はその日のうちに帰宅するという徹底ぶりだった。そのような仕打ちは覚悟していたものの、やはりその辛さは生半可なものではなかった。そのうえ、さらに美希を悩ませる問題があった。それは、彼との間に立ちはだかる如何ともしがたい地理的距離てある。会いたいときに彼はいない。美希にとって致命的ともいえた。孤独と寂しさに喘ぎ、それは苦悩となって彼への思慕をますます掻き立てた。
美希は日ごとに面やつれの様相が濃くなった。
それも、ただやつれたのではなく、ふと見せる表情に蠱惑的な陰りのある美しさを覗かせた。
それは、恋の煩いによってもたらされたのだ。
一方、破綻寸前と思われた真一との仲は、不穏な気配を伴いつつもまだ破綻まで至っていない。
二人は必要以上に近づくこともなく、淡々とした日々に流されていた。ほとんど無意味としか思えない結婚を解消するべく、美希はいつ離婚を切りだそうかと考え始めていた。
そういえば、電話で尚人はこう言っていた。
今回は外泊しても構わない、それに大事な話があると……。大事な話っていったい……。
それは美希にとって喜ぶべきことなのか否か、
酷く気になることであった。
そのとき、電車の到着を告げるアナウンスが流れる。反射的に線路の向こうに目を転じる。
その目は期待と希望に満ちていた。この後に訪れる尚人との時を思い描き、喜びで身震いさえ感じる。
ほどなく、電車がホームに滑りこむ。次第に速度を落としつつ、緩やかに停車する。
すると、目の前に席を立つ尚人の姿があった。
同時に二人の視線が出合う。
彼はとびきりの笑みを零す。逢瀬の始まりに美希の胸が高鳴る。
車両から降り立った彼は、美希の前で立ち止まる。懐かしい笑顔。少し照れているような色合いが目元に滲んでいる。無上の歓喜に、美希は胸を踊らせた。
「美希、急いで僕についてきて」
彼は真顔になり、開口一番そう美希に告げる。
いったいどこへ? と問うまもなく、彼は美希の腕を掴むと、階段へと向かって駆けだす。
彼の意図が分からないまま、美希は彼に従い階段を駆け上がる。階段を上りきったところで、息を切らしながら彼に尋ねる。
「どこに行くの?」
彼は前方を見据え、駆け足の体勢を保ったまま早口で答える。
「上りの電車に乗るんだ」
「えっ、上りって……行き先は?」
「盛岡。そこから新幹線に乗る。詳しいことは後で話すから、早く、急がないと間に合わない」
尚人はそう言うと、今度は隣のホームに通じる階段を駆け下りる。階段を踏み外さないよう、美希は足元に注意を払い彼の歩調に合わせる。
途中で発車のベルが鳴り、彼はより一層足を早め、美希は足がもつれそうになる。
発車寸前、二人はステップに足をかけ、車内に乗り込む。ほどなくドアが閉まり、緩やかに電車が動きだす。
「良かった、間に合って」
尚人は息を切らしつつ、安堵の表情で呟く。
未だわけの分からないまま、美希は乱れた呼吸を整える。
「とにかく、座ろう」
彼は美希を促し、空いている座席を見つけだす。
車内は八割方、乗客で埋まっている。
シートに腰を下ろすと、ほっとした気分も束の間で、突然の成り行きに疑問が湧き上がる。
「もしかして、仙台に戻るの?」
少しの無言の後、彼が頷く。
「だったら、私が仙台に行っても良かったのに」
美希はどこか釈然としない心地で彼を見る。
「最初は秋田で美希と過ごすつもりだった。でも、途中で気が変わったんだ」
尚人は一旦口を噤み、心持ち神妙な面持ちになる。やがて、彼は姿勢を改めると美希に向き直る。彼のただならぬ様子に美希は身構える。
この次にいったいどんな言葉が飛びだすのかと、彼の口元に目を据える。
「ずっと、考えてた。僕と暮らさないか?」
美希の目が大きく見開かれる。
尚人の言葉がすんなりと理解できない。
言葉の意味は分かるのたが、なぜ彼は突拍子もないことを言いだしたのか分かりかねる。
「いったい、どういうこと? だって、奥さんは? まさか、離婚したとでもいうの?」
美希は軽くあしらうように言う。
「妻とは、もう別れたも同然だ」
やや俯いた彼から、諦念の気配が漂う。
美希は言葉を失う。いつの間に彼と妻の仲が悪化していたのだろう。それは予測不能なことであった。すると、先日からの疑問が蘇った。
「そういえば、大事な話があるって言ってたけど、今言ったことがそうなの?」
「うん、そうだね、そのことなんだけど」
尚人は一時美希の瞳を見つめると、身じろぎますせず淡々と事の次第を語りだした。
彼が言うには、誰にも知られるはずがないと信じて疑わなかった美希と尚人の関係が、彼の妻の知るところとなったらしい。
彼との待ち合わせの場所で美希が彼の車に乗り込む瞬間を、偶然にも妻の知人が目撃したということだった。
彼の話に耳を傾けながら思った。なるべく人目につかないよう慎重に行動したつもりでも、やはりどこかに隙があったのだと。
彼は美希の存在を事実として認めた上で、妻に素直に謝った。だがその時点で、妻にばれたからといって美希と別れる気など毛頭なかった、と彼は強調して言った。そこで、彼が以前口にしていた言葉を思いだす。
「尚人、前にこう言ってたよね。もし妻にばれたら、私との関係を考え直さなくてはいけないかもしれないって」
美希を見つめる彼の目が、思慮深くなる。
「あのときはそう思った。でも、僕の気持ちも変わっていったんだ」
事の成り行きに、美希は次第に興奮を覚え始める。
「それで、どうなったの?」
「妻は出ていった。僕のことが許せなかったんだ。もう、僕には美希しかいない……」
美希は微動だにせず、彼の言葉を噛み締めていた。彼の告白は充分に喜ぶべきことだった。
でもその反面、彼に都合よく扱われているという感じも否めない。
「言うまでもないけど、美希は妻の代わりではない。美希と会うたびに、昔の感情が戻ってきたんだ」
尚人の目から、彼が誠実であること以外の感情など読み取れない。だが、そのまま信じていいものか、すぐには判断がつかない。
「本当は、今日美希に相談して、それからでもいいと思ってたけど……」
そう言って、彼は美希の手を強く握り締めると、
「いいよね。強引かもしれないけど、仙台に着いたらそのまま僕のところに来てほしい」
尚人は一言、一言に感情を込めるように語る。
それは美希の胸に、すーっと浸透していく。
けれど、美希の中で嬉しさと戸惑いがせめぎ合っていた。
「嬉しいけど、でも、あまりにも突然すぎて、それに引っ越すとしたら、それなりの準備も必要だし……」
「いいよ、そんなの。必要な物は向こうで買い揃えればいい」
彼に気おされ、美希は頷く。
「もしかして、旦那さんに未練があるの? 今までの美希の口ぶりだと、大分冷めてるように感じたけど」
即、美希はかぶりを振る。
「それはない。未練なんて全然ないから」
「じゃあ決まりだ。一緒に暮らそう」
尚人の顔から屈託が取り除かれ、見るからに晴れやかな表情へとすり変わる。
二人は決心が揺るぎないものかどうか確かめるかのように、お互いの目の奥を覗き合う。
(彼を信じよう。もう二度と彼と離れたくない。彼を失いたくない)
一瞬、青ざめた様子の夫の姿が目に浮かんだ。
自分が留守の間に妻が行方知れずになったことに、夫は茫然とするだろう。束の間良心が痛む。けれど、目の前にある幸せを、どうしてやり過ごすことができるというのだろう。
尚人と残りの人生をともに歩む。美希にとってこれ以上の幸福など考えられなかった。
車内のアナウンスが次の停車駅を告げる。
あと一時間ほどで終点の盛岡に到着する。幸せが、刻一刻と近づいてくる。そう、美希は感じるのだった。
【輪郭のない幸福】
暁の中で、美希はふと目覚める。
辺りは森閑としている。人々が、まだ眠りに就いているであろうことを思わせる静けさ。
カーテンの隙間から、まだ夜明け前の名残りを含みつつ、仄かに乳白色を帯びた儚げな光が室内に忍び込み、辺りはぼんやりとした薄明かりの中に沈んでいる。
半ば朦朧とした意識の中で、美希は考える。
見慣れぬ室内。ここは、いったい……。
やがて、おぼろげながら気づく。
(そう、私は尚人と暮らし始めたのだ)
まだ幾日しか経っていないせいか、目覚めの後
このような感覚がつきまとう。
二人の住居は彼が以前妻と暮らしていたアパートであり、そのことに美希は少なからず抵抗を感じていた。でも、ここで一生暮らすわけではないのだから、少しの間我慢すればいいことであった。
なぜなら、彼は近いうちにもう少し広いアパートに引っ越すつもりだと、そう美希に約束したのだ。
そのとき、かすかな寝息が美希の耳に触れる。
傍らに目を向ける。途端に胸の中が温かいもので満たされていく。
穏やかに目蓋を閉じている尚人の寝顔に、美希は一時見入る。目覚めると、いつでも傍に彼がいる。そんな日々の何げないことに無上の幸せを実感する。夫だった真一ではありえないことであった。
(今、尚人は完全に私だけに属している。私だけが触れることができる。他の女には触れさせたくない。いや、それ以前に他の女に見つめられ、彼が微笑みを返し、一言でも言葉を交わすのも耐えられない)
尚人を見つめているうちに、その無防備なさまに胸を突かれる。ともに暮らしていても眠りまで、その夢の中までは共有できない。そのことに、もどかしさを感じる。
手を伸ばし、尚人の髪をそっと指先で触れてみる。優しくなぞると、少し癖のある柔らかな感触が伝わってくる。そのとき、ふと思った。
彼の妻だった女も、こうして彼に触れていたのだろうかと。既に過去のことなのに、嫉妬の炎が静かに揺らめきだすのを感じた。
それに、今二人が横たわっているこのベッドも、
彼と妻の快楽の場であったのだ。
すると、ベッド全体が薄汚れた代物に感じるのだった。妻だった女の体臭がまだそこかしこに染みついているようで、背中の辺りが妙に不快に感じてくる。我がままかもしれないが、彼にベッドを買い替えるよう頼んでみようと美希は思う。
不意に、尚人が寝返りを打つ。次の瞬間、かれの呟きを美希は聞いた。
「美希……」
唐突に自分の名が彼の口から漏れたことに、ハッとする。覚醒の兆しかと、彼の顔を覗き込む。
が、何事もなく安らかな寝息をたてている。
どことなく拍子抜けしたものの、美希は満足の吐息を漏らす。
(眠りに就いているときでさえ私の名を呟くということは、それだけ私の存在が彼の心を捕えて離さないという証拠なのだ)
尚人の寝顔を見つめながら思った。彼が目覚めるまで、このままずっと見つめていたいと。
思えば、十年というあまりにも長すぎる回り道ではあったが、それぞれの人生を経て今ここでやっと二人の人生は合流した。
再び尚人と巡り逢えたことに、どうしても宿命というものを感じずにはいられない。
未来が確信を帯び、二人の前途に開かれている。
そうとしか美希には思えないのであった。
尚人のためにするあらゆることは、美希に新鮮な喜びを授けた。本来なら単調でただ煩わしいだけの家事も、充実したひとこまであり楽しいとさえ感じている。幸せを感じる一瞬が、日々の中に満ちあふれていた。
例えば、彼とスーパーマーケットで食材を吟味している時もそうだった。以前、真一と暮らしていたころは、献立に頭を悩ませ長いこと店内をうろつき、それでもなかなか決まらず、しまいにはうんざりしてくるという有り様で、買い物自体が苦痛であったのに。
でも今は、単純に買い物をするという行為が、
尚人がいるだけで幸せな一時となった。
多少の好みの違いがあっても、美希は彼に従い、
献立への要求は全て受け入れた。
また、彼と買い物をするたびに、決まってこう思った。二人は周囲の目にどう映っているのだろうかと。きっと、単なるカップルではなく、夫婦として見なされているのかもしれない。そう感じた。すると、あたかも自分達が夫婦のように思え、ひときわ幸せを実感する。
今のところ、尚人は結婚を仄めかす言葉は口にしていない。それは時に、美希の不安を煽った。
けれど、結婚する意志があるからこそ同棲し始めたのだと、そう信じていた。
日々、彼の全てが美希を幸福にしたが、中でも彼の笑顔が一番だった。その笑顔も何通りかあるのだが、食卓で見せる笑顔が美希を虜にした。
それはキッチンでも向けられる。
何を作ってるの? と彼は興味深げにキッチンを覗き込む。そして辺りに充満する香りを吸い込む。途端に笑みが顔中に広がる。大概は彼の好物であるから、毎回そうだった。
彼は一旦テーブルに戻ると、待ちきれない様子でしばしばキッチンへと目を向ける。
やがて出来上がった料理を食卓に並べる。それは和風、洋風など日によって様々だった。
美味しそうだね、と彼は柔らかく微笑む。
事実、彼は料理を口にすると実に美味しそうに箸を進める。そして毎回決まってこう言うのだった。美味しいよ、と。その後、無上の笑顔が美希に向けられる。
尚人の美味しいという一言が聞きたくて、その笑顔を目にしたくて、より一層料理の腕を磨いた。
とにかく、彼のためだったら努力を厭わなかった。真一のときと比べたら雲泥の差ともいえた。
尚人と連れ立っての買い物、幸福な食卓、それらは日々印象的に心に刻まれた。日常のことが、
非日常に感じられるほどに。
この幸せに終わりがないことを美希は望んだが、
一つ気になることがあった。尚人と妻の間で、果たして滞りなく離婚の手続きが完了したのだろうかと。けれど、彼に問い質すのは怖いことでもあった。
そんな中、心に引っかかる出来事があった。
美希がそれを目にしたのは、日曜の朝の食卓でのことだった。開け放った窓から流れこむ微風が
ふんわりとカーテンを揺らし、頬を撫でていく心地よさと、普段よりゆったりとした心地で尚人と朝食を摂るということに、ささやかな幸せを感じていた。
食事を終えると、美希は買い物に付き合ってくれるようにと頼んだ。
「新しいベッドに買い替えたいんだけど」
「どうして?」
尚人は新聞を広げながら聞き返す。
「だって、奥さんが使ってた物だし」
彼は少しの間、考えこむと、
「今すぐには無理だよ。ここから引っ越すためにもう少し貯金しなくちゃいけないし」
尚人の有無を言わせぬ口調に、美希は軽く溜息をつく。
そのとき、彼の左手にある物が美希の注意を引いた。それは指輪だった。プラチナの平打ち。
一目で結婚指輪だと分かる。言うまでもなく、
別れた妻と結婚した当初の物だろう。それが平然と彼の薬指にはめられている。彼はなぜ、そんな物を指にはめているのか。いや、それよりなぜ今まで気づかなかったのか、不思議でならない。
果たして、彼は毎日指輪をはめていたのか。
それとも今日に限ったことなのか。それに別れたのなら、なぜ大事にとっておく必要があるというのだろう。
(私の目に触れることが分かっていながら、いったいどういうつもりで……)
尚人の指輪が、さり気なく控えめな光沢を放った。まるで、指輪は彼の肌の一部のようにさえ見えた。
尚人は自分に注がれる美希の暗い視線に気づいたのか、読んでいた新聞から顔を上げる。
そして美希の視線を辿り、自分の左手を見下ろす。それを機に、美希は口を開く。
「どうして? どうして指輪なんか……」
彼は一時ばつが悪そうに指輪を眺め下ろし、だが、やがて表情を引き締めると、
「別に意味はないよ」
と、一見何気ない風を装う。けれど、彼の返答は美希の猜疑心を取り除いてはくれない。
「尚人、奥さんとは正式に離婚したの?」
「もちろん、とっくに離婚したよ」
返答に、わずかではあるが間が空いたことに、美希は引っかかりを感じる。
「だったら、なぜ処分しないの? もしかして奥さんのこと、まだ好きなの? 未練があるの?」
尚人は丁寧に新聞を畳むと、テーブルの上に置いた。それはことさらゆっくりとした動作であり、適当な言い訳を探すための時間稼ぎにも見える。
「考えすぎだよ。別に、未練なんてないよ」
彼は殊勝な顔つきだが、心中をくらましているようにも見える。
「でも、まだ好きなんでしょう?」
彼はすぐには答えない。無言は肯定を裏づけているとしか思えない。やがて、彼は妙にさばさばした口ぶりで言い放つ。
「好きかどうかはともかく、嫌いで別れたわけじゃないからね。それに、指輪はしまいっ放しになってたのを、さっきたまたま見つけて気まぐれでつけてみただけだよ」
ふと、美希の脳裏をある光景がよぎった。
昔、尚人と付き合い始めたころ、夜の海辺を散策していたときのことだった。彼はこう言ったのだ。僕のことを好きなら、前の男からもらった指輪なんか今すぐ海に捨ててほしいと。
美希は一時ためらいはしたものの、彼のためならと促されるまま指輪を海に葬ったのだ。
その日に限って指輪をはめてきたことを悔やんだ。だが、一縷の後悔は時間とともに消え失せていった。
美希の言い分は既に決まっていた。彼がどう言い繕おうが変わらない。
「その指輪、処分してほしいの。覚えてる? 私が尚人のために指輪を海に捨てた日のこと……」
彼の反応を見逃すまいと、美希はじっと彼を見守る。彼は口を閉ざしたまま、しばし遠くを見るような眼差しになり、それはどことなく哀傷めいて見えた。
「ああ、覚えてるよ。少しおぼろげな部分もあるけど。でも、なぜ今その話をするの?」
「尚人も私のことを好きだったら、捨てることができるはずよ」
美希は強気だった。
「海に……か?」
「処分してくれるなら方法は問わないわ」
尚人は俯き、腕の組む。一見、思案を巡らしているとでもいうように。
「もし、処分できないのなら、未練があると思っていいのね?」
「どうして、そう思うかな」
彼は俯いたまま、首を捻る。
「だって私、尚人からもらった指輪、今でも大事にしてるもの。別れても好きだったから、未練があったから捨てることなんて考えもしなかった。だから尚人も私と同じ理由で捨てることができないんでしよう?」
美希の声は震え、今にも泣き出しそうになる。すると、それまで自らを取り繕うかのように、美希の視線を撥ねつけるかのように強張っていた彼の表情が和らぐ。
「分かった。指輪は処分する。だから、そんな顔しないで……」
尚人の言葉に安堵した拍子に、わずかに目尻が濡れる。美希はそれを指先でそっと拭う。
以来、尚人の手に指輪がはめられているのを目にすることは皆無だった。けれど、それは処分した証拠にはならないと思っている。彼への不信感は種火となって、長いこと胸の底で揺らめき続けた。
一枚の用紙を手に、美希は茫然としていた。頭が酷く混乱している。なぜなら、尚人への不信感をより煽るもの、離婚届を偶然にも見つけてしまったせいだった。
彼の出張のための着替えをバックに詰めている最中、クローゼットの最上段に手を伸ばしたとき、
何かにつられて見慣れぬ封筒が落下した。拾い上げ、何げなく中を覗くと離婚届が入っていたのだ。最初、なぜこんな物が隠すように保管されていたのか腑に落ちなかった。落ち着いて全体に目を通してみると、夫の欄は空白であった。だが、妻の欄に真弓と記入、捺印がされてあった。
美希の目は、その真弓という手書きの文字に釘づけとなった。真弓、その名は直美の披露宴が催されたホテルのパウダールームで耳にした名前と同一である。すなわち、真弓とは尚人の妻……。
尚人が離婚届を未記入のまま保管しているということは、未だに離婚の決心がついていないということを物語っているのか。
彼をそうさせているのは、やはり妻への未練?
だとしたら、彼はなぜ一緒に暮らそうなどと言ったのだろうか。妻に出ていかれ、その寂しさを埋めるため、それが理由なのだろうか。
美希は棒立ちのまま、自分の中で彼への信頼感が音もなく崩れていくのを感じていた。
(私は彼に騙されていた。そしてこれからも騙され続けるのだろうか。また、彼は私が騙されていることに気づくはずがない、と高をくくっているのだろうか)
そのとき、リビングから聞こえてくる電話の着信音に美希は気づく。確か、さっきまで尚人はテレビを見ていたはず。
着信音が途切れ、彼の話し声が聞こえてくる。
美希は離婚届を手にしたままリビングの様子を窺う。電話をかけてきたのが誰なのか気になった。
リビングに足を踏み入れようとしたそのとき、
彼の口から出た言葉に息を呑んだ。
「マユミの具合はどうなんですか?」
案じるような彼の口ぶり。
(マユミって…前の奥さんのこと?)
リビングの入口で立ち止まったまま、美希は耳をそばだてる。
「そうですか。でも、まさか癌だったとは」
(癌? マユミという女が、癌に冒されてる?
いったい何の癌だというのだろう))
それより、尚人のあの陰りを帯びた横顔は、いったい何なのだろう。見るからにマユミという女への心残りを象徴しているようで、美希の胸は激しく掻き乱される。いったい誰が彼女の近況をわざわざ彼に教えているのだろう。電話の向こうの
人物への怒りと、マユミへの執着を匂わせる彼への嫉妬に美希は眉をひそめる。
尚人は美希に気づくこともなく会話を続けている。憂いの雰囲気は消えていない。
「はい、分かりました。できるだけ早く提出します。では、お大事に……」
彼はその言葉を最後に電話を切った。どこかうわの空といった様子で、しばらくじっとしていた。
マユミの病や何らかの問題が、彼を惑わせている……そう感じた。
やがて彼は一つ溜息をつくと、ソファーから立ち上がる。そこで、やっと美希の存在に気づく。
「いつから、そこにいたの?」
と、どこか咎めるような口調。
美希は彼の問いには答えず、疑問を口にする。
「誰からかかってきたの? 随分、深刻そうだったけど」
「聞いてたの?」
彼は声を尖らす。
「聞こえてきたのよ」
彼への不信感と嫉妬で、美希は声を強める。
「別れた奥さん、いったい何の癌なの? 正式に離婚したわけじゃないから、今も奥さんなんだろうけど」
「それは誤解だよ。とっくに離婚したって、前に言ったよね」
尚人は軽く笑い飛ばす。だが、いかにも作り笑いといった顔つきとは裏腹に、彼の目はどこか悄然とした印象をとどめている。
「それは、嘘よ」
美希は歩き出し、彼の正面で立ち止まるとばさりと音を立てて離婚届を彼の目の前にかざす。
「これは、離婚していない証拠じゃないの?」
離婚届に彼の目が吸い寄せられる。意表を突く行為だったのか、すぐには彼の顔に変化は表れない。やがて彼の目に動揺が横切ったのを美希は見逃さなかった。
「ねえ、どうしてこんな物、隠してたの?」
美希は詰め寄る。
尚人は押し黙っている。視線が定まらないのは、明らかにうろたえているせいだと読みとる。
少しの沈黙の後、彼は口を開く。
「役所に出すの忘れてた……ていうか、どこにしまったのか思いだせなくて……」
妙に落ち着き払った口ぶりだった。動揺を気取られまいとする、その場逃れの嘘であるとしか思えない。
「そんなの信じられない。やっぱり、奥さんのこと諦めきれないんでしょう?」
感情が激するのを、美希は止められなかった。
「いや、それは違う。妻には未練はないよ。今、電話をかけてきたのは妻の母親で、早く離婚届をだしてくれって言うから約束したんだ。早めに役所に出すからって」
噛んで含めるように尚人は言った。
彼を信じることができたらいいのに。そう美希は思うのだが、先刻目にした憐憫を感じさせる彼の面持ちが目蓋にちらつき、どうしても疑念が残る。そのせいか、あるわだかまりが口を突いて出る。
「どうせ、指輪だって処分してないんでしょう?」
「いや、処分したよ」
尚人は即座に答える。
また、彼は嘘を重ねている。そう思った。
返答のタイミングが早すぎたのだ。
(きっと、指輪は私の目の届かない場所にしまってあるのだろう)
「何も心配しなくていいよ。指輪は処分したし、離婚届は必ず役所に出すから」
そう言い聞かせるように言うと、彼は手を差し出す。美希はその手に離婚届を預ける。
「ねえ、奥さんいったい何の癌なの?」
「いや、たいしたことないらしい。発見が早かったみたいだから」
彼は気にするに値しないとでもいうような口ぶりたが、作為を感じる。さっきまで深刻そのものといった顔をしていたのに。
再び美希が何か言いかけようとすると、尚人はそれをかわすかのようにソファーに腰を下ろし、テレビのスイッチを入れる。妻の件について、もう何も話すことはないとでもいうように。
尚人の胸の内を覗く術があったらいいのに。
それができないことに美希は歯がゆさを感じる。
その後、離婚届がどうなったのかは分からない。
第一、美希にはそれを知る術などなかった。
例え、再度彼に問い質したとしても手続きは完了したと言い張るだろう。美希にできることは彼を信じるしかないということ、それだけであった。
混濁した意識の片隅で連続的に流れる音に、美希の耳はかすかに反応する。
視界には何の色彩や形も映らない。無意識に寝返りを打つと、重い目蓋がかすかに開く。するとそれまで遠く低く聞こえていた音が、にわかに明瞭になる。それが電話の着信音であることに気づく。 だが再び目蓋が下がりかけ、すぐには起き上がれそうにもない。代わりに尚人に電話に出てもらおうと、傍らに手を伸ばす。が、手は空をつかみベッドの上をさまよう。なぜ彼が隣にいないのか、まどろみの中で不思議に思いながらも、手はベッドの上をさまよい続ける。
美希は傍らにある時計に目を向ける。時刻は既に十時を回っていた。ハッとして上体を起こし、
なぜ寝過ごしてしまったのだろうかと思った矢先、昨夜の記憶が蘇った。九時頃、尚人から電話が入り、確かこう言ったはず……残業で何時に帰れるか分からないから、先に休んでもいいと。
深夜の一時を過ぎても彼は帰宅せず、美希はベッドに入りまんじりともせず彼を待ち続けた。
それでもいつの間にか寝入ってしまったのだろう。彼は一旦帰宅し、あえて美希を起こさずそのまま出勤したのか、それとも帰宅しなかったのか今となっては分からない。
電話は依然、鳴り続けていた。
もしかしたら尚人? 美希は傍らにある携帯電話に手を伸ばす。
電話は母からだった。尚人ではなかったことに少なからず失望する。
母は仙台での暮らしぶりを尋ね、一旦口ごもると、少しためらいがちに真一の名を口にした。
久しぶりに聞く元の夫の名に、美希は違和感を感じた。真一との結婚生活が、随分昔のことのように思える。
「真一さん、美希の居場所を教えてほしいって、何度もしつこく聞いてくるのよ」
母は溜息混じりに漏らす。
尚人と暮らし始めてすぐに、母には彼との経緯を報告してある。当時、母は美希の行動に驚き呆れていたのだが、それで美希が幸せになるのなら、と次第に容認するようになった。
「それで、真一に教えたの?」
「まさか、波風立てるわけにはいかないと思って教えなかったわよ。美希、そっちでうまくやってると思ったから」
母の言葉に、美希はひとまず安堵する。
続けて母は言った。
「それに真一さん、よく考えた結果、離婚はしたくない、美希とやり直したいって言うのよ」
安心したのも束の間だった。母には、真一に離婚届に記入してもらうことを頼んでいたのだが。
いったい真一は何を考えているのか、なぜ離婚を拒否するのか、美希は呆れ頭を抱える。
「真一、本当にそう言ったの?」
「そうなのよ、困ったわね。ところで、美希は尚人さんと結婚するつもりなの?」
「うん、私はそのつもりだけど……」
そう返答しつつ美希はベッドを抜け出し、リビングに向かう。素早く辺りを見回し、尚人が帰宅したかどうかその形跡を探す。だが、ざっと見た限りどこも変わりはないようだ。テーブルには朝食を摂ったような形跡もない。
「でも、その前に真一さんが離婚に同意しないとね」
母は呆れたように嘆息を漏らす。
母の言う通りだ。真一が離婚に同意しない限り、尚人との結婚は実現されない。
「ねえ、尚人さんとはどうなの? 仲良くやってるの?」
母の問いに、どう答えるべきか迷った。勝手に仙台に移り住んだ手前、できれば心配をかけたくない。現状を説明したなら、慎重に行動すべきだったのだ、と母は諭すかもしれない。けれど、懐かしい母の声を耳にするうちに胸が詰まり、全てさらけ出し、少しでも楽になりたいと美希は思い始めていた。
「お母さん……」
口を開きかけた途端、声が喉の奥につかえる。
「何、どうしたの?」
優しく気遣う母の声にほろりとなり、溜めこんでいた諸々の感情が溢れ出す。
美希はとつとつと、今抱えている尚人への不安や悩みを吐露する。次第に悲しみで胸が塞がり、知らず知らずのうちに泣いていた。声は嗚咽混じりとなって涙でむせかえりながら全て吐きだすと、涙が頬をしとどに濡らしていた。
母の相づちから憂える気配を感じとる。
自分の身勝手な行動が母を悲しませている。
早く母を安心させてあげたい、と痛切に思う。
それまで美希の話に聞き入っていた母は、慰めの言葉をかけ始める。
「そうだったの。仲良くやってるとばかり思ってたのに。もし尚人さんがいつまでも煮えきらないようだったら、見切りをつけて帰ってきていいのよ。だからもう泣かないで。それから、真一さんのことも早くけりをつけないとね。何かあったらいつでも電話していいのよ。お母さんはいつでも美希のことを一番に考えてるから」
娘を案じる母の切々とした思いが、じんわりと胸に沁みる。今の美希にとっては、母親は一番の味方なのかもしれない。
電話を終えた後、しばらく母がもたらした優しさを噛み締めていた。また、心中をさらけ出したことによって、幾分胸のつかえが下りたような気がした。だが、時間が経つにつれ尚人のことが気になりだす。
昨夜、彼は外泊したのだろうか。ここ最近、彼は何度か外泊をするようになり、その際、必ず連絡が入っていたのたが、昨夜はそれがなかった。
なぜだろう、得体の知れない不安が美希を襲う。
外泊について、彼はこう説明している。残業か長引き終電に間に合わなかった場合、カプセルホテルから泊まることにしている。タクシーで帰るより安いからだと彼は強調する。けれど、彼の説明を鵜呑みにすることなどできない。どこか信憑性に欠けると思うからだ。
それは、外泊をした翌日の彼の表情がどことなく憂いを帯び、何事かに心を捕らわれているように感じるせいかもしれない。きっと、指輪と離婚届を目にしたからそう感じるのだろう、と美希は考える。すると、ある女の存在が浮かび上がってくる。彼の憂いの原因は認めたくないが、妻、真弓であるとしか思えない。
不意に目眩が美希を襲う。ゆっくりとした動作でソファーに腰を下ろし、目蓋を閉じる。
寝不足と心労が原因かもしれない。
そのとき、玄関のドアが閉まる音が響いた。
ハッとして、目蓋を開く。尚人?
美希はリビングの入口をじっと見つめる。
やがて尚人が姿を現わす。全身に漂う疲労感が美希の胸を突く。
彼は美希の存在に気づくと驚いた顔を見せ、
「もしかして、ずっと待ってた?」
と、どこかばつが悪そうに言う。
一晩で伸びたと思われる髭が色濃く彼の頬に影を落とし、そのせいか薄汚れた印象を美希に与える。けれど、そんな彼の様相に心を打たれる。
「さっき起きたばかりよ。それより、外泊するならなぜ連絡してくれなかったの? 心配してたのよ」
「ごめん、連絡できなくて……」
彼はそう詫びると、美希の隣に腰を下ろす。
彼の顔に刻まれた懺悔を思わせる色合いに、既に外泊の件を許してもいいとさえ考え始めていた。
「今日は、仕事は? 休んだの?」
美希は労るような眼差しを彼に向ける。
「今日は祭日だよ」
彼に言われ、そうだったと気づく。
心労のせいか、今日が平日か祭日かを区別できる余裕などなかった。
「最近、残業が多くて美希に寂しい思いをさせて悪いと思ってる」
そう呟くと、尚人は目を落とす。
「その代わりってわけでもないけど、イヴにホテルを予約したよ。まだ二ヶ月先のことだけど」
心労と眠気が一気に吹き飛んだ。
「そうなの? どこのホテル?」
彼は美希に向き直ると、表情を和らげ目を細める。
「初めてイヴを過ごしたあのホテル……」
二人の眼差しが重なり合う。遠い記憶が瞬時に蘇る。目蓋にホテルの室内の様子が、ありありと浮かび上がった。あのイヴの夜を再現できる。
それが、今後自分の身に起こることなどありえないと思っていたのに。
尚人の瞳が微笑んでいる。自分の提案に満足したような笑み。美希の口元も自然と綻ぶ。
一時、尚人への不信感は鳴りを潜め、代わりにイヴへの期待に胸を膨らませていた。
そして思った。彼への疑惑に惑わされ心を磨り減らすより、今こうして彼と過ごすこの一瞬の連続を愛おしみ味わおう。それが幸せへと繋がる。
そう、幸せはいつでも目の前にある……。
また、やがて訪れる幸せ、イヴの当日へと美希は思いを馳せた。
【崩壊】
ドアの開けると美希は目を見張った。
そして一つ、感嘆の吐息をつく。後ろ手にドアを閉めると部屋の中に足を踏み入れ、ほぼ中央の辺りで一旦立ち止まる。
遠い記憶と照らし合わせるように、室内を眺め回す。部屋の大部分を占めているのはツインのセミダブルベッド。ベージュ色のカバーで覆われ、思わず触れてみたくなるような上品な質感を醸しだしている。また、同色で統一された厚地のカーテンも、控えめな光沢を放ちながら窓の両側に垂れ下がっている。その向こうには聖夜を彩るイルミネーションと、各々のビルが放つネオンが溶け合いさんざめく街並が息づいている。
尚人と巡り逢い、初めてのイヴを過ごしたのがこのホテルの一室だった。あの夜は生涯忘れえぬ特別な一日となった。
二人は非日常の空間に、いじらしいほど緊張していたことを思いだす。彼は終始笑顔を絶やさず、将来を誓う言葉を口にし、その後二人はプレゼントの交換をした。そうしてイヴの夜は更けていった。
その後、尚人との関係が破綻してからというもの、毎年繰り返されるイヴはもはや美希に何の感動も与えず、単なる三百六十五日の中の一日として過ぎ去っていった。要するに、あのイヴを超える日は一度もなかったし、今後訪れることもないだろうと、ほぼ諦めかけていた。
あのイヴは歳月を経てなお一層、美希の中に麗しく、より印象深く刻印された。もう彼とのイヴは二度と巡ってこない。いくら望んでも一分の可能性さえ残されていない。そのことに美希は打ち砕かれそうになった。不毛な望みはイヴの記憶を際限なく美化し続け、逆に未来はただ色褪せて見えるのだった。けれど、未来は思いがけぬ展開を見せた。未来は予測不可能だということを、今回まざまざと思い知らされた。尚人と再び巡り逢い、今まさに彼とのイヴが始まろうとしている。
室内に漂う空気や何もかもが、昔と何ら変わりはないように感じられる。今、この場所で時間が一気に遡ったような錯覚を覚え、えも言われぬ感覚に呑み込まれる。
尚人との待ち合わせの時間は七時。あと十分ある。イヴの当日、ホテルルームで落ち合う。
そう提案したのは彼だ。
ここ二ヶ月あまり、美希はこの日がやってくるのを指折り数えた。イヴが二人の信頼を高め、将来へと繋がるきっかけになることを望んだ。やがて、尚人の妻の存在など取るに足りないことだったと、笑えるときがくるかもしれない。そう思った。
美希は窓辺に近寄り、眼下を見下ろす。イルミネーションに彩られたけやきが、通りを埋めつくしている。
駅ビルと直結しているこのホテルはもとより眺望が開けているため、全貌を見渡すことができる。
クリスマスのこの時期、けやきは一際その存在を強調し、最も人々の目を引く。街じゅうに溢れ返るクリスマスカラーのディスプレイなど、けやきに比べればほとんど見劣りするくらいだ。
このイベントは市民への最高のプレゼントだと美希は思う。特に恋人たちにとっては自分たちの聖夜を演出し、盛り上げる重要な舞台背景となる。
それは美希にとっても同様だ。
あのとき、十年前のイヴは全てが輝いて見えた。
イルミネーションのまばゆい光が二人の頭上に降り注ぎ、辺りは何もかもがオレンジ色の粒子て染め抜かれていた。延々と連なる無数の光のトンネルを仰ぎ見ながら、その様子は夥しい星屑のようだと思った。行き交う恋人たちは皆、幸せそうな笑みを湛え輝いて見えた。でも、それ以上に尚人の笑顔は一段と眩しかった。ただそれだけて美希は幸せだった。
幸せそうな恋人たちと擦れ違うたび、美希はその光景を微笑ましく思った。自身が幸福であると他人の幸せに対し、妬みなど一切感じず祝福したいとさえ思うのだった。
あのイヴには当時の二人の幸せが凝縮されていた。そしてそれは未来永劫続いていくのだと信じていた。
眼下に息づくイルミネーションとネオンの競演を眺めながら美希は思った。心境によって情景の与える印象は随分と異なる。直美の披露宴に出席するために仙台を訪れたあのとき、今と同じ情景を目にすることはただ苦痛なだけてあった。
尚人との思い出に胸が詰まり、それが美希を翻弄し、来なければよかったと激しく後悔した。
けれど、今はどうだろう。イヴへの期待でイルミネーションはより美しく燦然と輝いて見える。
尚人が到着したら、美希はすぐにでも街へと連れ出すつもりだ。
どれくらい時間が立ったのだろう。美希は窓辺から退き、ベッドサイドにある時計に視線を移す。
約束の時間から三十分が経過していた。一抹の不安がよぎる。なぜ、尚人は現われないのか。
急に残業にでもなったのだろうか。でも、きっと大丈夫。彼は必ず現われる。そう心を奮い立たせる。今朝、彼は出勤前にあれほど念を押したのだから。仕事で遅れることがあったとしても必ず行くから待っててほしい。そう彼は約束したのだ。
こうしている間にも、彼がドアをノックするかもしれない。それとも、既に彼はドアの前に立ってはいるものの、日常と一線を画するイヴという非日常な状況のせいで緊張し、凝り固まった表情を解きほぐすのに時間をとられているのだろうか。
美希はドアを注視し、ノックされる瞬間は待ち構える。今や美希の表情は期待と興奮が入り交じり、その目は尚人との未来を夢見ていた。
彼はあのイヴのときと同様に、ドアからほんのりとはにかむ笑顔を覗かせるだろう、と美希は想像する。だが、いくら待ち続けてもその瞬間は訪れない。酷く胸騒ぎがする。彼に電話してみようか。そう思ったとき、バックの中の携帯電話が鳴り出す。尚人かもしれない。すぐさまバックから携帯電話を取り出す。
「尚人?」
呼びかけても何の応答もない。耳を澄ますと、かすかなざわめきが漏れてくる。尚人? が声を発するのを、じっと待つ。やがて、息づかいのような気配を感じとる。
「美希……」
消え入りそうな尚人の声。
やはり尚人だった。美希は安堵する。が、彼の口調にはどことなく不穏な響きがあった。いったい何が彼にそうさせているのか。ふと、不安になる。
「尚人、今どこなの?」
一時、沈黙が支配する。どこか、張り詰めた気配が伝わってくる。ほどなく、彼はぽつりと言う。
「下の、ロビー……」
「そうなの? 良かった。来てくれないのかと思って、すごく不安で……」
そこで、ある疑問が湧いた。到着したのなら即、
部屋に上がってくればいいものを、なぜ彼はロビーから電話をかけているのか。
ねえ……と疑問を口にしようとすると、彼は遮るように言葉を重ねる。
「美希、そこには行けない」
「えっ? 何? どういうこと?」
いったい、彼の言葉をどう解釈したらいいのか
美希は戸惑う。
「もう、美希には会えない」
「いやだ、尚人、何言ってるの?」
「だから、美希とは終わりにしたいんだ」
尚人の声は、極力感情を抑えたかのようであった。
電話を持つ手が震え、美希は強く握り締める。そして思った。
(今のは冗談に決まっている。ただ私を驚かそうとしているだけなのだ)
「大事な日に冗談なんか言ってないで、早く来て。ずっと待ってたんだから」
「冗談じゃない。本気なんだ」
言い聞かせるように彼は言う。妙に落ち着いた口ぶりが、美希を再度不安におとしいれる。
「そんなの、信じられない。いったい理由は何なの?」
「ごめん、それは言えない。訳は聞かないでほしい」
なぜ? どうして? 二つの言葉が頭の中を駆け巡る。ともあれ、彼の言い分を鵜呑みにすることなどできなかった。それに、なぜ今日という特別な日に、一方的に別れを通告されるという非情な扱いを受けなければいけないのか。
茫然とした眼差しを辺りに漂わせる。
もうじき始まるはずであった尚人とのイヴに期待し想いを馳せていたこの部屋が、今は何の魅力もない冷え冷えとした薄暗い牢獄にしか見えなかった。
彼の言えない訳とは、もしかしたら……。
だが、その先を予見することは恐ろしいことであった。なぜなら、美希自身既に感じ始めていたからだ。彼の背後にいるであろう、ある女の存在を。それは……。
「美希、とにかくそういうことだから。強引に仙台まで連れてきたのに、すまないと思っている。それから、ここの精算は済ませておいたから」
美希の動揺をよそに、彼の語り口は憎らしいほど冷静に響く。
「ちょっと待って。勝手に決めないで。訳を聞かせて」
気が焦り、声がもつれる。
(私は二度も捨てられようとしている)
なぜ、別れはいつも一方的なのだろう。捨てる側は思いやりや慈悲というものを一切持ち合わせていないのか。捨てられる側の感情など、ことごとく無視される。
尚人を失いたくない。こんなこと、あってはならない。あっていいはずがない。どんな理由であれ、別れを受け入れることなどできなかった。
「美希、もう切るよ。元気で、さようなら」
「待って、そこに行くから。お願い、待ってて」
(私達の関係を、電話であっけなく終わらせることなどできない)
息を潜め、じっと彼の反応を待つ。沈黙が美希を不安にさせる。やがて、ふっつりと通話の途切れる気配がした。
「尚人……」
美希は呼びかける。何度も呼びかける。だが、もはや無駄なことであった。
あっけない幕切れ……携帯電話を握り締めたまま、一時放心状態に陥る。が、次の瞬間考えるより先に部屋を飛び出し、エレベーターへと駆けだした。
尚人と直に話し合うのだ。このままだと彼への思慕を引きずり、生涯彼への執着から逃れられないのが目に見えている。
エレベーターに乗り込むと、気のせいか速度がやけに遅く感じられる。一刻を争う状況が美希をやきもきさせる。ロビーに到着するや否や駆けだすと、尚人の姿を探す。だが、見渡したところカップルしか目につかない。やはり、一足遅かったのだろうか。けれど、これで諦める気など毛頭なかった。まだ、彼がホテルの周辺にいることも考えられる。すぐさま正面玄関を飛びだすと、美希は危うく通行人とぶつかりそうになった。
歩道はイルミネーションを見物する人々が大勢行き交い、混雑を極めている。どの顔もイヴの夜を満喫しているようにしか見えない。その光景が、美希の胸を冷たく閉ざす。
足早に人々の間を縫い、左右に視線をさまよわせる。
(尚人、お願い、姿を現わして)
次第に、歩道は先刻よりも混雑を極め、人の流れが一旦滞り、美希は立ち止まらざるをえなかった。焦燥感に駆られつつ、ふと顔を上げるとイルミネーションが視界を埋めつくした。降り注ぐ光の量に圧倒され、目が眩み一時心を奪われる。
昔と変わらぬまばゆいほどの美しさは、美希の心に影を落とす。尚人を失った悲しみを煽り、孤独感が全身を包み込む。その救いようのなさに愕然とした。
(本来なら今ここで、私の隣に尚人がいるはずだったのに)
感情の高ぶりが美希の涙を誘った。
不意に美希はよろめく。背後から誰かに肩を押されたのだろう。滞っていた人の流れが緩やかに動きだしていることに気づく。人波に流されるまま、美希は再び歩きだす。道すがら、数えきれぬほどのカップルと擦れ違う。いくらイヴの夜だからといっても、いったいどこから湧いてくるのだろう、と冷めた目つきで眺める。今の美希にとっては、ただ目ざわりなだけであった。
どれほど歩き続けたのだろう。零れる涙を拭いもせずさまよい歩くうちに、美希の心は既に諦めの境地に達していた。人混みの中から尚人を見つけ出すことは、ほとんど不可能だと判断する。
美希は立ち止まると身をひるがえし、ホテルへと引きかえす。ホテルに戻ったら、即あの部屋を出るつもりだ。あそこに残る意味などないのだから。第一、あの部屋で一人で一夜を明かすことなど、どうしてできるというのだろう。
人波に逆らい揉まれながら、絶望で泣き崩れそうになるのを美希はこらえ続けていた。
ホテルから帰宅し玄関のドアを開けると、一気に涙が溢れだした。手の甲で拭いつつ室内に入ると、一種異様な胸騒ぎを覚えた。なぜなのか分からないまま、美希は寝室へと向かった。
着替えをしようとクローゼットの扉を開いた途端、胸騒ぎの原因が判然となった。
尚人のコート、ジャケットの類がなくなっていたのだ。タンスの中も同様だった。彼の物は全てなくなっていた。恐らく、美希がホテルで彼を待っている間に、彼が持ち去ったのだろう。美希がいない時間帯を狙い、まるで逃げるように衣服を持ち去るという彼の手際の良さに呆れると同時に、
それほど彼の決意が固いということを思い知らされ深く傷ついた。あまりにも無慈悲な仕打ちだった。
もう何もする気力がなくなり、ベッドに身を横たえようとすると、美希の目はサイドテーブルに置かれているある物を捉えた。それは、白い小ぶりの箱と一枚の紙片だった。美希は首をかしげながら、まず紙片を手に取る。美希へ、と書かれたそれは、どうやら尚人からの置き手紙のようだった。美希は一字一句、慎重に読み進める。手紙の内容はこうだった。
この指輪は美希へのエンゲージリングであり、イヴに手渡すつもりだった。
けれど、もうその必要はなくなった。イニシャルを刻んであり、返品もできず、捨てるのもためらわれた。だから僕は美希の判断に任せる。捨てても構わない。好きなように処分すればいい。
手紙の最後は、美希と暮らした日々は楽しかった。こんな結果になってすまない。元気で、さようなら、と締めくくられている。
美希は酷く混乱していた。
(指輪? エンゲージリング? 彼はそこまで考えていたの? ということは、彼は私を本当に愛し必要としていたのだ。なのになぜ、私への愛情が覆ったの?)
半ば茫然としながら箱に手を伸ばすと、中からケースを取り出し蓋を開ける。その途端、目を射る輝きに息を呑んだ。それは、ダイヤをあしらったプラチナのの指輪だった。いや、本当にダイヤだろうか。指輪を手に取ると、ためつすがめつ眺めてみる。どの角度から見ても、指輪は透明で硬質な輝きを放っている。どう見てもダイヤ以外の何物にも見えなかった。しばし指輪に見とれた後、美希は内側を覗いてみる。確かにイニシャルが刻印されている。NtoM その文字から一時目が離せなくなり、瞳を凝らす。イニシャルを刻むほど、彼の決意は揺るぎないものだった。それなのに……。
やがて、指輪を左手の薬指にそっとはめてみる。
サイズはほぼ合っている。しっくりと馴染む指輪を目にするうちに、尚人を失った新たな悲しみが込み上げ、目の奥が熱くなってくる。
(なぜ、私達は別れなければいけないの? こんな結末が用意されていたのに、なぜ再会してしまったの?)
もう何もかもが理不尽に思えるのだった。いったい、この指輪をどうすればいいのだろう。尚人を失った今、指輪だけ残されても処置に困る。ただ持て余すだけである。この指輪はもはや何の意味もなく、必要ですらないのに。今後、美希は指輪をはめるつもりなどなかった。彼の言うように捨ててしまえばいいのだろうか。けれど、一時は彼の想いが詰め込まれていた指輪をいとも簡単に捨て去ることなど、今は到底無理なことであった。
涙に霞んだ目で部屋じゅうを見渡す。尚人がここに戻ってくることは、ほとんどありえないのだろうか。そこらじゅうに、まだ彼の名残りが色濃く漂っているというのに。そう美希には感じられる。今にも玄関のドアが開き、彼が姿を現わすのではないか。そんな気がする。
彼の読んだ雑誌、彼が使った食器、彼がよく聴いていたCDなど、それらはこの部屋の各々の場所に残されたままであるのに、彼だけがいない。主を失った様々な物を今後目にしていくことは、美希には耐えられそうにもなかった。悲しみと絶望が胸底で渦巻き、その感情から逃れられなくなる。すると全身から力が抜け、その場に座り込むと美希は泣き崩れた。
(いったい、尚人はどこに行ったの? もう彼を取り戻す術はないの?)
最悪のイヴは刻々と更けていく……。
尚人に別れを告げられた理由。それを美希はどうしても知りたかった。もしかしたら、妻? が原因なのだろうか。きちんと彼に説明してほしかった。そしてさらに、彼の声を聴きたいという衝動が重なった。彼がどんな対応をするのか半ば脅えながら、彼に電話をかける。
だが、何度電話しても繋がることはなかった。
電話に一切応答しないという彼の徹底ぶりは、美希を打ちのめした。すると、別れの原因を問い質したいことより、彼の声を聴けさえすればそれでいいという願望へと摺り替わる。一度でいい、たった一度だけでもいいから声を聴きたい。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
今、あることを美希は恐れている。それは朝、目覚める瞬間だ。尚人の不在。それを改めて実感し、身をねじ切られるほどの喪失感が美希を苦しめる。だから夜眠りに就くとき、いつもこう思うのだ。このまま目覚めなければいい。混沌とした眠りを貪り続けることができたなら、苦しまずに済むのに。けれど、目覚めはいつでも唐突に訪れる。そしてそのときから尚人の幻影が一日じゅうまとわり付き、彼の声が幻聴のごとく耳元をかすめる。それは毎日のように繰り返される。いつ果てるともしれぬこの状態が、いつまで続くのか美希は暗澹となった、
そんなある日、夜も更けた頃ベッドに入り、尚人の幻影から唯一逃れられる眠りのときを前に、美希は静かに降る雨音に耳を傾けていた。
不意に鳴り出した携帯電話の着信音にハッとし、
ベッドから起き上がる。
尚人かもしれない。鼓動が激しくなる。
応答すると、懐かしい彼の声が聞こえてきた。
胸が、ギュッと締めつけられる。もう何年も耳にしていないかのように思われた。
美希は携帯電話を強く耳に押し当てる。
「美希、大丈夫?」
自分の行動に非を感じているのか、少し控えめに彼が聞く。大丈夫なわけがないのに、と恨みがましく思う。それより、彼には聞きたいことがある。
「今、どこに住んでるの?」
尚人は答えない。美希はじっと待つ。沈黙が流れ、やがて彼は言った。
「それは、言えない」
彼は深い拒絶を言外に匂わせる。だが、美希は怯むことなく、次に単刀直入に別れの訳を問い質す。
「美希には悪いと思ってる……」
再び沈黙……煮えきらない彼の言葉に、自分が思っていたことをぶつける。
「原因は奥さんなんでしょう? お願いだから、全て打ち明けてほしい。じゃないと私、また何度も電話するかもしれない」
尚人はこれ以上隠し通すことを断念したのか、ためらいがちにぽつり、ぽつりと語りだす。
「妻、真弓は癌、子宮癌に冒されて、ついこの間子宮癌を摘出した。真弓は子供を産めない体になってしまったと、酷く落ち込んでる。そんな真弓が可哀想で、傍にいたいと思った」
聞くに耐えない言葉であった。美希にとって、これ以上残酷な言葉などないだろう。
「じゃあ、私はどうなるの? 尚人に連れられて仙台まで来たのに、一人放りだされた私は可哀想だと思わないの?」
いつの間にか美希の声は、涙声となっていた。
「ごめん、今はそれしか言えない。でも、美希のこと嫌いになったわけじゃない」
嫌いじゃないって……そんな言葉、慰めにもならない。でも、それなら尚人を取り戻せる余地はあると考えていいのだろうか。そこで美希は、ふと思いつく。
(彼を取り戻す有効な手段となりうるのか何とも言えないが、奥さんには不可能で私には可能なことがある)
「尚人、子供が欲しいっていつか言ってたよね。
奥さん、もう子供は産めない体なのに、それでもいいの? 傍にいたいっていうの? その点、私は健康だし、子供を産むことだって」
「そんなのは関係ないんだ」
尚人は強引に話を遮ると、
「子供を産めるかどうかは問題じゃない。ただ彼女が心配で、傍にいたいだけなんだ」
と、止めの言葉を投げ返す。その一撃は痛烈な痛みとなって美希の胸を貫く。心が砕けそうだった。が、残酷な言葉を浴びせられながらも、さらに言い募る。
「ねえ、あの指輪、尚人、私のこと本気で……」
「ああ、あの指輪、美希の好きにすればいいよ。捨てるのが惜しいのなら、美希が持っていればいい」
(違う、そんなことを聞きたかったわけではない。私が聞きたかったのは)
美希は頭を振り、胸の中で叫ぶ。
「それから、アパートの家賃、当分僕が払っておくから心配しなくていいよ。それと、もう電話しないから、美希もしないてほしい」
尚人は最後にそう言った。
電話を終えた後、美希は身じろぎもせず、ただ項垂れていた。涙が止まらなかった。未だ彼の喪失から立ち直っていないというのに、何の予告もなしに彼は美希の心に嵐を巻き起こすと、今度こそ真の別れだとでもいうよう去っていった。
(結局、私は彼にとって奥さんを凌駕する存在ではなかったのだ)
それは、いくら考えても分かるはずなどなかった。美希は今、自分が何も頼るもののない、打ち捨てられた天涯孤独な孤児のように感じるのだった。
やがて涙が治まると、美希はクローゼットへと向かう。タンスの奥にしまいこんでいた、尚人からのエンゲージリングを取りだす。手に取ると、美希は長いこと指輪を見つめていた。目の覚めるような輝き。美しかった。悲しいほど美しすぎる。
(尚人は私との人生からあっさりと退場した。こんな指輪、もう見たくはない)
美希は、ある決意をする。
【もう一つの未来】
海面を凝視したまま、美希は微動だにしない。。
水平線の彼方から容赦なく吹き寄せる風にさらされたまま、もう長いことそうしていた。だが外見とは裏腹に、胸中は激しく乱れていた。
美希は今、ある目論見を抱いている。それは、尚人への未練を断ち切るには、これ以外にはないと思われる方法。
遠い過去に、イヴに尚人から贈られたトパーズの指輪と、今はもはや何の意味もない、彼が残していったダイヤの指輪を海に葬るために、美希は今ここに立っている。過去に彼に押しきられる形で指輪が葬られたあの海辺の公園に。
でも、いざここに立ってはみたものの、決心が鈍り始めている。心のどこかに指輪を惜しむ気持ちが潜んでいたのだ。もしかしたら後悔するかもしれない。けれど、やるしかない。尚人への執着にけりをつけるために。だが、たやすく吹っ切ることなどできるだろうか。
遠雷に似た響きに、美希はハッとする。
海上のうねりは先刻より高さを増している。
灰色を帯びた雲が垂れこめ、風に湿り気を感じる。雨の前兆かもしれない。降りだす前にやり終えなければ……そう思った矢先、鈍色の空の虚空の彼方に仄青い亀裂が走った。
その轟きに美希の胸が逸る。自然の織り成す現象に畏怖の念を抱くと同時に、その光景に束の間引きつけられる。
そのとき、頬に一滴の雫が降りかかる。その冷たさに首を竦める。瞬く間に降りだした雨粒が周囲の歩道に黒々とした染みを作り、次第にその範囲を広げていった。
頭上から滴る雫が、美希の顔を濡らす。
(まるで、泣いているみたいだわ)
ふっと自嘲の笑みを浮かべる。それを潮に前方へと歩みだす。フェンスの前で立ち止まると、バックからケースを取りだし蓋を開ける。二つの指輪が現われる。
(まもなく指輪は私の手を離れ、暗黒の海底へと沈んでいく)
目蓋に焼きつけるように、指輪に向けて瞳を凝らす。幾ばくかの逡巡がよぎった。が、うやうやしく指輪を手に取ると、目を閉じ心を奮い立たせる。手を頭上に掲げると、さあ、早くやり遂げるのだ、と胸の中で叫ぶ。だが、思いとは裏腹に掲げた手は宙で静止したまま、ピクリとも動かない。次第に腕から力が抜け、心持ち青ざめながらゆっくりと腕を下ろす。
(だめ、私にはできない。過去に指輪を捨てたあのときと、今は異なるのだ。尚人の思いが凝縮された指輪を、どうして捨てることができるというのだろう)
当初、比較的穏やかだった海原は、美希の目論見を拒むかのように、今は荒波と化している。
絶え間なく押し寄せる波が砕け散り、豪快に白い飛沫をまき散らしている。
二度、尚人を失った。にもかかわらず、今もなお美希の胸は彼への思慕で溢れ返りはちきれそうだ。彼の存在は美希の中に深く根を下ろし、日々膨張し続けている。
(これから私はどうすればいいの? 彼のいない未来のどこに、生きる価値があるというの?)
容赦なく打ちつける雨は美希の体温を奪う。涙と雨で頭から濡れそぼり、震えながらむせび泣く。寒さから身をかばうようにしゃがみ込むと、しばらく肩を震わせていた。
(運命はほんの一時、順風満帆に見せかけ、ここにきてその本性をあらわにしたのだろうか。尚人と私の運命は、いったいどこでねじれていったのだろう。結局、彼は私の人生の一部を共有しただけであり、運命の男性ではなかった? それなら、他に運命と呼べる男性がどこかに存在しているのだろうか)
不意に、人の気配を感じた。顔を上げると、頭上が傘で覆われていた。美希の体は滴る雨から遮断される。自然を上に上げると、一人の男性が佇んでいる。まともに目が合う。美希の泣き顔を目の当たりにした男性の顔に戸惑いの色がよぎり、次第にその表情は憂いを含んでいった。
男性を見上げながら美希は思った。なぜ、この人はこんなにも寂しそうな顔をしているのだろう。
それまでの悲しみから、一時美希の意識が離れる。どことなく……尚人に似ている。
丸みを帯びた顔の輪郭、幾分下がりぎみの目尻が人懐こい印象を与える瞳。男性の顔に尚人の面影が重なる。
それより、男性はどこから来たのだろう。
「まるで、涙雨みたいだ……」
男性が呟く。自らも雨に濡れながら。
「ずっと見てた。そこの駐車場に車を停めて休んでたら、あなたの姿が目に入って。何か思い詰めてるような雰囲気が遠くからでも分かった。そしたら、目が離せなくなって……」
同情を含ませたような声音だった。途端に羞恥心が湧き上がる。泣き濡れた顔を晒していた自分が、酷く恥ずかしく思える。
美希はバックからハンカチを取り出すと、急いで顔に当てる。ハンカチには濡れ落ちた化粧が付いていた。涙と雨で化粧が崩れていたことに気づくと、ますます恥ずかしさが募る。男性の目に自分がどのように映っているのか気になりだす。
理由は分からないが、何だか哀れで可哀そうだと思われていたかもしれない。
美希は立ち上がると、
「ずっと見られてたなんて、恥ずかしい」
そう言うと、隠すように再びハンカチを顔に当てる。
「ごめん、何だか覗いてたみたいで。でも、泣きたくなるのは当然だよ。もしかして大切な人、失ったのかな……」
掬い上げるような男性の眼差し。美希の胸が、ふっと揺れ動く。
「僕もつい最近、同じ苦悩を味わったから分かるんだ」
そうなの? と、美希は目で問う。
この人も大切な人を失った……初対面であるのに、男性に親しみを感じ始めていた。
「私、彼を吹っ切るために、指輪を捨てようと思って。でも、できなかった」
「無理に忘れようとしなくてもいいと思うよ」
男性の顔も肩も、雨で濡れている。美希に傘を伸べているせいだ。けれど、男性からは自分が濡れていることを気にかけるような雰囲気は感じられない。
「指輪を捨てるのは、彼のことがいい思い出になって、未練が無くなった時でいいと思う」
男性は穏やかに言葉を継ぐ。
湖の底をイメージさせる、森閑とした男性の瞳に吸いこまれる。
「でも、未練がなくなること、あまり期待できないわ」
救いを求めるように、男性を見つめる。
「今、あなたがそう思うのは恐らく彼への愛情より、彼への執着心のせいかもしれない」
男性は、ゆっくりと畳みかけるように語りかける。美希は男性の言葉を噛み締める。
今、尚人に捕らわれているのは、彼への執着心のせいなのだろうか。
いつの間にか、雨は小降りになっていた。海上の波は穏やかさを取り戻しつつある。
男性と言葉を交わすうちに、慟哭寸前だった悲しみは、だいぶ和らいできたような気がする。
「私、彼とは昔、一度別れて、そして再び巡り逢って、それなのに……」
「結局別れたとしても、それは意味のあることだったと思う。幸せは断ち切られても、あなたにとってはいずれ、かけがえのない思い出になるはず。何もない空虚な人生より幸せなことだと思うよ」
男性の言葉は、丸ごと美希を抱擁し浸透していく。慈悲が与えられたかのようだった。
美希の胸は水を打ったように静まり、次第に安寧が訪れる。心なしか、尚人への執着から解き放たれていくようだった。
(毎日、尚人を失った悲しみに明け暮れていても、彼が私の元に戻ってくるわけではない。それより、かけがえのない思い出として胸に納め、生涯温めていけばいいのだろうか)
「雨、止んだみたいだね」
そう言うと男性は傘を閉じ、美希に微笑みかける。悲しくなるほど温かい笑顔だった。
「風が冷たくなってきた。寒くない?」
男性は美希を気遣う。
海風に黄昏時の冷たさが交じりだす。
「ええ、少し寒いわ……」
美希は自分自身を抱き締めるように、両方の腕を交差し肩に回す。
「そろそろ、行こうか」
男性は問うように美希の顔を覗き込むと、ゆっくりと歩きだす。それにつられるように美希も足を踏み出す。歩きながら男性は言葉を挟む。
「恋愛は素敵な経験だろうけど、人生それだけじゃないよね。自分に与えられた目的に気づくことや、どんな人生にしたいのか、そのためには何をするべきか模索していくことも大事だよね」
男性は自身の言葉を噛み締めているかのようだ。
「でも、人として生まれてきたからには、何度も恋したっていいよね。宿命の相手と出逢うまでは。それに、意識しなくても、気づいたら恋が始まっていたということもあるし……」
男性の言葉に、美希はハッとしたように隣に目を向ける。
ほんのりと微笑む男性と目が合う。男性をほとんど好ましいとさえ感じ始めていることに気づく。
(今、隣にいる男性とは、もしかしたら今日出逢うことが定められていたのだろうか。私達が生まれた時から決定していた?)
空を仰ぐと、垂れこめていた雨雲の合間から、幾筋もの夕暮れ時の暖かみを感じさせる光が漏れている。光は所々海面を照らし、薔薇色に染めている。その美しさに美希は見とれ、黄昏時特有の寂寥感と、どことなく郷愁を誘う光景に感傷的になる。
まだ、尚人を愛していることは確かだ。すぐに忘れることは無理だろう。でも、それでいい……。
男性は美希の手をそっと握る。美希も握り返す。
男性のほんのりとした体温が、冷たくなった美希の手に浸透していく。男性に寄り添うように歩を進めながら、美希は胸の奥で呟く。
(さようなら、尚人……)
了
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