上 下
191 / 195
第二部

テンネル侯爵夫人side④

しおりを挟む
 サアァァァと雨のようにシャワーヘッドから水が放出される。
 放たれた水の重みで葉っぱや花びらが揺れる。水玉が滴り落ちてゆくたびに植物たちが生き生きとしていくようだった。
 弧を描く水飛沫が虹を作り出して幻想的な景色が広がった。遠くでしか見られない虹が目の前に現れる。それだけでも小さな祝福が与えられたような幸福感を感じられた。

 広い庭園は水やりだけでも重労働だと知った。庭師に感謝だわ。何事においても使用人がいてわたくしたちは生活ができている。なんでも当たり前だと思ってはダメね。まるで悟りでも開いたかのような心境になって、わたくしはクスリと一人で笑いを漏らした。

 習慣化し始めた水やりはいい気晴らしにもなった。狭い範囲だけしかできないけれど、自然と触れ合うことで癒され心が洗われていくように感じる。

 水やりを続けているとメイドの声がした。

「奥様。レッシュ侯爵夫人がお見えになっておりますが、どのようにいたしましょう」

「お姉様? 会う予定はなかったはずよね。今日は用事もないし、いつもの場所にお通して」

 天気のいい日はテラスでお茶をするのが定番だから、そこで待っていてもらいましょう。先触れもなしに訪れるなんてお姉様にしては珍しいわね。

 外出していなくてよかったわ。気分転換に買い物に出かけようかとも思っていたから、思いとどまって正解だった。わたくしは水を止めてホースを片付けていた。

「べス」

 片付けが終わったところでお姉様が姿を現した。

「お姉様。テラスでお待ちのはずでは?」

「庭園にいると聞いたものだから来てみたの。いけなかったかしら?」

「いえ、それは大丈夫ですけれど。急の訪問なんて驚きましたわ」

 お姉様は精緻な刺繍が施された純白の日傘を差して優雅に微笑んでいた。相変わらずきれいだわ。

「べスの顔を見たくなって寄ってしまったのよ。急にお邪魔してごめんなさいね」

「わたくしとしては大歓迎ですわ。ようこそ、おいで下さいました」

 急だろうが、お姉様に会えるのは嬉しい。全然、お邪魔ではない。むしろお会いしたかった。

「水やりをしていたのね。花々が瑞々しくて生き生きしているわ。風も涼しくて気持ちがいいわね。いつもやっているの?」

「ええ。ここ最近の日課なんです。無心になれて癒しにもなりますから」

「そうなのね」

 お姉様の表情は温容で慈悲に溢れていた。


 わたくしたちはいつものテラスに移動して早めの昼食を取ることにした。
 テーブルには前菜やローストチキンや魚介類のカルパッチョやパンにサラダ、スープなど。急の変更にも拘わらず品数も十分で、並んでいる料理はどれも手の込んだものだった。
 シェフ達にも感謝だわ。心の中で手を合わせた。

「申し訳ないわね。こんなに用意してもらって」

 テーブルの料理を前に恐縮する姉ににっこりと微笑みかけた。

「一人より二人。わたくしはお姉様と一緒で嬉しいですわ。遠慮なくお召し上がりくださいね」

 朝夕は家族で食事をするけれど、昼食はそれぞれの所用でバラバラに取ることが多い我が家。ここ最近は味気なさを感じていたから、一人でないことは有難かった。

 たわいないおしゃべりをして食事を楽しむ。鬱々とした気分を抱えていたわたくしは久しぶりに笑うことができた。

 食事も終わりお茶の時間。
 わたくしが選んだとっておきの茶葉で淹れた紅茶は美味しい。ほんのりとした爽やかさを含んだ紅茶を堪能する。
 
「お姉様。時間を巻き戻したいと願ったことはありませんか?」

「時間を巻き戻す? そうねえ。もう一度やり直したいと思ったことは何度かあるわ。後悔したことがいくつかあるの。ちょっとしたことだけどもね」

「よかった。わたくしだけではないのですね」

 後悔先に立たず。

 悔やんでも悔やみきれないあの日の出来事。
 卒業パーティーでのリリアさんの愚行がテンネル侯爵家に大きな影を落としてしまった。
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。

海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】 クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。 しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。 失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが―― これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。 ※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました! ※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

虐げられ令嬢、辺境の色ボケ老人の後妻になるはずが、美貌の辺境伯さまに溺愛されるなんて聞いていません!

葵 すみれ
恋愛
成り上がりの男爵家に生まれた姉妹、ヘスティアとデボラ。 美しく貴族らしい金髪の妹デボラは愛されたが、姉のヘスティアはみっともない赤毛の上に火傷の痕があり、使用人のような扱いを受けていた。 デボラは自己中心的で傲慢な性格であり、ヘスティアに対して嫌味や攻撃を繰り返す。 火傷も、デボラが負わせたものだった。 ある日、父親と元婚約者が、ヘスティアに結婚の話を持ちかける。 辺境伯家の老人が、おぼつかないくせに色ボケで、後妻を探しているのだという。 こうしてヘスティアは本人の意思など関係なく、辺境の老人の慰み者として差し出されることになった。 ところが、出荷先でヘスティアを迎えた若き美貌の辺境伯レイモンドは、後妻など必要ないと言い出す。 そう言われても、ヘスティアにもう帰る場所などない。 泣きつくと、レイモンドの叔母の提案で、侍女として働かせてもらえることになる。 いじめられるのには慣れている。 それでもしっかり働けば追い出されないだろうと、役に立とうと決意するヘスティア。 しかし、辺境伯家の人たちは親切で優しく、ヘスティアを大切にしてくれた。 戸惑うヘスティアに、さらに辺境伯レイモンドまでが、甘い言葉をかけてくる。 信じられない思いながらも、ヘスティアは少しずつレイモンドに惹かれていく。 そして、元家族には、破滅の足音が近づいていた――。 ※小説家になろうにも掲載しています

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

選ばれたのは私以外でした 白い結婚、上等です!

凛蓮月
恋愛
【第16回恋愛小説大賞特別賞を頂き、書籍化されました。  紙、電子にて好評発売中です。よろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾】 婚約者だった王太子は、聖女を選んだ。 王命で結婚した相手には、愛する人がいた。 お飾りの妻としている間に出会った人は、そもそも女を否定した。 ──私は選ばれない。 って思っていたら。 「改めてきみに求婚するよ」 そう言ってきたのは騎士団長。 きみの力が必要だ? 王都が不穏だから守らせてくれ? でもしばらくは白い結婚? ……分かりました、白い結婚、上等です! 【恋愛大賞(最終日確認)大賞pt別二位で終了できました。投票頂いた皆様、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾応援ありがとうございました!  ホトラン入り、エール、投票もありがとうございました!】 ※なんてあらすじですが、作者の脳内の魔法のある異世界のお話です。 ※ヒーローとの本格的な恋愛は、中盤くらいからです。 ※恋愛大賞参加作品なので、感想欄を開きます。 よろしければお寄せ下さい。当作品への感想は全て承認します。 ※登場人物への口撃は可ですが、他の読者様への口撃は作者からの吹き矢が飛んできます。ご注意下さい。 ※鋭い感想ありがとうございます。返信はネタバレしないよう気を付けます。すぐネタバレペロリーナが発動しそうになります(汗)

初夜をボイコットされたお飾り妻は離婚後に正統派王子に溺愛される

きのと
恋愛
「お前を抱く気がしないだけだ」――初夜、新妻のアビゲイルにそう言い放ち、愛人のもとに出かけた夫ローマン。 それが虚しい結婚生活の始まりだった。借金返済のための政略結婚とはいえ、仲の良い夫婦になりたいと願っていたアビゲイルの思いは打ち砕かれる。 しかし、日々の孤独を紛らわすために再開したアクセサリー作りでジュエリーデザイナーとしての才能を開花させることに。粗暴な夫との離婚、そして第二王子エリオットと運命の出会いをするが……?

処理中です...