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第二部

波乱の予兆Ⅱ

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「さて、いただきましょうか」

 ディアナの声にハッと我に帰りました。
 テーブルの上にはいつの間にか紅茶もセッティングされています。

 いつの間にかレイ様のことを考えていたわ。いけない。今日は雑念が多すぎるわ。気持ちを切り替えなくては……
 目の前ではビビアン様がおいしそうにケーキを食べています。隣ではディアナが紅茶を飲んでいます。私も紅茶で口を潤してケーキに手を伸ばしました。

 それぞれのケーキに舌鼓を打ちながら会話が弾んでいきます。時折起こる小さな笑い声とともに、穏やかな時間が過ぎていきます。

 今まで言葉を交わすこともなかったビビアン様との出会いは新鮮で新たな交流もいいものだと思い始めていた頃、それは突然訪れました。
 
「そういえば……」

 ケーキも一つ二つと食べ終わり、二杯目の紅茶に手を伸ばしたところでした。
 
「フローラ様。テンネル侯爵家の子息との婚約破棄の件はどうなりましたの?」

 思いもかけなかった言葉に息をのみ、カップを持とうとした手が止まりました。

「もうすでに済んでしまったことですわ。婚約は解消になりました」

 言葉が出ない私の代わりに、ディアナが少し呆れたような口調で答えてくれます。

「そう……」

 なにやら思案気な声音に体が震えてビビアン様の顔を見ることが出来ません。
 婚約解消は数カ月前の事。両家の話し合いの結果決まったことです。そのことについてクラスでは誰も口にすることはありません。万事、解決したと思っているので、今なぜこの件を蒸し返すのでしょう。私の中では過去の事すっかり忘れていました。

「破棄だろうと解消だろうとそれはどうでもいいけれど、それよりも、どうして格下の令嬢に負けたのかしら?」

「えっ?」

「だって、そうでしょう? 家格が同等か格上ならいざ知らず、相手は男爵令嬢。しかも平民上がりだというではないの。そんな娘に婚約者を奪われるなんて、侯爵令嬢としてはちょっと情けないのではなくて?」

 一瞬、何を言われているのか理解できませんでした。 
 奪われる? 情けない?
 思ってもみなかった単語が頭の中をぐるぐると駆け巡って、上手く考えることが出来ません。

「聞いていらっしゃるの?」

 返答できない私にビビアン様の叱責が飛びます。先ほどの和やかな雰囲気とは打って変わったビビアン様の鋭い声に体がびくつきました。

「あっ、はい」

「それに、二人の仲をすんなりと認めていましたわよね。それもどうなのかしら? 婚約者たるものそこはビシッと毅然とした態度で接するものではないの。婚約者の浮気は許せるものではないけれど、そこは婚約者たる所以で上手く収まるように話を持っていく。それが婚約者としての務めだったのではないかしら?」

 ビビアン様は一気にまくし立てるように語ると喉が渇いたのか紅茶を飲みました。
 もうすでに両家の話し合いで解決していることに対して、今更蒸し返されても何も答えることはできません。それにビビアン様には何も関係がないことです。

「あの……もう終わったことですので、このことについては話す事はありません」

「そうね。そうかもしれないわね。ただね、侯爵令嬢としての心構えを説きたかっただけなの」

「心構え?」

「そうよ。矜持というのかしら。もっと堂々とした、どんな障害にも負けない強い精神を養わなければいけなかったのではと思うのよ」 

 婚約解消って、そんなにいけないことだったのかしら? 
 エドガー様と私は政略で婚約を結んだだけでそこにお互いの愛情はなかったから、彼に愛する人ができたことにむしろホッとしたわ。
 それではダメなのかしら? 
 愛のない結婚をするよりも愛のある結婚生活を送る方がずっと幸せだし有意義だと思うわ。
 それに、学園で見かける二人は仲睦まじくて幸せそうだもの。侯爵令嬢の矜持なんて必要ないと思うのだけど。

「でも、エドガー様とリリア様は両家の公認の仲だと伺っていますから、何も心配することはないかと思われますが」

「まあ。フローラ様はお優しいのね。わたくしが言っているのはそういうことではなく、初動がまずかったのではと言っているんです」

「初動ですか?」

 ビビアン様の言葉の意味が理解できなくて私は首を傾げます。意味が分かりません。
 ビビアン様とやり取りをしている私の隣ではディアナがチーズケーキをおいしそうに頬ばっています。関心があるのかないのか計りかねますが、会話より意識はケーキに向いているように見えるので、こちらには興味はないのかもしれません。

「そう。あの婚約破棄を言い渡された時に、婚約者の不貞をきちんと指摘して、断罪すべきだったのではと言っているのです」

「断罪?」

 ビビアン様が大きく頷きました。これから説教でも始まりそうな予感。気分の高揚も手伝ってか、自信に満ち溢れ昂然とした表情が物語っています。
 ちょっと、帰りたくなってきました。
 先ほどまでは普通の女子トークだったはずなのに……

「だってそうでしょう? 婚約者が浮気をした挙句に婚約破棄。しかも公衆の面前で。恥をかかされたとその場で怒ってもいいくらいですわよ。あなたも侯爵家の娘なのだから堂々としてよろしいはず。一歩も引く必要はなかったわ」

「戦った方がよかったと?」

「そうよ。あの場ですんなりと婚約破棄を認めるなんて、負け犬がすることよ」

「あの……でも……」  

 他人から負け犬だと言われても、対応がまずかった言われても、自分としてはあの後の展開には満足しているので全然気にならないのですけれど。むしろ重い足枷がなくなって感謝しているくらいなのですけれど。
 
「一言言わせてもらうならば、フローラ様、あなたちょっと、みっともなかったわ」

 失望したとばかりに言葉を投げつけるビビアン様に体に悪寒が走りました。

 私は一体何を言われているのでしょう? とっくに過ぎ去った解決したはずの問題を蒸し返されて、何故罵られているのでしょう?
 それとも、テンネル家との婚約解消が何かしらシュミット公爵家に影響でも及ぼしたのでしょうか?
 いくら考えてみても分かりません。

「どこが、みっともなかったのでしょうか?」

 一方的に詰られるような物言いに悔しさで震える手を抑えながら、思わず言い返してしまいました。

「強いて言うならば全て、かしら?」

 ちょっと、感情的になってしまった私に比べて冷静なビビアン様は優位に立ったと思ったのか、更に言葉を投げつけてきます。

「先ずは場所ね。学園の年一回のダンスパーティーの日。衆人環視の中での婚約破棄宣言って、前代未聞ではなくて? 恥知らずなことをしたのはテンネル家の子息だけれど、それを許してしまったフローラ様、あなたにも責任があると思うのですわ。日頃から浮気などしないように、気持ちを引き付けてはおかなくてはいけなかったのではないかしら。そうすれば、あんな騒ぎは起きなかった。違います?」

 引き付けても何も最初から愛情のひとかけらもなかったのに? 歩み寄ろうにも近づくことさえなかったのに?
人前ではそれなりの態度はしてもらえていたけれど、それはホンの人前だけ。ホンの一時だけ。
 それでも、家のため研究のためと割り切って頑張っていたのに……

「そうね。浮気をしたのは百歩譲って良しとしましょう。でも、その相手が平民上がりの男爵令嬢とは。身分違いにもほどがありますわ」

 ビビアン様は私が黙っているのをいいことに、段々とエスカレートしていきました。
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