上 下
11 / 195

テンネル侯爵家の分岐点

しおりを挟む
 お二人は王妃陛下とあいさつを交わしています。
 ここまでは大丈夫そう。
 なぜか、自分の時よりもドキドキと緊張します。

「あなたはチェント男爵家のご令嬢なのね」

「そうです」

「テンネル侯爵家から同伴者の許可申請は出ていたかしら?」

 王妃陛下のお言葉に、お付きの侍従が脇に抱えていた書類をめくって確認しているようです。

「いいえ、出てはおりません」

「そう」
 
 ひんやりとした空気が流れて、時間が止まったように周りがシンと静まり返ります。
 今日は伯爵家以上ですから、子爵家や男爵家の方は参加できません。ですから婚約者などどうしても同伴したい場合は事前に主催者側に届けて許可をもらうのが常識です。

「あの、何か問題でもあるんですか?」

 リリア様、言葉遣いにはお気を付けになって。お相手はこの国の頂点に立つお方、挑戦的な態度もいけません。ただでさえ心証が悪くなっているのですから、本当に気を付けませんと。隣に行ってフォローして差し上げたい気持ちになりました。

「わからないのならよろしいのよ。気になさらないでね」

「あたしは……」

 何か言いつのろうとされたリリア様を遮るように、エドガー様が一歩ほど進み出られました。

「王妃陛下。リリアはお披露目はしておりませんが、先日私エドガー・テンネルと婚約を結びましたので、本日は正式な婚約者としてこの場に出席させて頂いております。ご招待を頂き誠にありがとうございます」

「それは、おめでとう。テンネル家が認めた婚約者ならば、とても素晴らしいご令嬢なのでしょうね」

「はい。両親も一目で気に入ってくれたようで、すぐに結婚の許しも出ました。いついかなる時も私のことを考えてくれる心優しい婚約者です」

 王妃陛下はにこやかに話を聞いていらっしゃいますが、目は笑っていません。

 エドガー様の誇らしげに胸を張って意気揚々と答える態度と褒められたのが嬉しいのか頬を染めて、エドガー様の服の袖をにぎってもじもじ恥じらうリリア様の姿が痛々しくて……他人事ではありますが、胸がチクチクと痛みます。

 先ほどよりもさらに空気がひんやりとしてきたような……
 会場中がお三方に神経が全集中しているためか、異様な雰囲気にのまれてバーテンダーやメイドも仕事を放棄しています。
 王太子妃殿下は扇子で顔を隠してしまわれました。モルフォ蝶が羽を広げて飛んでるような扇子のデザインが斬新でしばし目を奪われました。

「あら、この指輪は……」

 王妃陛下がリリア様の指に目を止め、ジッと見つめてらっしゃいます。

「これですか? いいでしょう?」

 弾んだ声でリリア様が目の前に差し出した指に嵌められていたのは、薔薇を形どった指輪、でした。

「ヒッ……っ」
 
 誰の声なのか引きつった声が漏れました。誰かがゴクリと唾を飲み込んだ気配がします。
 呼吸を忘れるほどに会場中が完全に凍ってしまいました。

 王妃陛下が扇子を一振り、オレンジ色の大輪の薔薇がパッと咲きました。リリア様の目の前で広げた扇子を手に、優雅に扇いでいらっしゃいます。

 ああ、今日は薔薇はダメなのです。

 王妃陛下は名前の由来でもある薔薇をこよなく愛しておられて、出席されるときはドレスやアクセサリーなどに必ず薔薇のデザインをお使いになられます。それゆえ臣下である私たちはかぶらないように薔薇を一切使いません。王妃陛下よりお達しがあったわけではありませんが、礼儀として貴族間の暗黙のルールとなっています。

「婚約の記念に、エドガーが買ってくれたんです。珍しいダイアモンドを使ったとてもお高い指輪なんですよ。せっかくだから、みんなにも見せたいと思ってつけてきたんです」
 
 御前がどなたかを忘れ、状況を把握できていないリリア様のその口ぶりは無邪気な幼い子供のようです。
 確かに大ぶりのなかなかお目にかかれない逸品なのでしょうが、自慢する場はここではありません。何気に指輪をかざしてうっとりと見惚れた顔が、哀れにさえ思えてきます。

「素晴らしいものをお持ちね。大事になさってね」

「もちろん、大事にします」

 リリア様は満足そうににっこりと笑いました。

「では、ごきげんよう」

 エドガー様とリリア様を一瞥し、その言葉とともに王妃陛下と王太子妃殿下は去って行かれました。

 会場の緊張が一気に解けたように、弛緩した空気が流れます。
 今日の出来事はすぐさま社交界に広まるかもしれません。非常識な侯爵家の嫡男とその婚約者。テンネル侯爵と夫人は大丈夫でしょうか?

 王妃陛下と王太子妃殿下は何事もなかったかのように次の方々と談笑しておられるようです。やっと、会場中が正常な空気に包まれました。

「思ったより、やらかしてくれたわね」

 料理を頬張っていらっしゃるリリア様とエドガー様を横目に見ながら、ディアナがおかしそうに顔を緩めています。

「私、そばに行って助け舟を出そうかと何度も思いました」

「フローラってば、優しいのね。わたしは笑いをかみ殺すのに苦労したわ」

「ディアナ。あの場面は笑うところではないわよ。ずっと、緊張しっぱなしだったわ」

「ローズ様から、ごきげんようと言われたのに、まだ居座る図々しさ。これは、ブラックリストに載ったわね」

 ディアナがニヤリと口の端をあげて、ちょっと意地の悪い顔になります。

 ごきげんようは帰りにサヨナラするときに使う言葉。まだ、ガーデンパーティーは続いています。つまり、もう帰りなさい。さようならという意味です。

 けれど、エドガー様とリリア様には王妃陛下のお気持ち、真意が通じなかったのでしょうね。今も楽しそうに料理を頬張って食べてらっしゃいますもの。

 三つの失態。これから両家に影響がないとよいのですけれど……
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

なんでも奪っていく妹に、婚約者まで奪われました

ねむ太朗
恋愛
伯爵令嬢のリリアーナは、小さい頃から、妹のエルーシアにネックレスや髪飾りなどのお気に入りの物を奪われてきた。 とうとう、婚約者のルシアンまでも妹に奪われてしまい……

【完結】婚約破棄された地味令嬢は猫として溺愛される

かずきりり
恋愛
婚約者は、私より義妹を選んだ―― 伯爵家の令嬢なのに、その暮らしは平民のようで…… ドレスやアクセサリーなんて買ってもらった事もない。 住んでいるのは壊れかけの小屋だ。 夜会にだって出た事はないし、社交界デビューもしていない。 ただ、侯爵令息であるエリックに会う時だけ、着飾られていたのだ……義妹のもので。 侯爵夫人になるのだからと、教育だけはされていた……けれど もう、良い。 人間なんて大嫌いだ。 裏表があり、影で何をしているのかも分からない。 貴族なら、余計に。 魔法の扱いが上手く、魔法具で生計を立てていた私は、魔法の力で猫になって家を出る事に決める。 しかし、外の生活は上手くいかないし、私の悪い噂が出回った事で、人間の姿に戻って魔法具を売ったりする事も出来ない。 そんな中、師匠が助けてくれ……頼まれた仕事は 王太子殿下の護衛。 表向きは溺愛されている猫。 --------------------- ※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。

婚約破棄された枯葉令嬢は、車椅子王子に溺愛される

夏海 十羽
恋愛
地味な伯爵令嬢のフィリアには美しい婚約者がいる。 第三王子のランドルフがフィリアの婚約者なのだが、ランドルフは髪と瞳が茶色のフィリアに不満を持っている。 婚約者同士の交流のために設けられたお茶会で、いつもランドルフはフィリアへの不満を罵詈雑言として浴びせている。 伯爵家が裕福だったので、王家から願われた婚約だっだのだが、フィリアの容姿が気に入らないランドルフは、隣に美しい公爵令嬢を侍らせながら言い放つのだった。 「フィリア・ポナー、貴様との汚らわしい婚約は真実の愛に敗れたのだ!今日ここで婚約を破棄する!」 ランドルフとの婚約期間中にすっかり自信を無くしてしまったフィリア。 しかし、すぐにランドルフの異母兄である第二王子と新たな婚約が結ばれる。 初めての顔合せに行くと、彼は車椅子に座っていた。 ※完結まで予約投稿済みです

【完結】王太子に婚約破棄され、父親に修道院行きを命じられた公爵令嬢、もふもふ聖獣に溺愛される〜王太子が謝罪したいと思ったときには手遅れでした

まほりろ
恋愛
【完結済み】 公爵令嬢のアリーゼ・バイスは一学年の終わりの進級パーティーで、六年間婚約していた王太子から婚約破棄される。 壇上に立つ王太子の腕の中には桃色の髪と瞳の|庇護《ひご》欲をそそる愛らしい少女、男爵令嬢のレニ・ミュルべがいた。 アリーゼは男爵令嬢をいじめた|冤罪《えんざい》を着せられ、男爵令嬢の取り巻きの令息たちにののしられ、卵やジュースを投げつけられ、屈辱を味わいながらパーティー会場をあとにした。 家に帰ったアリーゼは父親から、貴族社会に向いてないと言われ修道院行きを命じられる。 修道院には人懐っこい仔猫がいて……アリーゼは仔猫の愛らしさにメロメロになる。 しかし仔猫の正体は聖獣で……。 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2021-九頭竜坂まほろん」 ・ざまぁ有り(死ネタ有り)・ざまぁ回には「ざまぁ」と明記します。 ・婚約破棄、アホ王子、モフモフ、猫耳、聖獣、溺愛。 2021/11/27HOTランキング3位、28日HOTランキング2位に入りました! 読んで下さった皆様、ありがとうございます! 誤字報告ありがとうございます! 大変助かっております!! アルファポリスに先行投稿しています。他サイトにもアップしています。

結婚前夜に婚約破棄されたけど、おかげでポイントがたまって溺愛されて最高に幸せです❤

凪子
恋愛
私はローラ・クイーンズ、16歳。前世は喪女、現世はクイーンズ公爵家の公爵令嬢です。 幼いころからの婚約者・アレックス様との結婚間近……だったのだけど、従妹のアンナにあの手この手で奪われてしまい、婚約破棄になってしまいました。 でも、大丈夫。私には秘密の『ポイント帳』があるのです! ポイントがたまると、『いいこと』がたくさん起こって……?

辺境の獣医令嬢〜婚約者を妹に奪われた伯爵令嬢ですが、辺境で獣医になって可愛い神獣たちと楽しくやってます〜

津ヶ谷
恋愛
 ラース・ナイゲールはローラン王国の伯爵令嬢である。 次期公爵との婚約も決まっていた。  しかし、突然に婚約破棄を言い渡される。 次期公爵の新たな婚約者は妹のミーシャだった。  そう、妹に婚約者を奪われたのである。  そんなラースだったが、気持ちを新たに次期辺境伯様との婚約が決まった。 そして、王国の辺境の地でラースは持ち前の医学知識と治癒魔法を活かし、獣医となるのだった。  次々と魔獣や神獣を治していくラースは、魔物たちに気に入られて楽しく過ごすこととなる。  これは、辺境の獣医令嬢と呼ばれるラースが新たな幸せを掴む物語。

現聖女ですが、王太子妃様が聖女になりたいというので、故郷に戻って結婚しようと思います。

和泉鷹央
恋愛
 聖女は十年しか生きられない。  この悲しい運命を変えるため、ライラは聖女になるときに精霊王と二つの契約をした。  それは期間満了後に始まる約束だったけど――  一つ……一度、死んだあと蘇生し、王太子の側室として本来の寿命で死ぬまで尽くすこと。  二つ……王太子が国王となったとき、国民が苦しむ政治をしないように側で支えること。  ライラはこの契約を承諾する。  十年後。  あと半月でライラの寿命が尽きるという頃、王太子妃ハンナが聖女になりたいと言い出した。  そして、王太子は聖女が農民出身で王族に相応しくないから、婚約破棄をすると言う。  こんな王族の為に、死ぬのは嫌だな……王太子妃様にあとを任せて、村に戻り幼馴染の彼と結婚しよう。  そう思い、ライラは聖女をやめることにした。  他の投稿サイトでも掲載しています。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

処理中です...