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沈黙の理由
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イブは恐怖に足が竦み、その光景を見つめるばかりでした。
『・・・・・・』
けれど、誰かが囁きます。
『・・・・・・』
言葉にならない声で。苦しみを訴えるような声が、心の中に響きます。
イブは言葉なき声に、はっと我に返ります。
「だれ?」
『・・・・・・』
問いかけても、すぐに誰だかわかりません。気持ちが悪いと、苦しいと感情のみが伝わってくるのです。言葉は通じないようです。とすると、森の生き物ではないのでしょう。森では普通に言葉で話せるのです。
先ほどまでの恐怖はどこへ行ったのでしょうか。空の彼方へ飛んでしまったのかもしれません。恐怖が消えた後のイブは、冷静そのものでした。どこか大人びた表情をしています。
(じゃあ、どこから?)
理知を含んだ瞳で、イブは周りを見渡し確認します。声の主を探すために。森の生き物でないのなら、ここにうずくまっている男性でしょうか?
(違う。この人じゃない)
苦しんではいるものの、声が発せられた様子はありません。血が流れ、かなりの重傷を負っているのは、イブにもわかりますが、今はそれどころではないのです。心の中に訴えかける物の方が気がかりです。人どころではありません。
イブにまで、その物の苦しみが、気持ち悪さが、伝わってくるのです。
まとわりつくような粘り気を帯びた不快な感情。早くその感情を追い出したくて、助けたくて、男性を中心に注意深く探します。
そして、見つけました。
男性のそばに転がっている一振りの剣を。
(ここから?)
イブが剣に目を向けると、きらりんと光ったように見えました。まるで、見つけてくれたことを喜ぶように。
お互いの心が繋がったような気がしました。
「やっぱり、そうだ。よかった。見つけた」
声の主を見つけてイブも安堵の息を漏らします。
そばまで来ると、剣の様子をじっと見つめます。
本来なら、鞘におさまっているはずの剣はむき出しのまま、雪の上へと転がされている状態です。そのうえ、剣にはべったりと血の跡がついているのです。
『・・・・・・』
「これが気持ち悪かったんだね?」
イブが問いかけると、きらりんともう一度剣が光ります。まるで意思表示をするかのように。気持ち悪さを我慢して剣を観察します。
刀身に付いた血は。
幾筋もの流れた血の跡は。
この剣は誰かの命を奪ったのでしょうか?
ああ。
森が沈黙していた理由がわかりました。
鎮守の森と言われるように、ご神木が祀られている神聖な場所。何よりも森が嫌うのは不浄なもの。特に、血が嫌いだと樫の木さんから聞いたのです。
『わたしたちが嫌うのは流れる血だよ』
「血? どうして? イブも血が出るよ。この前転んでけがをしたの」
『そうじゃないよ。血は生き物なら誰でも持っているもの。命をつなぐ大事なものだよ。そうではなく、争いで流れる血のことだよ』
「争い?」
『イブは戦争を知らないだろう?』
「知らない」
『戦争は無用な血を流す。罪のない人間が命を失う。昔、この国も戦争をしたんだよ。国同士の喧嘩だ。負けてしまったがね。争いは憎しみや悲しみや恨み、さまざまな負の感情をまき散らす。それがわたしたちには、身を切られるよりつらいのだよ。この世のすべてが繋がっている。無用な血が流れるだけで、わたしたちの命が蝕まれる。今はこの国も平和になって、ずいぶんと生きやすくはなったがね』
「イブは争ったりしないよ。けんかしない。みんなと仲良くするよ。森のみんなを悲しませたくないもん」
『そうだね。イブならきっと大丈夫だ』
ごく最近のことでした。
樫の木の下に座り、冬のほんのり暖かな陽射しを浴びながら、この話をしたのです。
剣に付いているのは、自分の血ではないのでしょう。
自分も傷つき、誰かも傷つけた。
その不浄の血が、神聖な森へと運ばれてしまったから。恐怖に震えていたのはイブだけではなく、森もそうだったのでしょう。だから、森の生き物たちはイブに返事ができなかったのです。
どうすれば、森は安心してくれるのでしょうか?
『浄化するんだよ』
不意に声が聞こえました。
樫の木です。
やっと口をきいてくれました。
「どうやって?」
イブは木を見上げながら問いかけます。
『雪だよ。天から降る雪は聖なるもの。白は神聖さを表す。特に今日はクリスマスイブ。人間の心も清らかになる日だからね。雪で不浄なるものを洗い流してしまえば良い』
樫の木は言います。
「うん」
イブは大きく頷くと、剣のそばにしゃがみ込みます。それから、手袋を脱いで、純白の雪を手に取りました。
ごし、ごし、ごし。
雪で剣をこすります。
ごし、ごし、ごし。
雪は冷たくて、手がかじかんで今にも凍りそうです。
ごし、ごし、ごし。
それでも、イブは新しい雪を手に取り、一生懸命きれいにしていきます。
ごし、ごし、ごし。
雪は血を吸い取り融けていきます。
こびりついていた血が、だんだんと落ちていきました。その度に、気持ちよさそうな剣の気を感じます。イブの中にあった不快感も薄れていきます。
ごし、ごし、ごし。
すっかり血が浄化されると、美しい刀身が現れました。ピカピカに輝いています。まるで鏡のようにイブの顔が映し出されました。
「きれい」
うっとりとするようにつぶやいた一言に、剣がきらりんと光ります。ほめられたことが嬉しかったのでしょう。イブも剣の気持ちを感じ取り微笑みます。
剣は元の場所へと帰りたいようです。思いが伝わってきました。それまでがイブの役目だと思い、剣を収めるための鞘を探します。
ありました。
男性の腰に下がっています。イブは、苦しげに顔をしかめている男性の腰から鞘を外しました。
「ちょっと、待っててね」
男性に声をかけると、剣を手に取ります。重いだろうと思っていたそれは、とても軽いものでした。まるでイブに合わせたかのように、手になじみます。
剣を高らかにあげてから、
シャッキーン。
清々しい音を立てて、剣は鞘に収まりました。
これにて、一件落着。ではありません。
ほっとしたのもつかの間。
次は傷を負って動けないこの男性です。
イブはじっと見つめます。
額にはあぶら汗が滲んでいます。あまり声を出さないのは、痛みに耐えているからかもしれません。二十代前後の青年でしょうか。痛みに顔を歪めていても、整った顔立ちであることはイブでもわかります。
(イケメンのお兄ちゃん)
それと、銀糸のような長い髪と、まるで騎士服のような純白の長衣とズボンを身に着けています。この衣服のせいで雪に見えたのでしょう。
この世界の人間ではないような気もします。
さて、どうしたらいいのでしょうか?
『・・・・・・』
けれど、誰かが囁きます。
『・・・・・・』
言葉にならない声で。苦しみを訴えるような声が、心の中に響きます。
イブは言葉なき声に、はっと我に返ります。
「だれ?」
『・・・・・・』
問いかけても、すぐに誰だかわかりません。気持ちが悪いと、苦しいと感情のみが伝わってくるのです。言葉は通じないようです。とすると、森の生き物ではないのでしょう。森では普通に言葉で話せるのです。
先ほどまでの恐怖はどこへ行ったのでしょうか。空の彼方へ飛んでしまったのかもしれません。恐怖が消えた後のイブは、冷静そのものでした。どこか大人びた表情をしています。
(じゃあ、どこから?)
理知を含んだ瞳で、イブは周りを見渡し確認します。声の主を探すために。森の生き物でないのなら、ここにうずくまっている男性でしょうか?
(違う。この人じゃない)
苦しんではいるものの、声が発せられた様子はありません。血が流れ、かなりの重傷を負っているのは、イブにもわかりますが、今はそれどころではないのです。心の中に訴えかける物の方が気がかりです。人どころではありません。
イブにまで、その物の苦しみが、気持ち悪さが、伝わってくるのです。
まとわりつくような粘り気を帯びた不快な感情。早くその感情を追い出したくて、助けたくて、男性を中心に注意深く探します。
そして、見つけました。
男性のそばに転がっている一振りの剣を。
(ここから?)
イブが剣に目を向けると、きらりんと光ったように見えました。まるで、見つけてくれたことを喜ぶように。
お互いの心が繋がったような気がしました。
「やっぱり、そうだ。よかった。見つけた」
声の主を見つけてイブも安堵の息を漏らします。
そばまで来ると、剣の様子をじっと見つめます。
本来なら、鞘におさまっているはずの剣はむき出しのまま、雪の上へと転がされている状態です。そのうえ、剣にはべったりと血の跡がついているのです。
『・・・・・・』
「これが気持ち悪かったんだね?」
イブが問いかけると、きらりんともう一度剣が光ります。まるで意思表示をするかのように。気持ち悪さを我慢して剣を観察します。
刀身に付いた血は。
幾筋もの流れた血の跡は。
この剣は誰かの命を奪ったのでしょうか?
ああ。
森が沈黙していた理由がわかりました。
鎮守の森と言われるように、ご神木が祀られている神聖な場所。何よりも森が嫌うのは不浄なもの。特に、血が嫌いだと樫の木さんから聞いたのです。
『わたしたちが嫌うのは流れる血だよ』
「血? どうして? イブも血が出るよ。この前転んでけがをしたの」
『そうじゃないよ。血は生き物なら誰でも持っているもの。命をつなぐ大事なものだよ。そうではなく、争いで流れる血のことだよ』
「争い?」
『イブは戦争を知らないだろう?』
「知らない」
『戦争は無用な血を流す。罪のない人間が命を失う。昔、この国も戦争をしたんだよ。国同士の喧嘩だ。負けてしまったがね。争いは憎しみや悲しみや恨み、さまざまな負の感情をまき散らす。それがわたしたちには、身を切られるよりつらいのだよ。この世のすべてが繋がっている。無用な血が流れるだけで、わたしたちの命が蝕まれる。今はこの国も平和になって、ずいぶんと生きやすくはなったがね』
「イブは争ったりしないよ。けんかしない。みんなと仲良くするよ。森のみんなを悲しませたくないもん」
『そうだね。イブならきっと大丈夫だ』
ごく最近のことでした。
樫の木の下に座り、冬のほんのり暖かな陽射しを浴びながら、この話をしたのです。
剣に付いているのは、自分の血ではないのでしょう。
自分も傷つき、誰かも傷つけた。
その不浄の血が、神聖な森へと運ばれてしまったから。恐怖に震えていたのはイブだけではなく、森もそうだったのでしょう。だから、森の生き物たちはイブに返事ができなかったのです。
どうすれば、森は安心してくれるのでしょうか?
『浄化するんだよ』
不意に声が聞こえました。
樫の木です。
やっと口をきいてくれました。
「どうやって?」
イブは木を見上げながら問いかけます。
『雪だよ。天から降る雪は聖なるもの。白は神聖さを表す。特に今日はクリスマスイブ。人間の心も清らかになる日だからね。雪で不浄なるものを洗い流してしまえば良い』
樫の木は言います。
「うん」
イブは大きく頷くと、剣のそばにしゃがみ込みます。それから、手袋を脱いで、純白の雪を手に取りました。
ごし、ごし、ごし。
雪で剣をこすります。
ごし、ごし、ごし。
雪は冷たくて、手がかじかんで今にも凍りそうです。
ごし、ごし、ごし。
それでも、イブは新しい雪を手に取り、一生懸命きれいにしていきます。
ごし、ごし、ごし。
雪は血を吸い取り融けていきます。
こびりついていた血が、だんだんと落ちていきました。その度に、気持ちよさそうな剣の気を感じます。イブの中にあった不快感も薄れていきます。
ごし、ごし、ごし。
すっかり血が浄化されると、美しい刀身が現れました。ピカピカに輝いています。まるで鏡のようにイブの顔が映し出されました。
「きれい」
うっとりとするようにつぶやいた一言に、剣がきらりんと光ります。ほめられたことが嬉しかったのでしょう。イブも剣の気持ちを感じ取り微笑みます。
剣は元の場所へと帰りたいようです。思いが伝わってきました。それまでがイブの役目だと思い、剣を収めるための鞘を探します。
ありました。
男性の腰に下がっています。イブは、苦しげに顔をしかめている男性の腰から鞘を外しました。
「ちょっと、待っててね」
男性に声をかけると、剣を手に取ります。重いだろうと思っていたそれは、とても軽いものでした。まるでイブに合わせたかのように、手になじみます。
剣を高らかにあげてから、
シャッキーン。
清々しい音を立てて、剣は鞘に収まりました。
これにて、一件落着。ではありません。
ほっとしたのもつかの間。
次は傷を負って動けないこの男性です。
イブはじっと見つめます。
額にはあぶら汗が滲んでいます。あまり声を出さないのは、痛みに耐えているからかもしれません。二十代前後の青年でしょうか。痛みに顔を歪めていても、整った顔立ちであることはイブでもわかります。
(イケメンのお兄ちゃん)
それと、銀糸のような長い髪と、まるで騎士服のような純白の長衣とズボンを身に着けています。この衣服のせいで雪に見えたのでしょう。
この世界の人間ではないような気もします。
さて、どうしたらいいのでしょうか?
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