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第百三十二回 王家村と都と周瑜公瑾

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 その場所に王倫は立っていた。だが当人にはそこが何処だかわからない。

「……ここは何処だ?」

 ぽつりと漏らした一言は周囲の闇の中へと吸い込まれていく。そこは不思議な場所だった。

「誰かおらぬのか?」

 やはりその言葉も闇へと吸い込まれ何の反応も返ってはこない。辺りは完全に闇一色だ。だが王倫自身は明かりのないこの場所でも自分の身体を見る事ができた。彼は自身の両手を見つめた後、意を決して方向を定め歩みを進める。


「……様。王倫様!」
「!?」

 ……王倫は誰かに呼ばれて意識をそちらにむける。そこには時遷が心配そうに覗きこんでいる姿があった。

「お疲れならお休みになられてはいかがです?」

 言われて思い出す。自分の部屋で人目を避けて直属の密偵である時遷から報告を受けていた事を。

「まさか眠っていたのか? いつからだ?」

 王倫は彼から知らされた報告の概要を口にする。すり合わせによるとどうやら報告後に交わしていた他愛ない雑談時にいつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「……もう一度言いますがお疲れなら休まれた方が」
「ああ、いや。疲れている訳ではないと思うのだが夢見が悪いせいかもしれぬな」

 王倫はただ暗闇の中に一人いるというだけの夢を頻繁に見ていた。歩き回っても何もなく、喚こうが叫ぼうが反応もないので今ではただ達観したかのように暗闇に座りこんでじっとしている。

「うむ……自分が寝ているのか起きているのか。その境界が曖昧に感じるような夢だ」
「はぁ……不眠症というやつですかねぇ。言われてみれば目のまわりにうっすらクマがあるような……」
「な、何?」
「あっしが自分の事にして安道全先生か桃香様に眠れる薬でも調合してもらってきましょうか?」

 王倫は大したことではないと断ろうとしたが、皆にいらぬ心配をかけさせるのもどうかと考え時遷の気遣いに頼る事にした。時遷が誰にも見られぬように王倫の部屋を出た後、彼は報告の内容を一人思い返す。

(遼への使節団の派遣。その副使に高俅とは)

 顎に手をあてる。

(そして皇帝陛下がある人物に平虜伯の爵位を追贈した)

 そのまま首を傾げる王倫。

(だがなぜ三国時代に呉で活躍した周瑜公瑾になのだろうか……)


 その頃村では。

「これはこれは周瑜様とその奥方の小喬さん。見ていってくださいよ」
「よ、よしてくださいよ張青さん」

 張青が店の前を歩く鄭天寿と白秀英を見かけて声をかけた。声をかけられた二人も寄ってくる。張青の傍らでは武大が肉饅頭を作るのを手伝っていた。

「あ、秀英お姉ちゃん」

 武大が気付いて反応する。白秀英は新たな劇の題材として三国時代に江東で勢力を誇った呉を選んだ。そしてその中から赤壁で魏の大軍を破った立役者の軍師、周瑜公瑾とその妻小喬に着目。嫌がる鄭天寿を執拗に追い回して説得し初舞台を踏ませる事を承諾させた。もちろん賢明な方ならすぐに気付くだろう。小喬を当然の如く自分が演じ、周瑜役に鄭天寿を推すことで一緒に居られる時間を増やすのが彼女の目的であることを。

 だがここで彼女の名誉のために言っておかねばならない。確かに自分の為に動いている部分も否めなくはないのだが、他の梁山泊の住人と同じく彼女もまた変わっていた。

 王倫は鄭天寿の容姿と物腰から、彼が使者の役目に向いているのではないかと考え柴進の補佐につけ彼からその作法や所作を身につけさせようとしている。

 柴進と鄭天寿の関係も良く、その期待には応えられると思っていた。……ただひとつの点を除いては。ある時の白秀英と柴進の会話の中でそれは述べられた。

「柴進様、彼の様子はいかがですか?」
「問題はない。…と言いたい所だがやや不安があるな」
「もしかして気の弱い所だったりします?」
「さすがによく見ている。まさにそこだ」

 周囲に気を配り使者としての教養、品格も身につけたが土壇場で気後れする部分がある。と柴進は続けた。

「自分に対して自信が持てきれぬのであろう。せめてそなたの半分でも度胸があればよかったのだが……」
「まあ! 柴進様ったらわたくしをなんだと思ってらっしゃるのですか」

 言いながらも白秀英は鄭天寿のためになりそうな事を考え前述の内容を思い付くに至る。苦労はあったがそのおかげで鄭天寿が尻込みする場面は確実に減った。柴進は彼女のそんな一面を高く評価し、たまに金連の様子もみてくれないかと頼んだ。

 金連は現在東平府からやってきた李瑞蘭とこの白秀英に色々な知識・技術を教わっていた。武大もその様子に触発され張青の店で饅頭づくりを教わり、武松に武術を習ったりしていたのである。

「武大ちゃんも頑張ってるわねぇ。金連に負けないように励みなさいよ?」
「うん! 金連はおいらが守るんだ」
「あらあら堂々と言うわねぇ。でもそこは鄭天寿様にも見習ってもらいたい部分ですわ」

 武大をだしに鄭天寿をからかう白秀英。

「はいはいご馳走さま。秀英さん次の舞台も楽しみにしてるからね。絶対観に行くから」
「ありがとう孫二娘様。ご期待にそえるよう努力いたしますわ」

 声をかけてきた孫二娘にこたえて白秀英はご満悦だ。しかし彼女にはひとつだけ大きな誤算があった。同時にその誤算が彼女の耳に届いてくる。

「あら? ねぇねぇ。あれってもしかして周瑜様を演じた鄭天寿様じゃない?」
「わぁ! 近くで見るとやっぱりいい男ね周瑜様」
「お、おもいきって話かけてみようかしら」

 そう。鄭天寿は元々いい男であった。そんな男に美周郎と呼ばれる周瑜の役を重ねて世間に披露してしまったため王家村の若い女性を中心に彼の人気に火がついてしまったのだ。これには白秀英も心中穏やかではいられない。鄭天寿もこれについてはよく愚痴を聞かされるのか苦笑いを浮かべるしかなかった。

 そしてこれと時期をほぼ同じくして都で周瑜に爵位が贈られたという話が村に伝わると偶然にしては出来すぎていると話題になり、村の劇団の話が都にも伝わったからだと荒唐無稽な話を吹聴する者まで現れる始末。


 一方、鄆城県の時文彬のもとには都からの命令書が届いていた。

「都からはなんと?」
「うむ。この付近一帯でその辺の草木や石などを持ち去る事にも税金をかけている役人の事を追及しており、それを一切やめるようにとの事だ」

 時文彬から説明を受けた雷横が鼻で笑う。

「はんっ。それを指示して私腹を肥やしていた張本人が都の大物じゃないですかい。皆がどれだけ苦しもうが構わなかったくせに何を今更……」

 それを遮る時文彬。

「いやどうやらこの命令をお出しになられたのは陛下だ。印も陛下のものが使われている」

 命令書を持つ時文彬の腕が震えていた。

「我々はそんな税の取り立てはしておりませんでしたが、この近くで言えば王家村が出来る前の石碣村ではそれが横行していたとか」

 朱仝の言葉に時文彬も頷く。

「管轄が違うので我らには何も出来なかったがな。しかし陛下と言えば芸術方面ばかりにのめりこみ政治にはとんと関心を示さないお方だと思っていたが……」
「花石綱も趣味のため。民の苦しみは一切無視だ」

 雷横がさらにどくづく。

「しかし陛下がこんな場所の事まで気にされるとは一体どんな心境の変化があられたのか……」

 時文彬は徽宗のこの命令に喜びながらもその真意をはかりかねて頭を悩ませる。

 しかし。このひとつの明るい話題に対して都から遼国へと派遣された使節団の一行には不穏な空気が流れていた。
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