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第三話 両手で持ったコーヒーカップがじんわりと温かい。

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 第三話 両手で持ったコーヒーカップがじんわりと温かい。


 涼介はぼんやりと湯気を眺めていた。
 香ばしい焙煎の香り。
 両手で持ったコーヒーカップがじんわりと温かい。
 (やっと彼の部屋へ入る事が出来た。)
 涼介は今までの事を思い出して目頭が熱くなった。

 幸せそうな涼介の表情とは対照的に結希の表情は曇っていた。
 大切な美月を病気で亡くして四十九日。
 喪失感に取り込まれ何もする気にならなかった。
 一方的に請け負っていた仕事もドタキャン。
 ろくに食べもせずに部屋でふさぎ込んだ。
 そして気がつくと街を彷徨っていた。
 存在しない彼女の面影を探し続けて。

 そんな時に出会った美月にそっくりの顔立ちの謎の青年。
 そして突然の告白……謎の挑発。

 『小桜 美月の秘密、知りたくないですか?』

 その言葉だけが妙に結希の心に引っかかっていた。
 (くだらない嘘……結局ボクは美月の幻影を求めているだけなのか?)
 美月がもうこの世にいない事は頭では分かっていた。
 どこで彼女の名前を調べたか知らないがダシに使うなど無神経過ぎる。
 美月との思い出を汚された気がして無性に腹が立った。
 ボクはその場で彼をぶん殴ってやろうかとも思った。

 永遠とも思える長い時間、あの駅へ通い続けた。
 だが、二度と美月の姿を見る事は叶わなかった。
 何度も美月のメールアドレスへメッセージも送信した。
 きっとあの最後のメッセージは時間指定メールだったのだろう。
 美月から返事が来る事はもうなかった。
 
 『美月は殺された。
  これ以上関われば、貴方の命も危険。
  だから彼女との関係を誰にも話すな。
  そして誰も信じるな』

 そう葬儀で小桜財閥の秘書だという香澄は言った。
 (彼女は殺された?)
 あれはどういう意味だったのだろうか?
 彼女は病死ではないのか?
 大体、香澄という秘書の言葉は信用できるのだろうか?
 『あの女』は突然、ボクの前で全裸になり誘惑した女。
 美月が見ていると知っていてボクに自分を抱かせた女。
 あの出来事さえなければ、美月と会えなくなる事はなかっただろう。
 でも美月が倒れた時に彼女が連絡した相手も秘書の香澄だった。
 一体、彼女は敵なのか?
 味方なのか?
 美月が殺されたとは、どうゆう意味なのか?
 分からない事が多過ぎた。
 殺人にしろ、病死にしろ、本当に彼女は死んだのか?
 じゃあ、あの日、駅で微笑んでいた彼女は何だったのだろうか?
 その後、誰に訊ねても小桜 美月を見たと言う者は居なかった。
 (誰でもいいっ、誰か美月は存在したと言ってくれっ。)
 どこかで彼女の幻影を探していたボク。
 願望にも似た気持ちが、そんな言葉を求めていた事も事実だった。
 (誰かと彼女の話をしたい。)
 でなければ彼女の存在は風化して本当にこの世から居なくなってしまう。
 押しつぶされそうな虚無感の中で、そんな気がしていた。
 そして気がつくとボクは彼を近くの自宅へ招いていた。

 ガシャンッ

 乱暴にコーヒーカップを差し出す。
 ボクは柄にもなく、荒々しく椅子を引いてドカッと座った。
 そして、ズレた眼鏡を人差し指でそっと押し上げた。

 「でっ? 
  小桜 美月の秘密とは何なんだ?」

 ボクは警戒しながら問いただす。

 「そんなに怖い顔しないで下さいよ。
  ちゃんとお話ししますから……。」

 そう言って涼介はフゥーッとカップを吹いてコーヒーを一口飲んだ。
 そして、遠くを見通すようにぼんやりと空を眺める。
 カップを吹いたほろ苦い湯気がゆらゆらと空気に溶け込んで行く。
 大切そうに両手で包み込むコーヒーカップがじんわりと温かい。
 まるでその空間に映像が浮かんでいるかのようだった。
 一点を見つめて、涼介は一ミリも視線を外さなかった。
 そして暫くの沈黙の後で独り言のように語り始めた。

 「長い話になりますが、どこから話しましょう。
  あぁぁ、そうだっ、例えばさっき俺達が出会った場所にあるカフェ。
  あそこは結希さんと美月が偶然出会った思い出の場所ですよね?」

 (どうしてキミがそれを知っている?)
 ボクは驚いた。
 確かにあのカフェはボクが美月と偶然出会った思い出の場所だった。

 ある雨の日、傘を忘れて駅で雨宿りをしていた事があった。
 その日は仕事でトラブルが続き、気が滅入った挙句の突然の雨。
 世界の全てがボクに牙を剥いた。
 皆が、ゲラゲラとボクを嘲笑っているそんな気がした一日だった。

 「くそっ、雨かよ最悪だ。
  空よ早く止んでくれっ、泣きたいのはこっちだよ。」

 両手を広げて独り叫んだ。
 そんなボクに隣からクスッと笑い傘を貸してくれた。
 それが美月だった。

 「何があったか知りませんが、凄い悲嘆ぶりですね。
  いくら空を恨んでも止みませんよ。
  はいっ、でも今日は、この傘をどうぞ。」

 そう笑い彼女は名前も言わずに傘を差し出した。

 『初めて人の善意に触れた大切な思い出』

 その日から暫くの間、ボクは傘を返そうと晴れの日も傘を持ち歩いた。
 月も変わり諦めかけた頃、その再会は突然やって来た。
 行きつけのカフェのカウンターでいつものようにコーヒーを注文。

 「すみません。カプチーノを一つ。」
 「すみません。カプチーノを一つ。」

 同時に同じ注文。
 思わず隣を見ると向こうもこちらを振り向き瞳が合った。
 (えっ!)
 それは以前、雨の日に傘を貸して走り去った女性だった。

 『奇跡的な偶然の出会い』

 ボク達は直ぐに打ち解けた。
 それがきっかけでボク達は連絡先を交換し付き合い始めた。

 『知り合いでもなく名乗りもしない女性』から『小桜 美月』へ

 このエピソードは二人だけの大切な思い出。
 他の誰かに話したコトはなかった。
 (それなのにどうしてコイツはそれを知っている?)

 ボクは涼介を見つめながら考え込んだ。
 意識が思い出から現実に戻り、ボクは涼介へ問いかける。

 「確かにあのカフェはボク達が偶然出会った思い出の場所だ。
  だがキミがどうしてそれを知っている?」

 そんなボクの質問が聞こえなかったようだ。
 ボクの言葉を無視して、突然に涼介はボクと目線を合わせた。

 ドキッ

 涼介の真剣な眼差しに何故か目線が外せない。
 瞳が揺らいだその瞬間に涼介はこう言った。

 「結希さんっ、
  その美月との運命の出会いが偶然ではなく、
  仕組まれた出会いだったらどうしますか?」

 (なにっ、お前は何を言っている……あの善意が嘘なハズがない)
 驚くボクが思わず椅子から立ち上がると急に世界が回転し始めた。

 目眩……床へ倒れ込み天井がグルグルと廻っている。

 バタッ

 ボクの意識が薄れていく。
 ボクは無表情に覗き込む涼介の顔をただ見つめていた。

  *

 チュンッ チュンッ

 カーテンの隙間から太陽の光が差し込み朝を告げる。
 遠くで微かに鳥の鳴き声が響いていた。
 気がつくと火照った体の中で額だけがひんやりと冷たく心地良い。

 「んっ……ここは?」

 結希はボーっとする意識の中で瞳を開いた。
 確か死んだ彼女にそっくりな謎の男に声をかけられて……。
 そうだっ、ボクは自宅で口論をしていたはずだった。
 それが気がつけば寝室のベットに横たわっている。
 額には濡れタオルが当てられていた。
 タオルを手に取り上半身を起こすと床に誰かの姿があった。
 両膝を抱え横たわり、胎児のようにスヤスヤと青年が寝息を立てていた。
 (コイツっ、一晩中ボクを看病していたのか?)
 ボクは彼に気がつかれないように注意深くベットから降りた。
 そして、そっと涼介と名乗った青年をまじまじと見つめた。
 それにしても亡くなった美月によく似ている。
 まるで死んだ筈の彼女が目の前に居るようだった。
 (美月……)
 思わず頬に手を触れる。
 すると涼介が目を覚ました。

 「……んっ、結希さん?
  起きたんですね。熱は大丈夫ですか?」

 「あぁ、キミっ、
  一晩中ボクを看病していたのか?」

 涼介は微笑むと突然に手をボクの額に当てた。

 「おっ、おぃ。」

 突然の行動に思わず狼狽える。

 「よかった。熱は下がったみたいです。
  突然倒れた時にはもうパニックで焦りましたよ。
  どうせ何も食べないで街を彷徨ってたんでしょ?
  そんなコトしても美月なんて見つからないのに……イケナイ人だ。」

 確かにそうだった。
 大切な美月を病気で亡くして四十九日。
 喪失感に取り込まれ何もする気にならなかった。
 ろくに食べもせずに街を彷徨った。
 そしてひたすらに存在しない美月の面影を探し続けていた。
 そんな時に出会った彼女にそっくりの顔立ちの謎の青年『涼介』。
 
 『結希さんっ、俺の全てになって下さい。
  結希さんの心埋める為なら俺っ、何でもしますから……』

  突然の告白……そして謎の挑発。

 『美月との運命の出会いが偶然ではなく
  仕組まれた出会いだったらどうしますか?』

 いきなりコクって来たかと思えば挑戦的な態度。
 微熱上がりの中でボクは少し混乱していた。
 何から質問しようかと考えあぐねていると突然、涼介が立ち上がった。
 パンパンと両手でズボンの埃を払うとボクにニッコリと微笑む。

 「俺っ、何か朝食作りますね。
  出来るまで結希さんはまだ寝ていて下さい。
  熱は下がってもまだ病み上がりなんですから。
  キッチンちょっとお借りします♪」

 バタンッ

 そう言って軽やかにドアを閉める。
 涼介は何だか嬉しそうにいそいそと部屋を出て行った。
 ボクは部屋に独り取り残されて、暫くの間あっけにとられていた。
 気がつくと来ていたジャケットはキチンとハンガーにかけられている。
 そしてズボンは丁寧に畳まれていた。
 テーブルには眼鏡と時計。
 そして真新しいシャツ等が整然と並べられていた。
 (うっ、あいつボクの服を着替えさせたのか?)
 恥ずかしさで少し戸惑いながらも、眼鏡を掛けて服を着替えた。
 そっとドアを開けてキッチンへ入る。

 ジュー

 その瞬間、香ばしい香りと共にベーコンが焼ける音がした。
 テーブルには二人分の朝食が嬉しそうに並べられている。

 「おっ、お前、ボクの服を脱がしたのか?」

 「そりぁ、脱がしますよ。
  熱で汗びっしょりだったんですから……。
  それより出来ましたよ。
  早く座って下さい。」

 「……っ」

 ニッコリと微笑む涼介に背中を押され、ボクはおずおずと椅子に座る。

 トーストにベーコンエッグ。
 ふたつの目玉が仲良さそうに並んでいた。
 周囲にはコーヒーのほろ苦い香りが漂っている。
 (ゴクンッ)
 物凄く美味そうだ。
 嗅覚を刺激されボクは数日ぶりに空腹を思い出した。
 思わずカリカリに焼けたトーストを一口かじる。

 「美味いっ」

 数日ぶりの朝食に思わず唸った。

 「よかった。
  実は結希さんの口に合うか心配だったんです。」

 テーブルに頬杖をついて心配そうに覗き込んでいた顔がほころんだ。
 上目遣いに覗き込む姿はまるで子犬の様だった。
 (それにしても美味い。
  なんだこの異常なまでの香ばしさは?)
 トーストはカリカリで五感全てを刺激する。
 ベーコンエッグも頬張ると食欲が止まらなかった。
 ボクは堰を切ったようにムシャムシャと食べ始めた。

 「ゲホッ、ゲホ」

 思わずむせるボクに涼介が慌ててコーヒーカップを差し出す。
 ボクはそれを受け取りコーヒーをグビグビと喉に流し込む。
 その瞬間に柑橘系の香りが鼻を抜けた。
 (これは?)
 コーヒーにたっぷりのミルク……そして隠し味に柚子を少々。
 それは生前に美月が良く淹れてくれたオリジナルのレシピだった。
 懐かしくて思わず涙が出て来た。

 「ごめんなさいっ、コーヒー熱かったですか?」

 涼介が心配そうに見つめる。

 「いや、大丈夫だ。
  美味い……うん、凄く美味いよ。」

 そう言って泣きながらボクはトーストをかじった。
 レシピの事は訊けなかった。
 訊いたら目の前の美月が消えてしましそうな気がして。

 『私のコト忘れないでいてくれますか?』

 そう言い残して彼女は死んだ。
 (もしかしたら美月は死んでいなくて目の前に現れたのでは?)
 そんなバカげた妄想すら浮かんで来る。
 彼女の葬儀をこの目で見た。
 彼女のメールにも多分もう自分は死んでいると書いている。
 だから美月が実は生きているなんて事はありえない。

 『でも……だからこそ』

 気がつくと涼介はエプロンをしてキッチンで洗い物をしていた。
 それは美月が自分用にボクの家へ置いていたエプロンだった。
 
 「そのエプロン……」

 情景が重なって、思わず近づいて呟く。

 「あぁぁ、ごめんなさい。
  キッチンに置いてあったから借りました。
  ちゃんと後で洗いますから。」

 そう言う涼介をボクは思わず後ろから抱きしめた。

 「えっ、結希さん?」

 顔を赤らめる涼介を無言で抱きしめる。
 じんわりと体温が優しく伝わって来た。
 涼介は戸惑いながらも絡みついたボクの腕にそっと手を触れた。

 「結希さん?
  顔が近いです。」

 恥ずかしがる涼介の唇に指を当てる。
 はにかみ俯く姿は美月そのものだった。

 ボクは吸い込まれる様に涼介へキスをした。
 初めてのキスなのだろうか?
 涼介は微かに震えていた。

 ボクは涼介を強く抱きしめると耳元で囁いた。

 「美月……」

 「……っ」

 その瞬間、涼介はボクを突き飛ばし、泣きながらキッチンを出て行った。

 ザァー

 時が止まり無音の空間の中で食器を叩く。
 水音だけがボクを責める様に流れ続けていた。


 涼介は泣きながら近くの部屋へ飛び込んだ。
 憧れの人からの突然のキス。

 バタンッ

 乱暴に閉められたドアが埃を舞い上げる。
 部屋へ入ると床へ崩れ落ちて膝を抱える。

 (そんなコトは初めから分かっていた。
  どうせ俺なんて美月の代わりなんだ。)

 ドンッ

 悔しくて、悲しくて、思わず床を叩いた。
 結希さんがまだ死んだ姉貴のコトを忘れられない事は知っていた。

 そう小桜 美月は俺の双子の姉だった。

 『でも最初に結希さんを好きになったのは俺の方が先だっ』

 俺は心の中で亡くなった姉を罵った。
 確かに結希さんを見つけて最初に好きになったのは俺だった。
 でも告白する勇気がなかった。
 そして姉の美月に結希さんの話を何度もする内……。
 二人は付き合い始めていた。
 バイト先のカフェで初めて結希さんと言葉を交わした夏。
 今でも忘れられない。

 俺達は財閥の裕福で厳格な家庭に生まれた。
 関東の有名テーマバーク周辺の鉄道運営で財をなしている有力財閥だ。
 表には出ない様に暗躍している為、小桜の名前は有名ではない。
 それでも次期当主になる為の英才教育は生まれた瞬間から始まった。
 語学に音楽、身体強化まで徹底したカリキュラムが組まれて育った。
 だけど頭が良くスポーツも万能な美月に比べ俺は何も出来なかった。
 だから両親はすぐに俺を見限って愛情を姉へシフトした。

 自身のセクシュアリティを自覚したのは高校生。
 幼い頃から男の子に触られるとドキドキした。
 高校生になり周りが異性に目覚めるとその気持ちは明確になった。
 周りの男子が女性の可愛さにときめいていた時、
 俺は男性の力強さにときめいた。

 だが両親は厳格で堅物。
 自分の子供の気持ちより、世間体を優先する種族。
 財閥の御曹司がジェンダーレスなど認められない。
 カミングアウト等、出来る訳がなかった。
 大学生になり俺は家出同然に飛び出し一人暮らしを始めた。

 それから家族とは連絡を取っていない。

 そんなある日、どこで調べたのか?
 突然に姉の美月から連絡があった。
 どうしても一度会って話したい事があるのだと言う。
 正直気まずく劣等感もある。
 「一回だけだから……」
 そう何度も美月から説得された。
 会いたくなかったが強引さに負けて、一回だけの約束で渋々了承した。
 バイト後にバイト先のカフェで数年ぶりに美月に会った。
 
 ぎこちない世間話の後の沈黙。
 その意心地の悪さに
 「じゃぁ、そろそろ」と立ち上がるボクの腕を美月は黙って掴んだ。

 「誰もいない所で話したい。」

 そう言われ俺達は俺の部屋へ移動した。
 殺風景で、何もないワンルーム。
 そこで美月は自分の病気の事を俺に告白した。
 余命は残り僅かと言う事だった。

 「嘘だろ?」

 あんなに気丈だった姉が泣き崩れたのを初めて見た。
 俺の中の美月は天才で万能で絶対に泣いたりしない遠い存在だった。
 いやっ、きっと俺が不甲斐ないせいだ。
 だから姉は完璧である事を強制されていたのだろう。
 気がつくと俺は誰にも言った事がない秘密を告白していた。
 実は男性が好きだと俺が告白すると、美月は少し驚いた後で数回頷いた。
 それから俺達は朝まで色んな話をした。
 今までの人生全ての二人の会話時間をたった一晩が軽く飛び越えた。
 それからは時々、病室を抜け出しては、バイト先へ来るようになった。
 バイト終わりにコーヒー一杯分の話をする。
 それが俺達のお決まりのコースだった。
 その頃の俺はカフェの常連客の結希さんへ淡い恋心を抱いていた。

 「美月っ、俺っ、やっと見つけたんだ。」

 興奮気味にそう言ったのを覚えている。
 そして気がつくと俺は無意識に結希さんの話ばかりをしていた気がする。
 だから美月も自然と興味を持ち、自分から声をかけたのだろう。
 性別は違っても感性が似ている双子同士。
 美月も夢中になって俺の話に聞き入り二人でときめいた。
 俺の人生で気を使わずに恋バナが出来る日が来るとは思っていなかった。
 その日々は今でも俺の宝物だ。
 美月だけが俺の全てを理解し応援してくれていた。
 
 『世界で一人だけでも存在を認めてくれる人がいる。』

 そんな初めての感覚に俺は舞い上がっていた。
 人生に張りがあり、毎日が楽しかった。
 だから自分のコトを話したくて……認めて欲しくて……
 他の話は頭にあまり入って来なかった。
 冷静によく美月の話を聞いてさえいればきっと気づいたに違いない。

 『美月が結希さんと付き合い始めた事を……』

 美月は俺が結希さんへ恋心を抱いているコトを知っていた。
 それなのに俺に黙って結城さんへ近づいた。
 それは俺への裏切りであり、今でも許せないコトだった。
 でも美月が死んだ後で気がついた。
 日頃、気丈な美月も寂しかったのだと……。
 子供の頃から、姉は周りにちやほやされていたと思う。
 でも周りは彼女自身を見てなどいなかった。
 その後ろの財閥という金と権力を見ていたに違いない。
 常日頃から、知的で完璧な姉。
 勘のいい彼女はそれに気づき、傷ついて過ごしたに違いない。
 彼女は次期財閥の当主として完璧なまでに成長して来た。
 俺と違って父親自慢の娘だった。
 でもきっと気がついたのだ。
 ただ、自分の存在を認めてくれる相手が欲しかったのだと……。
 だからあの日、美月は懺悔のつもりで俺を花火大会へ誘ったのだろう。
 当時の俺はそんな美月の気持ちなんて少しも気がつかなかった。
 一度だけ会って終わりのはずが、俺達姉弟はすっかり仲良くなった。
 ある夏の日に一緒に花火大会へ行く約束をした。
 何でも大切な人を俺に紹介したいとの事だった。
 待ち合わせは俺のカフェ。
 バイトが終わったら三人で花火を観に行く約束だった。
 顔を赤らめてモジモジしながら照れ臭そうにする美月。
 美月が大切な人が出来たとハニカミながら打ち明けた時は正直驚いた。
 そんな姿をまるで想像出来なかったから……。
 そしてそれと同時に嬉しさが込み上げてきた。
 姉の余命が残り少ないと言う事もある。
 でもそれ以上に誰かに存在を認められる嬉しさを知っていたから……。
 だが運悪く美月は急に体調が悪くなり、約束はドタキャンになった。
 俺はがっかりし、その日、店長に頼まれバイトを延長した。
 何でもカフェのみんなで花火大会を観に行くらしい。
 一人残された俺は完全に貧乏くじを引かされた形になっていた。

 ヒュー ドンドン

 程なくして花火大会が始まった。
 街の誰もが花火大会を観に行き、店はガランとして誰も居なかった。
 俺は独り寂しくトボトボとカウンターを拭いていた。
 全てのカウンターを拭き終わる頃、やっと一人のお客が入って来た。

 「いらっしゃいませっ。」

 (えっ、嘘だろ?)
 なんとそれはスーツ姿の結希さんだった。
 よっぽど急いで来たのだろう。
 息を切らしながら肩を揺らしている。
 そして、カプチーノを二つ注文すると足早に席についた。
 窓際のカウンターに座り、隣の席にカバンを置くとスマホを取り出す。
 暫く操作をしていたかと思うと突然に天を仰いでいた。

 「おっ、お待たせしました。
  カプチーノ二つです。」

 俺はドッキドキで、緊張しながらカプチーノを二つテーブルに置いた。

 「マジか~」

 結希さんが頭を抱えて叫んだ。
 その落胆の声に思わず俺は結希さんへ訊ねた。

 「どうしたんですか?」

 結希さんが独り言が声に出ていた事に気がつく。
 俺と目が合うと恥ずかしそうに頭を下げた。

 「大きな声を出してすみません。
  いや、連れと待ち合わせをしてたんですが、
  ドタキャンになりまして……。」

 「あぁぁ、花火大会ですか?」

 「はい。そうなんです。
  急な仕事で遅れそうになって、
  急いで走って来たんで、スマホのメッセージに気がつかなくて。」

 「それは残念でした。
  カプチーノ一つキャンセルしましょうか?
  お連れさんの分ですよね?」

 「いや、もう淹れていただいてるんでいいです。
  そうだっ、よかったら一つどうぞ。」

 「いえ、そんな悪いですよ。」

 恐縮する俺に結希さんは前を向いたまま横にカプチーノを滑らせた。

 「その代わり、それ飲む間だけ一緒に花火を観てくれませんか?
  何だが独りで観たくない気分なんです。」

 「はぁ」

 そう言われて俺はカップを受け取ると後ろに立ったまま一口飲んだ。
 甘い糖分がじんわりと体内に広がっていく。
 憧れの男性が目の前に居る。
 ドキドキしながら俺はドタキャンした相手に感謝した。
 店長に残業を押しつけられたアンラッキーも悪くない。
 なんだか日頃は意地悪な店長を抱きしめたい気分だった。

 ワァァァ
 ワァァァ
 ワァァァ

 やがて歓声と共に夜空にスターマインが広がった。

 「うぁぁ、綺麗ですね。」

 思わずそう言うと空を見上げた結希さんが頷いた。
 背中越しの花火鑑賞。
 俺はそっとガラスに映る結希さんを眺めていた。
 長いまつ毛を振り回して花火が上がる度に表情がコロコロと変化した。
 それはまるで無邪気な子供の様だった。
 日頃、知的でクールなイメージの彼。
 そんな彼の新しい一面を見つけて俺は彼のコトが大好きになった。

 『俺っ、やっぱりこの人のコトが好きだ。』

 そう自覚したのはその時だった。
 恋はまるで夏の日の花火の様だ。
 突然、上がって切なく消える。

 ヒューという音と共にパァンと最後の花火が夜空に咲いた。

  *

 トントン

 気がつくと遠慮がちに部屋のドアがノックされていた。

 「あっ、はい」

 俺は涙を拭って返事をする。
 すると結希さんが、神妙な面持ちで頭を下げた。

 「そのっ、さっきはすまなかった。
  あまりにもキミが美月に似ていて……キスするつもりじゃ
  気がついたら吸い込まれる様に……」」

 そんな困り顔の結希さんは初めて見た。
 その顔はまるで母親に叱られてしょんぼりする子供のようだった。
 (フフッ、あぁぁ、俺はこの人のコトが好きだ。)
 改めて自分の気持ちに思い知らされた。
 別に結希さんが俺に興味がないコトなんて分かっていた。
 きっと結希さんは女性のコトが好きなんだろう。
 それでもいいっ。
 美月の代わりだって構うもんかっ。
 それでも俺は結希さんの側に居たい。
 そう思ったら駆け引きなんて馬鹿らしくなった。
 俺は結希さんに全てを打ち明けた。

 「俺の方こそ、生意気に挑戦的ですみません。
  俺は小桜 涼介。
  小桜 美月の双子の弟です。」

 「えっ、美月の双子の弟?
  弟が居るなんて初めて聞いたけど……」

 突然の告白にボクは驚きを隠せなかった。

 「はいっ、そのちょっと色々あって……
  暫く疎遠にしていたもので……」

 そう言うと涼介は困り顔で俯いた。
 (きっと彼にも何か秘密があるのだろう。)
 ボクは何となくそう思った。
 涼介と名乗った青年は顔を赤らめると恥ずかしそうにモジモジしている。
 そして上目遣いにボクを見つめると言った。

 「結希さんが美月と付き合ってたのは知っています。
  でも俺は、どうしても結希さんのコトが好きなんです。
  結希さんが俺を知るずっと前から好きでした。
  美月の代わりでも構いません。
  美月さんが望むなら美月の服を着たっていいっ。
  だから……せめて……結希さんが美月を忘れるまで……
  それが無理なら、結希さんの体調が回復するまででいいから。
  側で料理を作らせて下さいっ。」

 そう言うと彼は深々と頭を下げた。
 同じ顔立ちでも表情や内面でこんなにも見え方が変わるのだろうか。
 泣き出しそうなクシャクシャな顔。
 それはまるで捨てられた子犬のようだった。
 料理を食べる姿を嬉しそうに見つめる姿はブンブンと尻尾を振る子犬。
 今までこんなにも男性を愛おしいと感じたコトはなかった。
 初めて経験する感情に戸惑いながらも初キスを奪った責任を感じていた。
 
 「気持ちは嬉しいけど……どうしてボクなの?
  自分で言うのも何だけど……ほら、ボクは変じゃない?」

 ボクは生まれて初めて自分のコンプレックスを認めた。
 その言葉に驚き顔の彼。
 ブンブンと首を振ると、ボクの両肩を掴んで興奮気味に叫びだした。

 「全然、変じゃないですっ、結城さんは素敵です。
  こんなコトを言い出して、俺の方が変ですよね。
  俺が女だったら良かったんですけど……」

 そう悔しがる彼を観て心が締め付けられそうだった。
 ボクはブンブンと首を振ると叫び返した。

 「キミは全然、変じゃないっ、
  むしろとってもキュートだよっ、
  その唇に吸い込まれそうになるくらい。
  料理も美味いし、目を逸らせない程の愛くるしさがあるさっ。
  だから……その……何を言いたいのかと言うとだな……」

 そこまで言いかけて互いに両肩を掴んで叫んでいるコトに気がついた。
 (あっ、)
 慌ててボク達は両手を放して頭を掻いた。

 「ボク達は何をしてるんだろうね」
 「ホントだっ」

 そう言うと二人で笑い合った。
 (涼介君は、こんな笑い方するんだ。
  美月とは全然違う……それなのにボクは)
 ボクは何だか切なくなった。
 (よしっ、ちゃんとしよう。)

 「……さっきのキスだけど」

 ボクは、おずおずと切り出した。
 すまなそうな顔のボクを見て涼介はブンブンと手を振った。

 「気にしないでください。
  美月の代わりだって分ってます。
  むしろ憧れの結希さんが俺のファーストキスで嬉しいです。
  このまま一生誰ともキスしないで墓まで持って行きますよ。」

 (クスッ、墓までって……この子は)
 妙に爺の言い回しに可笑しさ反面、痛々しい。

 「涼介っ、さっきのキスは無しだ。
  忘れてくれっ」

 (えっ、)
 突然に名前を呼ばれ頭が真っ白になった。
 結希さんが俺の名前を呼ぶ?
 今まで何度も妄想したシュチュエーションだった。
 (でも……)

 「ごめんなさいっ、結城さん。
  俺、結城さんとの初キス忘れたくないです。
  身代わりでもいいから……お願いです。
  誰にも言いませんから……」

 泣き出しそうな顔で懇願すると結城さんは俺を突然ぎゅっと抱きしめた。

 「えっ、結城さん?」

 驚く俺に結城さんは優しく言った。

 「さっきのキスは忘れなさい。
  そしてコレを忘れるなっ」

 そう言うと結希さんは優しく俺にキスをした。

 「んっ」
 
 唇をそっと重ねるだけの互いにぎこちないキス。
 だけど伝わる気持ちは体温と共に全身を優しく包み込んだ。
 二人の心の空にヒューという音と共にパァンと花火が咲いた。

 「結城さん?……どうして?」

 俺がそう訊ねると、結城さんは顔を赤らめて言った。

 「ボクにもよく分からない。
  男性とキスしたのは初めてだから……
  ただっ、分かっているコトは……
  もう一度、涼介の手料理が食べたいってコトかな。」

 そうしてボク達は一緒に暮らし始めた。

 死んだ筈の美月から二通目のメールが届いたのはその三日後の事だった。
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職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

僕は君になりたかった

15
BL
僕はあの人が好きな君に、なりたかった。 一応完結済み。 根暗な子がもだもだしてるだけです。

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

あなたが好きでした

オゾン層
BL
 私はあなたが好きでした。  ずっとずっと前から、あなたのことをお慕いしておりました。  これからもずっと、このままだと、その時の私は信じて止まなかったのです。

α嫌いのΩ、運命の番に出会う。

むむむめ
BL
目が合ったその瞬間から何かが変わっていく。 α嫌いのΩと、一目惚れしたαの話。 ほぼ初投稿です。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

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