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第一章 「縛りプレイはデフォルトですか?」
第三十五話 「交渉」
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暗闇に浮かぶ眼前の人影に視線は釘づけとなり、俺はバスタオルを体に巻いたままの姿で、全身が硬直したかのようにその場で固まっていた。
濡れそぼった長い髪の毛を伝って、水滴がフローリングの床にポツリと零れ落ちる。
心臓は緊張のあまりに早鐘のように高鳴り、多量に分泌されたアドレナリンによって瞳孔が開く。
――玄関のドアの鍵は…? …確認してなかった。
あの男が出て行ったのなら、恐らく鍵は開いたままだ。
本当に肝心なところで抜けていると思う。なぜしっかり確認しなかったのかと悔やんではみるが後の祭りだ。
能力者に対して、施錠程度の警戒が保険にしかならないことはわかっている。
だが、それにしても、あまりにも不用心過ぎだ。
閉じられた空間。
孤立無援の状況。
おまけに文字通りの丸腰状態。
ただ、唯一の救いが、暗がりに佇む目の前の人物が若い女だったということだ。
薄暗くて不明瞭ではあるが、小柄でホッソリとした体つきと、ショートヘアが特徴的で、雰囲気からして二十代前半くらいだろうか。
肉体的な能力差で言えば恐らくこちらと対等で、相手が男であるよりかは余程マシだ。
しかしだからと言って、刃物を持っているかもしれないし、女が能力者である可能性だって高い。おまけに正体も目的も不明。
決して油断できる相手ではないのは変わらない。
そこまで考えて、ジッと相手の出方を警戒したままの姿勢で待つ。
すると、意外にも女は少し驚いたような声音で、呟くように口を開く。
「えっ…どうやったの?」
独り言とも質問ともとれるその呟きに、一瞬どう反応したらよいか迷ったが、結局そのまま沈黙を守り、視線を外さないようにして、注意深く次の言葉を待つ。
下手に相手を挑発するようなことはしたくないし、鋭敏になっていた生存本能が、余計な事は言うべきではないと告げていたからだ。
「あのひとが失敗するなんて…もしかして、あなたの能力なの?」
恐らくこの女の言う「あのひと」とは、俺を襲ったあの強姦魔と考えていいだろう。
そして発言内容の雰囲気から、どうやら今の状況は相手にとって想定外で、裏を返せば俺が生きている事が、彼女にとって望ましくない事態と考えて間違いない。
そうであるならば、俺の命を狙っているという意味では、この女も同類である可能性が高い。
――どうする? 戦うか、逃げるか。
逃げるにしても、女に他の仲間がいないとも限らないし、外を見張られているかもしれない。
しかも、今の俺はバスタオルを一枚巻いただけのほぼ全裸の状態だ。
つまり結局のところ選択肢は限られていて、この場でこの女を何とかして少しでも時間を稼いで、身支度を整えてから相手方の次の出方を警戒するしかない。
しかも時間の経過は悪手だ。はっきり言って難易度的には最悪だ。
それならば先手必勝、緊張でカラカラに乾いた喉を唾液で潤してから、俺はジリッと女の方へと一歩にじり寄る。
すると、女はあからさまに慌てたように、
「ちょ…ちょっと待って…何もしないから!」と、腰を引いて逃げるような姿勢をとる。
少しずつ近づいて相手の表情が見える位置にくると、相手が明らかに動揺しているのが分かった。
自分の能力に自信があるのなら、ここまでの動揺はないはずだ。つまり、恐らく女は殺傷力の高い技能や能力を持っていないのだろう。
最悪取っ組み合いをする事になりそうだが、相手は俺の能力をあまり知らないようだし、それなら危険を回避できる手段が他に何かあるはずだ。
そして、相手が俺を過剰評価しているようなら――ひと芝居打ってみるか…コミュ障の俺が…いやできる! できるはずだっ!
俺はゆっくりと噛まないように、
「君のことでいいのかな…【不死身】が言っていたのは」と、硬い表情のまま慎重に言葉を紡ぐ。
そのゆっくりさが逆に相手を威圧したのか、ブルっと震えると女は怯えたような表情を見せる。
あの強姦魔と、目の前の女が知り合いであることは、女の発言内容から間違いない。
二人の関係性がよくわからないが、あの強姦魔の性格からして女性に人気があるとは思えない。
だから、そこをうまく利用できるのであれば…。
「なに? あのひとが何か言ってたの?」
「…今日見たことは誰にも言うなって」
すると、女は顔を強張らせて、
「え? どいうこと?」と、弱々しい声で訊いてくる。
「君は何も見なかった。ちゃんと仕事もしたし、悪くもない。だからこれ以上は詮索するなって」
「ほ、本当に…【不死身】がそう言ったの?」
その問いに対して、俺はゆっくりと首肯する。
女が強姦魔の「あだ名」を知っているという事は、共犯であることは間違いないだろう。
だが、果たしてこれでうまくいくだろうか。
犯行の利害関係者が増えれば増えるほど、これは女と強姦魔だけの問題ではなくなる。
女は暫くの間、落ち着きなくソワソワしながら、「どうしよう」とか「もしばれたら」とかブツブツ言っていたが、なかなか結論が出なさそうだった。
だから、俺は思い切って、
「断れば…滅茶苦茶に犯して殺すって」と、抑揚のない声で告げる。
ちなみに単にコミュ障が災いしてセリフが棒読みになっただけだったが、それが予想以上の脅迫効果をあげたようで、女は引きつったような悲鳴をあげる。
まあ確かに、暗がりの中で、絶世の美少女が冷たい声音で吐くセリフではないわな。
「わ、わかったわ…言う通りにする」
「…そう。良かった」
女があきらめてくれたので、内心ホッとため息をつく。
そして、慌てるように部屋を退出する女を見送ると、緊張していた体からは一気に力が抜け、思わず床に座り込んでしまう。
ちなみに後ろ姿をみて、中々いいお尻をしていると思ったのは内緒だ。
思考がオッサンっぽいって? まぁオッサンだからな。
何とかこの場は乗り切ったが、俺が生きていること自体を望まない誰かがいるのは確かで、そう考えるだけでも、不安と恐怖で押しつぶされそうになる。
いっそのこと警察に保護を求めるか…でも信じてもらえそうにないし。
だいたい分からないことも危険も多過ぎるが、相談ができて頼れそうな人間が少な過ぎる。
それに、今もって俺が死んでないことも、ハッキリ言って謎だ。
実は俺にも死なない能力があったりして…まあ、もう一度試すのにはリスクがあり過ぎるけど。
さて、どうしよう。本気で困ったぞ…取りあえず、自宅は危険そうだから避難するか。
女の俺と連絡がついて、巻き込まれて死んでも不都合のないやつといえば――そういえば、一人だけいるなぁ…。
濡れそぼった長い髪の毛を伝って、水滴がフローリングの床にポツリと零れ落ちる。
心臓は緊張のあまりに早鐘のように高鳴り、多量に分泌されたアドレナリンによって瞳孔が開く。
――玄関のドアの鍵は…? …確認してなかった。
あの男が出て行ったのなら、恐らく鍵は開いたままだ。
本当に肝心なところで抜けていると思う。なぜしっかり確認しなかったのかと悔やんではみるが後の祭りだ。
能力者に対して、施錠程度の警戒が保険にしかならないことはわかっている。
だが、それにしても、あまりにも不用心過ぎだ。
閉じられた空間。
孤立無援の状況。
おまけに文字通りの丸腰状態。
ただ、唯一の救いが、暗がりに佇む目の前の人物が若い女だったということだ。
薄暗くて不明瞭ではあるが、小柄でホッソリとした体つきと、ショートヘアが特徴的で、雰囲気からして二十代前半くらいだろうか。
肉体的な能力差で言えば恐らくこちらと対等で、相手が男であるよりかは余程マシだ。
しかしだからと言って、刃物を持っているかもしれないし、女が能力者である可能性だって高い。おまけに正体も目的も不明。
決して油断できる相手ではないのは変わらない。
そこまで考えて、ジッと相手の出方を警戒したままの姿勢で待つ。
すると、意外にも女は少し驚いたような声音で、呟くように口を開く。
「えっ…どうやったの?」
独り言とも質問ともとれるその呟きに、一瞬どう反応したらよいか迷ったが、結局そのまま沈黙を守り、視線を外さないようにして、注意深く次の言葉を待つ。
下手に相手を挑発するようなことはしたくないし、鋭敏になっていた生存本能が、余計な事は言うべきではないと告げていたからだ。
「あのひとが失敗するなんて…もしかして、あなたの能力なの?」
恐らくこの女の言う「あのひと」とは、俺を襲ったあの強姦魔と考えていいだろう。
そして発言内容の雰囲気から、どうやら今の状況は相手にとって想定外で、裏を返せば俺が生きている事が、彼女にとって望ましくない事態と考えて間違いない。
そうであるならば、俺の命を狙っているという意味では、この女も同類である可能性が高い。
――どうする? 戦うか、逃げるか。
逃げるにしても、女に他の仲間がいないとも限らないし、外を見張られているかもしれない。
しかも、今の俺はバスタオルを一枚巻いただけのほぼ全裸の状態だ。
つまり結局のところ選択肢は限られていて、この場でこの女を何とかして少しでも時間を稼いで、身支度を整えてから相手方の次の出方を警戒するしかない。
しかも時間の経過は悪手だ。はっきり言って難易度的には最悪だ。
それならば先手必勝、緊張でカラカラに乾いた喉を唾液で潤してから、俺はジリッと女の方へと一歩にじり寄る。
すると、女はあからさまに慌てたように、
「ちょ…ちょっと待って…何もしないから!」と、腰を引いて逃げるような姿勢をとる。
少しずつ近づいて相手の表情が見える位置にくると、相手が明らかに動揺しているのが分かった。
自分の能力に自信があるのなら、ここまでの動揺はないはずだ。つまり、恐らく女は殺傷力の高い技能や能力を持っていないのだろう。
最悪取っ組み合いをする事になりそうだが、相手は俺の能力をあまり知らないようだし、それなら危険を回避できる手段が他に何かあるはずだ。
そして、相手が俺を過剰評価しているようなら――ひと芝居打ってみるか…コミュ障の俺が…いやできる! できるはずだっ!
俺はゆっくりと噛まないように、
「君のことでいいのかな…【不死身】が言っていたのは」と、硬い表情のまま慎重に言葉を紡ぐ。
そのゆっくりさが逆に相手を威圧したのか、ブルっと震えると女は怯えたような表情を見せる。
あの強姦魔と、目の前の女が知り合いであることは、女の発言内容から間違いない。
二人の関係性がよくわからないが、あの強姦魔の性格からして女性に人気があるとは思えない。
だから、そこをうまく利用できるのであれば…。
「なに? あのひとが何か言ってたの?」
「…今日見たことは誰にも言うなって」
すると、女は顔を強張らせて、
「え? どいうこと?」と、弱々しい声で訊いてくる。
「君は何も見なかった。ちゃんと仕事もしたし、悪くもない。だからこれ以上は詮索するなって」
「ほ、本当に…【不死身】がそう言ったの?」
その問いに対して、俺はゆっくりと首肯する。
女が強姦魔の「あだ名」を知っているという事は、共犯であることは間違いないだろう。
だが、果たしてこれでうまくいくだろうか。
犯行の利害関係者が増えれば増えるほど、これは女と強姦魔だけの問題ではなくなる。
女は暫くの間、落ち着きなくソワソワしながら、「どうしよう」とか「もしばれたら」とかブツブツ言っていたが、なかなか結論が出なさそうだった。
だから、俺は思い切って、
「断れば…滅茶苦茶に犯して殺すって」と、抑揚のない声で告げる。
ちなみに単にコミュ障が災いしてセリフが棒読みになっただけだったが、それが予想以上の脅迫効果をあげたようで、女は引きつったような悲鳴をあげる。
まあ確かに、暗がりの中で、絶世の美少女が冷たい声音で吐くセリフではないわな。
「わ、わかったわ…言う通りにする」
「…そう。良かった」
女があきらめてくれたので、内心ホッとため息をつく。
そして、慌てるように部屋を退出する女を見送ると、緊張していた体からは一気に力が抜け、思わず床に座り込んでしまう。
ちなみに後ろ姿をみて、中々いいお尻をしていると思ったのは内緒だ。
思考がオッサンっぽいって? まぁオッサンだからな。
何とかこの場は乗り切ったが、俺が生きていること自体を望まない誰かがいるのは確かで、そう考えるだけでも、不安と恐怖で押しつぶされそうになる。
いっそのこと警察に保護を求めるか…でも信じてもらえそうにないし。
だいたい分からないことも危険も多過ぎるが、相談ができて頼れそうな人間が少な過ぎる。
それに、今もって俺が死んでないことも、ハッキリ言って謎だ。
実は俺にも死なない能力があったりして…まあ、もう一度試すのにはリスクがあり過ぎるけど。
さて、どうしよう。本気で困ったぞ…取りあえず、自宅は危険そうだから避難するか。
女の俺と連絡がついて、巻き込まれて死んでも不都合のないやつといえば――そういえば、一人だけいるなぁ…。
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