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不滅心
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【最終話】
朝晩はぐっと気温が下がる晩秋の季節。
その日は暖かい陽射しに雲の陰りが時折重なる程度の丁度良い散歩日和の天候だ。
ラヴィは暫く寝台生活が続いていたが、少しずつ起きる時間が増え、今では一日に二回ほど天気が良ければ屋敷の周りを散歩することが日課となっていた。
「上着あった方が良かったかな」
昼食の前に少し動いてお腹を沢山空かせようとラヴィは外に出て歩き始めたのだが、厚めのニットワンピースだけではまだ肌寒く感じた。
とはいえ、歩いたら体が温まるだろうとそのまま散歩を決行する。幼馴染のスーリから贈られた濃い灰色のブーツはヒール部分も低く歩くことに特化しているのでとても履きやすい。
パジェスの屋敷は広大な敷地内の中央に建てられていて、周囲には訓練施設が屋外屋内共にあちこちに在る。庭園もあるのだが彩り豊かな花類は無く観葉植物系が地植えされているくらいで、四阿も併せて少し殺風景だなといつも思っていた。
屋敷自体派手さはないが、気品がある造りで敷地全体は高い塀で囲まれている。一周歩き終わり、ラヴィは訓練施設以外でスペースが空いている箇所を頭の中で思い起こしていると、後方から声がかかった。
「ラヴィ。そろそろ昼食の時間になるけど」
最近まで病床にいたラヴィの世話をしてくれていたリリィが訓練施設から歩いてきた。
「リリィ。訓練お疲れ様。だいぶ感覚戻ってきた?」
「ええ。来週からは通常業務に戻る予定よ」
「そっか。良かった。私の面倒看てくれてありがとう」
そう伝えると、リリィは目を丸くしてから柔らかく緩める。
「私も貴重な経験ができたのよ。心身ともに」
当初はお互いに遠慮がちで恐縮し合っていたのだが、ラヴィはスラム街出身だとスーリから聞いていた。そのことや他にも迷惑かけていたのなら、お互い関わらずに過ごした方が良いのではと、本人に直接聞いたことがあった。
リリィは少し辛そうな表情をしながら俯き、ラヴィが人より感情に敏感に察知することは彼女始め皆知っていることだった。それならばちゃんと向かい合った方がと良いと、何か決意したかのようにリリィは話してくれた。
過去とある人物が原因で工作員達が噂を勝手に介錯してラヴィを嫌煙していた時期があったという。それでもラヴィからは何もすることはなく、対し工作員達は愚かにも勘違いした者が殆どで、間違いだったと解っても己の情けない精神に、人に寄ってはラヴィに対して自戒する態度に表れてしまうのだと言っていた。
ラヴィは時折不可解に感じた感覚の理由はこれだったのかと思ったくらいだった。それぞれ悔やんだり己を省みているのなら、もう済んだことであるし、そもそも記憶がないのだから。今でもラヴィを嫌っていないのであれば通常通りにしてくれると嬉しいと伝えた。それから暫く経って少しずつ工作員達と話すことも増えてきた。元々寡黙な人間も多く、ラヴィも話が達者ではないので、無理して話そうと意気込むこともお互いになく、今に至っている。
「お昼ご飯は何だろう」
「昼食は二種類から選べるから、好きな方を選べるのが良いね」
「うん。お腹空いた」
リリィと共に屋敷に入ると、ちょうど正面階段から今朝隠密任務から戻ったスーリが下りてきた。シャワーを浴びたのか少し髪が濡れ、いつも編み込まれている髪は後ろに乱雑に結んでいる。
「ラヴィ。散歩帰り?」
スーリの声はいつも優しい。彼のことを忘れてしまっても、大切に思ってくれるのは無条件で分かるのだ。
「うん。スーリも任務お疲れ様。お昼ご飯まだ?一緒に食べよう」
「うん、行く」
「じゃあ私は一度部屋に戻るから」
リリィがそう言って自分の部屋に戻っていき、ラヴィはスーリと共に食堂へ向かった。
「おう、ラヴィ。散歩で少しは腹空かせたか?スーリも任務お疲れ」
厨房から出てきたのはこの屋敷の食事全てを担う、ジャイルだ。スーリはこくんと一つだけ頷く。
「うん。元々空いていたけど、もっと空いた。今日のメニューは何?」
「サンドイッチはBLTかローストビーフ、スープはチキンビスクかミネストローネ、足りない奴はフライドチキンがあるぞ」
「私の好きなサンドイッチだ。BLTとミネストローネでお願い、します」
「ははっ『お願い♪』だけで良いのによ」
「お願いする時は丁寧な言葉をつけた方が良いかなって思って」
「思うようにやれば良いさ。違うぞって時は言ってやる」
ジャイルは無精髭を撫でながらにかっと笑う。無精髭が似合う強面な顔なのに、作る料理はとても丁寧で繊細で美味しい。
「ローストビーフ二人前とチキンビスク。フライドチキン二本」
「おお、スーリは相変わらずひょろっこいのに食うなぁ」
「あんたが厳ついだけ。あんた標準にしてたら皆ひょろいだろ」
「スーリ、お肉ばっかりだけど野菜は良いの?」
「野菜あまり好きじゃない」
「ミネストローネは細かく切られて食べやすいし、生野菜の独特の青味もないよ。でもご飯は美味しく食べたいから好きに食べればいいのかなぁ」
「………ミネストローネも入れて。フライドチキンは一本で」
「ぶっ…!了解。スーリも良く喋るようになったなぁ。ラヴィといると雰囲気柔らかくなるんだな」
「煩いよ。早く用意して」
「スーリ。そこはお願いしますがいいよ、きっと」
「ははは!ちょっと待ってな」
ジャイルは豪快に笑いながら厨房に入っていく。ラヴィとスーリは長いテーブルから厨房に一番近い場所に座った。スーリは特攻工作員として訓練と任務で日々忙しくしているので、いつも食事を共にできるわけではない。近況をお互いに話したり、スーリしか知らないラヴィの昔のことを話してくれたりもする。
ジャイルが食事を持ってきてくれて、二人は腹を満たしながら、時折会話をする。
「え、木登りだけは一度も勝てなかったの?」
「うん。ラヴィは器用だし何でも早く取得するけど木登りだけは俺の方が圧倒的」
「え、もう勝てない?」
「今ならラヴィの倍速以上でいけるでしょ、余裕」
「私の方が身軽ってことで勝てないかな?スーリ体格良くなったし重くなってるよ」
「そりゃ筋肉のつけ過ぎは致命的だけど必要な箇所を必要なだけしかつけないから問題ない」
「むむ…じゃあ私は身軽さを極めて―――」
「ほらほら、スーリくーん。そんな焚き付けたらラヴィがこの後木登り訓練始めちゃうよ」
からっと明るい声が食堂の扉から聞こえ、入ってきたのはラウロとセナだった。
「何。邪魔」
「やれやれ。一時期は仲間だと思っていたのにつれないねぇ」
「あれはお互いの利害が一致しただけ」
「お二方、その辺で。ラヴィさんが首を傾げていますよ」
二人が同時にラヴィを見て一拍おいてから同時に引いて、ラウロとセナは食事を取りに行った。
この二人は会う度にこんな感じに言い合っているが、ラヴィ的には相性は良いと思っている。だがそれを言うとスーリが不貞腐れそうな感じがするので言わないでいる。
「木登りしたいな」
「まだ忘れてなかったの」
「今日ぐるっと一周したけど、登れそうな木が何本かあったから今度試してみよう」
「ちょっと待って」
「大丈夫だよ、昔は登れたんだから」
「ぷっ。また再開?」
ラウロとセナがトレーに昼食を載せてラヴィ達の隣に座る。
「ラヴィ、木登りはもう少し体力が回復してからロイに聞いてごらん。ほら、先に彼に一言ないと拗ねちゃうかもよ?ラヴィにとってとても大事な人なんでしょ?」
ラヴィは拗ねるロイの想像がつかないが、一番大事な人に一番に話すことは大切なのかもしれないと頷いた。
「うん。そうする」
「素直だねぇ、ラヴィは」
「俺にはその次に言ってよね」
スーリが残ったサンドイッチを口に放り込みながら言う。
「スーリにも言うよ。隠すことないもんね」
「うん」
「うわぁ、スーリくん嬉しそう」
「本当ですね。無表情なのにわかります」
「あんたら本当邪魔。早く食べなよ」
わいわいしながら食事を進めていく。
「今日も屋敷周りを散歩したのですか?体力的にはどうでしょう」
セナの落ち着いた声音と丁寧な言葉遣いでラヴィに尋ねてきた。ラヴィはいつも感じていることを今日も感じながらも、散歩での自分の体力を思い出す。
「今は息も切れないし二周目もいけそう。でも焦らずゆっくりってロイも言っていたし、心配させたくないからそうしてる。あとは木や観葉植物は植えられているけど花はないなぁって思ったかな」
ラウロはうんうん頷きながら「過保護爆発~」とぼやいている隣でセナがにこっと笑う。
「それが最善かと。言われてみれば確かに緑のみの植物だけですね。――――ラヴィさんがもし望むならロイさんに花を植えていいか聞かれてみたら如何ですか?」
その言葉にラヴィは瞬きをする。
何か新しいものを増やす。そんなことを考えたこともなかった。
「花を新しく植える…空いている花壇もあった。お願いごとで聞いてみても良いのかな」
「良いんじゃない。この前、花の植物の本見ていたよね」
「お、良い案だね。植物は緑だけで、訓練所も物々しいから花植えたら雰囲気明るくなりそうだし、そんな可愛いお願い事すぐに聞いてくれるかもよ」
スーリとラウロも賛成のようだ。
「うん。ロイに聞いてみる。セナ、ありがとう」
セナに向かってお礼を言うと、セナは目を丸くした。
「え…。いえ、お礼を言われる程のことを言ったわけでは―――」
「私色々なことを忘れているけど、新しいことをするって考えは元々無かったのかな?初めて覚えた感じがしたの。だからそれを教えてくれたセナにありがとう、なんだ」
「ラヴィは思ったことを素直に出せようになったのは偉いねぇ。ほら、セナも素直に、ね」
ラウロが少し困ったような、同時に少し優しい顔でセナに向けて声をかける。
「…こちらこそ、ありがとうございます」
「うん、私もありがとう」
「いえ、こちらこそありが――」
「終わんないから」
「ぷはっ」
そんな話をしながら、スーリは一休みすると言い、セナはそそくさと食べ終えて出て行った。ラヴィは冷たい果実水、ラウロは紅茶を飲みながら一息してる時に聞いてみた。
「セナの笑顔と話し方はお仕事で培ったもの?」
ラウロには出会った当初から思ったこと溜めないで何でも話してねーと言われていた。開口一番の言葉に驚いたのものだが、何故かラウロの雰囲気と、世間話みたいに軽く聞いてくれる流れがとても話し易いのだ。ラウロはゆっくり瞬きをしてから先程セナに見せたものと同じ少し困ったように眉を下げた笑顔を見せる。
「ラヴィはその辺り鋭いなぁ。セナもラヴィと少しだけ境遇が似ていてね。僕が個人的に興味あって声かけて仲間にしたんだ。元々はもっと粗暴な言葉遣いと態度だったんだよ。でも彼の努力であそこまで仕上がった。でも稀に息苦しくなることがあるのかもしれないね」
まるで貴公子のような見た目と風貌のセナ。それは勿論彼の努力によるもので素敵で完璧に見える。でも時折とても疲れたような雰囲気を漂わせることがあるのが気になっていた。
「ラウロもそれをちゃんと見てるから優しい表情するんだね。私とスーリみたい」
「え?僕?」
「うん。時々ちょっと困ったような、でも優しい顔するの。暴れていた弟を諌めながら見守るお兄ちゃん?のような。温かいものだよ」
そう言うとラウロは目を丸くして驚いた表情をする。
「そうかぁ。僕もその辺疎いからなぁ。ラヴィは色々な物語読んで覚えたの?」
「そう。人の気持ちがどの感情になるのかなとか思いながら読んで、時折全く異なる時はなるほどって思って、とても勉強になる」
ラウロはセナにするのと同じような眉を少し下げた優しい笑顔になりながら、ラヴィの頭をさらりと撫でてくれた。
「ラヴィが色々な感情を覚えていってくれて嬉しい限りだね。男同士はなかなかプライドが邪魔して伝えられないかもしれないけど、可愛い妹分から大丈夫だよーって言われたら、セナも少し肩の力を抜けるのかもね」
そう言いながら、ご馳走様でしたとラウロはトレーを下げて出て行った。
ラヴィの一日はロイの朝のお世話に始まり、日中の書類仕事と、寝支度の準備もだ。ラヴィも暇さえあればロイの側にいたいのでとても嬉しい。
「今日は何してた?」
今日は朝から出かけていたロイがラヴィの一日の様子を聞いてくる。ラヴィはロイの上着を預かり、ロイの部屋にあるコートラックにかけながら答える。
「朝はいつも通り。天気も良かったから外を一周散歩した。その後スーリとラウロとセナで昼ご飯一緒に食べたの。あ、好きなBLTサンドだったんだ」
上着のケアをしながら話しているラヴィをロイは優しい眼差しで見ている。
「そういえば屋敷の周りには緑の植物が沢山あるけど、花はないんだねって話をしたら、セナが私の選んだ花を植えても良いかロイに聞いてみたらって」
「気にもかけなかったが、確かに観葉植物しかないな。ラヴィが気に入った花でも植えてみろ」
「良いの?」
「ああ。誰か植物に詳しい工作員がいるか聞いてみよう。植えたい花は決まっているのか?」
「ラベンダー」
ロイがラヴィの瞳を連想させるラベンダー。香りは知っているが、花そのものは本でしか知らない。実際に見てみたい。ロイはラヴィにしか見せない甘い表情で見る。
「そうか。ラベンダーは春頃に植えるからもう少し先だな。他にはないのか?」
「濃いめの赤色の花。ロイの瞳の色みたいな花」
ロイは紅い瞳を数回瞬きしながら目元に触れる。そしてくすっと口元が上がる。
「それは楽しみだな」
「うん。植物図鑑で幾つか見つけたから時期を確認して植えてみる。他に皆の色の花も」
「ああ。好きなようにやってみろ」
ラヴィはラベンダーを始めロイの瞳の色の花のことを考えながら心が浮き立つ。
「ロイに良いよって言ってもらえて良かった。嬉しい。どんな花にしようかな」
「俺も同じだな。ラヴィが楽しそうに俺の色の花を選ぶのを見るのは楽しいだろうな」
「ロイも嬉しくなるの?」
「ああ」
「そっか。じゃあ二人で嬉しいなら倍嬉しくなってきた」
「俺もそれを聞くと更に倍嬉しくなるんだろうな」
「なら私はそこから更に更に何倍も嬉しくなるんだね」
「そうだな」
そんな会話を一度アルナドの前で話していたら、彼は耳を真っ赤にして顔を手で覆いながら、「これに慣れねばならないのか」と呟きながらお茶の用意をしてきますと、足元ふらつかせながら出て行っていたことがあった。
ロイはラフな光沢のある夜着に着替え重厚なソファに腰を降ろす。ラヴィも就寝手前でロイが帰宅したので、夜着のまま仕事をする為に向かったのだ。ワンピース型でない上下分かれている着心地の良い生地でとても気に入っている。
上着からロイの身の回りの一通りの片付けを終えると同時にロイが掌を上にして人差し指を動かしながらラヴィを呼ぶ。ラヴィはこの仕草がとても気に入っている。とててと歩き、ロイの隣に座って報告する。
「終わった。明日はいつもの時間に起こしに来れば良い?」
そう尋ねると、「そうだな」と言いながら、ラヴィの腰を持ち軽々と持ち上げてロイの膝に座らせた。初めて膝に座らされた時は心臓がどきんとしたが、それ以上にロイの温かさと居心地が良い方が勝って、この時間がとても好きになったのだ。
羞恥や、照れよりも、この時間を堪能したい気持ちが最優先となり、ラヴィは腰に回された大きな手を弄り始める。男性特有の骨ばった長いロイの指を触っているのがとても落ち着くと感じたのは最近だ。手の甲はとても滑らかなのに掌は硬くてごつごつしている。それを堪能していると、頭にロイの口が落とされた。
「いつもの香りと違うな。新しくしたか?」
「うん。新しい石鹸を仕入れたってリリィから三つ渡されてこの香りを選んだの。ロイはこの匂い平気?」
ロイはラヴィの頭に鼻をすりすりと擦り付けながら「問題ない」と答えたのでほっとする。
「じゃあこのままこれ使う」
「ラヴィの好きなものを使え」
「私もロイも良い匂いだと思うものを一番使いたいかな」
そう言いながら手を弄っているとロイの腕の力が少し強くなり頭への重心も少し重くなる。それが心地良いのでラヴィはそのままにする。
「ロイも同じ石鹸にする?気に入った?」
「ああ…ラヴィから同じ香りなのも良いかもな」
「そうなるとお揃いになるね」
「そうだな」
そんな他愛ない話を喋っている時間がラヴィはとても好きだ。心が柔らかく落ち着いてほっこりと散り積もるような感覚になる。とはいえそろそろロイも休んだ方が良いと思うのだが、ロイに包まれた空間から脱出することを全く望まない自分もいる。
(これは我儘…?でもまだここから出たくないな……お願いしてみても大丈夫かなぁ)
ロイからは何でもできるだけ直接伝えて欲しいと言われているし、ラヴィが昔は何も言わずに色々秘めていて、それを柔らかくさせてあげることができなかったと言われていた。
(もし言い過ぎたら注意してもらえば良いし、そこで修正すれば良い)
ラヴィはロイの手を弄りながら上を向く。
「あのね、もう遅いしロイもそろそろ寝ないと疲れが取れないかなと思うの。でも、もうちょっと。あと少しだけで良いからここでぎゅうっとしていたいのだけど、良い?」
親指と人差し指であと少しという形を造りながらそうお願いすると、ロイの目が丸くなった後にとろりと大好きな紅い瞳が溶けるようなとても優しい紅になる。この表情はラヴィに対してだけしか見せないラヴィのお気に入りの大好きな表情だ。
「じゃあ今夜から一緒に寝るか」
「一緒に?ここの寝台で?」
そう言うとロイは機嫌良さそうにラヴィを抱き上げて、奥の部屋を開けて寝台のみが置かれているシンプルな部屋に連れて行かれた。
「ロイ?」
「ん?」
人が数人眠れそうな大きな寝台にゆっくりと降ろされ、寝台の掛布を捲ってそこへ寝かされ、そこに髪を結っていた紐を外したロイも共に横になり二人を包むように掛布をかけた。抱き寄せて腕を回してきたのでラヴィも、もぞもぞと動きながら丁度良い場所を見つけてからぎゅっと腕を回した。
とくとくとロイの心地良い心音が聞こえる。ラヴィの背に回されたロイの大きな手がとんとんと継続的に叩いてくれているのがより心地良い。
(ロイの寝台に朝起こしに行ったことはあるけど、ここで寝るのは初めて。なんでここに連れてきたのだろう…?)
ふとそんな疑問が浮上して、ひとつの可能性が閃いたので聞いてみた。
「ロイ、私と閨をするの?」
「………ん?」
ロイがぱちぱちと瞬きをした。
「夜に男の人が女の人を寝台に誘う時って閨をさせるためなのではないの?」
そう言うと今度はぐっと眉を顰めたロイがラヴィを見つめる。
「―――――おい、どこで覚えた」
「この前読み終わった、成り上がった男爵令嬢の物語」
その答えにロイは額を押さえながら溜息を吐いた。
「あれ、違った?確かに私は小さくて女性らしくもないから役に立つのかな。でも女性だけにある――――」
「おい、待て、違うぞ」
ラヴィの推理を遮断したロイは困ったような何とも言えない表情をする。
「一緒にと言ったのは、一緒の寝台で眠る、という意味だが」
「隣で眠るだけ?」
「ああ」
なんだそうなんだと思い、頷いてまた顔を胸元に埋めた。
少し間が置いてからロイが声をかけてきた。
「お前は俺と閨をしても良いと思っているのか?」
ロイの言葉にラヴィは首を傾げながら自分なりに思案して答えてみる。
「どうだろう。さっき言われた時は一瞬それも仕事の一つで言われたのかなって思ったの―――」
「おい」
「思ったの、だけど」
「…」
心外だという更に眉を顰めているロイの眉間に手を伸ばしてその皺が取れるように撫でる。
「物語を色々読んでいて、閨って大切な人ともっと親密になりたかったり、深く知りたかったりする良い方法だって書いてあった」
「ああ」
「自分を売り物にしたり脅されて無理矢理させる良くない方法も書いてあったけど」
「おい」
少し戻った眉間の皺が再度寄ったので、またロイの眉間と軽く押さえて話し続ける。
「でもロイは無理矢理やらせないかなと思ったし」
「当たり前だ。そもそもそういうつもりでラヴィを連れてきたのではない」
「うん、そうだよね。ロイはとても素敵で格好良いから、私で済ますより魅惑的な女性は幾らでも見繕えるのかなって」
「お前な………見繕えるって」
「物語の偉い王様に悪い宰相が言っていた台詞」
ロイは疲労度を増した溜息を吐きながら、ラヴィの頬を包む。
「お前に隠すこともないからな、聞け。俺は対人に興味や関心がない人間だった」
ラヴィは一つ頷く。
「それなりに欲だけを発散することはあったが、傍に居られることが苦痛で仕方なかったから特定の女すら居なかったな。そんな俺が初めて人間に興味を示したのは、ラヴィ。お前だけだ。オッドアイだったという一つの理由はあったが、今思えばそれだけではなかったのだろう」
また一つ頷く。ラヴィは昔の記憶は消えてしまっているが、ロイに対しての心の動きは他の人達の誰にも当てはまらない鼓動を奏でるのだ。そして満たされて持続すれば良いのにと常に願っている自分がいる。
「お前を想う気持ちの行く末は未知数で戸惑いすらある。だがその過程の時間がとても心地良くて愛おしさが増してずっと続けば良いのにと強く思っている」
ラヴィと似たような心境を話してくれるロイにラヴィはとてつもなく気持ちが嬉しくて溢れ出てくる。
「一緒。じゃあもしこの先もずっと同じ気持ちで、もっと嬉しいのが溢れたり大きくなったりしたら良い方の閨があるってことなんだね」
「!ごほっ…!」
「あれ、違った?」
気管に入って噎せてしまったらしい。ラヴィが背中を擦ってやると「思ったことを話せと言ったのは俺だな……慣れねば」と呟いている。
ラヴィは顔を上げてロイを改めて見つめる。結っていない下ろした漆黒の髪はまるで絹のように滑らかだ。紅い瞳は様々な赤色に煌めいて見える。そして薄めのスッといつもは真っ直ぐひいてある唇が今はラヴィを見ながら少し弧を描いているのが、心が叫びたいくらい嬉しくなる。
「そういえばロイは抱きしめてくれる時に頭に口唇が触れる時があるでしょ?あれはどうして?」
ふいに思っていたことをロイに尋ねてみる。ロイは少し首を傾げながら答えてくれる。
「何だろうな。急に愛でたいと湧き起こる感じがして触れたくなったのかもな。聞かれるまで無意識だった」
聞いた内容とロイのきょとんとした表情にラヴィは心がもぞもぞと落ち着かなくなる。そしてラヴィのすぐ上にある口唇に指でそっと触れる。自分の手が温かいのか少し冷たく感じるロイの口唇。
心臓がとくとく速度が上がり、何だかとてもロイを愛でたくなってしまい、顔を近づけてその口唇に自分の口唇をちゅっと合わせた。
ロイが目を見開いて表情が固まる。
「私も今凄くロイを愛でたくなった。凄く照れる感じだけど凄くうずうずして嬉しくなる。あれ、でも初めは頭から?次に額?下に下がっていくの?口唇が一番近かっ―――」
言い終わるうちに今度はロイの口唇が落ちてきた。
両手で頬を包まれてラヴィの口唇に何度も触れる。
心臓がおかしくなるくらい速くなって、でもそれ以上に歓喜と満たされる想い。そして。
(しあわせ、だなぁ)
その思いでいっぱいになる。
少しだけロイの口唇が離れて囁く。
「幸せだな」
「い、っしょ。思ってた。幸せだね」
「そうだな」
くすっと優しく微笑むロイはいつもの鋭利な美しさが際立つ無表情な顔からは信じられないくらい柔らかく穏やかで、その表情を他の人には見せたくないという独り占めしたくなる気持ちになって、ラヴィは自分から口唇を近づけた。
翌朝、久々の休息だからと言うロイと一緒にラヴィは初めての二度寝を経験した。昼より少し前に共に起きて、ラヴィは側仕えの仕事をしっかりこなしてから二人で朝食兼昼食を摂った。
昨夜話した花を植える場所を決めるために屋敷や四阿周辺を散歩がてら一緒に歩くことになった。のんびりと四阿あたりを手を繋いで歩いていた時、少し不快で嫌な気配を感じたラヴィは周辺を見渡す。
「ん…何だろう?」
顔を上げたラヴィにロイは頭をさらりと撫でてから、ひょいっとラヴィを片手で抱き上げた。
「ロイ?」
「相変わらず気配に敏感だな」
そう言ってもう片方の手で頬を撫でてくれる。
「近くに居るよ。ロイは大丈夫なの?」
「ああ、罪を犯した奴が居てな。捕縛してはある。そこからは出れん」
そう言いながらロイはゆっくりとその場所から移動していく。
「その人はとても悪いことをしたのかな。気配がね、澱んで濁って感じた」
「―――そうだな。身勝手で自分が中心に動いていると根本から勘違いするような人物だったな」
「そんな人が居るんだ。私みたいに生まれが良くなかったのかな」
「……いや、とても裕福な家庭で育ち、本来なら素晴らしい教育を受けていたはずなんだがな」
「とても厳し過ぎる教育?」
「逆だったな。甘やかされ過ぎていたのだろう」
「そっか。可哀想だね」
「可哀想?」
ラヴィはその人物を知るわけではないが、ロイの話を聞いて感じたことはその言葉だった。ロイは不可思議な表情をしている。
「うん。私はここに居る間、褒められたり、時には怒られる、よりは注意される、だね。私の記憶の一部が消えているのもあるけど、補ってくれるように何がどういけないのか、危険なのか、とか皆教えてくれるでしょ?それってとても大事なことだよね」
ラヴィに対して良し悪しをちゃんと判断できるように言葉にして皆伝えてくれる。
「私に家族は居ないけど、ロイやスーリ達に良いことも悪いこともちゃんと言ってくれることがとても有り難い。でもちゃんと善悪も教えられず叱ってもらえず甘やかされたってことは、本人そのものをちゃんと見てもらえてなかったのかなって。一人の存在として向かい合って貰えないのは寂しいね。でもこれはまあ私の勝手な介錯だけど」
そう言って離れていく気配のした方へ視線を向ける。この時のロイは凍えるような視線をそちらに向けたが、すぐにラヴィに戻し頭を撫でる。
「そういう内情もあったのかもな。でもどこかで何某かの分岐点はあった筈だ。それを最終的に選んだのは本人だ。それが間違っていたのなら、その報いは受けなければならん」
「そうだね。私も気をつけよう」
「お前は大丈夫だ」
「人間はそうやって驕っている時に危ない選択肢が訪れるものなんだよ」
「なんだそれは」
「物語の魔女の台詞」
涼しくなってきた風に二人の髪が少し乱れ、お互いにそれを直す。ラヴィはついでに漆黒の艶めく長い髪に顔を埋めてロイの匂いを堪能し、ロイはラヴィの頭に口唇を落としながら、屋敷の方へ戻っていった。
~最後まで読んでいただきありがとうございました。閃いたら後日談を書くかもしれません~
朝晩はぐっと気温が下がる晩秋の季節。
その日は暖かい陽射しに雲の陰りが時折重なる程度の丁度良い散歩日和の天候だ。
ラヴィは暫く寝台生活が続いていたが、少しずつ起きる時間が増え、今では一日に二回ほど天気が良ければ屋敷の周りを散歩することが日課となっていた。
「上着あった方が良かったかな」
昼食の前に少し動いてお腹を沢山空かせようとラヴィは外に出て歩き始めたのだが、厚めのニットワンピースだけではまだ肌寒く感じた。
とはいえ、歩いたら体が温まるだろうとそのまま散歩を決行する。幼馴染のスーリから贈られた濃い灰色のブーツはヒール部分も低く歩くことに特化しているのでとても履きやすい。
パジェスの屋敷は広大な敷地内の中央に建てられていて、周囲には訓練施設が屋外屋内共にあちこちに在る。庭園もあるのだが彩り豊かな花類は無く観葉植物系が地植えされているくらいで、四阿も併せて少し殺風景だなといつも思っていた。
屋敷自体派手さはないが、気品がある造りで敷地全体は高い塀で囲まれている。一周歩き終わり、ラヴィは訓練施設以外でスペースが空いている箇所を頭の中で思い起こしていると、後方から声がかかった。
「ラヴィ。そろそろ昼食の時間になるけど」
最近まで病床にいたラヴィの世話をしてくれていたリリィが訓練施設から歩いてきた。
「リリィ。訓練お疲れ様。だいぶ感覚戻ってきた?」
「ええ。来週からは通常業務に戻る予定よ」
「そっか。良かった。私の面倒看てくれてありがとう」
そう伝えると、リリィは目を丸くしてから柔らかく緩める。
「私も貴重な経験ができたのよ。心身ともに」
当初はお互いに遠慮がちで恐縮し合っていたのだが、ラヴィはスラム街出身だとスーリから聞いていた。そのことや他にも迷惑かけていたのなら、お互い関わらずに過ごした方が良いのではと、本人に直接聞いたことがあった。
リリィは少し辛そうな表情をしながら俯き、ラヴィが人より感情に敏感に察知することは彼女始め皆知っていることだった。それならばちゃんと向かい合った方がと良いと、何か決意したかのようにリリィは話してくれた。
過去とある人物が原因で工作員達が噂を勝手に介錯してラヴィを嫌煙していた時期があったという。それでもラヴィからは何もすることはなく、対し工作員達は愚かにも勘違いした者が殆どで、間違いだったと解っても己の情けない精神に、人に寄ってはラヴィに対して自戒する態度に表れてしまうのだと言っていた。
ラヴィは時折不可解に感じた感覚の理由はこれだったのかと思ったくらいだった。それぞれ悔やんだり己を省みているのなら、もう済んだことであるし、そもそも記憶がないのだから。今でもラヴィを嫌っていないのであれば通常通りにしてくれると嬉しいと伝えた。それから暫く経って少しずつ工作員達と話すことも増えてきた。元々寡黙な人間も多く、ラヴィも話が達者ではないので、無理して話そうと意気込むこともお互いになく、今に至っている。
「お昼ご飯は何だろう」
「昼食は二種類から選べるから、好きな方を選べるのが良いね」
「うん。お腹空いた」
リリィと共に屋敷に入ると、ちょうど正面階段から今朝隠密任務から戻ったスーリが下りてきた。シャワーを浴びたのか少し髪が濡れ、いつも編み込まれている髪は後ろに乱雑に結んでいる。
「ラヴィ。散歩帰り?」
スーリの声はいつも優しい。彼のことを忘れてしまっても、大切に思ってくれるのは無条件で分かるのだ。
「うん。スーリも任務お疲れ様。お昼ご飯まだ?一緒に食べよう」
「うん、行く」
「じゃあ私は一度部屋に戻るから」
リリィがそう言って自分の部屋に戻っていき、ラヴィはスーリと共に食堂へ向かった。
「おう、ラヴィ。散歩で少しは腹空かせたか?スーリも任務お疲れ」
厨房から出てきたのはこの屋敷の食事全てを担う、ジャイルだ。スーリはこくんと一つだけ頷く。
「うん。元々空いていたけど、もっと空いた。今日のメニューは何?」
「サンドイッチはBLTかローストビーフ、スープはチキンビスクかミネストローネ、足りない奴はフライドチキンがあるぞ」
「私の好きなサンドイッチだ。BLTとミネストローネでお願い、します」
「ははっ『お願い♪』だけで良いのによ」
「お願いする時は丁寧な言葉をつけた方が良いかなって思って」
「思うようにやれば良いさ。違うぞって時は言ってやる」
ジャイルは無精髭を撫でながらにかっと笑う。無精髭が似合う強面な顔なのに、作る料理はとても丁寧で繊細で美味しい。
「ローストビーフ二人前とチキンビスク。フライドチキン二本」
「おお、スーリは相変わらずひょろっこいのに食うなぁ」
「あんたが厳ついだけ。あんた標準にしてたら皆ひょろいだろ」
「スーリ、お肉ばっかりだけど野菜は良いの?」
「野菜あまり好きじゃない」
「ミネストローネは細かく切られて食べやすいし、生野菜の独特の青味もないよ。でもご飯は美味しく食べたいから好きに食べればいいのかなぁ」
「………ミネストローネも入れて。フライドチキンは一本で」
「ぶっ…!了解。スーリも良く喋るようになったなぁ。ラヴィといると雰囲気柔らかくなるんだな」
「煩いよ。早く用意して」
「スーリ。そこはお願いしますがいいよ、きっと」
「ははは!ちょっと待ってな」
ジャイルは豪快に笑いながら厨房に入っていく。ラヴィとスーリは長いテーブルから厨房に一番近い場所に座った。スーリは特攻工作員として訓練と任務で日々忙しくしているので、いつも食事を共にできるわけではない。近況をお互いに話したり、スーリしか知らないラヴィの昔のことを話してくれたりもする。
ジャイルが食事を持ってきてくれて、二人は腹を満たしながら、時折会話をする。
「え、木登りだけは一度も勝てなかったの?」
「うん。ラヴィは器用だし何でも早く取得するけど木登りだけは俺の方が圧倒的」
「え、もう勝てない?」
「今ならラヴィの倍速以上でいけるでしょ、余裕」
「私の方が身軽ってことで勝てないかな?スーリ体格良くなったし重くなってるよ」
「そりゃ筋肉のつけ過ぎは致命的だけど必要な箇所を必要なだけしかつけないから問題ない」
「むむ…じゃあ私は身軽さを極めて―――」
「ほらほら、スーリくーん。そんな焚き付けたらラヴィがこの後木登り訓練始めちゃうよ」
からっと明るい声が食堂の扉から聞こえ、入ってきたのはラウロとセナだった。
「何。邪魔」
「やれやれ。一時期は仲間だと思っていたのにつれないねぇ」
「あれはお互いの利害が一致しただけ」
「お二方、その辺で。ラヴィさんが首を傾げていますよ」
二人が同時にラヴィを見て一拍おいてから同時に引いて、ラウロとセナは食事を取りに行った。
この二人は会う度にこんな感じに言い合っているが、ラヴィ的には相性は良いと思っている。だがそれを言うとスーリが不貞腐れそうな感じがするので言わないでいる。
「木登りしたいな」
「まだ忘れてなかったの」
「今日ぐるっと一周したけど、登れそうな木が何本かあったから今度試してみよう」
「ちょっと待って」
「大丈夫だよ、昔は登れたんだから」
「ぷっ。また再開?」
ラウロとセナがトレーに昼食を載せてラヴィ達の隣に座る。
「ラヴィ、木登りはもう少し体力が回復してからロイに聞いてごらん。ほら、先に彼に一言ないと拗ねちゃうかもよ?ラヴィにとってとても大事な人なんでしょ?」
ラヴィは拗ねるロイの想像がつかないが、一番大事な人に一番に話すことは大切なのかもしれないと頷いた。
「うん。そうする」
「素直だねぇ、ラヴィは」
「俺にはその次に言ってよね」
スーリが残ったサンドイッチを口に放り込みながら言う。
「スーリにも言うよ。隠すことないもんね」
「うん」
「うわぁ、スーリくん嬉しそう」
「本当ですね。無表情なのにわかります」
「あんたら本当邪魔。早く食べなよ」
わいわいしながら食事を進めていく。
「今日も屋敷周りを散歩したのですか?体力的にはどうでしょう」
セナの落ち着いた声音と丁寧な言葉遣いでラヴィに尋ねてきた。ラヴィはいつも感じていることを今日も感じながらも、散歩での自分の体力を思い出す。
「今は息も切れないし二周目もいけそう。でも焦らずゆっくりってロイも言っていたし、心配させたくないからそうしてる。あとは木や観葉植物は植えられているけど花はないなぁって思ったかな」
ラウロはうんうん頷きながら「過保護爆発~」とぼやいている隣でセナがにこっと笑う。
「それが最善かと。言われてみれば確かに緑のみの植物だけですね。――――ラヴィさんがもし望むならロイさんに花を植えていいか聞かれてみたら如何ですか?」
その言葉にラヴィは瞬きをする。
何か新しいものを増やす。そんなことを考えたこともなかった。
「花を新しく植える…空いている花壇もあった。お願いごとで聞いてみても良いのかな」
「良いんじゃない。この前、花の植物の本見ていたよね」
「お、良い案だね。植物は緑だけで、訓練所も物々しいから花植えたら雰囲気明るくなりそうだし、そんな可愛いお願い事すぐに聞いてくれるかもよ」
スーリとラウロも賛成のようだ。
「うん。ロイに聞いてみる。セナ、ありがとう」
セナに向かってお礼を言うと、セナは目を丸くした。
「え…。いえ、お礼を言われる程のことを言ったわけでは―――」
「私色々なことを忘れているけど、新しいことをするって考えは元々無かったのかな?初めて覚えた感じがしたの。だからそれを教えてくれたセナにありがとう、なんだ」
「ラヴィは思ったことを素直に出せようになったのは偉いねぇ。ほら、セナも素直に、ね」
ラウロが少し困ったような、同時に少し優しい顔でセナに向けて声をかける。
「…こちらこそ、ありがとうございます」
「うん、私もありがとう」
「いえ、こちらこそありが――」
「終わんないから」
「ぷはっ」
そんな話をしながら、スーリは一休みすると言い、セナはそそくさと食べ終えて出て行った。ラヴィは冷たい果実水、ラウロは紅茶を飲みながら一息してる時に聞いてみた。
「セナの笑顔と話し方はお仕事で培ったもの?」
ラウロには出会った当初から思ったこと溜めないで何でも話してねーと言われていた。開口一番の言葉に驚いたのものだが、何故かラウロの雰囲気と、世間話みたいに軽く聞いてくれる流れがとても話し易いのだ。ラウロはゆっくり瞬きをしてから先程セナに見せたものと同じ少し困ったように眉を下げた笑顔を見せる。
「ラヴィはその辺り鋭いなぁ。セナもラヴィと少しだけ境遇が似ていてね。僕が個人的に興味あって声かけて仲間にしたんだ。元々はもっと粗暴な言葉遣いと態度だったんだよ。でも彼の努力であそこまで仕上がった。でも稀に息苦しくなることがあるのかもしれないね」
まるで貴公子のような見た目と風貌のセナ。それは勿論彼の努力によるもので素敵で完璧に見える。でも時折とても疲れたような雰囲気を漂わせることがあるのが気になっていた。
「ラウロもそれをちゃんと見てるから優しい表情するんだね。私とスーリみたい」
「え?僕?」
「うん。時々ちょっと困ったような、でも優しい顔するの。暴れていた弟を諌めながら見守るお兄ちゃん?のような。温かいものだよ」
そう言うとラウロは目を丸くして驚いた表情をする。
「そうかぁ。僕もその辺疎いからなぁ。ラヴィは色々な物語読んで覚えたの?」
「そう。人の気持ちがどの感情になるのかなとか思いながら読んで、時折全く異なる時はなるほどって思って、とても勉強になる」
ラウロはセナにするのと同じような眉を少し下げた優しい笑顔になりながら、ラヴィの頭をさらりと撫でてくれた。
「ラヴィが色々な感情を覚えていってくれて嬉しい限りだね。男同士はなかなかプライドが邪魔して伝えられないかもしれないけど、可愛い妹分から大丈夫だよーって言われたら、セナも少し肩の力を抜けるのかもね」
そう言いながら、ご馳走様でしたとラウロはトレーを下げて出て行った。
ラヴィの一日はロイの朝のお世話に始まり、日中の書類仕事と、寝支度の準備もだ。ラヴィも暇さえあればロイの側にいたいのでとても嬉しい。
「今日は何してた?」
今日は朝から出かけていたロイがラヴィの一日の様子を聞いてくる。ラヴィはロイの上着を預かり、ロイの部屋にあるコートラックにかけながら答える。
「朝はいつも通り。天気も良かったから外を一周散歩した。その後スーリとラウロとセナで昼ご飯一緒に食べたの。あ、好きなBLTサンドだったんだ」
上着のケアをしながら話しているラヴィをロイは優しい眼差しで見ている。
「そういえば屋敷の周りには緑の植物が沢山あるけど、花はないんだねって話をしたら、セナが私の選んだ花を植えても良いかロイに聞いてみたらって」
「気にもかけなかったが、確かに観葉植物しかないな。ラヴィが気に入った花でも植えてみろ」
「良いの?」
「ああ。誰か植物に詳しい工作員がいるか聞いてみよう。植えたい花は決まっているのか?」
「ラベンダー」
ロイがラヴィの瞳を連想させるラベンダー。香りは知っているが、花そのものは本でしか知らない。実際に見てみたい。ロイはラヴィにしか見せない甘い表情で見る。
「そうか。ラベンダーは春頃に植えるからもう少し先だな。他にはないのか?」
「濃いめの赤色の花。ロイの瞳の色みたいな花」
ロイは紅い瞳を数回瞬きしながら目元に触れる。そしてくすっと口元が上がる。
「それは楽しみだな」
「うん。植物図鑑で幾つか見つけたから時期を確認して植えてみる。他に皆の色の花も」
「ああ。好きなようにやってみろ」
ラヴィはラベンダーを始めロイの瞳の色の花のことを考えながら心が浮き立つ。
「ロイに良いよって言ってもらえて良かった。嬉しい。どんな花にしようかな」
「俺も同じだな。ラヴィが楽しそうに俺の色の花を選ぶのを見るのは楽しいだろうな」
「ロイも嬉しくなるの?」
「ああ」
「そっか。じゃあ二人で嬉しいなら倍嬉しくなってきた」
「俺もそれを聞くと更に倍嬉しくなるんだろうな」
「なら私はそこから更に更に何倍も嬉しくなるんだね」
「そうだな」
そんな会話を一度アルナドの前で話していたら、彼は耳を真っ赤にして顔を手で覆いながら、「これに慣れねばならないのか」と呟きながらお茶の用意をしてきますと、足元ふらつかせながら出て行っていたことがあった。
ロイはラフな光沢のある夜着に着替え重厚なソファに腰を降ろす。ラヴィも就寝手前でロイが帰宅したので、夜着のまま仕事をする為に向かったのだ。ワンピース型でない上下分かれている着心地の良い生地でとても気に入っている。
上着からロイの身の回りの一通りの片付けを終えると同時にロイが掌を上にして人差し指を動かしながらラヴィを呼ぶ。ラヴィはこの仕草がとても気に入っている。とててと歩き、ロイの隣に座って報告する。
「終わった。明日はいつもの時間に起こしに来れば良い?」
そう尋ねると、「そうだな」と言いながら、ラヴィの腰を持ち軽々と持ち上げてロイの膝に座らせた。初めて膝に座らされた時は心臓がどきんとしたが、それ以上にロイの温かさと居心地が良い方が勝って、この時間がとても好きになったのだ。
羞恥や、照れよりも、この時間を堪能したい気持ちが最優先となり、ラヴィは腰に回された大きな手を弄り始める。男性特有の骨ばった長いロイの指を触っているのがとても落ち着くと感じたのは最近だ。手の甲はとても滑らかなのに掌は硬くてごつごつしている。それを堪能していると、頭にロイの口が落とされた。
「いつもの香りと違うな。新しくしたか?」
「うん。新しい石鹸を仕入れたってリリィから三つ渡されてこの香りを選んだの。ロイはこの匂い平気?」
ロイはラヴィの頭に鼻をすりすりと擦り付けながら「問題ない」と答えたのでほっとする。
「じゃあこのままこれ使う」
「ラヴィの好きなものを使え」
「私もロイも良い匂いだと思うものを一番使いたいかな」
そう言いながら手を弄っているとロイの腕の力が少し強くなり頭への重心も少し重くなる。それが心地良いのでラヴィはそのままにする。
「ロイも同じ石鹸にする?気に入った?」
「ああ…ラヴィから同じ香りなのも良いかもな」
「そうなるとお揃いになるね」
「そうだな」
そんな他愛ない話を喋っている時間がラヴィはとても好きだ。心が柔らかく落ち着いてほっこりと散り積もるような感覚になる。とはいえそろそろロイも休んだ方が良いと思うのだが、ロイに包まれた空間から脱出することを全く望まない自分もいる。
(これは我儘…?でもまだここから出たくないな……お願いしてみても大丈夫かなぁ)
ロイからは何でもできるだけ直接伝えて欲しいと言われているし、ラヴィが昔は何も言わずに色々秘めていて、それを柔らかくさせてあげることができなかったと言われていた。
(もし言い過ぎたら注意してもらえば良いし、そこで修正すれば良い)
ラヴィはロイの手を弄りながら上を向く。
「あのね、もう遅いしロイもそろそろ寝ないと疲れが取れないかなと思うの。でも、もうちょっと。あと少しだけで良いからここでぎゅうっとしていたいのだけど、良い?」
親指と人差し指であと少しという形を造りながらそうお願いすると、ロイの目が丸くなった後にとろりと大好きな紅い瞳が溶けるようなとても優しい紅になる。この表情はラヴィに対してだけしか見せないラヴィのお気に入りの大好きな表情だ。
「じゃあ今夜から一緒に寝るか」
「一緒に?ここの寝台で?」
そう言うとロイは機嫌良さそうにラヴィを抱き上げて、奥の部屋を開けて寝台のみが置かれているシンプルな部屋に連れて行かれた。
「ロイ?」
「ん?」
人が数人眠れそうな大きな寝台にゆっくりと降ろされ、寝台の掛布を捲ってそこへ寝かされ、そこに髪を結っていた紐を外したロイも共に横になり二人を包むように掛布をかけた。抱き寄せて腕を回してきたのでラヴィも、もぞもぞと動きながら丁度良い場所を見つけてからぎゅっと腕を回した。
とくとくとロイの心地良い心音が聞こえる。ラヴィの背に回されたロイの大きな手がとんとんと継続的に叩いてくれているのがより心地良い。
(ロイの寝台に朝起こしに行ったことはあるけど、ここで寝るのは初めて。なんでここに連れてきたのだろう…?)
ふとそんな疑問が浮上して、ひとつの可能性が閃いたので聞いてみた。
「ロイ、私と閨をするの?」
「………ん?」
ロイがぱちぱちと瞬きをした。
「夜に男の人が女の人を寝台に誘う時って閨をさせるためなのではないの?」
そう言うと今度はぐっと眉を顰めたロイがラヴィを見つめる。
「―――――おい、どこで覚えた」
「この前読み終わった、成り上がった男爵令嬢の物語」
その答えにロイは額を押さえながら溜息を吐いた。
「あれ、違った?確かに私は小さくて女性らしくもないから役に立つのかな。でも女性だけにある――――」
「おい、待て、違うぞ」
ラヴィの推理を遮断したロイは困ったような何とも言えない表情をする。
「一緒にと言ったのは、一緒の寝台で眠る、という意味だが」
「隣で眠るだけ?」
「ああ」
なんだそうなんだと思い、頷いてまた顔を胸元に埋めた。
少し間が置いてからロイが声をかけてきた。
「お前は俺と閨をしても良いと思っているのか?」
ロイの言葉にラヴィは首を傾げながら自分なりに思案して答えてみる。
「どうだろう。さっき言われた時は一瞬それも仕事の一つで言われたのかなって思ったの―――」
「おい」
「思ったの、だけど」
「…」
心外だという更に眉を顰めているロイの眉間に手を伸ばしてその皺が取れるように撫でる。
「物語を色々読んでいて、閨って大切な人ともっと親密になりたかったり、深く知りたかったりする良い方法だって書いてあった」
「ああ」
「自分を売り物にしたり脅されて無理矢理させる良くない方法も書いてあったけど」
「おい」
少し戻った眉間の皺が再度寄ったので、またロイの眉間と軽く押さえて話し続ける。
「でもロイは無理矢理やらせないかなと思ったし」
「当たり前だ。そもそもそういうつもりでラヴィを連れてきたのではない」
「うん、そうだよね。ロイはとても素敵で格好良いから、私で済ますより魅惑的な女性は幾らでも見繕えるのかなって」
「お前な………見繕えるって」
「物語の偉い王様に悪い宰相が言っていた台詞」
ロイは疲労度を増した溜息を吐きながら、ラヴィの頬を包む。
「お前に隠すこともないからな、聞け。俺は対人に興味や関心がない人間だった」
ラヴィは一つ頷く。
「それなりに欲だけを発散することはあったが、傍に居られることが苦痛で仕方なかったから特定の女すら居なかったな。そんな俺が初めて人間に興味を示したのは、ラヴィ。お前だけだ。オッドアイだったという一つの理由はあったが、今思えばそれだけではなかったのだろう」
また一つ頷く。ラヴィは昔の記憶は消えてしまっているが、ロイに対しての心の動きは他の人達の誰にも当てはまらない鼓動を奏でるのだ。そして満たされて持続すれば良いのにと常に願っている自分がいる。
「お前を想う気持ちの行く末は未知数で戸惑いすらある。だがその過程の時間がとても心地良くて愛おしさが増してずっと続けば良いのにと強く思っている」
ラヴィと似たような心境を話してくれるロイにラヴィはとてつもなく気持ちが嬉しくて溢れ出てくる。
「一緒。じゃあもしこの先もずっと同じ気持ちで、もっと嬉しいのが溢れたり大きくなったりしたら良い方の閨があるってことなんだね」
「!ごほっ…!」
「あれ、違った?」
気管に入って噎せてしまったらしい。ラヴィが背中を擦ってやると「思ったことを話せと言ったのは俺だな……慣れねば」と呟いている。
ラヴィは顔を上げてロイを改めて見つめる。結っていない下ろした漆黒の髪はまるで絹のように滑らかだ。紅い瞳は様々な赤色に煌めいて見える。そして薄めのスッといつもは真っ直ぐひいてある唇が今はラヴィを見ながら少し弧を描いているのが、心が叫びたいくらい嬉しくなる。
「そういえばロイは抱きしめてくれる時に頭に口唇が触れる時があるでしょ?あれはどうして?」
ふいに思っていたことをロイに尋ねてみる。ロイは少し首を傾げながら答えてくれる。
「何だろうな。急に愛でたいと湧き起こる感じがして触れたくなったのかもな。聞かれるまで無意識だった」
聞いた内容とロイのきょとんとした表情にラヴィは心がもぞもぞと落ち着かなくなる。そしてラヴィのすぐ上にある口唇に指でそっと触れる。自分の手が温かいのか少し冷たく感じるロイの口唇。
心臓がとくとく速度が上がり、何だかとてもロイを愛でたくなってしまい、顔を近づけてその口唇に自分の口唇をちゅっと合わせた。
ロイが目を見開いて表情が固まる。
「私も今凄くロイを愛でたくなった。凄く照れる感じだけど凄くうずうずして嬉しくなる。あれ、でも初めは頭から?次に額?下に下がっていくの?口唇が一番近かっ―――」
言い終わるうちに今度はロイの口唇が落ちてきた。
両手で頬を包まれてラヴィの口唇に何度も触れる。
心臓がおかしくなるくらい速くなって、でもそれ以上に歓喜と満たされる想い。そして。
(しあわせ、だなぁ)
その思いでいっぱいになる。
少しだけロイの口唇が離れて囁く。
「幸せだな」
「い、っしょ。思ってた。幸せだね」
「そうだな」
くすっと優しく微笑むロイはいつもの鋭利な美しさが際立つ無表情な顔からは信じられないくらい柔らかく穏やかで、その表情を他の人には見せたくないという独り占めしたくなる気持ちになって、ラヴィは自分から口唇を近づけた。
翌朝、久々の休息だからと言うロイと一緒にラヴィは初めての二度寝を経験した。昼より少し前に共に起きて、ラヴィは側仕えの仕事をしっかりこなしてから二人で朝食兼昼食を摂った。
昨夜話した花を植える場所を決めるために屋敷や四阿周辺を散歩がてら一緒に歩くことになった。のんびりと四阿あたりを手を繋いで歩いていた時、少し不快で嫌な気配を感じたラヴィは周辺を見渡す。
「ん…何だろう?」
顔を上げたラヴィにロイは頭をさらりと撫でてから、ひょいっとラヴィを片手で抱き上げた。
「ロイ?」
「相変わらず気配に敏感だな」
そう言ってもう片方の手で頬を撫でてくれる。
「近くに居るよ。ロイは大丈夫なの?」
「ああ、罪を犯した奴が居てな。捕縛してはある。そこからは出れん」
そう言いながらロイはゆっくりとその場所から移動していく。
「その人はとても悪いことをしたのかな。気配がね、澱んで濁って感じた」
「―――そうだな。身勝手で自分が中心に動いていると根本から勘違いするような人物だったな」
「そんな人が居るんだ。私みたいに生まれが良くなかったのかな」
「……いや、とても裕福な家庭で育ち、本来なら素晴らしい教育を受けていたはずなんだがな」
「とても厳し過ぎる教育?」
「逆だったな。甘やかされ過ぎていたのだろう」
「そっか。可哀想だね」
「可哀想?」
ラヴィはその人物を知るわけではないが、ロイの話を聞いて感じたことはその言葉だった。ロイは不可思議な表情をしている。
「うん。私はここに居る間、褒められたり、時には怒られる、よりは注意される、だね。私の記憶の一部が消えているのもあるけど、補ってくれるように何がどういけないのか、危険なのか、とか皆教えてくれるでしょ?それってとても大事なことだよね」
ラヴィに対して良し悪しをちゃんと判断できるように言葉にして皆伝えてくれる。
「私に家族は居ないけど、ロイやスーリ達に良いことも悪いこともちゃんと言ってくれることがとても有り難い。でもちゃんと善悪も教えられず叱ってもらえず甘やかされたってことは、本人そのものをちゃんと見てもらえてなかったのかなって。一人の存在として向かい合って貰えないのは寂しいね。でもこれはまあ私の勝手な介錯だけど」
そう言って離れていく気配のした方へ視線を向ける。この時のロイは凍えるような視線をそちらに向けたが、すぐにラヴィに戻し頭を撫でる。
「そういう内情もあったのかもな。でもどこかで何某かの分岐点はあった筈だ。それを最終的に選んだのは本人だ。それが間違っていたのなら、その報いは受けなければならん」
「そうだね。私も気をつけよう」
「お前は大丈夫だ」
「人間はそうやって驕っている時に危ない選択肢が訪れるものなんだよ」
「なんだそれは」
「物語の魔女の台詞」
涼しくなってきた風に二人の髪が少し乱れ、お互いにそれを直す。ラヴィはついでに漆黒の艶めく長い髪に顔を埋めてロイの匂いを堪能し、ロイはラヴィの頭に口唇を落としながら、屋敷の方へ戻っていった。
~最後まで読んでいただきありがとうございました。閃いたら後日談を書くかもしれません~
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