上 下
103 / 118
三学期

プリュヴィオーズ⑦・次回作悪役令嬢

しおりを挟む
「我が騎士よ! その女狐を手討ちにせよ!」
「御意」

 幼さと甘ったるさが残る声で精一杯の威厳が込められた命令が下され、凛として芯が通った声が畏まる。直後、わたし達の前方にいた次回作ヒロイン集団の内、アンリ様が前方へと飛び出していく。腰に下げていた剣を一気に抜き放った直後、けたたましい金属の衝突音が鳴り響いた。
 アンリ様が踏み出してから一歩遅れて他の攻略対象者達もアルテミシアを庇うように奥の何者かの前に立ち塞がる。怯えの色が見られるアルテミシアの肩にシャルルは手を置き、安心させるように笑って何かを語っていた。

「ごきげんよう、アルテミシア様」
「……っ!?」

 そんな騒動の只中にいるアルテミシアの後ろ髪を掴むようにジャンヌはやや大きな、しかし透き通った声で挨拶を送った。不意を打たれたアルテミシアは驚き顔をさせながらジャンヌの方へと振り向いた。直後にはいつものいたずらっ子がさせる小悪魔的笑顔に戻ったものの、若干強がりが見られる。

「お、おはようございますジャンヌ様。こんな朝早くからわたしごときに声をかけていただき恐悦至極でございますね」
「そんな朝早くとやらから随分と賑やかなのですね」

 アルテミシアは大げさなぐらい慇懃に頭を垂れた。ジャンヌは軽く会釈をした後にやや身体を横に傾けて奥の方を伺う。わたしも物騒な命令と共に何が始まったのか気になったので背伸びしつつアルテミシアを庇う攻略対象者達の身体の隙間から奥を覗きこんだ。

 そこではアンリ様と一人の女性が剣を交えていた。
 その方を一言で表すなら男装の麗人、かしら? 軽く化粧を施すだけでも多くの殿方の視線を惹きつける美貌、それから騎士団見習いの制服を身にしていても胸と尻が自己主張している。背は高めで肩幅も広く、女性が格好いいと思う出で立ちだ。

「ヴィクトワール。王太子殿下の御前ですよ。血迷ったのですか?」
「兄上、これは私が王女殿下より承った命令です。兄上は殿下の命を聞けぬと申すのですか?」

 そして何よりその容姿はアンリ様に似ていた。

 彼女はヴィクトワール・ド・ブルターニュ。アンリ様の妹君であらせられる。
 ヴィクトワール様はアンリ様同様に聖堂騎士を目指していてその剣の腕前は学園でも屈指。『双子座』ではアンリ様ルートでメインヒロインの前に恋の障害として立ちはだかってくる。最終的にはメインヒロインの慈愛で己の抱く正義に凝り固まった考えを改めるんだったっけ。
 まあ、例によって裏で糸を引いていたのは悪役令嬢ことジャンヌ。メインヒロインへ成す害に迷いが生じたヴィクトワール様にまで悪意が及んだりするのはまた別の話。

 そんなヴィクトワール様はジャンヌの到来に気付くと大地を蹴ってアンリ様から間合いを離した。アンリ様も後退するヴィクトワール様へと踏み込もうとせず、そのまま互いに剣を収めた。ヴィクトワール様は背筋を正し、丁寧な物腰でジャンヌへと一礼した。

「ジャンヌ様、朝早くから見苦しい所をお見せして申し訳ない」
「いいのですよヴィクトワール様。貴女様は王女殿下のご命令に従っただけ。けれど以前も言ったように主人を嗜めるのも騎士の務めですよ」
「仰る通りではありますが、今回は私も兄上方の惨状を見かねて賛同しての……」
「お義姉様っ!」

 ドレススカートのすそを両手で摘まみながらヴィクトワール様を横切る女の子は可憐だった。一輪の花の様な笑みを湛えて両腕を広げてそのままジャンヌへと飛び込む……ってジャンヌに!?
 女の子もまずいって直後に悟ったようだけれど時既に遅し。勢いは止まらずにそのままジャンヌに……ぶつかる直前にクレマンティーヌ様が女の子に抱き付いてジャンヌから引き離した。

「このお馬鹿っ! ジャンヌ様やそのお子様に何かあったらどうするつもりですの!?」
「ううっ。そ、そんなに怒らなくてもいいではないか!」
「お黙り! 反省なさっておられないようでしたら王妃様に言いつけますわよ?」
「ひぃっ、それは困る! お義姉様、本当にすまなかった」
「ごめんなさいねマリー。今はこうなってしまっていて貴女を受け止められないの」
「お、お義姉様が謝る必要なんてこれっぽっちも無いぞっ。その、妾が悪かったんだからな」

 怒られた女の子は肩を小さくさせてジャンヌへと頭を下げた。一方危うく女の子共々地面に倒されそうだったジャンヌは微笑みながらも少し申し訳なさそうに声を落とした。女の子はその背の低さから自然とやや上目使いにジャンヌを見つめる。この一幕を見るだけでもジャンヌはこの女の子にだいぶ慕われているのが分かる。
 マリーと呼ばれた彼女はジャンヌをお義姉様と呼んだ。ヴィクトワール様は王女殿下の命により凶行に及んだと語っていた。王太子殿下や宰相嫡男がいる中で騒動を巻き起こせるとしたら、それ相応の身分の者が企てた、となる。

 マリー……いえ、マリー殿下はわたしへと顔を向けてきた。

「ふむ、そなたがお義姉様の双子の妹か。父王陛下より伺っているぞ」
「お初にお目にかかります。カトリーヌでございます」
「うむ、苦しゅうない。面を上げよ。お義姉様も双子であればそなたも妾の姉同然。よろしく頼むぞ!」
「光栄です、殿下」
「では名乗ろう。妾は――」

 マリー・ド・ヴァロワ。
 王国第二王女、シャルルの妹。
 そして『双子座2』での悪役令嬢でもある。

 いやいやいや、次回作ヒロインどころか次回作悪役令嬢まで前作の舞台に飛び込んできましたよ。『双子座』での王太子様ルートの敵役は悪役令嬢本人だからマリー殿下は一切出番無し。ヴィクトワール様を付き添いとして召し抱えていたのも初耳だし。

 そんな胸を張ったマリー殿下の両方の頬をジャンヌは摘み、軽く潰すように力を込めた。

「それでマリー。まだ入学していない貴女がはるばる学園に何の用かしら? しかも生徒会の職務を引き継いでお忙しいヴィクトワール様まで巻き込んで」
「ちょっとそれは止めて欲しいぞ!」
「ジャンヌ様。マリー殿下をお諫めするお気持ちは分かりますが、このままでは話が進みません。どうかお慈悲のほどを」
「ヴィクトワール様に免じてこの程度で済ませてあげましょう」

 ジャンヌの手から解放されたマリー殿下は自分の両頬を触って、次にはアンリ様方に庇われるアルテミシアを睨みつけた。その面持ちからはジャンヌに向けていた甘えが一切消えていて、可愛さが拭えないものの程よい厳しさと迫力が現れていた。

「この女狐は畏れ多くも未来の王となる兄様を誑かし堕落させた。しかも将来の伴侶となるお義姉様を蔑ろにさせて、だ。その不敬だけでも万死に値する!」
「証拠も何も無いのに出しゃばってくるなんて汚いですねさすが悪役令嬢きたない。第一『双子座』でマリー様の出る幕なんてありませんから」

 次回作ヒロインの挑発に怒りで顔を真っ赤にさせた次回作悪役令嬢が何かを叫ぼうとした所で、「落ち着きください」とヴィクトワール様が手で口元を押さえた。マリー殿下も感情に身を任せるのはよろしくないと遅らせながらも気付いたようで、深呼吸を取って冷静に努める。
 一方のジャンヌ、「悪役令嬢? マリーが?」と首を傾げていたので「次回作の」と教えておいた。さすがにジャンヌも衝撃だったようで愕然としていた。それは多分、自分と照らし合わせているからでしょう。もしかしたら彼女も自分と同じ道を歩むのか、と。

「何をわけのわからぬ事を言っておるのだ。お義姉様方から聞いておるぞ。貴様は学園内で隙あらばそこの五人と共にいるらしいではないか」
「友達と語り合うのは悪じゃあありません。話が盛り上がるんですから共にいたいって思いたくもなりますよ」
「お義姉様という婚約者がいる兄様に下心から擦り寄るなど汚らわしいと申しておるのだ!」
「わたしはシャルル様が苦しそうだと感じたから声をおかけしただけです!」
「何を戯言を……っ。その方が兄様の心を壊したのは明明白白であろう!」
「証拠がありませんねえ。悪意を捏造するのも大概にしてもらえません?」

 確かに建前ではそうだしそんな見方も出来る。けれど学園中の誰もがシャルル殿下はアルテミシアの毒牙にかかり心を失った、と受け取っている筈だ。何せシャルルがジャンヌの気を惹こうと一生懸命になっている光景は何度も目にしていたから。
 白々しく言い訳を並べるアルテミシアは王女殿下相手にも一切敬意を表さず、むしろ小馬鹿にしたような物言いを続ける。いや、『双子座2』の脚本上にすらいない中でよくメインヒロインと悪役令嬢って立場に自信を持っていられるものね。

「はっ、どのように言葉巧みにその者達を誘惑したかは知らぬが、そなたの様な者を人は魔性の女と呼ぶのだぞ」
「誘惑だなんて、そんな汚い言葉でくくらないでください。私はただアンリ様やピエール様方が同じ時間を過ごしたいと思われる女性であろうとしただけなのですから」
「物は言い様だなブルゴーニュ伯爵令嬢よ。まさかその熟れた身体を使って籠絡したわけではあるまいな?」
「――殿下。畏れながら申し上げますが、それ以上の侮辱は止めていただきたい」

 マリー殿下の罵倒を打ち止めさせたのはアンリ様の重い一言だった。王族への忠義を表す丁寧な物腰こそそのままだったものの、その雰囲気からは明らかに怒りが見て取れた。彼はまだいい方でオリヴィエール様は憤りを隠せていないしピエール様はそもそも不快感を隠そうともしない。

 だからこそ異常だった。アルテミシアが貶されても怒りも悲しみもせず平然とするシャルルが。

「へえ、成程ねぇ」

 そしてその光景を目の当たりにして黒い笑いを浮かべるジャンヌも。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された侯爵令嬢は、元婚約者の側妃にされる前に悪役令嬢推しの美形従者に隣国へ連れ去られます

葵 遥菜
恋愛
アナベル・ハワード侯爵令嬢は婚約者のイーサン王太子殿下を心から慕い、彼の伴侶になるための勉強にできる限りの時間を費やしていた。二人の仲は順調で、結婚の日取りも決まっていた。 しかし、王立学園に入学したのち、イーサン王太子は真実の愛を見つけたようだった。 お相手はエリーナ・カートレット男爵令嬢。 二人は相思相愛のようなので、アナベルは将来王妃となったのち、彼女が側妃として召し上げられることになるだろうと覚悟した。 「悪役令嬢、アナベル・ハワード! あなたにイーサン様は渡さない――!」 アナベルはエリーナから「悪」だと断じられたことで、自分の存在が二人の邪魔であることを再認識し、エリーナが王妃になる道はないのかと探り始める――。 「エリーナ様を王妃に据えるにはどうしたらいいのかしらね、エリオット?」 「一つだけ方法がございます。それをお教えする代わりに、私と約束をしてください」 「どんな約束でも守るわ」 「もし……万が一、王太子殿下がアナベル様との『婚約を破棄する』とおっしゃったら、私と一緒に隣国ガルディニアへ逃げてください」 これは、悪役令嬢を溺愛する従者が合法的に推しを手に入れる物語である。 ※タイトル通りのご都合主義なお話です。 ※他サイトにも投稿しています。

家庭の事情で歪んだ悪役令嬢に転生しましたが、溺愛されすぎて歪むはずがありません。

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるエルミナ・サディードは、両親や兄弟から虐げられて育ってきた。 その結果、彼女の性格は最悪なものとなり、主人公であるメリーナを虐め抜くような悪役令嬢となったのである。 そんなエルミナに生まれ変わった私は困惑していた。 なぜなら、ゲームの中で明かされた彼女の過去とは異なり、両親も兄弟も私のことを溺愛していたからである。 私は、確かに彼女と同じ姿をしていた。 しかも、人生の中で出会う人々もゲームの中と同じだ。 それなのに、私の扱いだけはまったく違う。 どうやら、私が転生したこの世界は、ゲームと少しだけずれているようだ。 当然のことながら、そんな環境で歪むはずはなく、私はただの公爵令嬢として育つのだった。

魔性の悪役令嬢らしいですが、男性が苦手なのでご期待にそえません!

蒼乃ロゼ
恋愛
「リュミネーヴァ様は、いろんな殿方とご経験のある、魔性の女でいらっしゃいますから!」 「「……は?」」 どうやら原作では魔性の女だったらしい、リュミネーヴァ。 しかし彼女の中身は、前世でストーカーに命を絶たれ、乙女ゲーム『光が世界を満たすまで』通称ヒカミタの世界に転生してきた人物。 前世での最期の記憶から、男性が苦手。 初めは男性を目にするだけでも体が震えるありさま。 リュミネーヴァが具体的にどんな悪行をするのか分からず、ただ自分として、在るがままを生きてきた。 当然、物語が原作どおりにいくはずもなく。 おまけに実は、本編前にあたる時期からフラグを折っていて……? 攻略キャラを全力回避していたら、魔性違いで謎のキャラから溺愛モードが始まるお話。 ファンタジー要素も多めです。 ※なろう様にも掲載中 ※短編【転生先は『乙女ゲーでしょ』~】の元ネタです。どちらを先に読んでもお話は分かりますので、ご安心ください。

当て馬の悪役令嬢に転生したけど、王子達の婚約破棄ルートから脱出できました。推しのモブに溺愛されて、自由気ままに暮らします。

可児 うさこ
恋愛
生前にやりこんだ乙女ゲームの悪役令嬢に転生した。しかも全ルートで王子達に婚約破棄されて処刑される、当て馬令嬢だった。王子達と遭遇しないためにイベントを回避して引きこもっていたが、ある日、王子達が結婚したと聞いた。「よっしゃ!さよなら、クソゲー!」私は家を出て、向かいに住む推しのモブに会いに行った。モブは私を溺愛してくれて、何でも願いを叶えてくれた。幸せな日々を過ごす中、姉が書いた攻略本を見つけてしまった。モブは最強の魔術師だったらしい。え、裏ルートなんてあったの?あと、なぜか王子達が押し寄せてくるんですけど!?

【完結】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。

金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。 前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう? 私の願い通り滅びたのだろうか? 前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。 緩い世界観の緩いお話しです。 ご都合主義です。 *タイトル変更しました。すみません。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

処理中です...