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二学期

ブリュメール⑦・靴をわたしに

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 王国の中心である王都には多くの人が集う。腕がありながらも人脈が無く貴族や大商人御用達になれない職人が少しでも名を轟かせようと王都に店や工房を構えるのは良くある話だ。なのでたまに掘り出し物が繁華街や市場に飛び出てくる場合も稀に良くある。

「だからいくら目が肥えたジャンヌとシャルルでも良いと思う品物は結構あると思うよ」
「成程……勉強になります。てっきり名のある職人はどこかの家が召し抱えているとばかり」
「芸術家も同じで、少しでも高貴な人の目に留まって援助してもらうかを考えている。そう聞いた覚えがあるよ」
「では少なくともこれからもここに来れば退屈せずに済みそうですね」

 うん、私世界でも通信販売が盛んになったって百貨店の中を見て回るのは楽しいし。少し前のわたしだったらそんな贅沢な世界は考えられなかったな。今まで知らなくて正直損した気分だ。これからもたまには足を運ぶとしよう。

 さて、ジャンヌとシャルルは昼食を取るためにお店の中に入った。わりと広めな食堂だったのでわたし達も同じお店に入って少し離れた席に座った。
 遠くで眺めていてもジャンヌはとても楽しそうにシャルルと語り合っていた。いつもの気高い貴族令嬢らしい優雅な微笑みではなく楽しさと喜びから来る純粋な笑顔で。向けられる相手がわたしではないから少し寂しさはあるけれど、それより喜びの方が大きい。

「んー、にしても……どうしてだろう?」
「カトリーヌ。どうかしましたか?」
「いや、クロードさん……あっ、ジャンヌに仕える侍女なんだけれど、あの人の姿が見えないから」
「シャルル殿下との会瀬のひと時を邪魔しないよう同行していないのでは?」

 あー、アルテュールの考える侍女は淑女の身の回りの世話をするメイドなんだろうけれど、オルレアン家では護衛も兼ねているんだ。これまでもジャンヌを尾行していたら突然クロードさんが背後に現れたりしていたし。
 シャルル付きの親衛隊に任せた? 無い無い。そんなの例えジャンヌ本人から厳命されても拒否するでしょうね。必ずジャンヌに害が及ばないよう目の届く範囲にいるに違いない。しかし懲りずに後をつけ回すわたしに何も言ってこないのはどうしてだろう?

「クロードさんったら、まさか……」
「カトリーヌ、お二人が店を出ます。私達も行きましょう」
「え、あ、うん。分かった」

 アルテュール持ちで勘定を済ませたわたし達は再びジャンヌ達の後を追う。どうやら二人は劇場のような長時間をかける場所には行く気は無いらしい。まあ庶民のお買い物の雰囲気を楽しみたいって目的から外れているから当然か。
 二人は服飾店や絵画点を見て回ったものの特に何も購入せずに店から出てきた。

「そうは言ってもあまり買ってはいないみたいだね」
「お二人には物珍しい一般市民の生活用品や装飾ならまだしも、服や宝飾となるとおいそれとここで購入したら王家や公爵家御用達の職人の顔を潰してしまいますから」
「大変なんだね。貴族として過ごすのって」
「逆にこれ見よがしに他の職人の作品を購入して職人に危機感を促す場合もあるそうですが」

 なお一般市民の場合服は自作するもの。服飾店に足を運んだとしても購入するのは布地や裁縫道具だ。一生に一度の晴れ舞台で着る式服だって例外じゃあないものね。頑丈な服が大量生産されて安く出回る私世界とは違うのよ。
 そんな感じだったのでアルテュールから何か欲しいものはと聞かれても何もないって答える他無かった。そう言えばメインヒロインだってどの攻略対象者とのデートでも物欲はあまり無かったなぁと思い返す。アルテュールは少し残念そうにしていたけれど仕方がないじゃない。

「では靴はどうです? さすがに靴は作れませんし靴底がすり減れば交換しざるを得ないでしょう」
「いや、貧民街だと靴も自作。太い糸と針を使って余った皮を縫い合わせるんだ」
「今はもう市民街に引っ越したのでしょう? 自作物をいつまでも履いている訳にはいかないと思いますが」

 それでもアルテュールったら食い下がってくるし。よほどわたしに何かを贈りたいのか。
 言われて視線を自分の足元に落としてみると、公爵家からの賃金で購入したなけなしの一つが履かれている。わたしは学園指定、オルレアン家のメイド指定が外向きと屋敷向き二種類、それから立法府指定品の合わせて五足所持している。確かに私生活で履けるのは今履いている一足だけ。確かに余裕が無いわね。
 なお、お母様が贈ってくださった品は対象から除外している。あんな高価なのをいつも履くだなんて畏れ多いって。

「そこまで言うならお願いしてもいいかな? お礼は必ずするから」
「何を言うんですかカトリーヌ。私がそうしたいから貴女に贈るんです。迷惑ですか?」
「そんなんじゃないよ。けれどアルテュールにそこまでされる資格がわたしには……」
「カトリーヌ、自分を卑下しないでください。私の心を動かした貴女は十分魅力的です。尽くすのは当然ですから」
「あ……っ」

 アルテュールはわたしの手を引いて靴屋に足を踏み入れる。店内では所狭しと靴が並べられていていかにも一般市民の生活用品って感じの品ぞろえだ。とは言え少しは見栄を張る為のお洒落な靴もあって、そこに王都の繁華街に構える店らしさが出ている。
 靴が並べられた棚の向こうでジャンヌとシャルルの話し声が聞こえてくる。どうやら二人は靴の機能性について熱く語り合っているようだ。耐久性とか動きやすさとか。貴族の物として求められる職人芸はとりあえず二の次にしているみたいね。

「カトリーヌはどんな靴が好みですか? やはり踵が上がるような?」
「動きやすくて長持ちする方がいいかな。それにこれから冬になるし少し厚い方が」
「今履いているものに似た感じでしょうか?」
「好みの用途で語るなら今履いているので事足りるし、何でもいいよ」

 ハイヒールなんて動きにくいしすぐ転びそうになるからあまり好きじゃない。わたしも私も指を折る程度しか履いてないし。可能なら社交界や舞踏会にだってヒールが低い方を履きたいのだけれどねえ。背丈があまり無いから我儘言えないけれどさ。
 んー、しかしアルテュールの厚意に甘えるのはいいとしてもどんな靴がいいかなぁ? 私世界で言う運動靴が一番楽なんだけれど女性が履く物ではないし。かと言って立ち仕事にも外出にも適した万能さを求めたブーツは今履いているし。

「ではこういった露出しているのはどうでしょう?」

 アルテュールが手にしたのは私世界風に言えばパンプスか。足の甲が露出していてハイヒールとまでは呼べないもののややヒールが高め。上質ななめし革で作られているのか質感が良い。機能性は残念だけれど女性の脚の魅力を十分に引き立たせる品だろうか。
 アルテュールには言えないけれど自分だったら絶対に買わない。けれど贈られたら履いてもいいって思える魅力は十分にあると思う。少なくとも王都内でお洒落して歩き回りたい時に選びそうなぐらいには。

「アルテュールはわたしにこういったのを履いてほしい?」
「機能性ばかり考えていたら所持品の幅が狭くなると思いますが」
「履いてほしいなら履くし別にいいならいらない」
「カトリーヌ、その言い方は卑怯ですよ」

 わたしはジャンヌを思い出して少し意地悪そうに笑ってみせた。困り顔をするアルテュールも中々見ていて楽しい。アルテュールは気恥ずかしそうに俯いて、声を落としながらも自分の欲望……おっと、意思を表した。

「……履いて欲しいと、思います」
「うん分かった。じゃあアルテュールの為にここから履いていこうかな」
「分かりました。では少々お待ちください。今履かせますので」
「えっ?」

 アルテュールは新品のパンプスを一旦傍に置くとわたしの前に跪いてきたではないか! 更にわたしを試着用の椅子に座るよう促した上で脚に触れてくる。何が起こっているのかすぐには理解出来なかったわたしは混乱するばかりだった。

「く、靴ぐらい自分で履くから!」
「遠慮しなくても大丈夫です。これぐらいは私がやりますから」
「~~っ!」

 何言ってくれているんですかこちらの公爵子息様は! 確かにアルテュールは乙女ゲーでメインヒロインを自分の手で一つ一つ世話したい独占願望があったけれどさ。でも今回はイングリド様の生存で無くなったと思っていたのに。
 アルテュールはわたしのブーツの紐を手際よく解いていく。そしてわたしの脚を手にしてブーツを脱がせていく。肌を露わにさせていく行為はまるで服を脱がされるみたいに恥ずかしくて顔から火が噴き出そうなぐらいだ。多分鏡の向こうのわたしは真っ赤に染まっているに違いない。

「……素肌の上から履いていると思ったら布の靴下でしたか」

 さすがに靴擦れが嫌だから靴下は履いている。絵にすると映える白いシルクのガーターストッキングに足を通すのはオルレアン邸で奉公する時や立法府で業務する時ぐらい。学園登校時や普段は布の靴下を着用する。ゴムが発達していないから上は紐で軽く縛らないとだけれど。
 って、何でわたしの脚を手にそのまま眺めたり手を滑らせたりするんですかぁ!? まさかの攻略対象者がセクハラをかましてくる件について。
 わたしは無言で傍の靴べらで軽くアルテュール様の手の甲を叩いてやる。僅かに顔がゆがむもののアルテュールは両手をわたしの脚から離さなかった。

「いっ……!」
「アルテュール様は脚に興奮する変態でしたって学園で言いふらそうかな?」
「す、すみません……! 思わず見とれてしまいました……」
「お世辞は良いから早く履かせてよ」

 アルテュールは慌てて、けれど丁寧にわたしに靴を履かせていく。何だか足がくすぐったいし背中がこそばゆい。多分今鏡を見たらわたしったらきっと気持ち悪いぐらい顔がにやけてしまっているでしょう。後で思い返したら悶死しそうねホント。

「これで終わりです。大きさはどうでしょうか?」
「ちょっと待って下さい……」

 わたしに靴を左右両方履かせたアルテュールは立ち上がってわたしに手を差し伸ばした。わたしはその手を取って彼の助けを借りながら立ち上がる。つま先はきつくないし思ったほど負担がかからない。かかとは指一本入らない程度の隙間がある。

「うん、丁度いいと思うよ。どうもありが……」
「いえどういたしま……」

 一つ忘れていた。わたし達の身長差を。ブーツを履いていたわたしの目線高さはアルテュールの口元あたりだった。ならヒールで少し高くなった今のわたしは?
 わたしがほんの少し見上げるだけで、アルテュールがほんの少し見下ろすだけで。
 ほら、こんなにも近くでわたし達の視線は重なり合ってしまう。

「~~っっ!?」
「わっ……! す、すみません! ……って、危ない!」

 あまりにも接近しすぎて視界いっぱいにアルテュールの端正な顔が広がってしまった。驚きのあまりわたしは思わず飛び退こうとして、ヒールのあるパンプスを履いていたのをすっかり忘れて体勢を崩した。踏ん張ろうにももう片方の脚は既に空中に投げ出されていて。
 アルテュールは仰向けに倒れかけたわたしの手を取って思いっきり引っ張り上げた。その勢いでわたしはそのまま彼に飛び込む形になってしまう。女の子にも見える華奢さだったアルテュールの身体はわたしが飛び込んでもびくともしなかった。

「ご、ごめんなさい……っ」
「い、いえっ。何事も無くて何よりです」

 おかしい。どう考えたっておかしい。顔から火が噴き出そうなぐらい恥ずかしいし胸の高鳴りがうるさいぐらいだ。大切だった筈の主目的すらわたしが今抱いてしまった感情の前には砂上の楼閣のように思えてしまう。

 どうしてわたしはまともにメインヒロインをやっているんだろう?
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