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一学期

プレリアール⑧・再会

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「……わたし、もっと面倒な手続きを踏むかって思ってた」
「事前に来訪を通達していたし馬車にはオルレアン家の家紋が描かれているもの。手間取る要因が何一つないわ」

 城門の前で夜明けを待つ旅人や商人も何人か待機する中、わたし達を乗せた馬車は顔パス同然にあっさりと中へと通された。ちなみに貴族の身分を偽った者は一族諸共極刑、便利だからって真似してはいけない。
 ようやく日が昇り始めた街はとても静かなもので、オルレアンのお屋敷まであまり時間はかからなかった。馬車に乗っていた時間は多分普段学園への通学に費やすより短かったと思う。旅はその過程も楽しむものの筈なんだけれど、情調もへったくれもないなあ。

「はい到着ー。ようこそ私達のオルレアン邸に」

 お屋敷の玄関前で馬車は止まり、真っ先にクロードさんが降りてジャンヌをエスコートする。続いてわたしも降りようと思ったらクロードさんが手を差し伸べてきた。どうしようか迷う暇も無くついクロードさんの補助を得つつ下車してしまう。

 そんなわたしを一目見た玄関前に待機していたお屋敷の従者の方々が驚愕に染まった。どうして、と一瞬思った後に改めて自分がジャンヌと血を分けた双子の姉妹なんだと思い出した。本来出迎える筈の公爵令嬢が二人現れたらそりゃあ驚くよね。

「お帰りなさいませ、ジャンヌお嬢様。朝食を用意しています」
「ありがとう。事前に連絡した通りに彼女の分も準備してもらえた?」
「はい、抜かりなく」

 いち早く我に返ったのはここの家政婦長と思われる大人の女性だった。マヌエラさんとはまた違った厳格さがあって、事前にジャンヌに注意されていなかったらわたしも彼女に頭を下げていたに違いない。

「それで、お母様は同席していただけるのかしら?」
「ジャンヌお嬢様が希望されているとお伝えしたら顔を見せるとの事でした」
「そう、それは良かったわ。じゃあ行きましょう」
「お待ちくださいお嬢様!」

 通り過ぎようとするジャンヌを家政婦長が呼び止めた。かしずきながらもジャンヌに向ける眼差しは真剣そのものだった。ジャンヌはそんな家政婦の様子を横目で見つめ返す。微笑みは絶やしていないけれどその眼差しは不快感に満ちていた。

「無礼なのは百も承知でお尋ねいたしますが、そちらの方はどなたでしょうか?」
「あら、まさか私が偽者を仕立て上げてお母様に紹介するとでも言いたいの?」
「め、滅相もございません! ですが……!」
「なら口を挟まないで。ほらカトリーヌ、早く行きましょうよ」
「えっ、あ、うん……」

 底冷えした言葉に青ざめた家政婦長を尻目にジャンヌはわたしの手を取って屋敷へと入っていく。案内されるまでもなくジャンヌは屋敷の中を進んでいく。屋敷の中は既にメイド達が活動を開始していて、例外なくわたしを目にする度に様々な驚きを見せてくれた。

 ジャンヌは扉の前で一旦立ち止まった。そしてわたしへ真剣な眼差しを送ってくる。ジャンヌがわたしに見せる初めての表情でもあり、今までで一番人間味に溢れていると感じさせた。普段はジャンヌの方が雇い主なのに、まるでわたしへお伺いをたてるようにも思えた。

「ここまで連れてきておいて何だけれど、カトリーヌをお母様に紹介しようと思うの」
「うん」
「ただの気心知れた友人じゃあなくて、生き別れた妹としてね」
「わたしは大丈夫」
「そうなったら最後、今まで通りの貧民の小娘としては過ごせなくなるわ」
「ジャンヌが望むならいいよ」

 勿論嫌だって気持ちが無いって言ったら嘘になる。お母さん達とは離れたくないし今更公爵家の令嬢なんだって言われたって困惑しか無い。けれど、この決断がジャンヌの未来に繋がるんだとしたら意を決しよう。
 悪役令嬢の役しか与えられなかった彼女の光射す道となるように踏み出すんだ。

「逆に聞くけれど、わたしでいいのかな?」
「何が?」
「わたしみたいな人がジャンヌの妹になっちゃっても、かな」
「メインヒロイン、前回までの泥棒猫だったら絶対にそんな気は起こさなかったでしょうね。今だって確かに不満は燻ぶっているけれど、カトリーヌだったらまあいいかなって気はしているの」

 ジャンヌが明かした想いが本音なのかわたしを破滅に導く演技なのかはもう私にも分からない。それでもわたしは今まで一緒に過ごしたジャンヌを信じるだけね。悪役令嬢としての悪意なんてわたしは知らないもの。

 ジャンヌは扉の取っ手に手をかけ、一気に開け放った。扉の向こうに広がっていた食事の間はオルレアン家の親族を招いても問題無いぐらいに大きかった。大テーブルの奥側の三席分だけに食事が用意されていて、最奥の席にまだ若々しい淑女が静かに座っていた。

「ご無沙汰しております、お母様」

 ジャンヌは淑女の傍へと寄って恭しく一礼する。わたしも彼女に倣ってお辞儀をする。そこでようやく淑女は新たな来訪者に気付いたらしく、ジャンヌへと顔を向けてきた。それまで呆けていたように無表情だった顔がぱあっと明るくなる。
 彼女がオルレアン公爵夫人のエルマントルド・ドルレアン。そしてわたしの実の母親……。見比べれば確かにジャンヌとそっくりだ。ジャンヌって母親似だったんだなぁ、とどこか抜けた考えが漠然と浮かんだ。

「まあジャンヌ、いつ帰ってきたの?」
「今朝です。まだ長期休暇に入っていませんから今夜には王都に向けて出立するつもりです」
「あらあら、それは慌ただしいわね。今日一日だけでもゆっくりしていきなさい」
「そうさせていただきます」

 エルマントルド様はジャンヌの後ろに控えるわたしを視界にも移さずに辺りを窺った。それから首を傾げて「おかしいわねえ」とつぶやく。ジャンヌはそんな実の母親の様子に表情を曇らせたものの、すぐに仮面を被り直すように微笑を浮かべた。

「お母様、どうかなさいましたか?」
「ちょっと早めの朝食にしちゃったからかしら? カトリーヌがまだ来ていないの」
「そうでしたか。妹は息災ですか?」
「ええ、静かな子だけれど元気よ。朝食を食べ終えたらあの子と一緒にいてあげて」

 凄まじく違和感のある会話が繰り広げられた。思わず声を挙げそうになったので何とか口元を押さえて堪えた。
 エルマントルド様は穏和な物腰を一切崩さずに一緒に住んでいるらしいカトリーヌってジャンヌの妹について色々と語ってくれた。昨日は読んだ本の感想を聞かせてくれた、一昨日は習ったばかりの讃美歌を歌ってくれた、三日前は――等、嬉しそうにお話になった。
 ジャンヌは毎日の出来事を語り聞かせるのに夢中になるエルマントルド様の隙をついてわたしの方へと振り向き、首を横に振った。

「お父様からカトリーヌを殺せって言われたお母様は泣く泣く手放した。そこまではカトリーヌも知っているわよね?」
「う、うん。お母さんが教えてくれたから」
「お母様はカトリーヌがまだ生きているってお父様には絶対に悟られてはいけないって覚悟を決めたの。だから断腸の思いでご自分にカトリーヌはもう亡くなったんだって暗示をかけたのよ」
「……っ!」

 それは、ジャンヌが悪役令嬢に至る最大の動機だ。

 オルレアン公の命のままに闇の申し子として生まれた我が子を手にかけた、と自分自身を偽った公爵夫人は精神を壊してしまう。結果、公爵夫人は普段の日常でカトリーヌが順調に育っているって幻に囚われてしまうんだ。
 結果、公爵夫人は病気療養を建前にオルレアンのお屋敷住まいになって、ジゼル奥様がオルレアン公の妻として社交界を渡り歩く事になる。妹や弟はジゼル奥様の子で母の公爵夫人は心を病んだ扱い。ジャンヌの立場は日に日に冷たくされていった。

 だからジャンヌは母に誓うんだ。貴族令嬢の模範となり国母となり、立派になった自分が母を亡き妹から救い出すんだって。そんな覚悟をメインヒロインが主人公補正で踏み躙ってくるものだから、ジャンヌは敵意、悪意と言った黒い感情を伴ってしまう……。

 ジャンヌを悲劇のヒロインに仕立て上げようと練った裏設定は当然お蔵入りしている。時間が許すならもっと別の動機を考えたかったものだ。そんな安易な発想が現実として突き付けられてしまい、申し訳なさで胸が苦しくなる。謝罪を口にしようとしても言葉が紡げない。

 そんなわたしの狼狽えぶりを目の当たりにしたジャンヌはわずかに目を細めてくる。

「知っている、とは違うかな。箇条書きにした日記を読了した、って表現の方が正しいかしらね」
「……ジャンヌ、そんな事を確かめる為にわたしを連れてきたんじゃあないよね?」
「勿論よ。今はカトリーヌの真実がどうだって構わないわ」

 ジャンヌはまだ口が止まらないエルマントルド様の額に手を当てた。さすがに直に触られてジャンヌがただ耳を傾けていないんだと気付いたようで、怪訝な眼差しをジャンヌへと向ける。そのジャンヌは母親を安心させるためか、朗らかに笑いかけた。

「お母様、ごめんなさい」
「どうしたのジャンヌ、どうして謝るの?」
「それは私が、妹を殺すからです」

 エルマントルド様に当てたジャンヌの手が閃光のように一瞬輝いた。エルマントルド様は大きく後ろに倒れそうになるものの、椅子の背もたれにその身体を預けるようにぐったりとなる。見開かれたままの目元でジャンヌは手を軽く振った。
 やがてエルマントルド様は声をかすかに漏らして姿勢を正し、ジャンヌをまじまじと見つめる。その面持ちが悲しみと怒りに支配されるにはそう時間もかからなかった。

「カトリーヌは……? ねえ、私のカトリーヌは?」
「お母様がご自分にかけていた暗示は私が魔法で解きました。今なら判断が付く筈です、お母様が一緒に過ごしていた私の妹は……存在しない妄想の産物だったって」
「夢、幻……? あの笑顔も、抱きしめた温もりも、全部……?」
「はい」

 現実を直視させられたエルマントルド様は憤怒を宿らせてジャンヌの胸元を掴んだ。ジャンヌは無表情のままで母親の怒りをただ受け止めていた。

「どうして、どうして私の目を覚まさせたのですか! 私にはもう、あの子がいないのに……!」
「そんな実在するかも分からない妹なんて私にはどうだっていいです」
「ジャンヌ、貴女って子は……!」
「ところでお母様。今日は友人を連れてきましたので紹介いたします」

 ジャンヌはエルマントルド様の目の前でわたしを指し示した。エルマントルド様はそんなのどうでもいいとばかりにジャンヌに詰め寄りながらも僅かに視線をこちらに向けて……直後、わたしを驚愕と共に凝視してきた。

「え、えっと……初めましてっ。カトリーヌと言いますっ。本日はお招きいただいて……」
「嘘よ。そうやって私をまた絶望へと追いやるつもりなの……?」

 深く頭を下げたわたしを見つめたエルマントルド様は震えながら言葉を紡いでいく。わたしの自己紹介は多分耳に届いていないかな。ジャンヌは動揺する母親の手をほどいてドレスを整え、わざとらしくわずかに首を傾げた。

「お母様が何故狼狽えているのかは存じませんが、カトリーヌは私の学園での学友でただの平民ですよ。謀るつもりなんて毛頭ございません」
「平、民……?」
「そう言えばカトリーヌの母親は以前お母様に仕えていた侍女の友人だったんだそうですよ。この間お話を伺ってきました」
「――ッ!」

 エルマントルド様は目を丸く見開きながらジャンヌとわたしを交互に見比べる。やがて、エルマントルド様はわたしを見つめられ、その端正なお顔を涙を流しながら歪められた。そして両腕を広げながらわたしへと近寄り、何も出来ずに棒立ちたったわたしを抱きしめる。

「カトリーヌなの? 本当の……?」
「わ、分かりません……。そうなんでしょうか……?」
「嗚呼、私には分かります。よく戻って来てくれました……!」

 前世の知識、ゲームの設定。そんなものはこの場では何も役に立たなかった。喜ぶべきか戸惑うべきか、わたしはただこの親子の再会を複雑な感情で受け止めていた。
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