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町に知り合いが増えました
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雑貨屋のすぐ北隣にパン屋の店がある。
その店を経営する、みんなに『コッホ先生』と呼ばれている老人と、ボニーは間もなく親しくなった。
惑星スミルナへ流れてくる前には《中央》で古代文明の遺跡を調査研究する考古学者だったらしい。『先生』と呼ばれているのはそれが理由だ。
学者をしている頃から、古代の文献に書かれているレシピとおぼしき記述が彼の興味をとらえていた。なぜ《中央》の大学を去ることになったのかは明らかではないが、とにかく十年前にこの辺境の地にたどり着いた時のコッホ先生は、「古代の料理を蘇らせたい」というやむにやまれぬ情熱に駆り立てられていた。
先生が選んだ素材はパンだった。
《中央》の超大型電脳の助けを借りて解読した古代文献のレシピを元に、彼は次々と作り出し続けているのである。“古代のパン”を。
「いらっしゃい、先生」
閉店近い夕方、雑貨屋に入ってきたコッホ先生をボニーは快活に出迎えた。
白髪の小柄な老人は、カラフルな花柄のナフキンに覆われたいい匂いのする籠を提げていた。
「おお、ボニー。試作品を持ってきたんだが、味見をしてくれんか。今回のは『マントウ』といってな、丸く蒸し上げたパンの中に味つけ肉を詰めたものだ。古代シナ文明の人気メニューだったらしい」
「わあっ、おいしそう♪ やるよやるよ、試食。ちょうどお腹が減ったところだったんだー」
ボニーは大喜びで先生から籠を受け取った。
過去に先生が古代レシピを元に開発した試作品は、いつも成功だったわけではない。とんでもない味だった物もあれば、一晩ボニーを腹痛や胸焼けで苦しめた物もあった。しかし、ボニーはその程度の事ではくじけないのである。要するに、食欲が勝つわけだった。
「そんな奴に味見なんかさせたって無駄だよ、先生。こいつの年頃は何でもうまいうまいと言って食うんだから……!」
カウンターの奥から店主が声をかけた。
そちらの方角を見たコッホ先生は、目を輝かせた。
「あんたも一つどうかね、カズマさん。商品化する前にいろんな人の意見を聞いておきたいんだよ。ほれ、味見してみてくれ」
先生が歩み寄ってくるのを見て、店主は露骨に逃げ腰になった。
「悪ぃな。今うちじゃ胃腸薬の在庫が少ねえから。またの機会にってことで……。ボニー。俺は棚卸しをしてくるから、店番頼んだぞ」
そう言い残して、カウンターの奥にある通路へとそそくさと姿を消した。裏口へ通じるその細い通路からは、二階の住居部分に通じる階段と裏の倉庫へ行けるようになっている。
店内にはボニーとコッホ先生の二人が残された。
これはおいしい、を連発しながら試作パンを頬ばるボニーに向かって、優しい声で先生は尋ねた。
「どうだい。ここでの仕事にはもう、慣れたかね」
「うん。もう、か・ん・ぺ・き。どの商品がどこにあるか完全に覚えたもんね。あたし、自慢じゃないけど、物覚えはけっこういい方なの♡」
ボニーは自信たっぷりで胸を張った。コッホ先生は笑顔で何度もうなずいた。
「そりゃあ頼もしい。カズマさんも喜んでるだろう、良い働き手が来てくれて」
「えっ? ま……まあね~~。喜んでる、と言って言えなくもないんじゃないかな~、見方によっては」
ボニーが目を白黒させたのは、口いっぱいに詰め込んでいるパンが喉に詰まりそうになったから、ではない。店主が自分の働きぶりに満足していないことは、いくら楽天的な彼女でも十分理解できているのだ。
「おまえさんがここで働くようになってからのカズマさんは、毎日とても楽しそうだよ」
コッホ先生が穏やかな顔でとんでもない事を言い出すので、ボニーは思わず口の中のパンを吹き出しそうになった。
「楽しそう……あれで?」
ボニーの驚きの表情をものともせず、老人は大きくうなずいた。
「ああ。あんなに生き生きしてるカズマさんは久しぶりに見たよ」
「生き生き……どこが!? 冗談きついよ、先生! 毎日こ~んなに目を吊り上げて、血相変えて怒鳴ってばかりなのよ? 血圧とか大丈夫なのかなって心配になるぐらい」
「ああ見えてもね、本当は孤独な人なんだよ、カズマさんは……」
コッホ先生は丸い眼鏡の奥でふと、遠い彼方を見る目つきをした。
ボニーもつい先生の雰囲気につり込まれ、神妙な面持ちになった。
日没と共に雑貨屋の店内は急速に薄暗くなりつつある。その中でコッホ先生の静かな声が響いた。
「わしが家内とメイベルを連れてここへ移住してきたのは、ちょうど十年前だ。その頃はまだこの辺りには町も何もなくて、掘っ建て小屋がいくつか寄り添うように建ってるだけだった。
カズマさんは、もうその時代からここで商売をしていたんだよ。どういうルートを持ってるのかわからないが、頼めばどんな商品でも入手してくれて、ここらの開拓者連中にはずいぶん重宝がられていた。
それから十年。わしらはずっと一緒に、このナザレ・タウンが大きくなっていくのを見守ってきたと言ってもいいんだが……カズマさんはずっと一人ぼっちだった。多くの開拓者は、落ち着くと、家族を呼び寄せたり結婚して家族を築いたりするが、カズマさんだけはずっと一人だった。
一匹狼、というのだろうねぇ、ああいう人のことを……。親切だし、悪い人じゃないんだが、自分のことは一切話したがらん。近所の者とも愛想よく交わりはするが、どこかで一線を引いておる。まあ、《フロンティア》では珍しいタイプではないがね……」
先生の語り口があまりにしんみりしてきたので、ボニーは相槌の言葉に困った。
しばらく悩んだが、考えても仕方がないと思い直し、正直な感想を述べることにした。
「……でも、あんなに口が悪かったら、女の人が寄りつかないのも当然じゃないかなー。一日中怒鳴ってるし。普通の女の人じゃ、とてももたないよ」
ボニーの言葉に対し、先生はただ黙って微笑んだ。
その店を経営する、みんなに『コッホ先生』と呼ばれている老人と、ボニーは間もなく親しくなった。
惑星スミルナへ流れてくる前には《中央》で古代文明の遺跡を調査研究する考古学者だったらしい。『先生』と呼ばれているのはそれが理由だ。
学者をしている頃から、古代の文献に書かれているレシピとおぼしき記述が彼の興味をとらえていた。なぜ《中央》の大学を去ることになったのかは明らかではないが、とにかく十年前にこの辺境の地にたどり着いた時のコッホ先生は、「古代の料理を蘇らせたい」というやむにやまれぬ情熱に駆り立てられていた。
先生が選んだ素材はパンだった。
《中央》の超大型電脳の助けを借りて解読した古代文献のレシピを元に、彼は次々と作り出し続けているのである。“古代のパン”を。
「いらっしゃい、先生」
閉店近い夕方、雑貨屋に入ってきたコッホ先生をボニーは快活に出迎えた。
白髪の小柄な老人は、カラフルな花柄のナフキンに覆われたいい匂いのする籠を提げていた。
「おお、ボニー。試作品を持ってきたんだが、味見をしてくれんか。今回のは『マントウ』といってな、丸く蒸し上げたパンの中に味つけ肉を詰めたものだ。古代シナ文明の人気メニューだったらしい」
「わあっ、おいしそう♪ やるよやるよ、試食。ちょうどお腹が減ったところだったんだー」
ボニーは大喜びで先生から籠を受け取った。
過去に先生が古代レシピを元に開発した試作品は、いつも成功だったわけではない。とんでもない味だった物もあれば、一晩ボニーを腹痛や胸焼けで苦しめた物もあった。しかし、ボニーはその程度の事ではくじけないのである。要するに、食欲が勝つわけだった。
「そんな奴に味見なんかさせたって無駄だよ、先生。こいつの年頃は何でもうまいうまいと言って食うんだから……!」
カウンターの奥から店主が声をかけた。
そちらの方角を見たコッホ先生は、目を輝かせた。
「あんたも一つどうかね、カズマさん。商品化する前にいろんな人の意見を聞いておきたいんだよ。ほれ、味見してみてくれ」
先生が歩み寄ってくるのを見て、店主は露骨に逃げ腰になった。
「悪ぃな。今うちじゃ胃腸薬の在庫が少ねえから。またの機会にってことで……。ボニー。俺は棚卸しをしてくるから、店番頼んだぞ」
そう言い残して、カウンターの奥にある通路へとそそくさと姿を消した。裏口へ通じるその細い通路からは、二階の住居部分に通じる階段と裏の倉庫へ行けるようになっている。
店内にはボニーとコッホ先生の二人が残された。
これはおいしい、を連発しながら試作パンを頬ばるボニーに向かって、優しい声で先生は尋ねた。
「どうだい。ここでの仕事にはもう、慣れたかね」
「うん。もう、か・ん・ぺ・き。どの商品がどこにあるか完全に覚えたもんね。あたし、自慢じゃないけど、物覚えはけっこういい方なの♡」
ボニーは自信たっぷりで胸を張った。コッホ先生は笑顔で何度もうなずいた。
「そりゃあ頼もしい。カズマさんも喜んでるだろう、良い働き手が来てくれて」
「えっ? ま……まあね~~。喜んでる、と言って言えなくもないんじゃないかな~、見方によっては」
ボニーが目を白黒させたのは、口いっぱいに詰め込んでいるパンが喉に詰まりそうになったから、ではない。店主が自分の働きぶりに満足していないことは、いくら楽天的な彼女でも十分理解できているのだ。
「おまえさんがここで働くようになってからのカズマさんは、毎日とても楽しそうだよ」
コッホ先生が穏やかな顔でとんでもない事を言い出すので、ボニーは思わず口の中のパンを吹き出しそうになった。
「楽しそう……あれで?」
ボニーの驚きの表情をものともせず、老人は大きくうなずいた。
「ああ。あんなに生き生きしてるカズマさんは久しぶりに見たよ」
「生き生き……どこが!? 冗談きついよ、先生! 毎日こ~んなに目を吊り上げて、血相変えて怒鳴ってばかりなのよ? 血圧とか大丈夫なのかなって心配になるぐらい」
「ああ見えてもね、本当は孤独な人なんだよ、カズマさんは……」
コッホ先生は丸い眼鏡の奥でふと、遠い彼方を見る目つきをした。
ボニーもつい先生の雰囲気につり込まれ、神妙な面持ちになった。
日没と共に雑貨屋の店内は急速に薄暗くなりつつある。その中でコッホ先生の静かな声が響いた。
「わしが家内とメイベルを連れてここへ移住してきたのは、ちょうど十年前だ。その頃はまだこの辺りには町も何もなくて、掘っ建て小屋がいくつか寄り添うように建ってるだけだった。
カズマさんは、もうその時代からここで商売をしていたんだよ。どういうルートを持ってるのかわからないが、頼めばどんな商品でも入手してくれて、ここらの開拓者連中にはずいぶん重宝がられていた。
それから十年。わしらはずっと一緒に、このナザレ・タウンが大きくなっていくのを見守ってきたと言ってもいいんだが……カズマさんはずっと一人ぼっちだった。多くの開拓者は、落ち着くと、家族を呼び寄せたり結婚して家族を築いたりするが、カズマさんだけはずっと一人だった。
一匹狼、というのだろうねぇ、ああいう人のことを……。親切だし、悪い人じゃないんだが、自分のことは一切話したがらん。近所の者とも愛想よく交わりはするが、どこかで一線を引いておる。まあ、《フロンティア》では珍しいタイプではないがね……」
先生の語り口があまりにしんみりしてきたので、ボニーは相槌の言葉に困った。
しばらく悩んだが、考えても仕方がないと思い直し、正直な感想を述べることにした。
「……でも、あんなに口が悪かったら、女の人が寄りつかないのも当然じゃないかなー。一日中怒鳴ってるし。普通の女の人じゃ、とてももたないよ」
ボニーの言葉に対し、先生はただ黙って微笑んだ。
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