4 / 15
町に知り合いが増えました
しおりを挟む
雑貨屋のすぐ北隣にパン屋の店がある。
その店を経営する、みんなに『コッホ先生』と呼ばれている老人と、ボニーは間もなく親しくなった。
惑星スミルナへ流れてくる前には《中央》で古代文明の遺跡を調査研究する考古学者だったらしい。『先生』と呼ばれているのはそれが理由だ。
学者をしている頃から、古代の文献に書かれているレシピとおぼしき記述が彼の興味をとらえていた。なぜ《中央》の大学を去ることになったのかは明らかではないが、とにかく十年前にこの辺境の地にたどり着いた時のコッホ先生は、「古代の料理を蘇らせたい」というやむにやまれぬ情熱に駆り立てられていた。
先生が選んだ素材はパンだった。
《中央》の超大型電脳の助けを借りて解読した古代文献のレシピを元に、彼は次々と作り出し続けているのである。“古代のパン”を。
「いらっしゃい、先生」
閉店近い夕方、雑貨屋に入ってきたコッホ先生をボニーは快活に出迎えた。
白髪の小柄な老人は、カラフルな花柄のナフキンに覆われたいい匂いのする籠を提げていた。
「おお、ボニー。試作品を持ってきたんだが、味見をしてくれんか。今回のは『マントウ』といってな、丸く蒸し上げたパンの中に味つけ肉を詰めたものだ。古代シナ文明の人気メニューだったらしい」
「わあっ、おいしそう♪ やるよやるよ、試食。ちょうどお腹が減ったところだったんだー」
ボニーは大喜びで先生から籠を受け取った。
過去に先生が古代レシピを元に開発した試作品は、いつも成功だったわけではない。とんでもない味だった物もあれば、一晩ボニーを腹痛や胸焼けで苦しめた物もあった。しかし、ボニーはその程度の事ではくじけないのである。要するに、食欲が勝つわけだった。
「そんな奴に味見なんかさせたって無駄だよ、先生。こいつの年頃は何でもうまいうまいと言って食うんだから……!」
カウンターの奥から店主が声をかけた。
そちらの方角を見たコッホ先生は、目を輝かせた。
「あんたも一つどうかね、カズマさん。商品化する前にいろんな人の意見を聞いておきたいんだよ。ほれ、味見してみてくれ」
先生が歩み寄ってくるのを見て、店主は露骨に逃げ腰になった。
「悪ぃな。今うちじゃ胃腸薬の在庫が少ねえから。またの機会にってことで……。ボニー。俺は棚卸しをしてくるから、店番頼んだぞ」
そう言い残して、カウンターの奥にある通路へとそそくさと姿を消した。裏口へ通じるその細い通路からは、二階の住居部分に通じる階段と裏の倉庫へ行けるようになっている。
店内にはボニーとコッホ先生の二人が残された。
これはおいしい、を連発しながら試作パンを頬ばるボニーに向かって、優しい声で先生は尋ねた。
「どうだい。ここでの仕事にはもう、慣れたかね」
「うん。もう、か・ん・ぺ・き。どの商品がどこにあるか完全に覚えたもんね。あたし、自慢じゃないけど、物覚えはけっこういい方なの♡」
ボニーは自信たっぷりで胸を張った。コッホ先生は笑顔で何度もうなずいた。
「そりゃあ頼もしい。カズマさんも喜んでるだろう、良い働き手が来てくれて」
「えっ? ま……まあね~~。喜んでる、と言って言えなくもないんじゃないかな~、見方によっては」
ボニーが目を白黒させたのは、口いっぱいに詰め込んでいるパンが喉に詰まりそうになったから、ではない。店主が自分の働きぶりに満足していないことは、いくら楽天的な彼女でも十分理解できているのだ。
「おまえさんがここで働くようになってからのカズマさんは、毎日とても楽しそうだよ」
コッホ先生が穏やかな顔でとんでもない事を言い出すので、ボニーは思わず口の中のパンを吹き出しそうになった。
「楽しそう……あれで?」
ボニーの驚きの表情をものともせず、老人は大きくうなずいた。
「ああ。あんなに生き生きしてるカズマさんは久しぶりに見たよ」
「生き生き……どこが!? 冗談きついよ、先生! 毎日こ~んなに目を吊り上げて、血相変えて怒鳴ってばかりなのよ? 血圧とか大丈夫なのかなって心配になるぐらい」
「ああ見えてもね、本当は孤独な人なんだよ、カズマさんは……」
コッホ先生は丸い眼鏡の奥でふと、遠い彼方を見る目つきをした。
ボニーもつい先生の雰囲気につり込まれ、神妙な面持ちになった。
日没と共に雑貨屋の店内は急速に薄暗くなりつつある。その中でコッホ先生の静かな声が響いた。
「わしが家内とメイベルを連れてここへ移住してきたのは、ちょうど十年前だ。その頃はまだこの辺りには町も何もなくて、掘っ建て小屋がいくつか寄り添うように建ってるだけだった。
カズマさんは、もうその時代からここで商売をしていたんだよ。どういうルートを持ってるのかわからないが、頼めばどんな商品でも入手してくれて、ここらの開拓者連中にはずいぶん重宝がられていた。
それから十年。わしらはずっと一緒に、このナザレ・タウンが大きくなっていくのを見守ってきたと言ってもいいんだが……カズマさんはずっと一人ぼっちだった。多くの開拓者は、落ち着くと、家族を呼び寄せたり結婚して家族を築いたりするが、カズマさんだけはずっと一人だった。
一匹狼、というのだろうねぇ、ああいう人のことを……。親切だし、悪い人じゃないんだが、自分のことは一切話したがらん。近所の者とも愛想よく交わりはするが、どこかで一線を引いておる。まあ、《フロンティア》では珍しいタイプではないがね……」
先生の語り口があまりにしんみりしてきたので、ボニーは相槌の言葉に困った。
しばらく悩んだが、考えても仕方がないと思い直し、正直な感想を述べることにした。
「……でも、あんなに口が悪かったら、女の人が寄りつかないのも当然じゃないかなー。一日中怒鳴ってるし。普通の女の人じゃ、とてももたないよ」
ボニーの言葉に対し、先生はただ黙って微笑んだ。
その店を経営する、みんなに『コッホ先生』と呼ばれている老人と、ボニーは間もなく親しくなった。
惑星スミルナへ流れてくる前には《中央》で古代文明の遺跡を調査研究する考古学者だったらしい。『先生』と呼ばれているのはそれが理由だ。
学者をしている頃から、古代の文献に書かれているレシピとおぼしき記述が彼の興味をとらえていた。なぜ《中央》の大学を去ることになったのかは明らかではないが、とにかく十年前にこの辺境の地にたどり着いた時のコッホ先生は、「古代の料理を蘇らせたい」というやむにやまれぬ情熱に駆り立てられていた。
先生が選んだ素材はパンだった。
《中央》の超大型電脳の助けを借りて解読した古代文献のレシピを元に、彼は次々と作り出し続けているのである。“古代のパン”を。
「いらっしゃい、先生」
閉店近い夕方、雑貨屋に入ってきたコッホ先生をボニーは快活に出迎えた。
白髪の小柄な老人は、カラフルな花柄のナフキンに覆われたいい匂いのする籠を提げていた。
「おお、ボニー。試作品を持ってきたんだが、味見をしてくれんか。今回のは『マントウ』といってな、丸く蒸し上げたパンの中に味つけ肉を詰めたものだ。古代シナ文明の人気メニューだったらしい」
「わあっ、おいしそう♪ やるよやるよ、試食。ちょうどお腹が減ったところだったんだー」
ボニーは大喜びで先生から籠を受け取った。
過去に先生が古代レシピを元に開発した試作品は、いつも成功だったわけではない。とんでもない味だった物もあれば、一晩ボニーを腹痛や胸焼けで苦しめた物もあった。しかし、ボニーはその程度の事ではくじけないのである。要するに、食欲が勝つわけだった。
「そんな奴に味見なんかさせたって無駄だよ、先生。こいつの年頃は何でもうまいうまいと言って食うんだから……!」
カウンターの奥から店主が声をかけた。
そちらの方角を見たコッホ先生は、目を輝かせた。
「あんたも一つどうかね、カズマさん。商品化する前にいろんな人の意見を聞いておきたいんだよ。ほれ、味見してみてくれ」
先生が歩み寄ってくるのを見て、店主は露骨に逃げ腰になった。
「悪ぃな。今うちじゃ胃腸薬の在庫が少ねえから。またの機会にってことで……。ボニー。俺は棚卸しをしてくるから、店番頼んだぞ」
そう言い残して、カウンターの奥にある通路へとそそくさと姿を消した。裏口へ通じるその細い通路からは、二階の住居部分に通じる階段と裏の倉庫へ行けるようになっている。
店内にはボニーとコッホ先生の二人が残された。
これはおいしい、を連発しながら試作パンを頬ばるボニーに向かって、優しい声で先生は尋ねた。
「どうだい。ここでの仕事にはもう、慣れたかね」
「うん。もう、か・ん・ぺ・き。どの商品がどこにあるか完全に覚えたもんね。あたし、自慢じゃないけど、物覚えはけっこういい方なの♡」
ボニーは自信たっぷりで胸を張った。コッホ先生は笑顔で何度もうなずいた。
「そりゃあ頼もしい。カズマさんも喜んでるだろう、良い働き手が来てくれて」
「えっ? ま……まあね~~。喜んでる、と言って言えなくもないんじゃないかな~、見方によっては」
ボニーが目を白黒させたのは、口いっぱいに詰め込んでいるパンが喉に詰まりそうになったから、ではない。店主が自分の働きぶりに満足していないことは、いくら楽天的な彼女でも十分理解できているのだ。
「おまえさんがここで働くようになってからのカズマさんは、毎日とても楽しそうだよ」
コッホ先生が穏やかな顔でとんでもない事を言い出すので、ボニーは思わず口の中のパンを吹き出しそうになった。
「楽しそう……あれで?」
ボニーの驚きの表情をものともせず、老人は大きくうなずいた。
「ああ。あんなに生き生きしてるカズマさんは久しぶりに見たよ」
「生き生き……どこが!? 冗談きついよ、先生! 毎日こ~んなに目を吊り上げて、血相変えて怒鳴ってばかりなのよ? 血圧とか大丈夫なのかなって心配になるぐらい」
「ああ見えてもね、本当は孤独な人なんだよ、カズマさんは……」
コッホ先生は丸い眼鏡の奥でふと、遠い彼方を見る目つきをした。
ボニーもつい先生の雰囲気につり込まれ、神妙な面持ちになった。
日没と共に雑貨屋の店内は急速に薄暗くなりつつある。その中でコッホ先生の静かな声が響いた。
「わしが家内とメイベルを連れてここへ移住してきたのは、ちょうど十年前だ。その頃はまだこの辺りには町も何もなくて、掘っ建て小屋がいくつか寄り添うように建ってるだけだった。
カズマさんは、もうその時代からここで商売をしていたんだよ。どういうルートを持ってるのかわからないが、頼めばどんな商品でも入手してくれて、ここらの開拓者連中にはずいぶん重宝がられていた。
それから十年。わしらはずっと一緒に、このナザレ・タウンが大きくなっていくのを見守ってきたと言ってもいいんだが……カズマさんはずっと一人ぼっちだった。多くの開拓者は、落ち着くと、家族を呼び寄せたり結婚して家族を築いたりするが、カズマさんだけはずっと一人だった。
一匹狼、というのだろうねぇ、ああいう人のことを……。親切だし、悪い人じゃないんだが、自分のことは一切話したがらん。近所の者とも愛想よく交わりはするが、どこかで一線を引いておる。まあ、《フロンティア》では珍しいタイプではないがね……」
先生の語り口があまりにしんみりしてきたので、ボニーは相槌の言葉に困った。
しばらく悩んだが、考えても仕方がないと思い直し、正直な感想を述べることにした。
「……でも、あんなに口が悪かったら、女の人が寄りつかないのも当然じゃないかなー。一日中怒鳴ってるし。普通の女の人じゃ、とてももたないよ」
ボニーの言葉に対し、先生はただ黙って微笑んだ。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。
その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。
そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。
マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。
人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
Humble Ramble 〜謙虚な少年は異世界を彷徨す〜
西順
ファンタジー
慎ましく生きてきた。
学生の加藤高貴(かとうこうき)は、ひょんな事から異世界アイテールに連れてこられてしまう。
能力値は一般人と同等。スキルは『謙虚』だけ。
ってスキル『謙虚』ってなに!?
これは謙虚に生きるをモットーに掲げる少年が異世界を無双し、いずれ最強になる物語である?
え? 勇者が他にいる? そっちもスキルが『謙虚』? どうなる高貴の異世界生活。
あ、早々に地球に戻ってくるの? どうなる高貴の人生。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる