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第6章 夢なんかじゃないんだ

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「ほんとに大丈夫?」

 しばらくすると心臓の痛みが落ち着いた。春輝はずっと心配していて、叔母さんの家の前まで送ってくれた。
 風はさっきより強くなっていて、空からはぽつぽつと雨が降りはじめている。

「なぁ、やっぱり病院行こう?」
「大丈夫だよ。この前検査したとき、なんでもなかったでしょ?」
「でももう一度、ちゃんと調べてもらったほうがいい」

 春輝が引き下がってくれないので、わたしはそっと視線をそらして「うん」と答える。

「今度行くよ」
「奈央」

 春輝の真面目な声が聞こえる。

「嘘ついてるだろ?」

 その声にドキッとする。

「絶対行けよ」

 ちらっと顔を動かすと、春輝が真剣な表情でわたしを見ていた。

「わ、わかった。明日病院に電話して予約する。春輝はもう帰ったほうがいいよ」

 雨がだんだん強くなっている。春輝の肩が濡れていく。

「じゃあ、奈央が家に入るのを見届けたら帰る」
「もう、心配症だなぁ」
「心配するよ。なんかあったらすぐ病院行けよ」
「うん。ありがとね」

 背中を向けて、叔母さんの家に向かう。振り返ると雨の中、自転車のハンドルを持ったまま、春輝がじっとこっちを見ている。
 その表情を見ていたら、なんだかすごく泣きたくなって……。
 わたしは自転車を止めると、春輝に駆け寄った。

「春輝!」

 唇にそっとキスをする。

「おやすみ」

 春輝の目を見つめて言った。春輝はなにか考え込むように、黙ってわたしを見ている。そして「おやすみ」とつぶやくと、自転車を押して、いま来た道を引き返していく。

「春輝……」

 春輝は最後まで、わたしに笑いかけてくれなかった。
 きっと気づいているんだろう。
 わたしがずっと、隠しごとをしていることに――。


 雨の音が聞こえる。ネットのニュースでは、このあたりに台風が上陸すると報じられている。
 春輝と別れて一時間。さすがにもう家に帰っているだろう。
 わたしは窓の外の雨を見ながら考える。あの神様にあった夜も、こんな激しい雨が降っていた。

 このまま日付が変われば、わたしの余命はあと二日。
 そんなの嫌だ。
 わたしはレインコートを羽織ると、叔母さんの家を抜け出した。そして自転車に飛び乗り、再び海に向かって走らせた。


 今夜の海は、いままで見たことのないくらい荒れていた。ついさっきまでとは全然違う。足元には雨が打ちつけ、体が飛ばされそうなほどの強い風が吹いている。
 そんな中、わたしは手で風をよけながら、一歩一歩進んだ。かぶっていたフードはすでに役に立たず、髪も顔もびしょ濡れだ。

 普段の倍くらい時間をかけて、洞穴の前までたどり着いた。こうやって祠の前に立つのは久しぶりだ。
 わたしは神様を避けていたから。あの約束を思い出すのが恐ろしくて、夢だと思い込んで、なかったことにしたかったんだ。

「神様……」

 両手を合わせ、目を閉じる。

「お願いします。わたしの命を伸ばしてください。わたし……まだ死にたくないんです」

 こんなちっぽけな命、どうなってもいいと思っていた。それなのにいま、わたしは強く思っている。
 死にたくない。生きたいって――。

 ゴゴゴ……と地鳴りのような音が響いた。ハッと目を開けると、崖の上から大きな岩が崩れ落ちてきた。

「ひっ……」

 思わず後ずさりしたら、濡れた石で足を滑らせ、しりもちをついた。

「痛っ……」

 顔をしかめて、目をこらす。洞穴の入り口が大きな岩でふさがれている。

「あっ……」

 そしてそこには、厳しい顔でわたしを見下ろしている、神様の姿があった。

「か、神様……」

 立ち上がり、近づこうとしたら、神様が杖で足元の石をカッと叩いた。わたしはしびれるように、立ちつくす。

「いまさらなにを言っておる」

 神様が鋭い目でわたしをにらむ。

「自分の命と引き換えに、あの男を助けると決めたのはおまえだろう?」

 わたしはうつむいた。
 わかってる。そのとおり。わたしが祈って、神様からの条件を飲んで、願いを叶えてもらった。

「ごめんなさい。わかってます。でもわたし……まだ死にたくない。春輝と一緒にいたいんです」
「そんな身勝手な願いは叶えられん」
「お願いします! なんでもします!」
「ならばおまえ、この岩と土砂をどかすことができるか?」

 神様が杖で、洞穴の前を差した。そこには崖の上から落ちてきた、大きな岩が見える。その奥には、また土砂がたまっている。
 この前とは違う。あんな大きな岩、一目見ただけで動かせないってわかる。祠が無事かどうかもわからない。

「まったく、この崖崩れのせいで、また祠に戻れなくなった。もう引っ越しを考えるしかないのかもしれんのう」
「岩を……どかしたら叶えてくれるんですか?」
「身勝手な願いはお断りだが、もしどかせられるなら、考えてやらないこともない」

 わたしは岩に駆け寄り、両手で思いっきり押してみた。しかし岩はびくともしない。
 何度も何度も力いっぱい押してみるが、一ミリも動く気配はない。
 無理だ。絶対に無理。重機でも持ってこない限り、動かすことなんて絶対無理だ。

「お、大人に頼んで、どかしてもらいます」
「おまえの願いなのに、他人に任せるというのか? だったら願いは叶えられん」
「じゃあどうしたら……」

 雨に打たれながら、途方に暮れる。

「最初におまえの願いを叶えたのは、おまえが自分の命を失ってでも、他人を助けたいという、強い心に打たれたからじゃ。それなのに、やっぱり気が変わったから、自分も生かしてくださいというのか? 他人の運命を変えておいて、さらに自分に都合よく願いを叶えてほしいとは、身勝手にもほどがある」

 わたしはうつむく。すべて神様の言うとおりだ。

「おまえは素直に、運命を受け入れるしかないのじゃ」

 雨の中、神様の声が耳に響く。

「おまえの命はあと三日。日付が変わればあと二日。悔いなく生きるように」

 力が抜けて、その場にへたりと座り込んだ。
 わたしの余命は変わらない。わたしは春輝を残して、もうすぐいなくなる。

 これは夢なんかじゃないんだ――。
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