44 / 56
第6章 夢なんかじゃないんだ
6-4
しおりを挟む
「ほんとに大丈夫?」
しばらくすると心臓の痛みが落ち着いた。春輝はずっと心配していて、叔母さんの家の前まで送ってくれた。
風はさっきより強くなっていて、空からはぽつぽつと雨が降りはじめている。
「なぁ、やっぱり病院行こう?」
「大丈夫だよ。この前検査したとき、なんでもなかったでしょ?」
「でももう一度、ちゃんと調べてもらったほうがいい」
春輝が引き下がってくれないので、わたしはそっと視線をそらして「うん」と答える。
「今度行くよ」
「奈央」
春輝の真面目な声が聞こえる。
「嘘ついてるだろ?」
その声にドキッとする。
「絶対行けよ」
ちらっと顔を動かすと、春輝が真剣な表情でわたしを見ていた。
「わ、わかった。明日病院に電話して予約する。春輝はもう帰ったほうがいいよ」
雨がだんだん強くなっている。春輝の肩が濡れていく。
「じゃあ、奈央が家に入るのを見届けたら帰る」
「もう、心配症だなぁ」
「心配するよ。なんかあったらすぐ病院行けよ」
「うん。ありがとね」
背中を向けて、叔母さんの家に向かう。振り返ると雨の中、自転車のハンドルを持ったまま、春輝がじっとこっちを見ている。
その表情を見ていたら、なんだかすごく泣きたくなって……。
わたしは自転車を止めると、春輝に駆け寄った。
「春輝!」
唇にそっとキスをする。
「おやすみ」
春輝の目を見つめて言った。春輝はなにか考え込むように、黙ってわたしを見ている。そして「おやすみ」とつぶやくと、自転車を押して、いま来た道を引き返していく。
「春輝……」
春輝は最後まで、わたしに笑いかけてくれなかった。
きっと気づいているんだろう。
わたしがずっと、隠しごとをしていることに――。
雨の音が聞こえる。ネットのニュースでは、このあたりに台風が上陸すると報じられている。
春輝と別れて一時間。さすがにもう家に帰っているだろう。
わたしは窓の外の雨を見ながら考える。あの神様にあった夜も、こんな激しい雨が降っていた。
このまま日付が変われば、わたしの余命はあと二日。
そんなの嫌だ。
わたしはレインコートを羽織ると、叔母さんの家を抜け出した。そして自転車に飛び乗り、再び海に向かって走らせた。
今夜の海は、いままで見たことのないくらい荒れていた。ついさっきまでとは全然違う。足元には雨が打ちつけ、体が飛ばされそうなほどの強い風が吹いている。
そんな中、わたしは手で風をよけながら、一歩一歩進んだ。かぶっていたフードはすでに役に立たず、髪も顔もびしょ濡れだ。
普段の倍くらい時間をかけて、洞穴の前までたどり着いた。こうやって祠の前に立つのは久しぶりだ。
わたしは神様を避けていたから。あの約束を思い出すのが恐ろしくて、夢だと思い込んで、なかったことにしたかったんだ。
「神様……」
両手を合わせ、目を閉じる。
「お願いします。わたしの命を伸ばしてください。わたし……まだ死にたくないんです」
こんなちっぽけな命、どうなってもいいと思っていた。それなのにいま、わたしは強く思っている。
死にたくない。生きたいって――。
ゴゴゴ……と地鳴りのような音が響いた。ハッと目を開けると、崖の上から大きな岩が崩れ落ちてきた。
「ひっ……」
思わず後ずさりしたら、濡れた石で足を滑らせ、しりもちをついた。
「痛っ……」
顔をしかめて、目をこらす。洞穴の入り口が大きな岩でふさがれている。
「あっ……」
そしてそこには、厳しい顔でわたしを見下ろしている、神様の姿があった。
「か、神様……」
立ち上がり、近づこうとしたら、神様が杖で足元の石をカッと叩いた。わたしはしびれるように、立ちつくす。
「いまさらなにを言っておる」
神様が鋭い目でわたしをにらむ。
「自分の命と引き換えに、あの男を助けると決めたのはおまえだろう?」
わたしはうつむいた。
わかってる。そのとおり。わたしが祈って、神様からの条件を飲んで、願いを叶えてもらった。
「ごめんなさい。わかってます。でもわたし……まだ死にたくない。春輝と一緒にいたいんです」
「そんな身勝手な願いは叶えられん」
「お願いします! なんでもします!」
「ならばおまえ、この岩と土砂をどかすことができるか?」
神様が杖で、洞穴の前を差した。そこには崖の上から落ちてきた、大きな岩が見える。その奥には、また土砂がたまっている。
この前とは違う。あんな大きな岩、一目見ただけで動かせないってわかる。祠が無事かどうかもわからない。
「まったく、この崖崩れのせいで、また祠に戻れなくなった。もう引っ越しを考えるしかないのかもしれんのう」
「岩を……どかしたら叶えてくれるんですか?」
「身勝手な願いはお断りだが、もしどかせられるなら、考えてやらないこともない」
わたしは岩に駆け寄り、両手で思いっきり押してみた。しかし岩はびくともしない。
何度も何度も力いっぱい押してみるが、一ミリも動く気配はない。
無理だ。絶対に無理。重機でも持ってこない限り、動かすことなんて絶対無理だ。
「お、大人に頼んで、どかしてもらいます」
「おまえの願いなのに、他人に任せるというのか? だったら願いは叶えられん」
「じゃあどうしたら……」
雨に打たれながら、途方に暮れる。
「最初におまえの願いを叶えたのは、おまえが自分の命を失ってでも、他人を助けたいという、強い心に打たれたからじゃ。それなのに、やっぱり気が変わったから、自分も生かしてくださいというのか? 他人の運命を変えておいて、さらに自分に都合よく願いを叶えてほしいとは、身勝手にもほどがある」
わたしはうつむく。すべて神様の言うとおりだ。
「おまえは素直に、運命を受け入れるしかないのじゃ」
雨の中、神様の声が耳に響く。
「おまえの命はあと三日。日付が変わればあと二日。悔いなく生きるように」
力が抜けて、その場にへたりと座り込んだ。
わたしの余命は変わらない。わたしは春輝を残して、もうすぐいなくなる。
これは夢なんかじゃないんだ――。
しばらくすると心臓の痛みが落ち着いた。春輝はずっと心配していて、叔母さんの家の前まで送ってくれた。
風はさっきより強くなっていて、空からはぽつぽつと雨が降りはじめている。
「なぁ、やっぱり病院行こう?」
「大丈夫だよ。この前検査したとき、なんでもなかったでしょ?」
「でももう一度、ちゃんと調べてもらったほうがいい」
春輝が引き下がってくれないので、わたしはそっと視線をそらして「うん」と答える。
「今度行くよ」
「奈央」
春輝の真面目な声が聞こえる。
「嘘ついてるだろ?」
その声にドキッとする。
「絶対行けよ」
ちらっと顔を動かすと、春輝が真剣な表情でわたしを見ていた。
「わ、わかった。明日病院に電話して予約する。春輝はもう帰ったほうがいいよ」
雨がだんだん強くなっている。春輝の肩が濡れていく。
「じゃあ、奈央が家に入るのを見届けたら帰る」
「もう、心配症だなぁ」
「心配するよ。なんかあったらすぐ病院行けよ」
「うん。ありがとね」
背中を向けて、叔母さんの家に向かう。振り返ると雨の中、自転車のハンドルを持ったまま、春輝がじっとこっちを見ている。
その表情を見ていたら、なんだかすごく泣きたくなって……。
わたしは自転車を止めると、春輝に駆け寄った。
「春輝!」
唇にそっとキスをする。
「おやすみ」
春輝の目を見つめて言った。春輝はなにか考え込むように、黙ってわたしを見ている。そして「おやすみ」とつぶやくと、自転車を押して、いま来た道を引き返していく。
「春輝……」
春輝は最後まで、わたしに笑いかけてくれなかった。
きっと気づいているんだろう。
わたしがずっと、隠しごとをしていることに――。
雨の音が聞こえる。ネットのニュースでは、このあたりに台風が上陸すると報じられている。
春輝と別れて一時間。さすがにもう家に帰っているだろう。
わたしは窓の外の雨を見ながら考える。あの神様にあった夜も、こんな激しい雨が降っていた。
このまま日付が変われば、わたしの余命はあと二日。
そんなの嫌だ。
わたしはレインコートを羽織ると、叔母さんの家を抜け出した。そして自転車に飛び乗り、再び海に向かって走らせた。
今夜の海は、いままで見たことのないくらい荒れていた。ついさっきまでとは全然違う。足元には雨が打ちつけ、体が飛ばされそうなほどの強い風が吹いている。
そんな中、わたしは手で風をよけながら、一歩一歩進んだ。かぶっていたフードはすでに役に立たず、髪も顔もびしょ濡れだ。
普段の倍くらい時間をかけて、洞穴の前までたどり着いた。こうやって祠の前に立つのは久しぶりだ。
わたしは神様を避けていたから。あの約束を思い出すのが恐ろしくて、夢だと思い込んで、なかったことにしたかったんだ。
「神様……」
両手を合わせ、目を閉じる。
「お願いします。わたしの命を伸ばしてください。わたし……まだ死にたくないんです」
こんなちっぽけな命、どうなってもいいと思っていた。それなのにいま、わたしは強く思っている。
死にたくない。生きたいって――。
ゴゴゴ……と地鳴りのような音が響いた。ハッと目を開けると、崖の上から大きな岩が崩れ落ちてきた。
「ひっ……」
思わず後ずさりしたら、濡れた石で足を滑らせ、しりもちをついた。
「痛っ……」
顔をしかめて、目をこらす。洞穴の入り口が大きな岩でふさがれている。
「あっ……」
そしてそこには、厳しい顔でわたしを見下ろしている、神様の姿があった。
「か、神様……」
立ち上がり、近づこうとしたら、神様が杖で足元の石をカッと叩いた。わたしはしびれるように、立ちつくす。
「いまさらなにを言っておる」
神様が鋭い目でわたしをにらむ。
「自分の命と引き換えに、あの男を助けると決めたのはおまえだろう?」
わたしはうつむいた。
わかってる。そのとおり。わたしが祈って、神様からの条件を飲んで、願いを叶えてもらった。
「ごめんなさい。わかってます。でもわたし……まだ死にたくない。春輝と一緒にいたいんです」
「そんな身勝手な願いは叶えられん」
「お願いします! なんでもします!」
「ならばおまえ、この岩と土砂をどかすことができるか?」
神様が杖で、洞穴の前を差した。そこには崖の上から落ちてきた、大きな岩が見える。その奥には、また土砂がたまっている。
この前とは違う。あんな大きな岩、一目見ただけで動かせないってわかる。祠が無事かどうかもわからない。
「まったく、この崖崩れのせいで、また祠に戻れなくなった。もう引っ越しを考えるしかないのかもしれんのう」
「岩を……どかしたら叶えてくれるんですか?」
「身勝手な願いはお断りだが、もしどかせられるなら、考えてやらないこともない」
わたしは岩に駆け寄り、両手で思いっきり押してみた。しかし岩はびくともしない。
何度も何度も力いっぱい押してみるが、一ミリも動く気配はない。
無理だ。絶対に無理。重機でも持ってこない限り、動かすことなんて絶対無理だ。
「お、大人に頼んで、どかしてもらいます」
「おまえの願いなのに、他人に任せるというのか? だったら願いは叶えられん」
「じゃあどうしたら……」
雨に打たれながら、途方に暮れる。
「最初におまえの願いを叶えたのは、おまえが自分の命を失ってでも、他人を助けたいという、強い心に打たれたからじゃ。それなのに、やっぱり気が変わったから、自分も生かしてくださいというのか? 他人の運命を変えておいて、さらに自分に都合よく願いを叶えてほしいとは、身勝手にもほどがある」
わたしはうつむく。すべて神様の言うとおりだ。
「おまえは素直に、運命を受け入れるしかないのじゃ」
雨の中、神様の声が耳に響く。
「おまえの命はあと三日。日付が変わればあと二日。悔いなく生きるように」
力が抜けて、その場にへたりと座り込んだ。
わたしの余命は変わらない。わたしは春輝を残して、もうすぐいなくなる。
これは夢なんかじゃないんだ――。
21
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
没落した元名門貴族の令嬢は、馬鹿にしてきた人たちを見返すため王子の騎士を目指します!
日之影ソラ
ファンタジー
かつては騎士の名門と呼ばれたブレイブ公爵家は、代々王族の専属護衛を任されていた。
しかし数世代前から優秀な騎士が生まれず、ついに専属護衛の任を解かれてしまう。それ以降も目立った活躍はなく、貴族としての地位や立場は薄れて行く。
ブレイブ家の長女として生まれたミスティアは、才能がないながらも剣士として研鑽をつみ、騎士となった父の背中を見て育った。彼女は父を尊敬していたが、周囲の目は冷ややかであり、落ちぶれた騎士の一族と馬鹿にされてしまう。
そんなある日、父が戦場で命を落としてしまった。残されたのは母も病に倒れ、ついにはミスティア一人になってしまう。土地、お金、人、多くを失ってしまったミスティアは、亡き両親の想いを受け継ぎ、再びブレイブ家を最高の騎士の名家にするため、第一王子の護衛騎士になることを決意する。
こちらの作品の連載版です。
https://ncode.syosetu.com/n8177jc/
前世の祖母に強い憧れを持ったまま生まれ変わったら、家族と婚約者に嫌われましたが、思いがけない面々から物凄く好かれているようです
珠宮さくら
ファンタジー
前世の祖母にように花に囲まれた生活を送りたかったが、その時は母にお金にもならないことはするなと言われながら成長したことで、母の言う通りにお金になる仕事に就くために大学で勉強していたが、彼女の側には常に花があった。
老後は、祖母のように暮らせたらと思っていたが、そんな日常が一変する。別の世界に子爵家の長女フィオレンティーナ・アルタヴィッラとして生まれ変わっても、前世の祖母のようになりたいという強い憧れがあったせいか、前世のことを忘れることなく転生した。前世をよく覚えている分、新しい人生を悔いなく過ごそうとする思いが、フィオレンティーナには強かった。
そのせいで、貴族らしくないことばかりをして、家族や婚約者に物凄く嫌われてしまうが、思わぬ方面には物凄く好かれていたようだ。
よくある婚約破棄なので
おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。
その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。
言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。
「よくある婚約破棄なので」
・すれ違う二人をめぐる短い話
・前編は各自の証言になります
・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド
・全25話完結
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
完結 お飾り正妃も都合よい側妃もお断りします!
音爽(ネソウ)
恋愛
正妃サハンナと側妃アルメス、互いに支え合い国の為に働く……なんて言うのは幻想だ。
頭の緩い正妃は遊び惚け、側妃にばかりしわ寄せがくる。
都合良く働くだけの側妃は疑問をもちはじめた、だがやがて心労が重なり不慮の事故で儚くなった。
「ああどうして私は幸せになれなかったのだろう」
断末魔に涙した彼女は……
突然現れた自称聖女によって、私の人生が狂わされ、婚約破棄され、追放処分されたと思っていましたが、今世だけではなかったようです
珠宮さくら
恋愛
デュドネという国に生まれたフェリシア・アルマニャックは、公爵家の長女であり、かつて世界を救ったとされる異世界から召喚された聖女の直系の子孫だが、彼女の生まれ育った国では、聖女のことをよく思っていない人たちばかりとなっていて、フェリシア自身も誰にそう教わったわけでもないのに聖女を毛嫌いしていた。
だが、彼女の幼なじみは頑なに聖女を信じていて悪く思うことすら、自分の側にいる時はしないでくれと言う子息で、病弱な彼の側にいる時だけは、その約束をフェリシアは守り続けた。
そんな彼が、隣国に行ってしまうことになり、フェリシアの心の拠り所は、婚約者だけとなったのだが、そこに自称聖女が現れたことでおかしなことになっていくとは思いもしなかった。
嫌われ者の僕
みるきぃ
BL
学園イチの嫌われ者で、イジメにあっている佐藤あおい。気が弱くてネガティブな性格な上、容姿は瓶底眼鏡で地味。しかし本当の素顔は、幼なじみで人気者の新條ゆうが知っていて誰にも見せつけないようにしていた。学園生活で、あおいの健気な優しさに皆、惹かれていき…⁈
学園イチの嫌われ者が総愛される話。
嫌われからの愛されです。ヤンデレ注意。
※他サイトで書いていたものを修正してこちらで書いてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる